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『さくら さくらん』(高橋順子) [読書(小説・詩)]

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神社の池の鯉に餌をやりに行くのが日課になった
麸をちぎって放ると
意外に大きな口をあける
まるい くらい生のかたちだ
いきおいあまって 鯉と鯉同士
せっぷんしてしまうこともある
「あら ちがった」とばかり ぱっと離れる
水にゆらり緋色を流して
――――
「ゆらり鯉」より全文引用


 亡き夫をしのぶ連作を中心とした最新詩集。単行本(デコ)出版は2019年11月です。

 前半は短編小説のようにあざやかなストーリー性を感じさせる作品が並びます。


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おじいさんは話といえば水戸黄門しか知らなかった
或る日 高齢者デイケアサービスセンターで
ピーターパンを読んでもらった
永久に大人にならない少年が海賊をやっつける話である
おじいさんは海岸通りを歩きながら
水平線が寄ってくるような気がした
帰ってからおばあさんに
「ピーターパンて知ってるか」とたずねた
――――
「或る日のおじいさん」より全文引用


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大名時計博物館は東京谷中の坂の上にあって
七月一日から九月三十日まで休館である
時計だってお休みしなければ
とくに大名時計はお年だから
暑いときにはひるねする必要がある
門前のススキの穂がゆれるころ
目覚めた大名時計は居ずまいを正し
私心がなかったかどうか
しばし考えをめぐらす
――――
「大名時計」より全文引用


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アパートの二階の窓にパソコンとカメラを据えつけて
鳥を見ている人に わたしは下から声をかける
「あれセキレイですか」
「いえ ジュウシマツです」
ルリオナガもモモイロインコも教えてくれた

このごろ窓は閉められたまま
秋も深まってきた
彼は鳥のことを教えてくれたのに
彼のことを教えてくれる鳥はいない
――――
「鳥の名前」より全文引用


 後半には亡き夫をしのぶ作品が並びます。


――――
くうちゃん
やっと急がなくてよくなったね
指定券をとっているのに わたしをせかせて
一時間も前に駅に着いていたね
一時間分とられてしまったとわたしは嘆いていたが
何もしないで二人でいる時間が与えられていたのだね
あの一時間はわたしには片づけ物に当てるべき時間だったから
またいつか割りふればいい時間だった 割りふらなくてもいい時間だった
一時間前に着いて 電車の到着を待っていた あなた
そんなふうに来るべきものを待っていた あなた
――――
「愚かなうた」より


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障子を張り替えたら
まっさらな空間になった
くうちゃんの煙草の煤に染まった温かさがなくなった
わたしだけが残って

ひびが入った窓ガラスも替えた
ひびが入ったまま もちこたえていたガラスだった
わたしたちだった
ひびのところに緑色のテープが張られていた
それを硝子屋が運びだした
くうちゃんは緑色が好きだった
――――
「愚かなうた」より


――――
亡くなった夫が恋しいというような詩は
書くまいと思っていた
と書くと 不機嫌な唸り声が聞こえる
「恋しい 恋しい」
なんてわたしには書けないよ 恥ずかしいよ
そう言うと さあっと身の周りが涼しくなる
そのへんに もやっていた
くうちゃんが離れるからだ 離れていく先は
わたしの東北の女友達のところみたい
「あら、車谷さん」
と言ってほしいのだ
先日も時ならぬときに鐘が鳴ったそうだ
くうちゃん
詩が終わらないよ
――――
「愚かなうた」より





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『トリスタンとイゾルデ』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

 2020年3月27日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんの公演を鑑賞しました。上演時間60分の『トリスタンとイゾルデ』。KARAS APPARATUSをはじめとしてシアターχや海外でも何度も公演されている人気作品です。

 暗がりのなか、ワーグナーの劇的な音楽にのせて、黒い外套と黒いドレスを着た二人が踊ります。暗闇が支配する舞台、照明によって幻影のように浮かび上がっては消える儚い空間、そこで深い感情が表現されてゆきます。手の動きだけで激しい憧れや切望を見せる様には思わず身震いが出るほど。恐ろしく芯の強いダンスです。

 佐東利穂子さんによる最後のソロはとりわけ強烈で、それまで抑え気味だった感情表現が爆発するようにほとばしるダンスは圧巻でした。





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『月はすごい 資源・開発・移住』(佐伯和人) [読書(サイエンス)]

