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『あの人と短歌』(穂村弘) [読書(随筆)]

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 おかげで作家、詩人、俳人、漫画家、モデル、翻訳家、ブックデザイナー、ミュージシャンなど、さまざまなジャンルで活躍中の方々に出会うことができた。現代の短歌について、近代の詩歌について、万葉集について、うた合わせについて、昭和天皇の御製について、それぞれの方の視点からお話が伺えて嬉しかった。本書のどの頁からでも開いて貰えれば、その魅力をわかっていただけると思う。「短歌は面白いですよ」といくら口で云っても信じる人はいないだろう。本当に面白がっている人がいるということ、その人がこんなにも魅力的だということ、それだけが証になり得るのだ。
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「あとがき」より


 作家やミュージシャンなど様々なゲストと歌人の穂村弘さんが短歌をテーマに語りあった対談集。単行本(NHK出版)出版は2020年12月、Kindle版配信は2020年12月です。


〈対談相手〉

北村薫(作家)
酒井順子(エッセイスト)
三浦しをん(作家)
清家雪子(漫画家)
高原英理(小説家)
知花くらら(モデル・女優)
金原瑞人(翻訳家)
文月悠光(詩人)
鳥居(歌人)
朝吹真理子(小説家)
小澤實(俳人)
保阪正康(ノンフィクション作家)
里中満智子(マンガ家)
吉澤嘉代子(シンガーソングライター)
名久井直子(ブックデザイナー)
俵万智(歌人)




 短歌の内容には作者の実体験が反映されてなければいけないのか。
 短歌の題材に流行というのはどのくらいあるのか。
 文語や韻文の要素が廃れてきているのはなぜか。
 詠われないテーマはあるか。あるなら、なぜか。
 究極の一首、が存在するか。あるいは存在すると信じているか。


 さすが『NHK短歌』の連載をまとめたものだけあって、短歌に関して素人が疑問に思うことが話題となります。必ずしも明快な答えが語られるとは限りませんが、やっぱり歌人もいろいろと悩み、考え、迷っているのだな、と分かって距離が少し縮まるように感じられます。


 穂村弘さんの話題の持ち出し方も巧み。こんな感じでリードしてゆきます。


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穂村
 せっかく読むなら、抑制が効いているものより、恥ずかしいことを書いているものを読みたいですよね。与謝野晶子や若山牧水を見よ! ですよ。近代歌人の「我に返らなさ」加減は本当にすごいですから。
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単行本p.43


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穂村
 短歌には、そういう盲点がけっこうあるんです。例えば「夕暮れの厨(台所)でほのかな性欲がきざした」といった歌はよくありますが、なぜか時間は必ず「夕暮れ」で、場所は「厨」で、かつ性欲は「ほのか」だったりする。「真夜中の寝室で激しい性欲が湧いた」という歌は、おそらく一首もありません。
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単行本p.50


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穂村
 一字一句、少しも動いてはいけないというのは、韻文家の感覚ですね。唯一無二の正解がある、という感受性もしくは強迫観念。それこそが、短歌のイデア(本質)だと言えると思います。
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単行本p.115


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穂村
 つまり、ある運命が、自分に本当に言いたいことを言わせない状況です。そうした「言いたいことを言えない」「けれども言わねばならない」という二重性が、優れた強度のある詩歌を生むという側面は絶対にある。
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単行本p.139


 ときには穂村さんから挑発したり。


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穂村
 詩の場合は、どうやって良し悪しを決めるんですか? そもそも他人の詩って、読んで「わかる」ものなんですか?
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単行本p.125


 むろんゲストから煽られることの方が多いわけです。


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酒井
 穂村さんによる短歌鑑賞の本はすごく論理的です。カマトトなのに、こんなにすごいことを考えているなんて! という驚きがありました。
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単行本p.30


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金原
 最近、学生に「穂村弘を知ってる?」と聞くと、「あのエッセイストの」って答えるんですよ。そんな状況を打破すべく、早く次の歌集を出してください。
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単行本p.116





タグ:穂村弘
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『図書館の外は嵐 穂村弘の読書日記』(穂村弘) [読書(随筆)]

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カーテンの向こうは、激しい雨と稲妻。
でも、平気。
だって、私はここにいる。
体は暖かい図書館に。
心は本の中の世界に。
ここからはもう出られないんだ。
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単行本p.187


