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『宇宙人のためのせんりゅう入門』(暮田真名) [読書(教養)]

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良い寿司は間接がよく曲がるんだ
いけにえにフリルがあって恥ずかしい
県道のかたちになった犬がくる
観覧車を建てては崩すあたたかさ
銀色の曜日感覚かっこいい
ティーカッププードルにして救世主
未来はきっと火がついたプリクラ

・予想はしてたけどぜんぜんわからない。
・そういうもんだと思ってもらえたらいいよ。
・書いた人の体験や気持ちが伝わってくるような作品ならすぐに良さがわかるのに。どうしてクレダはそういうのを書かないの?
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 川柳って何だろう。サラっとした川柳と現代川柳はどう違うのか。先入観を持ってない宇宙人との対話を通じて川柳について語る入門書。単行本(左右社)出版は2023年12月です。

 現代詩や短歌や俳句といった詩歌は、一瞬の光景に永遠を宿してみせたり、言葉にならない情感を言葉の狭間に忍ばせてみたりしていて、それはそれはもう凄いわけですが、でも疲れたとき心が弱っているときに読みたいのは、これまで知られてなかった言葉の隠し機能を引き出すような、言語の錬金術というか、つまり川柳。

 参考までに、過去に書いた川柳の句集紹介記事にリンクを貼っておきます。みんな、川柳を読もう。


2018年08月07日の日記
『スロー・リバー』(川合大祐)
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-08-07


2017年02月01日の日記
『転校生は蟻まみれ』(小池正博)
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2017-02-01


 本書はそんな川柳について、読み方、作り方を教えてくれる本です。川柳入門書といってよいでしょう。俳句や短歌に較べると川柳の入門書は少ないので貴重です。


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・俳句のすごいところは、勉強のためのインフラが徹底的に整備されているところだよ。(中略)とにかく母数が多いから、退屈だと感じた本を途中で投げやっても読むべき本がまだ山ほど残されているんだよ。
・なるほど。
・それが俳句と川柳の大きな違いでもある。俳句は入門書や作り方本がとにかく充実してるけど、現代川柳には入門書や作り方本がほぼないと言っていい。『宇宙人のためのせんりゅう入門』なんか絶対に読みたくないっていう人のための本がないんだ。
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 入門書が少ない理由は、要するに入門希望者が少ないから。それはなぜかというと……。


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・川柳をマジでやる人が少ないのは、どうしてなの?
・一つは、川柳は誰でも書けるから。もう一つは、川柳を「作品」だと思っている人が少ないからかな。
・言葉を選ばずに言うと、ありがたがられてないってこと?
・いいこと言うね。
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・実は、多くの人にとって川柳は「今年の主なトピックをダジャレまじりに五七五にしたもの」なんだ。
・ええ!?
・昨日ちょっと話した「川柳のパブリックイメージ」っていうのが、これなんだ
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 川柳のパブリックイメージ、それがサラ川。では現代川柳とはどう違うのか。


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・ただ、「サラ川」にない現代川柳の特徴は「普通」からこぼれ落ちていこうとするものに目を向けていることだと思うんだよね。(中略)社会の「普通」を書くのが「サラ川」、「普通から外れるあり方」を書くのが現代川柳。一言でいうならそういうことじゃないかな。
・とりあえずわかったよ。
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 で、現代川柳について宇宙人に紹介してゆくわけですが、地球人にとってもけっこう新鮮な指摘がごろごろと。


