『笑う数学』(日本お笑い数学協会) [読書(サイエンス)]
――――
じつは、学校で学ぶ数学はごくわずかな範囲で、ほかにもまだまだユニークな切り口で数学に触れる方法があるのです。この本はそのユニークな切り口のひとつ、「笑い」という要素をふんだんに盛り込んだ「数学」の本です。
なんと、100個の数学ネタがこの本にまとめられています。おそらくこの本のなかには、はじめてみた内容がたくさん含まれていると思います。
――――
ちょっと面白い数学ネタから、役立つ計算法や解法、さらには数学用語による駄洒落まで、数学の「笑える」話題を100個集めた一冊。単行本(KADOKAWA)出版は2018年1月、Kindle版配信は2018年1月です。
ざっと並んでいる項目は、だいたいこんな感じです。
・意外に知られていない定理、図形や数の特殊な性質
・結果や見た目が美しく気持ちよい計算式
・ちょっと面白い問題、意外な答えになる問題
・鶴亀算、三角関数、頻出図形問題などを、一瞬で解く裏技
・覚えておくと意外に役立つかも知れない数学のあれこれ語呂合わせ暗記法
・西暦0年がない理由、イスラエルでは足し算の記号が+でない理由など、数学に関連した歴史や社会の豆知識
ジョークみたいな項目も多数。
・数式やグラフで"I LOVE YOU"などの文字や絵を描く
・数式を無理やり「ことわざ」として読み解く
・四字熟語を無理やり数式として解く
・単なる駄洒落を数学的に証明する
というわけで、いくつかピックアップして紹介してみます。
まずは、真面目な問題に見せかけて、実は「とんち」で解決するというネタ。
――――
xが8に近づくとき、答えは∞になりました。8を倒すと、∞になります。つまり、xが3に近づくとき、答えは3を横に倒したωになります。
――――
「18 数学小咄と数学とんち」より
予想外の答えにあっと驚く確率問題。
――――
あなたはアイドルを夢見る女子高生です。街で、自称天才アイドルプロデューサーにスカウトされ、「俺、これまで色々な女の子を見てきて、その子がアイドルとして成功するか失敗するかを99%の確率で当てることができるんだよね! その俺が言うんだから間違いない。君はアイドルとして成功する!」と言われました。
このプロデューサーの予想が本当に99%の確率で当たるとして、実際にあなたがアイドルとして成功する確率は何%か求めよ。ただし、一般的にアイドルとして成功するのは1万人に1人とする。
――――
「19 アイドルが売れる確率」より
数学でも何でもないものを、無理やり数学とみなして「解決」してしまう。
――――
アントニオ猪木さんは「1」と「2」と「3」と「ダー」の4つを使って「1・2・3・ダー」と叫びます。「ダー=0」と考えれば、猪木さんが4進法を使っていることに気付きます。
では、108を猪木流4進法で表すと、どうなると思いますか?
(数式省略)
な、な、なんと、「1・2・3・ダー」となるのです!
つまり、猪木さんは「1・2・3・ダー」と叫ぶことで、我々の煩悩を吹き飛ばしてくれていたのです!
――――
「23 煩悩を吹き飛ばす方法」より
面白い性質を持った数や意外性のある定理。
――――
373393は素数です。37339も素数です。3733も素数です。373も素数です。37も素数です。3も素数です。さて、いま並べた数値を見て、何かに気付きませんか。これらは、373393を一の位から消していった数値を並べています。一の位から消していって、ずっと素数が残るとき、元の数値を「素な素数(そなそすう)」といいます。
素な素数のグループの中で最大のものは、「生成数」と呼ばれ(例えば、冒頭の373393)、有限個であることがわかっています。
――――
「25 素な素数」より
――――
作図に必要な道具といえば「定規」と「コンパス」。
彼らは最強のコンビ! その絆は固い!