 『これから泳ぎにいきませんか』『きっとあの人は眠っているんだよ』に続く穂村弘さんの読書日記。単行本(文藝春秋)出版は2021年1月、Kindle版配信は2021年1月です。

 ちなみに前作の紹介はこちら。

2018年02月27日の日記
『きっとあの人は眠っているんだよ 穂村弘の読書日記』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-02-27

2018年02月22日の日記
『これから泳ぎにいきませんか 穂村弘の書評集』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-02-22


 今作でも、本の紹介の「前ふり」としてちょっとつぶやいたような言葉が印象に残ります。こんな感じです。


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 小説の中に、中心となる語り手以外の人物の手記とか手紙とかノートが出てくると奇妙な興奮を覚えるのはどうしてだろう。語りの主体が入れ替わると、一人の目を通して見えていたそれまでの世界の風景ががらっと変わる。今まで信じていたことが次々に覆される。それがスリリングなのだ。
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単行本p.16


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 一人の人間が裡に秘めた独自の価値観が、結果として反社会的と見なされるような特殊な犯罪にときめく。
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単行本p.32


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 その人に関するすべてが「いい感じ」に作家がいる。それは好きな作家というのとも微妙に違っている。
 本のタイトル、文体、装丁、名前、外国文学の場合は訳文や訳者の名前に至るまで、原因不明の「いい感じ」に包まれていて、本屋で本を見かけるとつい買ってしまう。好きな作家の場合は買ったら当然読むだろう。でも、「いい感じ」の作家はそうとは限らない。読まなくてもいいからその魂に触れたい、という奇妙な欲望がある。
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単行本p.48


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 ひと夏の物語が好きだ。子どもたちが、大人には見えない不思議な世界をくぐり抜ける冒険をする。そして、季節の終わりとともに、少しだけ、けれども決定的に以前とは変わった自分に気づく。そんな物語の系譜がある。
 どうしてか、その魔法の季節は夏と決まっているようだ。ひと春の物語やひと秋の物語やひと冬の物語というのは、あまり耳にしたことがない。
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単行本p.72


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 すごく面白い作品に出会うと、その本の世界からいったん顔を上げてきょろきょろする癖があるんだけど、あれって一体なんなんだろう。わざと寸止めして感動を引き延ばすためか、それとも本の衝撃によって現実世界の側に何か変化がないか確認しているのだろうか。
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単行本p.88


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 そうなのだ。「世界の手塚治虫」であり「世界の萩尾望都」かもしれないが、「世界の大島弓子」ではあり得ない。少なくとも大島弓子の読者の多くは、そんな風には感じていないと思う。彼らはただひたすら「私の大島弓子」と思い込むのだ。
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単行本p.156


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「クラムボン」は正体不明のままに何度も反復され、教科書に載り、バンド名となって、さまざまな人々を魅了してゆく。意味の呪縛から逃れられない言語表現にとって、それは音楽の境地にも近いような一つの理想像なのかもしれない。
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単行本p.183





タグ:穂村弘
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『幻のアフリカ納豆を追え! そして現れた<サピエンス納豆>』(高野秀行) [読書(随筆)]

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 バオバブでアフリカ納豆が作られている!?
 脳天を打たれたような衝撃だった。(中略)
 なんだか三十年前、初めてコンゴの謎の怪獣モケーレ・ムベムベのことを知ったときのような気持ちになった。ムベムベは現地の人のみならず調査に行ったアメリカ人の科学者までが目撃を報告していた。でもムベムベは体長が五~十メートルにも達すると言われる巨大生物だという。もし実在するなら、もっと多くの人の目に留まっているはずだし、とっくに発見されているはずだという反論ももっともだった。
 私はムベムベの存在をむやみに信じていたわけではなく(もちろん自分が「発見」できたら理想的ではあったが)、むしろ「本当のことを知りたい」と思ってコンゴの密林へ出かけたのだ。
 バオバブ納豆はそのときの感覚を思い出させる。
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単行本p.230、231


「納豆は私が思っているより、もっと広く深く、この世界を支配しているようなのだ」(「プロローグ」より)