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・川柳がほぼ口語で書かれることも、短歌や俳句との大きな違いだね。短歌も俳句も文語と口語どちらで書かれることもあるから。
・どうして川柳は話し言葉なんだろう?
・どうしてだろうね。一つ言えるのは、川柳が「庶民のもの」だったからじゃないかなあ。
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・現代川柳の一つの特徴として、「家族をひどい目に遭わせがち」っていうのがあるんだ。
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・新しい芸術は「前の時代への反発」を原動力として生まれる。川柳も例外ではなくて、今の現代川柳は時実的な「想い」を書く川柳への反発の上に成り立っているところがある。
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・実際のところ川柳人は句集を全く作らないか、作ったとしても生涯に一冊、みたいな人が多いんだって。「川柳人の美学」といったらそれまでだけど、本のかたちになっていないものにアクセスするのってハードルが高いでしょ。川柳はせっかくおもしろいんだから、どうしてももったいない気がしちゃうんだよね。
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・始めたてのときに川柳のどういうところを魅力的に感じていたかというと、「自分の思ってもいないことが書けるところ」だった。「こんなに嘘っぱちを書いていいんだ」っていうことに救われたんだよね。
・「嘘を書く」ことが救いになるっていうのは、ふつうと逆なような気がするけど……。
・確かにね。でも「詩を書くからには自分の本当の気持ちを表現しなきゃいけない」と思い込んでいて、「それができない自分はだめだ」と落ち込んでいたわたしにとっては、そのことが天啓のように思えたんだ。(中略)川柳がわたしに教えようとしてくれているのは、「生産性」とか「業績」みたいな社会的な値つけができない側面が世界にあるってこと。
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『あるときはぶかぶかの靴を、あるときは窮屈な靴をはけ(3)』(河野聡子) [読書(教養)]

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 どれだけ何を読もうともやっぱり自分は何も知らない。そして、そう実感するたびに読書は楽しいものだと思う。書物はけっして征服できない海のように私の前にあり続ける。
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「付録 他にも語りたい本がありまして」より


 西日本新聞に寄稿された書評から外国文学を中心に再録した『あるときはぶかぶかの靴を、あるときは窮屈な靴をはけ』の第三弾。2020年から2022年前半までに出版された翻訳書を紹介してくれます。通販サイトへのリンクはこちら。

あるときはぶかぶかの靴を、あるときは窮屈な靴をはけ(3)
https://tolta.stores.jp/items/637b0211bd5e4d237d0449e9




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 思うに作家の最大の特権は主人公を決定できることかもしれない。誰の目から見るかによって世界は異なるあらわれかたをするだろう。
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「シェイクスピアの妻はどんな人間だったのか?――
『ハムレット』(マギー・オファーレル)」より




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 ウルフはこれらの作品のなかで「小説」や「詩」といった枠組みを超え、あれこれ好き勝手に試しているのだろう。しかし「好き勝手」にやることほど難しいことはない。本書は「書かれたものとはかくあるべし」という観念を超えようとする自由の賜物である。
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「かくあるべしから自由になる――
『ヴァージニア・ウルフ短編集』(ヴァージニア・ウルフ)」より




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 単純な四つの塩基に「私」の情報が折り畳まれているように、シンプルなラブストーリーは無限の知的興奮と共に展開し、しまいにこの世界そのものの豊かさと多様性をあらわにするだろう。驚嘆すべき作品である。
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「折り畳まれた情報から「私」を形づくる変奏を見出す――
『黄金虫変奏曲』(リチャード・パワーズ)」より




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 それにしても、主人公の言動はけっして愉快でも痛快でもないのに、彼に巻き込まれた人々は最後になぜか前向きな結末に至る。これぞピタゴラ装置風のマジックというべきか。読後には賑やかな祭りを見物したあとの疲労と爽快感が残るのである。
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「転がる運命の手が引き起こす喜劇――
『愚か者同盟』(ジョン・ケネディ・トゥール)」より




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 中国という国家の歴史や社会システムに注がれる冷静で分析的な視点と、奥行きある描写の巧みさが両立する作家である。本書では祖父や両親のエピソードが見事で、ひとつひとつに独立した短編小説になり得る深みがある。様々な側面から読み応えのある作品といえる。
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「現代中国からジョージ・オーウェルへ――
『1984年に生まれて』(郝景芳)」より




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 本書は読めば読むほどに不思議の国に入り込んだような印象を受ける小説だ。私のいる場所とは異なる時空、異なる現実から届けられた、貴重な思索の声なのだ。
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「ありえたかもしれない「共産主義」の夢――
『チェヴェングール』(アンドレイ・プラトーノフ)」より




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 船上の食事の歴史について語るために船そのものの発達史を語るといったような、おそらくこれまでなかった方法で海と船と人間の歴史を描いていることに特徴がある。帆船から蒸気船に船が発達する過程で船のキッチンがどう変化したかという記述がある一方、ミクロネシアのカロリン諸島1960年代から現代にいたるまで、大戦で沈没した日本の軍艦から回収された鉄の箱を船上での魚の調理に使っているといったことが記されていて、「海上における調理」の背後にある物語に驚かされもする。
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「人類は船の上で何を食べてきたか――
『船の食事の歴史物語 丸木舟、ガレー船、戦艦から豪華客船まで』(サイモン・スポルディング)」より





