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『ぶたぶたのお医者さん』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

 「病院の名前は----『山崎動物病院』。ごく普通だ。今どきだとそっけないくらい。しかし、院長の名前は目を引く。『山崎ぶたぶた』 とは、なんと獣医らしい名前だろう」(文庫版p.20)

 極端に怖がりで病院に連れてゆけない子猫のために、「人間を怖がる子でも、当院の院長ならほぼ大丈夫です」という動物病院の宣伝を信じて往診を頼んだところ、やってきた院長先生は、確かにほぼ大丈夫な感じだった。「ぶたぶた」シリーズ最新作、今回の山崎ぶたぶたは獣医さん。文庫版(光文社)出版は、2014年01月です。

 見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、心は普通の中年男。山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。「ぶたぶた」シリーズはそういうハートウォーミングな物語です。山崎さんの職業は作品ごとに異なりますが、今回は獣医。全三話を収録した短篇集となっています。

『びびり猫モカ』

 「それくらい、モカの怯えに傷ついていると言える。何しろかわいいから、好かれたいのだ! 甘やかし倒したいのに、このままではそれもできない」(文庫版p.45)

 病院に連れてゆこうとすると「助けて~、殺される~、この人、猫殺し~!」(文庫版p.10)と大騒ぎの上に流血沙汰になってしまう臆病猫、モカ。飼い主も「かわいそうだったり痛かったり、無理に連れていったあとに取り返しのつかないくらい関係が悪化したらと思ったりで」(文庫版p.15)という猫飼い「あるある」な心理で、強引に捕まえることも出来ず。

 仕方なく往診を頼んだところ、やってきた院長先生は、何とピンク色のぶたのぬいぐるみ。そりゃ、まあ、確かに子猫は油断するわな。

 というわけで、読者に獣医ぶたぶたを紹介するプロローグ的な位置づけの作品。スチームクリーナーで豪快に全身消毒とか、細かい設定がツボ。

 ぶたぶたが犬に立ち乗り(!)するシーンで、登場人物が思わず「ただで見せてもらっていいの、これ!?」(文庫版p.51)と思ってしまうとか、猫を説得してほしいと依頼されて「えーと……わたしはただのぬいぐるみですから、動物とはしゃべれないんですが」(文庫版p.65)と真面目に答えるぶたぶたとか、いちいち笑ってしまいます。

 ツイッターで著者のつぶやきを読んでいると、以前は「身体の調子が悪くて仕事が進まない」などと嘆いていたのが、「うちの猫が心配で仕事が進まない」へと変わり、やがて「うちの猫が邪魔をするので仕事が進まない」になり、そのうち「うちの猫が可愛いので仕事が進まない」へ、ついには「うちの猫が可愛い」「うちの猫が可愛い」ばかりになるという、誰もが通る道を着実に転がってゆく様子がありありと分かり、いずれ書かれるだろうなと大方の読者が予想していた、そんな物語です。

『春の犬』

 「病気、遺伝のせいだっていうじゃない。そんな犬、不良品を売ったペットショップに返してきてよ!」(文庫版p.120)

 仕事に忙しく、ほとんど家庭を顧みない母親を持つ少年が主人公。母親が長期出張中に実家の飼い犬「チョコ」の様子がおかしいことに気づいた彼は、仕方なく獣医の往診を依頼する。その結果わかったのは、チョコが深刻なネグレクト、虐待を受けていたことだった。

 「チョコは基本ほったらかしにされていたのだ。エサを充分に食べ、広い庭で自由に遊べたが、相手にしてくれる人間も犬の友だちもいない」(文庫版p.116)

  衝撃を受けた少年は、自分の境遇と重ね合わせて、母の手からチョコを守り抜く決意を固める。

 「犬も子供も同じに扱いやがって、ちくしょう」(文庫版p.118)

 犬など飼ったことがないため、何をどうすればいいのかも分からない少年。でも、彼には心強い味方がいた。親身になってくれる友達、そして獣医の山崎ぶたぶた。

 犬好きが読んだら頭に血がのぼりかねない悲惨な設定ですが、そこは山崎ぶたぶた氏の頼もしくもほんわかした雰囲気のおかげで、陰惨な印象はずいぶん和らげられています。憎まれ役の母親についても、最後はそれなりにフォローしてあげる優しさ。

