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『リヴァイザー/検察官』(クリスタル・パイト、キッドピボット) [ダンス]

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 クリエイションのプロセスについては、最初は茶番劇の形式から始まり、そこからどんどん脱構築していって、最終的には劇自体を査察していくような形式を取りました。比喩的に言うなら、この『リヴァイザー』における茶番劇は仮面のようなものであり、その仮面を剥がしていくような作品になっていると思います。(中略)そして仮面が剥がれると、世界がガラリと変わります。何か中間的な領域へと入っていき、照明も大きく変化して、神秘的な空間が生まれるのです。その場面は極めて脱構築的で、いわば夢のような空間です。それが前半の茶番劇表面化に潜んでいたもの、真実そのものであるということ。この作品は「真実であること」と「変容の可能性」を示したものであると考えています。
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公演パンフレット「クリスタル・パイト インタビュー」より


 2023年5月28日は、夫婦で神奈川県民ホールに行ってクリスタル・パイトひきいるキッドピボットの来日公演を鑑賞しました。ゴーゴリの戯曲『検察官』を元にした上演時間90分の作品です。


キャスト等

演出・振付: クリスタル・パイト
脚本: ジョナソン・ヤング
出演: ラキーム・ハーディ、鳴海令那、ジュリアン・ハント(ブランドン・アリーの当日代役)、ダグ・レサレン、エラ・ホチルド、グレゴリー・ラウ、ジェニファー・フロレンティーノ、レネー・シグワン


 まずゴーゴリの原作に近い(ただしセリフはすべて“現代風に”リヴァイズ(改訂)されている)茶番劇から始まって、途中でそれまでの展開を自己言及的にリヴァイズしてゆく、という構成です。

 茶番劇も楽しいのですが、なんといっても脱構築パートが凄い。クリエイション時のクリスタル・パイトの内面がそのまま作品になったような感じで、背景に反射光を投影する巧みな照明設計により現実から遊離して深層心理を探るような舞台が生まれます。

 表層的なプロットは剥ぎ取られ、もはや言葉は意味を失いダンサーの動きを乗せる背景音となり、あとは登場人物たちや「機構」の本当の姿がダンスの表現によって暴かれてゆく。人の性根や社会システムの奥底に到達すると、そこには恐ろしい怪物が徘徊しており、このシーンは息を飲む迫力。

 この脱構築パートにおける色々なものを切り裂くような振付はシャープで切れ味が鋭く、スタイリッシュというかシンプルにカッコいい。シビれる動きがてんこ盛りです。このパートだけ取り出して抽象ダンス作品として鑑賞したいくらい。

 全体的に言葉とダンスをこんな形で反応させるというのは驚きでした。自分が知らないだけで新しい試みというものはちゃんと続いてるんだなという感慨を覚えました。





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『POP LIFE』(近藤良平、コンドルズ) [ダンス]

 2023年5月27日は、夫婦で埼玉会館に行って近藤良平ひきいる大人気ダンスカンパニー「コンドルズ」の新作公演を鑑賞しました。上演時間は110分。

 いつものさいたま芸術劇場が改装中につき、コンドルズさいたま公演、第16作目にしてはじめての埼玉会館での開催です。さっそく近藤良平さんが、いつもは舞台の大仕掛けを使って誤魔化せたけど今回は難しいぞ、だから風船をいっぱい並べたけど、これが意外に踊りにくいんだ、などと歌って観客を笑わせました。確かに風船が邪魔になるシーンが多かった気がする。

 期待を裏切らない安心のコンドルズさいたま公演ですが、今作は特に楽しい舞台となっています。カラフルな風船が並べられた楽しげな空間で、色々なことが起こります。あちこちにご当地さいたまネタが仕込まれ、人形劇はライブアクションと組み合わせるという新趣向でさらに楽しく。メンバー渾身、観客までいじりたおすピナ・バウシュごっこ、あれは凄かった。





タグ:近藤良平
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『リビングルーム』(インバル・ピント) [ダンス]

 2023年5月20日は、夫婦で世田谷パブリックシアターに行ってインバル・ピントの公演を鑑賞しました。出演者2名、大半の時間は主演のモラン・ミュラーが踊る上演時間1時間の作品です。


[キャスト他]

振付・衣裳・舞台美術: インバル・ピント
オリジナル楽曲: マヤ・ベルシツマン
出演: モラン・ミュラー、イタマール・セルッシ


 ひさしぶりのインバル・ピントの公演です。以前に『DUST』を見てからすでに8年近く経っていることに驚きました。

 今作の舞台は不思議な壁紙で囲まれた室内(リビングルーム)。そこに住んでいるらしい女性(モラン・ミュラー)が白昼夢のような不思議な体験をします。出演者が基本的に一人なので観客はどうしてもそちらに目をやるわけですが、その隙をつくように、椅子が動き出したり照明器具が踊ったり、戸棚から人の手がそろりそろりと出てきたりと、奇妙なことが次々と。何か変だなと思って視線をそちらに向けたときにはけっこうびっくりします。

