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『SFマガジン2020年2月号 創刊60周年記念号』 [読書(SF)]

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…三体…
が街にやってくる……
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SFマガジン創刊60周年記念大河漫画
『SF小僧と狼男』(とり・みき)より


 隔月刊SFマガジン2020年2月号の特集は「創刊60周年記念」でした。


『故郷へのまわり道』(グレッグ・イーガン、山岸真:翻訳)
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 経緯90度が近くなると、アイシャは月平線の上に浮かんでいる地球をふり返った。馬鹿な連中がなにをしたか知らないが、あの青い星の全体を人が住めない場所にしてしまうことができたとは思えなかった。(中略)空気がまだ呼吸可能で、穀物がまだ生育できるのだとすれば、あそこに帰り着くことは、懸命な努力に値する。
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SFマガジン2020年2月号p.123


 いきなり地球との通信が途絶し、孤立した月面基地。ただ一人生き延びた女性が、生まれたばかりの赤子とともに、独力で地球帰還をめざす。宇宙船もロケットもなく、軌道上に宇宙ステーションもない。どうやって月面を飛び立ち、どうやって大気圏に突入するのか。あのワトニーにさえ、じゃがいもと、地球からの支援があったというのに……。
 イーガンにしては珍しい近未来宇宙サバイバルハードSF。


『博物館惑星2 ルーキー 第十話 笑顔のゆくえ』(菅浩江)
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 それらをあわあわと包み込むのは、同じAIとしての〈ダイク〉の感情だった。「触れて想う」ことを体験できないじれったさと、理解しきれない申し訳なさ。機械が機械に対して、深く共感していると表明したのだった。
 この暮れゆく頼りない世界のどこかで、健はアス銅貨がカチンと音を立てるのを聞いたような気がした。
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SFマガジン2020年2月号p.222


 ある事情からスランプに陥った写真家、そして美術品詐欺に関与した可能性がある「はぐれAI」。二つの件はどのようにつながってゆくのか。「警察機構の威光と芸術家の存亡を賭けた総力戦だ」若き警備担当とその相棒であるAIがたどり着いた回答とは。前号に掲載された『第九話 笑顔の写真』の後編。


『本の泉 泉の本』(高野史緒)
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「残る」ことは果たしてその作品が持つ質の高さの証明だろうか。それともただの運だろうか。それも四郎に結論が出せることではなかった。世の中には分からないことがたくさんある。でもそれでいいのではないだろうか。だからこそ人は、答えを求めて論を交わし、物語を生み出し、本を書き、本を読む。そして本を買う。(中略)ああ、この世の全ての本を残せたらいいのに。全ての、文字通り全ての本を。面白い本も、下らない本も、名作も、駄目な本も、どうでもいい本も、全て、全てだ。この地球上の、全ての本を。
 全ての本を。
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SFマガジン2020年2月号p.237、239


 本を漁る、本を買う。既に持っているに違いない本もアナザーブックとかいって買う。もう二時間も本を買ってないとツイートしてから、本を買う。六千円の値札がついているけど実質的に無料だから、本を買う。誰もが経験する「いつも夢の中に出てくる、あのいきつけ古書店」をうろつき回る作品。




タグ:SFマガジン
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『裏世界ピクニック4 裏世界夜行』(宮澤伊織) [読書(SF)]

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「空魚は、私と一緒に裏世界を探検したいって思ってくれてるんだよね」
「うん」
「私も同じだよ。私も、空魚と一緒にいたい。二人でずっと、どこまでも行きたい」
「……それが鳥子のやりたいこと?」
「うん」
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Kindle版No.719


 裏世界、あるいは〈ゾーン〉とも呼称される異世界。そこでは人知をこえる超常現象や危険な存在、そして「くねくね」「八尺様」「きさらぎ駅」など様々なネットロア怪異が跳梁している。日常の隙間を通り抜け、未知領域を探索する若い女性二人組〈ストーカー〉コンビの活躍をえがく連作シリーズ、その第4巻。文庫版(早川書房)出版は2019年12月、Kindle版配信は2019年12月です。