タグ:河野聡子
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『クラシック偽作・疑作大全』(近藤健児、久保健) [読書(教養)]

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「偽作」とは、真の作曲者が別人と判明している作品、「疑作」とは、真の作曲者が他人かもしれないと疑われている作品を指す。18世紀までは売らんがために勝手に有名作曲家の名前を付けて別人の楽譜を出版するなど、かなりずさんなことが平気でなされていたため、大作曲家の作品目録のなかには相当数の偽作や疑作が紛れ込むことになった。(中略)偽作や疑作についてのまとまった情報は思った以上に少なく、散発的なのだ。それぞれの作曲家の全作品事典の類いで申し訳程度にふれているか、あとは熱心な方が公開しているウェブサイトに頼るしかない。
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単行本p.9、10


ヴィヴァルディの『忠実な羊飼い』
モーツァルトの『交響曲第37番』
ハイドンの『おもちゃの交響曲』
アルビノーニの『アダージョ』
バッハの『トッカータとフーガ ニ短調』

 あの名曲も、この有名曲も、真の作曲者は別人だった?
 作曲者が誤って伝えられてきた曲、真の作曲家が別人ではないかと疑われている曲。クラシック音楽のなかから偽作・疑作に関する情報をまとめた興味深い一冊。けっこう有名な曲にも偽作や疑作が含まれていて驚かされます。単行本(青弓社)出版は2022年6月です。


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 肝心なのは、真作か偽作かではなく、音楽そのものである。そもそも偽作といっても、同時代のほかの作曲家が真面目に作り上げた作品である。歴史のなかに埋もれてしまったが、大作曲家に比肩できる力量をもった当時は有名だった作曲家かもしれない。たとえ真の作曲家がわからなくても、それが名曲から聴いてみたくなるではないか。(中略)一時は大作曲家の作品と信じられていた曲だ。先入観なしに耳を傾ければ、少なくない掘り出し物にきっと出合えることだろう。
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単行本p.10




目次

第1章 カッチーニからペルゴレージまで

1-1 『カッチーニのアヴェ・マリア』
1-2オラツィオ・ベネヴォリの『53声のミサ曲』
1-3『ヴィターリのシャコンヌ』
1-4ヴィヴァルディ『忠実な羊飼い』
1-5 『アルビノーニのアダージョ』
1-6ヘンデルの『ヴァイオリン・ソナタ』
1-7バッハのドイツ語教会音楽
1-8バッハのモテットと歌曲
1-9バッハの『ルカ受難曲』
1-10バッハのラテン語教会音楽
1-11バッハのオルガン作品
1-12バッハのクラヴィーア作品
1-13バッハの室内楽作品
1-14バッハの『管弦楽組曲第5番』
1-15ペルゴレージの『コンチェルト・アルモニコ』
1-16擬バロックの作曲家

第2章 ハイドン、高い人気、多い偽作
2-1 『おもちゃの交響曲』
2-2ディヴェルティメント
2-3フルート協奏曲
2-4オーボエ協奏曲
2-5クラリネット協奏曲
2-6ホルン協奏曲
2-7チェロ協奏曲
2-8オルガン/チェンバロ協奏曲
2-9弦楽四重奏曲
2-10クラヴィーア・ソナタ 1
2-11クラヴィーア・ソナタ 2
2-12ミサ曲

第3章 モーツァルト、早すぎる死、多すぎる疑作
3-1交響曲 1
3-2交響曲 2
3-3交響曲 3
3-4交響曲 4
3-5交響曲 5
3-6協奏交響曲
3-7管弦楽曲
3-8ディヴェルティメント
3-9ヴァイオリン協奏曲 1
3-10ヴァイオリン協奏曲 2
3-11ファゴット協奏曲
3-12弦楽五重奏曲
3-13弦楽四重奏曲
3-14弦楽三重奏曲
3-15ヴァイオリン・ソナタ
3-16ピアノ曲 1
3-17ピアノ曲 2
3-18宗教曲 1
3-19宗教曲 2
3-20歌曲