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 ここ数年で世界の状況は一変した。近年の月探査による新しい資源の発見、国際宇宙ステーション終了予定による新しい国際秩序の安全保障装置の必要性、中国の急速な宇宙開発への対応など、各方面のさまざまな思惑から月開発を推す風が次々と吹き始め、もう誰にも止められない強風となっている。今まさに人類は歴史のターニングポイントを迎えているのである。
 このターニングポイントは、冒頭でも述べたように、大航海時代と産業革命が一緒に来るようなものである。(中略)
 私が日本の月探査計画に関わるようになって24年になるが、2017年末ころからの月探査への追い風は、それまでとは全く別次元の強さを持っている。本書を読み終わるころには、その理由も含めて読者の方々にも実感していただけるだろう。
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 月探査から月開発、そして月を足掛かりとした宇宙進出を目指して。資源の発見、技術の進歩、国際情勢の変化、さまざまな要因により、かつての宇宙開発の夢が今、実現に向けて大きく動いている。水の採掘、鉱物資源、エネルギー確保、食料生産、各国の計画状況まで、月開発の最新情報を紹介してくれる一冊。新書版(中央公論新社)出版は2019年9月、Kindle版配信は2020年1月です。


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 これから数十年のうちに人類が月で行うさまざまな活動は、今後、数百年の人類の生活や世界のありかたに大きな影響を与えることになる。つまり、我々の世代は、将来の人類に絶大な影響を与えるさまざまな選択をするということだ。
 本書を読み終わった時、宇宙開発に関する数多くのニュースが月へのフロンティア拡大とどのように関係しているのかが推測できるようになる。そうなれば、今のこの時代を、特別な時代として、さらに楽しむことができるはずだ。そして、ぜひ人類の選択にさまざまな形で参加してもらいたい。
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[目次]

序章 知識の再確認
第1章 月の科学
第2章 月面の環境
第3章 砂漠のオアシスを探せ
第4章 鉱山から採掘せよ
第5章 月の一等地、土地資源を開発せよ
第6章 月と太陽のエネルギーを活用せよ
第7章 食料を生産せよ
第8章 月から太陽系へ船出せよ
終章 月に住み宇宙を冒険する未来にどう生きるか




序章 知識の再確認
第1章 月の科学
第2章 月面の環境
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 最近、大学を中退して宇宙ベンチャー的な活動に身を投じる学生が増えている。その行動力はすばらしいし、そういう風潮は歓迎するが、理系の大学生の場合は、大学という組織の利用価値を知った上で行動して欲しいと思う。組織を飛び出すなら、組織に背を向けるのではなく、「大学や会社を積極的に利用してやるぞ」という心意気で飛び出して欲しいということだ。
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新書版p.67


 天体としての月、組成、起源、月面環境(重力、温度、隕石、放射線など)。月開発を考える際に必要となる基礎知識をおさらいします。


第3章 砂漠のオアシスを探せ
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 今のところ、極域に水らしく見えているものは水なのか、太陽風由来の水素なのか、利用可能なほどの量があるのかどうかは、行ってみないとわからないという状況である。ある意味で、これほど着陸探査の目的として最適なテーマはない。なにしろ1990年代から月周回衛星によるさまざまな観測が行われていて、科学者の中でも、利用可能なほどの水があると思う者と、そんなにあるわけはないと思う者とがどちらも相当数いるという未解決の大問題であるにもかかわらず、着陸して直接探査をすれば白黒はっきりするのだ。そんな成果がわかりやすい探査テーマはそうそうあるものではない。
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新書版p.84


 長期滞在のためにも、またロケット燃料の元としても、極めて重要な水の存在。はたして月面には利用可能な量の水が存在するのだろうか。月面の水資源に関する最新の調査結果を解説します。


第4章 鉱山から採掘せよ
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 月環境に適した製鉄方法や合金配合を考える月専門の金属工学が今後必要となってくるだろう。(中略)月のためのプロセスを研究している人はまだほとんどいないので、これから発展が期待される。まずは、いかに月で手に入るものだけで製錬できるようにするかがポイントになる。次には、製錬工程の温度をあまり高くしなくてもいいような触媒や添加物を考えることも重要となるだろう。触媒や添加物は必ずしも月で調達する必要はないが、月にない場合は、完全にリサイクル可能なものでなくてはならない。これから多くの研究者が月環境のための金属工学、火星環境のために金属工学を開拓していくことになるだろう。
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新書版p.95


 建築素材としてのレゴリス焼結ブロック、水素や酸素、鉄をはじめとする様々な金属、そして地球上とは異なる環境における金属工学の必要性など、月で鉱物資源を手に入れるプロセスについて解説します。