 アジア納豆を取材した著者が次に目をつけたのは、アフリカ納豆だった。アフリカ大陸に世界一の納豆大国がある? ハイビスカスやバオバブから納豆を作っている? さらには韓国では立入禁止の南北軍事境界線DMZ内で納豆のもとを栽培している? 次々と集まってくる怪情報に奮い立つ著者。そして納豆取材から見えてきた驚くべきビジョン。失われた納豆超大陸、そして超古代納豆文明の存在。単行本(新潮社)出版は2020年8月、Kindle版配信は2020年9月です。


 タイトルからも分かる通り、『幻獣ムベンベを追え』と『謎のアジア納豆』の続編的な一冊です。未知の納豆を求めてアフリカ大陸に向かう著者。その先に待ち構えているものとは!(いや納豆ですが)。


2008年01月16日の日記
『幻獣ムベンベを追え』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2008-01-16

2016年08月30日の日記
『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2016-08-30


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 アフリカにおける納豆は他のどこよりも秘密のベールに閉ざされている。まずアフリカ納豆(仮)の日本語での情報は乏しい。一つには西アフリカが日本人にとってあまりにも遠く、日本語の情報が全般的にひじょうに少ないこと。(中略)
 やはりこれは一度自分で現地へ行かねば始まらないと思う。ただ、そこにはまた別の大きな障害があった。
「アフリカ納豆(仮)」のエリアは、なぜかイスラム過激派が活性化している地域と重なっているのだ。
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単行本p.15、16


〔目次〕

第1章 謎のアフリカ納豆
 カノ/ナイジェリア
第2章 アフリカ美食大国の納豆
 ジガンショール/セネガル
第3章 韓国のカオス納豆チョングッチャン/DMZ(非武装地帯)篇
 パジュ/韓国
第4章 韓国のカオス納豆チョングッチャン/隠れキリシタン篇
 スンチャン郡~ワンジュ郡/韓国
第5章 アフリカ納豆炊き込み飯
 ワガドゥグ~コムシルガ/ブルキナファソ
第6章 キャバレーでシャンパンとハイビスカス納豆
 バム県/ブルキナファソ
第7章 幻のバオバブ納豆を追え
 ガンズルグ県/ブルキナファソ
第8章 納豆菌ワールドカップ
 東京都新宿区
第9章 納豆の正体とは何か
エピローグ そして現れたサピエンス納豆




第1章 謎のアフリカ納豆
第2章 アフリカ美食大国の納豆
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 なんと! セネガルはナイジェリアから優に三千キロ離れている西アフリカの西の端。そんな土地でアフリカ納豆(仮)が食されていることも驚きだったが、名前がネテトウ?
 日本語そっくりじゃないか。納豆の語源はセネガルだったのか!!
 ……まあ、そんなわけはないと思うが、迷ったら面白そうな方向に進むのが私の流儀だ。
 かくして、私たちアフリカ納豆探検隊はナイジェリア取材のあと、「納豆」の類似商品じみた謎の「ネテトウ」の正体を突き止めるべく、セネガルの首都ダカールへ飛んだ。
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単行本p.61

 パルキア豆を使ったアフリカ納豆、ナイジェリアの“ダワダワ”やセネガルの“ネテトウ”を取材した著者は、アフリカにおける納豆文化の豊かさに驚く。というより質・量ともにアジアを抜いてアフリカこそが世界納豆文化の頂点にあることを発見する。


第3章 韓国のカオス納豆チョングッチャン/DMZ(非武装地帯)篇
第4章 韓国のカオス納豆チョングッチャン/隠れキリシタン篇
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 日本では38度線といえば、北朝鮮軍と韓国軍がにらみ合い、とくに私が取材に行っていた2016~18年ごろは北朝鮮の核開発やミサイル実験などから、一触即発の危険地帯のように思われていた。私もそう思っていたのだが、いま韓国ではDMZ内で自然観光ツアーが催され、野生のカワウソやワシが見られるとか、「星がきれい」などと若い女子の間でも人気だという。「大自然が残された韓国最後の楽園」的なイメージらしい。そして、その大豆を使っているからこそ、パジュに韓国納豆汁の有名店が存在する……。
 なんという皮肉。なんという不可思議な現実。納豆を追っていくといつも不思議な場所にたどりついてしまうが、今回はまた特別である。
 しかし、DMZで農作業なんかしていいのだろうか。
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単行本p.121

 謎の納豆はアフリカ納豆だけではない。韓国における“チョングッチャン”は果たして日本の納豆と同じものなのか。取材のため僻地の隠れキリシタンの里から南北軍事境界DMZ(非武装地帯)までどんどん踏み込んでゆく。