そんな二人の関係を脅かす定理が存在する。
その名も「モール・マスケローニの定理」。
その内容は聞いて驚くなかれ! 「定規とコンパスで可能な作図は、全てコンパスのみでも作図可能である」。(中略)
この定理を知った時の、定規のショックを想像して欲しい。
「俺は……必要ない存在だったのか……」
――――
「53 作図に定規は必要なかった!?」より
子どもに数学を教えるときに使える便利なネタ。
――――
「負×負がなぜ世になるのか?」を説明するのは意外と難しい。僕はいつも「正=本当、負=ウソ」と変換して説明をする。
正×正=「本当」っていうのは本当=本当
正×負=「本当」っていうのはウソ=ウソ
負×正=「ウソ」っていうのは本当=ウソ
負×負=「ウソ」っていうのはウソ=本当
厳密な説明にはなってないが、直感的に納得してもらえることは多い。
――――
「61 正負の掛け算」より
しかし何といっても圧巻なのは、何としてでも「数学でモテる」という情熱に突き動かされたネタの数々でしょう。
――――
合コンなどで初めて会った人の年齢を聞いたときに、その年齢の数にまつわる性質が言えたら間違いなく相手に印象を残すことができるはずです。そこで、20歳から39歳までの数の性質をご紹介します。
20は1桁の偶数の和(2+4+6+8)
21はサイコロの目の和の合計
22は九九で登場しない最小の合成数
23は3つの連続した素数の和(5+7+11)で表せる最小の素数
24は1から4までの数の積
25は5の2乗
26は2乗すると回分数になる数
27は立方数
28は完全数
29は素数
30は1から10までの偶数の和
31は自身もひっくり返した13も素数
32は2の5乗
33は1から4の階乗の和
34はフィボナッチ数のひとつ
35は1から5までの奇数の平方和
36は平方数
37は31と同様で、自身もひっくり返しても素数
38は1から5までの素数の平方和
39は3の1乗と3の2乗と3の3乗の和
――――
「26 年列別年齢の褒め方」より
上のネタで相手に好印象を与えたら、さらに「声に出したい数学用語」の話題をさり気なく持ち出せば、もうこれは数学でモテること間違いなしですね。頑張りましょう。
「コラム 声に出したい数学用語」より
「病的な関数」
「ドラゴン曲線」
「悪魔の階段」
「スリッパの法則」
「アーネシの魔女」
「大二重変形二重斜方十二面体」
じつは、学校で学ぶ数学はごくわずかな範囲で、ほかにもまだまだユニークな切り口で数学に触れる方法があるのです。この本はそのユニークな切り口のひとつ、「笑い」という要素をふんだんに盛り込んだ「数学」の本です。
なんと、100個の数学ネタがこの本にまとめられています。おそらくこの本のなかには、はじめてみた内容がたくさん含まれていると思います。
――――
ちょっと面白い数学ネタから、役立つ計算法や解法、さらには数学用語による駄洒落まで、数学の「笑える」話題を100個集めた一冊。単行本(KADOKAWA)出版は2018年1月、Kindle版配信は2018年1月です。
ざっと並んでいる項目は、だいたいこんな感じです。
・意外に知られていない定理、図形や数の特殊な性質
・結果や見た目が美しく気持ちよい計算式
・ちょっと面白い問題、意外な答えになる問題
・鶴亀算、三角関数、頻出図形問題などを、一瞬で解く裏技
・覚えておくと意外に役立つかも知れない数学のあれこれ語呂合わせ暗記法
・西暦0年がない理由、イスラエルでは足し算の記号が+でない理由など、数学に関連した歴史や社会の豆知識
ジョークみたいな項目も多数。
・数式やグラフで"I LOVE YOU"などの文字や絵を描く
・数式を無理やり「ことわざ」として読み解く
・四字熟語を無理やり数式として解く
・単なる駄洒落を数学的に証明する
というわけで、いくつかピックアップして紹介してみます。
まずは、真面目な問題に見せかけて、実は「とんち」で解決するというネタ。
――――
xが8に近づくとき、答えは∞になりました。8を倒すと、∞になります。つまり、xが3に近づくとき、答えは3を横に倒したωになります。
――――
「18 数学小咄と数学とんち」より
予想外の答えにあっと驚く確率問題。
――――
あなたはアイドルを夢見る女子高生です。街で、自称天才アイドルプロデューサーにスカウトされ、「俺、これまで色々な女の子を見てきて、その子がアイドルとして成功するか失敗するかを99%の確率で当てることができるんだよね! その俺が言うんだから間違いない。君はアイドルとして成功する!」と言われました。
このプロデューサーの予想が本当に99%の確率で当たるとして、実際にあなたがアイドルとして成功する確率は何%か求めよ。ただし、一般的にアイドルとして成功するのは1万人に1人とする。
――――
「19 アイドルが売れる確率」より
数学でも何でもないものを、無理やり数学とみなして「解決」してしまう。
――――
アントニオ猪木さんは「1」と「2」と「3」と「ダー」の4つを使って「1・2・3・ダー」と叫びます。「ダー=0」と考えれば、猪木さんが4進法を使っていることに気付きます。
では、108を猪木流4進法で表すと、どうなると思いますか?
(数式省略)
な、な、なんと、「1・2・3・ダー」となるのです!
つまり、猪木さんは「1・2・3・ダー」と叫ぶことで、我々の煩悩を吹き飛ばしてくれていたのです!