第5章 月の一等地、土地資源を開発せよ
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 まず、あきらかに取り合いになるのは、繰り返し述べた高日照率地域である。北極もしくは南極地域の小高い丘のような地形で、数百メートル四方といったわずかにまとまった区画が全月面で五ヶ所ほどしかない。一度探査機が降りてしまうと、別の探査機が近くに着陸することは困難なので、最初の探査機を降ろした国や企業が事実上その地域を独占することになる。
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新書版p.115


 効率よく太陽電池が使える高日照地域、低温超伝導に利用できる永久影、下に空洞が広がっており建築物の設置が容易な縦穴、核燃料鉱床など、独占すれば大きな利益が得られる月開発レースのターゲットポイント「月の一等地」について解説します。


第6章 月と太陽のエネルギーを活用せよ
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 水素の良いところは、石油のように採掘したら枯渇する資源ではなく、後から後から太陽から新たに供給される持続可能なエネルギー源であるところである。将来は何平方キロメートルもあるような区画から水素を取り尽くしたら、別の所に移動してまた採掘するという、遊牧のような運用をすることになるだろう。
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新書版p.129


 電力のもとになる太陽エネルギー、ロケット燃料となる水素、そして核融合燃料として使われるヘリウム3。月でエネルギーを得るための方法について解説します。


第7章 食料を生産せよ
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 中国は月開発を本気で、そして、まじめにコツコツと進めている。この嫦娥4号には面白い実験装置が積み込まれている。生物科学普及試験ペイロードボックスと呼ばれている生物実験装置である。(中略)実験は100日続く予定だったそうだが、残念ながら初期の
段階で終わってしまった。しかし、搭載された生物群を見ると、中国が月で農業をしようと考えていることがわかる。
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新書版p.136、138


 月基地への長期滞在、さらには永住のために欠かせない食料生産。月で農業を行うにはどのような技術が必要になるかを解説します。


第8章 月から太陽系へ船出せよ
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 ここで、今の月探査のトレンドをまとめておきたい。近い将来の主な月探査は、水氷探査、火山地域探査、南極エイトケン盆地探査、に大別される。どれもアポロ計画未踏の地質地域である。
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新書版p.155


 各国の宇宙開発計画では、水氷探査、火山地域探査、南極エイトケン盆地探査などが近い将来における主な月探査ターゲットとされている。その理由は? 月探査からさらに将来の火星探査に向かうマイルストーンを解説します。


終章 月に住み宇宙を冒険する未来にどう生きるか
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 国家主導のプロジェクトは多くの関係者の総意をまとめあげるプロセスで、膨大な労力と時間を必要とする。(中略)一方、経営者の意思によって推進される宇宙計画は、決断が早い。IT企業のリーダーが、「火星に行きたいから行く」と、計画を進めるさまは、清々しい。実際のところは株主の意向を気にするなど、知られざる苦労があるのかもしれないが、宇宙への強力なビジョンを示すのは、これからはNASAのような組織や国家ではなく、ビジネスで財をなした企業のリーダーの役割なのかもしれない。
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新書版p.197、198


 国家から民間の手にゆだねられるようになり、すさまじいスピード感をもって推進されるようになった宇宙開発。新しい宇宙開発のトレンドと将来展望をまとめます。





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『今日は誰にも愛されたかった』(谷川俊太郎、岡野大嗣、木下龍也) [読書(小説・詩)]

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ウィキペディアの改竄をしてその足で期日前投票へ 白票
(岡野大嗣)
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アンダーはやっぱり白がいいなと言ったら苦笑いされた
雲一つない青空を英語ではブランクスカイと言うそうだ
なんか連想が増殖しそうで白はちょっと恐い
(谷川俊太郎)
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海の奥からだれひとり戻らない 絶やそうか絶やそうよ、かがり火
(木下龍也)
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火で終わるのも水でおわるのも災害の一語ではくくれない
戻らない人々を祝福するために俗に背いて詩骨をしなやかに保つ
(谷川俊太郎)
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 詩人と歌人による「連詩」および参加者による「感想戦」を収録した一冊。単行本(ナナロク社)出版は2019年12月です。

 詩人と歌人が交互に作品を連ねてゆく。詩と短歌をつなげる連詩、という試みから生まれた作品です。


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四季が死期にきこえて音が昔にみえて今日は誰にも愛されたかった
(岡野大嗣)
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どこからか分厚い猫の写真集が宅配で届いた
猫は飼っていなかったが隣家に犬がいて
垣根越しに仲良くなったが夭折した
名をネロといった
もう昔話だ
(谷川俊太郎)
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感情の乗りものだった犬の名にいまはかなしみさえも乗らない
(木下龍也)
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あれはUFOを見た晩だったと
当たり前のように大声で喋ってる老人
都電の走行音はこの頃うるさくなくなっている
(谷川俊太郎)
――――


