『ストラヴィンスキープログラム』(Co.山田うん) [ダンス]
2022年1月29日は、夫婦でKAAT神奈川芸術劇場に行って山田うんさんの公演を鑑賞しました。ストラヴィンスキーの「5本の指で」「ピアノソナタ」「春の祭典」に振り付けた三つの作品。上演時間75分(途中休憩15分を含む)の舞台です。
[キャスト他]
「5本の指で」(1921年)
振付・演出: 山田うん
ピアノ: 高橋悠治
出演: 仁田晶凱、長谷川暢、望月寛斗、山崎眞結、山根海音
「ピアノソナタ」(1924年)
振付・演出: 山田うん
ピアノ: 高橋悠治
出演:
第一楽章: 飯森沙百合、田中朝子
第二楽章: 西山友貴、山口将太朗
第三楽章: 木原浩太、黒田勇
「春の祭典」(1913年)
振付・演出: 山田うん
ピアノ: 高橋悠治、青柳いづみこ
出演: 山田うん
最初の「五本の指で」は五人のダンサーによる群舞、「ピアノソナタ」は三組のデュオ、そして「春の祭典」は山田うんさんのソロという構成です。いくつかオブジェが転がったりぶら下がったりしていますが、全体的に簡素ですっきりした舞台。衣装は素晴らしく、思わず引き込まれます。
三作品とも音楽によりそった自然な振付で踊り、音楽を身体で演奏しているという印象です。色々と設定や展開にコリがちな「春の祭典」も、純粋音楽としての曲にダンスを合わせてきたという感じで好感が持てます。ひさしぶりに山田うんさんのダンスを堪能しました。
[キャスト他]
「5本の指で」(1921年)
振付・演出: 山田うん
ピアノ: 高橋悠治
出演: 仁田晶凱、長谷川暢、望月寛斗、山崎眞結、山根海音
「ピアノソナタ」(1924年)
振付・演出: 山田うん
ピアノ: 高橋悠治
出演:
第一楽章: 飯森沙百合、田中朝子
第二楽章: 西山友貴、山口将太朗
第三楽章: 木原浩太、黒田勇
「春の祭典」(1913年)
振付・演出: 山田うん
ピアノ: 高橋悠治、青柳いづみこ
出演: 山田うん
最初の「五本の指で」は五人のダンサーによる群舞、「ピアノソナタ」は三組のデュオ、そして「春の祭典」は山田うんさんのソロという構成です。いくつかオブジェが転がったりぶら下がったりしていますが、全体的に簡素ですっきりした舞台。衣装は素晴らしく、思わず引き込まれます。
三作品とも音楽によりそった自然な振付で踊り、音楽を身体で演奏しているという印象です。色々と設定や展開にコリがちな「春の祭典」も、純粋音楽としての曲にダンスを合わせてきたという感じで好感が持てます。ひさしぶりに山田うんさんのダンスを堪能しました。
タグ:山田うん
『はじめての動物倫理学』(田上孝一) [読書(教養)]
――――
動物もまた主体でもありえるのならば、動物もまた権利を持ちうる可能性がありえることを意味する。これが「動物の権利」論の問題設定であり、動物倫理学の最も重要な理論的問題である。
この一点だけからでも、動物倫理学というものが容易ならざる、という以上に「不穏」な学問であることが分かるはずである。何しろ動物にも権利を認めろというわけで、ここだけを理由もなく聞かされれば世迷い言の類いに思われるだろう。
しかしもちろんこの動物の権利の主張には理由がないどころか極めて強固な根拠があり、そのために動物倫理学の主要内容として理論化されているのだが、その具体的な内容は後の章に委ねるとして、ここではなぜこうした一見すると荒唐無稽な主張が一定の広まりをみせたのか、その社会的な背景を考えてみることにしたい。
――――
単行本p.16
動物を虐待せずなるべく優しく扱いましょう、ではなく、動物にも人間と同じ権利を認めるべきだとする動物倫理学。その理論的根拠はどこにあるのか。これまでどのような論争があったのか。そして、肉食、動物実験、動物園、狩猟、ペット化といった様々な論点について、動物倫理学の立場からはどのように判断されるのか。動物の権利をめぐる議論と実践について一般向けに平易に紹介する本。単行本(集英社)出版は2021年3月です。
――――