――――
「23 煩悩を吹き飛ばす方法」より
面白い性質を持った数や意外性のある定理。
――――
373393は素数です。37339も素数です。3733も素数です。373も素数です。37も素数です。3も素数です。さて、いま並べた数値を見て、何かに気付きませんか。これらは、373393を一の位から消していった数値を並べています。一の位から消していって、ずっと素数が残るとき、元の数値を「素な素数(そなそすう)」といいます。
素な素数のグループの中で最大のものは、「生成数」と呼ばれ(例えば、冒頭の373393)、有限個であることがわかっています。
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「25 素な素数」より
――――
作図に必要な道具といえば「定規」と「コンパス」。
彼らは最強のコンビ! その絆は固い!
そんな二人の関係を脅かす定理が存在する。
その名も「モール・マスケローニの定理」。
その内容は聞いて驚くなかれ! 「定規とコンパスで可能な作図は、全てコンパスのみでも作図可能である」。(中略)
この定理を知った時の、定規のショックを想像して欲しい。
「俺は……必要ない存在だったのか……」
――――
「53 作図に定規は必要なかった!?」より
子どもに数学を教えるときに使える便利なネタ。
――――
「負×負がなぜ世になるのか?」を説明するのは意外と難しい。僕はいつも「正=本当、負=ウソ」と変換して説明をする。
正×正=「本当」っていうのは本当=本当
正×負=「本当」っていうのはウソ=ウソ
負×正=「ウソ」っていうのは本当=ウソ
負×負=「ウソ」っていうのはウソ=本当
厳密な説明にはなってないが、直感的に納得してもらえることは多い。
――――
「61 正負の掛け算」より
しかし何といっても圧巻なのは、何としてでも「数学でモテる」という情熱に突き動かされたネタの数々でしょう。
――――
合コンなどで初めて会った人の年齢を聞いたときに、その年齢の数にまつわる性質が言えたら間違いなく相手に印象を残すことができるはずです。そこで、20歳から39歳までの数の性質をご紹介します。
20は1桁の偶数の和(2+4+6+8)
21はサイコロの目の和の合計
22は九九で登場しない最小の合成数
23は3つの連続した素数の和(5+7+11)で表せる最小の素数
24は1から4までの数の積
25は5の2乗
26は2乗すると回分数になる数
27は立方数
28は完全数
29は素数
30は1から10までの偶数の和
31は自身もひっくり返した13も素数
32は2の5乗
33は1から4の階乗の和
34はフィボナッチ数のひとつ
35は1から5までの奇数の平方和
36は平方数
37は31と同様で、自身もひっくり返しても素数
38は1から5までの素数の平方和
39は3の1乗と3の2乗と3の3乗の和
――――
「26 年列別年齢の褒め方」より
上のネタで相手に好印象を与えたら、さらに「声に出したい数学用語」の話題をさり気なく持ち出せば、もうこれは数学でモテること間違いなしですね。頑張りましょう。
「コラム 声に出したい数学用語」より
「病的な関数」
「ドラゴン曲線」
「悪魔の階段」
「スリッパの法則」
「アーネシの魔女」
「大二重変形二重斜方十二面体」
タグ:その他(サイエンス)
『きっとあの人は眠っているんだよ 穂村弘の読書日記』(穂村弘) [読書(随筆)]
――――
もしも、本というものの存在しないパラレルワールドに瞬間移動したら、と想像すると不思議な気持ちになる。仕事も友だちも妻も持病も煙のように消え去ってしまうのか。そこでの〈私〉は、まったくの別人だ。人によっては、本のない世界に移動してもほとんど人生が変わらないってケースもあるだろうに。パラレルワールドの〈私〉は日々の暮らしの中で、ふと思う。この世界には何かが足りない。時には狂おしいほど強く、そう思う。でも、その何かが何なのかは決してわからないのだ。
私は本のある世界に生まれたことに感謝すべきなのか。きっと、そうなんだろう。でも、始めからずっとここにいるから実感がない。そして、今日も当たり前のような顔で本を読んでいる。
――――
単行本p.312
世界を沈黙が埋め尽くす時、散文の言葉はもはや機能できない。
歌人である著者がこれまでに書いてきた読書日記から傑作を選んだ一冊。単行本(河出書房新社)出版は2017年11月です。
『これから泳ぎにいきませんか 穂村弘の書評集』と同時刊行された一冊で、書評というよりは最近読んだ何冊かの本を取り上げて、そこから触発されて考えたことを書き綴った、まあエッセイ集です。ちなみに書評集の紹介はこちら。
2018年02月22日の日記
『これから泳ぎにいきませんか 穂村弘の書評集』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-02-22
本書ですが、まずはいつものように「自分の暮らしのへろへろぶりと、そうでない何かしゅっとした生き方への、漠然とした憧れ」みたいなことを書いた部分が、やはり印象に残ります。
――――
現実の自分の生活とは、ツナの缶詰を開けてマヨネーズとぐりぐり混ぜながら、「ツナとシーチキンってどう違うんだろう」と考えるような暮らしのことだ。
ツナマヨネーズご飯よりも美味しいものが想像できない。確かに寿司も焼肉もいいけど、ツナマヨネーズご飯よりも圧倒的に美味しいか、と云われると疑問だ。値段の差を考慮すると、むしろツナマヨネーズご飯の勝ちではないか。