 母親にチョコが襲いかかったときに、ぶたぶたが身をていして守るシーンが印象的です。がぶっ、と噛まれた、ぶたぶた。

 「痛くはないです。犬が人を噛むと、あとで面倒なことになるかもしれませんから」(文庫版p.147)

 そう、ぶたぶたなら、噛まれても保健所や警察に届ける必要はありませんし、犬が処分される恐れもない。ぬいぐるみが獣医をやるメリットの一つはそれですね。ところで噛まれた傷(破れ)は自然に治るのかしらん。

『トラの家』

 「トラを愛した人はたくさんいましたけど、トラが気に入って、一つの家に居着いたのは、根岸さんのところだけです」(文庫版p.217)

 若い頃は一所に留まることなく、あちこち回っては子猫を保護したりしていた男気あふれるトラ。そんなトラも、もう年寄り。ある老夫婦の家に落ち着いたらしい。妻が病気で入院中なので、夫が一人でトラの世話をすることに。

 「トラの面倒見の良さもまた有名で、昔から猫飼ってるおうちに子猫を連れてきたり、犬の散歩している人に捨て猫を拾わせたりしてたんですよ」(文庫版p.192)

 ところが、そのトラが家出を繰り返すようになる。どうしてなのか。もしかして、死期が迫って、姿を隠そうとしているのか。飼い主は、トラの縁で知り合った獣医の山崎さんからトラの過去について教えてもらうのだが……。

 ともに老境にある飼い主とトラ、その微妙な距離感と曖昧な交流がリアルで素晴らしい。猫のしぶーい魅力が存分に表現されており、猫好きならじんと来るはず。ほぼ中年と老人しか出てこない話ですが、若者の青春話にも、老人話にも、どちらにも無理なく登場できるというのが山崎ぶたぶた氏とそして猫の便利なところですね。


タグ:矢崎存美
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『変愛小説集(「群像」2014年2月号掲載)』(岸本佐知子:編、多和田葉子、本谷有希子、星野智幸) [読書(小説・詩)]

 「考えれば考えるほど、ここ日本こそが世界のヘンアイの首都であると思えてくるのです。(中略)日本語で書かれた作品だけで、日本の『変愛小説集』を編むことができたら。しかも、まだ誰も読んだことのない、書き下ろし作品でそれができたら。そんな私の密かな願いを、今号で叶えてもらいました」(岸本佐知子、群像2014年2月号p.9)

 レンアイでもヘンタイでもない、不思議な愛の形を描く変愛小説。文芸誌「群像」の2014年2月号では、岸本佐知子さんの依頼に応じた12名の作家による12篇の書き下ろし短篇が「変愛小説集 日本版」として掲載されました。

 まず「変愛小説集」って何ですかという方は、岸本さんが編んだ二冊の既刊アンソロジーをご確認ください。

  2008年05月12日の日記:『変愛小説集』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2008-05-12

  2010年06月01日の日記:『変愛小説集2』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2010-06-01

 この素晴らしき変愛の数々。しかし、いずれも海外小説なので、きっと海外の作家はみんな変人揃いなのよ、こんな異常なことを考えてしかも小説に書くなんて、などというあらぬ誤解をする読者がいるやも知れぬ。

 というわけで、いやそういうわけじゃないでしょうけど、日本作家だけで変愛小説集を編んでみたところ、世界のヘンアイ首都に恥じない、あるいは恥じ入る、アンソロジーが誕生しました。何はともあれ、参加メンバーが豪華です。

『形見』(川上弘美)

 「二番めの夫が人間由来だったなんて、思ってもみなかったもの。ずいぶん年とってたから、長生きの哺乳類だとは思っていたけれど」(群像2014年2月号p.16)

 とある事情で寿命が短くなった遠未来、妻たちはこれまでに結婚した夫たちの形見を大切に保管していた。はかない夫婦愛と静かな無常観を、落ち着いた筆致で描いた感動的SF作品。ではありますが・・・。

