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『三匹のとけだした犬』(小松郁子) [読書(小説・詩)]

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とけた三匹の犬のとけない
六つの目が二つずつ男たちの捻挫したあしもとで
ほつほつと青くひかる
――――
『三匹のとけだした犬』より


 日常的な、見慣れているはずの風景が、なぜか怪談のようにおそろしい。人づきあいの記憶が異化されゆく鳥肌詩集。単行本(思潮社)出版は2003年10月です。

 何しろ『消える村』が怖かった。郷里の記憶が異界へとつながってゆく様に震え上がり、読了後もしばらく夜の廊下を歩けないという、生活に支障をきたす詩集。紹介はこちら。


  2017年05月30日の日記
  『消える村』(小松郁子)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-05-30


 何かを克服すべく、同じ作者の詩集をもう一冊読んでみました。『消える村』と似た雰囲気の作品もいくつか含まれていて、やっぱり怖い。


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 あとはゆっくり かたづけておく
耳もとで声がきこえる
地霊かもしれない
蔵の裏に彼岸花を真赤に噴きあげた
あの地霊かもしれない
うなずいて
門を出てきた
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『彼岸花』より


――――
門を入りにわん口の戸をあけ
小庭の緑が目にしみる表座敷に上っていくと
異母妹がふてくされたように横ずわりに坐っていた
その時になって
つい最近異母妹が まわりに毒気を吐きかけて
自滅するように 肺がんで死んだことを思い出したのだが
そしらぬ顔で
父と継母にむかって
異母妹には死ぬまで嫌な目にあわされつづけた
病気のように嘘をつき
どろぼうのように盗み
咎めると気狂いのようにたけりくるう異母妹は許せない
たとえ死んだとしても
いまだからいうけれど
と ひたすら異母妹をなじりつづけた

父も継母も死んだ異母妹の死ぬよりずっと前に死んだことを
なじりおえて やっと 思い出した
――――
『異母妹』より


 郷里の記憶がメインとなっていた『消える村』と比べると、本書に収録された作品には日常的な風景を扱ったものが多く、ならば安心して読めるかと思うや。


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女のひとは
倉庫の壁に背をもたせかけ
ずーっとこちらを
みつづけている

あたりは段々うすぐらくなって
そのひとの形を
ぼおっとにじませているのに
嫌な目つきだけが
くっきりしてくる
――――
『薄暮』より


――――
真赤に口紅をぬった太った女のひとが
赤いマニキュアの指先で
苺をつまんでたべている
太った女のひとはさらに
少しずつ太ってゆき
熟れすぎた甘い匂いを放ちはじめた
――――
『苺』より全文引用


 やっぱり、何かしら、いやーな、不穏なものが漂ってきます。黙っているのが嫌なのか。では、何か話したり、アクションをとったりしたら、むしろ日常的な光景に還元され安心感が生ずるのでしょうか。


――――
ゆきすぎたあと
突然
奇声がおこる
ふりむくと
柿渋色の僧服の老人がこちらを鋭く指さしていて
若い女たちは
咎める目つきをいっせいに送ってきた
――――
『切り通し』より


――――
 おじいさんの家はあんたの家じゃない

激しくなじるまえに
ひっぱられた腕を
丸たん棒でも振りまわすように
ふりほどいた女は

 さあ どんどんお金を入れてよ
 お金がいるんだからさあ


がなりたてた

悲哀が 足をすくませた
――――
『屋敷』より


 どうも人づきあいの嫌なところをついてくるような感触があって、どうにも心休まりません。単独で読めばきっと「ほのぼの」しているであろう作品でも、一冊の詩集のなかに置かれることで、居心地の悪さがにじみ出るような気がする。


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アルパカのコートはやわらかくて あたたくて着心地がよくて幸せだった
難は大きすぎることだった
 アルパカのコートを買ったわ
と 電話をかけると相手は 戦争中にアルパカで軍の手旗信号の旗をつくった
ことを思い出した
 アルパカのコートを買ったわ
別のところに電話をすると相手は 軍人さんのオーバーコートの布地だったと
いう
――――
『アルパカの話』より


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西大寺町尋常小学校の
広い広い運動場の真中で
幼稚園児のわたしたちは
タンバリンをたたきながら
小さく小さく小さく輪踊りをした
――――
『運動会』より全文引用


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セロハン紙をぺろぺろ紙といっていた
小さなお魚の形をきりぬいた赤いぺろぺろ紙は
掌にのせるとゆっくりそりかえった
ぺろぺろ紙は
駄菓子屋の小梅さんの店で売っていた
ぺろぺろ紙がとても好きだった
民江さんや磯貝さんと連れだって
学校の行きかえり
たんぼの中の道でぺろぺろ紙を掌にのっけては
きゃあきゃあさわいだ
――――
『ぺろぺろ紙』より


