『黄金の人工太陽』(J・J・アダムズ:編、中原尚哉・他:翻訳) [読書(SF)]
――――
SFとファンタジーの基本はセンス・オブ・ワンダーだ。そして並はずれたセンス・オブ・ワンダーを味わえるのは、超人的なヒーローが宇宙の命運をかけて銀河のかなたで恐ろしい敵と戦う物語だ。(中略)
そんなノスタルジーと、マーベル映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のありえない(しかしとてもうれしい)成功に刺激されて、19人の作家たちに圧倒的な宇宙スケールの作品を依頼した。私が子どものころにコミックブックで出会って大好きになったような物語を求めた。
すると、みんな書いてくれたのだ。
――――
『序文』より
億年後の未来でダイソン天体を駆け抜けろ!
失われた古代地球文明の遺物、アーケードゲーム機『シュガーラッシュ』をコレクターに売りつけろ!
ウォークマンとベストリミックスカセットテープでエイリアンとコンタクト!
うちゅうはかいばくだん。異星のピラミッド。やつのヤハウェ・スケール(神レベル)は30超えだ!
そういうのってみんな嫌いじゃないよね? というわけで編纂された現代スペースオペラのアンソロジー。2020年代を代表する19名の作家が、おそらく嬉々として挑んだ「昔のコミックみたいな圧倒的宇宙スケールの物語」。やっぱりSF作家はガーディアンズ・オブ・ギャラクシーやスタートレックやカウボーイビバップは好きなんだな。文庫版(東京創元社)出版は2022年6月です。
収録作品
『時空の一時的困惑』(チャーリー・ジェーン・アンダーズ)
『禅と宇宙船修理技術』(トバイアス・S.バッケル)
『甲板員ノヴァ・ブレード、大いに歌われた経典』(ベッキー・チェンバーズ)
『晴眼の時計職人』(ヴィラル・カフタン)
『無限の愛』(ジョゼフ・アレン・ヒル)
『見知らぬ神々』(アダム=トロイ・カストロ&ジュディ・B.カストロ)
『悠久の世界の七不思議』(キャロリン・M.ヨークム)
『俺たちは宇宙地質学者、なのに』(アラン・ディーン・フォスター)
『黄金の人工太陽』(カール・シュレイダー)
『明日、太陽を見て』(A・マーク・ラスタッド)
『子どもたちを連れて過去を再訪し、レトロな移動遊園地へ行ってみよう!』(ショーニン・マグワイア)
『竜が太陽から飛び出す時』(アリエット・ド・ボダール)
『ダイヤモンドとワールドブレイカー』(リンダ・ナガタ)
『カメレオンのグローブ』(ユーン・ハ・リー)
『ポケットのなかの宇宙儀』(カット・ハワード)
『目覚めるウロボロス』(ジャック・キャンベル)
『迷宮航路』(カメロン・ハーレイ)
『霜の巨人』(ダン・アブネット)
『見知らぬ神々』(アダム=トロイ・カストロ&ジュディ・B.カストロ)
――――
人類最高峰の聖なる書物類で全能の創造主と断定されている存在は、これまで直接、観察されてはいませんが、ヤハウェ・スケールで100とされています。念のためですが――これは指数関数的なスケールです。平均的な人間が0.1でこれが基準となり、そこから0.2、0.3と0.1刻みで十倍、百倍、千倍と大きくなっていきます。その尺度でいうと、これまで人類の味方となった神々の最強のものがわずか9.7。科学的に確認されたうち、つい最近まで最強とされたものが17.2。ヴファームがいきなりぶつけてきた神が未曾有の23.6。こいつは……艦長、放射しているものだけでしっかり31.9と出ています。ヴファームが最後に放った神の10の73乗倍――たぶんわれわれが目にしたもののなかで真の全能の神にもっとも近い存在です。おそらく、いまわれわれがいる星団をまるごと創りだしたのでしょう。
――――
超光速航行は物理的に不可能、だから神に頼るしかない。
あらゆる宇宙技術が神のご加護によって実現されている未来。強力な神を味方につけたエイリアン種族による攻撃を受け、人類は壊滅寸前だった。そのとき、事故で漂流していた宇宙船がこれまで観測されたことのない未知の強力な神とコンタクトした。神は人類を救う代償として指パッチンでその半分を消すというのだが……。スタートレックとマーベルが間違えてくっついちゃったような物語ですが、何といってもオチがひどい。
『悠久の世界の七不思議』(キャロリン・M.ヨークム)
――――
理解できていないことを察知してくれた相手の宇宙船が、もっと限定された一組のデータをさしだしてきた。悠久の世界の七不思議だ。“火星の巨象”と“エウロパの灯台”はすでにナビアも知っていたが、ほかは現在の時間や場所を超えていた。それでもなお、ナビアが守るようプログラムされた人間たちとのわずかなつながりがある。そのひとつは過去と未来が奇妙にまじりあったもので、ここと地球の両方から何光年も離れた惑星の古代ピラミッドの画像だった。
――――
果てしなく長い時間と膨大な空間をこえて旅をしてきた語り手が最終的に故郷に戻ってくる、という神話風SFの原型に挑戦した物語。「センス・オブ・ワンダーあふれる話」を依頼されたので世界の七不思議(ワンダー)を出しました、という素直な執筆姿勢に好感が持てます。
『竜が太陽から飛び出す時』(アリエット・ド・ボダール)
――――
印。傷。皆が埋めようと望む心の中の穴。ランとテュイエト・タンと母さん――そしてヴィエン――誰もが嵐の過ぎた跡にうずくまる農夫のように、竜の通った後でひとつになる。水に浸かった田畑と失われた収穫を悼み、おたがいに相手に対してやったことの重みに頭を垂れる。
つまるところ母さんは正しかった。戦争の話で意味をなすものがあるとすれば、これしか無い――単純に、正直に、断腸の想いをもって、耐えることのできる真実はこれしか無いのだ。
――――
戦争が双方に残す深い傷、憎悪の連鎖。それを耐えるために人々が伝えてゆく物語の力とは。
はるかな遠い未来、銀河に広がったヴェトナム華僑の子孫たちが星々と深宇宙を舞台に様々な物語を紡いでゆく。恒星間文明としてのアジア文化圏を描く「シュヤ (Xuya)」シリーズの一篇。短編集『茶匠と探偵』にも収録されている傑作。
『ダイヤモンドとワールドブレイカー』(リンダ・ナガタ)
――――
そこに表示された数字がカウントダウンしている。
3:13:27
3:13:26
3:13:25
「これは世界破壊弾(ワールドブレイカー)っていうの」
ダイヤモンドがおごそかに教えた。
――――
悪いことに憧れちゃう年頃の娘、ダイヤモンドが手に入れた爆弾。それはワールドブレイカーという起動すると宇宙が消滅するヤバいやつ。母は娘(と宇宙)を守るために奮闘するはめになるが……。こういう軽めのアクションSFは楽しい。
『カメレオンのグローブ』(ユーン・ハ・リー)
――――
「こんな盗人を信用するなんて、ずいぶん大博打じゃないか?」
「そうかな」口の端がぴくっと上がったのは、たぶん笑いだ。「アカデミーでもとりわけ将来を嘱望されていたあなたは、みずから将来を棒に振った。自分の名前すら知らないマネキンの命を助けたからだ。わたしの人選に間違いはないと確信している」
カヴァリオンは左右のグローブをゆっくりぬぐと、リーアンに差し出した。
「あなたはわたしのエージェント。このグローブをはめ、焼夷核を持っていきなさい。無数の命がそれにかかっている」
これは“わたしの名誉をあなたに預ける”という意味だった。
――――
かつて軍のエリートだったが追放され、今や仲間と組んで美術品泥棒として生きている主人公。そこにかつての上官から指示がくる。奪われた試作兵器を取り戻してくれれば、軍への復帰を認めてやると。誘惑に耐えきれず仕事を引き受けた主人公だが……。アニメ『カウボーイビバップ』を思わせる古典スペースオペラをそのまま書いてみたという作品ですが、やっぱり面白いよね。
SFとファンタジーの基本はセンス・オブ・ワンダーだ。そして並はずれたセンス・オブ・ワンダーを味わえるのは、超人的なヒーローが宇宙の命運をかけて銀河のかなたで恐ろしい敵と戦う物語だ。(中略)
そんなノスタルジーと、マーベル映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のありえない(しかしとてもうれしい)成功に刺激されて、19人の作家たちに圧倒的な宇宙スケールの作品を依頼した。私が子どものころにコミックブックで出会って大好きになったような物語を求めた。
すると、みんな書いてくれたのだ。
――――
『序文』より
億年後の未来でダイソン天体を駆け抜けろ!