『韋駄天どこまでも』(多和田葉子)

 「二人は、奪い、奪い合い、字体を変え、画数を変えながら、漢字だけが与えてくれる変な快楽を味わい尽くした」(群像2014年2月号p.26)

 東田一子は、生け花教室で出会った束田十子が気になっている。二人で喫茶店にいたとき、街を大地震が襲い、彼女たちは孤立してしまう。日常から切り離された二人。やがて互いの身体をまさぐり始め・・・。というと普通の官能小説みたいですが、そこはもちろん一文字違います。

 束田十子が「東の字の口の中にまで手を突っ込んで」横棒を奪うと、東田一子は駄目よ駄目よとあえぎながら束田十子の「脚の交わったところに手をさしいれて、「十」の横棒をつかんで揺らしながら引き寄せた」。「うっ」と言って身をそりかえす「十子」はすでに「一子」になっており、しかし「東田」も横棒を取られて「束田」になり、「そのうちどちらが東田一子で、どちらが束田十子なのか自分でも分からなくなってきた」という、文字いじりで激しく漢字ちゃう二人の漢能小説。

 日本版ということで、日本語でしか書けない話にしてきた挑発もさすがですが、これだけやっても全体として切ないラブストーリーになっているのは凄い。

『藁の夫』(本谷有希子)

 「平日の公園は何もかもが光り輝き、穏やかだった。木漏れ日、噴水、芝生----それに藁の夫」(群像2014年2月号p.31)

 藁で出来た男と結婚した女性。だが男というものは、その材質によらず、子供じみたモラハラを執拗にやるものなのであった。うんざりした女は、ふと思う。「藁に火を付けると、どうなるんだろう。乾いた藁は、どんなふうに燃えるのだろう。想像するだけで、心臓がどきどきと鳴った」。収録作品中では、海外の変愛小説のテイストに最も近い短篇。

『トリプル』(村田沙耶香)

 「トリプルなんてね、お母さんの時代には、本当にふしだらなことだったのよ。三人でラブホテルに行くなんて」(群像2014年2月号p.41)

 恋愛もセックスも三人でするのが当たり前の、今どきの若者世代。だが、カップル文化にそまった親世代からは理解してもらえない。

 「さっき、友達がセックスをしているところを見ちゃったの。トリプルじゃなくて、カップルのセックスだよ。それを見て思ったの。私たちは絶対に分かり合えない。違う生物なんだって。(中略)あんな不気味な行為で生まれただなんて、信じたくない」(群像2014年2月号p.54)

 まあ若者らしい潔癖さ。しかし、何と言っても本作の読み所はトリプルでのセックス描写。そんなの知ってるよ、などと思うなかれ。説得力ある異常性愛が見事に表現されています。説得力ありすぎて、読者もすぐに慣れてしまい、ごく普通の青春小説としか思えなくなってくるところが不思議。

『ほくろ毛』(吉田知子)

 「ちかごろはいろいろ寛容になっている。だらしなくなっている。きちんとしてない。ほくろの毛のせいだ」(群像2014年2月号p.59)

 ほくろ毛が生えてきた、ということは誰かが私に恋をしている。誰かしら。それともストーカー? ほくろ毛があるうちに自分に想いを寄せているカレを見つけようとする女性。ようやく見つけたカレの正体とは。

 とてもまっとうな恋愛小説。ただカレの正体が変なだけ。でも、ほら、ほくろ毛のせいで、ちかごろはいろいろ寛容になっているから。

『逆毛のトメ』(深堀 骨)

 「笑いと涙とユーモアとペーソスとウィットとエスプリが怒濤の如く軀の中から込み上げて来た。もう目茶苦茶だった」(群像2014年2月号p.76)

 癖のついた陰毛に因んで「逆毛のトメ」と名付けられた仏蘭西人形がたどる数奇な運命とは。変愛小説だろうが何だろうが、この作家は常にマイペース。正月から深堀骨を読める謹賀新年。