 もちろん怖いわけではないのですが、何とも心の底がざわめくような感触があって、もう癖になっているような気が。記憶というものの不思議さにうたれる詩集です。



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『世界の終わり/始まり』(倉阪鬼一郎) [読書(小説・詩)]

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回転寿司の二番目の皿を間違えつづけてきた人生のささやかな終わり
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見るな きみのうしろを全速力で飛び去っていくあのバーコードの群れを
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どんなにこわれていても大丈夫ですと廃人回収車が巡回する町
――――
赤い屋根につづくはるかな道 眼圧測定器の中の
――――
いまはまだ何も始まっていないからさんかくの耳もつものをいだいて眠る
――――


 世界の終わりと始まりを詠む。「多少なりとも希望のある歌を詠もうと考えて」いたのに、やっぱり「できるのは相も変わらず終末のほうに傾いた歌ばかり」と作者が語る終末歌集。単行本(書肆侃侃房)出版は2017年2月、Kindle版配信は2017年2月です。


 俳句アンソロジー『怖い俳句』と『猫俳句パラダイス』の二冊が強烈な印象を残してくれたので、個人的に、倉阪鬼一郎さんといえば俳句の人、というイメージが強い。というか実は『活字狂想曲』のイメージの方が強いのですが。

 ちなみに二冊の俳句アンソロジーの紹介はこちら。

  2012年08月01日の日記
  『怖い俳句』(倉阪鬼一郎)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2012-08-01

  2017年01月31日の日記
  『猫俳句パラダイス』(倉阪鬼一郎)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-01-31

 しかし、本書あとがきによると、もともと短歌を詠んでいて、後から俳句に転向したのだそうです。本書はその倉阪鬼一郎さんの最新歌集。

 まずは終末風景を詠んだ作品が目につきます。


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終末の朝には一つとうめいな花火のようなものがあがるよ
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晴れわたる終末の地の上空を赤い飛行船ゆるゆる流れ
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姿なき飛行機通り過ぎていく人滅びたる夜明けの空を
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鉄橋を渡りきってもだれもいないあの町もこの町も無人
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 世界の終わり、人類の滅亡、といったおおごとではなく、ごく局所的な風景を詠んだ作品にも、それとなく終末感が漂っているような気がします。


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カーブミラーの代わりに無数の蝋燭が立つだれも通らぬ崖沿いの道
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水の中の階段何も動かない水だけが静かに充ちている場所
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 自身の人生を自嘲的に詠んだ作品は、苦いユーモアがほどよくきいていてスパイシー。


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この地球という星に生まれてベビースターラーメンを一袋買う
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おいしい唐揚げもいかがですかと問われて全体重をかけて「いらない」と答える
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回転寿司の二番目の皿を間違えつづけてきた人生のささやかな終わり
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鹿くれば鹿にえさやり猫くれば猫にえさやる人生なりき
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 個人的には、奇妙な、SF的な光景を詠んだ作品、ありがちな言葉の文脈をはずして笑わせるような作品、そういったものにも惹かれます。


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見るな きみのうしろを全速力で飛び去っていくあのバーコードの群れを
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どんなにこわれていても大丈夫ですと廃人回収車が巡回する町
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火星にも土星にもおれ もしくはおれに似たのっぺらぼうの何か
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赤い屋根につづくはるかな道 眼圧測定器の中の
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なかったことにしてくれと言われてなかったことにしてあげる夏の光
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おはなしはぜんぶ終わったからたぬきのたの字を抜いてください
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 そして、短歌というもの、あるいは短歌を詠むという行為、それについて詠んだメタ短歌。


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短歌を一首忘れてしまった 永遠に閉ざされてしまうささやかな世界の入口
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短歌から遠く離れてふりかぶるバックネット直撃の球
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べたべたとまとわりつくわたくしを斬りつくしてこんなにも晴れやかなわたしの短歌
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落丁だらけのおれの人生の歌集を読めるものなら読んでみやがれ
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だれが詠むか家族人生政治などおれの言葉は無の断片だ
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断片以前の言葉の波の間に浮かんで消える純粋短歌
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 最後に、『猫俳句パラダイス』の著者らしい素敵な猫短歌を一首あげておきましょう。


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いまはまだ何も始まっていないからさんかくの耳もつものをいだいて眠る
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『SFマガジン2017年8月号 スペースオペラ&ミリタリーSF特集』 [読書(SF)]