この本で詳しく説明した現代社会で動物が置かれた状況や、動物に対して倫理的にどう振る舞うべきかという議論は、初めて知ったという読者も多いのではないかと思う。そして我々が常日頃から親しんでいる習慣を容易に変えることができないことも、十分に弁えているつもりである。
本書では肉食をはじめとする動物利用を明確に批判しているが、その意図はあくまで倫理学の立場からする問題提起である。肉食をするもしないも個人の自由とした上で、しかし個々人が自発的に肉食を抑制するのが倫理的に適切だと主張するということだ。あなたが食べている肉を取り上げて罵声を浴びせかけるようなことは全く意図されていない。このことをどうか理解していただきたいと願ってやまない。
――――
単行本p.248
目次
第1章 なぜ動物倫理なのか
第2章 動物倫理学とは何か
第3章 動物とどう付き合うべきか
第4章 人間中心主義を問い質す
第5章 環境倫理学の展開
第6章 マルクスの動物と環境観
第1章 なぜ動物倫理なのか
――――
常識的な耳は、動物倫理と聞いて犬猫や動物園の動物を思い浮かべ、それらの動物を人間がどう扱うべきか、虐待せずに大切に扱わなければいけないというようなことを説くのが動物倫理学なのではと思うのではないか。確かに動物は虐待すべきではなく、犬猫や動物園の動物を丁重に扱うのは大切なことではある。だがここで全く問われることがなく当たり前の前提とされている見方こそが、本当の問題なのだ。それは常に人間が主体であり、動物は客体だとされていることだ。(中略)
何を当たり前なと思われるかもしれないが、まさにこれこそが動物倫理学が問い質す主眼である。つまり本当に動物とは人間がその趨勢をほしいままにできる客体なのかどうか。それは実は不当な偏見であり、動物もまた主体でありうるし、主体とみなされなければいけないのではないかということを問うのである。
――――
単行本p.14、15
まず動物倫理学とはどのような学問であるかを紹介し、前提となる「倫理学」の概要と、その中心となるいくつかの学説を取り上げます。
第2章 動物倫理学とは何か
――――
現代の常識である動物福祉的な見方というのは、動物を人間の手段として利用することを前提にしながらも、動物に対してできる限り思いやりのある扱いをするというものである。カント同様に、動物が人間同様に目的視されることはないが、かといって全く好き勝手に扱って虐待をしてはならないという考え方である。
このような考えは現代では常識として、これに異を唱える人はいないだろうし、実際動物を虐待したら法律でも罰せられるようになっているが、実はこのような常識に、動物の側に立って異を唱えるのが、現代の動物倫理学の基本観点なのである。
――――
単行本p.47
デカルトやカントから、シンガーやレーガンらによる動物倫理学の確立まで。現代の動物倫理学が成立するまでの歴史と議論を概観します。
第3章 動物とどう付き合うべきか
――――
社会改良から変革への道筋としては、動物利用の全廃を目指しつつも、今ある動物利用のあり方をできる範囲で改善していくような問題提起と働きかけが求められるだろう。
このような社会運動の局面に対して個人的実践の場合では、より理念に近づいた所作を実現できる余地が大きい。動物利用の廃絶という理念と対応する個人的実践は、まさに動物を使わない日常生活ということになるからだ。(中略)
そこでこれから、動物倫理の具体的な諸問題に関して、こうした視座に基づきながら、平均的な個人が常識的な努力で実現できるのが倫理的実践であるという大前提を踏まえつつ、個々の事例について考察してみたい。
――――
単行本p.109、111
動物の権利を守るために具体的に何をすればよいのか。まず肉食が抱えている環境問題、倫理問題を掘り下げ、続いて動物実験をめぐる議論、野生動物の狩猟・駆除・家畜化、動物園や水族館やサーカスや競馬の是非、そしてペットをめぐる様々な問題などを取り上げて、動物倫理学の立場から論じてゆきます。
第4章 人間中心主義を問い質す
第5章 環境倫理学の展開
第6章 マルクスの動物と環境観
――――