第4章 ベートーヴェン以後
4-1ベートーヴェン 1:交響曲
4-2ベートーヴェン 2:ピアノ三重奏曲
4-3ベートーヴェン 3:フルート・ソナタ
4-4ベートーヴェン 4:ピアノ曲
4-5シューベルト
4-6ブラームス
4-7マーラー




第1章 カッチーニからペルゴレージまで
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 ライトなクラシック・ファンであれば、これを大バッハの代表曲とする人も多いのではないか。それどころか、すべてのオルガン曲で、これほど認知されている曲はない。それほどの人気曲、有名曲なのだが、この曲がバッハの作品か否か、真偽についての議論があることはあまり知られていない。(中略)『トッカータとフーガ 二短調』が大バッハの作品ではないのではないかという疑念は、19世紀半ばからすでにあった。
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単行本p.52

 バロック音楽の名曲集に必ずといってよいほど収録される有名曲、『アルビノーニのアダージョ』や『トッカータとフーガ 二短調』は、実はアルビノーニやバッハの作品ではない? 他にもNHK長寿番組「バロック音楽のたのしみ」のテーマ曲であるヴィヴァルディの『忠実な羊飼い』が、実はヴィヴァルディの作品ではなかったことが放送終了後に判明したなど、バロック期の音楽に関する偽作・疑作の情報をまとめます。




第2章 ハイドン、高い人気、多い偽作
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 ハイドン作と伝わってきたものの、現在では他人の手によるものと明らかになった曲はほかにも多々あるが、これほどのメジャー作品はないだろう。ラチェットやカッコウ笛、ウズラ笛など7つのおもちゃがオーケストラに加わった『おもちゃの交響曲』の楽しさは子供ばかりか大人も魅了する。極端な話ほとんど誰もが知っていて、100曲以上あるハイドンの本格的な交響曲のどれよりも有名なぐらいなのだから。
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単行本p.79

 有名な『おもちゃの交響曲』をはじめとして、ハイドンの偽作・疑作情報をまとめます。




第3章 モーツァルト、早すぎる死、多すぎる疑作
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 少し前までにモーツァルト交響曲を聴き始めた人は、きっと著者のようにショップに並んでいる後期交響曲を集めたLPないしCDが、第35、36、38、39、40、41番の6曲セットばかりなことを不思議に思ったのではないだろうか。「どうして第37番がないのだろうか。そんなに駄曲なんだろうか」
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単行本p.120

 交響曲第37番をはじめとして、数多いモーツァルトの偽作・疑作情報をまとめます。




第4章 ベートーヴェン以後
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 ベートーヴェンの場合には、初めて作曲家としての自立性を苦難の末に獲得し、また自らの作品に作品番号を付与するなどの管理を徹底したことで、贋作が入り込む余地はぐっと狭くなった。(中略)ベートーヴェンよりあとは、偽作の入り込む余地はさらになくなるが、例外として、シューベルト、ブラームス、グスタフ・マーラーの興味深い偽作ないし疑作を、それぞれ1曲ずつ取り上げて紹介する。
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単行本p.173

 ベートーヴェン、シューベルト、ブラームス、マーラーに関わる偽作・疑作情報をまとめます。





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『苦手から始める作文教室』(津村記久子) [読書(教養)]

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 わたしはうまい棒のことを考えるのが好きなので、うまい棒がメインの作文の計画になりましたが、家賃の話をするのが好きな人や、PBに関してもっと言いたいことがある人はそのことを書けば良いと思います。
 作文にうまい棒のことなんて、と抵抗を感じられる方もいらっしゃるかもしれません。ですが、わたしが中学生の時に作文で賞をもらった時に書いた内容は、「外出先で注文したカレーが思ったより辛かったので、その後にやってきたプリンが普段の何倍もおいしく思えて幸せを感じた」という、うまい棒と大差ないものでした。これまで、学校の授業の作文で良い評価をされた時に、友情についてとか、努力についてとか、部活での成果についてとか、ステキな出会いについてとかいった「もっともらしい」内容で評価されたことは一度もないように思います。だいたいカレーとプリンの食べ合わせとか、毎朝通る横断歩道で青信号が点滅し始めるとものすごく急ぐけれども、いつも間に合うので毎朝ちょっとだけうれしい、みたいなことです。
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単行本p.14