そんな私は、けれど、自分がいる世界に満足することができない。何故だか知らないけど、コカ・コーラのコマーシャルのようなきらきらした青春に参加してみたいのだ。
でも、どうやったら「あの世界」に行けるのか、わからない。現実にあるのかないのかも不明な世界に憧れ、憎みながら、じたばたしているうちに四十九歳になってしまった。老眼だ。
――――
単行本p.57
SFやミステリーに対する歌人らしい受け止め方も。
――――
この本があんまり良かったので、ネット上のレビューを探して読んでみた。他の読者と喜びを分かち合おうと思ったのだ。
ところが意外にも辛口の感想が多かった。特に目についたのは「人間が描けていない」的な評言だ。うーん、と思う。おそらくそれは「この世界を抽象で塗り替えたい」という願いに対する具象的世界からの反発なのだろう。
――――
単行本p.83
――――
解かれる謎の背後にもうひとつの解けない謎をもったミステリーのことをさらに考える。このタイプの永遠の謎を秘めた作品が、私には「ミステリーの姿をした詩」のように思えるのだ。
その逆に、或る種の韻文の傑作が「詩の姿をしたミステリー」に思えることもある。
――――
単行本p.105
現実世界や「普通の感性」から、どこかズレている、というか、距離を感じてしまう自分について。
――――
自分自身の感受性が変質していることに気づく。子供の頃、テレビの中の正義の味方はどこを切っても金太郎飴のように正義の味方だった。でも、今の私は、「ダーク」でないヒーローやヒロインに対して、ほとんど反射的に不信感を持つようになっている。
――――
単行本p.215
――――
そもそも「ふつう」からズレた世界像とは、何のために存在するのだろう。それは無数に分岐する未来の可能性に、我々が種として対応するための準備ではないか。「ふつう」でない世界像の持ち主は「宇宙人」というよりは「未来人」なのだ。
――――
単行本p.114
――――
自分には現実世界のポテンシャルつまり本当の凄さを味わう能力がない、というか、感受のレベルが低く抑えられているように思う。日常の全てにうっすらと膜がかかっていて、しかも、その状態をリアルと見なす癖がついている。単に鈍感というだけでなく、現実世界の側からの要請というか、そうしないと、生き続けてゆく上で都合が悪いのだろう。
――――
単行本p.271
そしてもちろん、詩歌について。
――――
世界を沈黙が埋め尽くす時、散文の言葉はもはや機能できない。それが生み出すものは、現実の似姿だからだ。そんな時のために詩がある、というか、石原吉郎にとっては、そこには詩しかなかったのだ。その絶対零度の必然性に痺れる。
詩の存在に意味があることを確認できて嬉しい。と同時に、今度は本物の詩の条件を充たさない自分自身の言葉が不安になる。
――――
単行本p.237
もしも、本というものの存在しないパラレルワールドに瞬間移動したら、と想像すると不思議な気持ちになる。仕事も友だちも妻も持病も煙のように消え去ってしまうのか。そこでの〈私〉は、まったくの別人だ。人によっては、本のない世界に移動してもほとんど人生が変わらないってケースもあるだろうに。パラレルワールドの〈私〉は日々の暮らしの中で、ふと思う。この世界には何かが足りない。時には狂おしいほど強く、そう思う。でも、その何かが何なのかは決してわからないのだ。
私は本のある世界に生まれたことに感謝すべきなのか。きっと、そうなんだろう。でも、始めからずっとここにいるから実感がない。そして、今日も当たり前のような顔で本を読んでいる。
――――
単行本p.312
世界を沈黙が埋め尽くす時、散文の言葉はもはや機能できない。
歌人である著者がこれまでに書いてきた読書日記から傑作を選んだ一冊。単行本(河出書房新社)出版は2017年11月です。
『これから泳ぎにいきませんか 穂村弘の書評集』と同時刊行された一冊で、書評というよりは最近読んだ何冊かの本を取り上げて、そこから触発されて考えたことを書き綴った、まあエッセイ集です。ちなみに書評集の紹介はこちら。
2018年02月22日の日記
『これから泳ぎにいきませんか 穂村弘の書評集』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-02-22
本書ですが、まずはいつものように「自分の暮らしのへろへろぶりと、そうでない何かしゅっとした生き方への、漠然とした憧れ」みたいなことを書いた部分が、やはり印象に残ります。
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現実の自分の生活とは、ツナの缶詰を開けてマヨネーズとぐりぐり混ぜながら、「ツナとシーチキンってどう違うんだろう」と考えるような暮らしのことだ。
ツナマヨネーズご飯よりも美味しいものが想像できない。確かに寿司も焼肉もいいけど、ツナマヨネーズご飯よりも圧倒的に美味しいか、と云われると疑問だ。値段の差を考慮すると、むしろツナマヨネーズご飯の勝ちではないか。
そんな私は、けれど、自分がいる世界に満足することができない。何故だか知らないけど、コカ・コーラのコマーシャルのようなきらきらした青春に参加してみたいのだ。
でも、どうやったら「あの世界」に行けるのか、わからない。現実にあるのかないのかも不明な世界に憧れ、憎みながら、じたばたしているうちに四十九歳になってしまった。老眼だ。
