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『ネコは言っている、ここで死ぬ定めではないと』(春日武彦、穂村弘、ニコ・ニコルソン:イラスト) [読書(随筆)]

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穂村
 そういえば、街角のキリスト教系の看板に「神は言っている、ここで死ぬ定めではないと」って言葉があるらしいのね。経緯はわからないけど、それがゲームの台詞とかTシャツの文言になったりして、ある種のパロディのようにひろまってるんだって。その流れで、「神」という字の一部分がかすれて「ネコ」になっていた、みたいな面白画像も目にしたよ。

春日
 「ネコは言っている、ここで死ぬ定めではないと」か。一見すると、パチンコ屋のネオンサインが1文字切れて、まったく違う意味になってしまった系の笑い話だけど、今の俺たちには、ちょっとした啓示の言葉のように響かなくもないね。
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単行本p.239


 精神科医と歌人が様々な観点から「死」について語り合った対談集。単行本(イースト・プレス)出版は2021年7月です。


〔目次〕

序章 俺たちはどう死ぬのか?
第1章 俺たちは死をどのように経験するのか?
第2章 俺たちは「死に方」に何を見るのか?
第3章 俺たちは「自殺」に何を見るのか?
第4章 俺たちは死を前に後悔するのか?
第5章 俺たちは死にどう備えるのか?
第6章 俺たちは「晩節」を汚すのか?
第7章 俺たちは「変化」を恐れずに死ねるのか?
第8章 俺たちは死を前に「わだかまり」から逃げられるのか?
第9章 俺たちは「死後の世界」に何を見るのか?
第10章 俺たちにとって死は「救い」になるのか?
第11章 俺たちは「他人の死」に何を見るのか?
第12章 俺たちは「動物の死」に何を見るのか?
第13章 俺たちは一生の大半を費やすことになる「仕事」に何を見るか?
第14章 俺たちは、死にどんな「幸福」の形を見るか?




 テーマは重いのですが、あまり深刻な会話にはなりません。両名とも自分の得意ネタを駆使して読者を面白がらせようとしてくれます。例えば、穂村さんの発言は次のようなもの。


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穂村
 うーん……僕は家でどら焼きとか食べながらコーヒー飲んで、諸星大二郎とか読んでるような生活ができるなら、それでいいかな(笑)。別にダイヤモンド要らない。でも前に、そうしたマインドを作家の友だちに怒られたことがあるよ。「世界には飢えている人もいれば、性的少数者として苦しんでいる人もいる。そういう現実がある中で、諸星大二郎読んでどら焼き食ってれば自分はいいんです、って言っちゃう人は物書きとしてダメ」って(苦笑)。自分はここでちまちま遊んでいられれば、それ以上は望みません――みたいなのは、やっぱりダメなのかな?
――――
単行本p.228


――――
穂村
 僕が嫌だと思う死に方は苦しいの全般なんだけど、そうじゃない死に方ってないのかな? 例えば、猫が可愛すぎて死んじゃうとか、そういうメカニズムはないのかしら。「可愛い!」という気持ちがある一定量を超えて、幸せのまま死に至る、みたいなの。それなら僕も「まあいっか」と思えそうなんだけど。
――――
単行本p.50


 春日さんの発言はこんな感じ。


――――
 例えば、ホテイのやきとりの缶詰があるじゃない? あれ、今は違うんだけど、昔は缶にプラスチックのキャップが掛かってて、そこに爪楊枝が2本入ってたんだよね。つまり今ここにあったら、穂村さんと俺とであれを順ぐりにつまみながらカップ酒かなんかを飲むわけ。そういう情景を具体的にイメージさせるところに、すごく感動する。1本じゃなくて2本ある爪楊枝に、いわば人間の善なるものを感じて嬉しくなるの。そういうものの方が、俺にとっては宝くじが当たった! とかより遥かに重要なの。
――――
単行本p.231


――――
春日
 産婦人科に勤めていた頃、当直してたら、急に具合が悪くなったという飛び込みの患者があって。急いで病室を用意したんだけど、そしたら突然ベッドのまわりをぐるぐる回り出してさ。とりあえず横にならせたんだけど、その後、突然鬼瓦みたいな、まるで映画『エクソシスト』(1973年)のリンダ・ブレアみたいな凄まじい表情になって、同時にうんち漏らして死んでた。
――――
単行本p.51


