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『プラスマイナス 170号』 [その他]

 『プラスマイナス』は、詩、短歌、小説、旅行記、身辺雑記など様々な文章を掲載する文芸同人誌です。配偶者が編集メンバーの一人ということで、宣伝を兼ねてご紹介いたします。

[プラスマイナス170号 目次]
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巻頭詩 『母の家』(琴似景)、イラスト(D.Zon)
川柳  『雲の納骨』(島野律子)
エッセイ『声入人声視聴顛末記』(島野律子)
詩   『呪祭』(多亜若)
詩   『深雪のフレーズから 「共時空ダンス」』(深雪、みか:編集)
詩   『蝶の群れる石』(島野律子)
小説  『一坪菜園生活 53』(山崎純)
随筆  『香港映画は面白いぞ 170』(やましたみか)
詩   『名前を掘る』(島野律子)
イラストエッセイ 『脇道の話 109』(D.Zon)
編集後記
 「行きたいところ」 その2 島野律子
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 盛りだくさんで定価300円の『プラスマイナス』、お問い合わせは以下のページにどうぞ。

目黒川には鯰が
http://shimanoritsuko.blog.so-net.ne.jp/





タグ:同人誌
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『忘れっぽい天使 ポール・クレーの手』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

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わすれっぽいてんしがともだち
かれはほほえみながら うらぎり

すぐかぜにきえてしまううたで
なぐさめる

ああ そうだったのか と
すべてがふにおちて
しんでゆくことができるだろうか
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『クレーの天使』(谷川俊太郎)収録
「忘れっぽい天使」より


 2019年12月15日は、夫婦でシアターΧに行って勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんの公演を鑑賞しました。上演時間1時間ほどの作品です。

 画家ポール・クレー(パウル・クレー)を題材にした作品です。勅使川原三郎さんがクレーとなって、芸術に目覚めた青春期の喜び、戦災の恐怖、ナチスによる弾圧の苦しみ、膠原病の発症による苦闘、晩年の創作活動、という流れを、ダンスだけで鮮明にイメージさせます。

 今まで見た覚えのない動きや演出が次々に登場して驚かされます。創作時のひらひらと踊る指、病気で硬直した手の痙攣、戦争をイメージさせる演出(サイレンや機関銃の音、サーチライトのように動く照明)、ナチス時代を連想させる動作(両手で顔を覆って息を殺し、少しずつ少しずつ移動する、息詰まるようなシーン)が印象的でした。

 佐東利穂子さんは天使となり、ときどき白い影のように暗闇から顕現しては、クレーの人生を見つめます。人外の存在らしさにあふれていますが、特に細い光のスリットを歩くシーンがすごかった。

 全体的に劇的でイメージしやすい演出が多く、勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんの公演をはじめて観る人にもおすすめだと思います。





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『現代思想2019年12月号 特集「巨大数の世界 アルキメデスからグーゴロジーまで」 』(鈴木真治、フィッシュ、小林銅蟲、他) [読書(サイエンス)]

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「平成」最後の日に行われた巨大数勉強会で悟ったのだ
わしは「令和」には行けぬと…
ならば、この店を存在しない「安久」の次元
「安久間(あくうかん)」に封じ込め、
アッカーマン関数を展開する余生を送っ
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書き下ろし新作『寿司 虚空編』(小林銅蟲)より


 そこに意味はないが理由はある!
 想像力も何もかもぶっ千切る圧倒的な大きさ。数の純粋暴力。巨大数探求の歴史とその意義を、数学・社会・宗教・哲学・物理など様々な視点から語る一冊。日本に巨大数ブームを巻き起こした漫画『寿司 虚空編』(小林銅蟲)の書き下ろし新作もあり。ムック(青土社)出版は2019年11月、Kindle版配信は2019年11月です。


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鈴木
 巨大数というものが広まった一つのきっかけとしては小林銅蟲さんの『寿司 虚空編』(三才ブックス、2017年)もおおきいですね。巨大数をマンガにするという発想自体がすごいと思うのですが