 隔月刊SFマガジン2017年8月号の特集は「スペースオペラ&ミリタリーSF」でした。また、早瀬耕さんと谷甲州さんの連作シリーズ最新作、さらにラファティの短篇が掲載されました。


『プラネタリウムの外側』(早瀬耕)
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コンピュータがどんなに進化しても、死者と死の瞬間の経験を語り合うことはできないだろう。
 それを頭で理解していても、私が知りたいのは、そのときの彼の気持ちだ。(中略)
そして、私が作らなくてはならないBOTは、「死」の直前を知るためのシミュレーションだった。
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SFマガジン2017年8月号p.69、74

 今は亡き恋人は、死の直前に何を考えたのか。それを確かめるべく、有機素子コンピュータ上でシミュレートされた恋人との会話を繰り返す語り手。だが次第に有機素子板の中と外の区別が曖昧になってゆき……。

 SFマガジン2016年2月号に掲載された『有機素子板の中』、SFマガジン2016年6月号に掲載された『月の合わせ鏡』、に続く連作シリーズ第三弾。『有機素子板の中』と同じく、出会い系チャットサービスのインフラ(会話BOT)を使って意識というものの在り方を探ります。


『亡霊艦隊』(谷甲州)
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 一時は再建不可能とまで報じられていた航空宇宙軍内宇宙艦隊は、急速修理によって続々と戦列に復帰する動きをみせていた。おそらく一ヶ月もしないうちに、航空宇宙軍は戦力を回復するだろう。(中略)外惑星連合側も、手をこまねいていたわけではない。航空宇宙軍の艦隊再建が完結しないうちに、拙速で作戦を開始していた。
――――
SFマガジン2017年8月号p.220

 第2次外惑星動乱。開戦劈頭の奇襲攻撃により大きな戦果をあげた外惑星連合軍。だが、航空宇宙軍は急速に戦力を回復させつつあった。慢性的な人員不足に苦しむ外惑星連合軍は、一気に趨勢を決めるべく保有する全戦闘艦艇を投入した作戦を開始する。新・航空宇宙軍史シリーズ最新作。


『《偉大な日》明ける』(R・A・ラファティ、伊藤典夫:翻訳)
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 メルキゼデク・ダフィー、書店主、美術商、質店主、そして時には街の名士は、心を決めかねて立ち尽くした。きょうが《偉大な日》なのか彼には確信がなく、仮にそうだとしても、自分が気に入っているかどうか確信はないのだった。
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SFマガジン2017年8月号p.318

 ついにやってきた《偉大な日》。信仰さえあれば実質など不要。コーヒーだってカップなしに飲めるのだ。すべての人々はひとつに溶け合い、内面化する。すばらしい…夢のようだ…新しい世界が来る…ユートピアが…。あー、それって自分が書いた風刺コラムの皮肉だったのに、本当に《偉大な日》が明けちゃうなんて、どうすりゃいいんだ。問答無用のラファティ。


タグ:SFマガジン
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『ペトルーシュカ』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

 2017年05月12日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんによる新作公演を鑑賞しました。上演時間60分の作品です。

 最初から最後までとにかく勅使川原三郎さんの人形振りがすさまじく、表情も含めて鬼気せまるものがありました。びびった。

 薄暗い照明の下、影となってたたずむ人形の姿はホラーというか怪談。糸で釣られて操られている人形のぎこちない動きが始まります。やがて本当に糸で釣られているように手足がふらふらと頼りなく動き、ポーズ固定のまま全身が床をすすーっと滑ってゆく(ようにしか見えない)様子に驚かされます。背筋が凍ります。

 しかし、人形に心が宿ってくるにつれて、動きが次第に自発的なものになってゆくのがありありと。同時に、心があることでとてつもない苦悩が生まれてくる。苦しい、苦しい。その苦悶と絶望の表現が凄絶で、思わず息を飲みます。壁に身体を打ちつけたり、床を踏みならしたりするシーンでは、どんっ、という音と振動に、こちらも心臓ばくばく。

 さらに表情による演技が際立っていて、たくみな照明とあいまって、苦悶、絶望、悲哀、ときに邪悪な表情を見せてくれます。

 そもそも照明はいつも凄いのですが、今作では特に細かく素早く照明が変化し、舞台の印象も刻一刻と変わってゆきます。衣装の色も様々に変化し、ときどき血に染まったように見えて戦慄を覚えたり。

 自らの心を持てあまし、のたうちまわるようなペトルーシュカの葛藤とは対照的に、佐東利穂子さんが踊るバレリーナ人形はクールで冷淡。心がなく、ただ綺麗に踊っているだけ、に見えます。まだ他人に対する同情心が芽生えていない幼い女の子に見える、というのが凄い。