 こういう二人が、こういう風に盛り上がるわけです。


――――
春日
 本当は生きているうちに苦痛の原因が取り除かれたり、「負の呪縛」から逃れられたらいいんだけど、仮に問題が魔法のように解消されたとしても、面倒なことに「そんなわけがない、これは例外だ」とかも思いそうな気がするんだよね。

穂村
 ああ、にわかに信じがたい、と。

春日
 そうそう。「おかしい、罠だ!」って。

穂村
 「俺を油断させといて、何をする気なんだ!?」と思ってしまうわけね。じゃあさ、先生の本がベストセラーになって、本屋の棚一つが丸っと自著で埋まるようなことがあっても喜べない?

春日
 うん、相当に悪辣な策略が仕掛けられていると思うだろうな。

穂村
 俺をベストセラー作家にしようとする陰謀が! みたいな(笑)。

春日
 で、俺が「サインでもしましょうか」と出てきたら、上からバケツに入った豚の血が降ってくる(笑)。
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単行本p.161





タグ:穂村弘
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『ベンチの足(考えの整頓)』(佐藤雅彦) [読書(随筆)]

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 私は、映像や書物などで表現活動を長い間行ってきた。
 そのほとんどは、視聴者や読者に、ある表現を提示し、それによって、新しいものの見方や考え方を獲得してもらうという意図を持っている。
 例えば、私がこの10年間作ってきたピタゴラスイッチという幼児教育番組がある。この番組の理念は、「考え方を伝える」というもので、従来の教育番組が知識伝達を重視していたのに対して、「考え方を伝える」ことを主眼にしたものである。(中略)それは別の言い方をすると次のようになる。
『ある考えやものの見方を見つけると、それまで繋がっていなかった事が繋がる。そして、それが達成されたあかつきには、面白さを覚えたり、時として衝撃さえ生まれる』
 そして、私は、その時の「面白さ」「衝撃」こそ人間的であると考えている。(中略)
 このように、それまで繋がっていなかったものが繋がった時、頭の中に、強いショックが走る。歴史的な発見・発明には、発見者の中に、そのショックが必ずあったはずである。さらに、それが生まれた後には、新しい神経の繋がりを持った新しい脳により、世界もまた新たに解釈され始めるのである。私は、大小を問わず、新しい脳の中の繋がりを生むための表現を求めて、昼夜、もがいているとも言えるのである。
――――
単行本p.90、91、92


 だんご三兄弟、ピタゴラスイッチ、Eテレ0655/2355、考えるカラス、などを生んだ佐藤雅彦さんが「暮しの手帖」に連載しているエッセイから選んで再配置した一冊。単行本(暮しの手帖社)出版は2021年3月です。

 数学的ロジックや思考方法などを子どもに教える教育番組を観ていても、佐藤雅彦さんがからんでいると必ず驚きのある印象的な伝え方や、主旨は分かるけどなんでそれを選んだと言いたくなるような変な表現が出てきて、ちょっと忘れがたいものがあります。本書でもそのあたりの狙いが詳しく書かれていて、なるほどと思いました。


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 私は、これまで、文章を書く時や番組を作る時には、できるだけみんなが分かるように解釈を伝えようと心がけてきた。説明こそが自分がとるべき姿勢だと思っていた節もある。
 自分がやっていることはアートではなく「説明」、言い換えれば思考の整理整頓だと言いきかせてきた。それ故、不明で曖昧な要素が入っている「妙さ」に対しては、避けようとする嫌いがあった。だから、何故か、知らない間にすっと自分の表現に入ってきてしまう「妙」の要素に対して、見て見ぬふりをしてきた。(中略)
 そう、解釈には、まず魅了されることが必要だったのである。惹きつけられるから、解釈する気持ちも自然と湧き起こるのである。
 読者や鑑賞者が求めているのは「準備された説明」ではなく、それを自分で見つけたくなるほどの「妙」であったのである。そして、それは、作者にとっても、書いたり撮影したりという大変なことを乗り越えるだけの動機を与えてくれるものでもあるのだった。
――――
単行本p.266、267


