SSブログ

『時間のないホテル』(ウィル・ワイルズ、茂木健:翻訳) [読書(SF)]

――――
ホテルに泊まる人間は、ひとつの方向にしか進んでいかない。客が何千人いようと、かれらは自分の部屋からいちばん近いエレベーターに向かうだけで、逆方向に行ったらなにがあるか考えようともしない。しかし逆方向に進んでみても、まったく同じ廊下が現れ……
「それがどこまでもつづく」ぼくは声に出して言ってみた。
 廊下が一本だけ伸びているのではない。次々と枝分かれしているのだ。頭のなかの地図が再びゆがむと、ばらばらになっていた光景が寄り集まってきて、ひとつのモザイク模様を描いた。そして抽象画の一枚一枚が、きれいにつながりはじめた。
 絵の連なりは、どこまでもつづいていた。
――――
単行本p.227


 全世界に広がる巨大ホテルチェーン「ウェイ・イン」。ビジネスイベントに参加するためにウェイ・インに宿泊した語り手は、ホテル内を彷徨っているらしい謎めいた女を追いかけるうちに、すべてのウェイ・インが高次空間的につながった迷宮に足を踏み入れてしまう。無限に分岐し広がってゆく廊下と客室。脱出路はあるのだろか。古めかしいゴシックホラーのプロットを使って理解を超えた異質な知性とのコンタクトを描く「バラードが書き直した『シャイニング』」(作者談)。単行本(東京創元社)出版は2017年3月、Kindle版配信は2017年3月です。


――――
プリーストの指摘どおり、わたしたちが本作からまず想起するのはバラードである。そして実際に、ウィル・ワイルズもバラードから多大な影響を受けたことを認めている。
(中略)
バラードのお気に入りの建築は、ヒースロー空港のヒルトン・ホテルだった。空港やホテルといった、場所ならざる場所、人間が個性を失ってただ旅行客や宿泊客といった無名の存在になり、それと照応するように建物も没個性を際立たせるような場所こそが、今ここにある世界を特徴的なかたちで映し出し、さらには未来の都市空間を望見させるものになる。
――――
単行本p.386、387


 各種ビジネスフェア(見本市)などイベントへの参加代行業という仕事に就いているニール・ダブル。語り手である彼が宿泊しているのは、世界的な巨大ホテルチェーンに属している「ウェイ・イン」というビジネスホテルです。


――――
気くばりのゆき届いた接客と、外の世界から隔絶されたあの安心感を、ぼくは愛してやまない。世界に広がったチェーン・ホテルはさながら群島であり、それぞれの島がぼくの家だった。ホテルでの孤独感を嫌う人もいるが、ぼくの場合、それは自分の望みが叶えられていることを意味しており、ぼくを満足させるため最高の技術が投入されている証しだった。
――――
単行本p.52


 世界中に数百ものホテルを建て、ひたすら成長を続けるウェイ・イン・グループ。語り手は、しかし、そのありふれたホテルの中で奇妙な体験をすることに。

 ホテル内のあちこちに配置されている抽象画を調べている謎めいた赤毛の女。自分が宿泊している219号室とは別に存在している219号室。どこまでも続き、ひたすら分岐してゆく廊下。その廊下の迷宮を真夜中に歩いてゆくと、窓から見えたのは真昼の中庭。


――――
 ぼくは、今の自分が滑稽なほど不条理な状況におかれていることを、改めて実感した。さっきまでの疑惑と恐怖は、どこかへ消し飛んでしまった。深夜だったはずなのに、ぼくは自分のベッドから数万マイル離れた真っ昼間の土地にいた。もちろん、理にかなった説明などできるはずもない。各ウェイ・インは、おたがいの距離をものともせず内部でつながっており、廊下はどこまでもつづいてゆく――このホテルについて考えれば考えるほど、あり得ないことばかりが次々と立ちはだかった。論理も常識も、まったく通用しなかった。不気味な事象だけが、このホテルの廊下のように果てしなく連なっていた。
――――
単行本p.238


 世界中のウェイ・インに飾られている、細部が異なる何万枚もの抽象画は、実は巨大な一枚の絵。高次空間的に存在するその一枚の絵を私たちは「ホテル全体に配置された無数の絵の集合」として知覚している。赤毛の女にそのように告げられた語り手。そんなことがあり得るだろうか。だが彼は、ウェイ・インが空間を超越した構造体であり、しかもそれは自らの意志を持っていることに気づいてしまう。気づいたときにはもう遅い。


