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『ひみつのしつもん』(岸本佐知子) [読書(随筆)]

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 天気図の、台風の進路の予想図。いま現在の台風の中心から円形がいくつか派生して、それが先にいくほど大きくなっていく。かつての私はそれを見ながら「大変だ、東北全体が台風にすっぽりおおわれてしまう」などと心配していた。そのいっぽうで内心「どうして勢力は衰えつつあるのに大きさだけどんどん増していくのだろう」とうっすら疑問にも思っていたのだった。
 あの丸が台風の大きさではなく、中心がどこに来るかの予想範囲を示しているのだと知ったときの衝撃。(中略)人として、確実に成長した。
 他にも「無期懲役」は「終身刑」ではないと知ったとき。イエス・キリストと神さまは別ものなのだと知ったとき、KinKi Kids の二人が兄弟ではないと知ったとき。ピーラーの横についているあの出っぱりの用途を知ったとき。「完璧」の「璧」は「壁」ではなく、自分のイメージしていた高くて傷ひとつない鉄の壁はまちがいだったと知ったとき。それら成長の瞬間は今も自分史に燦然と刻まれている。
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単行本p.113


 謎の記憶。気にかかる妙な想像。ひたすら暴走しつつ、暴走中だというのにそこらでついつい寄り道してしまう妄想。『気になる部分』『ねにもつタイプ』『なんらかの事情』に続く岸本佐知子さんの第四エッセイ集。単行本(筑摩書房)出版は2019年10月です。


 これまでのエッセイ集の紹介はこちら。

2012年11月15日の日記
『なんらかの事情』
https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2012-11-15

2007年02月15日の日記
『ねにもつタイプ』
https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2007-02-15

2006年07月27日の日記
『気になる部分』
https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2006-07-27


 というわけで、今作も圧倒的な面白さ。まずは自己紹介から。


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 その者は雑誌の座談会に呼ばれる。話すのは苦手なので、なるべく黙っていようと思う。何時間かの座談会の中でその者が唯一まともにしゃべったのは「いかに嫌いな人間をひとまとめにして頭の中で巨大な臼に放り込み、杵で何度も何度もついて真っ赤な血の餅に変えるか」についてだ。
 できあがった原稿では、その部分がまるまるカットされている。
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単行本p.121


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 小学生の頃、近所の剣道教室に通っていた。毎年大みそかには全員で道場の大掃除をすることになっていた。先生から「そこは触らなくていい」と言われていた隅っこの押入れをこっそり開けたら、暗がりの中に大小さまざまなキューピー人形がぎっしり立っていた。
 これはその者の記憶ではない。同じクラスのそれほど仲が良かったわけでもない子から聞いた話だ。その者の頭の中は、そういう何の役にも立たない、自分のものですらない記憶の断片であふれかえっていて、そのせいで大事なことが考えられない。
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単行本p.122


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 どうも自分はもう一人いるんじゃないかと思うことがある。こうして頭で物を考えている自分と、現実世界でいろいろなことを実行している自分は別の人間なのではないか。
 誰かから「昔あなた○○したよねー」と言われる。その○○の部分にまるで覚えがないときなどに、その疑念は強まる。
 たとえば「他人のはいていた靴下を気に入って、その場で強奪した」というのがそうだ。全然覚えていない。靴下はたしかに家にあるが、私の記憶では、その人が同じものを買ってプレゼントしてくれたはずだ。「通りすがりに侮蔑的なことを言った見知らぬ人をテニスのラケットで殴った」というのもある。だが気弱で小心なことにかけて海底のチンアナゴにも劣らぬ私がそんなことをするはずがない。総じて他人の記憶の中の私はなぜか粗暴で極悪だ。やはりもう一人私がいるとしか思えない。
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単行本p.181


 そして生活と記憶にまつわるあれこれ。


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 ちゃんと財布の中に入れているにもかかわらず、なぜかカードが異常にボロボロになる。ことにひどいのはSuicaだ。あの可愛かったペンギンのキャラクターは無残に剥げて、禍々しい別の何かに変じている。「魔除けになるレベル」とまで言われた。一度どこかの駅で、駅員さんに「ひっ」と言われたこともある。
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単行本p.42


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 何年か前の夏の夜、銀座四丁目の横断歩道を渡った。ふと見ると、私の横を一匹のゴキブリが並んで歩いていた。私とゴキブリは、連れのように並んで横断歩道を渡りきった。
 敵味方の間に芽生える友情、というものが、一瞬だけ理解できた気がした。
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単行本p.56


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 その友人は「ああ、あるよねカバディ。インドが発祥のスポーツでしょ」と言った。
 するととたんにみんな「あ、そうなんだ」とあっさり納得した。
 私は釈然としなかった。なぜ私があれだけ力説しても誰も信じようとしなかったのに、別の人が同じことを言うと無条件に信じるのか。だが話題はすでに別のことに移ってしまっていた。のちに私の中で「カバディ事件」として記憶されることになる悲しい出来事である。
 悲しくはあったが、現象に名前がついたのは有益だった。このカバディ現象は、「今日は何曜日か」から始まって小学校の時の先生のあだ名にいたるまで、その後も繰り返し私の人生に現れることとなった。
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単行本p.153