 こういう作品や番組の裏話めいたもの以外にも、うまく位置づけられない「妙」な感覚や出来事がいっぱい詰まっていて、どれも驚きがあります。著者自身が本書に登場する話題を紹介している部分を引用してみます。


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夜中の散歩中に偶然見かけた妙に背の高いベンチと妙に大きい足。
電車で隣の小学生が思わず漏らした妙な言葉。
愛用のボールペンがインクの切れ際に書かせた言葉の畏さ。
金属の巻き尺が持っていたルーズさに対しての勝手な憐れみ。
新品のおもちゃを友だちがこぞって壊しだす時に感じた新種の責任感。
板場の女性が実の息子に目をそらされた時、必死に何かに掴まろうと空をもがく腕。
名優の言葉に対して、正直者の漁師たちが示した全員否定の妙。

 このように並べると、筆の重い自分をして、毎回、文章を書かせてくれたのは、沢山の「妙」に他ならないことが分かる。
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単行本p.262


 えっ何それどういうこと?
 と思った方はぜひ本書をお読みください。たくさんの「妙」とロジカルな「理解」のあいだを巧みにつなぐ文章にきっと感動します。





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『あの人と短歌』(穂村弘) [読書(随筆)]

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 おかげで作家、詩人、俳人、漫画家、モデル、翻訳家、ブックデザイナー、ミュージシャンなど、さまざまなジャンルで活躍中の方々に出会うことができた。現代の短歌について、近代の詩歌について、万葉集について、うた合わせについて、昭和天皇の御製について、それぞれの方の視点からお話が伺えて嬉しかった。本書のどの頁からでも開いて貰えれば、その魅力をわかっていただけると思う。「短歌は面白いですよ」といくら口で云っても信じる人はいないだろう。本当に面白がっている人がいるということ、その人がこんなにも魅力的だということ、それだけが証になり得るのだ。
――――
「あとがき」より


 作家やミュージシャンなど様々なゲストと歌人の穂村弘さんが短歌をテーマに語りあった対談集。単行本(NHK出版)出版は2020年12月、Kindle版配信は2020年12月です。


〈対談相手〉

北村薫(作家)
酒井順子(エッセイスト)
三浦しをん(作家)
清家雪子(漫画家)
高原英理(小説家)
知花くらら(モデル・女優)
金原瑞人(翻訳家)
文月悠光(詩人)
鳥居(歌人)
朝吹真理子(小説家)
小澤實(俳人)
保阪正康(ノンフィクション作家)
里中満智子(マンガ家)
吉澤嘉代子(シンガーソングライター)
名久井直子(ブックデザイナー)
俵万智(歌人)




 短歌の内容には作者の実体験が反映されてなければいけないのか。
 短歌の題材に流行というのはどのくらいあるのか。
 文語や韻文の要素が廃れてきているのはなぜか。
 詠われないテーマはあるか。あるなら、なぜか。
 究極の一首、が存在するか。あるいは存在すると信じているか。


 さすが『NHK短歌』の連載をまとめたものだけあって、短歌に関して素人が疑問に思うことが話題となります。必ずしも明快な答えが語られるとは限りませんが、やっぱり歌人もいろいろと悩み、考え、迷っているのだな、と分かって距離が少し縮まるように感じられます。


 穂村弘さんの話題の持ち出し方も巧み。こんな感じでリードしてゆきます。


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穂村
 せっかく読むなら、抑制が効いているものより、恥ずかしいことを書いているものを読みたいですよね。与謝野晶子や若山牧水を見よ! ですよ。近代歌人の「我に返らなさ」加減は本当にすごいですから。
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単行本p.43


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穂村
 短歌には、そういう盲点がけっこうあるんです。例えば「夕暮れの厨(台所)でほのかな性欲がきざした」といった歌はよくありますが、なぜか時間は必ず「夕暮れ」で、場所は「厨」で、かつ性欲は「ほのか」だったりする。「真夜中の寝室で激しい性欲が湧いた」という歌は、おそらく一首もありません。
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単行本p.50


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穂村
 一字一句、少しも動いてはいけないというのは、韻文家の感覚ですね。唯一無二の正解がある、という感受性もしくは強迫観念。それこそが、短歌のイデア(本質)だと言えると思います。
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単行本p.115