『天使たちの野合』(木下古栗)

 「分かるだろう? PASMOの残高が足りなくなるような奴の頭は爆発するもんさ」(群像2014年2月号p.90)

 駅前広場で若い女に声をかけられた男。人違いと断った後で気になり、遅れてきた仲間に携帯電話から指示を出して実験してみることに。軽快な会話が続き、最後に意表をつく展開で弾ける作品。どこがどう変愛なのかもう分からない。

『カウンターイルミネーション』(藤モモ子)

 「ドラムの音と、命の鼓動が重なり共鳴し、私の光が闇を飲み込み影を消す。深海を照らす、私自身の光は今も輝き続けている」(群像2014年2月号p.100)

 世界中の秘境を探検してきた男が、光も届かぬ暗黒の海の底で交わったものとは。緊迫感あふれる筆致で描き出される、この世のものとも思えない幻想的な変愛模様。ちなみにタイトルは、海底から見上げる相手に対して自分の影を消し、上層からやってくる光の中に溶け込んで見えにくくするための腹部発光のこと。

『梯子の上から世界は何度だって生まれ変わる』(吉田篤弘)

 「いまになってみれば、我々がああして出逢えたのは、彼女もおれもあちらとこちらの狭間を彷徨っていたからだとわかる。彼女は本来の自分と絵の中の自分の境界に迷い込み、おれはと云えば、電球の生と死を結ぶ役割をいまだに任じている」(群像2014年2月号p.109)

 電球交換士である男と、口から景色がこぼれ出る女。二人の出会いと、切ない別離を、スタイリッシュな文章で描いた短篇。 「あなたは生きて。どこまでもそうして生きて。そして、世界中の電球を交換して」(群像2014年2月号p.111)といったセリフにじんと来る。

『男鹿』(小池昌代)

 「ああ羚羊。夢に見た、あの羚羊の脚だ。これでやっと、にんげんをやめられる」(群像2014年2月号p.122)

 「普段、靴の他には贅沢をしないわたしが、靴に散財するとき、血が薄まるような陶酔感がある。やはりお金は使わなければならない。使わないと、血が腐る」(群像2014年2月号p.118)という靴にとりつかれた女性が、ついに手にいれた究極の一足とは。靴に対する変愛心理を描いた短篇。

『クエルボ』(星野智幸)

 「私は卵の上に座り、股間を押しつける。孵化が待ち遠しい。誰が何と言おうと、どんなやつがどんなことをしてこようと、私はここを死守するつもりだ」(群像2014年2月号p.133)

 仕事を退職した後、世間からも家庭からも何となく浮いてしまい、居心地の悪い思いをしている男。あるとき奇妙な衝動に駆られた彼は、針金ハンガーを集めて浮輪のようなリース状のオブジェを作り上げてしまうが・・・。人間以外のものとの恋愛というのは変愛小説の王道ですが、他の収録作品と題材が一致していることに驚かされます。

『ニューヨーク、ニューヨーク』(津島佑子)

 「トヨ子よ、どうして踏みきれなかったんだ? 男は半年前に死んでしまったトヨ子のためらいがもどかしくなり、その背中を押してやりたくなる」(群像2014年2月号p.143)

 離婚した妻、トヨ子が死んだことを知った男。息子から、別れた後の彼女の様子を聞いて、色々と思いめぐらせる。ニューヨークに憧れていたらしいトヨ子、それなのに結局一度もニューヨークに行かなかったトヨ子。とても変愛小説とは思えない、感傷的で切ないラブストーリー。特集の最後を、泣けるいい話で締めるという編者のこの配慮、それとも意地悪なのか。


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『ちいさいおうち』(著、イラスト:バージニア・リー・バートン、翻訳:石井桃子) [読書(小説・詩)]

 静かな田舎に建てられた、ちいさいおうち。だが時代が進むにつれて都市化の波が押し寄せてきて・・・。1943年にカルデコット賞を受賞した不朽の名作絵本。単行本(岩波書店)出版は1954年04月、改版は1965年12月、私が読んだ第59刷は2013年04月に出版されました。