 学校の課題などで作文を書けといわれて困っている若者たちのために、作文のプロである作家がその秘訣を伝授。『やりなおし世界文学』で読み方を教えてくれた津村記久子さんが、今度は書く方法を教えてくれます。ちくまQブックスから出版された実用書にして、著者の生活をかいま見ることが出来るエッセイ本としても楽しめる一冊。単行本(筑摩書房)出版は2022年9月です。




目次
第1章 作文は何を書いたらいいのだろう?
第2章 作文を書いたらいいことがある?
第3章 作文はどう書いたらいいだろう?
第4章 メモを取ろう
第5章 書き始めてみよう
第6章 伝わる文章ってどんなもの?
第7章 感想文をなぜ書くか?
第8章 文章をもっとよくしたいなあと思った時に
第9章 作文に正解はあるか
次に読んでほしい本 その前に・私が本をおすすめするわけ
次に読んでほしい本




第1章 作文は何を書いたらいいのだろう?
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 だいたいの時間は作家(小説家)になりたいと思ってすごしてきました。今は一応、その夢をかなえたということになるのですが、いつもどうやって文を書いたらいいかわからず、何を書いたらいいのかについて悩んでいて、あまりにも「なりたいと思っていた小説家」と自分がかけはなれているので、小説家になった今も「小説家になりたいなあ」とときどき思います。(中略)それで、文章を書くことを仕事にしている身分で言うのもなんですが、わたしは文章を書くこと、つまり作文が年々苦手になってきています。書くことはないし、書きたいとも思わないし、だいいち書けるわけがない、と思うようになってきているのです。書き方も毎回わからないと思います。言いたいこともべつにないのです。
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単行本p.8、9

 何を書いたらいいのか分からない、というか書きたいことなんて何もない。それでも作文を書けと言われたら、さあどうするか。何について書けばいいのかを考えます。




第2章 作文を書いたらいいことがある?
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 では、〈いいね〉が思うようにつかない文章、バズらない文章、そしてそもそも他人に見せない文章にはまったく価値がないものなのでしょうか? わたしから言わせていただくと、そんなことはぜんぜんありません。とにかく「書きたい」と思って書かれた文章なら、書かれたことの意味はじゅうぶんにあるし、価値もあります。(中略)少なくとも、トイレに行きたい時にトイレに行く価値があるのと同じぐらいは価値があるものだとわたしは思います。
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単行本p.19

 何か書きたいことがあるならSNSにでも書いた方がいいんじゃないの。なぜ作文を書かなきゃいけないの。あえて作文を書くことにどんなメリットがあるのかを考えます。




第3章 作文はどう書いたらいいだろう?
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 おまえは食べ物のことしか書けないのかよ! とおっしゃる向きもあると思います。でも、そういうことを言われたら、食べ物のことを書けばいいんだよ!まずは! と言い返そうかなあとも思います。それで、好きな食べ物なんかないんだよ!と言われたら、じゃあ昨日の晩ごはんのなんてことなさについて書けばいいんだよ! と言い返すかもしれません。
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単行本p.33

 書くことを決めたとしても、わずか二行で終わってしまう。話を広げて原稿用紙の枚数をかせぐにはどうすればいいのかを考えます。




第4章 メモを取ろう
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 わたしはメモをとてもよく取ります。生活においても仕事においても、メモを取ることは自分にとって生命線と言っていいぐらい大事なことです。「メモを取るな」と言われたら、わたしの文章を書く仕事の質は、冗談でなく10%以下まで落ちるように思います。生活もとても不自由になるでしょう。「今日はタコライスを食べる」とか「玉子と牛乳を買う」といったこと以外にも、わたしはとにかく何か思いついたらどんなくだらないことでもメモを取ります。というかくだらないことほど気を付けてメモを取ります。くだらないことは、よほどパンチのある内容でない限りは忘れてしまう可能性が高いからです。そしてわたしは、今までの文章をお読みいただいていたら察していただけるように、くだらない、とるにたらない思いつきから文章を書くことを仕事にしています。
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単行本p.40

