『世界ぐるぐる怪異紀行 どうして“わからないもの”はこわいの?』(奥野克巳:監修) [読書(オカルト)]
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みなさんにとって「妖術」という説明は突飛に聞こえるかもしれません。しかしでは、みなさんは本当に「病原菌」を見たことがあるでしょうか。それが一般的に「ある」と言われ、「病気の原因」だと教えられたから、そう思うのが当たり前だと思っているだけではないでしょうか。自分で見て確かめてもいないのに、その存在を確信しているという意味では、「病原体」も「妖術」も似たようなものといえるでしょう。だから、「妖術」という説明ロジックを持っている文化が遅れていて非合理的だとかいうわけでは全然ないのです。(中略)日常生活は様々な「偶然」に満ちています。妖術とは、なぜそれが自分に起こっているのかよくわからないことも多い日常生活を、上手く説明し、納得させてくれるものだといえるでしょう。
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「ペナンの妖術師」より
呪術や怪物などの「怪異」を信じている文化は非科学的で遅れているのでしょうか。逆にいうなら「宇宙人が人々を誘拐している」と信じる文化は科学的で先進的だといえますか。本書では9人の文化人類学者がそれぞれのフィールドワークを通して、世界各地で信じられている怪異を調査し、それが人々の生活にどのように活かされているのかを語ります。怪異を信じるのには理由があり、そこには意味や背景があるのです。「ある/ない」「科学的/非科学的」といった視点から離れて、怪異の文化的側面を考えるための入門書。「14歳の世渡り術」シリーズの一冊。単行本(河出書房新社)出版は2024年3月です。
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自らの怪異体験を語った文化人類学者は、私や彼ら以外にもこれまでにもたくさんいます。でも、文化人類学者たちが自ら調査研究してきた土地で出会った怪異現象や怪異体験だけを集めた本は、意外にもこれまではなかったようです。本書で見てきたように、一言で怪異と言っても、それは、その土地の呪術信仰のあり方や、精霊や悪魔や魔女などに対する考えの違いによって、とても多様なのです。
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「おわりに」より
目次
1 村津蘭「ベナンの妖術師」…ベナン
2 古川不可知「ヒマラヤの雪男イエティ」…ネパール(クンブ地方)
3 藤原潤子「どうして「呪われた」と思ってしまうの?──現代ロシアの呪術信仰」…ロシア
4 近藤宏「かもしれない、かもしれない……」…パナマ東部(中南米)
5 福井栄二郎「ヴァヌアツで魔女に取り憑かれる」…ヴァヌアツ(アネイチュム島)
6 平野智佳子「中央オーストラリアの人喰いマムー」…オーストラリア(中央部)
7 奥野克巳「幼児の死、呪詛と猫殺しと夢見」…ボルネオ島(東南アジア島しょ部)
8 川口幸大「鬼のいる世界」…中国(広東省)
9 イリナ・グリゴレ「映像によって怪異な他者と世界を共有する方法──ジャン・ルーシュの民族誌映画が啓く新しい道」…日本
妖術、魔女、イエティ、人食い怪物、鬼。世界各地の様々な怪異を文化人類学の視点から調査してゆきます。怪異が「本当に存在するか」ではなく、その伝承を人々はどのように活かしているか、という観点が中心となります。例えば。
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様々な人びとの記憶が語りとともに重ねられ、実体不明のマムーは次第に大きな「真実」となります。この物語化のプロセスは、アナング独自の歴史実践に由来するものです。アナングは家族や親族が語る物語の中にリアリティを見いだします。文字を持たないアナングは、こうした口頭伝承によって自分たちの世界を創造し、維持してきました。彼らは物語を重ねていくプロセスで、自らの歴史を経験します。その歴史観は、過去から未来といった直線的な時間の流れの中に位置づけられる歴史観とはまったく異なるものです。アナングの間では、情報が拡散され、紡がれ、物語が形づくられ、次第に「真実」として共有されていきます。つまり、マムーは大きな物語の中に息づく怪物と言えるでしょう。
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「中央オーストラリアの人喰いマムー」より
たとえ研究者であっても、物語の力から逃れることが出来るとは限りません。例えば次のように。
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こうした呪いの物語は、時に研究者さえ絡め取ってしまいます。ロシアで呪術調査をするにあたって、ロシア科学アカデミー・カレリア支部所属の民族学者が協力してくれたのですが、彼が呪術を心底信じていたのは驚きでした。(中略)私は最初、呪術を信じすぎている、研究者からもっと客観的であるべきではないか、と批判したこともあるのですが、しばらくして彼こそが絶好の資料だと気づきました。
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「どうして「呪われた」と思ってしまうの?」より
さらには研究者が自ら怪異を体験する、ということも決して稀なことではないことがわかります。
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魔女に取り憑かれてしまいました。これは困ったぞ。だけど文化人類学者のヘンなところは、こういうとき、心のどこかで「ラッキー」と思っていることです。これで現地の文化の「舞台裏」をのぞき見できるかもしれない。島の人たちだけが知る「本当の文化」に触れられるかもしれない。正直に告白すれば、そのときの僕も、気持ちが少し小躍りしていました。
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「ヴァヌアツで魔女に取り憑かれる」より
というわけで、本書を読めば、自分とは異なる文化圏にいる人々が「怪異」を信じているからといって、それを愚かだとか、迷信だとか、見下すような発想は根本的に間違っていることがよく分かります。逆に自分が信じている「怪異」、たとえば心霊現象や祟りや妖怪やUFOやUMAについても、それが実際にあるかないかではなく、なぜ私たちの文化はそれを必要としているのかという視点から考えることが大切、ということを教えてくれる一冊です。
