『終わりなき戦火(老人と宇宙6)』(ジョン・スコルジー、内田昌之:翻訳) [読書(SF)]
――――
「〈均衡〉はただの楽しみでこんなことをしているわけではない。ニヒリストでもないんだし。なにか意味があるはず。なにか計画があるはず。これはなにかにつながるはず」
「“すべての物事の終わり”につながるんだ。もっとふつうに言うと、コロニー連合とコンクラーベのどちらか、あるいは両方がばらばらになって、このあたりの宙域にいるすべての種族が常におたがいに戦争をしている状態に戻るということだ」
――――
文庫版p.423
〈均衡〉と名乗る謎の組織の暗躍により地球とコロニー連合は決裂、さらにコロニー連合に属する惑星は次々と反乱を企てつつあった。一方、エイリアン種族同盟である「コンクラーベ」も、人類への対処をめぐって分裂の危機に陥る。事態が悪化して手のつけようがなくなってから面倒事を押し付けられるハリー・ウィルスン中尉の外交チームは、いつもの通り、宇宙に迫る「すべての物事の終わり」に立ち向かうことになった。「老人と宇宙」セカンドシーズン最新刊。文庫版(早川書房)出版は2017年3月、Kindle版配信は2017年3月です。
――――
「繰り返しますが、コロニー連合の破壊はその計画の一部ではあります。しかし、それはほぼ二次的なことです。わたしたちは〈均衡〉がコンクラーベを破壊するために利用する梃子です。この組織がいままでやってきたことは、地球ステーションの破壊も含めて、なにもかもその目標へ向かう活動の一環なのです」
――――
文庫版p.440
主人公をハリー・ウィルスン中尉にバトンタッチ、ストーリーの焦点をドンパチよりも外交に置いた(「バビロン5」っぽい)セカンドシーズンに突入した「老人と宇宙」シリーズ。その最新巻は、〈均衡〉の暗躍により、コロニー連合が苦境に立たされた状況から始まります。
まずは地球との関係は最悪の状況に。
――――
「地球はコロニー連合を心底憎んでいて、われわれを邪悪な存在とみなし、全員死んでくれと願っている。彼らにとってもっとも重要な宇宙への出発点だった地球ステーションが崩壊したのはわれわれのせいだと考えているのだ。われわれが手をくだしたのだと」
――――
文庫版p.38
そして、コロニー連合に属する各植民惑星は、次々と反乱を起こしつつあります。
――――
「コロニー連合はファシストもどきのクソですよ、ボス。そんなことは地球を離れるためにやつらの船に足を踏み入れた最初の日からわかっていました。だってありえないでしょう? やつらは貿易を支配しています。通信を支配しています。コロニーの自衛を許さず、コロニー連合をとおさないかぎりどんなことも勝手にはさせないんです。それに、地球に対してやってきたことは忘れられません。何世紀もずっとですよ。ねえ、中尉。いま内戦が起きているとしても驚くことじゃありません。もっと早く起きなかったことのほうが驚きです」
――――
文庫版p.378
その一方で、エイリアン種族同盟であるコンクラーベも、分裂の危機にさらされていました。
――――
「ガウ将軍が退陣させられることになったら、コンクラーベの中心が崩壊する。それでもこの同盟は存続する? しばらくのあいだは。でも、空虚な同盟でしかないし、すでにあちこちで生まれている派閥は離れていく。コンクラーベは分裂し、それらの派閥がまた分裂する。そして、なにもかも元のもくあみになる。わかるのよ、ハフト。現時点ではほとんど避けようがないわ」
――――
文庫版p.175
こうなると外交努力でどうなるという状態ではないのですが、それでも何とかしなければならないのが、われらがハリー中尉が属するコロニー連合外交チーム。
というわけで、四つの連作中篇から構成される長篇という形式で、コロニー連合最大の危機が描かれることになります。
『精神の営み』
――――
ぼくは孤独だった。生き延びるためにはやつらにすがるしかなかった。そして怯えていた。
それでも、ぼくは支配されるつもりはなかった。
たしかに隔離されてはいた。たしかに怖くてたまらなかった。
でも、すごく、すごく怒ってもいた。
――――
文庫版p.82
〈均衡〉の襲撃により捉えられたパイロットは、生きたまま脳を摘出され宇宙船につながれる。文字通り手も足も出ない状況で〈均衡〉への服従を強いられた彼は、だが不屈の精神で反撃の機会をうかがう。
『この空虚な同盟』
――――
「どの選択肢を選んでも、あなたを排除するための投票につながります。それが現実になるとき、すべてが崩壊するのです」
「以前はもっと簡単だったのだがな――コンクラーベの運営は」
「それはあなたがまだコンクラーベを築いている最中だったからです。築いているものが存在していないときのほうが、野心あるリーダーでいるのは容易です。しかし、コンクラーベが存在しているいま、あなたにはもはや野心はありません。今のあなたは、ただの役人の親玉にすぎないのです。役人が畏怖の念を呼び起こすことはありません」
――――
文庫版p.199
人類への対処をめぐって分裂の瀬戸際にあるコンクラーベ。リーダーであるガウ将軍とその副官ハフト・ソルヴォーラは、危機を回避、少なくとも先送りすべく政治的努力を続けていたが、見通しは暗かった。
『長く存続できるのか』
――――
「例の〈均衡〉の一件は、こうやって住民の行動を具体化させているかもしれないが、その原因になったものは何年もまえから存在していたんだ」
「だったらコロニー連合は何年もまえからこの事態にそなえているべきだったのよ」パウエルはすでにこの会話に退屈していた。「そうしなかったから、いまわたしたちやテュービンゲン号のみんながバカげた内輪の危機を次々と巡り歩くはめになってる。こんなのバカげているしムダだわ」
――――
文庫版p.346
反乱鎮圧、議会封鎖、脅迫、暗殺、空爆。あらゆる手段を用いてコロニー連合からの離脱を阻止しようとするコロニー防衛軍。だがあまりの強硬姿勢に住民は反発。それどころか鎮圧任務を遂行するヘザー・リー中尉ですら疑問を抱く。すでにコロニー連合の命運は尽きているのではないか。
『生きるも死ぬも』
――――
「あなたは何を望んでいるのですか?」ローウェンがたずねた。