 タイトルからも分かる通りストルガツキーの名作SF『路傍のピクニック』をベースに、ゲーム『S.T.A.L.K.E.R. Shadow of Chernobyl』の要素を取り込み、日常の隙間からふと異世界に入り込んで恐ろしい目にあうネット怪談の要素を加え、さらに主人公を若い女性二人組にすることでわくわくする感じと怖さを絶妙にミックスした好評シリーズ『裏世界ピクニック』。

 もともとSFマガジンに連載されたコンタクトテーマSFだったのが、コミック化に伴って「異世界百合ホラー」と称され、やがて「百合ホラー」となり、「百合」となって、ついには故郷たるSFマガジンが「百合特集」を組むことになり、それがまた予約殺到で在庫全滅、発売前なのに版元が緊急重版に踏み切るという、すでにストルガツキーもタルコフスキーも関係ない世界に。

 ファーストシーズンの4話は前述の通りSFマガジンに連載された後に文庫版第1巻としてまとめられましたが、セカンドシーズン以降は各話ごとに電子書籍として配信。ファイル5から8は文庫版第2巻、ファイル9から11は文庫版第3巻に収録されています。既刊の紹介はこちら。


2017年03月23日の日記
『裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2017-03-23

2017年11月30日の日記
『裏世界ピクニック2 果ての浜辺のリゾートナイト』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2017-11-30

2018年12月17日の日記
『裏世界ピクニック3 ヤマノケハイ』(宮澤伊織)
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-12-17


 というわけで、ファイル12から15を収録した第4巻です。カルト集団と特殊部隊がドンパチ派手にやった後始末から始まって、原点回帰というか、二人で怖い目にあって命からがら逃げるという基本に戻ります。

 明らかに空魚をターゲットに定めて積極的に狙ってくる怪異。一人暮らしの部屋を襲撃、入浴中でも容赦なく襲撃、さらには裏世界での夜明かし。怪異のヤバさもエスカレートしていますが、二人の関係のエスカレートっぷりの方がむしろヤバい。これ作者による悪質な罠か何かじゃないの、と勘繰ってしまうレベル。


[収録作品]

『ファイル12 あの牧場の件』
『ファイル13 隣の部屋のパンドラ』
『ファイル14 招きの湯』
『ファイル15 裏世界夜行』




『ファイル12 あの牧場の件』
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 腕にぶら下がる鳥子と至近距離で目が合って、私は動揺した。
「ていうか、今日なんか距離近くない?」
「そう? 普通でしょ」
 私の疑問をさらっと流して、鳥子が腕をほどく。
 いや絶対近いって。
 るなのDS研襲撃の日以降、鳥子の私に対する距離はなんだか縮まったと思う。物理的な距離の話だ。以前はここまで頻繁に手を繫いでこなかったし……。
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Kindle版No.608


 あちこちに裏世界ゲートが開き、化物が潜伏している「山の牧場」の掃討戦。やたらと距離を詰めてくる鳥子。スタートからしてすでに色々とヤバい。


『ファイル13 隣の部屋のパンドラ』
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 あいつは私の名前を呼んだ。
 間違いない。103の住人と、ドアをノックした何者かは、裏世界からの干渉だ。
「くっそ……」
 私は呻いて、深々とため息をついた。
 ここまで来るのか。私の家まで──。
 玄関前にゲートが出現した小桜屋敷や、裏世界と繋がってしまった鳥子の部屋を見ていたから、あり得ることと覚悟はしていたけど──実際に我が身に降りかかってみると、めちゃめちゃ嫌だった。
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Kindle版No.893


 空魚が一人暮らししているアパートの自室、その隣室から襲ってくる怪異。弱みにつけ込むようにして強引に空魚の自室に上がり込んでくる鳥子。色々な意味でストーカーがストーカーに狙われる話。


