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『灰と家』(鈴木一平) [読書(小説・詩)]

地響きや割れた氷をなおす姉
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  山本と『いぬのせなか座』を印刷するために、大学に行く。
  道の途中の弁当屋のまえに、幼稚園ぐらいの女の子と、その
  子より年下の、紙コップをもった男の子がいた。男の子は、
  手にもっていたコップを女の子にわたそうとした。女の子が
  コップを手ではたくと、中に入っていた氷が地面にばらばら
  散らばった。男の子が、おねえちゃんがなおしてね、といって、
  そっぽを向くと、女の子は氷をざくざく踏みはじめた。それ
  を見た男の子は、女の子といっしょに氷を踏みはじめた。
――――


 詩、俳句、日記、縦書き、横書き。様々な作品と表記を巧みに配置したいぬのせなか座叢書第一弾。単行本(いぬのせなか座)出版は2016年11月です。

 河野聡子さんの詩集『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』のデザインはとても印象的でした。このデザインを担当したのが「いぬのせなか座」です。

  2017年07月19日の日記
  『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-07-19

 気になったので、同じいぬのせなか座叢書の『灰と家』も読んでみました。詩と詩のあいだに、俳句と日記を組み合わせた作品が並んでいます。個人的に、この俳句と日記を組み合わせたパートがお気に入り。いくつか引用してみます。


近寄れば窄まるような牛の顔
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  母方の実家に行く。家の裏は土手になっていて、草木がじゃ
  まで見えないが、牛小屋がある。窓を開けて過ごしていると、
  ときどき牛の声がする。トイレに立つと、窓の向こうで牛の
  声がする。トイレの電気に反応して鳴くのだとおもう。電気
  をつけずにトイレに入ると、便器がどこかわからず、電気を
  つけると、牛の声がする。
――――


牡鹿来るまで足を卍に組み眠る
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  家族と買い物にいった帰りに、家のちかくの田んぼのまん中
  に鹿を見つけた。車の光を浴びた鹿は、急に背中を向けて、
  リズミカルな動きで、闇のなかに姿を消した。母親が、あれ
  はカモシカだといって、それから、むかしフクロウを車で轢
  いたことがあると、話し始めた。家に帰ってタイヤを見ると、
  目玉がタイヤのみぞにはさまっていたという。
――――


今か今かと死を待つ鼓膜で鳴く蝉は
――――
  仕事がおわる。とおくで、蝉が鳴いている。横断歩道で青信
  号を待っていると、目の前にバスが停まり、向こう側の信号
  機が車体に隠れる。代わりに、こちら側の信号機がバスの車
  体に反射して、それがちょうどバスの影にあった信号と重なっ
  て見える。バスが透明になったように感じる。
――――


 どことなく漂っている不思議な、というか不気味なユーモアが印象的です。他に、いかにも若い男のエピソードだなあと思わせるあれこれも沢山でてきて、青春いっぱいいっぱい。


物よりも手前のあけび雨宿り
――――
  仕事おわりに飲み会。二次会で後輩と先輩を全裸にして、後
  悔する。家に着いて、会社の同期に電話をする。旅行の話を
  する。おたがいの記憶が微妙に食い違っていて、上手く嚙み
  合わず。電話の途中で眠ってしまい、気がつくと朝になって
  いた。
――――


似姿や背を持ち上げる草の春
――――
  道を歩いていて、トンネルに入る。粉々になったコンクリー
  トの破片が草を絡ませながら転がっている。光が見えて、光
  の向こう側に出る。外はいちめん草だらけの、切り立った崖
  に囲まれた広場。真向かいの、はんたい側に、奥へとつづく
  道がある。足をすべらせないように、崖のなかほどにある足
  場にそって歩いていると、高台に女のひとがいて、なにかを
  話しているのが聞こえる。その声が知っているひとに似てい
  たので、崖からおりて、足もとでジャンプして、うでの力で
  縁につかまり、確認をすると、やはり似ていた。
――――


行く人のふと筒に見え春の雨
――――
  金子さんと中野で、詩集がたくさん置いてある古本屋に行く。
  なにも見つからず、中華屋で何かじゃりじゃりする炒飯を食
  べる。もういちど本屋に行くが、やはりいい詩集がなかった
  ので、帰る。家に戻ると、部屋の鍵が開いていて、中が荒ら
  されているような気がした。机の上に、なにかの薬がたくさ
  ん入った箱が置かれていた。警察署に行って話をすると、パ
  トカーに乗せられて、警察のひとといっしょに家まで戻る。
  部屋の中を見せると、「もともとこうだったんじゃないです
  か?」といわれる。
――――


 ちなみに原文の表記は、俳句も日記も縦書き、ページ上段に俳句、その下に日記、という構成になっています。その視覚的な効果を確かめたい方はぜひ原文にあたって下さい。

 こうした日記パートを読んでから詩のパートに戻ると、微妙に同じモチーフが使われていたりして、最初に読んだときと印象が大きく変わっているのが驚き。読む順番を自分で能動的に選ぶことが大切になってくる詩集なんだろうと思います。全体的に青春の苦々しさを感じさせる作品が多く、懐かしい気持ちになりました。



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