失われた古代地球文明の遺物、アーケードゲーム機『シュガーラッシュ』をコレクターに売りつけろ!
ウォークマンとベストリミックスカセットテープでエイリアンとコンタクト!
うちゅうはかいばくだん。異星のピラミッド。やつのヤハウェ・スケール(神レベル)は30超えだ!
そういうのってみんな嫌いじゃないよね? というわけで編纂された現代スペースオペラのアンソロジー。2020年代を代表する19名の作家が、おそらく嬉々として挑んだ「昔のコミックみたいな圧倒的宇宙スケールの物語」。やっぱりSF作家はガーディアンズ・オブ・ギャラクシーやスタートレックやカウボーイビバップは好きなんだな。文庫版(東京創元社)出版は2022年6月です。
収録作品
『時空の一時的困惑』(チャーリー・ジェーン・アンダーズ)
『禅と宇宙船修理技術』(トバイアス・S.バッケル)
『甲板員ノヴァ・ブレード、大いに歌われた経典』(ベッキー・チェンバーズ)
『晴眼の時計職人』(ヴィラル・カフタン)
『無限の愛』(ジョゼフ・アレン・ヒル)
『見知らぬ神々』(アダム=トロイ・カストロ&ジュディ・B.カストロ)
『悠久の世界の七不思議』(キャロリン・M.ヨークム)
『俺たちは宇宙地質学者、なのに』(アラン・ディーン・フォスター)
『黄金の人工太陽』(カール・シュレイダー)
『明日、太陽を見て』(A・マーク・ラスタッド)
『子どもたちを連れて過去を再訪し、レトロな移動遊園地へ行ってみよう!』(ショーニン・マグワイア)
『竜が太陽から飛び出す時』(アリエット・ド・ボダール)
『ダイヤモンドとワールドブレイカー』(リンダ・ナガタ)
『カメレオンのグローブ』(ユーン・ハ・リー)
『ポケットのなかの宇宙儀』(カット・ハワード)
『目覚めるウロボロス』(ジャック・キャンベル)
『迷宮航路』(カメロン・ハーレイ)
『霜の巨人』(ダン・アブネット)
『見知らぬ神々』(アダム=トロイ・カストロ&ジュディ・B.カストロ)
――――
人類最高峰の聖なる書物類で全能の創造主と断定されている存在は、これまで直接、観察されてはいませんが、ヤハウェ・スケールで100とされています。念のためですが――これは指数関数的なスケールです。平均的な人間が0.1でこれが基準となり、そこから0.2、0.3と0.1刻みで十倍、百倍、千倍と大きくなっていきます。その尺度でいうと、これまで人類の味方となった神々の最強のものがわずか9.7。科学的に確認されたうち、つい最近まで最強とされたものが17.2。ヴファームがいきなりぶつけてきた神が未曾有の23.6。こいつは……艦長、放射しているものだけでしっかり31.9と出ています。ヴファームが最後に放った神の10の73乗倍――たぶんわれわれが目にしたもののなかで真の全能の神にもっとも近い存在です。おそらく、いまわれわれがいる星団をまるごと創りだしたのでしょう。
――――
超光速航行は物理的に不可能、だから神に頼るしかない。
あらゆる宇宙技術が神のご加護によって実現されている未来。強力な神を味方につけたエイリアン種族による攻撃を受け、人類は壊滅寸前だった。そのとき、事故で漂流していた宇宙船がこれまで観測されたことのない未知の強力な神とコンタクトした。神は人類を救う代償として指パッチンでその半分を消すというのだが……。スタートレックとマーベルが間違えてくっついちゃったような物語ですが、何といってもオチがひどい。
『悠久の世界の七不思議』(キャロリン・M.ヨークム)
――――
理解できていないことを察知してくれた相手の宇宙船が、もっと限定された一組のデータをさしだしてきた。悠久の世界の七不思議だ。“火星の巨象”と“エウロパの灯台”はすでにナビアも知っていたが、ほかは現在の時間や場所を超えていた。それでもなお、ナビアが守るようプログラムされた人間たちとのわずかなつながりがある。そのひとつは過去と未来が奇妙にまじりあったもので、ここと地球の両方から何光年も離れた惑星の古代ピラミッドの画像だった。
――――
果てしなく長い時間と膨大な空間をこえて旅をしてきた語り手が最終的に故郷に戻ってくる、という神話風SFの原型に挑戦した物語。「センス・オブ・ワンダーあふれる話」を依頼されたので世界の七不思議(ワンダー)を出しました、という素直な執筆姿勢に好感が持てます。
『竜が太陽から飛び出す時』(アリエット・ド・ボダール)
――――
印。傷。皆が埋めようと望む心の中の穴。ランとテュイエト・タンと母さん――そしてヴィエン――誰もが嵐の過ぎた跡にうずくまる農夫のように、竜の通った後でひとつになる。水に浸かった田畑と失われた収穫を悼み、おたがいに相手に対してやったことの重みに頭を垂れる。
つまるところ母さんは正しかった。戦争の話で意味をなすものがあるとすれば、これしか無い――単純に、正直に、断腸の想いをもって、耐えることのできる真実はこれしか無いのだ。
――――
戦争が双方に残す深い傷、憎悪の連鎖。それを耐えるために人々が伝えてゆく物語の力とは。
はるかな遠い未来、銀河に広がったヴェトナム華僑の子孫たちが星々と深宇宙を舞台に様々な物語を紡いでゆく。恒星間文明としてのアジア文化圏を描く「シュヤ (Xuya)」シリーズの一篇。短編集『茶匠と探偵』にも収録されている傑作。
『ダイヤモンドとワールドブレイカー』(リンダ・ナガタ)
――――
そこに表示された数字がカウントダウンしている。
3:13:27
3:13:26
3:13:25
「これは世界破壊弾(ワールドブレイカー)っていうの」
ダイヤモンドがおごそかに教えた。
――――
悪いことに憧れちゃう年頃の娘、ダイヤモンドが手に入れた爆弾。それはワールドブレイカーという起動すると宇宙が消滅するヤバいやつ。母は娘(と宇宙)を守るために奮闘するはめになるが……。こういう軽めのアクションSFは楽しい。
『カメレオンのグローブ』(ユーン・ハ・リー)
――――
「こんな盗人を信用するなんて、ずいぶん大博打じゃないか?」
「そうかな」口の端がぴくっと上がったのは、たぶん笑いだ。「アカデミーでもとりわけ将来を嘱望されていたあなたは、みずから将来を棒に振った。自分の名前すら知らないマネキンの命を助けたからだ。わたしの人選に間違いはないと確信している」
カヴァリオンは左右のグローブをゆっくりぬぐと、リーアンに差し出した。
「あなたはわたしのエージェント。このグローブをはめ、焼夷核を持っていきなさい。無数の命がそれにかかっている」
これは“わたしの名誉をあなたに預ける”という意味だった。
――――
かつて軍のエリートだったが追放され、今や仲間と組んで美術品泥棒として生きている主人公。そこにかつての上官から指示がくる。奪われた試作兵器を取り戻してくれれば、軍への復帰を認めてやると。誘惑に耐えきれず仕事を引き受けた主人公だが……。アニメ『カウボーイビバップ』を思わせる古典スペースオペラをそのまま書いてみたという作品ですが、やっぱり面白いよね。
タグ:SFアンソロジー
『獣たちの海』(上田早夕里) [読書(SF)]
――――
「我々は同じ海上民であっても、これほどまでに考え方が異なってしまった。おまえたちは陸の技術と価値観を受け入れて海の文化を捨てた。記憶まで捨てて都市に適応しようとした。いよいよ、世界の終わりが訪れるのだ。命を何よりも尊いと考えるなら、それも選択肢のひとつだ。おまえたちは、命の重みを一番に考えるがゆえにその生き方を選んだ。いまはまだ我々を理解できるように言うが、あと十年も経てば、都市に移住した海上民は外での暮らしなどまったく忘れる。魚舟も獣舟も気にしなくなる。かつて、それらが自分たちの〈朋〉だったことも。忘れたという事実を、なんとも思わなくなる。わかるか。それが、特定の人々に対して、民俗を捨てさせるってことなんだ」
