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『つまらない住宅地のすべての家』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

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 その場にいる全員が動きを止め、次の行動に迷っているうちに、おずおずとした足音が方々から響き渡り、近所の人々が集まってくるのがわかった。亮太は、嫌悪と諦めの入り交じった視線で、隣の家の人やさらにもう一つ隣の家の人や、斜め向かいの家の人や、角の家の人や突き当たりの家の人々の呆けたような顔が倉庫内の電灯に照らされながら近付いてくるのを眺め回しながら、つまらない住宅地のすべての家の人がここに訪れたような気分がした。
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単行本p.201


 時が止まったような、つまらない住宅地。刑務所を脱走した犯罪者が近くに潜伏しているというニュースが流れ、住民が交替で夜の見張りをすることに。住民同士の交流が少しずつ進むにつれて、ごくささやかな変化が生まれてゆく。『八番筋カウンシル』『まともな家の子供はいない』の著者による住宅地群像劇。単行本(双葉社)出版は2021年3月です。


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 どこまでも同じような家が続いている住宅地には活気がない。周辺にあるのは、貴弘の家から歩いて十分かかるスーパーが一軒だけで、そこが住宅地の人々の食事をすべてまかなっている。反対方向に十分歩くと、やっとコンビニが一軒あるのだが、休日に訪れるとレジに店内を一周するような行列ができていて、本当は需要があるんじゃないか、と貴弘は呆れた覚えがある。でも誰も何もやらない。住民たちの生活レベルは悪くないと聞くけれども、そこからは一歩も出たくない、とでもいうような依怙地さを感じる。電気代の無駄と割り切っているのか、夜に門灯も玄関灯も点けない家が多い。もちろんそれは各家庭の勝手だけれども、防犯灯が途切れる界隈であっても点けないし、カーテンも閉めっぱなしの家などを眺めていると、この家の人にとって自宅は鎖国した島みたいなもので、通行人や近隣はすべて遠い国のようなものなんだろうなと思えてくる。外で誰かが飢えて倒れていても、きっと指一本動かさないだろう。もちろんそんな家ばかりではないだろうが、そういう様子の家が、この住宅地にはよく見受けられた。
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単行本p.26


 よどんだような住宅地。ぱっとしない住民たち。

 『八番筋カウンシル』『まともな家の子供はいない』といった住宅地小説を、『ディス・イズ・ザ・デイ』のような群像劇の手法で描いた長編です。お互いにほとんど交流がない、どころか多くは面識すらない住民たちの、それぞれの事情を抱え、鬱屈と諦めを混ぜたようなどんよりした生活を、丁寧にひとりひとり描いてゆきます。正直、読んでいて気が滅入るようなリアリティ。まるで今の日本社会の縮図のようです。

 そこに舞い込んできたのは、刑務所を脱獄した犯罪者が近くに潜伏しているらしい、というニュース。はりきりオヤジが自警団の結成を呼びかけ、夜の見張りを交替で務めるということに。


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「突然おたずねして申し訳ございません。単刀直入に申しますと、逃亡犯のことなんですが」
 しばらくこの路地で自衛できないものかと考えている、つきましては、夜警というか、道路を夜に見張れたらいいなあと考えまして、もしかしたら路地の出入り口にあるおたくの家の二階をお借りするかもしれませんが、よろしいか、ということを、丸川さんはよどみなく話す。
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単行本p.51


 積極的に拒否するでもなく、特に熱意ないまま、何となく参加することになる住民たち。


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 このあたりは時間が止まったようだと正美は思う。変化は何もない。刑務所から逃げた人間が逃げ込んでくるとかでもない限り。
 でも本当にそういうことがあってもこの辺の人たちの生活パターンは変わらないな、と再び時計を見ながら正美は思う。
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単行本p.63


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 この住宅地のつまらなさも、嫌なタイミングで刑務所から逃げ出した逃亡犯も、望はひどく疎ましく思う。消極的に日々をやり過ごすこの町や、一面識もない逃亡犯が、何かをなし遂げようとする望をあざ笑っているようにも思える。(中略)望は何をする気にもなれなかった。わずらわしい手持ち無沙汰が、すべて住宅地や逃亡犯のせいに思えてきて呪わしかった。
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単行本p.70


 ところが、何人かでローテーションを組んで交替で見張りをするうちに、少しずつ住民同士が顔見知りになり、心の交流が生まれてゆきます。ごくささやかなエピソードがつながってゆき、見えないところで変化が起きてゆくのです。それは、今まで諦めていた生活や家族関係を少しでいいから変えようとする気持ちだったり、たくらんでいた犯罪や監禁の計画を放棄することだったり、あるいは世界の広がりだったり。


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 とりあえず、これから自分が家に帰ったら門灯を点けようと千里は思った。怒られても、それが自分のしたいことならそうしようと思った。
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単行本p.212


 津村記久子さんの作品では、こういった小さな出来事、ごくささやかな心境の変化、が胸を打つことが多いのです。本作は特にそうでした。大げさにいうなら、どんなつまらなそうに思える人間にも尊厳があり最後にはそれがちゃんと守られる小説。登場人物が多いので最初は読みづらいのですが、住民各人に思い入れが出来てからはぐいぐい読み進められます。





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