 希望と絶望、苦悩と諦念をいったりきたりしながら苦しみ続けるペトルーシュカの姿に胸がつぶれるような感情に襲われます。これは私の苦しみ、これは私の悲しみ、と誰もが共感するのではないでしょうか。


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『バッタを倒しにアフリカへ』(前野ウルド浩太郎) [読書(随筆)]

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現在の日本ではほとんどバッタの被害がないため、バッタ研究の必要性は低く、バッタ関係の就職先を見つけることは至難の業もいいところだ。「日本がバッタの大群に襲われればいいのに」と黒い祈りを捧げてみても、「バッタの大群、現ル」の一報は飛び込んできやしない。途方に暮れて遠くを眺めたその目には、世界事情が飛び込んできた。アフリカではバッタが大発生して農作物を食い荒らし、深刻な飢饉を引き起こしている。
(中略)
 本書は、人類を救うため、そして、自身の夢を叶えるために、若い博士が単身サハラ砂漠に乗り込み、バッタと大人の事情を相手に繰り広げた死闘の日々を綴った一冊である。
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新書版p.5


 地平線の彼方まで空を真っ黒に染め、サハラ砂漠を埋めつくすバッタの大群。その前に全身緑色のタイツを着た男がすっくと立ちはだかり、叫ぶ。
「さぁ、むさぼり喰うがよい」
 バッタに食べられたい。その夢を追ってサハラ砂漠へと向かった著者は、果たして夢を叶え、ついでに人類を救うことが出来るのか。バッタの群れ、そして大人の事情と闘い続ける昆虫学者による奮闘記。単行本(光文社)出版は2017年5月、Kindle版配信は2017年5月です。


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 1000万人の群衆の中から、この本の著者を簡単に見つけ出す方法がある。まずは、空が真っ黒になるほどのバッタの大群を、人々に向けて飛ばしていただきたい。人々はさぞかし血相を変えて逃げ出すことだろう。その狂乱の中、逃げ惑う人々の反対方向へと一人駆けていく、やけに興奮している全身緑色の男が著者である。(中略)自主的にバッタの群れに突撃したがるのは、自暴自棄になったからではない。

 子供の頃からの夢「バッタに食べられたい」を叶えるためなのだ。(中略)

 虫を愛し、虫に愛される昆虫学者になりたかった。それ以来、緑色の服を着てバッタの群れに飛び込み、全身でバッタと愛を語り合うのが夢になった。
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新書版p.3、4、6


 全身緑色のタイツを着てバッタの大群の前に立つ男。インパクト絶大な裏表紙写真と「その者 緑の衣を纏いて、砂の大地に降り立つべし……」というキャッチーすぎるアオリのせいで、いったい何の本なんだろうと困惑させられますが、これはサハラ砂漠でバッタの研究に取り組んだ昆虫学者による随筆・旅行記です。

 そもそもなぜアフリカまで行ってバッタの研究をするのか。そこには人類を救うという大義名分があるのでした。


――――
私が研究しているサバクトビバッタは、アフリカの半砂漠地帯に生息し、しばしば大発生して農業に甚大な被害を及ぼす。その被害は聖書やコーランにも記され、ひとたび大発生すると、数百億匹が群れ、天地を覆いつくし、東京都くらいの広さの土地がすっぽりとバッタに覆い尽くされる。農作物のみならず緑という緑を食い尽くし、成虫は風に乗ると一日に100Km以上移動するため、被害は一気に拡大する。地球上の陸地面積の20%がこのバッタの被害に遭い、年間の被害総額は西アフリカだけで400億円以上にも及び、アフリカの貧困に拍車をかける一因となっている。
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新書版p.112


 人類をバッタの被害から守りたい。そのために単身、西アフリカのモーリタニアに乗り込んでいった著者。だが現地の研究所に到着した彼を待っていたのは、決して歓迎ばかりではありませんでした。


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通常、外国人が研究所にやってくるときは、巨額の研究費を持参して研究所をサポートするか、少なくとも研究所の負担にならないようにしている。ところが私の場合、車をタダで借りたり、研究室まで準備してもらったりと逆に研究所に迷惑をかけていた。おまけにフランス語もしゃべれず、良いところはまるでなしだ。
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新書版p.78