――――
チェーン・ホテルとしてのウェイ・インは、単に成長をつづけるだけでなく、みずからの手で辺境を開拓することによって、みずからを増殖させるための新しい土地を確保しつづけるのだ。そしてぼくたち人間の世界を、ウェイ・インの世界へと変えてしまう。
(中略)
かくも巨大なチェーン・ホテルを創造したのは、たしかに人間だった。しかしウェイ・インにあの抽象画を提供し、ユートピアのように高遠な広がりを与えたのは、神に匹敵する力を持つ別の存在なのであろう。ぼくたち人間ではない。
――――
単行本p.280


 無限に広がるホテルという迷宮に閉じ込められた語り手は、赤毛の女と協力して脱出路を探し続けるはめに。それだけでなく、あらゆる迷宮がそうであるように、恐ろしい怪物が二人を追ってくる。果たして二人は、ウェイ・インからチェックアウトすることが出来るのだろうか。


――――
「いいですかミスター・ダブル、あなたのチェックアウトはまだ終わっていません。まだ終わらないのです」
――――
単行本p.289


 というわけで、巨大な館に迷いこんだ主人公が恐ろしい目にあうという古典的ホラーのプロットをなぞりながら、同時に「理解を超える異質な知性とのコンタクト」というSFにもなっているという、技巧的な作品です。ホテルやコンベンションセンターの描写が臨場感たっぷりで、筋書きこそキングの『シャイニング』ですが、確かにバラードに近いものを感じます。ホラーとしてもSFとしても読みごたえがあります。



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『渡辺のわたし』(斉藤斎藤) [読書(小説・詩)]

――――
勝手ながら一神教の都合により本日をもって空爆します
――――
セブンイレブンからのうれしいお知らせをポリエチレン製で無害の袋にもどす
――――
牛丼の並と玉子を注文し出てきたからには食わねばなるまい
――――
うなだれてないふりをする矢野さんはおそれいりますが性の対象
――――
そっかそっかだねときにはねなるほどねうんでもまあねそろそろいい? 「だめ」
――――
このうたでわたしの言いたかったことを三十一文字であらわしなさい
――――


 他の誰であってもいいはずなのになぜわたしはこのわたしなのだろう。都市生活の細部やアイデンティティの揺らぎを問う第一歌集。単行本初版(booknes)出版は2004年7月、新装版(港の人)出版は2016年9月です。


 まずは、自分をまるで他者として突き放したような作品、他者から見た自分とセルフイメージの乖離を描いた作品、あるいは自分は誰でもあり得るはずなのに実際には他人ではなく自分でしかないことの不思議をうたった作品、などが目につきます。