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単行本p.57
SFやミステリーに対する歌人らしい受け止め方も。
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この本があんまり良かったので、ネット上のレビューを探して読んでみた。他の読者と喜びを分かち合おうと思ったのだ。
ところが意外にも辛口の感想が多かった。特に目についたのは「人間が描けていない」的な評言だ。うーん、と思う。おそらくそれは「この世界を抽象で塗り替えたい」という願いに対する具象的世界からの反発なのだろう。
――――
単行本p.83
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解かれる謎の背後にもうひとつの解けない謎をもったミステリーのことをさらに考える。このタイプの永遠の謎を秘めた作品が、私には「ミステリーの姿をした詩」のように思えるのだ。
その逆に、或る種の韻文の傑作が「詩の姿をしたミステリー」に思えることもある。
――――
単行本p.105
現実世界や「普通の感性」から、どこかズレている、というか、距離を感じてしまう自分について。
――――
自分自身の感受性が変質していることに気づく。子供の頃、テレビの中の正義の味方はどこを切っても金太郎飴のように正義の味方だった。でも、今の私は、「ダーク」でないヒーローやヒロインに対して、ほとんど反射的に不信感を持つようになっている。
――――
単行本p.215
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そもそも「ふつう」からズレた世界像とは、何のために存在するのだろう。それは無数に分岐する未来の可能性に、我々が種として対応するための準備ではないか。「ふつう」でない世界像の持ち主は「宇宙人」というよりは「未来人」なのだ。
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単行本p.114
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自分には現実世界のポテンシャルつまり本当の凄さを味わう能力がない、というか、感受のレベルが低く抑えられているように思う。日常の全てにうっすらと膜がかかっていて、しかも、その状態をリアルと見なす癖がついている。単に鈍感というだけでなく、現実世界の側からの要請というか、そうしないと、生き続けてゆく上で都合が悪いのだろう。
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単行本p.271
そしてもちろん、詩歌について。
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世界を沈黙が埋め尽くす時、散文の言葉はもはや機能できない。それが生み出すものは、現実の似姿だからだ。そんな時のために詩がある、というか、石原吉郎にとっては、そこには詩しかなかったのだ。その絶対零度の必然性に痺れる。
詩の存在に意味があることを確認できて嬉しい。と同時に、今度は本物の詩の条件を充たさない自分自身の言葉が不安になる。
――――
単行本p.237
タグ:穂村弘
『A O SHOW』(Lune Production) [ダンス]
2018年2月25日は、夫婦でKAAT神奈川芸術劇場に行ってベトナム発の現代サーカス公演を鑑賞しました。18名(パフォーマ15名、歌手1名、演奏家2名)の出演者による70分の舞台です。
ベトナムで日常的に使われる素材、特に竹や籠を駆使した作品です。特に明確なストーリーはなく、ベトナムを舞台とした様々なシーンが展開してゆきます。ベトナムの歴史的情景、港や市場の喧騒、カエルや虫など生き物の世界、かと思うと現代の若者たちが暮らす安アパートや交通量激しい道路事情など。
底の丸い籠を次々と受け渡したり、平たい籠をフリスビーのようにどんどん投げて次々とキャッチしたり、さらにはエアリアル・フープで使われるリングまでが籠を模していたりと、竹で編んだ籠のイメージが最初から最後まで大活躍。ベトナムのシンボルのように扱われています。
ベトナム楽器による生演奏も効果的で、ヌーベルシルクというより、ベトナムを題材にしたエンターティメントショーという印象の強い公演でした。
ベトナムで日常的に使われる素材、特に竹や籠を駆使した作品です。特に明確なストーリーはなく、ベトナムを舞台とした様々なシーンが展開してゆきます。ベトナムの歴史的情景、港や市場の喧騒、カエルや虫など生き物の世界、かと思うと現代の若者たちが暮らす安アパートや交通量激しい道路事情など。
底の丸い籠を次々と受け渡したり、平たい籠をフリスビーのようにどんどん投げて次々とキャッチしたり、さらにはエアリアル・フープで使われるリングまでが籠を模していたりと、竹で編んだ籠のイメージが最初から最後まで大活躍。ベトナムのシンボルのように扱われています。
ベトナム楽器による生演奏も効果的で、ヌーベルシルクというより、ベトナムを題材にしたエンターティメントショーという印象の強い公演でした。
タグ:その他(ダンス)
『これから泳ぎにいきませんか 穂村弘の書評集』(穂村弘) [読書(随筆)]
――――