第5章 アフリカ納豆炊き込み飯
第6章 キャバレーでシャンパンとハイビスカス納豆
第7章 幻のバオバブ納豆を追え
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「あ、納豆の匂いがする! する!」カメラを持ったまま、竹村先輩が大声をあげ、同時にアブドゥルさんも「コロゴ、コロゴ!」と騒ぎだした。
 置き去りにされた私が、今度は大量に土塊を口につっこんでみた。「おおっ!」
 噛んでいると懐かしい風味が少しずつ口の中に浸透してきて、飲み込むときにはわずかに開いた鼻孔から古く甘い香りがすっと抜けた。「納豆だ!」
「できちゃったよ」「できちゃいましたね」「いやあ、これでできちゃうのか」「できちゃうんですね」……。
 私たちは馬鹿のようにくり返した。
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単行本p.273

 舞台は再びアフリカへ。ブルキナで広く食されている“スンバラ”、さらにはハイビスカスやバオバブの種を使ったアフリカ納豆の噂を聞きつけて飛び回る著者。謎のバオバブ納豆なんてものが本当にあるのだろうか。


第8章 納豆菌ワールドカップ
第9章 納豆の正体とは何か
エピローグ そして現れたサピエンス納豆
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 現在こそ西アフリカが世界最大の納豆地帯だが、人類史上ずっとそうであったとはかぎらない。というより、私はかつてアジアに、超大陸パンゲア並の巨大な納豆の支配区が存在したと考えている。
 ミッシングリンクは漢民族エリアである。あまりにも広大なのでミッシングリンクに見えないが、かつては間違いなく納豆を食べていたはずだ。(中略)
 失われてしまったのは返す返すも残念だが、最近は中国でも北京、上海など都市部を中心に日本の納豆がブームだという。もしかすると、十年後、二十年後には漢民族もふつうに納豆を食べるようになり、ネパールから日本までつながるアジア納豆超大陸が復活するかもしれない。
 その過程で、世界納豆界の盟主の座をかけた、アジアとアフリカの最終戦争が起きる可能性がある。
 それはきっと眺めて楽しい、食べて美味しい、極めて平和的な激戦となるにちがいない。
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単行本p.340

 アフリカ納豆とアジア納豆から代表菌を選んで培養し、同じ条件で納豆にして試食し点数を競わせるという納豆菌ワールドカップを企画実行する著者。はたして優勝するのはどの納豆菌か。そしてその先に浮かび上がってくる納豆超大陸の姿、古代人にとって豆よりも先に納豆があったとする「サピエンス納豆仮説」。アフリカとアジアが、現代と古代が、すべてが納豆でつながり糸をひく壮大なビジョン。





タグ:高野秀行
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『地下世界をめぐる冒険 闇に隠された人類史』(ウィル・ハント、棚橋志行:翻訳) [読書(随筆)]

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 祖先たちがそうだったように、私たちは常に、自分より偉大な何かに手を触れるため、秩序立った現実の向こうにたどり着きたいという静かな欲望によって地下へ引き寄せられる。(中略)この何年かで探検をともにした地下愛好家(カタフィル)や、私が敬服した歴史上の偉人たちは、形はさまざまでも超越を探求する人ばかりだった。暗帯(ダークゾーン)でバイオリズムと向き合ったミッシェル・シフレ。都市のはらわたの中で秘密の芸術作品(アートワーク)を創ったREVS。並行する次元へ掘り進もうとするかのように自宅の下に穴を掘ったウィリアム・リトル。地底に生命を探し求めようとしたジョン・クリーブス・シムズ。パリの不可視層を写真にとらえたナダール。都市の下の静かな暗闇で古代水路の通路を歩いたティーブ・ダンカン。彼らはみな神秘的な謎を探し、手近な現実の地平を超えた何かとの接触を求めて地下へ潜入した。
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単行本p.273、274


 ニューヨークの地下世界、パリの地下納骨堂、アボリジニの神聖な鉱山、カッパドキアの地下トンネル網、……。地下に魅せられた著者が、世界各地にある闇に閉ざされた秘密の地下世界へと向かう。地下世界の魅力と神秘を探求した驚異のノンフィクション。単行本(亜紀書房)出版は2020年9月、Kindle版配信は2020年10月です。