 中島京子さんの小説『小さいおうち』は、戦前の東京を舞台にした歴史小説であると同時に切ない恋愛小説でもあるのですが、ミステリとしても楽しめます。

 物語の終盤になって「探偵役」をつとめることになる青年は、あるきっかけで絵本雑誌の「バージニア・リー・バートン特集号」を手にするのですが、そこに掲載されていた一篇の随筆が、大叔母がかつて住んでいたという「小さいおうち」に秘められた謎へと、彼を誘うことになるのです。

  2013年09月04日の日記:『小さいおうち』(中島京子)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-09-04

 色々な意味でこの『小さいおうち』(中島京子)という小説はバージニア・リー・バートンの名作絵本『ちいさいおうち』を意識して書かれているわけですが、実は私、この絵本を読んだことがなかったのです。いくら名作絵本といっても、子供の頃たまたま出会う機会が無ければ、そのまま一生読まずに終わってしまうこともあります。

 それではやはりまずいので、この機会にと思って読んでみました。『ちいさいおうち』。

 「むかしむかし、ずっといなかの しずかなところに ちいさいおうちが ありました。それは、ちいさい きれいなうちでした。しっかり じょうぶに たてられていました」

 田畑の中にぽつんと立てられた「ちいさいおうち」ですが、やがて都市化の波が押し寄せ、周囲に道路がひかれ、住宅街になり、ビルが立ち並び、地下鉄が走るようになります。

 「あたりの くうきは、ほこりと けむりによごれ、ごうごうという おとは やかましく、ちいさいおうちは、がたがたと ゆれました。 もう いつ はるが きて、なつが きたのか、いつが あきで、いつが ふゆなのか、わかりません」

 「ひとびとは まえよりもっと いそがしく かけあるくようになり、いまでは ちいさいおうちを ふりかえってみる ひとも いません」

 賑やかで明るく豊かになったにも関わらず、ちいさいおうちは「まちは いやだと おもいました。 そして よるには、いなかのことを ゆめにみました。 いなかでは、ひなぎくの はなや りんごの木が、月の ひかりのなかで、おどっていました」。

 果たして、ちいさいおうちは、このまま都会の片隅で朽ち果ててゆくのでしょうか。というかお前はアルプスの少女ハイジか。

 常に画面中央に「ちいさいおうち」があり、そこが同じ場所であることが分かるようになっています。しかし、ページをめくる度に、田園風景、住宅地、街、都会、という具合に描かれている風景がどんどん変わってゆきます。子供たちに、都市化がもたらす弊害をさりげなく教えてくれる絵本です。

 この絵本では、おうちは最後に都会を脱出することが出来るのですが、『小さいおうち』(中島京子)では空襲で焼けてしまうわけです。1940年代前半という時期もぴったり一致するので、絵本を知っている読者なら涙を禁じ得なかったことでしょう。

 なお、先日読んだ『百年の家』(作:J・パトリック・ルイス、絵:ロベルト・インノチェンティ、訳:長田弘)も、この絵本をベースにしていると思われます。というより、『ちいさいおうち』を知らなかった私は『百年の家』の狙いが充分に読み取れてなかったと思う。

  2013年04月27日の日記:
  『百年の家』(作:J・パトリック・ルイス、絵:ロベルト・インノチェンティ、訳:長田弘)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-04-27

 幼い頃に絵本を一冊読み逃しただけで、色々なことが分からないままになってしまうというこの恐ろしさ。子供たちには名作絵本を出来るだけ広く読ませてあげたいものです。


タグ:絵本
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2013年を振り返る(7) [教養・ノンフィクション] [年頭回顧]

 2013年に読んだノンフィクションのうち、印象に残ったものについてまとめてみます。なお、あくまで「2013年に私が読んだ」という意味であって、出版時期とは必ずしも関係ありません。

 まず、何と言っても『台湾海峡一九四九』(龍應台)には圧倒されました。国共内戦、国民党による台湾接収、台湾海峡危機という激動の時代を生きた人々の、黙して語られなかった歴史を、丹念な取材により掘り起こした一冊です。涙なしには読めません。