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 私が私の裏垢でしたのは、悪態だった。
 当時の私はやさぐれていた。世界に対する黒い呪詛が腹の中に溜まって、口からあふれ出る寸前だった。口を押えれば、鼻や耳や目から漏れそうだった。
 だから口で言うかわりにツイッターで匿名で言うことにした。電子板「王様の耳はロバの耳」だ。
 作った裏垢は、自分とフォローを許可した人以外は閲覧できない「鍵付き」アカウント、しかもフォロー数ゼロ・フォロワー数ゼロとして完全密室。そこで私は腹に溜まった真っ黒な呪詛を吐いて吐いて吐きまくった。
 特大の頑丈な臼に、思いつくかぎりのむかつく人モノ組織出来事現象その他その他を投げ入れ、それを勇壮な掛け声とともに渾身の気合で搗く。そいや。そいや。そいや。搗く時間は素材と私のむかつきの度合いにより適宜変化する。
 そのようにして私は夜ごと完全密室で杵をふるい、大小さまざまな血の餅の山を築いた。
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単行本p.185



 密かな願望と不安。


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 前々から、ものすごくみじめな仕事場で仕事をしたいというひそかな願望がある。(中略)理想は、昔なにかの写真で見たマーラーの作曲小屋だ。
 犬小屋を人間サイズに直したような、ひどく粗末な真四角の掘っ建て小屋で、内部は床も壁も木がむき出し、小さな机と椅子があるきりだった。そんなのが、森の木陰にぽつんと建っている。
 グスタフ・マーラーは立派な屋敷があったにもかかわらず、わざわざ敷地の一角にそんなみじめ小屋を作らせて、壮大な交響曲九番とか十番とかをそこでいじいじと作曲したのだ。食事は母屋から誰かに運ばせた。夜だけ家に帰った。
 なんとかあのマーラーのみじめ小屋を自分の仕事場にしたい。
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単行本p.21


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 ためしにスリ師のニックネームを調べてみた。(中略)どれもいかす。私がスリだったらどんな称号で呼ばれたいだろう。〈韋駄天のさち婆〉とか。〈一番星のさち婆〉とか。どうも婆が気に食わぬ。もっとこう、婀娜な感じがほしい。〈匕首のお吟〉なんてどうか。いかす。だがそれはもうスリじゃない。私ですらない。
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単行本p.138


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 だが最近になって、新たな強敵が私の前に現れた。「ペッパー」というロボットだ。あのつるんとした冷たそうなボディ。瞳孔の開ききった目。唐突に胸に貼り付けられたタブレット。何よりやたらとなれなれしく話しかけてくる。地獄だ。
(中略)
 奴をどうやって倒すかはすでに考えてある。まずくっついて一つにつながった脚にカニバサミをかけて横転させる。馬乗りになって胸のタブレットを引きはがす。とどめに電源を抜く。
 だが夜道を向こうからペッパーがこちらに向かって近づいてきたら、本当に私は闘えるだろうか。「こんばんは!」などと話しかけられたら、恐ろしさに金縛りになってしまわないだろうか。そもそも、道を一人で歩くペッパーに電源はあるのだろうか。それは本当にペッパーなのだろうか。
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単行本p.158


 世界のひみつに気付いた瞬間のこと。


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 第一、第二、第三と数字が上がるにつれ難易度が上がるということは、逆に「ラジオ体操第X」のXの数値を小さくしていけば、理論上は易しくなるはずだ。そのどこかに私にもできる理想のラジオ体操があるのではないか。
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単行本p.36


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 もしかしたら「ぬ」は宇宙から来たのではあるまいか。
 五十音にまぎれて普通の音のふりをしているが、本当は地球外生命体なのではなかろうか。語尾や語の途中に置かれれば目立たないが、語の先頭にくると、その異質性がむき出しになってしまうのだ。
 だいいち「ぬ」という形からして何となく怪しい。見れば見るほど、エイリアンが息を殺して体を丸め、「め」に擬態している姿に思えてくる。
 「ぬ」の狙いはいったい何なのか。
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単行本p.150


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 何もかも完璧な優等生が「出来杉くん」であるように、宇宙人に居候される男子が「諸星あたる」であるように、ムカデに変身する会社員が「ザムザ」であるように、宇宙に行くキャラだから「星出さん」なのだろうか。この世界は本当はペラペラした作り物の書き割りで、見えないどこかで誰かがそういうことを全部決めているのだろうか。名は体を表しすぎている星出さんの名前を見るたびに「はは、おもしろ」と思ったあとで、何となく体のどこかがスウスウするのは、そのせいなのだろうか。
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単行本p.48





タグ:岸本佐知子
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『「他者」の起源 ノーベル賞作家のハーバード連続講演録』(トニ・モリスン:著、森本あんり:解説、荒このみ:翻訳) [読書(随筆)]