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 秋庭のように政府の陰謀こそ追求しなかったが、彼が東京で経験したのとおそらく同じようなことを、私はニューヨークに感じていた。熱に浮かされたように、地表に不信感を抱いた。目に見える表層的なものに対して懐疑的になった。どの歩道にも秘密の空洞が隠されていて、暗い階段の底にある扉はどれも隠された別の層へ続いているのだと、私は確信していた。(中略)
 結局、私は東京へ調査に赴くことはなかった。秋庭俊に会ったこともない。国会議事堂前のトンネルに目を凝らして、カーブの向こうに何が隠れているのかと考えたこともない。それどころか、彼の暮らす都市の街路の下に何があって、何がないか、私はほとんど知らない。秋庭俊は英雄的な真の探究者なのか、変人なのか、人々からまったく無視されているのかも知らない。しかし、旅と探検に身を投じるうち、私は行く先々で秋庭俊と同じような人たちに遭遇した。自分たちに見えないもの、目が届かないもの、探知できないものの虜になった人々だ。
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単行本p.8、9


〔目次〕

第1章 地下へ 隠されたニューヨーク
第2章 横断 パリの地下納骨堂
第3章 地球深部の微生物 NASAの野望
第4章 赤黄土を掘る鉱夫たち アボリジニの聖域
第5章 穴を掘る人々 もぐら男とカッパドキア
第6章 迷う 方向感覚の喪失が生む力
第7章 ピレネー山脈の野牛像 旧石器時代のルネサンス
第8章 暗闇 「創世記」の闇と意識変容
第9章 儀式 雨を求め地下に下りたマヤ人




第1章 地下へ 隠されたニューヨーク
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 十年以上にわたって、石質の地下墓地、廃棄された地下鉄駅、神聖な洞窟、核シェルターなどに出かけた。最初は自分の執着を理解するための探索の旅だったのだが、地下へ下りるたびにその風景の奥深さに波長が合いはじめ、そこからいっそう普遍的な物語が浮かび上がってきた。
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単行本p.23

 16歳の夏、自宅の真下を廃棄された列車用トンネルが通っていることを知った著者は、探検に出かける。そして、地下世界の魅力にとりつかれる。


第2章 横断 パリの地下納骨堂
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 私たちはパリの地下横断を計画した。街の端からもう片方の端まで、ひたすら地下の基幹施設を歩く。スティーブはニューヨークでこの旅を夢見ていた。私たちは計画に数カ月を費やし、古地図を調べ、パリの探検家に相談し、通行可能なルートを確認した。机上の計算では、この探検旅行はなんの問題もなく予定どおりにいくはずだった。
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単行本p.47

 地下納骨堂、カタコンブ、それはパリの地下に張りめぐらされているもうひとつの世界。地下経路を通ってパリを横断する冒険は、地下世界で行われている様々な活動を明らかにする。


第3章 地球深部の微生物 NASAの野望
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 人類のどこかに、地下で生まれた祖先の幻の痕跡があるかもしれないという考えに魅せられた私は、その微生物学者チームに会いにいくことにした。NASA宇宙生物学研究所の〈地下生命体〉と呼ばれる実験に取り組んでいる人々だ。彼らはサウスダコタ州にいて、ホームステイクという名の廃鉱になった金山の深部で地下微生物を探していた。
――――
単行本p.82

 地下に棲息している生命のバイオマス総量は地表のそれを上回るかも知れない。最初の生命は地下で発生した可能性がある。地下生命圏に関する知識は、他の惑星における生命探査にも役立つだろう。NASAの研究チームとともに、著者は地下深部における微生物サンプル収集の現場を見学する。


第4章 赤黄土を掘る鉱夫たち アボリジニの聖域
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 日が昇り、鉱山に開いた入口から斜めに光が差し込むと、赤黄土がチラチラ揺らめき、温かな赤ワイン色から鮮やかな紫色、目に焼きつきそうなピンク色へと変化した。壁が動いているような幻想に陥った。あたかも鉱山全体がゆっくり鼓動しているかのようだ。私たちは生き物の喉を通って地球に呑み込まれようとしていた。
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単行本p.131

