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『Post Post Memorie』(東京ELECTROCK STAIRS、KENTARO!!、高橋萌登) [ダンス]

 2017年12月24日は夫婦でシアタートラムに行ってKENTARO!!率いる東京ELECTROCK STAIRSの公演を鑑賞しました。KENTARO!!、横山彰乃、高橋萌登といういつもの3名に、ゲスト3名を加えた、総計6名が踊る75分の舞台です。

[キャスト他]

振付・音楽: KENTARO!!
出演: KENTARO!!、横山彰乃、高橋萌登、山本しんじしんじ、吉田拓、亀頭可奈恵


 クリスマス公演ということでサンタクロースネタなどもありましたが、まあいつもの通りの公演です。メンバー間の精神的連帯を極力排したクールで乾いた演出のもと、意味不明な小芝居など織りまぜつつ、全力で踊ってくれます。それはもう、出し惜しみなくがんがんと。

 まず横山彰乃さんのソロが印象的で、その高い背丈と長い手足を活かしたスケールの大きな、外へ外へと広がるような動きで魅了します。来年のカンパニー公演が楽しみ。

 対照的に高橋萌登さんのソロは、小柄な身体で何かを内へ内へと引き込んでゆくような。勢いよくキレよく踊っているのにどこか小動物の切実さを漂わせているところが、なぜかすさまじく感動的で、観ていて泣けてくるのです。来年のソロ公演が楽しみ。

 KENTARO!!さんのソロについては、何度観ても把握困難というか、重力とか関節とかあまり気にしない感じで、常に次の動きが予想できないし、しいていうなら妖怪じみたダンス。とにかく驚異的。

 というわけで、東京ELECTROCK STAIRSの来年以降の予定は入ってないとのことで、しばらくは三名がそれぞれに活動してゆくことになるようです。三名とも可能な限り観たいと思います。


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『SFマガジン2018年2月号 オールタイム・ベストSF映画総解説 PART3』 [読書(SF)]

 隔月刊SFマガジン2018年2月号の特集は、「オールタイム・ベストSF映画総解説 PART3」、「「ガールズ&パンツァー」と戦車SF」、「アーサー・C・クラーク生誕100年記念特集」、の三本立てでした。また、澤村伊智さんの読み切り短篇が掲載されました。


『サイバータンク vs メガジラス』(ティモシー・J・ゴーン、酒井昭伸:翻訳)
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「銀河系の既知の星域に、ほかにどれだけ、核反応エネルギーで動く巨大トカゲが棲息していると思うんだ? ものごとというものは、本質を見なくてはいかんな」
〔わかったよ。助言を容れよう。指定目標の新名称は“メガジラス”でいく〕
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SFマガジン2018年2月号p.104

 人類が創り出した銀河最強の戦闘機械、サイバータンク。その前に立ちはだかったのは、咆哮と共にプラズマブレスを吐く巨大トカゲ型放射能怪獣「メガジラス」だった。両雄激突のさなか、上空から現れたのは宇宙最凶のエイリアン。巨大メカ、巨大怪獣、巨大エイリアン、三つ巴の死闘の行方は。って、男の子ってこういうのが好きなんでしょ。


『からっぽの贈りもの』(スティーヴ・ベンスン、中村融:翻訳)
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 ティモシーの喉がやり場のない怒りで小刻みに震えた。彼は叫びたかった。「いいや、サンタクロースはいない、クリスマス・イヴはない。プレゼントはない……あるのは痛みとゆっくりした死だけ、寒さと空腹だけなんだ」と。彼は目をぎゅっと閉じて、両膝をついた。涙が頬を流れおち、アンジーが困惑して眉間にしわを寄せた。
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SFマガジン2018年2月号p.113

 核戦争を生き延びた子どもたち。だが大人は死に絶え、食料も燃料も乏しく、このままでは冬を越せないことは明らかだった。しかし、絶望のなかで、誰かが言い出す。もうすぐクリスマスだからきっとサンタさんが助けに来てくれると。それが本当ならどんなにいいだろう。だがもう12歳のティモシーは知っていた。サンタクロースはいないのだ。