 まず岡野大嗣さんの短歌、続いて谷川俊太郎さんの詩、そして木下龍也さんの短歌、また谷川俊太郎さんの詩。以上のセットを九回繰り返して、全部で三十六の作品から構成される連詩が完成したわけです。さらに完成後に、それぞれどういう考えで作品を作ったのか、また他者の作品を読んでどう思ったのかを語り合う感想戦(座談会)も収録されています。

 散文もいくつか収録されています。谷川俊太郎さんによる「詩」の解説、木下龍也さんによるエッセイなど。


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ぼくは言葉になった詩(ポエム)と、言葉にならない詩(ポエジー)を、混同して考えないように注意している。ポエムの元のポエジーは生きものの体内に存在していて、人間だけがそれを言葉にするが、ポエジーがポエムを生むこともあるし、ポエムがポエジーを生むこともある。ポエムは言語の一形式だから客観が可能だが、ポエジーは形がないから個人の主観に拠るしかない。いずれにしろ詩は散文と違って明示性(denotation)のみを目指さない。むしろ含意(connotation)を主要な武器とする。詩のそういう性質から言って、詩を語る上で言語の多様性を避けるわけにはいかないから、必然的に文は曖昧にならざるを得ない。
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「詩について」(谷川俊太郎)


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十九歳の谷川俊太郎が三好達治に認められて世に出たように、僕も谷川俊太郎に認めてもらいたい。まだ何も書いていないけれど、これからあなたのように素晴らしい文字列を生み出す。だから先に認めてほしい。その一心で、謎の自信に満ち溢れた恐ろしい馬鹿は、最後列の椅子から観客の頭と頭の間にちらほら見える谷川さんを見つめ「谷川さん、先に認めてください!先に!」とテレパシーを送り続けた。何も書かずにくすぶっている自分を巨大な存在に救ってほしかったのだ。唯一褒められるのは作文で、小さい頃から物書きになろうと思っていた僕が宿題以外で何も書いたことがなかったのは、最初の一行で自分の才能のなさに気付くのが怖かったからだろう。テレパシーなど伝わるはずもなく、本にサインをしてもらい、うつむいて「ありがとうございます」を絞り出すのが精一杯だった。短歌をつくりはじめるのはそれから一年後のことだ。
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「ひとりだと選んでしまう暗い道」(木下龍也)


 ちなみに木下龍也さんの作品紹介はこちら。


2018年04月24日の日記
『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(木下龍也、岡野大嗣)
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-04-24

2016年06月29日の日記
『きみを嫌いな奴はクズだよ』(木下龍也)
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2016-06-29

2013年06月06日の日記
『つむじ風、ここにあります』(木下龍也)
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2013-06-06





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『ユニバース2.0 実験室で宇宙を創造する』(ジーヤ・メラリ、青木薫:翻訳) [読書(サイエンス)]

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 これまで本書では、実験室で新しい宇宙を作ることは可能なのかどうかを調べてきた。それによると、標準理論の枠には収まらないとはいえ、まずまず妥当な拡張をすれば、宇宙を作ることが現実的に視野に入っているという理解に到達しているように見える。LHCの空洞内や、さらに強力な次世代加速器内で生じたミニブラックホールの内部に、ベビーユニバースが潜んでいるかどうかもわかるかもしれない。
 そうなるといよいよ、このテーマの底流にある倫理的な問題にきちんと向き合うべきときだ。ベビーユニバースの内部に、そうとは知らずに新しい生命を創造してしまうかもしれないとしたら、それでもわたしたちはベビーユニバースを作るべきなのだろうか? そうして作った子ども宇宙の神々として、被創造物に対し、わたしたちはどんな責任を負うべきなのだろうか?
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単行本p.345


 実験室で宇宙を創り出すことは可能なのか。可能だとして実施すべきなのか。「フェッセンデンの宇宙」の中で発生した生命に対して、私たちはどのような責任を持つことになるのだろう。そして、私たちの宇宙もまた意図的に創造されたものだとしたら、それを検証する方法はあるのだろうか。ベビーユニバース創造の可能性と倫理、そして科学と宗教の相互作用について探求した一冊。単行本(文藝春秋)出版は2019年7月、Kindle版配信は2019年7月です。