 また、民族集団によって異なる歴史認識が引き起こしている台湾社会の分裂を乗り越えるために、一世紀にわたって学ぶことさえ許されなかった台湾史を正面から語った『増補版 図説 台湾の歴史』(周婉窈:著、濱島敦:監修・翻訳、石川豪:翻訳、中西美貴:翻訳、中村平:翻訳)も素晴らしい。

 中国と台湾の近現代史に興味がある方にとって、この二冊は必読ではないでしょうか。

 他に歴史関連では、『中国化する日本』が話題となった與那覇潤さんが、昨年は何冊も著書を出してくれました。私が読んだのは、『日本の起源』(東島誠、與那覇潤)、『日本人はなぜ存在するか』(與那覇潤)、『史論の復権』(與那覇潤)の三冊ですが、どれも日本史のイメージを刷新する驚きに満ちていて、興奮させられました。

 個人的には、再帰性というキーワードを駆使して様々な文系学問の研究手法を紹介してゆく『日本人はなぜ存在するか』に強い感銘を受けました。一読すれば、民族、国籍、国民性、歴史認識といったものがいかにあやふやな思い込みに過ぎないか、にも関わらず、なぜ「そういうもの」として研究する意義が大いにあるのかが、明快になります。大学教養科目の授業を書籍化したものだそうですが、こういう授業を受けられる学生が羨ましい。

 社会問題に関してですが、まずは、ネットの普及により苦境に立たされていると言われる米国の新聞社とジャーナリズムの現状を取材した『アメリカ・メディア・ウォーズ ジャーナリズムの現在地」(大治朋子)が素晴らしい。日本の若きジャーナリストたちも、これを読んで奮起してほしいものだと思います。

 米国の精神医療の「押しつけ」により、世界中で精神疾患をめぐる状況が悪化している現状を告発した『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』(イーサン・ウォッターズ)はショッキングで、心の健康とは何かを改めて考えさせます。日本人にとっては、うつ病治療薬SSRIの内幕を暴いた章がとりわけ興味深い。

 環境問題については、温暖化ガス排出規制をめぐる各国の動きを概観した『エコ・ウオーズ 低炭素社会への挑戦』(朝日新聞特別取材班)が、ややまとまりに欠ける面はあるものの、興味深く読めました。日本は環境技術先進国、などと思っていたら大間違い。

 労働問題では、都市に住みながら下層階級民と見なされ差別と困窮に苦しむ「第二代農民工」と呼ばれる中国の若者たちに取材した『中国絶望工場の若者たち 「ポスト女工哀史」世代の夢と現実』(福島香織)が痛切。

 改憲問題では、憲法九条の根底にある「平和主義」が、しばしば批判されるように、「現実ばなれした空虚な理想論」に過ぎないのかどうかを突き詰める『平和主義とは何か 政治哲学で考える戦争と平和』(松元雅和)が興味深く読めました。

 食料問題については、米国の巨大企業による支配戦略を告発した『食の戦争 米国の罠に落ちる日本』(鈴木宣弘)が強烈でした。

 食料といえば、身近な南国フルーツであるバナナをめぐる過酷な歴史と、そのバナナに迫る危機を解説した『バナナの世界史 歴史を変えた果物の数奇な運命』(ダン・コッペル)が、知らなかったことばかりで印象的でした。もう一冊、中国奥地から茶の木と製茶技術を盗み出した英国人の伝記、『紅茶スパイ 英国人プラントハンター中国をゆく』(サラ・ローズ)も、冒険小説顔負けの面白さ。

 出版や書店については、古今東西のベストセラーにまつわるエピソード満載の『ベストセラーの世界史』(フレデリック・ルヴィロワ)が大いに楽しめました。

 空前の大ヒットを連発し、日本に「新書」という書籍形態を定着させたカッパブックスの内幕を描いた『カッパ・ブックスの時代』(新海均)、「世界最大の書店」アマゾンを作り上げたベゾスを取材した『ワンクリック ジェフ・ベゾス率いるAmazonの隆盛』(リチャード・ブラント)も面白かった。