人間中心主義批判を共通のパラダイムとしつつも、動物の主体性や自律性を強調する動物倫理学的思考になお大きな問題点があることが指摘されている。それは環境倫理学からの問題提起で、伝統的哲学が囚われていた人間中心主義的偏見を克服しようとするのはよいが、なおそこにはまだ伝統哲学と共通する旧弊が乗り越えられぬままになっていると問いかけるのである。
ではその問い質しはどのようなもので、動物倫理学の何が問題だというのだろうか。
――――
単行本p.202
キリスト教的な人間中心主義、環境倫理学からの批判、そしてマルクスの資本主義批判。動物の権利を中心に置く動物倫理学の立場から、様々な哲学的立場との関係を論じます。
動物もまた主体でもありえるのならば、動物もまた権利を持ちうる可能性がありえることを意味する。これが「動物の権利」論の問題設定であり、動物倫理学の最も重要な理論的問題である。
この一点だけからでも、動物倫理学というものが容易ならざる、という以上に「不穏」な学問であることが分かるはずである。何しろ動物にも権利を認めろというわけで、ここだけを理由もなく聞かされれば世迷い言の類いに思われるだろう。
しかしもちろんこの動物の権利の主張には理由がないどころか極めて強固な根拠があり、そのために動物倫理学の主要内容として理論化されているのだが、その具体的な内容は後の章に委ねるとして、ここではなぜこうした一見すると荒唐無稽な主張が一定の広まりをみせたのか、その社会的な背景を考えてみることにしたい。
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単行本p.16
動物を虐待せずなるべく優しく扱いましょう、ではなく、動物にも人間と同じ権利を認めるべきだとする動物倫理学。その理論的根拠はどこにあるのか。これまでどのような論争があったのか。そして、肉食、動物実験、動物園、狩猟、ペット化といった様々な論点について、動物倫理学の立場からはどのように判断されるのか。動物の権利をめぐる議論と実践について一般向けに平易に紹介する本。単行本(集英社)出版は2021年3月です。
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この本で詳しく説明した現代社会で動物が置かれた状況や、動物に対して倫理的にどう振る舞うべきかという議論は、初めて知ったという読者も多いのではないかと思う。そして我々が常日頃から親しんでいる習慣を容易に変えることができないことも、十分に弁えているつもりである。
本書では肉食をはじめとする動物利用を明確に批判しているが、その意図はあくまで倫理学の立場からする問題提起である。肉食をするもしないも個人の自由とした上で、しかし個々人が自発的に肉食を抑制するのが倫理的に適切だと主張するということだ。あなたが食べている肉を取り上げて罵声を浴びせかけるようなことは全く意図されていない。このことをどうか理解していただきたいと願ってやまない。
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単行本p.248
目次
第1章 なぜ動物倫理なのか
第2章 動物倫理学とは何か
第3章 動物とどう付き合うべきか
第4章 人間中心主義を問い質す
第5章 環境倫理学の展開
第6章 マルクスの動物と環境観
第1章 なぜ動物倫理なのか
――――
常識的な耳は、動物倫理と聞いて犬猫や動物園の動物を思い浮かべ、それらの動物を人間がどう扱うべきか、虐待せずに大切に扱わなければいけないというようなことを説くのが動物倫理学なのではと思うのではないか。確かに動物は虐待すべきではなく、犬猫や動物園の動物を丁重に扱うのは大切なことではある。だがここで全く問われることがなく当たり前の前提とされている見方こそが、本当の問題なのだ。それは常に人間が主体であり、動物は客体だとされていることだ。(中略)