なんだかだるくて動きたくない、ということがある。どこにも行きたくないし、誰にも会いたくないし、何にもしたくない。というか、私はほとんど常にそういう体感なのだ。これではいけない、と思っても、どうしていいかわからない。寝っ転がった長椅子から落ちた片足を持ち上げるのもだるいので、そのまんまだ。
嗚呼、元気が出る薬を飲みたい。でも、覚醒剤とかは困る。そんな時、薬の代わりに本を読む。
――――
単行本p.87
「世界」にじかに触れ、命を甦らせる、そのための読書。歌人である著者がこれまでに書いてきた書評から傑作を選んだ一冊。単行本(河出書房新社)出版は2017年11月です。
書評や文庫本解説が数多く収録されていますが、まずは本というものに対する思いが語られている部分でいきなり共感してしまいます。
――――
思春期に入ってから、何か決定的なことが書いてある、そういう本があるんじゃないかと思うようになって。その決定的なことを理解できないと、自分は生きていけないという風に感覚が変わったんです。(中略)それをつかまない限り、自分は駄目だという、特殊なテンションがありました。
――――
単行本p.306
――――
本を読めば読むほど世界がシャッフルされて全てがわからなくなってゆく。そこにときめきを感じる。
――――
単行本p.320
――――
全ての言葉は結果的にこの世界を翻訳しているんじゃないか。逆に云うと、人間の喜怒哀楽も、くしゃみの瞬間の感覚も、北東と北北東との間の方角も、電子レンジの音も、世界の全ては翻訳されることを待っている(と思ったら、北東と北北東の間はもうあるらしい。北東微北だって)
――――
単行本p.251
それにしても読書という行為はなぜこれほどまでに魅力的なのか。その理由について語る部分も感動的です。
――――
思わず、うっとりする。一杯の「ミルクティー」が「天国の飲物」になるなんて。このような実感は、生の直接性から隔てられた我々にとっては麻薬的なものに思える。
本来、私たちの生はそのようなものなのだろう。ただ、社会システムによって、そこから遠く隔てられてしまっている。死を遠ざけるためのシステムが、同時に生を遠ざけているのだ。
――――
単行本p.75
――――
学校や会社で普通に使われる散文は「社会」と繋がっている。それに対して、詩歌の言葉は「世界」と繋がっているのだ。(中略)詩歌を読むことは「世界」に触れて命を甦らせる快楽を味わうこと。
――――
単行本p.38
何度も語られるのは、自分の命を甦らせるために「道を踏み外す」勇気について。
――――
現代社会で「ありえる」ために、私は様々なものに意識を合わせようとする。場の空気とか効率とか「イケてる」とか。その作業は大変だけど、そうしないと生きていけないと思うから、できるだけズレないようにがんばり続ける。
記念日を忘れないようにして、シャツの裾をちゃんと出して、飲み会の席順の心配をして……、ふと不安になる。この作業で一生が終わってしまうんじゃないか。何か、おかしい。大事なことが思い出せそうで思い出せない。ただ、「ありえない」の塊のようなあみ子をみていると勇気が湧いてくる。逸脱せよ、という幻の声がきこえる。
でも、こわい。あみ子はこわくないのだろうか。だって世界からひとりだけ島流しなのに。
――――
単行本p.90
――――
編集者だった二階堂奥歯さんと夜御飯を食べながら、仕事の打ち合わせをしたことがある。終わりだけに突然、テーブルの上に水着が飛び出してきた。
「これから泳ぎにいきませんか」
ええ? と思う。時刻は夜の十時を回っている。その唐突さに異様なものを感じた。
(中略)
表現の世界ではエキセントリックで早熟な才能は珍しくないとも云えるが、このタイプの「本物」を見たのは初めてだ。
「水着」のような衝動性は、なんというか、生き続けることに対して、彼女が払っているぎりぎりの税金みたいなものだったのではないか。
――――
単行本p.167
臆病な私たちは、あみ子さんにも二階堂奥歯さんにもなれない。でも、猫がいる。
――――
もうひとつの道がある。透明な革命を選ぶことだ。ゆるむことで強くなる。攻撃力を捨てることで生き残る。眠ることで目覚める。価値観の網の目を変えて、物理的には指一本触れることなく世界を覆すのだ。というのは簡単だが、実行は難しい。そのためのマニュアルなどどこにもないのである。でも、猫がいる。
――――
単行本p.273
でも、猫がいる。
なんだかだるくて動きたくない、ということがある。どこにも行きたくないし、誰にも会いたくないし、何にもしたくない。というか、私はほとんど常にそういう体感なのだ。これではいけない、と思っても、どうしていいかわからない。寝っ転がった長椅子から落ちた片足を持ち上げるのもだるいので、そのまんまだ。
嗚呼、元気が出る薬を飲みたい。でも、覚醒剤とかは困る。そんな時、薬の代わりに本を読む。
――――
単行本p.87
「世界」にじかに触れ、命を甦らせる、そのための読書。歌人である著者がこれまでに書いてきた書評から傑作を選んだ一冊。単行本(河出書房新社)出版は2017年11月です。
書評や文庫本解説が数多く収録されていますが、まずは本というものに対する思いが語られている部分でいきなり共感してしまいます。
――――
思春期に入ってから、何か決定的なことが書いてある、そういう本があるんじゃないかと思うようになって。その決定的なことを理解できないと、自分は生きていけないという風に感覚が変わったんです。(中略)それをつかまない限り、自分は駄目だという、特殊なテンションがありました。