『ファイル14 招きの湯』
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 鳥子の挙動不審ぶりはそんなレベルじゃなかった。視線が私の顔と、首から下を行ったり来たりしてるし、それを私に気付かれたと悟ってからは私の目を見たまま動かなくなってしまった。
 ──一緒に温泉入ろうね、空魚……!
 私に向かってそう言ったときの鳥子の顔が忘れられない。耳まで真っ赤で、今まで見たこともないほど照れて、恥じらっていた。(中略)
 このままではヤバい。鳥子と私の関係が、危険なコーナーに差し掛かっていて、このままだと曲がりきれずに大事故を起こす──。そんな危機感が膨れ上がり、私の思考は盛大に火花を散らしながら空転した。
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Kindle版No.1638


 ファイル6の水着回に続いて、今度は温泉回。まあ、二人はいちゃついてればいいと思うけど、小桜さんにはもっと人生を楽しんでほしい。


『ファイル15 裏世界夜行』
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 鳥子のことは怖くない。多少挙動不審でも、鳥子は鳥子だ。私の大事な、二人といないパートナーだ。
 怖いのは、鳥子に対して、どう反応したらいいのかわからないことだった。どんなに恐ろしい場所にもついてきてくれて、ずっと隣にいてくれる、信頼できるこの女が、さらに踏み込んできたとき、どんな態度で接すればいいのか──私の中には何の答えもなかった。
 知識もない。経験もない。
 何も知らない子供のころに戻ってしまったようだ。
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Kindle版No.2329


 ついに裏世界での夜明かしに挑戦する二人。過去から襲ってくる怪異、伏線を回収しつつ、空魚に最大の脅威が訪れるという表プロットと、クリスマスに二人でラブホにお泊まりはじめての××という裏プロットが、表裏一体となって進行する。




タグ:宮澤伊織
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『繕い屋 金のうさぎと七色チョコレート』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

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「夢なのに、お母さんに会えないの?」
 せめて夢の中でくらい、会えたっていいじゃない。
「これはただの夢じゃないの。花は悪夢を見ている」
「そんな……怖いこと言わないで」
 薄々感じてはいたけれど、はっきり言われると恐怖が増してしまう。
「悪夢はその素を探しだして、消さなくちゃならないの」
「どうやって消せばいいの?」
 それを消せば、お母さんに会える?
「食べるんだよ。その素を食べるの。悪夢を見ている人に、食べさせるの。忘れちゃったの?」
 わけのわからないことを言われて、花は言葉もなかった。
「それに間に合わなかったら、戦いなさい。勇気を出して、花」
――――
Kindle版No.1476


 他人の悪夢の中に入り、心の傷を調理して食べさせることで本人を癒す「繕い屋」。平峰花は、今日も「繕い屋」としての危険な仕事に取り組む。誰かを悪夢から救うために。ぶたぶたシリーズで知られる著者によるシリーズ第二弾。文庫版(講談社)出版は2019年12月、Kindle版配信は2019年12月です。


 『繕い屋 月のチーズとお菓子の家』から二年、待望のシリーズ第二弾です。ちなみに前作の紹介はこちら。


2017年12月26日の日記
『繕い屋 月のチーズとお菓子の家』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2017-12-26


 平峰花はどのような事情で繕い屋になったのか。主人公の過去が明らかにされます。いつも他人のダークサイドに接触しなければならない仕事というのはキツい。まだ若いのにお気の毒というか、これじゃ性格が暗くなるのも仕方ないというか。でもお菓子は美味しそうです。


〔目次〕

「金のうさぎ」
「石の記憶」
「青い花びら」




「金のうさぎ」
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「悪夢を見る人は、とても傷ついていたり、疲弊していたり、心がギリギリまで追い詰められていたりするんです。そして、そういう状態を放っておくと、身体も傷つくというか、ヒビが入るんです。わたしはそれが見える人間で、心の傷を繕って、ヒビを直すことを仕事にしています。繕い屋って言われてます」(中略)
「よくわからないけど、ヒビを直そうとしているってことは、あなたはあたしを助けようとしているの?」
「そうです。悪夢の素を見つけて、それを食べれば、あなたはこの夢を見なくなります」
 またとんでもないことを言われた。食べる? 何を? せめてもっとSFっぽいこと言ってよー。なんかこう、機械でビヤーッて何か照射するとか……これもSFっぽくないか。
――――
Kindle版No.170