 宗教まわりでは、神社や神祇信仰が太古の昔から今日まで連綿と伝えられてきたという「誤解」を正す『「神道」の虚像と実像』(井上寛司)が参考になりました。また、宗教団体のうち特に反社会的なカルト集団を体当たりで取材した『「カルト宗教」取材したらこうだった』(藤倉善郎)も、野次馬的に楽しめました。

 オカルトまわりでは、神智学、超古代史、UFOコンタクティー、マヤ歴世界終末説、爬虫類人陰謀論、オウム真理教、幸福の科学といった、一見してばらばらに見える様々なオカルト潮流の元となっている「共通の思想体系」を整理して明快に解説してくれた『現代オカルトの根源 霊性進化論の光と闇』(大田俊寛)が素晴らしい。ちなみにトンデモのネタ本としては、『図説 偽科学、珍学説読本』(グレイム・ドナルド)も面白い。

 職業まわりでは、東日本大震災の医療現場を取材した『ドキュメント・東日本大震災 「脇役」たちがつないだ震災医療』(辰濃哲郎、医薬経済編集部)、40代で自分の生き方と職を見直すことを提案する『未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる』(ちきりん)、スポーツの現場における時間計測のプロが語る『「世界最速の男」をとらえろ! 進化する「スポーツ計時」の驚くべき世界』(織田一朗)などがいい感じでした。

 ピアノ調律師が大いに語る『今のピアノでショパンは弾けない』(高木裕)、くまモンをいかにして売り込んだか、その内幕を赤裸々に明かした『くまモンの秘密 地方公務員集団が起こしたサプライズ』(熊本県庁チームくまモン)も面白い。

 ソチ五輪に向けて盛り上がるフィギュアスケートについては、採点システムなど技術面から注目選手の紹介まで、入門書として素晴らしい『知って感じるフィギュアスケート観戦術』(荒川静香)、日本のトップスケーターたちが本音をぼろぼろしゃべってくれる『トップスケーターの流儀 中野友加里が聞く9人のリアルストーリー』(中野友加里)の二冊がお気に入り。

 その他、最新の犯罪理論を使った防犯の考え方を紹介する『犯罪は予測できる』(小宮信夫)、電車の中で居眠りするという世界に類を見ない(そうなの?)日本人の習慣に隠された秘密を探る『世界が認めたニッポンの居眠り 通勤電車のウトウトにも意味があった』(ブリギッテ・シテーガ)、ガンダムの中国語翻訳をサカナにあれこれ語った『オタク的翻訳論 日本漫画の中国語訳に見る翻訳の面白さ 巻十一「機動戦士ガンダム」』(明木茂夫)などが収穫でした。


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2013年を振り返る(6) [サイエンス・テクノロジー] [年頭回顧]

 2013年に読んだポピュラーサイエンス本のうち、印象に残ったものについてまとめてみます。なお、あくまで「2013年に私が読んだ」という意味であって、出版時期とは必ずしも関係ありません。

 まず生物学関連では、昆虫の生存戦略を詳しく紹介した『食べられないために 逃げる虫、だます虫、戦う虫』(ギルバート・ウォルドバウアー)が衝撃的でした。進化の凄みを見せつけられたという感じです。

 昆虫まわりでは、『ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』(バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン)も凄い。コロニー全体が「超個体」として振る舞うハキリアリの生態はまるで異星生物ですが、バイオマスで見ると彼らこそが地球生物の代表だという事実に、世界観の修正を迫られます。

 黄砂に乗って世界中を移動している微生物に関する『空飛ぶ納豆菌』(岩坂泰信)も興味深い。黄砂粒子の表面積を足し合わせると全陸地面積にほぼ等しくなる、つまり黄砂は大気中を循環している第二の肥沃な大陸だ、というイメージに圧倒されます。

 京都の大覚寺大沢池の景観復元プロジェクトの顛末を描いた『草魚バスターズ もじゃもじゃ先生、京都大覚寺大沢池を再生する』(真板昭夫)は、身近な事例を通じて、生態系をコントロールすることの難しさを教えてくれました。