――――
単行本p.306
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本を読めば読むほど世界がシャッフルされて全てがわからなくなってゆく。そこにときめきを感じる。
――――
単行本p.320
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全ての言葉は結果的にこの世界を翻訳しているんじゃないか。逆に云うと、人間の喜怒哀楽も、くしゃみの瞬間の感覚も、北東と北北東との間の方角も、電子レンジの音も、世界の全ては翻訳されることを待っている(と思ったら、北東と北北東の間はもうあるらしい。北東微北だって)
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単行本p.251
それにしても読書という行為はなぜこれほどまでに魅力的なのか。その理由について語る部分も感動的です。
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思わず、うっとりする。一杯の「ミルクティー」が「天国の飲物」になるなんて。このような実感は、生の直接性から隔てられた我々にとっては麻薬的なものに思える。
本来、私たちの生はそのようなものなのだろう。ただ、社会システムによって、そこから遠く隔てられてしまっている。死を遠ざけるためのシステムが、同時に生を遠ざけているのだ。
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単行本p.75
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学校や会社で普通に使われる散文は「社会」と繋がっている。それに対して、詩歌の言葉は「世界」と繋がっているのだ。(中略)詩歌を読むことは「世界」に触れて命を甦らせる快楽を味わうこと。
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単行本p.38
何度も語られるのは、自分の命を甦らせるために「道を踏み外す」勇気について。
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現代社会で「ありえる」ために、私は様々なものに意識を合わせようとする。場の空気とか効率とか「イケてる」とか。その作業は大変だけど、そうしないと生きていけないと思うから、できるだけズレないようにがんばり続ける。
記念日を忘れないようにして、シャツの裾をちゃんと出して、飲み会の席順の心配をして……、ふと不安になる。この作業で一生が終わってしまうんじゃないか。何か、おかしい。大事なことが思い出せそうで思い出せない。ただ、「ありえない」の塊のようなあみ子をみていると勇気が湧いてくる。逸脱せよ、という幻の声がきこえる。
でも、こわい。あみ子はこわくないのだろうか。だって世界からひとりだけ島流しなのに。
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単行本p.90
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編集者だった二階堂奥歯さんと夜御飯を食べながら、仕事の打ち合わせをしたことがある。終わりだけに突然、テーブルの上に水着が飛び出してきた。
「これから泳ぎにいきませんか」
ええ? と思う。時刻は夜の十時を回っている。その唐突さに異様なものを感じた。
(中略)
表現の世界ではエキセントリックで早熟な才能は珍しくないとも云えるが、このタイプの「本物」を見たのは初めてだ。
「水着」のような衝動性は、なんというか、生き続けることに対して、彼女が払っているぎりぎりの税金みたいなものだったのではないか。
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単行本p.167
臆病な私たちは、あみ子さんにも二階堂奥歯さんにもなれない。でも、猫がいる。
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もうひとつの道がある。透明な革命を選ぶことだ。ゆるむことで強くなる。攻撃力を捨てることで生き残る。眠ることで目覚める。価値観の網の目を変えて、物理的には指一本触れることなく世界を覆すのだ。というのは簡単だが、実行は難しい。そのためのマニュアルなどどこにもないのである。でも、猫がいる。
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単行本p.273
でも、猫がいる。
タグ:穂村弘
『偉人はそこまで言ってない。 歴史的名言の意外なウラ側』(堀江宏樹) [読書(教養)]
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本書でいうところの「ウソ名言」に代表されるのは、誰もが知るナポレオンの名言「余の辞書に不可能の文字はない」や、マリー・アントワネットの「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」など。この二つ、どちらも本人がいった言葉ではないのをご存じでしょうか?