 核戦争後の世界、ロボット戦車、心温まるクリスマス・ストーリー、という無理やりな三題噺をうまくまとめた短篇。


『タイムをお願いします、紳士諸君』(アーサー・C・クラーク&スティーヴン・バクスター、中村融:翻訳)
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「きみはその線で話をでっちあげなかったっけ、チャールズ? 美術品泥棒が時間を遅くするって話を? 題名は――『愛に時間を』だったっけ?」
「そいつはハインラインだ」とデイヴィッド・カイル。
「『時は乱れて』?」
「ディックだ!」とデイヴィッドが叫んだ。
「元はシェイクスピアだ!」とジョン・クリストファー。
「H・G・ウエルズの短篇」とハリーがもったいをつけていった。
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SFマガジン2018年2月号p.241

 半世紀ぶりに白鹿亭に集まったぼくたち。もう百歳に近いハリーが、あの頃のように語り始める。かつて原子炉で事故が起きて反重力バリアが発生した話をしたが(もちろん読者も覚えている)、今度は核融合炉で事故がおきて時間加速フィールドが発生した話だ。

 バクスターによる『白鹿亭綺譚』(クラーク)の続篇。老齢SFファンたちの同窓会と化したSFコンベンション、みたいなノリになっています。


『マリッジ・サバイバー』(澤村伊智)
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 慣れるしかないらしい。タブレットの使い方を覚え、皆が登録しているSNSに自分も登録し、ネットの話題を必死で追った中学生の頃のように、俺はまた頑張らなければならない。だが可能だろうか。四十を間近に控えた今になって、そこまで順応できるだろうか。
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SFマガジン2018年2月号p.209

 指輪型ウェアブルデバイスにより、夫婦で互いの居場所や体調を常に確認しあう。それは今どき当たり前の習慣となっていた。だが語り手は、妻から常に監視されていることに強いストレスを覚える。時代から取り残されている自分がおかしいのか、それともこの24時間監視社会が狂っているのか。

 SFマガジン2017年6月号掲載の『コンピューターお義母さん』、SFマガジン2017年10月号掲載の『翼の折れた金魚』と同じく、技術の進展により社会問題が露骨に可視化されてゆく不安を描いた作品。


タグ:SFマガジン
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『繕い屋 月のチーズとお菓子の家』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

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「あなたは自分の傷をおいしく、本当に食べて、自分の中で消化するんです。死なないために」
 生きるために、と言わず「死なないために」と花は言った。そうか。あたしは、それほどまでに追い詰められていたのか。
 ひっそりと死んでいたかもしれない自分を、この人だけが引き止めてくれる。早希は再び咀嚼を始めた。死なないために。生きるために。
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文庫版p.40


 他人の悪夢の中に入り、心の傷を調理して食べさせることで本人を癒す「繕い屋」。平峰花は、今日も「繕い屋」としての危険な仕事に取り組む。誰かを悪夢から救うために。ぶたぶたシリーズで知られる著者による連作短篇集。文庫版(講談社)出版は2017年12月、Kindle版配信は2017年12月です。


「矢崎電脳海牛ブログ」 2017年12月22日 (金)
「『繕い屋 月のチーズとお菓子の家』本日12/22発売!」より
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ほのぼの、癒やし、ハートウォーミングであり、おいしくもあり、ほんのりホラーテイストでもあり、しかも猫まで出てきます。私の持ち味が、かなり詰まっている作品となりました。
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http://yazakiarimi.cocolog-nifty.com/butabutanikki/2017/12/1222-8427.html


「わたしはあなたのことを、よく知ってますよ。あなたがすごく孤独で、傷ついていて、いやな夢を毎晩見ているってことを、知ってます」(文庫版p.13)


 傷ついた人を猫のゴロゴロで眠らせて、悪夢の「素」を調理して本人に美味しく食べさせることで心の傷を癒すという「繕い屋」。

 夢、食いしん坊、癒し、猫。つまりいつも通りの矢崎存美さんだな、だと思って読み始めると、意外と重たい話(孤独、閉塞感、パワハラ、家庭内暴力、精神的虐待、希死念慮など)が続くので驚かされます。ハートウォーミングの印象が強い「ぶたぶた」シリーズにも深刻で重い話が散見されますが、あれだけを集めてホラー風味を強めた感じ、といえばお分かりでしょうか。

 といっても、嫌な読後感は残りませんし、血もそれほど出ないので(ということは出るんだ!?)、そういうの苦手な方でも大丈夫。むしろ、サイコホラー要素をスパイスとしてきかせたことで味に深みが出ているハートウォーミング、というべき連作短篇集です。