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 人はいったいどこでどうやって人種差別主義者になってゆくのだろうか。それを問うたのが本書である。モリスンは、その問いに「他者化」というプロセスを示して答える。人がもって生まれた「種」としての自然な共感は、成長の過程でどこかに線を引かれて分化を始める。その線の向こう側に集められたのが「他者」で、その他者を合わせ鏡にして見えてくるものが「自己」である。このプロセスは、本書で取り上げられた作品が物語るように、明白な教化的意図をもって進められることもあれば、誰の意図ともつかぬしかたで狡猾に社会の制度や文化の秩序に組み込まれて進むこともある。
(中略)
 われわれはしばしば、他者の一部を切り取って自分の理解に囲い込み、それに餌を与えて飼い続ける。やがてそのイメージは手に負えないほど肥大化し、われわれを圧倒して脅かすようになる。
 それでも、人は知ることを求める。知って相手を支配したいと願うからである。それは、相手を処理されるべき受け身の対象物となし、かたや処理する側の自分を正統で普遍的な全能の動作主体として確立することである。
(中略)
 それゆえ本書の主題となっているのは、単にアメリカ国内に限定された人種や差別のことではない。それは、西洋と東洋、白人と有色人、キリスト教と他宗教、権力をもつ者ともたざる者といった多くのパターンに繰り返しあらわれる人間に共通の認識様式である。この認識様式は、合理的な思考や明晰な意識にのぼらない領野で神話的な構想へと転化し、他のすべての神話がそうであるように、われわれの見方や考え方を背後から支配する力をもつ。
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新書版p.6、9


 人種問題から見たアメリカ史、アメリカ文学、そして自作解説。2016年にトニ・モリスンがハーバード大学で行った連続講義を再構成した一冊。新書版(集英社)出版は2019年7月です。


 人種差別の構造を読み解き、アメリカ文学がそれとどのように関わってきたのかを分析してゆく内容ですが、トニ・モリスン自身による自作解説が多く含まれているのも見逃せません。特に、『パラダイス』と『ビラヴド』については著者の意図や狙いが詳しく語られており、読み直したくなる発見に満ちています。


 ちなみに、本書はトニ・モリスンの訃報が流れる数週間前に発行されており、追悼出版というわけではありませんが、どうしても彼女の「遺言」が届いたという気持ちになります。この機会にトニ・モリスンが残した作品を読み返す必要があると思います。この世界の今を生きてゆくしかない私たちは。


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 わたしたちが、なぜふたたびこのような状態にいるのかを理解するために、アメリカが生んだ最高の作家・思想家であるトニ・モリスンがいることは、なんと幸運であるか。モリスンの仕事は歴史にその根があり、ひどくグロテスクな歴史的事象からも美しさを引き出してくる。その美は幻想ではない。歴史がわたしたちを支配していると考える人びとのひとりに、モリスンが数えられているのも驚くにあたらない。『「他者」の起源』は、この理解を詳細に説いている。過去の呪縛からただちに解放される道が提示されなくとも、その呪縛がどうして起きたのかを把握するための、ありがたい手引きになっている。
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新書版p.26




[目次]

第1章 奴隷制度の「ロマンス化」
第2章 「よそ者」であること、「よそ者」になること
第3章 カラー・フェティッシュ(肌の色への病的執着)
第4章 「ブラックネス」の形状
第5章 「他者」を物語る
第6章 「よそ者」の故郷




第1章 奴隷制度の「ロマンス化」
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 どうやって奴隷制度が成立していたのか? 諸国家が奴隷制度の腐敗をうまく処理したのは、非情な権力の行使によって、あるいは奴隷制度の「ロマンス化」によってである。
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新書版p.34


 人間的な側面を強調し、それを大切にするふりさえして、奴隷制度を好ましいものとして描いてきたアメリカ文学。『アンクル・トムの小屋』を題材に、奴隷制度の実態とその「ロマンス化」について語ります。


第2章 「よそ者」であること、「よそ者」になること
――――
 奴隷が「異なる種」であることは、奴隷所有者が自分は正常だと確認するためにどうしても必要だった。人間に属する者と絶対的に「非・人間」である者とを区別せねばならぬ、という緊急の要請があまりにも強く、そのため権利を剥奪された者にではなく、かれらを創り出した者へ注意は向けられ、そこに光が当てられる。(中略)「よそ者」に共感するのが危険なのは、それによって自分自身が「よそ者」になりうるからである。自分の「人種化」した地位を失うことは、神聖で価値ある差異を失うことを意味する。
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新書版p.56


 「よそ者」を規定し、「非・人間」化すること。それを前提としたアイデンティティを持つこと。人種差別の底にあるメカニズムと、それを自作『マーシィ』『パラダイス』でどのように扱ったのかを語ります。


第3章 カラー・フェティッシュ(肌の色への病的執着)
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 わたしは肌の色ではなく、文化によって、黒人像を描き出すことに興味を持つようになった。「肌の色(カラー)」だけが忌み嫌うものである状況のとき、肌の色が偶発的で知りえないとき、あるいは意図的に隠している状況のとき、ごく注意深く書くことでもたらされる、ある種の自由と同様、それは「カラー・フェティッシュ(肌の色への病的執着)」を無視する、まれなる機会を与えてくれた。
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新書版p.75