(中略)
「この世の終わりがやってきても、海を捨てない者たちは誇り高く生き、誇り高く死んでいくだけでしょう。まるで野生動物のような生き方です。海上都市に移住し、科学技術によって生き延びる道を選んだ私たちとは違う。どちらが、より人間的と言えるのでしょうか。いや、そもそも、人間的であるとはどういうことなのか」
私は、そこで少しだけ言葉を切った。「あなたと共に生きれば、その答えを得られるはずだと思っています」
――――
文庫本p.203、244
大規模な海面上昇により陸地の多くが海に沈んだ時代。迫り来る〈大異変〉による避けられない絶滅を見すえながら、激しくも誇り高く生きる海上民たち。その文化と社会をえがく4篇を収録した「オーシャンクロニクル」シリーズ短篇集。文庫本(早川書房)出版は2022年2月です。
人間と同じ遺伝情報を持つ魚舟と獣舟。人間の遺伝情報を保存するために作られた異形の深海生物ルーシィ。人間の精神を模したアシスタント知性体。文化も生活習慣も異なる海上民と陸上民。どこまでが人間であり同胞なのだろうか。SFでしか扱えない問いを根底におきながら、地球規模の大規模異変、多くの異なる価値観の衝突、そして個人の葛藤までを、大きなスケールで描き続ける「オーシャンクロニクル」シリーズ。本作は海上民を中心とした一冊となります。
――――
本書には、シリーズの長篇パート(『華竜の宮』 と『深紅の碑文』)には挿入できなかった四つのエピソードを収録した。物語の構造上、長篇には組み込めなかったエピソード群である。すべて書き下ろしで、未発表の作品。海上民とその社会に焦点をあてて執筆した作品群で、海上民からの視点で魚舟や海洋世界を描くパートは本書で最後となる。
将来、もし、陸上民からの視点で海洋世界が書かれることがあれば、本書はその一冊と、双子のような関係を持つ位置づけとなるだろう。
――――
文庫本p.253
収録作品
『迷舟』
『獣たちの海』
『老人と人魚』
『カレイドスコープ・キッス』
『迷舟』
――――
寄ってくる魚舟はかなり大きい。既に誰かと血の契約を済ませた個体に見える。なんらかの事情で、所属していた船団からはぐれて迷子となり、ここへ辿り着いたのだろう。
このような魚舟を、ムラサキたちは迷舟と呼んでいた。
嵐に巻き込まれて船団からはぐれたり、寄生虫にやられて方向感覚を失ったり、自分だけ見当違いの方向へ泳いでしまって、そのうち太い潮に流されて迷うのだ。
――――
文庫本p.9
自分の〈朋〉である人間やその船団からはぐれてしまった魚舟、それが迷舟。
迷舟とそれを見つけた男との交流をえがいた短篇。まずこの短い物語りを読むことで魚舟や海上民の暮らしについて知ることが出来ます。
『獣たちの海』
――――
切ない思いに掻きたてられて船団を目指していた頃のクロは、もう、どこにもいなかった。いまここにいるのは、ただ自分のためだけに生きる、獰猛で力強い新しい生きものだ。
双子の片割れと出会えず、乗り手を得られなかった孤独な魚舟――本来の姿とは違う変異種に変わってしまった個体を、人は獣舟と呼ぶ。海上民はそれを畏怖し、陸上民は自分たちの生命操作技術の失敗によって生まれた怪物として忌み嫌う。
――――
文庫本p.51
自分の双子たる〈朋〉である人間と再会できなかった魚舟は、異常変異のはてに獰猛な獣舟となって暴れ回る。シリーズの原点となった『魚舟・獣舟』以来おなじみの設定を、獣舟の視点から描くという大胆な短篇。
『老人と人魚』
――――
ルーシィは胸鰭で挟み込むようにして、老人をゆっくりと抱擁した。抱いたといっても腹側がでっぱった体型なので、人間同士のようにぎゅっと抱きしめることはできない。ふんわりと体の両側から鰭で挟んだ程度だ。それでも老人は、何かどきりとするものを感じた。知性があるとは知らされていたが、この生きものが人間と変わらぬ感情を持っているかもしれないと思うと、少しだけぞっとした。あまりにも人間離れしかルーシィの容姿は、ヒトの美しさの基準では計れないものだ。自分たちが死に絶えたあと、これが海の底で何百年も生き続け、新たな人類になるのだとは――。自分の想像を遥かに超えた話である。
――――
文庫本p.72
陸上民との絶え間ない抗争に疲れ切ったひとりの老人が、二度と戻らぬ最後の旅へと船出する。彼に付き添うように泳ぐのは、〈大異変〉を越えて何百年もの先に人間の遺伝子を届けるために創られた深海生物、ルーシィ。相互理解もコミュニケーションもとれない二つの種族のあいだに、パーソナルな関係が生じてゆく様をえがいた短篇。
『カレイドスコープ・キッス』
――――
マルガリータ周辺では、海上民相手に海上商人(ダックウィード)が交易を行っている。船団が密集しているので、病潮が発生する可能性も高い。南洋海域の連合が主導する形で、外洋公館が常に監視を続けていた。陸の人間が行くと反発されることも、仲間である海上民が説明すると素直に聞いてもらえるパターンが多いという。リンカーとは、つまり海の架橋者。陸と海とを結ぶ架け橋なのだ。民族と民族、人と人、人とシステムを結びつける役割を担う仕事だ。
説明を聞いているうちに、自分でもやれそうな気がしてきた。
――――
文庫本p.124
陸上民と海上民が共存する海上都市マルガリータ・コリエ。ここに移住した海上民である語り手は、海と陸をつなぐリンカーという仕事につく。アシスタント知性体と共に、生粋の海上民であるオサとの交流に乗り出したものの、都市移住をめぐるトラブル、海賊ラブカや獣舟への対処をめぐる対立、獣舟発生を阻止するために魚舟の中絶を義務づけようとする陸上民に対する反発など、問題は山積みだった。同じ海上民とはいえ都市居住者である自分と、魚舟と共に海に生きるオサとの価値観の違いを乗り越え、信頼関係を築くことは出来るのだろうか。多くの価値観が衝突するなか、自らの生き方を模索する若者の姿を描くオーシャンクロニクルシリーズらしい中篇。
「我々は同じ海上民であっても、これほどまでに考え方が異なってしまった。おまえたちは陸の技術と価値観を受け入れて海の文化を捨てた。記憶まで捨てて都市に適応しようとした。いよいよ、世界の終わりが訪れるのだ。命を何よりも尊いと考えるなら、それも選択肢のひとつだ。おまえたちは、命の重みを一番に考えるがゆえにその生き方を選んだ。いまはまだ我々を理解できるように言うが、あと十年も経てば、都市に移住した海上民は外での暮らしなどまったく忘れる。魚舟も獣舟も気にしなくなる。かつて、それらが自分たちの〈朋〉だったことも。忘れたという事実を、なんとも思わなくなる。わかるか。それが、特定の人々に対して、民俗を捨てさせるってことなんだ」
(中略)
「この世の終わりがやってきても、海を捨てない者たちは誇り高く生き、誇り高く死んでいくだけでしょう。まるで野生動物のような生き方です。海上都市に移住し、科学技術によって生き延びる道を選んだ私たちとは違う。どちらが、より人間的と言えるのでしょうか。いや、そもそも、人間的であるとはどういうことなのか」
私は、そこで少しだけ言葉を切った。「あなたと共に生きれば、その答えを得られるはずだと思っています」
――――
文庫本p.203、244
大規模な海面上昇により陸地の多くが海に沈んだ時代。迫り来る〈大異変〉による避けられない絶滅を見すえながら、激しくも誇り高く生きる海上民たち。その文化と社会をえがく4篇を収録した「オーシャンクロニクル」シリーズ短篇集。文庫本(早川書房)出版は2022年2月です。