 かつて鉱物と人間の関係はどのようなものだったのか。オーストラリア原住民にとっての聖地である鉱山に赴いた著者は、坑道のなかで地の精霊たちの気配を感じ取ろうとする。


第5章 穴を掘る人々 もぐら男とカッパドキア
――――
 カッパドキアでは、どの集落の地下にも手掘りの洞窟が網のように張りめぐらされ、曲がりくねったトンネルでつながっている。“地下都市”と呼ばれるものと案内書には書かれていた。城を逆さまにしたような形の巨大なものもあり、地下十層以上、人が何千人も入れるという。そんな“都市”が地域全体で何百とあるらしい。
――――
単行本p.142

 カッパドキア遺跡の地下に広がる巨大な“都市”。その想像を絶するトンネルのネットワークを通じて、著者は「穴を掘る」というある種の人々を駆り立てる衝動について考察する。


第6章 迷う 方向感覚の喪失が生む力
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 世界の隅々に迷宮構造は見られる。迷宮は一種のリミナリティ・システムで、方向感覚の喪失を高濃度で体験できるようお膳立てをするためのものだ。曲がりくねった石の通路に入り、限られた経路に焦点を向けるとき、私たちは外の地理から離れ、あらゆる基準点が剥離した一種の空間催眠へと滑り込む。この状態で私たちは変質を経験し、社会的地位、人生の段階、あるいは精神状態の間を行き来する。
――――
単行本p.184

 地下の暗闇のなかで方向感覚を失い、完全に迷ってしまう。その経験は人間の意識をどのように変容させるだろうか。ナポリの地下探検の際に味わった迷子体験をもとに、著者は日常的な空間から切り離された地下で迷うという体験について考える。


第7章 ピレネー山脈の野牛像 旧石器時代のルネサンス
――――
 丸天井の小さな部屋があり、平らな床はむきだしの状態だった。私たちがひざまずいているところから三メートルほど離れた中央部に、大きな石がひとつあった。その石にもたれかかるように、わずかに傾いた感じで置かれた一対の粘土製のバイソンが、柔らかな光に輝いていた。全員が合わせたように息を吐いた。全身が緊張し、腱のひとつひとつが固まり、肩の筋肉が収縮した。次の瞬間、すべてが一挙に解き放たれた。

――――
単行本p.209

 洞窟の奥に隠されている先史時代に造られたバイソン像。ニューヨークの地下で誰にも見られないようにグラフィティを描き続ける現代アーティスト。地下空間と芸術との関係を掘り下げてゆく。


第8章 暗闇 「創世記」の闇と意識変容
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 洞窟やトンネル、地面に開いたどんな穴でも同じだが、その入口をのぞき込むたび、私たちはハッと気がつく。夢の中で、意識の縁で、この場所を見たことがある。その扉を通過した時点で、私たちは明瞭な地表世界をあとにし、直線的な連続性や通常の意識が立てる論理から撤退し、無意識という流動的な状態にすとんと入り込む。私たちは暗帯(ダークゾーン)でバイオリズムと向き合ったミッシェル・シフレであり、祖先の霊と語り合ったピタゴラスでもある。いずれにしても、私たちはふつうの現実という渦の外へ足を踏み出し、この世の縁を越えた先へ少しずつ近づいていく。
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単行本p.248

 地下空間がもたらす意識変容をとらえるべく、著者は洞窟の暗闇のなか全くの孤独状態で24時間過ごすことに挑戦する。


第9章 儀式 雨を求め地下に下りたマヤ人
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 地下空間と結びつくなかで、私たちは未知なるものへの疑念を持たず、のべつ幕なしに何もかもを暴き出すべきではないことを学ぶ。常に裂け目が存在し、常に盲点があることを受け入れられるよう、地下は私たちを導いてくれる。人間は呪術的思考や夢の階段や迷子の状態に影響されやすい、無秩序で不合理な生き物であり、それが素晴らしい贈り物であることを、地下は思い出させてくれる。祖先がずっと知っていたこと、つまり、未来永劫語られざるものと見えざるものにこそ力と美が在ることを、地下は教えてくれるのだ。
――――
単行本p.280

 マヤ遺跡の地下に広がる洞窟。そこで行われていた儀式。人間にとって地下空間が何を意味するのかを探る著者の旅は続いてゆく。





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『死ぬまでに行きたい海』(岸本佐知子) [読書(随筆)]