 フォークナーやヘミングウェイを題材に、アメリカ文学におけるカラー主義、肌の色に対する病的な執着を分析し、自作『パラダイス』の有名な冒頭「かれらは最初に白人の娘を撃った。その他の者にはゆっくり時間をかけられる」に込められた狙いを語ります。


第4章 「ブラックネス」の形状
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 自分たちの純粋性の基準を強調した黒人町成立の理由は何か、そしてその成功とは何だったのか? 『パラダイス』では、「ブラックネス」の形状を改変したかった。
 黒の純粋性がより劣悪なもの、あるいは不純なものによって脅かされると、純粋性の条件はどうなるのか、町の人びとはどのように反応するのかたどってみようと思った。
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新書版p.90


 黒人だけが住む居住地の建設を題材に、「カラー」とは何なのかを追求し、さらに自作『パラダイス』の解説を提示します。


第5章 「他者」を物語る
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 物語は、統御された荒野を提供し、「他者」としての機会を、「他者」になる機会を提供する。「よそ者」になること。同情を抱きながら、明白に、また自己分析の危険を伴って。この反復において、作者であるわたしにとっての究極的な「他者」とは、取り憑く者であるその子、ビラヴドである。騒ぎ立てながら要求している、キスを求めて永久に騒ぎ立てながら要求している。
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新書版p.116


 わが子を殺した逃亡奴隷の実話を題材に、自作『ビラヴド』についての解説を提示します。


第6章 「よそ者」の故郷
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 それは心をかき乱す遭遇だが、世界規模で踏み込んで来る人びとのわたしたちを動揺させる圧力・圧迫にいかに対処すべきかを教えてくれるだろう。その圧力によってわたしたちは、自分たちの文化・言語に狂信的にしがみつくいっぽうで、他の文化・言語は退ける。時代の流行に沿ってわたしたちを鼻持ちならぬ悪の存在にする圧力。法的規制を設けさせ、追放し、強制的に順応させ、粛清し、亡霊やファンタジーでしかないものに忠誠を誓わせる圧力。何よりもこれらの圧力は、わたしたち自身のなかの「よそ者(外国人)」を否定し、あくまでも人類の共通性に抵抗させるようにわたしたちを仕向ける。
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新書版p.132


 文学にあらわれるアフリカへのまなざしを題材に、グローバリゼーションや大量難民によってわたしたちの意識がどのような影響を受けているのかを探ります。



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『中国メディアの現場は何を伝えようとしているか 女性キャスターの苦悩と挑戦』(柴静:著、鈴木将久・河村昌子・杉村安幾子:翻訳) [読書(随筆)]

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 中央テレビ局は体制内メディアであり、現在でも多くの制約をかかえている。他方で、年々強まるばかりの経済原理も、別の面からテレビ業界に大きな制約を与えるようになっている。こうした中国のテレビ業界をめぐる大きな状況のもとで、ニュース評論部の意味が浮かび上がる。ニュース評論部は、いわば、体制内メディアと経済原理のはざまにおいて、かろうじて残る理想主義の灯火を守り続けていると言えるだろう。こうしたメディア人が、小数であるかもしれないが確実に存在し、しかも彼らの番組が残っていること、言い換えれば一定の視聴者がついていること、それが中国メディアの一側面である。
 本書に収録したインタビューで明確に述べているように、柴静氏は、まさにニュース評論部の価値観を体現している。正確に言うならば、本書は、ニュース評論部が指し示す理想主義を真摯に追い求め、試行錯誤しながらその理想に一歩一歩近づいていくプロセスをありのままに描き出したものである。
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単行本p.299


 中国中央テレビ局における人気報道番組は、何を追い求めてきたのか。看板キャスターが取材の過程で悩みながら真実を追求する姿をありのままに描いた傑作ノンフィクション。単行本(平凡社)出版は2014年4月です。


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 原書の構成は、やや独特である。基本的には、この十年間に柴静氏が取材した社会問題が記されている。ところが同時に、試行錯誤を繰り返しながらテレビの仕事を続けてきた彼女の成長の記録ともなっている。社会問題の記録と、一人のキャスターとしての成長の記録が交錯している点に、最大の特色がある。あえて二つの次元の記録を交錯させたことで、本書は凡百の類書とは異なるものになった。中国の社会問題は、表面的に不正を追及するのは容易だが、従来の枠組みで語っていると、往々にして正義と不正の二項対立に陥ってしまい、問題の襞に分け入ることが難しくなる。中国の社会問題を、現場の感覚に則して表現するためには、自分の語り方をつねに反省し、新たな語り方を模索し続ける必要がある。柴静氏は、そのような誠実な努力を続けるメディア人の一人である。だからこそ、彼女の試行錯誤を表現した本書は、中国の社会問題の複雑さを示したものになりえた。
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単行本p.7


 新型インフルエンザの猛威、子どもの連鎖自殺、同性愛者への迫害、家庭内暴力、環境問題、動物虐待動画拡散、歴史認識、災害現場、土地問題、若者の犯罪、社会通念へのアンチテーゼ。