人間と同じ遺伝情報を持つ魚舟と獣舟。人間の遺伝情報を保存するために作られた異形の深海生物ルーシィ。人間の精神を模したアシスタント知性体。文化も生活習慣も異なる海上民と陸上民。どこまでが人間であり同胞なのだろうか。SFでしか扱えない問いを根底におきながら、地球規模の大規模異変、多くの異なる価値観の衝突、そして個人の葛藤までを、大きなスケールで描き続ける「オーシャンクロニクル」シリーズ。本作は海上民を中心とした一冊となります。
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本書には、シリーズの長篇パート(『華竜の宮』 と『深紅の碑文』)には挿入できなかった四つのエピソードを収録した。物語の構造上、長篇には組み込めなかったエピソード群である。すべて書き下ろしで、未発表の作品。海上民とその社会に焦点をあてて執筆した作品群で、海上民からの視点で魚舟や海洋世界を描くパートは本書で最後となる。
将来、もし、陸上民からの視点で海洋世界が書かれることがあれば、本書はその一冊と、双子のような関係を持つ位置づけとなるだろう。
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文庫本p.253
収録作品
『迷舟』
『獣たちの海』
『老人と人魚』
『カレイドスコープ・キッス』
『迷舟』
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寄ってくる魚舟はかなり大きい。既に誰かと血の契約を済ませた個体に見える。なんらかの事情で、所属していた船団からはぐれて迷子となり、ここへ辿り着いたのだろう。
このような魚舟を、ムラサキたちは迷舟と呼んでいた。
嵐に巻き込まれて船団からはぐれたり、寄生虫にやられて方向感覚を失ったり、自分だけ見当違いの方向へ泳いでしまって、そのうち太い潮に流されて迷うのだ。
――――
文庫本p.9
自分の〈朋〉である人間やその船団からはぐれてしまった魚舟、それが迷舟。
迷舟とそれを見つけた男との交流をえがいた短篇。まずこの短い物語りを読むことで魚舟や海上民の暮らしについて知ることが出来ます。
『獣たちの海』
――――
切ない思いに掻きたてられて船団を目指していた頃のクロは、もう、どこにもいなかった。いまここにいるのは、ただ自分のためだけに生きる、獰猛で力強い新しい生きものだ。
双子の片割れと出会えず、乗り手を得られなかった孤独な魚舟――本来の姿とは違う変異種に変わってしまった個体を、人は獣舟と呼ぶ。海上民はそれを畏怖し、陸上民は自分たちの生命操作技術の失敗によって生まれた怪物として忌み嫌う。
――――
文庫本p.51
自分の双子たる〈朋〉である人間と再会できなかった魚舟は、異常変異のはてに獰猛な獣舟となって暴れ回る。シリーズの原点となった『魚舟・獣舟』以来おなじみの設定を、獣舟の視点から描くという大胆な短篇。
『老人と人魚』
――――
ルーシィは胸鰭で挟み込むようにして、老人をゆっくりと抱擁した。抱いたといっても腹側がでっぱった体型なので、人間同士のようにぎゅっと抱きしめることはできない。ふんわりと体の両側から鰭で挟んだ程度だ。それでも老人は、何かどきりとするものを感じた。知性があるとは知らされていたが、この生きものが人間と変わらぬ感情を持っているかもしれないと思うと、少しだけぞっとした。あまりにも人間離れしかルーシィの容姿は、ヒトの美しさの基準では計れないものだ。自分たちが死に絶えたあと、これが海の底で何百年も生き続け、新たな人類になるのだとは――。自分の想像を遥かに超えた話である。
――――
文庫本p.72
陸上民との絶え間ない抗争に疲れ切ったひとりの老人が、二度と戻らぬ最後の旅へと船出する。彼に付き添うように泳ぐのは、〈大異変〉を越えて何百年もの先に人間の遺伝子を届けるために創られた深海生物、ルーシィ。相互理解もコミュニケーションもとれない二つの種族のあいだに、パーソナルな関係が生じてゆく様をえがいた短篇。
『カレイドスコープ・キッス』
――――
マルガリータ周辺では、海上民相手に海上商人(ダックウィード)が交易を行っている。船団が密集しているので、病潮が発生する可能性も高い。南洋海域の連合が主導する形で、外洋公館が常に監視を続けていた。陸の人間が行くと反発されることも、仲間である海上民が説明すると素直に聞いてもらえるパターンが多いという。リンカーとは、つまり海の架橋者。陸と海とを結ぶ架け橋なのだ。民族と民族、人と人、人とシステムを結びつける役割を担う仕事だ。
説明を聞いているうちに、自分でもやれそうな気がしてきた。
――――
文庫本p.124
陸上民と海上民が共存する海上都市マルガリータ・コリエ。ここに移住した海上民である語り手は、海と陸をつなぐリンカーという仕事につく。アシスタント知性体と共に、生粋の海上民であるオサとの交流に乗り出したものの、都市移住をめぐるトラブル、海賊ラブカや獣舟への対処をめぐる対立、獣舟発生を阻止するために魚舟の中絶を義務づけようとする陸上民に対する反発など、問題は山積みだった。同じ海上民とはいえ都市居住者である自分と、魚舟と共に海に生きるオサとの価値観の違いを乗り越え、信頼関係を築くことは出来るのだろうか。多くの価値観が衝突するなか、自らの生き方を模索する若者の姿を描くオーシャンクロニクルシリーズらしい中篇。
タグ:上田早夕里
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』(アンディ・ウィアー:著、小野田和子:翻訳) [読書(SF)]
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そして本書でも健在な作者の持ち味がもうひとつ。読んでいると自然にわくわく感が湧いてきて、ハラハラさせられるのも含めて楽しくなってくることだ。本書が『火星の人』の作者の新作という期待を裏切らないというのは、なによりもこの抜群のストーリーテリングのことである。
主人公も読者も、希望と絶望のあいだを何度となく往復させられつづけ、とくに下巻の最後三分の一はその頻度が増していくのに加えて、振れ幅も天国と地獄のどん底くらいに大きくなっていく。
残りページが数十ページを切っても、どうか油断することなく、作者の語り思う存分ふりまわされてください。
――――
単行本(下)p.314
人類を絶滅の危機から救うために深宇宙を飛ぶ宇宙船。そのなかで目覚めた主人公は、自分が誰であるかも思い出せない状態だった。地球から救出が来る可能性はなく、仲間は全滅し、たった一人で使命を達成しなければならない。失敗すれば全人類が死ぬ。成功しても自分は死ぬ。旧作『火星の人』よりもはるかにはるかに絶望的な状況に置かれた主人公は、それでも決してくじけずに、サイエンスだけを武器に過酷な運命に立ち向ってゆく。『火星の人』の著者による第三長編。単行本(早川書房)出版は2021年12月です。
――――
地球が困ったことになっている。太陽がアストロファージに感染している。ぼくは宇宙船に乗って、べつの太陽系にきている。この船をつくるのは容易なことではなかったし、クルーはみんな国籍がちがっていた。これは恒星間ミッション――ぼくらのテクノロジーでは不可能なはずのことだ。オーケイ。人類はこのミッションに多くの時間と努力をつぎこんだ。そしてそれを可能にしたミッシング・リンクはアストロファージだった。