フィッシュ
 ほとんど冗談のつもりで「今度ぜひ巨大数のマンガでも描いてください」と言っていたところ、本当に2013年から『裏サンデー』(小学館)というところで『寿司 虚空編』が連載を開始したというわけです。これは特に小林さんから連絡があったわけではなくて、気づいたら始まっていたのですが(笑)。これが日本中に、いわば巨大数ブームを巻き起こしました。
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「討議 有限と無限のせめぎあう場所」より


 寿司屋のオヤジがひたすら巨大数について語るという漫画『寿司 虚空編』(小林銅蟲)を読んだときは、さすがにぶったまげました。その「大きさ」だけで人を圧倒し思考停止に追い込みときに発狂させる数があるという驚き。そしてそれを漫画で描こうという心意気。あまりにもどうかしてる世界がそこにあったのです。

『寿司 虚空編』(小林銅蟲)
https://www.amazon.co.jp/dp/4861999898

 というわけで、『寿司 虚空編』の新作を目当てに購入した現代思想2019年12月号ですが、寄稿者それぞれの立場から語る「巨大数」論考の数々は読みごたえがありました。いくつか個人的に印象に残ったものを紹介してみます。


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 その後グーゴロジー・ウィキにアカウントを作成し、海外のグーゴロジストたちとの交流を開始した。ふぃっしゅ数の紹介をしたところ、グーゴロジストたちの興味をひき、ウィキ上で議論が沸騰した。同年末にはグーゴロジー・ウィキの日本語版である「巨大数研究 Wiki」も立ち上がり、英語でのグーゴロジーの進展が日本に輸入されるとともに、日本発の巨大数論の概念を英語の世界に輸出した。この頃から、日本語と英語でそれぞれ発展していた巨大数論の流れが合流した。
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「巨大数論発展の軌跡」(フィッシュ)より


 まず『寿司 虚空編』でも大活躍だった、日本を代表するグーゴロジストといえるフィッシュ氏による巨大数論研究の歴史まとめ。2ちゃんねるの「一番でかい数出した奴が優勝」スレッドから海外のグーゴロジーとの合流まで。


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 このように、人類が最初に出会った巨大数は瞬間的把握能力の限界で、4か5あたりにあったと考えられます。
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「歴史的に観た巨大数の位置づけ」(鈴木真治)より


 人類が遭遇した最初の巨大数は「4」。(そこからか!)
 アルキメデス「砂の計算者」から「巨大素数問題」まで、歴史に登場した様々な巨大数についての概説。


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 われわれは以下の二つの問いを立てたい。第一の問いは「巨大数はなぜトリヴィアルな分野/存在と見なされてしまうのか?」という問いであり、第二の問いは「にもかかわらず、情報社会においてなぜ巨大数は人々の関心を喚起するのか?」という問いである。
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「情報社会にとって「数」とは何か?」(大黒岳彦)より


 数学の専門家は巨大数論にあまり興味を示さない。グーゴロジーはむしろサブカル的な文脈で受容されている。それはなぜか。社会における巨大数の位置付けについての論考。


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 量子コンピューターと「巨大な素数」判定の関係が、数理暗号の解読可能性を経由して、今世紀の社会を揺るがすことは疑いないことであろう。「巨大な素数」はもはや数学者の玩具にすぎないものではなく、社会的存在なのである。
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「巨大な素数は世界をどう変えるか」(小島寛之)より


 素数研究の歴史、巨大素数が社会に与える影響といった話題をまとめます。個人的に「素数の逆数の総和は無限と証明されているにも関わらず、現在までに見つかっている素数の逆数の総和はだいたい4」とか「メルセンヌ素数以外に巨大素数を得る方法は見つかっていないが、メルセンヌ素数が無限個あるという証明も得られていない」とか、興味深い話題もりもりで興奮。