(中略)
このように、名言というものは、それらが生み出された歴史や文脈から完全に切り離され、一人歩きしている……つまり、勝手に解釈されてしまっているケースが実に多いのです。
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文庫版p.3、5
余の辞書に不可能の文字はない、パンがなければお菓子を食べればいいじゃない、それでも地球は回っている。そんなこと言ってない、ひとことも言ってないよ!
偉人伝につきものの「名言」のほとんどは後世の捏造。ということで、名言のウラを探る面白おかしい一冊。文庫版(PHP研究所)出版は2017年12月、Kindle版配信は2018年2月です。
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「偉人」の「名作」のワンフレーズを、本当はその原典を読んだことすらない「知識人」の方々が誤用、それが一般に広がってしまう流れが世界中で起きているのだと思うと、空恐ろしいものがありますね。
――――
文庫版p.72
というわけで、世間に「名言」として流布しているが、実は本人が言ってないものを「ウソ名言」としてピックアップして解説する一冊です。
まったくの捏造から、他人が言った言葉、引用だった言葉、意味や文脈が甚だしく誤解されている言葉など、さまざまな「ウソ名言」が取り上げられています。
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」
「ブルータス、お前もか」
「地球は青かった」
「それでも地球は回っている」
「悪法もまた法なり」
「余の辞書に不可能の文字はない」
「健全なる精神は健全な肉体にやどる」
「人民の人民による人民のための政治」
「朕は国家なり」
「敵は本能寺にあり」
「心頭滅却すれば火もまた涼し」
「日本の夜明けぜよ」
「板垣死すとも自由は死せず」
「天災は忘れた頃にやってくる」
どの名言を誰が言った(とされている)か、すべてお分かりでしょうか。実はこれ全部ウソ。他にも、
「少年よ大志を抱け」と言ったクラーク博士は、帰国後に大志ゆえに投資した事業に大失敗して失意のうちに死んだ。
「すべてを思い通りに成し遂げるのでなければ、何もなさなかったと同じ」と言ったナイチンゲールは、医療ミスで2万人ほど殺しちゃった。
「私には夢がある」と言ったキング牧師は、夢を追い求めて浮気しまくった。
などなど、名言の影に隠れている興ざめな事実も取り上げられています。
本書でいうところの「ウソ名言」に代表されるのは、誰もが知るナポレオンの名言「余の辞書に不可能の文字はない」や、マリー・アントワネットの「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」など。この二つ、どちらも本人がいった言葉ではないのをご存じでしょうか?
(中略)
このように、名言というものは、それらが生み出された歴史や文脈から完全に切り離され、一人歩きしている……つまり、勝手に解釈されてしまっているケースが実に多いのです。
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文庫版p.3、5
余の辞書に不可能の文字はない、パンがなければお菓子を食べればいいじゃない、それでも地球は回っている。そんなこと言ってない、ひとことも言ってないよ!
偉人伝につきものの「名言」のほとんどは後世の捏造。ということで、名言のウラを探る面白おかしい一冊。文庫版(PHP研究所)出版は2017年12月、Kindle版配信は2018年2月です。
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「偉人」の「名作」のワンフレーズを、本当はその原典を読んだことすらない「知識人」の方々が誤用、それが一般に広がってしまう流れが世界中で起きているのだと思うと、空恐ろしいものがありますね。
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文庫版p.72
というわけで、世間に「名言」として流布しているが、実は本人が言ってないものを「ウソ名言」としてピックアップして解説する一冊です。
まったくの捏造から、他人が言った言葉、引用だった言葉、意味や文脈が甚だしく誤解されている言葉など、さまざまな「ウソ名言」が取り上げられています。
「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」
「ブルータス、お前もか」
「地球は青かった」
「それでも地球は回っている」
「悪法もまた法なり」
「余の辞書に不可能の文字はない」
「健全なる精神は健全な肉体にやどる」
「人民の人民による人民のための政治」
「朕は国家なり」
「敵は本能寺にあり」
「心頭滅却すれば火もまた涼し」
「日本の夜明けぜよ」
「板垣死すとも自由は死せず」
「天災は忘れた頃にやってくる」
どの名言を誰が言った(とされている)か、すべてお分かりでしょうか。実はこれ全部ウソ。他にも、
「少年よ大志を抱け」と言ったクラーク博士は、帰国後に大志ゆえに投資した事業に大失敗して失意のうちに死んだ。
「すべてを思い通りに成し遂げるのでなければ、何もなさなかったと同じ」と言ったナイチンゲールは、医療ミスで2万人ほど殺しちゃった。
「私には夢がある」と言ったキング牧師は、夢を追い求めて浮気しまくった。
などなど、名言の影に隠れている興ざめな事実も取り上げられています。
タグ:その他(教養)