筋の通る答えはひとつしかない――アストロファージ問題の解決策がここにある、ということだ。あるいは、その可能性があるということか。膨大な資源をつぎこむ価値のある有望ななにか。
――――
単行本(上)p.95
太陽の放射エネルギーが減少しつつある。このままでは地球は決して終わらない氷河期、そして全球凍結に突入するだろう。その原因はアストロファージだった。恒星エネルギーを吸収して運動エネルギーに変換し、宇宙空間を移動しては次々と恒星を感染させてゆく驚異の星間微生物。だがアストロファージ汚染星域の中心にありながら感染を免れている恒星系が発見される。そこを調査すればアストロファージの繁殖を阻止する何らかの方策が見つかるかも知れない……。
万策尽きた人類が最後の希望を託したのは、やぶれかぶれの一手「プロジェクト・ヘイル・メアリー」。アストロファージを燃料とする恒星間宇宙船を建造し、目的の恒星系に送り込んで調査する。帰還燃料までは用意できない。情報を地球に送り返す小さな探査機を搭載するのが精一杯だった。
――――
これは帰るあてのない特攻ミッションだ。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴは家に帰るが、ぼくの長く曲がりくねった道(ロング・アンド・ワインディング・ロード)はここで終わる。ぼくはすべて承知のうえで志願したのだろう。しかしぼくの健忘症で穴ぼこだらけの脳にとっては初耳の話だ。ぼくはここで死ぬことになる。ここで、ひとりで死んでいくのだ。(中略)
オーケイ、死ぬのなら、その死を意味のあるものにしよう。アストロファージを阻止するためになにができるか考えよう。そして出た答えを地球に送ろう。それから……死ぬ。
――――
単行本(上)p.98、133
宇宙船に搭乗している現在の主人公と、少しずつ記憶を取り戻してゆく過程でフラッシュバックする過去の出来事が、交互に語られるという形式でストーリーは進んでゆきます。現在パートが中心ですが、何しろ絶対に諦めない人々ばかりがいる世界なので、過去パートも派手。
――――
「人類ははからずも過去一世紀のあいだに地球温暖化を引き起こしてしまった。われわれが本気になったら何ができるか、見てみようじゃありませんか」
彼の顔にたじろぎが見えた。「はあ? 冗談でしょう?」
「温室効果ガスの毛布のおかげで少しは時間が稼げる、そうですよね? 地球をパーカのように包みこんで、われわれが得ているエネルギーを長持ちさせてくれる。ちがいますか?」
「なにを――」彼は言葉に詰まった。「まちがいではない、がしかしスケールが……それに意図的に温室効果ガスを出すというのはモラルとして……」
「モラルなどどうでもいいんです」とストラットはいった。
「ほんとうにそういう人なんですよ、彼女は」とぼくはいった。
――――
単行本(上)p.305
ここまでで上巻の前半くらい。ここから先が圧倒的に面白くなってゆくのですが、詳細はまあ省略します。「ファーストコンタクトSF」としても「バディもの」としても傑作で、危機また危機の連続を通じて確実に胸が熱くなるでしょう。だいたい着地点が見えた、あとはエピローグが残ってるだけ、などと油断した後にやってくる読者の予想を超えた展開。すでに映画化が決まっているそうですが、映画版を観るのも楽しみです。
そして本書でも健在な作者の持ち味がもうひとつ。読んでいると自然にわくわく感が湧いてきて、ハラハラさせられるのも含めて楽しくなってくることだ。本書が『火星の人』の作者の新作という期待を裏切らないというのは、なによりもこの抜群のストーリーテリングのことである。
主人公も読者も、希望と絶望のあいだを何度となく往復させられつづけ、とくに下巻の最後三分の一はその頻度が増していくのに加えて、振れ幅も天国と地獄のどん底くらいに大きくなっていく。
残りページが数十ページを切っても、どうか油断することなく、作者の語り思う存分ふりまわされてください。
――――
単行本(下)p.314
人類を絶滅の危機から救うために深宇宙を飛ぶ宇宙船。そのなかで目覚めた主人公は、自分が誰であるかも思い出せない状態だった。地球から救出が来る可能性はなく、仲間は全滅し、たった一人で使命を達成しなければならない。失敗すれば全人類が死ぬ。成功しても自分は死ぬ。旧作『火星の人』よりもはるかにはるかに絶望的な状況に置かれた主人公は、それでも決してくじけずに、サイエンスだけを武器に過酷な運命に立ち向ってゆく。『火星の人』の著者による第三長編。単行本(早川書房)出版は2021年12月です。
――――
地球が困ったことになっている。太陽がアストロファージに感染している。ぼくは宇宙船に乗って、べつの太陽系にきている。この船をつくるのは容易なことではなかったし、クルーはみんな国籍がちがっていた。これは恒星間ミッション――ぼくらのテクノロジーでは不可能なはずのことだ。オーケイ。人類はこのミッションに多くの時間と努力をつぎこんだ。そしてそれを可能にしたミッシング・リンクはアストロファージだった。
筋の通る答えはひとつしかない――アストロファージ問題の解決策がここにある、ということだ。あるいは、その可能性があるということか。膨大な資源をつぎこむ価値のある有望ななにか。
――――
単行本(上)p.95
太陽の放射エネルギーが減少しつつある。このままでは地球は決して終わらない氷河期、そして全球凍結に突入するだろう。その原因はアストロファージだった。恒星エネルギーを吸収して運動エネルギーに変換し、宇宙空間を移動しては次々と恒星を感染させてゆく驚異の星間微生物。だがアストロファージ汚染星域の中心にありながら感染を免れている恒星系が発見される。そこを調査すればアストロファージの繁殖を阻止する何らかの方策が見つかるかも知れない……。
万策尽きた人類が最後の希望を託したのは、やぶれかぶれの一手「プロジェクト・ヘイル・メアリー」。アストロファージを燃料とする恒星間宇宙船を建造し、目的の恒星系に送り込んで調査する。帰還燃料までは用意できない。情報を地球に送り返す小さな探査機を搭載するのが精一杯だった。
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これは帰るあてのない特攻ミッションだ。ジョン、ポール、ジョージ、リンゴは家に帰るが、ぼくの長く曲がりくねった道(ロング・アンド・ワインディング・ロード)はここで終わる。ぼくはすべて承知のうえで志願したのだろう。しかしぼくの健忘症で穴ぼこだらけの脳にとっては初耳の話だ。ぼくはここで死ぬことになる。ここで、ひとりで死んでいくのだ。(中略)
オーケイ、死ぬのなら、その死を意味のあるものにしよう。アストロファージを阻止するためになにができるか考えよう。そして出た答えを地球に送ろう。それから……死ぬ。
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単行本(上)p.98、133
宇宙船に搭乗している現在の主人公と、少しずつ記憶を取り戻してゆく過程でフラッシュバックする過去の出来事が、交互に語られるという形式でストーリーは進んでゆきます。現在パートが中心ですが、何しろ絶対に諦めない人々ばかりがいる世界なので、過去パートも派手。
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「人類ははからずも過去一世紀のあいだに地球温暖化を引き起こしてしまった。われわれが本気になったら何ができるか、見てみようじゃありませんか」