「わたしがなにを望んでいるか?」ソルヴォーラは同じ言葉で応じると、人間の大使たちに向かってぐっと身を乗り出し、自分がおれたちの種族と比べてどれほど大きな生物であるか、そしてどれほど憤慨しているかを強調した。「あなたについて考えずにすむことを望んでいますよ、ローウェン大使! あるいはあなたについて、アブムウェ大使! あるいは人類について。これっぽっちも。理解できますか、女性大使の方々? あなたがたの種族にどれほどうんざりさせられているかを? わたしの時間のどれだけが人間たちの相手で失われているかを?(中略)もしも魔法で人類を消し去ることができるなら、わたしはそうするでしょう。ただちに」
「妥当な判断ですね」おれは言った。
――――
文庫版p.485
ついに明らかになった〈均衡〉の恐るべき計画。だが、阻止するためにはコロニー連合、地球、コロニー惑星群、そしてコンクラーベ、そのすべてが協力する必要があった。互いに対する不信と反目に満ちた各勢力を、ハリー中尉たちのチームはまとめあげることが出来るのか。今、宇宙の歴史は最大の政治的試練に直面していた。セカンドシーズンいきなりのクライマックス。
「〈均衡〉はただの楽しみでこんなことをしているわけではない。ニヒリストでもないんだし。なにか意味があるはず。なにか計画があるはず。これはなにかにつながるはず」
「“すべての物事の終わり”につながるんだ。もっとふつうに言うと、コロニー連合とコンクラーベのどちらか、あるいは両方がばらばらになって、このあたりの宙域にいるすべての種族が常におたがいに戦争をしている状態に戻るということだ」
――――
文庫版p.423
〈均衡〉と名乗る謎の組織の暗躍により地球とコロニー連合は決裂、さらにコロニー連合に属する惑星は次々と反乱を企てつつあった。一方、エイリアン種族同盟である「コンクラーベ」も、人類への対処をめぐって分裂の危機に陥る。事態が悪化して手のつけようがなくなってから面倒事を押し付けられるハリー・ウィルスン中尉の外交チームは、いつもの通り、宇宙に迫る「すべての物事の終わり」に立ち向かうことになった。「老人と宇宙」セカンドシーズン最新刊。文庫版(早川書房)出版は2017年3月、Kindle版配信は2017年3月です。
――――
「繰り返しますが、コロニー連合の破壊はその計画の一部ではあります。しかし、それはほぼ二次的なことです。わたしたちは〈均衡〉がコンクラーベを破壊するために利用する梃子です。この組織がいままでやってきたことは、地球ステーションの破壊も含めて、なにもかもその目標へ向かう活動の一環なのです」
――――
文庫版p.440
主人公をハリー・ウィルスン中尉にバトンタッチ、ストーリーの焦点をドンパチよりも外交に置いた(「バビロン5」っぽい)セカンドシーズンに突入した「老人と宇宙」シリーズ。その最新巻は、〈均衡〉の暗躍により、コロニー連合が苦境に立たされた状況から始まります。
まずは地球との関係は最悪の状況に。
――――
「地球はコロニー連合を心底憎んでいて、われわれを邪悪な存在とみなし、全員死んでくれと願っている。彼らにとってもっとも重要な宇宙への出発点だった地球ステーションが崩壊したのはわれわれのせいだと考えているのだ。われわれが手をくだしたのだと」
――――
文庫版p.38
そして、コロニー連合に属する各植民惑星は、次々と反乱を起こしつつあります。
――――
「コロニー連合はファシストもどきのクソですよ、ボス。そんなことは地球を離れるためにやつらの船に足を踏み入れた最初の日からわかっていました。だってありえないでしょう? やつらは貿易を支配しています。通信を支配しています。コロニーの自衛を許さず、コロニー連合をとおさないかぎりどんなことも勝手にはさせないんです。それに、地球に対してやってきたことは忘れられません。何世紀もずっとですよ。ねえ、中尉。いま内戦が起きているとしても驚くことじゃありません。もっと早く起きなかったことのほうが驚きです」
――――
文庫版p.378
その一方で、エイリアン種族同盟であるコンクラーベも、分裂の危機にさらされていました。
――――
「ガウ将軍が退陣させられることになったら、コンクラーベの中心が崩壊する。それでもこの同盟は存続する? しばらくのあいだは。でも、空虚な同盟でしかないし、すでにあちこちで生まれている派閥は離れていく。コンクラーベは分裂し、それらの派閥がまた分裂する。そして、なにもかも元のもくあみになる。わかるのよ、ハフト。現時点ではほとんど避けようがないわ」
――――
文庫版p.175
こうなると外交努力でどうなるという状態ではないのですが、それでも何とかしなければならないのが、われらがハリー中尉が属するコロニー連合外交チーム。
というわけで、四つの連作中篇から構成される長篇という形式で、コロニー連合最大の危機が描かれることになります。
『精神の営み』
――――
ぼくは孤独だった。生き延びるためにはやつらにすがるしかなかった。そして怯えていた。
それでも、ぼくは支配されるつもりはなかった。
たしかに隔離されてはいた。たしかに怖くてたまらなかった。
でも、すごく、すごく怒ってもいた。
――――
文庫版p.82
〈均衡〉の襲撃により捉えられたパイロットは、生きたまま脳を摘出され宇宙船につながれる。文字通り手も足も出ない状況で〈均衡〉への服従を強いられた彼は、だが不屈の精神で反撃の機会をうかがう。
『この空虚な同盟』
――――
「どの選択肢を選んでも、あなたを排除するための投票につながります。それが現実になるとき、すべてが崩壊するのです」
「以前はもっと簡単だったのだがな――コンクラーベの運営は」
「それはあなたがまだコンクラーベを築いている最中だったからです。築いているものが存在していないときのほうが、野心あるリーダーでいるのは容易です。しかし、コンクラーベが存在しているいま、あなたにはもはや野心はありません。今のあなたは、ただの役人の親玉にすぎないのです。役人が畏怖の念を呼び起こすことはありません」
――――
文庫版p.199
人類への対処をめぐって分裂の瀬戸際にあるコンクラーベ。リーダーであるガウ将軍とその副官ハフト・ソルヴォーラは、危機を回避、少なくとも先送りすべく政治的努力を続けていたが、見通しは暗かった。
『長く存続できるのか』
――――
「例の〈均衡〉の一件は、こうやって住民の行動を具体化させているかもしれないが、その原因になったものは何年もまえから存在していたんだ」