 全体的に不可解な夢のなかにいる感触がつよく、自分の身体が思うようにコントロールできなくなったり、感覚が混乱したり、そういった体験をダンスで表現してゆきます。途中からイタマール・セルッシが湧いてきて二人で喧嘩したりするわけですが、それも夢幻のよう。

 何が起きるか分からないヘンテコな世界に観客を巻き込んでゆく舞台。ひさしぶりに見たインバル・ピント作品ですがやっぱり好みだなと思いました。





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『スーパーナチュラル・ウォー 第一次世界大戦と驚異のオカルト・魔術・民間信仰』(オーウェン・デイヴィス:著、江口之隆:翻訳) [読書(オカルト)]

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 人間集団が危機に遭遇すると、およそ常識や理屈では不可能と思われるような異常経験が個人レベルさらに国家レベルで多発する。第一次世界大戦も例外ではなかった。この戦争を通じて人類は秘められた神秘の局面へ向かうとか、いまこそ人類の精神的あるいは心霊的運命が左右される不安定な瞬間であるとか、当時はそういった感覚で捉えられていた。かの悪名高い1914年の「モンスの天使」事件、すなわち中世の弓兵の幽霊が戦場に出現したといった超自然現象が報告され白昼堂々論じられるなど、それまでの国家的風景では考えられない事態であった。交戦各国の教会、オカルト関係者、心霊調査者この事態を影響力拡大のチャンスと見る一方、一般大衆は戦争という現実に対処すべく伝統的あるいは珍奇な手段を講じていた。交戦各国をつなぐ超自然的な連環を追っていくと、魔術や宗教や科学が第一次世界大戦という近代の坩堝にあって心地よい同伴者であったことが明らかになるのである。
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 第一次世界大戦という未曾有の非常事態が欧州を覆っていたころ、超常体験、魔術、神秘、まじない、占いなど「超自然的なるもの」はどのような形で人々の心をとらえていたのだろうか。またそれは戦後のオカルト隆盛とどのようにつながっているのか。第一次世界大戦を背景にした超自然と社会の関わり合いという意外なポイントに着目した魅惑の歴史書。単行本(ヒカルランド)出版は2020年4月です。




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 本書は戦争によって「迷信的なるもの」への知的関心が刺激されるさまを概観し、大戦の超自然的側面を暴露して解釈しようとする歴史家が直面する試練に光を当てるものである。(中略)著者は、本書で探究する信仰や活動が退行や妄信を示すものという見解を有していない。本書を読み進めれば判明するが、お守りを携帯したり幸運の儀式を行う人々、占い師のもとに通ったり幽霊を見たと主張する人々はしばしば高等教育を受けており、自分の行動や経験を自己分析する思慮深い人物であった。およそ「迷信深い」人々ではないのである。
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目次

第1章 驚異に満ちた戦争
第2章 予言の時代
第3章 ヴィジョン体験、霊、そして霊能者たち
第4章 占いさまざま
第5章 戦場の幸運
第6章 塹壕の信仰と護身のお守り
第7章 余波




第1章 驚異に満ちた戦争
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 思考、体験、報告、回想、想像、そして物品といった無数の断片をつなぎあわせていくと、超自然的連想をまとう戦争という印象的かつ啓蒙的な絵画が浮かび上がる。そしていま取り組むべき任務は、ひとつひとつの意味を解明していくこと、そして第一次世界大戦中の生活を理解するうえでなぜそれが重要なのかを明らかにすることである。
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 まずは戦時中の民間伝承やフォークロアを研究するために利用できる情報源と先行研究について概観します。




第2章 予言の時代
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 1915年秋、世界心霊研究協会の副会長エドモン・デュシャテルが戦時中の予言等を慎重に検討するための会議を戦後に開催することを提案している。大戦中に出版されたすべての予知や予言を集めて研究し、実際の出版年月日や参照先を明確にしようというのである。とはいえ実際に戦争が終わってしまうと、嘘だらけの外れた戦時予言を科学的に研究する意欲などだれにも残っていなかったのである。
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 両陣営とも、自軍の勝利を「予言」する言説がはびこってゆき、さらにノストラダムスの予言にも大衆の注目が集まる。戦争の不安と混乱のなかで、予言そして予言者はどのように活動していたのかを整理します。




第3章 ヴィジョン体験、霊、そして霊能者たち
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 大戦中、兵士やその家族と恋人が経験した奇怪なヴィジョン体験や感覚が無数に報道され、ときに「砲火の下の怪異」とか「戦争と怪奇」といった描写をされている。戦争は常に幽霊を見た話や出会った話、虫の知らせの話を生み出してきたが、第一次世界大戦の戦中戦後ほど軍人の超自然体験に関心が寄せられた時期もなかった。
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 天に聖なる光が現れ、天使が敵軍を追い払う。危機的状況のなか、死んだ戦友が救ってくれる。白い服の男が戦場に現れ、傷を癒してくれる。そして銃後では心霊関連の活動が盛んになる。戦時の霊や超自然ビジョンのあらわれについて見てゆきます。