何を当たり前なと思われるかもしれないが、まさにこれこそが動物倫理学が問い質す主眼である。つまり本当に動物とは人間がその趨勢をほしいままにできる客体なのかどうか。それは実は不当な偏見であり、動物もまた主体でありうるし、主体とみなされなければいけないのではないかということを問うのである。
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単行本p.14、15
まず動物倫理学とはどのような学問であるかを紹介し、前提となる「倫理学」の概要と、その中心となるいくつかの学説を取り上げます。
第2章 動物倫理学とは何か
――――
現代の常識である動物福祉的な見方というのは、動物を人間の手段として利用することを前提にしながらも、動物に対してできる限り思いやりのある扱いをするというものである。カント同様に、動物が人間同様に目的視されることはないが、かといって全く好き勝手に扱って虐待をしてはならないという考え方である。
このような考えは現代では常識として、これに異を唱える人はいないだろうし、実際動物を虐待したら法律でも罰せられるようになっているが、実はこのような常識に、動物の側に立って異を唱えるのが、現代の動物倫理学の基本観点なのである。
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単行本p.47
デカルトやカントから、シンガーやレーガンらによる動物倫理学の確立まで。現代の動物倫理学が成立するまでの歴史と議論を概観します。
第3章 動物とどう付き合うべきか
――――
社会改良から変革への道筋としては、動物利用の全廃を目指しつつも、今ある動物利用のあり方をできる範囲で改善していくような問題提起と働きかけが求められるだろう。
このような社会運動の局面に対して個人的実践の場合では、より理念に近づいた所作を実現できる余地が大きい。動物利用の廃絶という理念と対応する個人的実践は、まさに動物を使わない日常生活ということになるからだ。(中略)
そこでこれから、動物倫理の具体的な諸問題に関して、こうした視座に基づきながら、平均的な個人が常識的な努力で実現できるのが倫理的実践であるという大前提を踏まえつつ、個々の事例について考察してみたい。
――――
単行本p.109、111
動物の権利を守るために具体的に何をすればよいのか。まず肉食が抱えている環境問題、倫理問題を掘り下げ、続いて動物実験をめぐる議論、野生動物の狩猟・駆除・家畜化、動物園や水族館やサーカスや競馬の是非、そしてペットをめぐる様々な問題などを取り上げて、動物倫理学の立場から論じてゆきます。
第4章 人間中心主義を問い質す
第5章 環境倫理学の展開
第6章 マルクスの動物と環境観
――――
人間中心主義批判を共通のパラダイムとしつつも、動物の主体性や自律性を強調する動物倫理学的思考になお大きな問題点があることが指摘されている。それは環境倫理学からの問題提起で、伝統的哲学が囚われていた人間中心主義的偏見を克服しようとするのはよいが、なおそこにはまだ伝統哲学と共通する旧弊が乗り越えられぬままになっていると問いかけるのである。
ではその問い質しはどのようなもので、動物倫理学の何が問題だというのだろうか。
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単行本p.202
キリスト教的な人間中心主義、環境倫理学からの批判、そしてマルクスの資本主義批判。動物の権利を中心に置く動物倫理学の立場から、様々な哲学的立場との関係を論じます。
タグ:その他(教養)
『UFO手帖6.0』 「映画秘宝」で紹介されました [その他]
この記事は更新されました。以下を参照してください。
2022年04月14日の日記
『UFO手帖6.0』 「本の雑誌」で大槻ケンヂさんに紹介されました。
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2022-04-14
2022年04月14日の日記
『UFO手帖6.0』 「本の雑誌」で大槻ケンヂさんに紹介されました。
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2022-04-14