みなさんにとって「妖術」という説明は突飛に聞こえるかもしれません。しかしでは、みなさんは本当に「病原菌」を見たことがあるでしょうか。それが一般的に「ある」と言われ、「病気の原因」だと教えられたから、そう思うのが当たり前だと思っているだけではないでしょうか。自分で見て確かめてもいないのに、その存在を確信しているという意味では、「病原体」も「妖術」も似たようなものといえるでしょう。だから、「妖術」という説明ロジックを持っている文化が遅れていて非合理的だとかいうわけでは全然ないのです。(中略)日常生活は様々な「偶然」に満ちています。妖術とは、なぜそれが自分に起こっているのかよくわからないことも多い日常生活を、上手く説明し、納得させてくれるものだといえるでしょう。
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「ペナンの妖術師」より
呪術や怪物などの「怪異」を信じている文化は非科学的で遅れているのでしょうか。逆にいうなら「宇宙人が人々を誘拐している」と信じる文化は科学的で先進的だといえますか。本書では9人の文化人類学者がそれぞれのフィールドワークを通して、世界各地で信じられている怪異を調査し、それが人々の生活にどのように活かされているのかを語ります。怪異を信じるのには理由があり、そこには意味や背景があるのです。「ある/ない」「科学的/非科学的」といった視点から離れて、怪異の文化的側面を考えるための入門書。「14歳の世渡り術」シリーズの一冊。単行本(河出書房新社)出版は2024年3月です。
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自らの怪異体験を語った文化人類学者は、私や彼ら以外にもこれまでにもたくさんいます。でも、文化人類学者たちが自ら調査研究してきた土地で出会った怪異現象や怪異体験だけを集めた本は、意外にもこれまではなかったようです。本書で見てきたように、一言で怪異と言っても、それは、その土地の呪術信仰のあり方や、精霊や悪魔や魔女などに対する考えの違いによって、とても多様なのです。
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「おわりに」より
目次
1 村津蘭「ベナンの妖術師」…ベナン
2 古川不可知「ヒマラヤの雪男イエティ」…ネパール(クンブ地方)
3 藤原潤子「どうして「呪われた」と思ってしまうの?──現代ロシアの呪術信仰」…ロシア
4 近藤宏「かもしれない、かもしれない……」…パナマ東部(中南米)
5 福井栄二郎「ヴァヌアツで魔女に取り憑かれる」…ヴァヌアツ(アネイチュム島)
6 平野智佳子「中央オーストラリアの人喰いマムー」…オーストラリア(中央部)
7 奥野克巳「幼児の死、呪詛と猫殺しと夢見」…ボルネオ島(東南アジア島しょ部)
8 川口幸大「鬼のいる世界」…中国(広東省)
9 イリナ・グリゴレ「映像によって怪異な他者と世界を共有する方法──ジャン・ルーシュの民族誌映画が啓く新しい道」…日本
妖術、魔女、イエティ、人食い怪物、鬼。世界各地の様々な怪異を文化人類学の視点から調査してゆきます。怪異が「本当に存在するか」ではなく、その伝承を人々はどのように活かしているか、という観点が中心となります。例えば。
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様々な人びとの記憶が語りとともに重ねられ、実体不明のマムーは次第に大きな「真実」となります。この物語化のプロセスは、アナング独自の歴史実践に由来するものです。アナングは家族や親族が語る物語の中にリアリティを見いだします。文字を持たないアナングは、こうした口頭伝承によって自分たちの世界を創造し、維持してきました。彼らは物語を重ねていくプロセスで、自らの歴史を経験します。その歴史観は、過去から未来といった直線的な時間の流れの中に位置づけられる歴史観とはまったく異なるものです。アナングの間では、情報が拡散され、紡がれ、物語が形づくられ、次第に「真実」として共有されていきます。つまり、マムーは大きな物語の中に息づく怪物と言えるでしょう。
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「中央オーストラリアの人喰いマムー」より
たとえ研究者であっても、物語の力から逃れることが出来るとは限りません。例えば次のように。
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こうした呪いの物語は、時に研究者さえ絡め取ってしまいます。ロシアで呪術調査をするにあたって、ロシア科学アカデミー・カレリア支部所属の民族学者が協力してくれたのですが、彼が呪術を心底信じていたのは驚きでした。(中略)私は最初、呪術を信じすぎている、研究者からもっと客観的であるべきではないか、と批判したこともあるのですが、しばらくして彼こそが絶好の資料だと気づきました。
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「どうして「呪われた」と思ってしまうの?」より
さらには研究者が自ら怪異を体験する、ということも決して稀なことではないことがわかります。
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魔女に取り憑かれてしまいました。これは困ったぞ。だけど文化人類学者のヘンなところは、こういうとき、心のどこかで「ラッキー」と思っていることです。これで現地の文化の「舞台裏」をのぞき見できるかもしれない。島の人たちだけが知る「本当の文化」に触れられるかもしれない。正直に告白すれば、そのときの僕も、気持ちが少し小躍りしていました。
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「ヴァヌアツで魔女に取り憑かれる」より
というわけで、本書を読めば、自分とは異なる文化圏にいる人々が「怪異」を信じているからといって、それを愚かだとか、迷信だとか、見下すような発想は根本的に間違っていることがよく分かります。逆に自分が信じている「怪異」、たとえば心霊現象や祟りや妖怪やUFOやUMAについても、それが実際にあるかないかではなく、なぜ私たちの文化はそれを必要としているのかという視点から考えることが大切、ということを教えてくれる一冊です。
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