第4章 占いさまざま
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 一部の占い師は民間魔術の領域にも手を出していた。身を守るための簡単な儀式を教えるといった単純な事例もこの範疇にふくまれる。(中略)この種の魔術を行う人々はカニングフォーク、あるいはワイズメン、ワイズウィメンとして知られており、かれらの由緒正しい商売は戦時にあってはまさにひっぱりだこ状態であった。
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 兵士として戦争にいった夫や息子は無事に帰還するだろうか。戦地にいる彼らを霊的パワーで少しでも守ることは出来ないか。占い、まじない、魔術が、社会にどのように広まっていたのかを見てゆきます。




第5章 戦場の幸運
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 一定の行動やシンボル、数字などを避けることで不運を回避するという発想は、第一次世界大戦の代表的な塹壕迷信の根底に存在していた。すなわち1本のマッチで3本の煙草あるいはパイプに火をつけると、3人の喫煙者のうちひとりが死ぬという迷信である。(中略)この種の広範囲にわたる民間伝承が支持されるなか、それでも個々人の経験あるいは偶然に対する思い入れなどにより、なにがラッキーでなにがそうでないかが特異的に決定されていくのである。
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 死んだ戦友の武器や持ち物は不吉だろうか。13という数字は避けたほうがいいのか。お守りや護符は効くだろうか。胸ポケットに入れた防弾聖書は効果を発揮するのか。一瞬先の運命が予測できない戦場において、人々が命を託した超自然的アイテムについて見てゆきます。




第6章 塹壕の信仰と護身のお守り
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 両陣営とも、世界大戦を十字軍と称する宗教関係者の発言が見られた。フランスとイタリアのカトリックたちであろうが、ロシア正教の司祭やアメリカの福音主義者、ドイツのルーテル派であろうが、その点は一緒であった。第一次世界大戦は邪悪と戦うキリスト教の現代的闘争であり、各国の命運は黙示録の言葉で描かれた。両陣営とも、自陣営こそ堕落したキリスト教ヨーロッパを浄化する神聖な任務を与えられたと主張していた。
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 人々が不安と混迷に陥ったとき、宗教は何をすればよいのか。そして戦争は信仰心を高めるか、逆に信仰心を失わせるのか。戦時の宗教活動について見てゆきます。




第7章 余波
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 第一次世界大戦後、心霊術と中流階級オカルティズムは学術研究対象にふさわしい超自然部門と見なされたが、魔女術、魔術、占いといった民間信仰はわれわれが理解する20世紀の社会にはふさわしくないと判断されてしまった。オカルティズムやエソテリシズムに対する現代的な「教養ある」関心が根付くためには、旧来の超自然伝統は死滅する必要があったという印象すら受けてしまう。しかしわれわれが戦時中、そして戦後に目にしたものは、新旧両方の超自然が部分的に別次元で存在し続ける状況であり、また他方では戦争体験が新旧の超自然を無視しつつ両者の新たなトレンドを表現する方法を生み出す様子であった。
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 そして第一次世界大戦は終結し、様々な超自然的なものも刷新されてゆく。しかしそこにははっきりとした連続性があり、古めかしい迷信とモダンなオカルティズムが、戦争体験を通じてつながっていることが分かる。超自然に対する人々の意識の歴史的変遷を見てゆきます。





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『Down Beat 21号』(柴田千晶、小川三郎、他) [読書(小説・詩)]

 詩誌『Down Beat』の21号を紹介いたします。


[Down Beat 21号 目次]
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『恥ずかしい古びた一枚のもの』『小林さん』(金井雄二)
『春の葬』(柴田千晶)
『うたの日』(谷口鳥子)
『鍵っ子』『水売り』(廿楽順治)
『春』(徳広康代)
『動物ということ』(中島悦子)
『どうぶつ(詩)』(今鹿仙)
『かりそめ』(小川三郎)
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お問い合わせは、次のフェイスブックページまで。

  詩誌Down Beat
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みんなには、くーちゃんの死が見えないのでしょう。カウントされてもいないのだから、当然ですね。町々に元気に溢れかえっているみんなには、そんなみんなをテレビで見ているみんなには、そして、みんな全部全部を動物としか思わない動物には。

わめく声 わめく声しかない世界は。
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『動物ということ』(中島悦子)より




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人を神に似せることが
罪とまでは言えなくても
神に愛されるつもりなら
美につきもっと知らなくては。
人間と言う技法についても
もっと深く学ばないと。

幸福などは口にせぬこと。
悪について調べないこと。
疑問はすべて
我が子が汲み取る。
私はそれを否定しよう。
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『かりそめ』(小川三郎)より





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