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穂村
 つまり、ある運命が、自分に本当に言いたいことを言わせない状況です。そうした「言いたいことを言えない」「けれども言わねばならない」という二重性が、優れた強度のある詩歌を生むという側面は絶対にある。
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単行本p.139


 ときには穂村さんから挑発したり。


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穂村
 詩の場合は、どうやって良し悪しを決めるんですか? そもそも他人の詩って、読んで「わかる」ものなんですか?
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単行本p.125


 むろんゲストから煽られることの方が多いわけです。


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酒井
 穂村さんによる短歌鑑賞の本はすごく論理的です。カマトトなのに、こんなにすごいことを考えているなんて! という驚きがありました。
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単行本p.30


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金原
 最近、学生に「穂村弘を知ってる?」と聞くと、「あのエッセイストの」って答えるんですよ。そんな状況を打破すべく、早く次の歌集を出してください。
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単行本p.116





タグ:穂村弘
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『図書館の外は嵐 穂村弘の読書日記』(穂村弘) [読書(随筆)]

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カーテンの向こうは、激しい雨と稲妻。
でも、平気。
だって、私はここにいる。
体は暖かい図書館に。
心は本の中の世界に。
ここからはもう出られないんだ。
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単行本p.187


 『これから泳ぎにいきませんか』『きっとあの人は眠っているんだよ』に続く穂村弘さんの読書日記。単行本(文藝春秋)出版は2021年1月、Kindle版配信は2021年1月です。

 ちなみに前作の紹介はこちら。

2018年02月27日の日記
『きっとあの人は眠っているんだよ 穂村弘の読書日記』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-02-27

2018年02月22日の日記
『これから泳ぎにいきませんか 穂村弘の書評集』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-02-22


 今作でも、本の紹介の「前ふり」としてちょっとつぶやいたような言葉が印象に残ります。こんな感じです。


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 小説の中に、中心となる語り手以外の人物の手記とか手紙とかノートが出てくると奇妙な興奮を覚えるのはどうしてだろう。語りの主体が入れ替わると、一人の目を通して見えていたそれまでの世界の風景ががらっと変わる。今まで信じていたことが次々に覆される。それがスリリングなのだ。
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単行本p.16


――――
 一人の人間が裡に秘めた独自の価値観が、結果として反社会的と見なされるような特殊な犯罪にときめく。
――――
単行本p.32


――――
 その人に関するすべてが「いい感じ」に作家がいる。それは好きな作家というのとも微妙に違っている。
 本のタイトル、文体、装丁、名前、外国文学の場合は訳文や訳者の名前に至るまで、原因不明の「いい感じ」に包まれていて、本屋で本を見かけるとつい買ってしまう。好きな作家の場合は買ったら当然読むだろう。でも、「いい感じ」の作家はそうとは限らない。読まなくてもいいからその魂に触れたい、という奇妙な欲望がある。
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単行本p.48


――――
 ひと夏の物語が好きだ。子どもたちが、大人には見えない不思議な世界をくぐり抜ける冒険をする。そして、季節の終わりとともに、少しだけ、けれども決定的に以前とは変わった自分に気づく。そんな物語の系譜がある。
 どうしてか、その魔法の季節は夏と決まっているようだ。ひと春の物語やひと秋の物語やひと冬の物語というのは、あまり耳にしたことがない。
――――
単行本p.72


――――
 すごく面白い作品に出会うと、その本の世界からいったん顔を上げてきょろきょろする癖があるんだけど、あれって一体なんなんだろう。わざと寸止めして感動を引き延ばすためか、それとも本の衝撃によって現実世界の側に何か変化がないか確認しているのだろうか。
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単行本p.88


――――
 そうなのだ。「世界の手塚治虫」であり「世界の萩尾望都」かもしれないが、「世界の大島弓子」ではあり得ない。少なくとも大島弓子の読者の多くは、そんな風には感じていないと思う。彼らはただひたすら「私の大島弓子」と思い込むのだ。
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単行本p.156


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「クラムボン」は正体不明のままに何度も反復され、教科書に載り、バンド名となって、さまざまな人々を魅了してゆく。意味の呪縛から逃れられない言語表現にとって、それは音楽の境地にも近いような一つの理想像なのかもしれない。
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単行本p.183