 これでは冷遇されても仕方ないわけですが、そこで挫けない著者。研究所の所長に直訴するのです。


――――
「私はサバクトビバッタ研究に人生を捧げると決めました。私は実験室の研究者たちにリアルを届けたいのです。アフリカを救いたいのです。私がこうしてアフリカに来たのは、極めて自然なことなのです」
 自分の想いを伝えると、ババ所長はがっちりと両手で握手してきた。
「よく言った! コータローは若いのに物事が見えているな。さすがサムライの国の研究者だ。お前はモーリタニアン・サムライだ! 今日から、コータロー・ウルド・マエノを名乗るがよい!」
 思いがけず名前を授かることになった。
 この「ウルド(Ould)とは、モーリタニアで最高に敬意を払われるミドルネームで、「○○の子孫」という意味がある。(中略)
 かくして、ウルドを名乗る日本人バッタ博士が誕生し、バッタ研究の歴史が大きく動こうとしていた。
――――
新書版p.82


 感動癖があるのか、単にノリがいいのか、適当に人をあしらうのが巧いのか、とにかくキャラが立ちまくった所長。他にも、がめついのに愛嬌があって憎めない運転手など、印象的な人物が登場しては著者を助けてくれます。

 捨て身で恩を売りまくり、損を引くのをためらわずお人好しの評判をとれば、困ったときに皆が助けてくれるんだなあ、少なくともイスラム圏では、ということがよく分かります。

 しかし、そんな奮闘努力にも関わらず、著者の前途には最大の危機が迫ります。


――――
 2011年、モーリタニアは国家存続の危機に直面していた。雨がまったく降らないのだ。皆が口をそろえ、こんなに雨が降らないのは初めてだと言う。皆の不安は恐怖へと変わっていった。モーリタニアが60年前に独立して以来、建国史上もっともひどい大干ばつになった。
(中略)
 その頃、私は苦境に立たされていた。私に許されたモーリタニア滞在期間は2年間。この間に得られるであろう成果に、昆虫学者への道、すなわち就職を賭けていた。ところが、なんということでしょう。60年に一度のレベルの大干ばつが、どストライクで起こり、モーリタニア全土からバッタが消えてしまった。私はアフリカに何をしに来たのだろうか。私の記憶が確かならば、野生のバッタを観察しに来たはずだ。我ながらなんと気の毒な男だろうか。
――――
新書版p.189、190


――――
大発生すると評判のバッタが不在になるなんて、一体何しにアフリカにやってきたのか。いま途方に暮れずに、いつ途方に暮れろというのだ。
 バッタを失い、自分がいかにバッタに依存して生きてきたのかを痛感していた。自分からバッタをとったら何が残るのだろう。私の研究者としての魅力は、もしかしたら何もないのではないか。バッタがいなければ何もできない。まるで翼の折れたエンジェルくらい役立たずではないか。
――――
新書版p.166


 国家存亡の危機はともかく、就職できないポスドクという大問題を抱え、あちこち駆け回っては「私が人類にとってのラストチャンスになるかもしれないのです」(新書版p.263)と吹聴するなど、予算獲得のために涙ぐましい努力を続ける著者。


――――
 自分の中で、無収入は今や武器になっていた。無収入の博士は、世の中にはたくさん存在する。だが、無収入になってまでアフリカに残って研究しようとする博士が、一体何人いるだろうか。無収入は、研究に賭ける情熱と本気さを相手に訴える最強の武器に化けていた。
――――
新書版p.298


――――
 思えばこの一年で、私はずいぶん変わった。無収入を通じ、貧しさの痛みを知った。つらいときに手を差し伸べてくれる人の優しさを知った。そして、本気でバッタ研究に人生を捧げようとする自分の本音を知った。バッタを研究したいという想いは、苦境の中でもぶれることはなかった。
 もう迷うことはない。バッタの研究をしていこう。研究ができるということは、こんなにも幸せなことだったのか。研究するのが当たり前になっていたが、失いそうになって、初めて幸せなことだと気づいた。無収入になる前よりも、もっともっと研究が好きになっていた。
――――
新書版p.318


 神への祈りが通じたのか、ついにサバクトビバッタが大発生。真っ黒に覆われる空。モーリタニアの首都にバッタの大群が迫る。狂喜乱舞して群れの先頭を目指してひた走る著者。

「私の人生の全ては、この決戦のためにあったのだ」(新書版p.342)

 今こそ全身緑色のタイツを装着してバッタの大群の前に立ちはだかり、両手を広げて叫ぶときだ。

「さあ、むさぼり喰うがよい」

 というわけで、目に余る夢と情熱を持って研究に取り組む昆虫学者の姿をリアルに描き、読者に勇気と脱力を与えてくれる好著。ちなみにバッタの生態や研究内容についてはほとんどまったく触れられていませんので、昆虫テーマのサイエンス本を期待して読むと失望します。



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