 文章を書くうえでとても役に立つのが「メモを取る」ということ。何でもメモする作家が、その秘訣を教えてくれます。




第5章 書き始めてみよう
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 作文用紙の裏、または空いたところに「今からコバエについて書きます」とうすくかいてください、とわたしが申し上げたのは、書き出しよりさらに前の文、書き出しを1文目とするのであれば、ゼロ文目としてその文があれば、書き出しの文も決まりやすいのではないか、と考えたからです。うすく書いたゼロ文目である「今から××について書きます」という文の下に、一つだけ情報を付け加えた文を作り、その後もう一つ情報を足した文章を作る、というようなことをやっていけば、書き出しの文章を作っていくことができます。少しだけ時間を取りますが、作文用紙の白い枡目を見つめながら、頭の中だけで文章を作り出そうとするよりは、いくらかは負担が軽くなる方法だと思います。
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単行本p.58

 ある意味で最大の難関ともいえる「書き出し」。最初の一行に何を書くか。そのコツにせまります。




第6章 伝わる文章ってどんなもの?
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 わたし自身の体験しかお伝えすることはできないのですが、本当のことを書いて誰かが気に入ってくれたり、悪くないと思ってくれることは、決して居心地の悪いことではありません。この本の文章を通して、わたしがどれだけしょぼい生活をしている人間であるかについてはいいかげん伝わっていると思うのですが、「この人はこんなにしょんぼりした生活をしているのに一応生きているのだから、自分もあんまりいいことはないけどまあがんばろう」などと思っていただけたとしたら、わたしはとてもうれしく感じます。
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単行本p.69

 読んだ人に何かが伝わり、その心を動かす。そんな作文を書くにはどうすればいいのか。文章を書くうえでの大切な心構えについて考えます。




第7章 感想文をなぜ書くか?
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 何かについて自分が感じたこと、考えたことの記録を付けたら、すぐに人から信頼されるよとは言いません。けれども、一切そうしないよりは、昨日の自分がどんな人間だったかを思い出しやすいように思います。何かをおもしろい、好きだと思って、その理由を明日の自分に説明しているうちに、自分がどういう人間なのかということが作られていくようにわたしは思います。
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単行本p.84

 みんな苦労する読書感想文。いったい感想文を書くことに何の意味があるのか、それを考えます。




第8章 文章をもっとよくしたいなあと思った時に
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 それでも良い文章が書きたい、という強い気持ちのある方に、一応35年ぐらい文章を書いているわりにどう練習したらいいのかはよくわからないわたしから言えることは、読んで書くことを繰り返したらいいですよ、ということぐらいです。読んでばっかりよりは書いたほうがいいし、書いてばっかりよりは読んだほうがいいです。
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単行本p.91

 なんとか作文を書けるようになって、もっと文章を良くしたいと思ったときどうするか。文章のブラッシュアップについて考えます。




第9章 作文に正解はあるか
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 どうやって本当のことをおもしろい話にするのでしょうか? いろんなやり方があると思いますが、最初に思いつくのは「細部がわかること」です。ある程度でかまいません。(中略)細部をわかるようにするためには、よく見てよく聞くことです。それだけです。誰にでもできます。対象は、現実の出来事や風景や生活の中で起こることが望ましいですが、テレビでも映画でも動画でもかまいません。いろんなことをよく見てよく聞いているうちに、自分自身が何に関心を持っているかもわかってきます。
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単行本p.104、105

 結局、作文に善し悪しはあるのでしょうか。おもしろい作文とつまらない作文があるとして、どこが違うのでしょうか。作文の質について考えます。




次に読んでほしい本 その前に・私が本をおすすめするわけ
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 本がすぐれているのは、ものすごく長い歴史があることや、あらゆる娯楽の中でもっとも低いコストで書ける(作れる)ため、多様性と蓄積があることです。また、いろんな時代を経て生き残ってきているため、単純に著者も登場人物も「いろんな人がいる」のです。なので本は、「誰にでも好かれる人気者」というより、「自分にぴったり合う誰か」がいる可能性を秘めています。
 反対に、本は読む人を選んだりはしません。「読むのをやめてよ」と本が言うことはありません。そして、書かれていることに返信しなくても、落ち込んだり悲しんだり怒ったりもしません。また、感想文という形で返信のようなことをするのも自由です。本はずっとそこにあって、読む人を置いていったりはしません。本は急かさずに待ってくれます。
 なので興味を持たれたら、いつか本を読んでみてください。
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単行本p.117

 良い文章を書くためにはやはり読書が必要。とりあえず何を読んだらいいのか、作家が教えてくれます。





タグ:津村記久子
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『やりなおし世界文学』(津村記久子) [読書(教養)]