[収録作品]

『温かな湖』
『お菓子の家』
『月と歩く』
『呪いのようなもの』
『透明な夢の中に』


『温かな湖』
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「どういうこと?」
「傷を食べるんです」
「……消化する、ということ?」
 よく例え話では聞くが。「傷ついたことを自分の中でどう消化するのか」というように。
「そうです。わたしは、それを食べさせることができる。そうやって傷を繕う『繕い屋』なんです、わたし」
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文庫版p.35

 孤独感に追い詰められていた語り手の前に現れた、不思議な娘と謎めいた猫。
 「繕い屋」平峰花と猫のオリオン、魔女と使い魔のコンビが初登場する物語。


『お菓子の家』
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『なんでいい人ばかりが傷つくんだろうね』
 オリオンが言う。
「傷つかない人は、おいしくないんだよ」
 怪物が食らうのは、優しい人の傷ばかり。傷つかない人は、人間的に味がない。
「むしろ、そういう人こそ優しい人を食い尽くすでしょ」
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文庫版p.92

 両親の離婚にまつわる事情により深く傷つけられた語り手は、「顔のない男が外から部屋の扉をノックする」という地味に嫌な悪夢を繰り返し見るようになった。ダークファンタジーめいた前作から一転して、本シリーズの基本テイストにもってゆく物語。


『月と歩く』
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 自分のやるべきことが、この子は明確にわかっているのだ。なんだか申し訳なさそうな表情だが、こっちこそ申し訳ない。
「そういうのもしんどそうだな」
「そうかもしれません。人には言えないので」
「どっちがつらいんだろうか。何者であるかわかっている人間と、何者でもないという自信のない人間は?」
「どっちもつらいんです。だって、あなただってつらかったから、今わたしとこうしているわけですし」
――――
文庫版p.127

 会社をリストラされて生まれて初めての挫折を味わい、うつ病も発症した語り手は、ふらふらとビルの屋上にのぼる。頭上には月。だが、「歩いているといつまでも自分についてくる月」という悪夢を思い出すので、彼は月が嫌いだった……。「自分自身にかけた呪い」というテーマが、本作と次作で展開されます。


『呪いのようなもの』
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「あたしはもう、逃げ方がよくわからないのよね」
「そんなに難しいことですか?」
「『逃げない』っていう呪いがかかってるのよ。一度逃げて失敗しているから、余計に強くなっているの」
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文庫版p.168

 職場でのパラワラ、夫の浮気癖、破綻した結婚生活。強迫的に「逃げてはいけない」という思考が染みこんでいる語り手は、すべてを我慢してきたが……。非常にリアルな苦しみが描かれますが、こういう傷ばかり対処している19歳の花が気の毒になってきます。


『透明な夢の中に』
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 水の中に沈んでいくようだ。
 いつもいつも思う。悪夢がなくなった人の中から脱出する時、ものすごくきれいな水の中に落ちていくような感覚に襲われる。暗くも明るくもなく、冷たくも熱くもない、ただただ透明な水の中に。
 ああ、これが普通の人の夢なのかも、と花は思う。悪夢がなくなった人の中は、こんなにも澄みきっている。
――――
文庫版p.222

 これまで「患者」の視点から語られてきた物語ですが、今作でついに花の立場からどういう事情で何をやっているのかが明らかにされます。それまで魔女や精霊のように何となく実在感に乏しかった彼女が、(その能力を別にすれば)普通の19歳の娘として描かれ、生活や仕事のことがリアルに語られます。え、それ、めっちゃキツくないですかっ、という花の境遇。ちょっと気の毒なので、続篇が書かれるといいな。そのためにも売れるといいな。コミック化されたりするといいな。



タグ:矢崎存美
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『「フェミニズム」から遠く離れて』(笙野頼子)(『日本のフェミニズム since 1886 性の戦い編』(北原みのり責任編集)収録) [読書(随筆)]

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この本は男性が笙野頼子を読めないと言う。でもそれは文学に対する切断行為、私の作品の全人性をぶった切って思想の兵隊にしようとするものです。(中略)言語が文法の壁を越えることをガタリは知っていた。文学が壁を、越えられないはずはない。笙野頼子はそれを読める男性の救いなんです。
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単行本p.112