 中国が抱えている(その多くは日本と共通している)様々な社会問題をテーマに、徹底取材で真実を掘り下げてゆく人気報道番組のキャスターが、放映できなかったシーケンスを含めて、取材の現場で起きていたことを語ってくれる本です。

 取材対象にどのように対応すべきか、どのような形で番組を構成するか、そして様々な「圧力」にどう対処するか。ジャーナリストとしての悩みや気付きも率直に書かれており、その強い使命感に心打たれます。まずは取材シーンの臨場感。


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「実はみんなSARSだった」
 患者たちは知らなかった。
「事情を知らないで、別の病気で点滴に来た人は?」
「仕方なかった。みんなここにいた」
 もしスタジオだったら、「どうしてそんな無責任なの」と、きっと問い質しただろう。でもその場に立って、話をする彼の、表情を失った従順な絶望を見たら、心臓が何かにつかまれたようで、喉が詰まった。彼と彼の同僚たちもそこにいたのだ。人民病院ではスタッフ93人が感染した。救急診療室では64人中24人が感染し、2人の医師が殉職した。(中略)人民病院の医師と看護師は、最も基本的な防護服すらない状況下で、中庭で20数人の患者に向き合っていたのだ。その数日間のことを訊いた。彼は答えた。「何日間も鏡を見ないでいた。後になってふと、髪が真っ白になっていることに気づいた」
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単行本p.45


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 彼はフラフラで、酔っていた。顔は汗まみれで、熱があるようだった。目は赤く腫れ、手は震えていた。
「どうしてこんなに飲むの?」私はちょっと責めるように言った。
「耐えられないんだ」。彼は大きく口を開けた。まるで肺の空気が足りないかのように、苦しそうに口で呼吸をし、力なく地面に倒れ込んだ。「あの血のにおいが……」
 聞き取れなかった。
「あの大きな岩の下に……」
 私は腰をかがめ、やっと聞き取った。「俺は助けるって言った。だけど動かせないんだ。俺は叫んだ。狂ったように力を振りしぼった。だけど動かせないんだ。柴静。あの子にアメを二つやることしかできなかったんだよ」。彼は顔をこちらに向けた。苦しさのあまり、顔面が鬱血しているようだった。自分の拳に歯を立て、こらえていた。
 私は彼の腕に手をのせ、軽く叩いた。
 突然、彼は空を仰いだ。喉の栓が抜けたかのように、泣き声が放たれた。
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単行本p.207


――――
 2006年に孝義市長に取材した。スーツを着た色白の市長は、あらゆる問題を市の是正処置として語った。私は尋ねた。「この街では重い代価を支払っています。避けられなかったのでしょうか?」
「代価は悲惨だ」。市長は答えた。
「避けられなかったのでしょうか?」私は尋ねた。
「代価は悲惨だ」。市長は繰り返した。
「避けられなかったのでしょうか?」私はもう一度尋ねた。
 市長は水を一口飲み、私を見つめた。「政府はコークス化に冷静に対処してきた。対策を取ってからは抑え込んでいる」
「それなら、違反プロジェクトが30以上もあるはずはないのではありませんか?」
「あの頃は熱狂的な投資家がやりたがったのだ、市場の形勢も良かった。だが我々は断固たる態度で臨んだ」
「断固たる態度で臨んだのなら、違反プロジェクトはゼロのはずです」
 彼はまた水を飲み、私たちはにらみ合った。
 番組は放送できなかった。
――――
単行本p.128


 こうした取材場面と並行して、著者による「つぶやき」のような言葉があちこちに挟み込まれています。これが印象的なのです。


「ニュース記者は、功利性を求めるべきではなく、歴史研究者あるいは文学研究者の視野を持たなければならないのです」(単行本p.25)

「私はそれまで、最後の論評は解答でなければならないと考えていた。スタジオというセットで、役を演じているかのように、「民主と法治の社会が一日も早く到来することを期待しましょう」などと話せば、けりがつくと思っていた。本当の世界がどういうものか知るまで、解答なしに番組を締めくくるなど、思いも寄らなかったのである」(単行本p.71)

「インタビューとは何だろう? インタビューとは命と命の往来で、自分をより深く知り、他人をより深く知ることだ」(単行本p.114)

「取材相手が記者に要求するのは、ただ公正であることなのだ。公正とは、その人の本来の姿を示すこと」(単行本p.155)

「私たちが番組制作時に犯しがちな過ちは、山の頂上まで登ったとたんに赤い旗を地面に挿し、頂上踏破を宣告することだ」(単行本p.159)

「寛容は道徳ではなく認識である。物事を深く認識しなければ、世界の複雑さを理解し思いやることはできない」(単行本p.191)

「メディアの役割は、物事を判断するのに必要な思考方式を提示してみせることであり、一人の人間を公敵に仕立て上げることではない」(単行本p.192)

「私たちは皆、自分が報道する世界と生活を分けようと努力する。でもいつも、自分がすでにその一部になっていることに気づくのだ」(単行本p.220)