彼の顔にたじろぎが見えた。「はあ? 冗談でしょう?」
「温室効果ガスの毛布のおかげで少しは時間が稼げる、そうですよね? 地球をパーカのように包みこんで、われわれが得ているエネルギーを長持ちさせてくれる。ちがいますか?」
「なにを――」彼は言葉に詰まった。「まちがいではない、がしかしスケールが……それに意図的に温室効果ガスを出すというのはモラルとして……」
「モラルなどどうでもいいんです」とストラットはいった。
「ほんとうにそういう人なんですよ、彼女は」とぼくはいった。
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単行本(上)p.305
ここまでで上巻の前半くらい。ここから先が圧倒的に面白くなってゆくのですが、詳細はまあ省略します。「ファーストコンタクトSF」としても「バディもの」としても傑作で、危機また危機の連続を通じて確実に胸が熱くなるでしょう。だいたい着地点が見えた、あとはエピローグが残ってるだけ、などと油断した後にやってくる読者の予想を超えた展開。すでに映画化が決まっているそうですが、映画版を観るのも楽しみです。
タグ:アンディ・ウィアー
『裏世界ピクニック7 月の葬送』(宮澤伊織) [読書(SF)]
――――
「意図があるに決まってるじゃん! 挑戦状だよこんなの! わざわざ私の前に出てきて挑発してさあ、姿も見せないで鳥子を攫おうとしたり……。もうほんと、ムカついてんのよ私は」
「私怨で喧嘩してんじゃん。大丈夫なのか」
「私怨だろうがなんだろうが、黙ってたら舐められて、もっとヤバいことになるタイプの喧嘩なんですよ。これ以上あの女にイニシアティブ握らせたくないんです。ぶっころですよ、ぶっころ!」
怒る私から、ドン引きした様子で小桜が身を引いた。
「お祓いじゃなかったの?」
「あっ……そうでした」
――――
「こうなったら選択肢は一つだ。閏間冴月を、殺すしかない。」
裏世界に取り込まれて怪異存在と化した閏間冴月。彼女をぶっころ、いや祓う、祓ってやる。そのために冴月と関わり合いの深い仲間を集めて葬送の儀式を執り行うことにした紙越空魚。いよいよ閏間冴月との直接対決へと物語はなだれ込んでゆく。
裏世界、あるいは〈ゾーン〉とも呼称される異世界。そこでは人知をこえる超常現象や危険な存在、そして「くねくね」「八尺様」「きさらぎ駅」など様々なネットロア怪異が跳梁している。日常の隙間を通り抜け、未知領域を探索する若い女性二人組〈ストーカー〉コンビの活躍をえがく連作シリーズ、その第7巻。文庫版(早川書房)出版は2021年12月です。
タイトルからも分かる通りストルガツキーの名作『路傍のピクニック』をベースに、ゲーム『S.T.A.L.K.E.R. Shadow of Chernobyl』の要素を取り込み、日常の隙間からふと異世界に入り込んで恐ろしい目にあうネット怪談の要素を加え、さらに主人公を若い女性二人組にすることでわくわくする感じと怖さを絶妙にミックスした好評シリーズ『裏世界ピクニック』。
もともとSFマガジンに連載されたコンタクトテーマSFだったのが、コミック化に伴って「異世界百合ホラー」と称され、やがて「百合ホラー」となり、「百合」となって、ついには故郷たるSFマガジンが「百合特集」を組むことになり、それがまた予約殺到で在庫全滅、発売前なのに版元が緊急重版に踏み切るという事態に陥り、さらにはTVアニメ化され、ジュニア版が出版され、あまりのことに調子に乗ったSFマガジンが再び百合特集を組んだら発売前にまたもや緊急重版。もうストルガツキーやタルコフスキーのことは誰も気にしない。
ファーストシーズンの4話は前述の通りSFマガジンに連載された後に文庫版第1巻としてまとめられましたが、セカンドシーズンは各話ごとに電子書籍として配信。ファイル5から8は文庫版第2巻、ファイル9から11は文庫版第3巻に収録されています。その後もファイル12から15を書き下ろしで収録した文庫版第4巻が2019年末に出版され、2020年末にも無事に第5巻が出版されました。年末には裏世界という新たな風物詩。そして2021年の春には初の長編である第6巻が出版され、では年末の新刊はどうなるのかと心配していたら、ちゃんと出ました。
[収録作品]
『ファイル21 怪異に関する中間発表』
『ファイル22 トイレット・ペーパームーン』
『ファイル23 月の葬送』
『ファイル21 怪異に関する中間発表』
――――
部屋の中、テーブルを挟んで、二人の人影が座っていた。
一人は私だった。一目でわかった──ドッペルゲンガーだ。これまで何度か目の前に現れた、陰気な顔の、私の似姿。
もう一人は、長い黒髪に眼鏡を掛けた、黒衣の女だった。
「閏間……冴月」
女の名前が口からこぼれ出た。
――――
空魚の前についに姿を現した閏間冴月。そのカリスマ性に圧倒された空魚は、彼女を抹殺することを決意する。これまで怪異の攻撃から身を守るので精一杯だった空魚が、ついに先制攻撃に転じる。あるいは「正式なお付き合いの前に、後くされのないよう、ちゃんと元カノを始末して」という話かも知れない。
『ファイル22 トイレット・ペーパームーン』
――――
「そんな約束、何になるっていうんですか。私が破ったら終わりですよね」
「うん……でもね、多分私たちみたいな人間は、口約束を大事にするしかないんだよ」
「なんでですか」
「私たちも、あんたも、社会とか法律とかの外に踏み出しちゃってるから。何かあったときに、社会の仕組みに助けてもらうことができない。となると、それぞれの間で交わした約束を大事にするしか、生きる方法がないんだよ」
――――
閏間冴月をぶっころ、いやちゃんと祓うために、冴月と縁の深い仲間を集める空魚。だが問題は、潤巳るな。最恐の力を持つ彼女を、どう説得するのか。空魚のボスとしての器が試される……。というか、話すだけで誰でも洗脳できる部下、ひとにらみで誰でも発狂させることができるボス、戦闘力ばりばりの用心棒、さらに資金力のある秘密組織がバックについて、という構図がうっすら見えてきてヤバい。
『ファイル23 月の葬送』
――――
るなも、小桜も、鳥子も、それぞれが閏間冴月に対して送る言葉を持っていた。同じ葬儀に参列している私が、何も言わないままでは終われないのだ。
それにしても、私がこんなことを言う羽目になるなんて……。
納得できるようなできないような複雑な気分で、私は口を開いて、閏間冴月に向かって言い放った。
「あなたがちょっかい掛けてた子たち、全員まとめて面倒見てあげる。──だからもう、二度とその顔見せないで」
――――
ついにやってきた閏間冴月との直接対決。空魚が用意した御祓いの儀式とは。そして彼女たちは閏間冴月との縁をすっぱり切ることが出来るのか。そして跡目を引き継いだ空魚の明日はどっちだ。
「意図があるに決まってるじゃん! 挑戦状だよこんなの! わざわざ私の前に出てきて挑発してさあ、姿も見せないで鳥子を攫おうとしたり……。もうほんと、ムカついてんのよ私は」
「私怨で喧嘩してんじゃん。大丈夫なのか」
「私怨だろうがなんだろうが、黙ってたら舐められて、もっとヤバいことになるタイプの喧嘩なんですよ。これ以上あの女にイニシアティブ握らせたくないんです。ぶっころですよ、ぶっころ!」
怒る私から、ドン引きした様子で小桜が身を引いた。
「お祓いじゃなかったの?」
「あっ……そうでした」
――――
「こうなったら選択肢は一つだ。閏間冴月を、殺すしかない。」