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第115回。

「『日本のフェミニズム~性の戦い編』には、笙野頼子さんが絶対に必要でした」
「笙野さんがいなければ、この国で、私は「イカフェミ」になってたかもしれない」
「笙野さんの文学は、フェミを正気に戻すんです」

 北原みのり責任編集『日本のフェミニズム since 1886 性の戦い編』に収録されたロングインタビュー(聞き手は北原みのりさん)。単行本(河出書房新社)出版は2017年12月です。


 最初から最後まで圧倒的な密度で語られる8ページのロングインタビュー。話し言葉でさえ文学、というか、何というか、隅々まで抗捕獲性の高い言葉から構成されていることに驚かされます。


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 恐れ入りますます、ていうか、ちょっと、涙……ありがとう。ならば私の肩書きは一面、野良フェミでもある文学者でいいですよ。これ、ネットの悪口用語らしいけども、別にいいよ。根本は文学者で、野良フェミの文学。清水良典さんが『レストレス~』を「フェミニズムを超えている」と評価したのはただ単にそれが文学だからです。だって文学はすべての属性から自由でなければ書けないんだから。
 とりあえずあなたはフェミかどうかと言われる前に言うと、私は様々の被害にあった人間に対して泣くなと言わないし、被害を訴えるなとは絶対言わない。
――――
単行本p.111


 中心となる話題は、ある種の「フェミニズム」が、女性を抑圧する側、被害者の口をふさぐ側に立っていることに対する痛烈な批判です。


――――
それそも一体それは誰の自由なのか。女をいつも主流男の御都合と結びつけて、男の性の自由を確保するために「性の自由」や「フェミニズム」を謳っているだけなのでは。でもだったら「フェミ」って何?
 中でも、上野千鶴子に代表されるフェミニズムなんてマーケティング兼の少女消費じゃないのと。私は結局前世紀からやむなく上野を批判してきました。
(中略)
 私が共感できなかったのは、「アカフェミ」だけではなくマスコミ・フェミにもなんです。マーケティング用フェミ、女性差別広告、性暴力ビデオ、少女消費、上野千鶴子なんてまさにこの全部の味方ですよ。ならばフェミニズムは単なる研究分野のひとつとしてすでに捕獲されてしまっているんじゃないかと。
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単行本p.108


――――
女性同士で温泉に行ったりも許さないし見張る、収奪する側はすべてが許せない。結果、妻、母、娼婦、妻、母、娼婦、こればっかり。とどめ、そうじゃない単身のおとなの女のことを評論家は平然と少女とか言ってくる。そういう連中から認めてもらわなきゃフェミニストになれないなら、そんな言葉自体いらないです。
 ていうかフェミのことはフェミだけ見ていては判らない。研究分野として閉じ込めるならばそれはもう差別です。だけど文学はすべてを見るからね。
――――
単行本p.109


 もやもやしていたものを吹き飛ばす旋風のような、いやむしろ、かまいたちのような言葉が、フェミニズムの輪郭を、すでに捕獲されてしまったものとそうでないものとの境界を、くっきりと切り裂いてゆきます。そして自身の立ち位置の表明が続きます。


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 捕獲されないで生き延びるものは、小さくても、大切です。社会が潰そうとしても潰せないものです。日本文学で言うと、私小説もそうでしょう。かつて女性の書く文学は女流文学といわれました。でもそんな中でもあらゆる差別の中でひとりひとりが生き延びてきた。
(中略)
私は要するに、普通に女性がして幸福になるぞと世間で言われていることを一切やってこなかった。だから、私はいま幸福なんです。文化の中にいることができなかったことで救われている。しかも外にいるから言えることを言うと「それこそフェミニズム」と喜ばれる。
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単行本p.109、110


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「当事者」とは何か、ということです。私は当事者をなくして上から大きく正しいことを言うことがどうしてもできません。どうしてか、私はただ、自分自身が当事者であることだけを書き、それにより本来の自分にはとても予測出来ないものを予測し、マスコミより大きい世界を理解してきたからです。
 同時に私が「性」を考えるとしたら、「性」を捕獲しているものは何かという関連性から始めなければならないんです。つまり「性」と「性暴力」を分けて、いまは暴力が「性」を捕獲しているんだと考えなくてはいけない。
――――
単行本p.109