「私が質問を導いているのではなく、ロジックが私を導いている。ロジックがチェーンを一つずつ噛み合わさせており、どのチェーンもはずせない」(単行本p.241)


 こうした言葉のひとつひとつが響きます。ぜひ日本の報道関係者にも読んで頂きたい。

 ただ、日本語版は原著を構成する20章のうち半分強の12章だけを選んで翻訳したものであり、しかも翻訳された各章についても「彼女の成長物語を描く部分は大きく割愛した」とあって、それが残念でなりません。全訳版を期待します。


[目次]

第一章 あの暖かい脈動は、生きている
【SARS報道】

第二章 双城の傷
【少年少女連続服毒事件】

第三章 水が水に溶けるように
【麻薬中毒患者や同性愛者への迫害】

第四章 沈黙の叫び
【ドメスティック・バイオレンス】

第五章 山西よ、山西
【開発と大気汚染】

第六章 ただ理解してほしいだけ
【猫殺し映像をネットに流した人々】

第七章 新と旧の間には恨みも衝突もない、ただ真と偽は大敵である
【唐山大地震と日中戦争】

第八章 事実はかくのごとし
【幻の河南トラ騒動】

第九章 真実には万鈞の重みがある
【四川大地震】

第十章 ロジックの鎖
【土地問題】

第十一章 無能の力
【教育ボランティアのドイツ人青年】

第十二章 時代の病
【若者の犯罪】



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『じゃじゃ馬にさせといて』(松田青子) [読書(随筆)]

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 書いた人のジェンダーバイアスや偏見を感じる場合はもちろん嫌だけど、「女性」という言葉が目印となって、自分が必要とする作品に出会えたケースもたくさんある。だから、このエッセイ集でもそうだけど、私も「女性」とわざわざ書くことが少なくない。私が「女性」と書く時は、ここに女性がつくった素晴らしい作品があって、きっとあなたも必要としていると思います!と熱い気持ちでいる私を思い浮かべてください。言うまでもないことですが、この「あなた」は女性だけに限りません。
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単行本p.10


 好きなものをみて、好きなものを着て、好きなものを食べて、好きなところに出かけてゆく。女が好きなように生きてなにが悪い。映画、ドラマ、フェミニズムの話題を中心に、自分が好きなものを世界に向かって全身全霊で叫ぶような痛快エッセイ集。単行本(新潮社)出版は2019年6月です。


 前作『ロマンティックあげない』に続く第三エッセイ集です。前作の最後のエッセイ「テイラー・スウィフト再び」のさらにその後が気になっていた読者のために、ちゃんと「テイラー・スウィフトの帰還」が本書には収録されています。

 ちなみに前作の紹介はこちら。


  2016年08月04日の日記
  『ロマンティックあげない』
  https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-08-04


 とにかく好きな映画やドラマを絶賛しまくるエッセイが多く、その手放し有頂天感が素敵。もちろん不快なジェンダーバイアスを感じるような作品は皆無なので、どなたでも安心してその好き好きオーヴァードライブに乗ることが出来ます。


――――
 出てくる人たちがみんな風変わりで、愛おしい。恋愛要素の展開もいちいちチャーミングで、私に世の作品の中からベストキス賞やベストウエディング賞を選ばせたら、このドラマがぶっちぎりで優勝だ。バレンタインデーの前日に女性同士で称え合うギャレンタインズデーや、自分を徹底的に甘やかす Treat Yo Self の日など、面白いところを般若心経のようにひたすら書き出したいくらいだ。
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単行本p.60


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 仕事を頑張っている女性のことを周囲の人間はどう思い、どうサポートするべきか、デ・ニーロが一から十まで体現してくれるという、フェミニズムの教科書みたいな作品でびっくりした。私にもこのデ・ニーロください。すべての職場にこのデ・ニーロを設置してください。この映画を見ないと社会に出られないシステムにしてください。
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単行本p.66


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 メカ担当のホルツマン役として、多くの観客のハートを撃ち抜いたケイトは全編にわたり発光していた。ホルツマンがスイスアーミーナイフを手渡しながら、「女は丸腰で外出すると危ない」というので、私もすぐに買いました。ホルツマンの言うことは絶対。
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単行本p.79


 「般若心経のようにひたすら書き出したい」「私にもこのデ・ニーロください」「ホルツマンの言うことは絶対」など、何か作品を絶賛するときに使える日本語表現を学ぶことが出来ます。


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 それ以来、当たり前のことだが、彼のSNS関係はすべて把握し、日々監視していた。アイフォンに世界時差時計のアプリを入れ、クリスがツアーで移動しても、彼は今何時の世界を生きているのかすぐさまわかるようにした。彼が誰かの写真にイイネ!をつけているのを見るだけで、胸の内に喜びが涌き上がった。特に、2014年の日本ツアーでだけクリスの相手役として白鳥役を踊ったマルセロ・ゴメスとSNS上で交流しているのを見ると、本当に幸せな気分になった。こんなに絶望的に美しいカップリングには、多分もう二度とお目にかかることはないだろう。ありがとう、クリスとゴメス。あなたたちのパ・ド・ドゥを胸に、私、生きる!
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単行本p.29