タグ:穂村弘
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『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた<サピエンス納豆>』(高野秀行) [読書(随筆)]

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 バオバブでアフリカ納豆が作られている!?
 脳天を打たれたような衝撃だった。(中略)
 なんだか三十年前、初めてコンゴの謎の怪獣モケーレ・ムベムベのことを知ったときのような気持ちになった。ムベムベは現地の人のみならず調査に行ったアメリカ人の科学者までが目撃を報告していた。でもムベムベは体長が五~十メートルにも達すると言われる巨大生物だという。もし実在するなら、もっと多くの人の目に留まっているはずだし、とっくに発見されているはずだという反論ももっともだった。
 私はムベムベの存在をむやみに信じていたわけではなく(もちろん自分が「発見」できたら理想的ではあったが)、むしろ「本当のことを知りたい」と思ってコンゴの密林へ出かけたのだ。
 バオバブ納豆はそのときの感覚を思い出させる。
――――
単行本p.230、231


「納豆は私が思っているより、もっと広く深く、この世界を支配しているようなのだ」(「プロローグ」より)


 アジア納豆を取材した著者が次に目をつけたのは、アフリカ納豆だった。アフリカ大陸に世界一の納豆大国がある? ハイビスカスやバオバブから納豆を作っている? さらには韓国では立入禁止の南北軍事境界線DMZ内で納豆のもとを栽培している? 次々と集まってくる怪情報に奮い立つ著者。そして納豆取材から見えてきた驚くべきビジョン。失われた納豆超大陸、そして超古代納豆文明の存在。単行本(新潮社)出版は2020年8月、Kindle版配信は2020年9月です。


 タイトルからも分かる通り、『幻獣ムベンベを追え』と『謎のアジア納豆』の続編的な一冊です。未知の納豆を求めてアフリカ大陸に向かう著者。その先に待ち構えているものとは!(いや納豆ですが)。


2008年01月16日の日記
『幻獣ムベンベを追え』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2008-01-16

2016年08月30日の日記
『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2016-08-30


――――
 アフリカにおける納豆は他のどこよりも秘密のベールに閉ざされている。まずアフリカ納豆(仮)の日本語での情報は乏しい。一つには西アフリカが日本人にとってあまりにも遠く、日本語の情報が全般的にひじょうに少ないこと。(中略)
 やはりこれは一度自分で現地へ行かねば始まらないと思う。ただ、そこにはまた別の大きな障害があった。
「アフリカ納豆(仮)」のエリアは、なぜかイスラム過激派が活性化している地域と重なっているのだ。
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単行本p.15、16


〔目次〕

第1章 謎のアフリカ納豆
 カノ/ナイジェリア
第2章 アフリカ美食大国の納豆
 ジガンショール/セネガル
第3章 韓国のカオス納豆チョングッチャン/DMZ(非武装地帯)篇
 パジュ/韓国
第4章 韓国のカオス納豆チョングッチャン/隠れキリシタン篇
 スンチャン郡~ワンジュ郡/韓国
第5章 アフリカ納豆炊き込み飯
 ワガドゥグ~コムシルガ/ブルキナファソ
第6章 キャバレーでシャンパンとハイビスカス納豆
 バム県/ブルキナファソ
第7章 幻のバオバブ納豆を追え
 ガンズルグ県/ブルキナファソ
第8章 納豆菌ワールドカップ
 東京都新宿区
第9章 納豆の正体とは何か
エピローグ そして現れたサピエンス納豆




第1章 謎のアフリカ納豆
第2章 アフリカ美食大国の納豆
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 なんと! セネガルはナイジェリアから優に三千キロ離れている西アフリカの西の端。そんな土地でアフリカ納豆(仮)が食されていることも驚きだったが、名前がネテトウ?
 日本語そっくりじゃないか。納豆の語源はセネガルだったのか!!
 ……まあ、そんなわけはないと思うが、迷ったら面白そうな方向に進むのが私の流儀だ。
 かくして、私たちアフリカ納豆探検隊はナイジェリア取材のあと、「納豆」の類似商品じみた謎の「ネテトウ」の正体を突き止めるべく、セネガルの首都ダカールへ飛んだ。
――――
単行本p.61