――――
お名前何とおっしゃいましたっけと言われ斉藤としては斉藤とする
――――

――――
おおくのひとがほほえんでいて斉藤をほめてくださる 斉藤にいる
――――

――――
題名をつけるとすれば無題だが名札をつければ渡辺のわたし
――――

――――
渡辺のわたしは母に捧げますおめでとう、渡辺の母さん
――――

――――
このなかのどれかは僕であるはずとエスカレーター降りてくるどれか
――――

――――
私と私が居酒屋なので斉藤と鈴木となってしゃべりはじめる
――――


 そもそも自分というものをちゃんと自分がコントロールしているのかどうか怪しい。


――――
牛丼の並と玉子を注文し出てきたからには食わねばなるまい
――――

――――
豚丼を食っているので2分前豚丼食うと決めたのだろう
――――

――――
カラオケに行くものだからカラオケに来たぼくたちで20分待ち
――――


 自分のことなのに何か他人事のように感じられる都市生活。その細部を描いた作品も数多く収録されています。


――――
雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁
――――

――――
実際はこのままでもいいお客様4番の窓口でお待ちください
――――

――――
セブンイレブンからのうれしいお知らせをポリエチレン製で無害の袋にもどす
――――

――――
内側の線まで沸騰したお湯を注いで明日をお待ちください
――――

――――
いけないボンカレーチンする前にご飯よそってしまったお釜にもどす
――――

――――
くらくなる紐ひっぱりながら横たわりながらねむれますよう起きれますよう
――――

――――
夜は闇に、昼はむなしさにささえられ窓はどうにか平らでやってる
――――


 短歌そのものを扱ったいわばメタ短歌、ありがちな定型文をひねった作品、会話をリアルに表現した作品なども印象に残ります。


――――
このうたでわたしの言いたかったことを三十一文字であらわしなさい
――――

――――
そんなに自分を追い込むなよとよそ様の作中主体に申し上げたい
――――

――――
勝手ながら一神教の都合により本日をもって空爆します
――――

――――
そっかそっかだねときにはねなるほどねうんでもまあねそろそろいい? 「だめ」
――――


 最後に、個人的に気になるのが「矢野さん」が登場する作品ですね。


――――
うなだれてないふりをする矢野さんはおそれいりますが性の対象
――――

――――
矢野さんが髪から耳を出している 矢野さんかどうか確認が要る
――――

――――
車両への扉を開ける矢野さんがちゃんと閉じないのを見てしまう
――――


 というわけで、自分がおくっている都市生活にどうも実感が持てない、というか都市生活を送っているのが本当に自分なのかどうかがどうもあやふや、という多くの人に覚えのある感覚を口語体で巧みに表現した歌集です。若いころのもやもやとした気持ちが蘇ります。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『星の林に月の船 声で楽しむ和歌・俳句』(大岡信:編) [読書(小説・詩)]

――――
天の海に 雲の波立ち 月の船
星の林に 漕ぎ隠る見ゆ
                柿本人麻呂歌集

中国の漢詩文からの影響、あるいはヒントがいろいろ指摘されている歌ですが、日本の古代詩歌で、これほど見事に天空の豊かさを幻想的にえがいた歌は他に見当たりません。
――――
文庫版p.21


 万葉集から近代詩歌まで、小中学生のために知っておくべき名作を選んで紹介する和歌・俳句の入門書。文庫版(岩波書店)出版は2005年6月です。


――――
詩歌作品は、年齢の上下によって理解できたりできなかったりするようなものではありません。ただ、使われていることばを理解するのに、少し背伸びをしなければならない、ということはあり得ます。背伸びしてでも、ちょっとむつかしいものに挑戦してみてほしい――本書を読んでくれる人たちには、そんなことも言ってみたい気持ちがあります。詩歌を楽しむということは、ことばの世界への探検旅行であると思うからです。
――――
文庫版p.10


「千数百年のあいだに日本語によってつくられてきたたくさんの詩歌作品の中から、小・中学生のみなさんにとって興味深いかもしれないと感じた作品を、選びだし時代の流れにそって配列したもの」(文庫版p.10)ですが、どの年齢で読んでも楽しめる一冊。全体は5つのパートから構成されており、年代順に並んでいます。


『星の林に月の船  『万葉集』から』
――――
萩の花 尾花葛花 瞿麦の花
女郎花 また藤袴 朝貌の花
                山上憶良

憶良は人生の苦悩、社会の矛盾、また妻子への愛情をはばからずに歌った、すぐれた歌人でしたが、時には花の名前をならべるだけのこんな楽しい歌もつくっています。このような歌は平凡なようで、知恵と知識がないとつくれません。
――――
文庫版p.30


『都ぞ春の錦なりける  『古今和歌集』『新古今和歌集』から』
――――
わが君は 千代に八千代に さざれ石の
いはほとなりて 苔のむすまで
                よみ人しらず

『君が代』の原歌です。「わが君は」ということばが現在のような「君が世は」に変わったのは、『古今和歌集』から百年ぐらいあとの『和漢郎詠集』からだと言われています。「君」は、あなた。かならずしも天皇を指すことばではありません。
――――
文庫版p.58


『舞へ舞へかたつぶり  中世の詩歌』
――――
月は船 星は白波 雲は海
いかに漕ぐらん
桂男は ただ一人して
                梁塵秘抄

古代から、夜空を大海原に見立てる想像力は、人びとにとっての一つの型だったのかもしれません。ただ一つちがっているのは、『梁塵秘抄』のこの歌には、月に住む仙人といわれる「桂男」が、あらわれていることです。「桂男」は美男子といわれていますから、「ただ一人して」というのは、どこか孤独な影を感じさせます。
――――
文庫版p.100