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 映画は熱量と緊張感が半端なく、見終わった後、またふらふらと次の回のチケットを買いそうになったくらいだった。なんとか気持ちを落ち着かせ、映画館の階段を下りながら、私は今、キリアン落ちしたな、とわかった。彼は渋さの権化のようなかっこよさだった。なぜ今まで素通りできていたのか、心底自分がわからなくなった。(中略)正直、どんなシーンもキリアンに見惚れているうちに過ぎてゆく。この原稿を書こうとして、鑑賞時の自分のメモを確認したのだが、「キリアンかっこいい」「話がどうなろうとキリアンかっこいい」みたいなことしか書いていなかった。(中略)最近は、自分が天に召される時は、死神がキリアンの姿をしていたらいいのにと考えている。
――――
単行本p.98、99、100


 「あなたたちのパ・ド・ドゥを胸に、私、生きる!」「死神がキリアンの姿をしていたらいいのに」など、誰かの尊さについて表現したいときに使える日本語表現を学ぶことが出来ます。


 愛や尊さだけでなく、女性差別や人種差別に関する怒りが書かれたエッセイも、もちろんあります。その怒りは「好きなものを愛でながら自由に生きたい」という凶暴なまでの情熱と一体化して、読者の胸を打つのです。

 どう生きるか、何をすべきか、何を誰を好きになるべきか、そんなことを他人にとやかく指示されたりジャッジされたりしたくない。好きなものを愛でて好きなように生きてゆきたい。そうする権利を奪われたくない。そう思っている人は、性別に関係なく、フェミニストになればいいのだ、と教えてくれる一冊です。


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 五感をフル稼働させて一瞬一瞬を味わいつくしているように見えるエリオの一つ一つの表情や動きを見ていると、人類は本来みなエリオであり、いつだってエリオになる権利があるんだ、私たちはみなエリオなんだ、という熱い気持ちが湧き上がってきた。
 そういうわけで、その夏、私の住んでいる街は「北イタリアのどこか」であり、私はエリオだった。毎日泳げるような場所も近くになく、外に出るとまごうことなき日本の風景が目に飛び込んできたが、サウンドトラックをリピートすることで何とかしのいでいた。私もがんばるので、みんなもおのおのがインナー・シャラメを全開にして、夏を毎年エンジョイしてほしい。われわれにはその使命がある。エリオの名にかけて。
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単行本p.130



タグ:松田青子
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『あの人に会いに 穂村弘対談集』(穂村弘) [読書(随筆)]

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 私が心から伝えたいことは唯一つ。「目の前に奇跡のような作品があって、この世のどこかにそれを作った人がいる。その事実があったから、つまり、あなたがいてくれたから、私は世界に絶望しきることなく、生き延びることができました。本当にありがとうございました」。
 だが、そんなことを云われても、相手はきっと困惑するだろう。私のために作品をつくったわけじゃないのだ。第一、それでは対談にも何にもならない。ならば、と考えた。溢れそうな思いを胸の奥に秘めて、なるべく平静を装って、その人に創作の秘密を尋ねることにしよう。どうしてあんなに素晴らしい作品をつくることができたんですか。自分もあなたのように世界の向こう岸に行きたいんです、と。それだけを念じながら、私は憧れのあの人に会いに行った。
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単行本p.4


 自分もあなたのように世界の向こう岸に行きたいんです。
 人生を絶望から救ってくれた奇跡のような作品の作者に会って、創作の秘密を聞き出す。歌人と著名クリエイターたちの対談集。単行本(毎日新聞出版)出版は2019年1月です。


 歌人の穂村弘さんが、九人の創作者と対談して、その創作の秘密を聞き出そうとします。聞き手も創作者なので通じ合うものがあるらしく、わりと率直に本音を聞き出しているように感じます。あと、ファンにとっても見逃せない情報がぽろりと出てきたり。


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萩尾 フロルのお兄さんは何人妻を娶ってもいいんです。あるとき、政治上の問題から新しい妻をもらうことになったのですが、お兄さんが行方不明になってしまう。それでお母さんが、まだ性が未分化であるフロルに「男になれ」と迫って揉める話なんです。フロルはタダと結婚するつもりなんだけど、両親に「国をつぶす気か」といわれて、泣く泣く男性になる決心をする。フロルはタダに「婚約破棄しよう」っていいに行くんですが、もちろんタダは大反対。フロルは「ぼくは男になるけど、タダが男の愛人になればいい」と提案して、ますます大反対するという(笑)。
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単行本p.106


[目次]

谷川俊太郎(詩人)
宇野亞喜良(イラストレーター)
横尾忠則(美術家)
荒木経惟(写真家)
萩尾望都(漫画家)
佐藤雅彦(映像作家)
高野文子(漫画家)
甲本ヒロト(ミュージシャン)
吉田戦車(漫画家)


谷川俊太郎(詩人)
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穂村 みんな物語が大好きですよね

谷川 そう。だから小説は売れても、詩は売れなくなっているんですよねぇ……。


穂村 ぼくなんか、物語を憎むようになってきちゃいましたよ。

谷川 そういう話を聞くと、実に心強いです(笑)。いっそのこと、「散文排斥同盟」でもつくりません?
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単行本p.15