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 本書を作る作業を通して、本は友人である、という気持ちを再び強くしました。本書で取り上げた数十冊のうち、誰かはおそらくあなたの気持ちをわかってくれるはずです。もしかしたら、意外な誰かかもしれません。本書を手に取った方が、「こんなやつでもとにかく読もうと思ったら読めるんだ」を入り口に、わかる/わかってくれる誰かを見つけることを願います。
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「もういいかげん、ギャツビーのことを知る潮時が来たように感じたのだった」
「自分もボヴァリー夫人についての話をすごく後ろの方で聞いて、一応へーとかと言いたい」
「そういうわけで「アッシャー家崩れるのか」と思ったまま二十年以上が経った」


 タイトルくらいは知ってるけど内容はよく知らない、いまさら読んだことがないとは言いにくい、そんな立派な世界文学の数々に津村記久子さんが挑む。実際に読んでみたらこんな話でした、感銘ポイントはここ、ぜひこの登場人物について語りたい……。親しみやすい文章で名作の数々を個人的視点から紹介してくれる、一読するや読みたい本がもりもり増殖してゆく最高の読書エッセイ集。単行本(新潮社)出版は2022年6月です。


 教養として知っておきたい「世界の名著」の内容を簡単にまとめてくれるガイドは、まあよくあります。本書がひとあじ違うのは、そのお勧めポイントの表現が熱いところ。単なる読者ではなく自身も作家であり同じ土俵に立っている、という覚悟から出てくる畏怖や感嘆や羨望の気持ちも込められていて、すごい迫力。こちらとしても対象の本を読書予定リストにぽんぽん放り込んでしまいます。


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 この作品を読んで、改めて、美しいものが文字で書かれるということの、開かれた幸福のようなものを思い出した。画像や映像によって規定されない言葉のイメージには終わりがなく、行間からは純粋な期待だけが吹き付けてくる。
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 唸る。巧まざる八方塞がりに、絶妙な信頼のおけなさに、絶望的なボタンの掛け違いに、悪魔のような面の皮の厚さに、悪意に、蒙昧さに、そして誇りに。
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 何も持たされずに生まれてきたわたしたちの怒りと誠実さについて。本書のすべての小説のあらゆる文章には、その核心に限りなく近いものがみなぎっている。
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 これほどまでに、夏の空気の密度と、世界がのしかかるような文章を自分は読んだことがない。本に夏が閉じこめられているようだ。
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 こんなにもつまらないことを、こんなにもおもしろく書ける。小説の力の例題集のような小説だと思う。
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 軽く寒けがした。小説が書けるということはこういうことなんじゃないかと、みじめになるぐらい今さら考えた。
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 あえて対象作品名が分からない部分を引用しましたが、ぜひ本書を隅から隅まで読んで読書予定リストあるいは積ん読を増やしてください。ちなみに対象作品が分かる紹介はこんな感じ。


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 あー終わってしまった、と思った。読了した時だ。これから『荒涼館』なしにどうやって生きていけばいいのか。読み返すのもいいけれども、それもなんか違う。まだ読んでいない人をうらやましく思う。
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 『リア王』に関しては、もう人前で文章を書いている人間にあるまじきことなのだが、「思ったよりひどい話だった」という屁のような感想が最初に出てきた。うーんこれはひどい……、と腕組みしながら、なぜか既視感のあるこのひどい感じについて考えてみて、これは世界史の教科書のひどさだ、と思い至った。
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 アリバイ崩しというジャンルの金字塔にして、江戸川乱歩も絶賛の本格推理小説であるという本作だが、「樽萌え」というものすごく特殊な気持ちも扱っている小説でもあると思う。樽好きからしたらもう垂涎の的だろうし、樽にそこそこ興味がある、ぐらいの人は読んだら「樽!」となるだろうし、樽なんてどうでもいい、という人が読んでも「樽けっこういいな」ぐらいの気持ちは持つようになるんではないだろうか。
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 また本書は読書エッセイでもあり、津村記久子さんの若いころの読書傾向について知ることが出来ます。けっこうなSF読みだったんだ。