 宇宙関連では、いわゆる「人間原理」の基本的な考えと、最近それが注目を集めている理由を解説した『宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論』(青木薫)、およびインフレーション宇宙論を拡張することで明らかになった「無からの宇宙創成」について解説した『宇宙が始まる前には何があったのか?』(ローレンス・クラウス、翻訳:青木薫)が素晴らしい。

 この宇宙がなぜ存在し、どうしてこのような宇宙であるのか、という根源的疑問に対して、インフレーションとマルチバースと人間原理を組み合わせることで、ついに「神の介入」も「万物理論」も必要としない解答を手に入れた現代宇宙論の到達点には、身が震えるような感動があります。

 一方、天文学と生物学の境界に位置する宇宙生物学やパンスペルミア説(地球生命は宇宙からやってきた、という考え)について紹介した『生命はどこから来たのか? アストロバイオロジー入門』(松井孝典)、およびそこでエピソードとして触れられていた「スリランカに降った赤い雨から地球外生命と思われる細胞状物質が発見された」という、ちょっと怪しい話について紹介した『スリランカの赤い雨 生命は宇宙から飛来するか』(松井孝典)の二冊にも興味深いものがあります。

 科学とオカルトの境界を探る試みとしては、いわゆる超能力(サイ現象)の研究がどうなっているかを概説した『超能力の科学 念力、予知、テレパシーの真実』(ブライアン・クレッグ)、および私たちの身の回りにあふれる怪しい偽科学的言説を斬ってのけた『謎解き超科学』(ASIOS)の二冊が楽しめました。

 人間の認知や心に関する最近の研究成果を紹介した本としては、使用言語によって認知が影響を受けていることを示す『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』(ガイ・ドイッチャー)、皮膚感覚が人間の精神に与える影響を解説した『皮膚感覚と人間のこころ』(傳田光洋)、さらに認知バイアスの代表的なものについてクイズ形式で易しく紹介する『自分では気づかない、ココロの盲点』(池谷裕二)の三冊が、知的好奇心を強烈にかきたててくれました。

 その他、心理学まわりの書籍としては、言語、感情、意識がどうやって進化してきたのかを高校生向けに解説した『「つながり」の進化生物学』(岡ノ谷一夫)、霊長類のなかで人類だけが持つ「家族」を基盤とする社会システムがどのように進化してきたかを探る『家族進化論』(山極寿一)、人間が持っている不誠実な性質に焦点を当てた『ずる 嘘とごまかしの行動経済学』(ダン・アリエリー)が面白い。

 コンピュータ技術に関しては、いわゆる「シンギュラリティ」(技術的特異点)の概念を分かりやすく紹介した『2045年問題 コンピュータが人類を超える日』(松田卓也)、ついに名人を打ち負かした将棋ソフトがここ数年でいかにして飛躍的に強くなったのかを技術面から解説した『人間に勝つコンピュータ将棋の作り方』(監修:コンピュータ将棋協会)、世界的にも類を見ないほどの巨大ネットワークシステムであるSuicaがどのように構築され運用されているかを解説した『ペンギンが空を飛んだ日 IC乗車券・Suicaが変えたライフスタイル』(椎橋章夫)が、強い印象を残します。

 コンピュータ技術そのものではなく、その急速な発展に対して人間がどのようにして適応しようとしてきたかを言語、特にメタファーの使用法から探ってゆく『デジタル・メタファー ことばはコンピューターとどのように向きあってきたか』(荒川洋平)、急速に実用化が進む超伝導技術の最新動向について教えてくれる『新しい超伝導入門』(山路達也)、話題のiPS細胞についての入門書『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』(山中伸弥、緑慎也)も大いに楽しめました。

 最後に、ハードウェアまわりの解説書としては、スナイピングの技術を紹介する『狙撃の科学 標的を正確に打ち抜く技術に迫る』(かのよしのり)、建築現場などで使われている巨大メカ、重機について、カタログ本の体裁をとりながら読者を重機萌えの世界に誘う『重機の世界』(高石賢一)が印象的でした。


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