タグ:同人誌
『現代生活独習ノート』(津村記久子) [読書(小説・詩)]
――――
「本よく読むの?」
「えー。ときどき」
百円のコーナーにおもしろそうなのがあれば、とアサははぐらかすようなことを言う。チャイムが鳴る。キヨはなぜか、身が引き締まるような思いがする。今までのアサは、マインクラフト好きのハンドボール部の声がでかい女子だったが、これからは読書もする人間で、レアル・ベルガーニャの王の欺瞞に気付く人間でもある。もういいかげんな都市は作れない。
キヨは厳粛な思いで残りの都市の作製に取り組むことを決意し、その気持ちは、その日塾に行っても、塾から帰ってきても、母親から好き勝手なことを話しかけられても揺らぐことはなかった。
――――
単行本p.237
偶然録画されていたどうということもないTV番組。妙なサービスが載っている通販カタログ。キラキラしてない食事写真のインスタ投稿。家庭科の時間に友だちに見せる自作の都市設定。ごく日常的な事柄からふと前向きな気持ちが生まれる瞬間を丁寧に描いた8編を収録した短編集。単行本(講談社)出版は2021年11月です。
収録作品
『レコーダー定置網漁』
『台所の停戦』
『現代生活手帖』
『牢名主』
『粗食インスタグラム』
『フェリシティの面接』
『メダカと猫と密室』
『イン・ザ・シティ』
『レコーダー定置網漁』
――――
心が安らいでいるかどうかは知らないけれども、糸切りばさみを持って靴下の毛玉と向き合っている時間、私はおびただしい情報に自我が押し流されたことについて考えなくてすんだ。確かに、小池さんによるはさみの違いについての解説も情報ではあるけれども、その蛇口からの水流はきわめて細く、受け取ることにほとんどエネルギーを必要としないものであるように思われた。
毛玉靴下のつま先の部分をひとしきりきれいにすると、私は「よーし」などと言いながら、昨日の『街かど出たとこクイズ!』と同じ時間帯の次の日の番組を再生した。何が網に掛かっているのかな、ぐらいの気持ちにはなったのだった。なんだか漁をしているようでもある。
――――
単行本p.24
ネットにあふれる情報を追っているうちに心が疲弊して動けなくなった語り手。ずっと前から録画予約しておいた刑事コロンボ傑作選を観ようとして再生してみたところ、それは最初の数回で終わっており、その後は同じ時間帯に放映されたどうということもない番組が毎日律儀に録画されていることが判明する。そんなゆるーい番組を定置網にかかった魚を確認するように見ていくうちに、心が少しずつ癒されてゆく。
『現代生活手帖』
――――
今日は今年度版の『現代生活手帖』がやってくる日だという通知が昨日来て、年末に何一つ部屋の片づけをできずにどんよりしていた私は、俄然元気が出てくるのを感じた。到着は、14時52分であるとのことで、昼過ぎに目が覚めた私は、寝床でとりあえず去年板の『現代生活手帖』を開く。常に枕元に置いてある。依存しているというわけではないが、私は、ことあるごとにこの手帖を眺めて、少しでも自分の生活がらくにならないかと模索と妄想を繰り広げるのが好きだ。
――――
単行本p.56
毎年、各戸に配布される『現代生活手帖』を眺めてあれこれ考えたり妄想したりするのが好きな語り手。この冊子には妙な製品やサービスがいっぱい載っているのだ。ロバが運ぶ宅配サービスとか、蛇口からみかんジュースが出るようにする水回りリフォームとか、留守中に室内を勝手に物色して不用品をこっそり捨ててくれるサービスとか、〆切直前の危機感煽りサービスとか。自分の生活にとって必要なのか不要なのか、高いのか安いのか、微妙なスペックと価格。奇妙な通販カタログ誌(モデルは『通販生活』ではないかと思う)を眺めているときの心理を描いた作品。
『粗食インスタグラム』
――――
とにかく、判断を減らしたいというその気持ちにだけは激しくうなずけるものがある。ちなみに私は、洋服はクローゼットの右側にあるものから着ていく。洗濯をしたら左に戻す。手に取った服がどれほど気分にそぐわないものであろうと、それを着る。判断をするぐらいなら、その日一日後悔をする方がいい。