裏世界に取り込まれて怪異存在と化した閏間冴月。彼女をぶっころ、いや祓う、祓ってやる。そのために冴月と関わり合いの深い仲間を集めて葬送の儀式を執り行うことにした紙越空魚。いよいよ閏間冴月との直接対決へと物語はなだれ込んでゆく。
裏世界、あるいは〈ゾーン〉とも呼称される異世界。そこでは人知をこえる超常現象や危険な存在、そして「くねくね」「八尺様」「きさらぎ駅」など様々なネットロア怪異が跳梁している。日常の隙間を通り抜け、未知領域を探索する若い女性二人組〈ストーカー〉コンビの活躍をえがく連作シリーズ、その第7巻。文庫版(早川書房)出版は2021年12月です。
タイトルからも分かる通りストルガツキーの名作『路傍のピクニック』をベースに、ゲーム『S.T.A.L.K.E.R. Shadow of Chernobyl』の要素を取り込み、日常の隙間からふと異世界に入り込んで恐ろしい目にあうネット怪談の要素を加え、さらに主人公を若い女性二人組にすることでわくわくする感じと怖さを絶妙にミックスした好評シリーズ『裏世界ピクニック』。
もともとSFマガジンに連載されたコンタクトテーマSFだったのが、コミック化に伴って「異世界百合ホラー」と称され、やがて「百合ホラー」となり、「百合」となって、ついには故郷たるSFマガジンが「百合特集」を組むことになり、それがまた予約殺到で在庫全滅、発売前なのに版元が緊急重版に踏み切るという事態に陥り、さらにはTVアニメ化され、ジュニア版が出版され、あまりのことに調子に乗ったSFマガジンが再び百合特集を組んだら発売前にまたもや緊急重版。もうストルガツキーやタルコフスキーのことは誰も気にしない。
ファーストシーズンの4話は前述の通りSFマガジンに連載された後に文庫版第1巻としてまとめられましたが、セカンドシーズンは各話ごとに電子書籍として配信。ファイル5から8は文庫版第2巻、ファイル9から11は文庫版第3巻に収録されています。その後もファイル12から15を書き下ろしで収録した文庫版第4巻が2019年末に出版され、2020年末にも無事に第5巻が出版されました。年末には裏世界という新たな風物詩。そして2021年の春には初の長編である第6巻が出版され、では年末の新刊はどうなるのかと心配していたら、ちゃんと出ました。
[収録作品]
『ファイル21 怪異に関する中間発表』
『ファイル22 トイレット・ペーパームーン』
『ファイル23 月の葬送』
『ファイル21 怪異に関する中間発表』
――――
部屋の中、テーブルを挟んで、二人の人影が座っていた。
一人は私だった。一目でわかった──ドッペルゲンガーだ。これまで何度か目の前に現れた、陰気な顔の、私の似姿。
もう一人は、長い黒髪に眼鏡を掛けた、黒衣の女だった。
「閏間……冴月」
女の名前が口からこぼれ出た。
――――
空魚の前についに姿を現した閏間冴月。そのカリスマ性に圧倒された空魚は、彼女を抹殺することを決意する。これまで怪異の攻撃から身を守るので精一杯だった空魚が、ついに先制攻撃に転じる。あるいは「正式なお付き合いの前に、後くされのないよう、ちゃんと元カノを始末して」という話かも知れない。
『ファイル22 トイレット・ペーパームーン』
――――
「そんな約束、何になるっていうんですか。私が破ったら終わりですよね」
「うん……でもね、多分私たちみたいな人間は、口約束を大事にするしかないんだよ」
「なんでですか」
「私たちも、あんたも、社会とか法律とかの外に踏み出しちゃってるから。何かあったときに、社会の仕組みに助けてもらうことができない。となると、それぞれの間で交わした約束を大事にするしか、生きる方法がないんだよ」
――――
閏間冴月をぶっころ、いやちゃんと祓うために、冴月と縁の深い仲間を集める空魚。だが問題は、潤巳るな。最恐の力を持つ彼女を、どう説得するのか。空魚のボスとしての器が試される……。というか、話すだけで誰でも洗脳できる部下、ひとにらみで誰でも発狂させることができるボス、戦闘力ばりばりの用心棒、さらに資金力のある秘密組織がバックについて、という構図がうっすら見えてきてヤバい。
『ファイル23 月の葬送』
――――
るなも、小桜も、鳥子も、それぞれが閏間冴月に対して送る言葉を持っていた。同じ葬儀に参列している私が、何も言わないままでは終われないのだ。
それにしても、私がこんなことを言う羽目になるなんて……。
納得できるようなできないような複雑な気分で、私は口を開いて、閏間冴月に向かって言い放った。
「あなたがちょっかい掛けてた子たち、全員まとめて面倒見てあげる。──だからもう、二度とその顔見せないで」
――――
ついにやってきた閏間冴月との直接対決。空魚が用意した御祓いの儀式とは。そして彼女たちは閏間冴月との縁をすっぱり切ることが出来るのか。そして跡目を引き継いだ空魚の明日はどっちだ。
タグ:宮澤伊織
『機龍警察 白骨街道』(月村了衛) [読書(SF)]
――――
「けれど真っ当な国家が警察官にそんな命令を与えるなんて」
悲痛とも言える鈴石主任の抵抗は、新鮮な感慨とも言うべきものを夏川にもたらした。組織と科学の論理に忠実と見えた鈴石主任が、論理を超えてここまで沖津に抗おうとは。
三人の突入班員はやはり微動だにしない――が、一人ラードナー警部のみは、微かに視線を動かして鈴石主任を見たようだった。
しばし黙り込んだ沖津が、シガリロを指で弄びながらゆっくりと告げる。
「この国はね、もう真っ当な国ではないんだよ」
それまでと一変した、優しく、哀しい口調であった。
――――
単行本p.33
国家機密漏洩を企てた日本人がミャンマーで逮捕された。犯人引き渡しのために、官邸は特捜部の龍機兵搭乗員の三名を直々に指名してくる。ミャンマー奥地、悪名高い紛争地帯に、武器の携帯を一切禁じたまま派遣せよというのだ。罠だと分かっていながら、部下を死地に送りこむ他はない立場に追いやられる沖津部長。三人を謀殺し特捜部を解体しようとする〈敵〉の悪逆な策略。日緬両政府を敵に回した絶望的状況のなか、現地の三名と特捜部は反撃の手段を探すが……。軍事アクションとミステリ要素に重点を置いたシリーズ第六弾。単行本(早川書房)出版は2021年8月です。
凶悪化の一途をたどる機甲兵装(軍用パワードスーツ)犯罪に対抗するために特設された、刑事部・公安部などいずれの部局にも属さない、専従捜査員と突入要員を擁する警視庁特捜部SIPD(ポリス・ドラグーン)。通称「機龍警察」。龍機兵(ドラグーン)と呼ばれる三体の次世代機を駆使する特捜部は、元テロリストやプロの傭兵など警察組織と馴染まないメンバーをも積極的に雇用し、もはや軍事作戦と区別のなくなった凶悪犯罪やテロに立ち向かう。だがそれゆえに既存の警察組織とは極端に折り合いが悪く、むしろ目の敵とされていた。だが、特捜部にとって真の〈敵〉は、国家権力の中枢に潜んでいた……。
機甲兵装によるバトルシーンがいっさい出て来ないストイックな警察小説だった前作から、シリーズ第六作目となる本書は一変して派手な軍事アクション小説。民族浄化と人身売買とゲリラ戦が横行する無法地帯、悪名高いインパール作戦における撤退ルート、通称「白骨街道」と呼ばれる地獄にほど近い紛争地域です。密林、山岳地帯、断崖、沼地、様々な地形を背景に、どんどん激しさを増してゆく戦闘シーン。支援なし、補給なし、味方は数名の現地警察官のみ。敵は巨大犯罪組織から正規軍特殊部隊まで、奇襲攻撃から待ち伏せまで何でもありで抹殺にかかってくるのですから、さすがに作者は何か救済処置を用意してるんだろうな、などと考える間もなく、ロケット弾が着弾!