 パルキア豆を使ったアフリカ納豆、ナイジェリアの“ダワダワ”やセネガルの“ネテトウ”を取材した著者は、アフリカにおける納豆文化の豊かさに驚く。というより質・量ともにアジアを抜いてアフリカこそが世界納豆文化の頂点にあることを発見する。


第3章 韓国のカオス納豆チョングッチャン/DMZ(非武装地帯)篇
第4章 韓国のカオス納豆チョングッチャン/隠れキリシタン篇
――――
 日本では38度線といえば、北朝鮮軍と韓国軍がにらみ合い、とくに私が取材に行っていた2016~18年ごろは北朝鮮の核開発やミサイル実験などから、一触即発の危険地帯のように思われていた。私もそう思っていたのだが、いま韓国ではDMZ内で自然観光ツアーが催され、野生のカワウソやワシが見られるとか、「星がきれい」などと若い女子の間でも人気だという。「大自然が残された韓国最後の楽園」的なイメージらしい。そして、その大豆を使っているからこそ、パジュに韓国納豆汁の有名店が存在する……。
 なんという皮肉。なんという不可思議な現実。納豆を追っていくといつも不思議な場所にたどりついてしまうが、今回はまた特別である。
 しかし、DMZで農作業なんかしていいのだろうか。
――――
単行本p.121

 謎の納豆はアフリカ納豆だけではない。韓国における“チョングッチャン”は果たして日本の納豆と同じものなのか。取材のため僻地の隠れキリシタンの里から南北軍事境界DMZ(非武装地帯)までどんどん踏み込んでゆく。


第5章 アフリカ納豆炊き込み飯
第6章 キャバレーでシャンパンとハイビスカス納豆
第7章 幻のバオバブ納豆を追え
――――
「あ、納豆の匂いがする! する!」カメラを持ったまま、竹村先輩が大声をあげ、同時にアブドゥルさんも「コロゴ、コロゴ!」と騒ぎだした。
 置き去りにされた私が、今度は大量に土塊を口につっこんでみた。「おおっ!」
 噛んでいると懐かしい風味が少しずつ口の中に浸透してきて、飲み込むときにはわずかに開いた鼻孔から古く甘い香りがすっと抜けた。「納豆だ!」
「できちゃったよ」「できちゃいましたね」「いやあ、これでできちゃうのか」「できちゃうんですね」……。
 私たちは馬鹿のようにくり返した。
――――
単行本p.273

 舞台は再びアフリカへ。ブルキナで広く食されている“スンバラ”、さらにはハイビスカスやバオバブの種を使ったアフリカ納豆の噂を聞きつけて飛び回る著者。謎のバオバブ納豆なんてものが本当にあるのだろうか。


第8章 納豆菌ワールドカップ
第9章 納豆の正体とは何か
エピローグ そして現れたサピエンス納豆
――――
 現在こそ西アフリカが世界最大の納豆地帯だが、人類史上ずっとそうであったとはかぎらない。というより、私はかつてアジアに、超大陸パンゲア並の巨大な納豆の支配区が存在したと考えている。
 ミッシングリンクは漢民族エリアである。あまりにも広大なのでミッシングリンクに見えないが、かつては間違いなく納豆を食べていたはずだ。(中略)
 失われてしまったのは返す返すも残念だが、最近は中国でも北京、上海など都市部を中心に日本の納豆がブームだという。もしかすると、十年後、二十年後には漢民族もふつうに納豆を食べるようになり、ネパールから日本までつながるアジア納豆超大陸が復活するかもしれない。
 その過程で、世界納豆界の盟主の座をかけた、アジアとアフリカの最終戦争が起きる可能性がある。
 それはきっと眺めて楽しい、食べて美味しい、極めて平和的な激戦となるにちがいない。
――――
単行本p.340

 アフリカ納豆とアジア納豆から代表菌を選んで培養し、同じ条件で納豆にして試食し点数を競わせるという納豆菌ワールドカップを企画実行する著者。はたして優勝するのはどの納豆菌か。そしてその先に浮かび上がってくる納豆超大陸の姿、古代人にとって豆よりも先に納豆があったとする「サピエンス納豆仮説」。アフリカとアジアが、現代と古代が、すべてが納豆でつながり糸をひく壮大なビジョン。





タグ:高野秀行
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