仕事の合間の休憩時間に、再び〈sad desk lunch〉のブログを今度は携帯で眺めながら、なぜ自分はサッドなデスクランチやアメリカの給食を見ると少し楽になるのかと考える。
食べることに疲れていて、自分はそのことに罪悪感があるのかもしれないと思う。しかし食べることは私にとっては判断を伴う。私は判断がもうしんどい。けれども何かを食べないと生きていけないのは理解しているから、せめて悲しい食事で生きようとしている仲間を探して安心しようとしている。
――――
単行本p.126
心が疲弊してもう何も「判断」したくない、だから毎日同じものをひたすら食べることで「判断」を回避する。そんなテンション低く生きている語り手は、ふと夕食を撮影してSNSに載せてみようと思い立つ。「クラッカー+水」「ソフトクリーム+コーンスープ」「コロッケ+きゅうりの一本漬け」といった妙に生々しい寂食メニューをアップし続けているうちに、枯渇していた生きる力が少しずつたまってゆく。
『メダカと猫と密室』
――――
自分の問題がある程度クリアにはなったものの、中村課長はまだ油断できない状態にあると私は思った。メダカのことや悪口ノートを使って安田さんが私を悪い立場に追い込むとは考えにくかったが、私の弱みを握っている、というか、普段仕事をしていてより世話になっている方はどちらかというと、圧倒的に安田さんだったので、私はなんとか安田さんが満足いくまで閉じこもっていられるように努力すべきだという結論に達した。
――――
単行本p.206
休日出勤して無責任な上司から連絡が来るのを待つ。せっかくの休日を潰して、しかし仕事はなく、ひたすら連絡待ちという状況にキレた先輩が資料室に閉じこもってしまう。そこで秘かにメダカを飼っているので困ったことになった。しかも会社の人々の悪口を書いたノートもそこに置いてある。まずい。そこにスマホの操作に慣れてない人に猫動画を撮影して送ってもらうよう指示出しするという急ぎの仕事が舞い込んで……。残業時間や休日出勤でひたすら指示待ちしなければならない悲しき空費時間をリアルに描いた、『ウエストウイング』や『とにかくうちに帰ります』などの職場小説を思い出させる作品。
『イン・ザ・シティ』
――――
アサはべつにこだわったりはしないだろうけれども、自分がアサの友達であるかについての社会的に公正な判断を自らが下すことはできない、とキヨは厳正に考えていたので、「友達として励ます」みたいな直球の何かは自分よりアサと仲のいい誰かがやればいいとして、キヨがアサにできることは、家庭科の時間ごとに見せる都市の内容を充実させることだけだった。
キヨはますます身を入れて地図帳を読んだり、歴史の教科書もちゃんと読んでみたりすることにした。とりあえず、その土地そのものと昔のやつのやってきたことを横と縦で考えられるようになったら、まあまあありそうな街が作れるのではないかと思うようになっていた。
アサの言っていたギリシャ神話についても少し検索してみたが、嫌悪感がひどくてやめてしまった。確かにクズばっかりだ。今の人間とも大して変わりはしないし、キヨはますます人間というか、人情が嫌いになった。そしてそうやってはっきりと嫌いなことが増えると、自分という人間が一歩あるべき姿に近付いた気がして、後ろ向きなことのはずなのに心強く思った。
――――
単行本p.240
マインクラフトつながりでハンドボール部のアサと友達になった、周囲からオタクだと思われているキヨ。家庭科の時間に同席するとき、キヨは自作の世界設定を紙に書いてアサから意見をもらうのだった。中学生の頃にだけ体験する独特な人間関係と成長を生き生きと描き、『ミュージック・ブレス・ユー!!』などの青春小説を思い出させる作品。
「本よく読むの?」
「えー。ときどき」
百円のコーナーにおもしろそうなのがあれば、とアサははぐらかすようなことを言う。チャイムが鳴る。キヨはなぜか、身が引き締まるような思いがする。今までのアサは、マインクラフト好きのハンドボール部の声がでかい女子だったが、これからは読書もする人間で、レアル・ベルガーニャの王の欺瞞に気付く人間でもある。もういいかげんな都市は作れない。