姿
「まったく、二十一世紀になってインパール作戦に従軍するハメになろうとはね」
ライザ
「たとえどこであろうと――日本であろうと、地獄であろうと――警察官として恥じるところのない行いを為せばいい」
ユーリ
「全員で力を合わせて生還する。権力者に対して俺達ができる復讐はそれしかない」
一方、局面の打開をはかるため必死の捜査に挑む特捜部。だがその先には想像を超える闇が広がっていた。押しつぶされそうになる白木理事官。そして今度こそ特捜部もお終いだと悟る宮近理事官……。
――――
もう後戻りはできない――(中略)
奇妙なことに、宮近は己の内側に湧き上がる熱い〈何か〉を意識し始めていた。
それが一般に義憤とか正義感とか呼ばれるものであるとは認めたくない。ただ警察官としての義務を強く感じていた。
――――
単行本p.298
潰される覚悟で国家権力の闇に立ち向かう覚悟を固める特捜部メンバー、そして数少ない協力者たち。彼らは現代のインパール作戦を阻止できるのか。そして死地をさまよう姿、ライザ、ユーリの三名の命運は。
というわけでマンネリ化しないシリーズ第六弾。あい変わらず機甲兵装のような架空設定と現実の国際情勢を巧みに混ぜてリアリティを確保してみせる手際が冴えています。連載中に起きたクーデターをストーリーに折り込んでみせたのには感心しました。おそらくシリーズ展開も後半に入っており、ラストに向けて盛り上がってゆきます。
「けれど真っ当な国家が警察官にそんな命令を与えるなんて」
悲痛とも言える鈴石主任の抵抗は、新鮮な感慨とも言うべきものを夏川にもたらした。組織と科学の論理に忠実と見えた鈴石主任が、論理を超えてここまで沖津に抗おうとは。
三人の突入班員はやはり微動だにしない――が、一人ラードナー警部のみは、微かに視線を動かして鈴石主任を見たようだった。
しばし黙り込んだ沖津が、シガリロを指で弄びながらゆっくりと告げる。
「この国はね、もう真っ当な国ではないんだよ」
それまでと一変した、優しく、哀しい口調であった。
――――
単行本p.33
国家機密漏洩を企てた日本人がミャンマーで逮捕された。犯人引き渡しのために、官邸は特捜部の龍機兵搭乗員の三名を直々に指名してくる。ミャンマー奥地、悪名高い紛争地帯に、武器の携帯を一切禁じたまま派遣せよというのだ。罠だと分かっていながら、部下を死地に送りこむ他はない立場に追いやられる沖津部長。三人を謀殺し特捜部を解体しようとする〈敵〉の悪逆な策略。日緬両政府を敵に回した絶望的状況のなか、現地の三名と特捜部は反撃の手段を探すが……。軍事アクションとミステリ要素に重点を置いたシリーズ第六弾。単行本(早川書房)出版は2021年8月です。
凶悪化の一途をたどる機甲兵装(軍用パワードスーツ)犯罪に対抗するために特設された、刑事部・公安部などいずれの部局にも属さない、専従捜査員と突入要員を擁する警視庁特捜部SIPD(ポリス・ドラグーン)。通称「機龍警察」。龍機兵(ドラグーン)と呼ばれる三体の次世代機を駆使する特捜部は、元テロリストやプロの傭兵など警察組織と馴染まないメンバーをも積極的に雇用し、もはや軍事作戦と区別のなくなった凶悪犯罪やテロに立ち向かう。だがそれゆえに既存の警察組織とは極端に折り合いが悪く、むしろ目の敵とされていた。だが、特捜部にとって真の〈敵〉は、国家権力の中枢に潜んでいた……。
機甲兵装によるバトルシーンがいっさい出て来ないストイックな警察小説だった前作から、シリーズ第六作目となる本書は一変して派手な軍事アクション小説。民族浄化と人身売買とゲリラ戦が横行する無法地帯、悪名高いインパール作戦における撤退ルート、通称「白骨街道」と呼ばれる地獄にほど近い紛争地域です。密林、山岳地帯、断崖、沼地、様々な地形を背景に、どんどん激しさを増してゆく戦闘シーン。支援なし、補給なし、味方は数名の現地警察官のみ。敵は巨大犯罪組織から正規軍特殊部隊まで、奇襲攻撃から待ち伏せまで何でもありで抹殺にかかってくるのですから、さすがに作者は何か救済処置を用意してるんだろうな、などと考える間もなく、ロケット弾が着弾!
姿
「まったく、二十一世紀になってインパール作戦に従軍するハメになろうとはね」
ライザ
「たとえどこであろうと――日本であろうと、地獄であろうと――警察官として恥じるところのない行いを為せばいい」
ユーリ
「全員で力を合わせて生還する。権力者に対して俺達ができる復讐はそれしかない」
一方、局面の打開をはかるため必死の捜査に挑む特捜部。だがその先には想像を超える闇が広がっていた。押しつぶされそうになる白木理事官。そして今度こそ特捜部もお終いだと悟る宮近理事官……。
――――
もう後戻りはできない――(中略)
奇妙なことに、宮近は己の内側に湧き上がる熱い〈何か〉を意識し始めていた。
それが一般に義憤とか正義感とか呼ばれるものであるとは認めたくない。ただ警察官としての義務を強く感じていた。
――――
単行本p.298
潰される覚悟で国家権力の闇に立ち向かう覚悟を固める特捜部メンバー、そして数少ない協力者たち。彼らは現代のインパール作戦を阻止できるのか。そして死地をさまよう姿、ライザ、ユーリの三名の命運は。
というわけでマンネリ化しないシリーズ第六弾。あい変わらず機甲兵装のような架空設定と現実の国際情勢を巧みに混ぜてリアリティを確保してみせる手際が冴えています。連載中に起きたクーデターをストーリーに折り込んでみせたのには感心しました。おそらくシリーズ展開も後半に入っており、ラストに向けて盛り上がってゆきます。
タグ:月村了衛