「だったらコロニー連合は何年もまえからこの事態にそなえているべきだったのよ」パウエルはすでにこの会話に退屈していた。「そうしなかったから、いまわたしたちやテュービンゲン号のみんながバカげた内輪の危機を次々と巡り歩くはめになってる。こんなのバカげているしムダだわ」
――――
文庫版p.346
反乱鎮圧、議会封鎖、脅迫、暗殺、空爆。あらゆる手段を用いてコロニー連合からの離脱を阻止しようとするコロニー防衛軍。だがあまりの強硬姿勢に住民は反発。それどころか鎮圧任務を遂行するヘザー・リー中尉ですら疑問を抱く。すでにコロニー連合の命運は尽きているのではないか。
『生きるも死ぬも』
――――
「あなたは何を望んでいるのですか?」ローウェンがたずねた。
「わたしがなにを望んでいるか?」ソルヴォーラは同じ言葉で応じると、人間の大使たちに向かってぐっと身を乗り出し、自分がおれたちの種族と比べてどれほど大きな生物であるか、そしてどれほど憤慨しているかを強調した。「あなたについて考えずにすむことを望んでいますよ、ローウェン大使! あるいはあなたについて、アブムウェ大使! あるいは人類について。これっぽっちも。理解できますか、女性大使の方々? あなたがたの種族にどれほどうんざりさせられているかを? わたしの時間のどれだけが人間たちの相手で失われているかを?(中略)もしも魔法で人類を消し去ることができるなら、わたしはそうするでしょう。ただちに」
「妥当な判断ですね」おれは言った。
――――
文庫版p.485
ついに明らかになった〈均衡〉の恐るべき計画。だが、阻止するためにはコロニー連合、地球、コロニー惑星群、そしてコンクラーベ、そのすべてが協力する必要があった。互いに対する不信と反目に満ちた各勢力を、ハリー中尉たちのチームはまとめあげることが出来るのか。今、宇宙の歴史は最大の政治的試練に直面していた。セカンドシーズンいきなりのクライマックス。
タグ:ジョン・スコルジー
『消える村』(小松郁子) [読書(小説・詩)]
――――
なたねのはなの咲く村から
どこをどう
迷ってきてしまったのだろう
たそがれになると
どこからでもかけかえれる祖父の屋敷が
そこには あって
部屋部屋には黄色い灯が
はなのように点いていた
――――
『黄昏』より全文引用
――――
屋敷は
高い高い板塀でかこまれていた
黒い板塀の中は
ひっそりしていた
板塀の角をまわると
ひとの顔をした黒い牛に出あった
柿の花が ほろほろ ほろほろふった
――――
『板塀』より全文引用
「わたしの郷土望景詩というところかもしれない」
現実には消えた村、心の中では消えない村、でもやがては消える村。故郷のことを思い起こせば、そこでは死者と生者の区別は限りなくあいまい。怪談のような語りを駆使して故郷の心象風景をえがく詩集。単行本(思潮社)出版は1997年5月です。
かつて故郷の村で見た光景が題材となっていると思しき作品が多いのですが、その表現がこう、いかにも怪談めいていてぞわぞわします。
――――
土塀の向うから
死んだ猫をつり下げている
いくら荒れていたって土塀のこちらは
こちらの庭よ
くるりとまわって東裏の門を出ると
しらない女のひとが きゃたつの上に
のっかって 死んだ猫を
紐でつり下げているのだ
猫が そちらに行きたがって
女のひとは紐をたぐりあげ
死んだ猫をだきとると
ほおずりしながら
畦づたいにいってしまった
――――
『畦』より全文引用
――――
わたしたちは
きつねばなが好きだった
ともだちとわたしは目がつりあがっていて
まるで双子ね と
ほかのともだちが気味悪がっていて
ともだちが現われた話を
きかせると
他のともだちは
あの陰気な死んだ女のひとが
していたように
いまでは 目をそむける
――――
『きつねばな』より
死者と生者の区別が曖昧な感じとか、確かに分かるような気がします。
――――
あがりかまちをあがって
最初のふすまをあけ
次のふすまをあけて 不意をつかれた
奥座敷にはひざとひざとをつきあわせて
村のひとびとが集まっていた
なぜ
と思うまもなくひどく腹が立ってきた
この家はまだわたしの家で
この家に人嫌いの老人が住んでいたとき
たれひとり足をふみ入れたものはない
(中略)
腹がたったけれど
一せいに顔をあげたひとびとはみんな
闖入者をみるけげんな顔をしていた
いつのまにかわたしの家は
村のよりあい所になっていたのだ
ありそうなことだ
いっそう腹立たしくなったけれど
後手に ぴしゃりと二回ふすまをしめてから
あの中に
この家の死んだ人嫌いの老人の顔が
たしかにあったような気がしてきた
――――
『よりあい』より
――――
青葉の美しい季節になった
たっぷり青葉をみてこようと誘いあって
叔母と山の温泉場に行くことにした
青葉をわざわざみに行こうなんて
思わなかったわね あの頃
叔母は吉井川のほとりの
消えたあの村を思い出している
そう 青葉をみたいなんて思わなかった
わたしも吉井川のこちら側の
消えたわたしの村を思っている
あるものはすべていつかはなくなるのだ
青葉に埋もれた山の宿について
窓をあけはなったとき
宿のひとがあわただしく入ってきて
継母の死を告げた
そそくさと帰り支度をはじめて
叔母とわたしは顔をみあわせた
継母はとっくに死んでいたのだ
それから
もう一度 閉めた窓を大きくひらいて
青葉に顔をうずめようとして
ふりかえる
そういえば
三つ年上の継母方のこの叔母も
先だって死んだばかりだ
――――
『青葉』より全文引用
特に奇怪なことが起きなくとも、ただの情景描写だけで背筋がちりちりしてくるような不安感が伝わってきて、なくなった故郷の思い出おそろし。
――――
まわり縁のつきあたりに
染つけのきんかくしのある上雪隠があった
上雪隠は小庭につき出ていて
廊下側のいりぐちには
青いびいどろのすだれがかかっていた
そのあたり
たれかがふいに顔を出すような
おびえがいつも漂っていた
青いびいどろは
思いもかけぬ時にちゃらちゃらちゃらと
音をたてた
――――
『びいどろ』より全文引用
――――
老人がゆっくりと
はしご段をあがっていく
ぎいぎいときしませて
廊下を歩いていく
老人はゆっくりと
もう一つのはしご段をのぼっていく
ゆっくりと廊下をひとまわりする
老人はかんてらを下げている
老人はふりかえった
老人はゆっくりと
はしご段をおりてくる
老人は
もう一つのはしごだんをおりてくる
そこで
ぼおっと 灯りが消えた
――――
『灯』より全文引用
上に引用した『灯』は本気で怖いし、『びいどろ』は最初に読んだときはさほどでもなかったのですが、後から後から「そのあたり/たれかがふいに顔を出すような/おびえがいつも漂っていた」の一節が折に触れ脳裏に浮かんできて、廊下の曲がり角とか夜中のトイレとか、生活に支障。
というわけで、思わずぞぞっと来るような怖さが漂う作品が多くなっています。幼い頃の故郷にまつわる、謎めいた、今から思うと釈然としない、奇妙な記憶。あの感じが、見事に伝わってきます。
なたねのはなの咲く村から
どこをどう
迷ってきてしまったのだろう
たそがれになると
どこからでもかけかえれる祖父の屋敷が
そこには あって
部屋部屋には黄色い灯が
はなのように点いていた
――――
『黄昏』より全文引用
――――
屋敷は
高い高い板塀でかこまれていた
黒い板塀の中は
ひっそりしていた
板塀の角をまわると
ひとの顔をした黒い牛に出あった
柿の花が ほろほろ ほろほろふった
――――
『板塀』より全文引用
「わたしの郷土望景詩というところかもしれない」
現実には消えた村、心の中では消えない村、でもやがては消える村。故郷のことを思い起こせば、そこでは死者と生者の区別は限りなくあいまい。怪談のような語りを駆使して故郷の心象風景をえがく詩集。単行本(思潮社)出版は1997年5月です。
かつて故郷の村で見た光景が題材となっていると思しき作品が多いのですが、その表現がこう、いかにも怪談めいていてぞわぞわします。
――――
土塀の向うから
死んだ猫をつり下げている
いくら荒れていたって土塀のこちらは
こちらの庭よ
くるりとまわって東裏の門を出ると
しらない女のひとが きゃたつの上に
のっかって 死んだ猫を
紐でつり下げているのだ
猫が そちらに行きたがって
女のひとは紐をたぐりあげ
死んだ猫をだきとると
ほおずりしながら
畦づたいにいってしまった
――――
『畦』より全文引用
――――
わたしたちは
きつねばなが好きだった
ともだちとわたしは目がつりあがっていて
まるで双子ね と
ほかのともだちが気味悪がっていて
ともだちが現われた話を
きかせると
他のともだちは
あの陰気な死んだ女のひとが
していたように
いまでは 目をそむける
――――
『きつねばな』より
死者と生者の区別が曖昧な感じとか、確かに分かるような気がします。
――――
あがりかまちをあがって
最初のふすまをあけ
次のふすまをあけて 不意をつかれた
奥座敷にはひざとひざとをつきあわせて
村のひとびとが集まっていた
なぜ
と思うまもなくひどく腹が立ってきた
この家はまだわたしの家で
この家に人嫌いの老人が住んでいたとき
たれひとり足をふみ入れたものはない
(中略)
腹がたったけれど
一せいに顔をあげたひとびとはみんな
闖入者をみるけげんな顔をしていた
いつのまにかわたしの家は
村のよりあい所になっていたのだ
ありそうなことだ
いっそう腹立たしくなったけれど
後手に ぴしゃりと二回ふすまをしめてから
あの中に
この家の死んだ人嫌いの老人の顔が
たしかにあったような気がしてきた
――――
『よりあい』より
――――
青葉の美しい季節になった
たっぷり青葉をみてこようと誘いあって
叔母と山の温泉場に行くことにした
青葉をわざわざみに行こうなんて
思わなかったわね あの頃
叔母は吉井川のほとりの
消えたあの村を思い出している
そう 青葉をみたいなんて思わなかった
わたしも吉井川のこちら側の
消えたわたしの村を思っている
あるものはすべていつかはなくなるのだ
青葉に埋もれた山の宿について
窓をあけはなったとき
宿のひとがあわただしく入ってきて
継母の死を告げた
そそくさと帰り支度をはじめて
叔母とわたしは顔をみあわせた
継母はとっくに死んでいたのだ
それから
もう一度 閉めた窓を大きくひらいて
青葉に顔をうずめようとして
ふりかえる
そういえば
三つ年上の継母方のこの叔母も
先だって死んだばかりだ
――――
『青葉』より全文引用
特に奇怪なことが起きなくとも、ただの情景描写だけで背筋がちりちりしてくるような不安感が伝わってきて、なくなった故郷の思い出おそろし。
――――
まわり縁のつきあたりに
染つけのきんかくしのある上雪隠があった
上雪隠は小庭につき出ていて
廊下側のいりぐちには
青いびいどろのすだれがかかっていた
そのあたり
たれかがふいに顔を出すような
おびえがいつも漂っていた
青いびいどろは
思いもかけぬ時にちゃらちゃらちゃらと
音をたてた
――――
『びいどろ』より全文引用
――――
老人がゆっくりと
はしご段をあがっていく
ぎいぎいときしませて
廊下を歩いていく
老人はゆっくりと
もう一つのはしご段をのぼっていく
ゆっくりと廊下をひとまわりする
老人はかんてらを下げている
老人はふりかえった
老人はゆっくりと
はしご段をおりてくる
老人は
もう一つのはしごだんをおりてくる
そこで
ぼおっと 灯りが消えた
――――
『灯』より全文引用
上に引用した『灯』は本気で怖いし、『びいどろ』は最初に読んだときはさほどでもなかったのですが、後から後から「そのあたり/たれかがふいに顔を出すような/おびえがいつも漂っていた」の一節が折に触れ脳裏に浮かんできて、廊下の曲がり角とか夜中のトイレとか、生活に支障。
というわけで、思わずぞぞっと来るような怖さが漂う作品が多くなっています。幼い頃の故郷にまつわる、謎めいた、今から思うと釈然としない、奇妙な記憶。あの感じが、見事に伝わってきます。
タグ:その他(小説・詩)
『氷菓とカンタータ』(財部鳥子) [読書(小説・詩)]
――――
海を越えて大陸から逃げ帰った 私は
歌のなかに消えそうだ
私の故郷はもう消えたから
合唱する友だちも消えたから
仕方なく猫 猫 好きよ と
つぶやき歌ってみた
まぁるいまぁるい深い穴
猫よ 胡弓を糸が切れるほどに弾いてくれ
――もうすぐ戦争が来るのだもの
――――
『引揚者の十月』より
「時間はどこまでも深くて底がない」
今はなき故郷、家族の記憶、博物館におさめられている過去。満州引揚者である詩人による、失われてしまった記憶のなかの故郷をめぐる詩集。単行本(書肆山田)出版は2015年10月です。
――――
その引揚者はなぜ話さないのでしょう
だれも信じないという海馬島の恐ろしいできごとを?
どこかに震えている女詩人を感じているわたしは
わざとらしい疑問符をくっつけて質問する
――――
『海馬島』より
満州で育ち、13歳前後で引揚者となった詩人が、自らの記憶を掘り起こしてゆくような詩集です。まず深く印象に刻まれるのは、なにもかも凍りついた極寒と死の光景。
――――
どこかに瀧が隠れているようなヴァイオリンの振動が
ホールの天井へのぼっていく
少年だった女詩人はもう声が出なかった
凍れる江岸で「おーい!」と叫べなかった
叫びは少年の身のうちに凍りついていたのだろう
すべてが凍りついて深い瞑想に陥るそのとき
正しいのは凍死人だけだ
少年たちは氷の上を用心深く歩いて帰る
膝やひじの関節が凍り始めている
――――
『大江のゆくえ――フランクのソナタ・イ長調から』より
――――
女詩人は市街に飾られた氷の芸術をめぐりながら
そこに 色とりどりに
飾られた北方の人の恐怖を眺める
流人たちの絶望を指して氷雪文化の粋であると誇る
故郷の人々よ
極寒を生き延びてきた一人として
衰耄する女詩人は
それを哀しい詐術だとも言えない
――――
『大江のゆくえ――フランクのソナタ・イ長調から』より
失われた故郷。
――――
練ミルク缶に開けた二つの穴に
貼りつけた紙のきれはしも砂で汚れて
故郷は
耳の穴までザラザラだ
街には黄砂がたちこめてなにも見えない
黄砂が立ち去ってもきっと見えない
なぜなら街は滅びたのだから
――――
『帰郷』より
そこに家族の記憶が挟み込まれてゆきます。母の記憶、父の記憶、そして弟の記憶。
――――
あなたが咲かせた花いっぱいのベランダを
わたしはいつの間にかすっかり枯らして
荒れ野にしてしまった
わたしは凍っているのがとても好きになった
寒いのであなたが編んだセーターを着こんでいる
あなたがあの国へ行ってしまったことを
わたしは決して納得しないだろう
あなたの後悔のような手編みのセーターがまだ三枚もある
――――
『荒れ野――母へ』より
――――
密偵阿形大尉、つまりわたしの父の日誌の多くは解読不能のままに公の書庫に収められた。ゴビからウスリーに至るまで広く大地を駆けめぐった彼は、あるいは敵に密通する者であったかもしれない。資料室はこの文書をすでに破棄することに決めていた。
二十六歳の父の残したノートのページは黄変してけば立っていた。八十年前のブルーのインキの文字は、石積みの大きな廃墟のように砕けた不確かな文字で命がけの何かを告げていた。
――――
『牙刷子』より
――――
あの鳥は弟
静かな雨 のちに晴れ
飢えがみんなに親しい時代
真っ黒い汽車に乗って
汚れた顔の
八歳の難民だったことがある
その弟が
もはや殉ずるものもなく
大きな骨を残して人世を去る日だ
毀れやすい空に
南風が青馬に乗って吹きつけている
――――
『来歴』より
博物館に収められた過去の悲劇、そして現代も繰り返される悲劇。それらが遠い記憶と響き合いつつ、ありありと浮かび上がってくる様子には思わず息をのみます。
――――
楡の木の立っている博物館の窓から
目玉のない眼の穴が百年みていた大きな鳥
蒙古人たちは鬱蒼とした楡をカササギの木と呼んだ
かならずカササギが巣を隠している 大きな秘密を隠している
――――
『カササギ――旅順にて』より
――――
空色のアイスキャンデーには
何のシロップが使われているのか
幼い頃からの大切な謎である
スーパーで買った似て非なる氷菓を食べていると
村落のはずれで
キャンデー売りの
自転車の「氷」の旗が鐘を振る
あの記憶の音は
遠いカンタータに似ている
(オルガン チェンバロ ファゴット)
そこにさびしいキャンデー売りの鐘を混ぜて
地震で崩れた校舎の
石材の隙間にいる少年を
わたしは世界で一番さびしい子と認定しよう
――――
『氷菓とカンタータ――中国・四川大地震』より
海を越えて大陸から逃げ帰った 私は
歌のなかに消えそうだ
私の故郷はもう消えたから
合唱する友だちも消えたから
仕方なく猫 猫 好きよ と
つぶやき歌ってみた
まぁるいまぁるい深い穴
猫よ 胡弓を糸が切れるほどに弾いてくれ
――もうすぐ戦争が来るのだもの
――――
『引揚者の十月』より
「時間はどこまでも深くて底がない」
今はなき故郷、家族の記憶、博物館におさめられている過去。満州引揚者である詩人による、失われてしまった記憶のなかの故郷をめぐる詩集。単行本(書肆山田)出版は2015年10月です。
――――
その引揚者はなぜ話さないのでしょう
だれも信じないという海馬島の恐ろしいできごとを?
どこかに震えている女詩人を感じているわたしは
わざとらしい疑問符をくっつけて質問する
――――
『海馬島』より
満州で育ち、13歳前後で引揚者となった詩人が、自らの記憶を掘り起こしてゆくような詩集です。まず深く印象に刻まれるのは、なにもかも凍りついた極寒と死の光景。
――――
どこかに瀧が隠れているようなヴァイオリンの振動が
ホールの天井へのぼっていく
少年だった女詩人はもう声が出なかった
凍れる江岸で「おーい!」と叫べなかった
叫びは少年の身のうちに凍りついていたのだろう
すべてが凍りついて深い瞑想に陥るそのとき
正しいのは凍死人だけだ
少年たちは氷の上を用心深く歩いて帰る
膝やひじの関節が凍り始めている
――――
『大江のゆくえ――フランクのソナタ・イ長調から』より
――――
女詩人は市街に飾られた氷の芸術をめぐりながら
そこに 色とりどりに
飾られた北方の人の恐怖を眺める
流人たちの絶望を指して氷雪文化の粋であると誇る
故郷の人々よ
極寒を生き延びてきた一人として
衰耄する女詩人は
それを哀しい詐術だとも言えない
――――
『大江のゆくえ――フランクのソナタ・イ長調から』より
失われた故郷。
――――
練ミルク缶に開けた二つの穴に
貼りつけた紙のきれはしも砂で汚れて
故郷は
耳の穴までザラザラだ
街には黄砂がたちこめてなにも見えない
黄砂が立ち去ってもきっと見えない
なぜなら街は滅びたのだから
――――
『帰郷』より
そこに家族の記憶が挟み込まれてゆきます。母の記憶、父の記憶、そして弟の記憶。
――――
あなたが咲かせた花いっぱいのベランダを
わたしはいつの間にかすっかり枯らして
荒れ野にしてしまった
わたしは凍っているのがとても好きになった
寒いのであなたが編んだセーターを着こんでいる
あなたがあの国へ行ってしまったことを
わたしは決して納得しないだろう
あなたの後悔のような手編みのセーターがまだ三枚もある
――――
『荒れ野――母へ』より
――――
密偵阿形大尉、つまりわたしの父の日誌の多くは解読不能のままに公の書庫に収められた。ゴビからウスリーに至るまで広く大地を駆けめぐった彼は、あるいは敵に密通する者であったかもしれない。資料室はこの文書をすでに破棄することに決めていた。
二十六歳の父の残したノートのページは黄変してけば立っていた。八十年前のブルーのインキの文字は、石積みの大きな廃墟のように砕けた不確かな文字で命がけの何かを告げていた。
――――
『牙刷子』より
――――
あの鳥は弟
静かな雨 のちに晴れ
飢えがみんなに親しい時代
真っ黒い汽車に乗って
汚れた顔の
八歳の難民だったことがある
その弟が
もはや殉ずるものもなく
大きな骨を残して人世を去る日だ
毀れやすい空に
南風が青馬に乗って吹きつけている
――――
『来歴』より
博物館に収められた過去の悲劇、そして現代も繰り返される悲劇。それらが遠い記憶と響き合いつつ、ありありと浮かび上がってくる様子には思わず息をのみます。
――――
楡の木の立っている博物館の窓から
目玉のない眼の穴が百年みていた大きな鳥
蒙古人たちは鬱蒼とした楡をカササギの木と呼んだ
かならずカササギが巣を隠している 大きな秘密を隠している
――――
『カササギ――旅順にて』より
――――
空色のアイスキャンデーには
何のシロップが使われているのか
幼い頃からの大切な謎である
スーパーで買った似て非なる氷菓を食べていると
村落のはずれで
キャンデー売りの
自転車の「氷」の旗が鐘を振る
あの記憶の音は
遠いカンタータに似ている
(オルガン チェンバロ ファゴット)
そこにさびしいキャンデー売りの鐘を混ぜて
地震で崩れた校舎の
石材の隙間にいる少年を
わたしは世界で一番さびしい子と認定しよう
――――
『氷菓とカンタータ――中国・四川大地震』より
タグ:その他(小説・詩)
『Life in the Desert 砂漠に棲む』(美奈子アルケトビ) [読書(随筆)]
――――
ほとんど毎晩、安くておいしいサンドウィッチを買って砂漠に出かけていた。8月のある夜、食事をした後、砂丘の上で寝転んで話していると、その日はたまたま流星群の日だったらしく、流れ星が次々に流れ、ふたりで明け方までそれを数えた。その時にオットは「ここに家を建てよう」と思ったそうで、その場所に今私たちは住んでいる。
――――
ガゼル、イヌ、ハト、ウマ、ウサギ、ラクダ、ウシ、ヤギ、ヒツジ、ニワトリ、オット、ネコなど200個体の家族と共に砂漠に棲んでいる著者による、砂漠と動物たちの美しい写真集。単行本(玄光社)出版は2017年4月です。
――――
アラブ諸国にも、UAEにも、イスラム教にも、砂漠にも、まったく縁がなく、興味もなく、知識も偏見もなにもない、まっさらな状態でオットと知り合い、ほぼまっさらなままでここに来た。(中略)よく「結婚を決めるのに不安はなかったのか」と聞かれるけど、UAE人と結婚してアル・アインに住んでいる日本人は多分いないと聞いた時には、「初めての日本人!」と、わくわくした思いしかなかった。
――――
結婚してアラブ首長国連邦UAEのアル・アインに移住した「初めての日本人」である著者。それだけでもすごいのに、さらに砂漠に家を建て、そこで200個体の家族と共に暮らしているというから驚きです。
本書は、そんな著者による、美しい砂漠の光景や家族の写真を集めた写真集です。全体は四つの章から構成されています。
「砂漠」
――――
13年という長い付き合いをしてきた砂漠は、天候、空の色、時間帯と、その時々に違う顔を見せ、一度として飽きたことはなく、荒れ狂うような砂嵐も、時に見とれてしまう。
――――
砂丘をとりまく風紋、砂の平原を包み込む霧、ラクダの隊列、撥ねるガゼルたち、砂漠の地平線から昇りゆく太陽。息をのむような砂漠の光景が広がります。「ラクダやロバが当たり前のようにわが家の裏を散歩してゆく」という砂漠の暮らし。
「家族」
――――
わが家の家族構成は、私とオット、ほかは、カゼル、イヌ、ハト、ウマ、ネコ、ウサギ、ラクダ、ウシ、ヤギ、ヒツジ、ニワトリと、全て動物。約200の命と顔を合わせる毎日である。ラクダやウシは売ることもあるし、ヤギやヒツジやニワトリは食べることもある。ざっと数えて60匹のネコたちは、ほとんどが外で自由気ままに過ごしていて、ふらっといなくなり、またふらっと帰ってくる者もいる。そんな彼らも、私たちは「家族」と呼んでいる。(中略)ただ「かわいいね」だけで済ませるわけにはいかない存在。それが私たちにとっての「家族」。
――――
「オットのことを母と思って育った」ガゼルは家の中で堂々と昼寝し、「著者のことを自分の妻と思っている」ハトは“ライバル”であるオットを追い出そうとし、ラクダの子供たちは“幼稚園”に集まって遊び、ネコは砂漠をどこまでも歩いてゆく。家族である動物たちの活き活きとした写真が掲載されています。
「暮らし」
――――
家の土台になっている砂丘は、崩れないように4ヶ月かけて地固めし、砂漠の地下を流れる地下水をいただいて生活している。家は自分たちで設計し、タイル、窓、ドア、照明、洗面台、鏡などは、あちこち歩き回ってひとつひとつ探し、自分たちでデザインもし、時には「これは失敗だったね」ということもあるけれど、ふたりの好きなものがそこここに詰まっている。
――――
玄関、門扉、別棟(ゲストハウス)、そして様々な家具や調度品の写真が掲載されています。当たり前のように居間で寝ているガゼル。
「そして人生は続いていく」
――――
砂漠に棲むことも、動物たちと本気で向き合う生活を送るなんてことも、想像すらしていなかった。今日の鮮やかな夕日に映えた風紋と同じものを見ることは二度とない。明日も同じように一緒に散歩するつもりだった家族に、突然、永遠に会えなくなることもある。(中略)特別なことはない、淡々とした、でも、いつまでもこんなふうに続いていくとは限らない、ぎゅっと握っていたくても、いつでも簡単に手からこぼれてしまいそうな日々が愛おしい。この本に収めた写真はどれも、私にとって日常を切り取ったものだけれど、ひとつひとつに、そんな想いが詰まっている。
――――
あとがき。結婚に至るまでの話や、アル・アインの位置を示す地図(意外にドバイに近い)、オットと二人で写っている写真、ガゼルたちの名前リストなど。
ほとんど毎晩、安くておいしいサンドウィッチを買って砂漠に出かけていた。8月のある夜、食事をした後、砂丘の上で寝転んで話していると、その日はたまたま流星群の日だったらしく、流れ星が次々に流れ、ふたりで明け方までそれを数えた。その時にオットは「ここに家を建てよう」と思ったそうで、その場所に今私たちは住んでいる。
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ガゼル、イヌ、ハト、ウマ、ウサギ、ラクダ、ウシ、ヤギ、ヒツジ、ニワトリ、オット、ネコなど200個体の家族と共に砂漠に棲んでいる著者による、砂漠と動物たちの美しい写真集。単行本(玄光社)出版は2017年4月です。
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アラブ諸国にも、UAEにも、イスラム教にも、砂漠にも、まったく縁がなく、興味もなく、知識も偏見もなにもない、まっさらな状態でオットと知り合い、ほぼまっさらなままでここに来た。(中略)よく「結婚を決めるのに不安はなかったのか」と聞かれるけど、UAE人と結婚してアル・アインに住んでいる日本人は多分いないと聞いた時には、「初めての日本人!」と、わくわくした思いしかなかった。
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結婚してアラブ首長国連邦UAEのアル・アインに移住した「初めての日本人」である著者。それだけでもすごいのに、さらに砂漠に家を建て、そこで200個体の家族と共に暮らしているというから驚きです。
本書は、そんな著者による、美しい砂漠の光景や家族の写真を集めた写真集です。全体は四つの章から構成されています。
「砂漠」
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13年という長い付き合いをしてきた砂漠は、天候、空の色、時間帯と、その時々に違う顔を見せ、一度として飽きたことはなく、荒れ狂うような砂嵐も、時に見とれてしまう。
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砂丘をとりまく風紋、砂の平原を包み込む霧、ラクダの隊列、撥ねるガゼルたち、砂漠の地平線から昇りゆく太陽。息をのむような砂漠の光景が広がります。「ラクダやロバが当たり前のようにわが家の裏を散歩してゆく」という砂漠の暮らし。
「家族」
――――
わが家の家族構成は、私とオット、ほかは、カゼル、イヌ、ハト、ウマ、ネコ、ウサギ、ラクダ、ウシ、ヤギ、ヒツジ、ニワトリと、全て動物。約200の命と顔を合わせる毎日である。ラクダやウシは売ることもあるし、ヤギやヒツジやニワトリは食べることもある。ざっと数えて60匹のネコたちは、ほとんどが外で自由気ままに過ごしていて、ふらっといなくなり、またふらっと帰ってくる者もいる。そんな彼らも、私たちは「家族」と呼んでいる。(中略)ただ「かわいいね」だけで済ませるわけにはいかない存在。それが私たちにとっての「家族」。
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「オットのことを母と思って育った」ガゼルは家の中で堂々と昼寝し、「著者のことを自分の妻と思っている」ハトは“ライバル”であるオットを追い出そうとし、ラクダの子供たちは“幼稚園”に集まって遊び、ネコは砂漠をどこまでも歩いてゆく。家族である動物たちの活き活きとした写真が掲載されています。
「暮らし」
――――
家の土台になっている砂丘は、崩れないように4ヶ月かけて地固めし、砂漠の地下を流れる地下水をいただいて生活している。家は自分たちで設計し、タイル、窓、ドア、照明、洗面台、鏡などは、あちこち歩き回ってひとつひとつ探し、自分たちでデザインもし、時には「これは失敗だったね」ということもあるけれど、ふたりの好きなものがそこここに詰まっている。
――――
玄関、門扉、別棟(ゲストハウス)、そして様々な家具や調度品の写真が掲載されています。当たり前のように居間で寝ているガゼル。
「そして人生は続いていく」
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砂漠に棲むことも、動物たちと本気で向き合う生活を送るなんてことも、想像すらしていなかった。今日の鮮やかな夕日に映えた風紋と同じものを見ることは二度とない。明日も同じように一緒に散歩するつもりだった家族に、突然、永遠に会えなくなることもある。(中略)特別なことはない、淡々とした、でも、いつまでもこんなふうに続いていくとは限らない、ぎゅっと握っていたくても、いつでも簡単に手からこぼれてしまいそうな日々が愛おしい。この本に収めた写真はどれも、私にとって日常を切り取ったものだけれど、ひとつひとつに、そんな想いが詰まっている。
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あとがき。結婚に至るまでの話や、アル・アインの位置を示す地図(意外にドバイに近い)、オットと二人で写っている写真、ガゼルたちの名前リストなど。
タグ:その他(随筆)
『マヨネーズ』(仲田有里) [読書(小説・詩)]
――――
マヨネーズ頭の上に搾られてマヨネーズと一緒に生きる
――――
菓子パンやプリンを食べるのが一番楽であとはしんどい
――――
このシャツもカーディガンもスニーカーもいつかどこかで私が選んだ
――――
マンガにも映画にもおっぱいは出る 湯船に浮かぶ 胸は大切
――――
君のこと考えながら考えすぎないようにわたし桃のように寝る
――――
暮らしのなかにある小さな喜び、ささやかな感動、みたいもの絶対に詠まない。日々の疲弊感を、ある種の諦念を、そのまま無感動に、ぶっきらぼうに、差し出すような生活歌集。単行本(思潮社)出版は2017年3月です。
普通、頭からマヨネーズとかそういう面倒事が降りかかってきたり、過労で倒れて病院に行ったり、台風や母親が来たりすれば、何らかのアクションを起こすか、少なくとも心が動くわけですが、そういうそぶりを見せず、無感動に事実をただ述べた、そんな印象を受ける作品が並びます。
――――
マヨネーズ頭の上に搾られてマヨネーズと一緒に生きる
――――
――――
点滴で治しましょうと寝ころんで透明な液大量に
――――
――――
生きている人がたくさんやってきて帰っていくのを毎日見てる
――――
――――
ベランダを掃いたら埃がすごくて、台風が来て、母親が来る
――――
――――
ハブラシが一本立ったコップにも黴が生えてる埃が降ってる
――――
マヨネーズまみれでも、過労で倒れても、部屋が埃だらけでも、抜本的な対処まで手が回らず、とりあえずそのまましのぐ、そんな生活。
食事をうたった作品でも、美味しいとか、不味いとか、とにかく味覚描写というものが欠落していて、いつもと同じものをただ食べる、それも「しんどい」と思いながら食べる、そんな作品が続きます。全体的に感じられるのは、疲弊感というか、抑鬱感というか、何もかも面倒になったときの、あの気だるさのようなもの。
――――
食パンとヨーグルトとゆで卵大切な朝食がいつもと同じ
――――
――――
つまらない電車が過ぎるつまらないコンビニへ行くご飯を食べる
――――
――――
菓子パンやプリンを食べるのが一番楽であとはしんどい
――――
――――
いちごかグレープフルーツが食べたくてそれを買ってくる想像をする
――――
――――
ベランダに外れた網戸が立てかけてある豚肉とキャベツ炒める
――――
――――
食べ物を食べてしまう 蛍光灯をつけたらまぶしい 布団を着る
――――
浴室でも、もう面倒なことはぜんぶ明日まわし、という気持ちが見えます。メディアで性的消費の対象にされるパーツだけ「大切」という表現からは、自分というものに価値を見いだせない悲しみも伝わってきます。
――――
食事中降ってくる虫 ぬるぬるの浴槽 人目を気にしない朝
――――
――――
マンガにも映画にもおっぱいは出る 湯船に浮かぶ 胸は大切
――――
――――
お風呂場で20分ほど水底を見つめていてもわたしはひとり
――――
――――
浴槽に浮いた髪も濡れたまま寝た髪もいずれは乾く日々
――――
――――
星を見て体を洗って洗い物大量に残しわたしは寝ます
――――
「あきらめ」「無反応」「考えすぎないように」といった諦観を感じさせる言葉も多用され、生々しい印象を残します。
――――
しんしんと降る雪何も起こってない事については無反応です
――――
――――
何もかもある世界で何も起きなくてもいいと思うあきらめ
――――
――――
このシャツもカーディガンもスニーカーもいつかどこかで私が選んだ
――――
――――
君のこと考えながら考えすぎないようにわたし桃のように寝る
――――
というわけで、「日常のなかにあるささやかな感動」みたいなものを絶対に詠んでやるかという意地を感じさせる歌集です。その依怙地な姿勢の背後から、静かな哀しみのようなものが立ち上ってきます。
マヨネーズ頭の上に搾られてマヨネーズと一緒に生きる
――――
菓子パンやプリンを食べるのが一番楽であとはしんどい
――――
このシャツもカーディガンもスニーカーもいつかどこかで私が選んだ
――――
マンガにも映画にもおっぱいは出る 湯船に浮かぶ 胸は大切
――――
君のこと考えながら考えすぎないようにわたし桃のように寝る
――――
暮らしのなかにある小さな喜び、ささやかな感動、みたいもの絶対に詠まない。日々の疲弊感を、ある種の諦念を、そのまま無感動に、ぶっきらぼうに、差し出すような生活歌集。単行本(思潮社)出版は2017年3月です。
普通、頭からマヨネーズとかそういう面倒事が降りかかってきたり、過労で倒れて病院に行ったり、台風や母親が来たりすれば、何らかのアクションを起こすか、少なくとも心が動くわけですが、そういうそぶりを見せず、無感動に事実をただ述べた、そんな印象を受ける作品が並びます。
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マヨネーズ頭の上に搾られてマヨネーズと一緒に生きる
――――
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点滴で治しましょうと寝ころんで透明な液大量に
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生きている人がたくさんやってきて帰っていくのを毎日見てる
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ベランダを掃いたら埃がすごくて、台風が来て、母親が来る
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ハブラシが一本立ったコップにも黴が生えてる埃が降ってる
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マヨネーズまみれでも、過労で倒れても、部屋が埃だらけでも、抜本的な対処まで手が回らず、とりあえずそのまましのぐ、そんな生活。
食事をうたった作品でも、美味しいとか、不味いとか、とにかく味覚描写というものが欠落していて、いつもと同じものをただ食べる、それも「しんどい」と思いながら食べる、そんな作品が続きます。全体的に感じられるのは、疲弊感というか、抑鬱感というか、何もかも面倒になったときの、あの気だるさのようなもの。
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食パンとヨーグルトとゆで卵大切な朝食がいつもと同じ
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つまらない電車が過ぎるつまらないコンビニへ行くご飯を食べる
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菓子パンやプリンを食べるのが一番楽であとはしんどい
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いちごかグレープフルーツが食べたくてそれを買ってくる想像をする
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ベランダに外れた網戸が立てかけてある豚肉とキャベツ炒める
――――
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食べ物を食べてしまう 蛍光灯をつけたらまぶしい 布団を着る
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浴室でも、もう面倒なことはぜんぶ明日まわし、という気持ちが見えます。メディアで性的消費の対象にされるパーツだけ「大切」という表現からは、自分というものに価値を見いだせない悲しみも伝わってきます。
――――
食事中降ってくる虫 ぬるぬるの浴槽 人目を気にしない朝
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マンガにも映画にもおっぱいは出る 湯船に浮かぶ 胸は大切
――――
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お風呂場で20分ほど水底を見つめていてもわたしはひとり
――――
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浴槽に浮いた髪も濡れたまま寝た髪もいずれは乾く日々
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星を見て体を洗って洗い物大量に残しわたしは寝ます
――――
「あきらめ」「無反応」「考えすぎないように」といった諦観を感じさせる言葉も多用され、生々しい印象を残します。
――――
しんしんと降る雪何も起こってない事については無反応です
――――
――――
何もかもある世界で何も起きなくてもいいと思うあきらめ
――――
――――
このシャツもカーディガンもスニーカーもいつかどこかで私が選んだ
――――
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君のこと考えながら考えすぎないようにわたし桃のように寝る
――――
というわけで、「日常のなかにあるささやかな感動」みたいなものを絶対に詠んでやるかという意地を感じさせる歌集です。その依怙地な姿勢の背後から、静かな哀しみのようなものが立ち上ってきます。
タグ:その他(小説・詩)