キヨは厳粛な思いで残りの都市の作製に取り組むことを決意し、その気持ちは、その日塾に行っても、塾から帰ってきても、母親から好き勝手なことを話しかけられても揺らぐことはなかった。
――――
単行本p.237
偶然録画されていたどうということもないTV番組。妙なサービスが載っている通販カタログ。キラキラしてない食事写真のインスタ投稿。家庭科の時間に友だちに見せる自作の都市設定。ごく日常的な事柄からふと前向きな気持ちが生まれる瞬間を丁寧に描いた8編を収録した短編集。単行本(講談社)出版は2021年11月です。
収録作品
『レコーダー定置網漁』
『台所の停戦』
『現代生活手帖』
『牢名主』
『粗食インスタグラム』
『フェリシティの面接』
『メダカと猫と密室』
『イン・ザ・シティ』
『レコーダー定置網漁』
――――
心が安らいでいるかどうかは知らないけれども、糸切りばさみを持って靴下の毛玉と向き合っている時間、私はおびただしい情報に自我が押し流されたことについて考えなくてすんだ。確かに、小池さんによるはさみの違いについての解説も情報ではあるけれども、その蛇口からの水流はきわめて細く、受け取ることにほとんどエネルギーを必要としないものであるように思われた。
毛玉靴下のつま先の部分をひとしきりきれいにすると、私は「よーし」などと言いながら、昨日の『街かど出たとこクイズ!』と同じ時間帯の次の日の番組を再生した。何が網に掛かっているのかな、ぐらいの気持ちにはなったのだった。なんだか漁をしているようでもある。
――――
単行本p.24
ネットにあふれる情報を追っているうちに心が疲弊して動けなくなった語り手。ずっと前から録画予約しておいた刑事コロンボ傑作選を観ようとして再生してみたところ、それは最初の数回で終わっており、その後は同じ時間帯に放映されたどうということもない番組が毎日律儀に録画されていることが判明する。そんなゆるーい番組を定置網にかかった魚を確認するように見ていくうちに、心が少しずつ癒されてゆく。
『現代生活手帖』
――――
今日は今年度版の『現代生活手帖』がやってくる日だという通知が昨日来て、年末に何一つ部屋の片づけをできずにどんよりしていた私は、俄然元気が出てくるのを感じた。到着は、14時52分であるとのことで、昼過ぎに目が覚めた私は、寝床でとりあえず去年板の『現代生活手帖』を開く。常に枕元に置いてある。依存しているというわけではないが、私は、ことあるごとにこの手帖を眺めて、少しでも自分の生活がらくにならないかと模索と妄想を繰り広げるのが好きだ。
――――
単行本p.56
毎年、各戸に配布される『現代生活手帖』を眺めてあれこれ考えたり妄想したりするのが好きな語り手。この冊子には妙な製品やサービスがいっぱい載っているのだ。ロバが運ぶ宅配サービスとか、蛇口からみかんジュースが出るようにする水回りリフォームとか、留守中に室内を勝手に物色して不用品をこっそり捨ててくれるサービスとか、〆切直前の危機感煽りサービスとか。自分の生活にとって必要なのか不要なのか、高いのか安いのか、微妙なスペックと価格。奇妙な通販カタログ誌(モデルは『通販生活』ではないかと思う)を眺めているときの心理を描いた作品。
『粗食インスタグラム』
――――
とにかく、判断を減らしたいというその気持ちにだけは激しくうなずけるものがある。ちなみに私は、洋服はクローゼットの右側にあるものから着ていく。洗濯をしたら左に戻す。手に取った服がどれほど気分にそぐわないものであろうと、それを着る。判断をするぐらいなら、その日一日後悔をする方がいい。
仕事の合間の休憩時間に、再び〈sad desk lunch〉のブログを今度は携帯で眺めながら、なぜ自分はサッドなデスクランチやアメリカの給食を見ると少し楽になるのかと考える。