 職場のあれこれで心が疲弊してつぶれかけている女性の前に現れた謎の少女と猫。繕い屋という仕事についてきちんと説明してくれるので、前作を読んでない方でも大丈夫です。


「石の記憶」
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「この石はね、この人の忘れていた記憶なの」
 そう言われても、よくわからない。
「ここはね、この男の人の夢の中なんだよ」
「夢……」
 なんでおじさんの夢の中に僕が?
「この人からあなたは、いつも石を一つ渡されたんだよね」
「うん」
「それは、忘れたい記憶だったの。ていうか、捨てたい記憶? 憶えていると困る記憶」
「……どうして困るの?」
 その質問は、花にすべきか、おじさんにすべきか、秀臣にはわからなかったので、なんとなく空に向かって言った。
「さあ、なんでだろうね?」
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Kindle版No.690


 忘れたい記憶、覚えているとまずい記憶。それを美味しいチョコレート菓子にしてどんどん食べる。とってもメルヘンな物語、かと思ったら、非常にシビアな話です。でも読後感は悪くないので、胸焼けを恐れず食べてみてください。


「青い花びら」
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 どうして苦しんでいたかは、本当は知らない方がいいことなんだと思う。悪夢の素を食べさせないといけないから仕方ないけれど、本当は知りたくないというのが本音だった。千穂の場合、それを聞き出せる時間がなかったということだ。
 だって、人の悩みや迷いは、重い。受け止める必要などないとわかっているが、一時的であっても一緒に持たないとならないのだ。それはたとえ一瞬でも重くて、つらい。
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Kindle版No.1722


 両親のこと、謎の一族との関わり合い、猫の(猫なのか?)オリオンとの出会い、そして初めての「繕い」。いよいよ明かされる平峰花の過去。まだまだ謎は数多く残されているものの、暗くてちょっと不気味にすら感じていた主人公に思い入れが出来る大切な物語です。





タグ:矢崎存美
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『しらふで生きる 大酒飲みの決断』(町田康) [読書(随筆)]

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 ことに最初の三か月目くらいまでは、自分は禁酒しているのだ、自分は酒を絶った人間だ。自分は酒を飲まないということが強く意識せられ、自分の人生にはもはや楽しみはない。ただ索漠とした時間と空間が無意味に広がっているばかりだ、という思いに圧迫されて、アップアップしていた。
 そして反射的に、「こんなにも苦しい思いを和らげるためには酒を飲むしかない」と思い、「あ、そうだ、俺はその酒をやめているのだ」と思い出して絶望するということを七秒に四回宛繰り返していた。
(中略)
 そして日々を危機の感覚のなかで生きていた。その危機とは、「俺は酒を飲んでしまうのではないか」という恐怖であり、それは、「また酒を飲んでしまうダメ人間としての自分」を否応なしに認めざるを得ないという敗北感に直結する恐怖であったが、同時に、「こんな苦しい思いをして生きて、いったいなんの意味があるのか」という問いでもあり、それは脳内に響く、「いいぢやありませんか。今日酒を飲んだから明日死ぬという訳ぢやないんですから」という変なおばさんの声であった。
 ことにそのおばはんは執拗で、いくら黙れと言っても、その囁きをやめず、言うことを聞かないでいると、その熱い身体をぴったりと密着させてきて、それでも剛情にしていると、ついにはテイクダウンをとり、腕を決めて放さない。そのうえでなお「いいぢやありませんか」と言いつのってやめない。
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単行本p.166、167


 シリーズ“町田康を読む!”第68回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、自らの禁酒・断酒体験について語りまくる長編エッセイ。三十年間、一日も欠かさず酒を飲み続けてきた著者はいかにして酒を絶ったのか。単行本(幻冬舎)出版は2019年11月、Kindle版配信は2019年11月です。