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 このような巨大数について、哲学の立場からなにかいうべきことがあるだろうか。数学基礎論それ自体あるいは集合論や巨大基数論、計算論の立場から、あるいは物理学や数学史の立場からであれば大いにあるだろうが、哲学それ自体ということになるとわたしには次の一点をおいてほかに思いつかない。すなわち、かぞえかたのわかっていない数は存在しないのか、という問い、すなわち存在にかんする問いである。
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「かぞえかたのわからない巨大数は存在しないのか」(近藤和敬)より


 そこに到達するための定式化がなされていない巨大数は、「存在」しているのだろうか。哲学上の問いを探求する。


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 ジンバブエの人びとはハイパー・インフレ通貨をどこまで数え、どこで数えるのをやめたのだろうか。次節からは、ジンバブエのハイパー・インフレが最終局面を迎えた2009年1月に、私が首都ハラレで見聞きした出来事を記述し、ジンバブエの人びとにとっての巨大数について民族誌的に描いてみたい。
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「10兆と500億のあいだ ジンバブエのハイパー・インフレ通貨と巨大数」(早川真悠)より


 2008年、年率2億3100万パーセントというインフレ率を記録したジンバブエ・ドル。このハイパー・インフレに現地の人々はどのように対応したのか。経済という視点から「巨大数」に切り込む、しかも現地取材で、というのは予想外でした。




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『お金本』 [読書(随筆)]

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 貴君に対しては、私、終始、誠実、厳粛、おたがひ尊敬の念もてつき合ひました。貴兄に五十円ことわられたら、私、死にます。それより他ないのです。
 ぎりぎり結着のおねがひでございます。来月三日には、きちんと、全部、御返却申しあげます。(中略)どんなに、おそくとも三日には、キット、キット、お返しできます。充分御信用下さい。
 お友達に「太宰に三日まで貸すのだ。」と申して友人からお借りしても、かまひませぬ。
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「手紙 昭和十一年」(太宰治)より


 金がない、金がない。作家を苦しめるのは〆切だけではない。左右社による文豪みっともないアンソロジー、その第三弾のテーマはずばり「金」。単行本(左右社)出版は2019年10月です。


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 あえてこう言いましょう。作家だから金がないのではなく、金がないからこそ「真の作家」たり得たのだと。
 恥も哀しみもかなぐり捨てて、ただ今日を生きるのだ。これは作家たちの物語であると同時に、お金の前に無力なわたしたち人間の、叛逆と希望の物語です。
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「はじめに」より


 左右社による文豪みっともないアンソロジーの既刊本の紹介はこちら。

2016年12月22日の日記
『〆切本』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2016-12-22


2018年01月10日の日記
『〆切本2』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-01-10


 ではまず、金がない、というストレートな叫びから。


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 私が巨万の富を蓄へたとか、立派な家を建てたとか、土地屋敷を売買して金を儲けて居るとか、様々な噂が世間にあるやうだが、皆嘘だ。
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「文士の生活」(夏目漱石)より


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 貧乏貧乏と云ふけれど、貧乏して質に入れると云ふのはまだ上つつらの話である。質に入れる物がある内は貧乏とは云はれないと云ふ事を、その後の自分の経験で思ひ知つた。
 質屋通ひを卒業して、卒業したと云ふのはもう質草がなくなつたから質屋に用がない。次に金貸しからお金を借りる事を覚えた。早世した酒飲みの亡友から教はつたので、初めは連帯保証人附きであつたから条件は割り合ひに軽かつた。
 それから単独で高利貸の金を借りる用になつた。
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「質屋の暖簾」(内田百閒)より


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 貴兄から借りたお金返さねばならないと思つて要心してゐたのですが、ゆうべ原稿料を受取ると友達と会ひみんな呑んでしまひ、今月お返しできなくなりました。たいへん悲しくなりましたが、どうぞかんべんして下さい。
 小生こんど競馬をやらうかと思つてゐますよ。近況御知らせまで。
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「手紙 昭和十一年」(坂口安吾)より