食べることに疲れていて、自分はそのことに罪悪感があるのかもしれないと思う。しかし食べることは私にとっては判断を伴う。私は判断がもうしんどい。けれども何かを食べないと生きていけないのは理解しているから、せめて悲しい食事で生きようとしている仲間を探して安心しようとしている。
――――
単行本p.126
心が疲弊してもう何も「判断」したくない、だから毎日同じものをひたすら食べることで「判断」を回避する。そんなテンション低く生きている語り手は、ふと夕食を撮影してSNSに載せてみようと思い立つ。「クラッカー+水」「ソフトクリーム+コーンスープ」「コロッケ+きゅうりの一本漬け」といった妙に生々しい寂食メニューをアップし続けているうちに、枯渇していた生きる力が少しずつたまってゆく。
『メダカと猫と密室』
――――
自分の問題がある程度クリアにはなったものの、中村課長はまだ油断できない状態にあると私は思った。メダカのことや悪口ノートを使って安田さんが私を悪い立場に追い込むとは考えにくかったが、私の弱みを握っている、というか、普段仕事をしていてより世話になっている方はどちらかというと、圧倒的に安田さんだったので、私はなんとか安田さんが満足いくまで閉じこもっていられるように努力すべきだという結論に達した。
――――
単行本p.206
休日出勤して無責任な上司から連絡が来るのを待つ。せっかくの休日を潰して、しかし仕事はなく、ひたすら連絡待ちという状況にキレた先輩が資料室に閉じこもってしまう。そこで秘かにメダカを飼っているので困ったことになった。しかも会社の人々の悪口を書いたノートもそこに置いてある。まずい。そこにスマホの操作に慣れてない人に猫動画を撮影して送ってもらうよう指示出しするという急ぎの仕事が舞い込んで……。残業時間や休日出勤でひたすら指示待ちしなければならない悲しき空費時間をリアルに描いた、『ウエストウイング』や『とにかくうちに帰ります』などの職場小説を思い出させる作品。
『イン・ザ・シティ』
――――
アサはべつにこだわったりはしないだろうけれども、自分がアサの友達であるかについての社会的に公正な判断を自らが下すことはできない、とキヨは厳正に考えていたので、「友達として励ます」みたいな直球の何かは自分よりアサと仲のいい誰かがやればいいとして、キヨがアサにできることは、家庭科の時間ごとに見せる都市の内容を充実させることだけだった。
キヨはますます身を入れて地図帳を読んだり、歴史の教科書もちゃんと読んでみたりすることにした。とりあえず、その土地そのものと昔のやつのやってきたことを横と縦で考えられるようになったら、まあまあありそうな街が作れるのではないかと思うようになっていた。
アサの言っていたギリシャ神話についても少し検索してみたが、嫌悪感がひどくてやめてしまった。確かにクズばっかりだ。今の人間とも大して変わりはしないし、キヨはますます人間というか、人情が嫌いになった。そしてそうやってはっきりと嫌いなことが増えると、自分という人間が一歩あるべき姿に近付いた気がして、後ろ向きなことのはずなのに心強く思った。
――――
単行本p.240
マインクラフトつながりでハンドボール部のアサと友達になった、周囲からオタクだと思われているキヨ。家庭科の時間に同席するとき、キヨは自作の世界設定を紙に書いてアサから意見をもらうのだった。中学生の頃にだけ体験する独特な人間関係と成長を生き生きと描き、『ミュージック・ブレス・ユー!!』などの青春小説を思い出させる作品。
タグ:津村記久子
『UFO手帖6.0』 「笑う金色ドクロ」で紹介されました [その他]
この記事は更新されました。以下を参照してください。
2022年01月24日の日記
『UFO手帖6.0』 「映画秘宝」で紹介されました
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2022-01-24
2022年01月24日の日記
『UFO手帖6.0』 「映画秘宝」で紹介されました
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2022-01-24
タグ:同人誌