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 歳をとるとともに思い出は薄らぎ、きれぎれになり、でもぜんぜん平気だった。私があそこで過ごした日々の記憶は、旧校舎の壁や小部屋や教室や床に吸われて、いつまでも保存されているような気がしていた。でも外付けの記憶装置だった旧校舎がなくなってしまったら、その思い出はどうなってしまうのだろう。私がもっと歳をとってすべての記憶が失われてしまったら、それでも私は本当にそこにいたことになるんだろうか。
(中略)
 この世に生きたすべての人の、言語化も記録もされない、本人すら忘れてしまっているような些細な記憶。そういうものが、その人の退場とともに失われてしまうということが、私には苦しくて仕方がない。どこかの誰かがさっき食べたフライドポテトが美味しかったことも、道端で見た花をきれいだと思ったことも、ぜんぶ宇宙のどこかに保存されていてほしい。
――――
単行本p.61、88


 気にかかっていた場所、昔そこにいた記憶。様々な場所をめぐりながら過去の記憶と対話する、岸本佐知子さんの第五エッセイ集。単行本(スイッチ・パブリッシング)出版は2020年12月です。

「どこかに出かけていって見聞きしたままを書きたい」

 毎回、ちょっとした旅に出かけては書く紀行文。ではありますが、ほとんど常に記憶を探る旅になります。通っていた学校、大学のキャンパス、働いていたオフィス。ひさしぶりに訪れた場所で誰もが感じる、目の前の光景と過去のそれが重なってゆく奇妙な感慨、本当かどうか定かでない不思議な記憶が蘇ってくる瞬間、そういったものが書き留められ、読者も岸本佐知子さんの人生に寄り添うことになります。




――――
 四年生の春、授業中に息ができなくなって、手を挙げて教室を出た。そのまま走って、カウンセリングルームと書いてあるドアをノックした。私がしどろもどろに将来の不安や、時間が怖いこと、道路が二股になっているとどちらかを選んだことで人生が大きく変わってしまいそうで一歩も進めなくなること、本が怖くて読めないこと、髪の毛が洗えないこと、食べられないこと、眠れないことなどを訴えると、カウンセラーの男の先生は「なあんだそんなことか、あっはっはっ」と笑い、「これ読むといい」と言って、自分が雑誌に書いた文章のコピーをくれた。“本当はピアニスト志望だったのに親に無理やり英文科に入れられた女子学生が、鬱病になって私のところに来た、「それなら習った英語を活かしてピアニストの伝記を翻訳すればいい」とアドバイスしたらすっかり元気になった”というようなことが書いてあった。そこへは二度と行かなかった。
――――
単行本p.29


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 自分が住んでいた部屋の前に立った。鉄製のドアの灰色の塗装がまだらに剥げ落ちていた。細い覗き窓は、内側ブルーのビニールテープのようなものが貼られていて、ここもどうやら空き室らしかった。三十五歳から五年間、このドアの向こうに住んでいた。その五年のあいだに、心身の調子がどんどん悪くなっていった。突然泣いたり怒ったりした。つねに頭痛と動悸がして、歩くと目眩がした。正体不明の焦燥感にじっとしていられず、立ったり座ったり歩きまわったりした。頭の中に危険な考えが渦巻き、公園のハトの殺害方法を三十通り考えたり、駅前に停めてある自転車をドミノのように蹴倒す衝動に駆られたり、意地の悪い店主のいる書店の棚の『こち亀』の順番をでたらめに並び替える計画を立てたりした。最後のは本当にやった。
(中略)
 なぜ私はこの町で楽しく暮らせなかったんだろう。たくさんの記憶が、だらだらと脈絡なく噴きこぼれた。越してきた翌日、近所のコンビニで買った十個入りの卵が一つ残らず双子の黄身で、最初はうれしかったけれども次第に薄気味悪くなったこと。小学生の男の子が電信柱の根元を一心に嗅いでいるのを、少し離れたところから母親が無表情に眺めていたこと。公園にテントを張って生活していたホームレスのおじさんが、ある日テントごと焼けてしまったこと。一段高くなったところに鎮座した氷のような目をした医者が、一度も私の顔を見ずに薬を出したこと。毎日、大量の人々が駅から出てくるのに、みんなうつむいて生気がなく、ときどき半分透き通った人や地面から少し浮いている人が交じっていたこと。それともこんな記憶はぜんぶ幻だったのだろうか。
――――
単行本p.92、93





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