 こういうときに作家を助けるのも、出版社の大切な仕事です。


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 新潮社の意見は非常に強硬で、詩人には一切金を借さないと言つてるさうだ。到底駄目らしい。
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「手紙 昭和四年」(萩原朔太郎)より


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 一つ君にききたいが、君たちも月末には一文も月給を貰はなかつたか。それから僕も何にも云はない。
 僕もアルスをあてにして印税生活をしてゐる以上、月末には君たちと同じく金は必要なのだ。君たちの仕事が報酬を受け得べきなら僕とても同じだし、でなければ困ることは同じだ。
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「手紙 大正十四年」(北原白秋)より


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「いくら来た? 一円か? 一円五十銭か?」
 久米は僕の顔を見ると、彼自身のことのやうに熱心にたづねた。僕は何ともこたへずに、振替の紙を出して見せた。振替の紙には残酷にも三円六十銭と書いてあつた。
「三十銭か。三十銭はひどいな。」
 久米もさすがになさけない顔をした。(中略)もうこの間のやうに、おごれとか何とかはいはなかつた。
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「知己料」(芥川龍之介)より


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 尤も、それも芥川、久米、三上、中戸川、山本と云ったような親しい人達には、原稿料を払っていないのだ。それから、先月の岡本綺堂氏にも払わなかった。読者諸君も本誌に対するこうした人達の好意を覚えていてほしい。
 投稿は取っても原稿料を払わないのを原則とするから、そのつもりでいてほしい。
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「文藝春秋・編集後記」(菊池寛)より


 仕方ない。金を得よう。そう決めてはみたものの、金を得る方法を知っていればそもそも作家になどならなかったわけで……。


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 僕は今年から金銭をもつと取る工夫をしようかと思つてゐる。さうでないと、金を持つてゐる人間の気持ちが切実に書けないと思ふので、どうです。
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「書簡 昭和五年」(横光利一)より


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 そうではなくアイラブユーオーケー、自分だって金持ちになる、ビッグになる。この気概が大事なのだ。いつまでもチンジャオロースー食ってへらへらしてんじゃねぇよ。金持ちになれよ、ビッグになれよ。ガッツでさあ。とボクは自分で自分に気合を入れ、金持ちになる決意をした。
 のが三日前。しかし金持ちになるのは実に難しいということに気がついた。というのは金持ちになるためにはまず金が必要だということで
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「死闘三日 下積みのチンジャオ」(町田康)より


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 ああでもない、こうでもない、と私はあらゆる種類の金もうけ法について考えて見たが、どれもこれも皆、自分の手に負えそうになかった、結局、私は、空想の中で、その、大金を拾って警察へとどけるという一番消極的な方法を考えついたのであった。
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「大晦日の夜逃げ」(平林たい子)より


 そもそも何かが間違っているのではないか。


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 原稿料は高い方がよいというのは、私は伊丹空港へタクシーで往復しますと高くつきます(七千円近い)。しかし、これは私の原稿がおそいためで、早くかけば空港へいかなくてすむのだ。だれも怨むことはない。
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「お金Q&A 6」(田辺聖子)より


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 資本家の搾取に対しては、無論反対であるが、人間は働かなくつても喰へるのが本当だ、と自分は信じてゐる。さういふ社会にならなければ嘘だと思つてゐる。
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「金儲けの秘伝」(直木三十五)より


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 私ならキャバクラで15000円使うくらいなら「まんがの森」に行きたい。500円の漫画が30冊も買える、と云うと、それならキャバクラのあとで漫画喫茶に行く方がいい、と云い返されて、この話には終わりがないのだった。
 誰もが必ず関わりをもち、毎日のように使っているお金の感覚が、こんなにズレているのは何故なのだろう。
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「金銭換算」(穂村弘)より