『鼠のなめる隅田川  江戸の詩歌』
――――
世の中に こひしきものは はまべなる
さゞいのからの ふたにぞありける
                良寛

 この世で何よりも恋しいものは、浜辺にころがっているさざえの殻のふただ。
 へんなものを恋しがっているものだと思いますが、この歌と同じときに弟にあてた手紙に、「目ぐすり入りの壺のふたによろしく」とありますから、海岸で適当な形のさざえのふたを探してほしいとたのんでいるわけです。
――――
文庫版p.141


『柿くへば鐘が鳴るなり  明治以降の詩歌』
――――
てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた。
                安西冬衛

これは「春」と題する有名な一行詩。文末に句点「。」があります。「韃靼海峡」はサハリン北部とシベリア大陸との間にある間宮海峡のこと。「てふてふ」は蝶々の古いかなづかいですが、蝶々の飛びかたが目に見える感じがします。
――――
文庫版p.193



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『Aa』(高塚謙太郎、鈴木一平、疋田龍乃介、瀬戸夏子、タケイ・リエ、他) [読書(小説・詩)]

――――
眠りのなかで首を切られても、おなじこと。あるいは、切った感触がなまなましく、
絞りたてのフルーツのように残っている。
ひどい睫毛だった。愛かと思った。
――――
『詩9篇』(瀬戸夏子)
「生クリームの上のミントの葉」より全文引用


 十名の詩人が参加した詩誌「Aa」の第10号。発行は2017年9月です。


[掲載作品]

『crack』(荒木時彦)
『詩9篇』(瀬戸夏子)
『成層圏から降りてきた手』(望月遊馬)
『ロックマンの谷』(疋田龍乃介)
『ヤーの娘』(髙塚謙太郎)
『それもひとつの顔』(タケイ・リエ)
『日差しの海辺』(鈴木一平)
『すべての本は開かれていなければならない』(加藤思何理)
『へ向かう 目と鼻の先』(八潮れん)
『セピア』(萩野なつみ)


――――
16連打の彼方の空で
軽々と移り変わるような
この谷を飛ぶあれはなんだ
あれはガッツマンだ
カットマンだ
いや、鳥だ
羽毛すら
ピコピコと
鮮やかな水の鳥
谷底にはしずくがあふれ
まばゆい川となって
夢の流れる滝の手前の
エレクトロなそのほとり
とうとう
残り一機になってしまった
――――
『ロックマンの谷』(疋田龍乃介)より


――――
今夜十二時きっかりに猫の碧い眼に稲妻が落ちる。
それまでにぼくはその猫を探しださねばならない。
――――
『すべての本は開かれていなければならない』(加藤思何理)
「真夜中に猫を探す」より全文引用


――――
女はひとりの ただの饅頭売りだったが
ひとりであることが怪しいと人々は噂し
夫のいないことを気味悪がった
三世代家族で暮らす自分たちとは違う
あの女は化け物だろうと噂した
やがて女は化け物だと断定され
保健所から来た役人たちに連行された
――――
『それもひとつの顔』(タケイ・リエ)
「饅頭売り」より


――――
われわれの火星が告げている、あなたに存在してほしくないと、そんなふうに。
よい詩集は邪魔だ、害悪だ、わたしのためではなく、あなたたちのために、そう告げ
ているに過ぎない。
ゆうべ、彼のまわりのほとんどの人々が死に、彼はむだにはなやかな色のアルコール
を飲みながらそれをやりすごした。生きのこった花嫁は彼自身がその日、みずからの
手で殺した。それ以外に方法はなかったのだ。
――――
『詩9篇』(瀬戸夏子)
「多くの最悪な日々」より



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『灰と家』(鈴木一平) [読書(小説・詩)]

地響きや割れた氷をなおす姉
――――
  山本と『いぬのせなか座』を印刷するために、大学に行く。
  道の途中の弁当屋のまえに、幼稚園ぐらいの女の子と、その
  子より年下の、紙コップをもった男の子がいた。男の子は、
  手にもっていたコップを女の子にわたそうとした。女の子が
  コップを手ではたくと、中に入っていた氷が地面にばらばら
  散らばった。男の子が、おねえちゃんがなおしてね、といって、
  そっぽを向くと、女の子は氷をざくざく踏みはじめた。それ
  を見た男の子は、女の子といっしょに氷を踏みはじめた。
――――