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 酒毒によって全員がだるく、また背中に痛みなどあり、或いは微熱がうち続き、このまま飲み続けたら死ぬ。今晩くらいは酒をよそう、と思ってしまったとき、
「じゃあ、今晩飲まなければ死なないというのか。そんなことはない。人間はいずれ死ぬ。それを直視しないで、一晩、酒を抜く、なんていう小細工で誤魔化すのは人として許せない、卑怯な態度だ。私はそんな卑怯な態度はとらない。正々堂々、酒を飲む。楽しく飲む。楽しく飲んで楽しく死ぬ。それが真の大納言というものだ。節制などというのはそこらの愚かな中納言することだ。そんな奴は海老食って死ね」
 など考え飲み続けてきたのだ。ということはつまり私は筋金の入った大伴主義者ということ。だからいまさら、事故で死んだ考えが、「いやー、酒は飲みすぎると身体に悪いからね。やめた方がいいよ」などいったところでビクともするものではない。
 誰がやめるか、アホ。亜北。北アジア。そんなものねぇんだよ。と、酒飲みらしい連続しない思考で考えただろう、というか実際にそう考えてきた。
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単行本p.16


 酒を飲まずして人生に何の意味があるのか。「いずれ死ぬのに、節制など卑怯ではないか」と豪語、しないまでも心の中でつぶやくなど、していた作家。


――――
 まあ、それはそうとしてとにかく、昼間は飲まない、そして、仕事が終わるまでは飲まないという方針を打ち立てた私は、仕事はなるべく午前中に済ませる。午後四時以降は仕事をしない。などの運用上の工夫をしながら三十年間、一日も休まず酒を飲み続け、生きていればいろんなことがあるが自分の人生に概ね、満足し、このまま飲み続けて、まあ、あと二十年くらいしたら死ぬのだろう、と漠然と思っていた。ところが。
 ある日、大変化が起きた。(中略)どういうことかというと、ある日、具体的に申せば、平成二十七年の十二月末日、私は長い年月、これを愛し、飲み続けた酒をよそう、飲むのをやめようと思ってしまったのである。
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単行本p.9、10


 己の考えの胸倉をつかみ、ガンガン揺すぶって「酒をやめるのをやめると言え、言え言え言え」と責めたてた挙げ句、ついにこれを殺めてしまうなどしたものの、結局は禁酒・断酒の道を進むことに。


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 というかはっきり言おうか。私はいまだって酒を飲みたい。飲みたくてたまらない。けれども飲まないで我慢している。なぜなら気が狂っているから。
 つまり酒を絶つこと、というか自分がそんなおかしなことをしているということを認めたくなかったので、いままで意図的にこの言葉を使わないできたが、使ってしまおう、禁酒・断酒というのは常に自分のなかの正気と狂気のせめぎあいであって、飲みたい、という正気と飲まないという狂気の血みどろの闘いこそが禁酒・断酒なのである。
 つまり私はこの一年三か月の間ずっと闘い続けてきた。私は飲みたいという正気と闘い、また飲まないという狂気とも闘い続けてきたのだ。
 これを文学の業界では内面の葛藤と呼ぶ。
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単行本p.27


 では作家はどのようにして酒を絶つことに成功したのか。その方法を解説する長編エッセイです。「そもそもなぜ酒を飲むのか」「そもそも幸福とは何か」といったあたりから延々と語り続け、禁酒・断酒に至るまでのプロセスをほぼ200ページ費やして語る。


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 そしていま私には聞こえる。君たちの叫び聲が聞こえる。君たちはこんな風に叫んでいる。
「いつまでも前提の話をグダグダ話していないでさっさと酒のやめ方を教えろや、クソ野郎」と。
 ほほほ。短気なことだ。なんでそんなに早く知りたいの? 早く知って早く飲みに行きたいのではないのかね。
――――
単行本p.88





タグ:町田康
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『はじめての民俗学 怖さはどこからくるのか』(宮田登) [読書(教養)]

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 現代文明社会の世相のなかに、非合理的思考や神秘主義にたいするあこがれのような心意が存在していることは注目に値する。たとえばお化け、妖怪、オカルトなどが一種の流行現象を示していることにたいして、表面的な現象の基底を流れている文化の伝統の存在を究明しようとする民俗学的態度が必要となるだろう。(中略)こうした妖怪を求める心情は、現代社会においてますますエスカレートしそうな傾向があり、それが日本の民俗的な文化伝統とどのようにかかわっているのか、また現代人の潜在意識とどのようにつながっているのかという問題が生じてくる。現在の妖怪現象の一つ一つに民俗の基層との関連が考えられるのであり、そこに妖怪の民俗学的研究をとりあげるおもしろさがある。
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文庫版p.28、34