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 私は、某カストリ出版社の雑誌に、原稿料をもらいに行き、二時間余も、待たされた挙句、予想の五分の一ぐらいのハシタ金をもらった腹立たしさで、帰途、新宿をぶらついていて、とある犬屋で、ひどくなれなれしく、からだをこすりつけて来る柴犬を、衝動的にその原稿料で買ってしまった。その犬は、十三年間わが家にいて、老衰し、盲目になりフィラリヤにかかって亡くなった。
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「戦後十年」(柴田錬三郎)より





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『遠い他国でひょんと死ぬるや』(宮内悠介) [読書(小説・詩)]

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 じわりと、昔あった情熱が高まってきた。
 見たい。
 浩三の見た地を、浩三の見た戦争を。そして、わたしの戦争を。それも、自分一人の手と、足と、目で。
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単行本p.31


 「ぼくは、ぼくの手で、戦争を、ぼくの戦争がかきたい」
 ルソン島で戦死した詩人、竹内浩三が残した言葉に導かれるようにしてフィリピンを再訪した元テレビディレクター。巻き込まれた大騒動の果てに、彼は自分の戦争を見ることが出来るのか。単行本(祥伝社)出版は2019年9月です。


 政治と戦争をめぐるシリアスな物語を、独特のゆるさで一気に読ませてしまう『あとは野となれ大和撫子』の著者による新たな冒険小説です。

 「日本スゴイ」番組やら何やらを作るのに嫌気がさして仕事をやめた元テレビディレクター。詩人である竹内浩三が見たであろう「戦争」を自分の目で確かめるために、彼はすべてを処分して単身フィリピンに渡る。ひょんなことから、現地で知り合った娘、その元恋人にしてイスラム武装勢力メンバーたる青年、この二人と共にミンダナオ島に向かうことに。


――――
 そしてまた、わたしは例の感覚に囚われはじめていた。
 この二人は歴史を生き、歴史に翻弄された。わたしだけが、歴史のなかを生きていない。
(中略)
 マラウィ付近は戦争の傷痕が深く、荒廃している。
 外国人のわたしとしては、一番警戒すべきは営利誘拐だろうか。半年くらい前には、日本人夫妻が行方不明になったらしいというニュースを目にした。
 しかし、それこそはわたしの向かうべき先ではないのか。ただ一人歴史を生きていないわたしが、そして竹内浩三の影を追うわたしが。
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単行本p.97


 死地に向かった詩人の足取りをたどり、あの戦争とは何だったのかを見つめる。そんなドキュメンタリー番組風に展開するのだろうという読者の予想は、大きく裏切られることに。


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「あんたについていけば何かある! あたしの嗅覚がそう告げてる!」
「ええと……」
「自己紹介が遅れたね。あたしはマリテ・マルティノン。トレジャーハンターだよ。で、こっちは手下のアンドリュー」
「共同事業者のアンドリューだ」
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単行本p.106


 旧日本軍によって終戦時にフィリピンに埋められたという莫大な埋蔵金、通称「山下財宝」。そのお宝を狙うトレジャーハンターを自称する暴走フランス娘とそのお付きの登場により、物語は軽快な冒険ものへと転進してゆきます。

 大金持ち財閥の馬鹿息子とかミンダナオ島でくすぶっているハッカーとか、それらしい登場人物が事態をひっかき回し、銃撃戦とか、火災とか、カーチェイスとか、対戦車ロケット砲とか、そういうシーンがどんどん。状況はシリアスなのに、登場人物たちに何となく「照れ」のようなものが感じられて、どこかゆるい雰囲気のまま物語は進んでゆきます。

 大騒ぎの挙げ句、ついに目的地に到着する最終章。そこで主人公の当初の願いがかなうことになります。「ぼくは、ぼくの手で、戦争を、ぼくの戦争がかきたい」という浩三の言葉に著者はどう応えたのか。最後まで読んで確かめてください。


――――
「いつでも言葉が人を縛る。いまのあなたが、そうされているみたいに。でも、詩は言葉の理を超えたところで、ときに心を正してくれる。旅にもまた、言葉がない」
――――
単行本p.245





タグ:宮内悠介
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