宇野亞喜良(イラストレーター)
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宇野 ぼくは職人芸って好きですね。たとえば陶器に薔薇の花の絵付けをするとき、筆の片方の端に白い絵の具をつけて、もう片方の端にほんの少しだけ赤の絵の具をつけて適当な混ざり具合で花弁を描いていくんですが、筆をくるっと回転させながら書くとエッジの赤がくねる、とか。ヨーロッパの職人にはこの快感があるんだなぁ、という発見は気持ちがいいです。ある種の職人的なものを自分の身体が再現できたときにすごく快感を覚えますね。
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単行本p.52


横尾忠則(美術家)
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横尾 たいていの人は表現の意識が強すぎるんですよ。表現の意識なんか捨ててしまえばいい。いったい何を表現するんですか、表現するものなど何もないじゃないですか。強い表現意識が逆にインスピレーションのバリアになると思うんですよね。というより、手にするものがすでにインスピレーションだと思いますね。ぼくはいつも表現者はインスピレーションの大海の中を漂っているように思いますね。
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単行本p.61


荒木経惟(写真家)
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穂村 そうですね。では、グラスとか建物を撮るときは、どうやって自分のなかの愛情ポイントを見つけるんですか?

荒木 そこにアタシの才能が溢れ出ちゃってるんだよ(笑)

穂村 うふふ。この対談シリーズでは、その秘密が知りたいんです。教えてください。

荒木 自分でも不思議でしょうがないよ。
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単行本p.83


萩尾望都(漫画家)
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穂村 中編や長編のストーリー構成は、連載開始時から全体像が見えているんですか。

萩尾 二作品を除いては、全部見えてましたね。

穂村 その二作品は何ですか。

萩尾 『スターレッド』と『バルバラ異界』です。

穂村 えっ、あんな複雑な作品を、全体像が見えないまま描いたんですか。

萩尾 『バルバラ異界』は最初うまくつながらなくて、そのうち破綻すると思ってました。きっと「萩尾望都はついに駄目になった」っていわれるんだろうけど、もう私も歳だから許してもらおうって(笑)。
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単行本p.116


佐藤雅彦(映像作家)
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穂村 インスピレーションというか、イメージが降りてきて、それが表現につながることもあるんですか?

佐藤 二十代のとき、ルービックキューブを初めて手にして、いじっている瞬間に解き方が図になって現れたんです。それが見えた瞬間からいろんな映像がわいてくるようになりました。TVゲームの「I.Q(インテリジェント・キューブ)」のイメージが現れたときもそうですね。自宅で窓下の風景を眺めていたら、いきなりイメージが見えたんです。

穂村 いきなりビジュアルで?

佐藤 はい、とても具体的な映像でした。
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単行本p.132


高野文子(漫画家)
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穂村 それと、通常のマンガが従っている暗黙のルールとまったく違うものがありますよね。たとえば、「一コマをこれくらいのスピードで読むと誰が決めたんだ。その読み方を変えろ」と言われるような気がすることがあるんです。そう言われて、自分が従っていたルールを捨てるんですが、同時に、なんだか作品から攻撃されているような感じもして……。

高野 攻撃してたんですよ。マンガは、攻撃しなきゃだめだと思ってやってたんです。

穂村 気のせいじゃなくて、やっぱり攻撃されてたんだ(笑)。

高野 よし、どこから斬りつけてやろうか、って考えて描いてたんですから(笑)
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単行本p.148


甲本ヒロト(ミュージシャン)
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穂村 ブルーハーツの解散も、ハイロウズの解散も、ショックでした。

甲本 ブルーハーツのときは、十年続けてちょっと飽きてきてたんですよね。でも、ロックンロールに飽きてたわけじゃないんです。ブルーハーツというバンドの仲間がよくないかといったら、よくないわけがない。そのままでもいい。でも、あるとき「いま解散したら、もったいない」って思ったんですよ。その瞬間に「やめなきゃだめだ」って思った。

穂村 もったいないって思ったから?

甲本 そんな理由でやってるバンドのライブなんて行きたくないと思ったんです。生活における「もったいない」は美徳だと思う。だけど、人生に「もったいない」という価値はいらないんです。それは人生をクソにする。
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単行本p.175


吉田戦車(漫画家)
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穂村 生い立ちやメンタリティにおいて、逸脱しているところがないのに、人々を瞠目させる表現を生み出せるのは、どうしてなんですか?

戦車 生み出せたっていうことで、その理由はもう分からないですよ。若いころの自分のことだから。

穂村 いや、今も生み出していると思うし、それもやろうとしてできていると思うんですよ。だから、その秘密を知りたいんです。

戦車 満員電車で人に席を譲るのって、最初勇気がいるじゃないですか。そういう積み重ねのうえに、ギャグがあると思うんですよね。ゴミ出しをきちんと守るとか、人に迷惑をかけないようにするとか、そういう気持ちでやってきたような気がします。
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単行本p.198



タグ:穂村弘
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