 妖怪、都市伝説、オカルトなど「怖い」ものに対する憧れ。その基層には、民俗的な文化伝統との関わりがあると考えられる。現代の民俗学がどのような問題意識のもとに研究しているかを一般向けに紹介してくれる本。単行本(筑摩書房)出版は1991年7月、文庫版出版は2012年8月です。


〔目次〕
1.民俗学とは
2.都市が秘める力
3.再生への願い
4.現代民俗学の可能性




1.民俗学とは
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 これまでの民俗学は、古い珍しいものを発見していくための調査を、暗黙のうちによしとしてきたところがあった。古風な資料だけをおさえようとしたため、現代社会のダイナミズムから取り残されかかっている。そうした態度ではなくて、現実に変化している、というより、現に動いているフォークロアそのものを見つめてゆく姿勢が必要である。(中略)都市だとかムラだとかいった分け方ではなくて、まず私たち自身が生きている「現在」が中心でなくてはならないのである。「現在」という状況のなかで生きる私たちが、それにどう対応してゆくかという姿勢を持たねばならないことになる。だから古い習俗一般を探るという説明をこえて、それが現代にいかなる意味があるのか、そしてそこから近未来の「現在」に向かって問いかけるような民俗学の立場でなければならないのである。
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文庫版p.38、40


 ただ古い習俗を研究するのではなく、私たち自身が生きている「現代」を中心においた民俗学。主に日本における民俗学の歴史とその問題意識をまとめます。


2.都市が秘める力
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 都市の怪異譚はつねに自然と住民との不調和を警告するために、都市の内部から滲出してきたフォークロアとしてとらえられるべき性格があるからである。そういうフォークロアをくり返し語り出そうとしているのは、都市自身がなおケガレを回復しようとする自助の行為とみることができるのである。
 だから「都市伝説」を、たんに珍しい奇事異聞、あるいは軽佻浮薄な風俗現象とだけにみないで、私たちの日常生活の根っこの部分を深く規制しているコスモロジーと結びつけて考えていく必要があるのである。
――――
文庫版p.120


 なぜ都市部で怪談や都市伝説があれほど流行るのか。民俗学的な研究成果からその深層に迫ってゆきます。


3.再生への願い
――――
 こうしたキヨメを温存させていた熊野信仰は、いうならばケガレそのものを一身にうけおう力をもっていたのである。熊野信仰の担い手たちは、自らがケガレることによって、キヨメの浄化力をもちえたと解釈される存在であった。古代以来の熊野の神秘的呪力は、近世にはいって急速に拡散されてしまい、各地に断片的なフォークロアを残すだけになってしまったといわれる。
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文庫版p.127


 現代も残る文化習俗の背後には、どのような歴史があるのか。民俗学の研究成果例を紹介します。


4.現代民俗学の可能性
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 ものすべてがコピー化した現象や、人間同士のアイデンティティーの喪失を訴える風潮は、20世紀の終焉をまえに、より表面化している傾向がある。だから現実をオリジナルなものと確認したいとする機運があり、たとえば「民俗」の再確認がたんなる懐古趣味をこえてもとめられてきたといえるのではないだろうか。(中略)
 人びとが極端に神秘的領域に関心をいだきはじめ、統計上でも、霊魂や他界への信仰が増大しつつあるということは、昭和53、4年以後顕著な社会的事実となっている。このこ
とは、もはや止めようもない。現代都市の宿命ともいえるものであり、民俗学の概念からいうとケガレの増幅作用にほかならないのである。
――――
文庫版p.187


 民俗学は私たちにとってどんな意義があるのだろうか。古い文化習俗と現代の文化現象を連続的なものとしてとらえる見方がどのような可能性をもたらすかを考察します。





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