 詩、俳句、日記、縦書き、横書き。様々な作品と表記を巧みに配置したいぬのせなか座叢書第一弾。単行本(いぬのせなか座)出版は2016年11月です。

 河野聡子さんの詩集『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』のデザインはとても印象的でした。このデザインを担当したのが「いぬのせなか座」です。

  2017年07月19日の日記
  『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-07-19

 気になったので、同じいぬのせなか座叢書の『灰と家』も読んでみました。詩と詩のあいだに、俳句と日記を組み合わせた作品が並んでいます。個人的に、この俳句と日記を組み合わせたパートがお気に入り。いくつか引用してみます。


近寄れば窄まるような牛の顔
――――
  母方の実家に行く。家の裏は土手になっていて、草木がじゃ
  まで見えないが、牛小屋がある。窓を開けて過ごしていると、
  ときどき牛の声がする。トイレに立つと、窓の向こうで牛の
  声がする。トイレの電気に反応して鳴くのだとおもう。電気
  をつけずにトイレに入ると、便器がどこかわからず、電気を
  つけると、牛の声がする。
――――


牡鹿来るまで足を卍に組み眠る
――――
  家族と買い物にいった帰りに、家のちかくの田んぼのまん中
  に鹿を見つけた。車の光を浴びた鹿は、急に背中を向けて、
  リズミカルな動きで、闇のなかに姿を消した。母親が、あれ
  はカモシカだといって、それから、むかしフクロウを車で轢
  いたことがあると、話し始めた。家に帰ってタイヤを見ると、
  目玉がタイヤのみぞにはさまっていたという。
――――


今か今かと死を待つ鼓膜で鳴く蝉は
――――
  仕事がおわる。とおくで、蝉が鳴いている。横断歩道で青信
  号を待っていると、目の前にバスが停まり、向こう側の信号
  機が車体に隠れる。代わりに、こちら側の信号機がバスの車
  体に反射して、それがちょうどバスの影にあった信号と重なっ
  て見える。バスが透明になったように感じる。
――――


 どことなく漂っている不思議な、というか不気味なユーモアが印象的です。他に、いかにも若い男のエピソードだなあと思わせるあれこれも沢山でてきて、青春いっぱいいっぱい。


物よりも手前のあけび雨宿り
――――
  仕事おわりに飲み会。二次会で後輩と先輩を全裸にして、後
  悔する。家に着いて、会社の同期に電話をする。旅行の話を
  する。おたがいの記憶が微妙に食い違っていて、上手く嚙み
  合わず。電話の途中で眠ってしまい、気がつくと朝になって
  いた。
――――


似姿や背を持ち上げる草の春
――――
  道を歩いていて、トンネルに入る。粉々になったコンクリー
  トの破片が草を絡ませながら転がっている。光が見えて、光
  の向こう側に出る。外はいちめん草だらけの、切り立った崖
  に囲まれた広場。真向かいの、はんたい側に、奥へとつづく
  道がある。足をすべらせないように、崖のなかほどにある足
  場にそって歩いていると、高台に女のひとがいて、なにかを
  話しているのが聞こえる。その声が知っているひとに似てい
  たので、崖からおりて、足もとでジャンプして、うでの力で
  縁につかまり、確認をすると、やはり似ていた。
――――


行く人のふと筒に見え春の雨
――――
  金子さんと中野で、詩集がたくさん置いてある古本屋に行く。
  なにも見つからず、中華屋で何かじゃりじゃりする炒飯を食
  べる。もういちど本屋に行くが、やはりいい詩集がなかった
  ので、帰る。家に戻ると、部屋の鍵が開いていて、中が荒ら
  されているような気がした。机の上に、なにかの薬がたくさ
  ん入った箱が置かれていた。警察署に行って話をすると、パ
  トカーに乗せられて、警察のひとといっしょに家まで戻る。
  部屋の中を見せると、「もともとこうだったんじゃないです
  か?」といわれる。
――――


 ちなみに原文の表記は、俳句も日記も縦書き、ページ上段に俳句、その下に日記、という構成になっています。その視覚的な効果を確かめたい方はぜひ原文にあたって下さい。

 こうした日記パートを読んでから詩のパートに戻ると、微妙に同じモチーフが使われていたりして、最初に読んだときと印象が大きく変わっているのが驚き。読む順番を自分で能動的に選ぶことが大切になってくる詩集なんだろうと思います。全体的に青春の苦々しさを感じさせる作品が多く、懐かしい気持ちになりました。



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ: