『「役に立たない」研究の未来』(初田哲男、大隅良典、隠岐さや香、柴藤亮介:編) [読書(サイエンス)]
――――
競争的資金には大きく分けると、研究者の自由な発想にもとづくボトムアップ型の研究費と、出口志向の強いトップダウン型の研究費があり、近年では、後者への投資が増えてきています。トップダウン型の研究費は、経済的価値につながる「役に立つ」研究分野に重点的に配分されることが多く、この「選択と集中」の施策については多くの研究者が疑問を持っています。
もちろん、経済的価値の見込める研究への投資は重要ですが、「役に立つ」研究を支えているのは、研究者の自由な発想から生まれた無数の「役に立たない」(とされる)研究、すなわち運営費交付金により支えられている「基礎研究」であることも同時に考えていかなくてはなりません。なにより、読み進めていただければおわかりになるとおり、そもそも何をもって「役に立つ」研究とするのかは非常にあいまいで、難しい問題なのです。
――――
単行本p.5
日本における基礎研究は危機的状況にある。「選択と集中」が叫ばれ、とにかく役に立つ研究、お金が儲かる研究をやれ、そうでない研究には金を出さない、という風潮がかつてなく強まっているのだ。研究現場に身を置く科学者たち、そして科学史の研究者が、基礎研究が置かれている状況と課題、解決策について語り合った対談を単行本化した一冊。単行本(柏書房)出版は2021年4月、Kindle版配信は2021年4月です。
――――
われわれ研究者は、運営費交付金のことをよく「生活費」というんですけれども、それは研究者が、自分の好奇心のおもむくままに研究をおこなうのに最低限必要な資金なのです。そのような研究をおこなえる日々があって、そのうえで初めて、「選択と集中」をするという可能性がようやく出てくる。ここ十数年は、そのバランスが崩れていると言えますね。これは非常に大きな問題だと思います。(中略)
日本の行政機関でよく見かけるのは、「海外ではこんなに進んでいる、なのに日本では遅れている、だから集中的にお金を投資しなきゃいけない」という謎の論理です。これって、まだ誰も知らない真理を発見しようと努力している科学者からすると理解不可能な論理です。このような意味でも、科学者、あるいは科学とは何かを理解している人が科学政策の策定に関与することが大事だと思います。
――――
単行本p.103、104
多様性をその本質とし、応用研究との循環的な発展や長期的波及効果により評価されるべき基礎研究が、選択と集中、成果主義、説明責任、費用対効果、といった言葉によっていかに潰され、歪なものになっているかという現状が切実に語られます。さらには若い研究者が失敗を極端に恐れて「役に立つ」と見なされそうな研究にしか手を出さない、といった悪循環までが生じているといいます。では、研究者はどうすればよいのでしょうか。そして企業や民間団体、そしてわれわれ市民に出来ることは。
対談本なので話は行ったり来たり繰り返したりして必ずしもまとまりがよい印象にはならないのですが、基礎研究の現場が今どういう状況にあるのかを生々しく伝えてくれる点で、研究者を目指している若い方には一読をお勧めします。もちろん科学政策の策定に関与している方にも。
――――
ここで私からお話ししておきたいのは、なるべく多くの人が、学問の短期的な価値、とくに経済的・軍事的な価値だけでなく、長期的な有用性であるとか、有用性という言葉によらない精神的な価値といったものを意識できる状態をつくることの大切さです。これは、単に学者がすばらしい研究成果について社会に向かって話せばいいということではなく、周辺的な状況も関わってくると思います。つまり、真に重要なのは「教育」と「経済」なのです。
教育の中で、長い時間をかけて研究の成果を伝えていくことに加えて、経済状況を改善していく必要がある。(中略)すぐには「役に立たない」科学のための場所を増やすには、まず、機会の不平等が過剰でない社会が前提になってくるはずですし、そういう社会を私たちはつくっていかなければならないのだと思います。
――――
単行本p.90
競争的資金には大きく分けると、研究者の自由な発想にもとづくボトムアップ型の研究費と、出口志向の強いトップダウン型の研究費があり、近年では、後者への投資が増えてきています。トップダウン型の研究費は、経済的価値につながる「役に立つ」研究分野に重点的に配分されることが多く、この「選択と集中」の施策については多くの研究者が疑問を持っています。
もちろん、経済的価値の見込める研究への投資は重要ですが、「役に立つ」研究を支えているのは、研究者の自由な発想から生まれた無数の「役に立たない」(とされる)研究、すなわち運営費交付金により支えられている「基礎研究」であることも同時に考えていかなくてはなりません。なにより、読み進めていただければおわかりになるとおり、そもそも何をもって「役に立つ」研究とするのかは非常にあいまいで、難しい問題なのです。
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単行本p.5
日本における基礎研究は危機的状況にある。「選択と集中」が叫ばれ、とにかく役に立つ研究、お金が儲かる研究をやれ、そうでない研究には金を出さない、という風潮がかつてなく強まっているのだ。研究現場に身を置く科学者たち、そして科学史の研究者が、基礎研究が置かれている状況と課題、解決策について語り合った対談を単行本化した一冊。単行本(柏書房)出版は2021年4月、Kindle版配信は2021年4月です。
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われわれ研究者は、運営費交付金のことをよく「生活費」というんですけれども、それは研究者が、自分の好奇心のおもむくままに研究をおこなうのに最低限必要な資金なのです。そのような研究をおこなえる日々があって、そのうえで初めて、「選択と集中」をするという可能性がようやく出てくる。ここ十数年は、そのバランスが崩れていると言えますね。これは非常に大きな問題だと思います。(中略)
日本の行政機関でよく見かけるのは、「海外ではこんなに進んでいる、なのに日本では遅れている、だから集中的にお金を投資しなきゃいけない」という謎の論理です。これって、まだ誰も知らない真理を発見しようと努力している科学者からすると理解不可能な論理です。このような意味でも、科学者、あるいは科学とは何かを理解している人が科学政策の策定に関与することが大事だと思います。
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単行本p.103、104
多様性をその本質とし、応用研究との循環的な発展や長期的波及効果により評価されるべき基礎研究が、選択と集中、成果主義、説明責任、費用対効果、といった言葉によっていかに潰され、歪なものになっているかという現状が切実に語られます。さらには若い研究者が失敗を極端に恐れて「役に立つ」と見なされそうな研究にしか手を出さない、といった悪循環までが生じているといいます。では、研究者はどうすればよいのでしょうか。そして企業や民間団体、そしてわれわれ市民に出来ることは。
対談本なので話は行ったり来たり繰り返したりして必ずしもまとまりがよい印象にはならないのですが、基礎研究の現場が今どういう状況にあるのかを生々しく伝えてくれる点で、研究者を目指している若い方には一読をお勧めします。もちろん科学政策の策定に関与している方にも。
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ここで私からお話ししておきたいのは、なるべく多くの人が、学問の短期的な価値、とくに経済的・軍事的な価値だけでなく、長期的な有用性であるとか、有用性という言葉によらない精神的な価値といったものを意識できる状態をつくることの大切さです。これは、単に学者がすばらしい研究成果について社会に向かって話せばいいということではなく、周辺的な状況も関わってくると思います。つまり、真に重要なのは「教育」と「経済」なのです。
教育の中で、長い時間をかけて研究の成果を伝えていくことに加えて、経済状況を改善していく必要がある。(中略)すぐには「役に立たない」科学のための場所を増やすには、まず、機会の不平等が過剰でない社会が前提になってくるはずですし、そういう社会を私たちはつくっていかなければならないのだと思います。
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単行本p.90
タグ:その他(サイエンス)
『ランチタイムのぶたぶた』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]
――――
いつかこのコロナ禍を抜けたら、太明は本当にごはん友だちを作ろうと思っていた。楽しく静かにごはんを一緒に食べるだけの友だち。一人でいい。話すことも、ごはんのことだけでいい。おいしいねって話すだけの友だち。
そんな友だちは、夢のようなものに思えるけれども――ぶたぶたが近くにいたら、そうなれそう、と思えるのだ。彼みたいな人は、確かに希有な存在だし、まったく同じ人はいないだろうけど、彼と同じように楽しい人はきっとどこかにいるはず。
そんな人を探したい。どこにでもごはんを食べに行けるようになったら。
――――
文庫版p.186
見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、中身は頼りになる中年男。そんな山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。大好評「ぶたぶたシリーズ」は、そんなハートウォーミングな奇跡の物語。
最新作は、新型コロナ禍により長期休業に追い込まれ窮地に立たされている飲食店経営者ぶたぶたと、同じく悩み苦しんでいる人々との出会い、そしてその先にある希望を描く7篇を収録した短編集。文庫版(光文社)出版は2021年6月です。
悩める語り手がたまたま入った飲食店で山崎ぶたぶた氏に出会ったことで解決の糸口や気持ちの整理を手に入れる、というのが「ぶたぶたシリーズ」の定型のひとつです。ところが今回、大いに悩み苦しんでいるのはぶたぶたも同じ。
――――
今回はすべて今現在のコロナ禍の世界を舞台にした物語です。ぶたぶたは今までたくさん、飲食店を経営してきました(すごいやり手の実業家みたいな言い方ですけど)。現実であったら、彼のお店もこの世界的な災害に否応なく巻き込まれていたに違いないわけです。(中略)
今回、書いていてそういう方向になっていったということは、私自身の生活がほとんど変わっていなくても、このコロナ禍が自分の現実であるとやっと認識したということかもしれません。現実にぶたぶたがいるとするならば、彼のためにもこの災害を忘れないよう書かねばならなかったと――今では思っています。
――――
「あとがき」より
いつも読者を救ってくれるぶたぶた。世の中それほど酷いことばかりじゃない、信頼できる人もいるし、自分がそんな人になって誰かを助けることも出来る、と教えてくれるぶたぶた。そのぶたぶたが苦境にあるとき、彼を勇気づけ支えるのは誰か。友人、知人、家族、そして私たち。現実の世界でコロナ禍に悩み苦しんでいるすべての読者のための、勇気と希望と食いしん坊の7篇。
[収録作品]
『寝落ちの神様』
『ぶたにくざんまい』
『助けに来てくれた人』
『ぶたぶたのお弁当』
『相席の思い出』
『さいかいの日』
『日曜日の朝』
『寝落ちの神様』
――――
一瞬何を言われたのかわからない。お弁当を持ってきて、いきなり「食べてください」とは? なんで?
「俺に?」
「そうです」
改めて訊くまでもなかった。どうして自分が、こんなぬいぐるみの弁当を食べなくてはならないのだろう。
――――
文庫版p.15
授業がオンライン化され、クラスメートとのコミュニケーションも何となくうまくゆかず、疎外感に苦しんでいる大学生。生活も乱れ、やつれてゆく彼のところに、小さなピンクのぶたのぬいぐるみが弁当を持ってきて一緒に食べろと言い出す。なにこのメルヘン。ゲーム仲間に教えると「それは「寝落ちの神様」だよ」と言われたのだが……。意外なひとひねりがある作品。
『ぶたにくざんまい』
――――
すっかり夢中で食べてしまった。半分ほどになった時、お茶を飲んでハッとする。あのぬいぐるみは!?
奥のテーブルを見ると、ぬいぐるみは豚汁をまた食べていた。というより、もう食べ終わる頃? 唐揚げの皿は空っぽで、パセリすらない。
自分の食い意地をこんなに悔やんだことはない。こんな機会、多分もうない。ぶたのぬいぐるみが豚肉の唐揚げを食べるところを見るなど――たとえ夢だとしても、こんな変な夢、もう一度見る機会はない。
――――
文庫版p.69
業務がリモートワークになり、ライチタイムに外食する楽しみが失われて悲しむ在宅食いしん坊。散歩の途中でみかけたピンクのぶたのぬいぐるみのあとをつけてゆくと、何と「ぶたにくざんまい」という料理店に入ってゆくではないか。マジですか。追いかけるようにして店に入ってみたところ……。飲食店経営も危機的、そして食いしん坊も危機的。やっぱりおいしいものを食べるって人を救うよね。
『助けに来てくれた人』
――――
「ぶたぶた、うちに来て!」
「えっ」
「作り方、うちで教えて」
我ながら名案だ。
ぶたぶたはちょっとだけ鼻をぷにぷにすると、
「わかった。行くよ」
と言った。すごい! これで解決!
――――
文庫版p.89
お母さんが病気で寝込んでいるため、何とか自分でごはんを用意してあげようと決意した幼い子ども。まずはお買い物。だったんだけど途中で出会ったピンクのぶたのぬいぐるみがお弁当の作り方を教えてくれるというので……。はじめての料理に挑む子どもの姿を描く作品。
『ぶたぶたのお弁当』
――――
もっか聖乃が夢中になっているのは、「あのお弁当を詰めているのは誰か」という妄想だった。ぬいぐるみの家族がいる、というところまで想像はしたのだが、みんな同じような大きさだとやっぱりコンロに手が届かないから、人間と住んでいるのかも、と思い始めている。(中略)
どっちにしろなんだか楽しそうだな。聖乃は自分の、平凡という言葉でしか言い表せないが、その実あくせく働かなければ気持ちが落ち着かない毎日を思うと、少しため息が出る。ぶたぶたは、見ているだけで楽しそうで、聖乃にも少しそれを分けてもらえる気がしていた。
――――
文庫版p.141
勤務先のスーパーにやってきた新しいバイトのおじさんは、ピンクのぶたのぬいぐるみ。昼休みにいつも弁当を嬉しそうに食べている彼を見ていると、こちらまで少し楽しくなる。しかしそれにしても、あの弁当は誰が作ってるのだろうか?
経営している飲食店が休業中で再開の目処も立たないまま家計を支えるためにアルバイトで働く山崎ぶたぶた。それでも決してくじけず、いつもお弁当をごきげんで食べる彼の姿が忘れがたい作品。
『相席の思い出』
――――
いろいろなところで相席をしたけれども、ぶたぶたとの相席以上に印象に残っているものはなかった。当然とも言えるが。あれ以上、不思議でかわいらしく、そして優しく気さくな常連さんはいない。
今では相席なんて無理なことになってしまった。袖すり合うも他生の縁、ということで、食べている間のちょっとしたおしゃべりすらなつかしく思うことがあるとは。あの時は考えもしなかった。そうだ、シェアもできないな。あの時は何も気にせずできたけれど、いつかまたできるようになるのだろうか。
――――
文庫版p.184
出張の楽しみといえば現地の名店で食べる昼食。それにつけても思い出されるのは、ピンクのぶたのぬいぐるみと相席したときのこと。気さくにおしゃべりして、料理を分け合った、楽しい思い出。それもコロナ禍ですべて出来なくなってしまった。あの日、ぶたぶたが経営しているという飲食店に必ず行くと約束したのに、店は今も閉店したまま。いつか再開する日は来るのだろうか?
以上の五篇はどれから読んでも大丈夫ですが、続く『さいかいの日』と『日曜日の朝』は最後にとっておくことを強くお勧めします。これは希望の物語。どんな災厄にも終わりがあります。本当に大切なものを捨てない限り、その日はおそらく意外に近いのです。
いつかこのコロナ禍を抜けたら、太明は本当にごはん友だちを作ろうと思っていた。楽しく静かにごはんを一緒に食べるだけの友だち。一人でいい。話すことも、ごはんのことだけでいい。おいしいねって話すだけの友だち。
そんな友だちは、夢のようなものに思えるけれども――ぶたぶたが近くにいたら、そうなれそう、と思えるのだ。彼みたいな人は、確かに希有な存在だし、まったく同じ人はいないだろうけど、彼と同じように楽しい人はきっとどこかにいるはず。
そんな人を探したい。どこにでもごはんを食べに行けるようになったら。
――――
文庫版p.186
見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、中身は頼りになる中年男。そんな山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。大好評「ぶたぶたシリーズ」は、そんなハートウォーミングな奇跡の物語。
最新作は、新型コロナ禍により長期休業に追い込まれ窮地に立たされている飲食店経営者ぶたぶたと、同じく悩み苦しんでいる人々との出会い、そしてその先にある希望を描く7篇を収録した短編集。文庫版(光文社)出版は2021年6月です。
悩める語り手がたまたま入った飲食店で山崎ぶたぶた氏に出会ったことで解決の糸口や気持ちの整理を手に入れる、というのが「ぶたぶたシリーズ」の定型のひとつです。ところが今回、大いに悩み苦しんでいるのはぶたぶたも同じ。
――――
今回はすべて今現在のコロナ禍の世界を舞台にした物語です。ぶたぶたは今までたくさん、飲食店を経営してきました(すごいやり手の実業家みたいな言い方ですけど)。現実であったら、彼のお店もこの世界的な災害に否応なく巻き込まれていたに違いないわけです。(中略)
今回、書いていてそういう方向になっていったということは、私自身の生活がほとんど変わっていなくても、このコロナ禍が自分の現実であるとやっと認識したということかもしれません。現実にぶたぶたがいるとするならば、彼のためにもこの災害を忘れないよう書かねばならなかったと――今では思っています。
――――
「あとがき」より
いつも読者を救ってくれるぶたぶた。世の中それほど酷いことばかりじゃない、信頼できる人もいるし、自分がそんな人になって誰かを助けることも出来る、と教えてくれるぶたぶた。そのぶたぶたが苦境にあるとき、彼を勇気づけ支えるのは誰か。友人、知人、家族、そして私たち。現実の世界でコロナ禍に悩み苦しんでいるすべての読者のための、勇気と希望と食いしん坊の7篇。
[収録作品]
『寝落ちの神様』
『ぶたにくざんまい』
『助けに来てくれた人』
『ぶたぶたのお弁当』
『相席の思い出』
『さいかいの日』
『日曜日の朝』
『寝落ちの神様』
――――
一瞬何を言われたのかわからない。お弁当を持ってきて、いきなり「食べてください」とは? なんで?
「俺に?」
「そうです」
改めて訊くまでもなかった。どうして自分が、こんなぬいぐるみの弁当を食べなくてはならないのだろう。
――――
文庫版p.15
授業がオンライン化され、クラスメートとのコミュニケーションも何となくうまくゆかず、疎外感に苦しんでいる大学生。生活も乱れ、やつれてゆく彼のところに、小さなピンクのぶたのぬいぐるみが弁当を持ってきて一緒に食べろと言い出す。なにこのメルヘン。ゲーム仲間に教えると「それは「寝落ちの神様」だよ」と言われたのだが……。意外なひとひねりがある作品。
『ぶたにくざんまい』
――――
すっかり夢中で食べてしまった。半分ほどになった時、お茶を飲んでハッとする。あのぬいぐるみは!?
奥のテーブルを見ると、ぬいぐるみは豚汁をまた食べていた。というより、もう食べ終わる頃? 唐揚げの皿は空っぽで、パセリすらない。
自分の食い意地をこんなに悔やんだことはない。こんな機会、多分もうない。ぶたのぬいぐるみが豚肉の唐揚げを食べるところを見るなど――たとえ夢だとしても、こんな変な夢、もう一度見る機会はない。
――――
文庫版p.69
業務がリモートワークになり、ライチタイムに外食する楽しみが失われて悲しむ在宅食いしん坊。散歩の途中でみかけたピンクのぶたのぬいぐるみのあとをつけてゆくと、何と「ぶたにくざんまい」という料理店に入ってゆくではないか。マジですか。追いかけるようにして店に入ってみたところ……。飲食店経営も危機的、そして食いしん坊も危機的。やっぱりおいしいものを食べるって人を救うよね。
『助けに来てくれた人』
――――
「ぶたぶた、うちに来て!」
「えっ」
「作り方、うちで教えて」
我ながら名案だ。
ぶたぶたはちょっとだけ鼻をぷにぷにすると、
「わかった。行くよ」
と言った。すごい! これで解決!
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文庫版p.89
お母さんが病気で寝込んでいるため、何とか自分でごはんを用意してあげようと決意した幼い子ども。まずはお買い物。だったんだけど途中で出会ったピンクのぶたのぬいぐるみがお弁当の作り方を教えてくれるというので……。はじめての料理に挑む子どもの姿を描く作品。
『ぶたぶたのお弁当』
――――
もっか聖乃が夢中になっているのは、「あのお弁当を詰めているのは誰か」という妄想だった。ぬいぐるみの家族がいる、というところまで想像はしたのだが、みんな同じような大きさだとやっぱりコンロに手が届かないから、人間と住んでいるのかも、と思い始めている。(中略)
どっちにしろなんだか楽しそうだな。聖乃は自分の、平凡という言葉でしか言い表せないが、その実あくせく働かなければ気持ちが落ち着かない毎日を思うと、少しため息が出る。ぶたぶたは、見ているだけで楽しそうで、聖乃にも少しそれを分けてもらえる気がしていた。
――――
文庫版p.141
勤務先のスーパーにやってきた新しいバイトのおじさんは、ピンクのぶたのぬいぐるみ。昼休みにいつも弁当を嬉しそうに食べている彼を見ていると、こちらまで少し楽しくなる。しかしそれにしても、あの弁当は誰が作ってるのだろうか?
経営している飲食店が休業中で再開の目処も立たないまま家計を支えるためにアルバイトで働く山崎ぶたぶた。それでも決してくじけず、いつもお弁当をごきげんで食べる彼の姿が忘れがたい作品。
『相席の思い出』
――――
いろいろなところで相席をしたけれども、ぶたぶたとの相席以上に印象に残っているものはなかった。当然とも言えるが。あれ以上、不思議でかわいらしく、そして優しく気さくな常連さんはいない。
今では相席なんて無理なことになってしまった。袖すり合うも他生の縁、ということで、食べている間のちょっとしたおしゃべりすらなつかしく思うことがあるとは。あの時は考えもしなかった。そうだ、シェアもできないな。あの時は何も気にせずできたけれど、いつかまたできるようになるのだろうか。
――――
文庫版p.184
出張の楽しみといえば現地の名店で食べる昼食。それにつけても思い出されるのは、ピンクのぶたのぬいぐるみと相席したときのこと。気さくにおしゃべりして、料理を分け合った、楽しい思い出。それもコロナ禍ですべて出来なくなってしまった。あの日、ぶたぶたが経営しているという飲食店に必ず行くと約束したのに、店は今も閉店したまま。いつか再開する日は来るのだろうか?
以上の五篇はどれから読んでも大丈夫ですが、続く『さいかいの日』と『日曜日の朝』は最後にとっておくことを強くお勧めします。これは希望の物語。どんな災厄にも終わりがあります。本当に大切なものを捨てない限り、その日はおそらく意外に近いのです。
タグ:矢崎存美
『ノクターン(夜想曲)』(佐東利穂子) [ダンス]
2021年6月13日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って佐東利穂子さんのソロ公演を鑑賞しました。2019年の『泉』に続く、佐東利穂子さん自身の振付作品その第二弾です。勅使川原三郎さんは演出・照明を担当。冒頭、奥の壁に投影される光輪が銀河のように壮大に感じられてびっくり。
『泉』と違って舞台装置は使いません。ショパンのノクターンの一曲一曲をそれぞれダンスとして踊ります。薄暗い照明がつくる夜の気配のなか、肉体が動くときの音や呼吸音も生々しく、妖精や幻想ではなく人間がそこにいて踊っているという存在感がまるで風圧のように感じられます。
最初から最後まで意思の力みなぎる作品で、観ている方もへとへと。『泉』とはまた印象が異なり、試行錯誤の途中なのかとも思いました。今後、佐東利穂子さんが振付家としてどのような方向に進んでゆくのか楽しみです。
『泉』と違って舞台装置は使いません。ショパンのノクターンの一曲一曲をそれぞれダンスとして踊ります。薄暗い照明がつくる夜の気配のなか、肉体が動くときの音や呼吸音も生々しく、妖精や幻想ではなく人間がそこにいて踊っているという存在感がまるで風圧のように感じられます。
最初から最後まで意思の力みなぎる作品で、観ている方もへとへと。『泉』とはまた印象が異なり、試行錯誤の途中なのかとも思いました。今後、佐東利穂子さんが振付家としてどのような方向に進んでゆくのか楽しみです。
タグ:勅使川原三郎
『禍いの科学 正義が愚行に変わるとき』(ポール・A・オフィット:著、関谷冬華:翻訳) [読書(サイエンス)]
――――
科学は、パンドラの美しい箱になりえる。そして、科学の力でどんなことができるのかを模索する私たちの好奇心が、時として多くの苦しみと死をもたらす悪霊を解き放ってしまうこともある。場合によっては、最終的な破滅の種がまかれることになるかもしれない。これらの物語は、有史以来、現在にまで続いている。そして、パンドラの箱の教訓は忘れられたままだ。
――――
単行本p.13
科学の進歩は世界を変え、多くの人々の命を救ってきた。だが科学はときとして世界に災厄を解き放ってしまうこともある。鎮痛薬、マーガリン、化学肥料、優生学、ロボトミー、環境保護運動、メガビタミン療法。善意から生み出されたものが悲劇を招いた七つの事例を通じて科学と社会の関係を探究する本。単行本(日経ナショナル ジオグラフィック)出版は2020年11月、Kindle版配信は2020年12月です。
――――
最後の章では、私たちが学んできた教訓を電子タバコや樹脂化学品、自閉症治療、がん検診プログラム、遺伝子組み替え作物などの最先端の発明に当てはめて考え、発明が誕生する段階で科学の進歩と科学が引き起こす悲劇を見分けられるのかどうか、私たちが過去から学ぶのか、あるいは再びパンドラの箱を開くのかを見ていく。そこから導き出される結論は、間違いなく読者を驚かせることだろう。
――――
単行本p.14
【目次】
第1章 神の薬 アヘン
第2章 マーガリンの大誤算
第3章 化学肥料から始まった悲劇
第4章 人権を蹂躙した優生学
第5章 心を壊すロボトミー手術
第6章 『沈黙の春』の功罪
第7章 ノーベル賞受賞者の蹉跌
第8章 過去に学ぶ教訓
第1章 神の薬 アヘン
――――
かつて科学者たちは、モルヒネでアヘン中毒を治療できるのではないかと考えていた。次には、ヘロインでモルヒネ中毒を治療できるのではないかと期待した。そろそろ別の方法を試してみる時期が来ていた。彼らは、薬を合成することにより、痛み止めから中毒性を取り除くという挑戦を再び始めた。だが今度も挑戦はうまくいかず、結果は大失敗に終わることになった。
――――
単行本p.30
痛みを取り去る鎮痛剤。神の恩恵ともいうべき鎮痛剤には、しかし中毒性という罠がつきまとう。アヘン、モルヒネ、ヘロイン、そしてオキシコンチン。麻薬中毒を治療するための新たな麻薬の開発をくり返した鎮痛剤の歴史をたどります。
第2章 マーガリンの大誤算
――――
悪玉だと信じられていた飽和脂肪酸を大量に含むココナッツ油やパーム油などの熱帯植物油とバターのような動物性油脂を使用する企業を糾弾することで、CSPIやNHSAは知らず知らずのうちにもっと危険な食品であるトランス脂肪酸を米国に普及させていた。25パーセントのトランス脂肪酸を含むマーガリンのような食品が突如として「健康に良い代用品」に祭り上げられたのだ。1990年代の初めには、数万点の食品に部分水素添加油脂が使われるようになっていた。安価で、宗教の戒律に触れず、健康に良い代用品といわれたこれらの食品は、飛ぶように売れた。
――――
単行本p.62
科学は脂肪の摂取が心臓病の原因となることを発見した。動物性脂肪を含むバターの代わりに、安価で健康に良い植物性脂肪のマーガリンを食べよう。だがマーガリンに含まれるトランス脂肪酸がどれほど危険であるか、手遅れになるまで誰も気づかなかった。脂肪の安全性に関する混乱の歴史を解説します。
第3章 化学肥料から始まった悲劇
――――
ミュンヘンのドイツ博物館には、見学者が近づかないよう低い柵で仕切った内側に、フリッツ・ハーバーとロベール・ロシニュールが空気から窒素を固定するために制作した卓上装置が置かれている。時折、見学者が装置の前で足を止め、少し眺めてから、そのまま通り過ぎる。この装置から世界的な化学肥料の生産が始まり、多くの人命が救われたが、過剰な窒素で環境が汚染され続けているために最終的な破滅へのカウントダウンが始まったかもしれないことに、思いをはせる者はいない。
――――
単行本p.108
窒素固定技術。その発明により化学肥料の大量生産が可能となり、数十憶人が飢餓から救われた。しかし、それに伴う窒素化合物汚染は深刻さを増し、地球の生態系を脅かしている。私たちの生活を豊かにすると同時に爆薬や毒ガスを作ってきた化学の功罪に迫ります。
第6章 『沈黙の春』の功罪
――――
DDTを足がかりとして、米国は泥沼から抜け出した。ハマダラカはいなくなり、人々がマラリアにかかる心配はなくなった。それから、環境保護の名目で、米国は自分たちが脱出に使った足場をしまい込み、途上国には役に立たない生物戦略や、高くて買えない抗マラリア薬だけを残した。
環境保護庁が米国でDDTを禁止した1972年以降、5000万人がマラリアで命を落とした。そのほとんどは、5才未満の子どもたちだった。(中略)『沈黙の春』でカーソンが警告したにもかかわらず、ヨーロッパ、カナダ、米国の研究により、DDTは肝臓病や早産、先天性異常、白血病、あるいは彼女の主張にあった他の病気の原因にはならないことが示された。DDTの使用期間中に増加した唯一のがんは肺がんだったが、これは喫煙が原因だった。何といっても、DDTはそれまでに発明されたなかでは最も安全な害虫対策だった。他の多くの殺虫剤に比べれば、はるかに安全性が高かった。
――――
単行本p.208、209
殺虫剤DDTの危険性を訴える『沈黙の春』(レイチェル・カールソン)はベストセラーとなり、ここから米国における環境保護運動は始まった。しかし、この本の警告には科学的根拠がなく、DDTの禁止による弊害は大きかった。カーソンが生み出した「ゼロ・トレランス」概念は今もなお大きな問題を引き起こしている。環境保護運動が抱える影の側面を示します。
第7章 ノーベル賞受賞者の蹉跌
――――
理由はどうあれ、この3人が及ぼした悪影響は計り知れない。ポーリングは人々にがんや心臓疾患のリスクを高めるだけでしかない大量のビタミンとサプリメントの摂取を勧め、デュースバーグは間接的にだが南アフリカで数十万人をエイズで死亡させ、モンタニエは治療効果が見込めず、有害性を持つ可能性すらある薬を提供して、子どもたちを何とかしたいという親たちの切なる願いを利用した。
――――
単行本p.242
ノーベル賞を受賞した科学者たちが間違うとき、その権威は大きな災厄を引き起こすことがある。自分の間違いを認められず、あらゆる証拠を無視して有害な療法を普及させた三人のケースを取り上げ、科学者の社会的責任について考えます。
第8章 過去に学ぶ教訓
――――
あらゆる進歩には代償が伴う。その代償が高いものになり過ぎないかどうかを調べるのは、私たちに課せられた仕事だ。ワクチンや抗生物質、衛生管理プログラムのように、ごくわずかな代償で済む場合もある。だが、トランス脂肪酸やロボトミー手術、メガビタミン療法のように、ある場合には代表は非常に大きくなる。これらのケースについては、どれも計算は簡単だ。しかし、オピエート(アヘンアルカロイドの薬剤)や化学肥料のように、短期間のうちに得られた利益やメリットを長期的な損失が大幅に上回り、影響の大きさを簡単にはじき出せない場合も多い。
――――
単行本p.276
科学の進歩によって生まれた問題解決の方法をどのように評価すればよいのだろうか。電子タバコ、樹脂化学薬剤、自閉症治療、がん検診プログラム、遺伝子組み替え作物など、今日の議論を取り上げて、その功罪について考えます。
科学は、パンドラの美しい箱になりえる。そして、科学の力でどんなことができるのかを模索する私たちの好奇心が、時として多くの苦しみと死をもたらす悪霊を解き放ってしまうこともある。場合によっては、最終的な破滅の種がまかれることになるかもしれない。これらの物語は、有史以来、現在にまで続いている。そして、パンドラの箱の教訓は忘れられたままだ。
――――
単行本p.13
科学の進歩は世界を変え、多くの人々の命を救ってきた。だが科学はときとして世界に災厄を解き放ってしまうこともある。鎮痛薬、マーガリン、化学肥料、優生学、ロボトミー、環境保護運動、メガビタミン療法。善意から生み出されたものが悲劇を招いた七つの事例を通じて科学と社会の関係を探究する本。単行本(日経ナショナル ジオグラフィック)出版は2020年11月、Kindle版配信は2020年12月です。
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最後の章では、私たちが学んできた教訓を電子タバコや樹脂化学品、自閉症治療、がん検診プログラム、遺伝子組み替え作物などの最先端の発明に当てはめて考え、発明が誕生する段階で科学の進歩と科学が引き起こす悲劇を見分けられるのかどうか、私たちが過去から学ぶのか、あるいは再びパンドラの箱を開くのかを見ていく。そこから導き出される結論は、間違いなく読者を驚かせることだろう。
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単行本p.14
【目次】
第1章 神の薬 アヘン
第2章 マーガリンの大誤算
第3章 化学肥料から始まった悲劇
第4章 人権を蹂躙した優生学
第5章 心を壊すロボトミー手術
第6章 『沈黙の春』の功罪
第7章 ノーベル賞受賞者の蹉跌
第8章 過去に学ぶ教訓
第1章 神の薬 アヘン
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かつて科学者たちは、モルヒネでアヘン中毒を治療できるのではないかと考えていた。次には、ヘロインでモルヒネ中毒を治療できるのではないかと期待した。そろそろ別の方法を試してみる時期が来ていた。彼らは、薬を合成することにより、痛み止めから中毒性を取り除くという挑戦を再び始めた。だが今度も挑戦はうまくいかず、結果は大失敗に終わることになった。
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単行本p.30
痛みを取り去る鎮痛剤。神の恩恵ともいうべき鎮痛剤には、しかし中毒性という罠がつきまとう。アヘン、モルヒネ、ヘロイン、そしてオキシコンチン。麻薬中毒を治療するための新たな麻薬の開発をくり返した鎮痛剤の歴史をたどります。
第2章 マーガリンの大誤算
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悪玉だと信じられていた飽和脂肪酸を大量に含むココナッツ油やパーム油などの熱帯植物油とバターのような動物性油脂を使用する企業を糾弾することで、CSPIやNHSAは知らず知らずのうちにもっと危険な食品であるトランス脂肪酸を米国に普及させていた。25パーセントのトランス脂肪酸を含むマーガリンのような食品が突如として「健康に良い代用品」に祭り上げられたのだ。1990年代の初めには、数万点の食品に部分水素添加油脂が使われるようになっていた。安価で、宗教の戒律に触れず、健康に良い代用品といわれたこれらの食品は、飛ぶように売れた。
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単行本p.62
科学は脂肪の摂取が心臓病の原因となることを発見した。動物性脂肪を含むバターの代わりに、安価で健康に良い植物性脂肪のマーガリンを食べよう。だがマーガリンに含まれるトランス脂肪酸がどれほど危険であるか、手遅れになるまで誰も気づかなかった。脂肪の安全性に関する混乱の歴史を解説します。
第3章 化学肥料から始まった悲劇
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ミュンヘンのドイツ博物館には、見学者が近づかないよう低い柵で仕切った内側に、フリッツ・ハーバーとロベール・ロシニュールが空気から窒素を固定するために制作した卓上装置が置かれている。時折、見学者が装置の前で足を止め、少し眺めてから、そのまま通り過ぎる。この装置から世界的な化学肥料の生産が始まり、多くの人命が救われたが、過剰な窒素で環境が汚染され続けているために最終的な破滅へのカウントダウンが始まったかもしれないことに、思いをはせる者はいない。
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単行本p.108
窒素固定技術。その発明により化学肥料の大量生産が可能となり、数十憶人が飢餓から救われた。しかし、それに伴う窒素化合物汚染は深刻さを増し、地球の生態系を脅かしている。私たちの生活を豊かにすると同時に爆薬や毒ガスを作ってきた化学の功罪に迫ります。
第6章 『沈黙の春』の功罪
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DDTを足がかりとして、米国は泥沼から抜け出した。ハマダラカはいなくなり、人々がマラリアにかかる心配はなくなった。それから、環境保護の名目で、米国は自分たちが脱出に使った足場をしまい込み、途上国には役に立たない生物戦略や、高くて買えない抗マラリア薬だけを残した。
環境保護庁が米国でDDTを禁止した1972年以降、5000万人がマラリアで命を落とした。そのほとんどは、5才未満の子どもたちだった。(中略)『沈黙の春』でカーソンが警告したにもかかわらず、ヨーロッパ、カナダ、米国の研究により、DDTは肝臓病や早産、先天性異常、白血病、あるいは彼女の主張にあった他の病気の原因にはならないことが示された。DDTの使用期間中に増加した唯一のがんは肺がんだったが、これは喫煙が原因だった。何といっても、DDTはそれまでに発明されたなかでは最も安全な害虫対策だった。他の多くの殺虫剤に比べれば、はるかに安全性が高かった。
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単行本p.208、209
殺虫剤DDTの危険性を訴える『沈黙の春』(レイチェル・カールソン)はベストセラーとなり、ここから米国における環境保護運動は始まった。しかし、この本の警告には科学的根拠がなく、DDTの禁止による弊害は大きかった。カーソンが生み出した「ゼロ・トレランス」概念は今もなお大きな問題を引き起こしている。環境保護運動が抱える影の側面を示します。
第7章 ノーベル賞受賞者の蹉跌
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理由はどうあれ、この3人が及ぼした悪影響は計り知れない。ポーリングは人々にがんや心臓疾患のリスクを高めるだけでしかない大量のビタミンとサプリメントの摂取を勧め、デュースバーグは間接的にだが南アフリカで数十万人をエイズで死亡させ、モンタニエは治療効果が見込めず、有害性を持つ可能性すらある薬を提供して、子どもたちを何とかしたいという親たちの切なる願いを利用した。
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単行本p.242
ノーベル賞を受賞した科学者たちが間違うとき、その権威は大きな災厄を引き起こすことがある。自分の間違いを認められず、あらゆる証拠を無視して有害な療法を普及させた三人のケースを取り上げ、科学者の社会的責任について考えます。
第8章 過去に学ぶ教訓
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あらゆる進歩には代償が伴う。その代償が高いものになり過ぎないかどうかを調べるのは、私たちに課せられた仕事だ。ワクチンや抗生物質、衛生管理プログラムのように、ごくわずかな代償で済む場合もある。だが、トランス脂肪酸やロボトミー手術、メガビタミン療法のように、ある場合には代表は非常に大きくなる。これらのケースについては、どれも計算は簡単だ。しかし、オピエート(アヘンアルカロイドの薬剤)や化学肥料のように、短期間のうちに得られた利益やメリットを長期的な損失が大幅に上回り、影響の大きさを簡単にはじき出せない場合も多い。
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単行本p.276
科学の進歩によって生まれた問題解決の方法をどのように評価すればよいのだろうか。電子タバコ、樹脂化学薬剤、自閉症治療、がん検診プログラム、遺伝子組み替え作物など、今日の議論を取り上げて、その功罪について考えます。
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超常同人誌「UFO手帖5.0」掲載作品『微細構造定数の彼方に』を公開 [その他]
馬場秀和アーカイブに、超常同人誌「UFO手帖5.0」(2020年11月刊行)に掲載された作品を追加しました。
『微細構造定数の彼方に』
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~babahide/bbarchive/FSC.html
ちなみに「UFO手帖5.0」の紹介はこちら。
2021年02月09日の日記
『UFO手帖5.1』 雑誌「ムー」で紹介されました&重版・通販再開
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2021-02-09
なお次号「UFO手帖6.0」は、2021年11月23日に開催される第33回文学フリマ東京にて頒布予定です。
『微細構造定数の彼方に』
http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~babahide/bbarchive/FSC.html
ちなみに「UFO手帖5.0」の紹介はこちら。
2021年02月09日の日記
『UFO手帖5.1』 雑誌「ムー」で紹介されました&重版・通販再開
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2021-02-09
なお次号「UFO手帖6.0」は、2021年11月23日に開催される第33回文学フリマ東京にて頒布予定です。
タグ:同人誌