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 マルタの鷹って何? 親に買ってもらったあかね書房の推理・探偵傑作シリーズの『ABC怪事件』のいちばん後ろのページの目録を眺めながら、小三のわたしはずっと考えていた。
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 児童文学についていろいろ美しい思い出は持っているけれども、結局いちばん読んだのは妖怪事典だと思う。小学校の学級文庫にあった水木しげる先生の妖怪事典などは、たぶん休み時間の度にそこにある限り手にとって眺めていたような気がする。
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 中学生の時は文学少女みたいに思われていたのだが、実際のところはそうでもなかった。活字というとライトノベルばかり読んでいたし、小説よりは友達が貸してくれる『少年アシベ』とかの方が楽しみだった。
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 高校三年から大学三年ぐらいまでは、早川書房や東京創元社のSFばかり読んで過ごした。文庫の後ろについている目録から、自分に合いそうなものを買ったり借りたりしては読んでいた。
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 初めてラファティを読んだのは大学一年の頃で、タイトル買い表紙買いだった。(中略)タイトルの変さといい、横山えいじさんのお祖母さんがテキスタイルと化した表紙のデザインといい、「これなら大丈夫そうだ」と感じられるものだった。実際大丈夫だった。
――――
 自分はこの作家の本をできる限り読もう、ということになって、卒業論文もヴォネガットの小説について書くことになる
――――
 ギブスンについてはもう、十年やそこらは頭になかったと思う。けれども、話していることに、やっぱり確かに自分にとってはキブスンを読んだことが、本を読んでいく、ひいては小説を書いていく上での重要な扉だった
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 以下に、本書で紹介されている作品のリストをつけておきます。「どんな話か知りたい。ついでにみんなどこに感銘を受けるのかも知りたい」というものがあれば、ぜひ本書をご一読ください。


『華麗なるギャツビー』
『ねじの回転』
『脂肪の塊・テリエ館』
『流れよ我が涙、と警官は言った』
『たのしい川べ』
『アシェンデン 英国秘密情報部員の手記』
『わらの女』
『パーカー・パイン登場』
『スポンサーから一言』
『終りなき夜に生れつく』
『かもめ』
『ストーカー』
『新編 悪魔の辞典』
『ムッシュー・テスト』
『闇の奥』
『ノーサンガー・アビー』
『813』『続813』
『クローム襲撃』
『長いお別れ』
『トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す』
『山月記・李陵 他九篇』
『スローターハウス5』
『るつぼ』
『スペードの女王・ペールキン物語』
『灯台へ』
『黄金の壺 マドモワゼル・ド・スキュデリ』
『遠い声 遠い部屋』
『知と愛』
『アラバマ物語』
『樽』
『たんぽぽのお酒』
『料理人』
『ワインズバーグ・オハイオ』
『響きと怒り』
『人間ぎらい』
『城』
『郵便配達は二度ベルを鳴らす』
『ゴドーを待ちながら』
『幸福論』
『肉体の悪魔』
『オー・ヘンリー傑作集』
『欲望という名の電車』
『チップス先生、さようなら』
『蜘蛛女のキス』
『世界の中心で愛を叫んだけもの』
『人形の家』
『ペスト』
『夜と霧』
『長距離走者の孤独』
『子規句集』
『クレーヴの奥方』
『ドリアン・グレイの肖像』
『一九八四年』
『椿姫』
『マルテの手記』
『ボヴァリー夫人』
『リア王』
『マクベス』
『赤と黒』
『君主論』
『自由論』
『マンスフィールド短編集』
『日々の泡』
『マルタの鷹』
『クリスマス・キャロル』
『幼年期の終わり』
『風にのってきたメアリー・ポピンズ』
『緋文字』
『孫子』
『宝島』
『ジキルとハイド』
『アッシャー家の崩壊 黄金虫』
『ハイ・ライズ』
『マイ・アントニーア』
『外套・鼻』
『深夜プラス1』
『カヴァレリーア・ルスティカーナ― 他十一篇』
『完訳 チャタレイ夫人の恋人』
『バベットの晩餐会』
『カンディード』
『ずっとお城で暮らしてる』
『ヘンリー・ライクロフトの私記』
『九百人のお祖母さん』
『サキ短編集』
『山海経』
『悪魔の涎・追い求める男 他八篇』
『怪談』
『津軽』
『ラ・ボエーム』
『鼻行類』
『金枝篇』
『カラマーゾフの兄弟』
『荒涼館』





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