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暴力で性を捕獲する感覚って、「性」ということよりも「奴隷」にして汚染するって感覚なんだと想う。
 従属させてすべてを自分たちが見張り、判断したいという願望がセックスをも覆っている。「性」を捕獲してくるものは多すぎる。フェミも、ていうか性について語らせたり、性だけ分けたり、文学者をフェミだから、フェミでないからとか言うのも全部「性」強要ですよ。マスコミが女にしてくることはひどいし汚いよ。今の時代、いちいち強要してくる性を容認することはリベラルなんじゃなくて、暴力を容認することなんですよ。肉を一人前食べられないことを容認することなんです。そもそも泣いている被害女性を黙らせるために「フェミニズム少数派」の上野千鶴子がいる。それこそ私が長年小説でも論争でも批判してきた、ロリフェミ、イカフェミ、ヤリフェミなんですよ。
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単行本p.110


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性暴力を受けて泣く女性、困る女性を黙らせる仕事がフェミニズムだというのなら、私は今まで通りアンチフェミとかミソジニストとか言われて死ぬまで上野シンパに叩かれている方がいい。
(中略)
妻、母、娼婦、をやらない少女を食品として消費するネオリベ、そして搾り取られる国民にむけては「ほら、喰われるのは少女だけどうかご安心を」ってまさに人喰い経済暴力、しかもそれに対する批判精神なんてないんでしょ? 少女依存の「アート」? すでにご清潔な便器になってひさしいのでは?
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単行本p.112


 明瞭で厳格で、曖昧さも無責任さもない、「フェミを正気に戻す」知性的な言葉が続き、まずは圧倒され、それから内省と洞察を強いられます。


 最後にまとめられている「註」では、特に『海底八幡宮』以降の作品におけるキーワードの一つとなっている「捕獲装置」とその応用について非常に分かりやすくまとめられており、お勧めです。

 また、読者としては、「ひょうすべの続きを書く」(単行本p.110)とあるのが非常に気にかかります。


タグ:笙野頼子
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『鉄砲百合の射程距離』(内田美紗:俳句、森山大道:写真、大竹昭子:編集) [読書(小説・詩)]

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十年ほど前、森山大道さんの関係者に取材した際に、内田美紗さんにお会いした。俳句をやっておられるというので句を拝見させていただいたところ、その破天荒ぶりに驚愕し、森山さんの写真と合わせて一冊の本にしてみたいという野望を抱いた。言葉が写真に、あるいはその反対に写真が言葉に寄りかかることなく、互いが独立していながら刺激しあい、新たな地平を切り開くことは果たして可能かと、それ以来、自問しつづけてきたが、本書はそれへの一つの答えである。
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 森山大道さんのモノクロ写真と内田美紗さんの句が化学変化を起こし、何やらとてつもないインパクトを秘めた不穏さが生まれる。写真集にして句集という破天荒な一冊。単行本(月曜社)出版は2017年4月です。


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待たれゐる死やかすかなるバナナの香
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おとうとと揚羽と覗く墓の穴
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慕情いま鉄砲百合の射程距離
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 女体接写、不穏な風景、工場や機械のクローズアップ、何が写っているのかもさだかでないぼやけた写真。昭和感あふれる薄気味悪いモノクロ写真に、思わず「はっ」とするような不穏さを漂わせる句が重ねられています。写真と句の間には明白な関係はないのですが、両者がそこで出会ったことで何かが生じた、生じてしまった、そんな印象を与える作品集です。


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亀鳴くや携帯電話飼つてをり
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口中に残りし麻酔遠くに火事
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海鼠腸に昵懇の箸汚しけり
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をとこ来て穴堀りはじむ花の下
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ががんぼや賛同の手のまばらなる
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 写真を選び、句を選び、それぞれを組み合わせて新しい表現を創り出す。大竹昭子さんの編集は、どうもこの世の調和を崩してしまう錬金術にも似ています。


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昼寝覚この世の水をラツパ飲み
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ミック・ジャガーの小さなおしり竜の玉
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瘡蓋のかぱとはがれて冬来る
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目の玉の奥行き想ふ春の闇
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台風のほかにもなにか待つ気分
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 句だけ読んでも何やら迫り来る感じですが、実際にこれらの言葉が写真の上に乗せられたとき、何が起きたのか、実際に本書を開いて確認してみて下さい。



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