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 本書を他に類のない独特のものにしている重要な要素は、メラリが信仰を持っていることだと思う。本書の中で明らかにしているように、彼女は「人格神」を信じているのである。本書をこの「訳者あとがき」から読み始めてその事実を知り、「そんなやつが書いたポピュラーサイエンスの本なんて、読むに値しないね」と放り出しそうになった人がいたとしたら、ちょっと待ってほしい。本書の科学的な内容がまっとうで重要なものであることは請合おう(わたしが請合うことにどれほどの意味があるかはともかく)。それだけでなく本書は、科学とはどんな営みで、科学者とは何をする人たちなのかという、科学の根本にかかわる深い問題を提起していると思うのだ。
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単行本p.383


[目次]

第一章 ビッグバンの残像という手がかり
第二章 空間と時間を取り去っても、そこには量子が残る
第三章 何が宇宙を膨張させたのか?
第四章 新インフレーション理論の幕開け
第五章 宇宙のはじまりは「無」だったのか?
第六章 粒子加速器で生まれ、ワームホールでつながる
第七章 ひも理論が導く無数の平行宇宙
第八章 宇宙の種「磁気単極子」を捕まえる
第九章 ベビーユニバースに手紙を送る方法
第十章 わたしたちは宇宙を創造するべきなのか?




第一章 ビッグバンの残像という手がかり
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 スーと話すことで、わたしはふたたびエネルギーをもらった気がした。彼は宇宙建造プロジェクトをまじめに受け止め、そこから倫理的な問題が生じることに気づいている。そして、もしもわたしたちを作った存在からの隠されたメッセージが空にあるなら、宇宙マイクロ波背景放射を測定すればそれが見つかる可能性があると言って、わたしを正真正銘わくわくさせてくれた。
――――
単行本p.54


 実験室で宇宙を創造する。それが可能なら、私たちの宇宙もまた人為的に創られた可能性を考慮しなければならない。どうすればそれを検証できるだろうか。宇宙マイクロ波背景放射のパターンに「先輩」からのメッセージが隠されている可能性を検討する。


第二章 空間と時間を取り去っても、そこには量子が残る
――――
 アシュテカーからは、量子的な場についての初歩的な考え方や、一見すると何もなさそうなところから粒子を取り出す方法を教えてもらった。量子的な場は、わたしたちの宇宙が誕生したのち――ビッグバンで誕生したにせよ、エキゾチックなビッグバウンス〔大きな反跳〕で誕生したにせよ――なぜ激烈な膨張を始めることになったのかを説明するうえで、決定的な役割を演じることになるだろう。
――――
単行本p.100


 ループ量子重力理論研究者へのインタビューを通して、宇宙の起源を解明するために必要となる「量子的な場」の基礎を学ぶ。


第三章 何が宇宙を膨張させたのか?
――――
 グースが概略を示したインフレーション理論は、宇宙に関するビッグバン理論の問題をいくつも解決してくれたが、それには代償があったのだ。インフレーションはビッグバン直後に一瞬だけ起こり、その後、激烈な膨張を起こす偽の真空は、今日の宇宙が占めている安定した真の真空に転じるはずだった。ところが、なぜそうなるのかを確かめようと自分のモデルを調べてみたグースは、そのモデルによれば、インフレーションはいつまでも止まらないことに気づいたのだ。
――――
単行本p.142


 ビッグバンよりも前に空間そのものが激烈な膨張を起こし、光速をはるかに越える速度で広がった。ビッグバン理論に残されていた難問をいくつも解決したインフレーション理論。それは大成功を納めたが、しかし問題は残されていた。


第四章 新インフレーション理論の幕開け
――――
 インフレーションを再度修正しようというリンデの試みは、これもまたソビエト出身の、わたしたちの宇宙を何もないところから生じさせる、いわゆる「無からの創造」を可能にする方法を考えたアレックス・ビレンキンの研究と絡み合っていく。ビレンキンはまた、わたしたちの宇宙は無限の広がりを持つマルチバースに無数に存在するパラレル宇宙のひとつだという可能性に気づくことにもなるだろう。「無からの創造」とマルチバースはともに、実験室で宇宙を作るための青写真につながっていく。
――――
単行本p.172


 インフレーション理論が抱えている問題を解決するために行われた様々な試みからは、「無からの創造」や「マルチバース」など様々な結論が生み出されて行く。そしてそれらは、実験室における宇宙創造というアイデアに理論的な基盤を与えることになるのだ。


第五章 宇宙のはじまりは「無」だったのか?
――――
 リンデとビレンキンは、宇宙の誕生はもはや唯一無二の始まりではなく、ひとつの始まりにすぎないことを見出した。このバージョンのインフレーション理論では、わたしたちの宇宙はただひとつの存在ではなく、フツフツと湧きあがり、それぞれが誕生、膨張、そしてもしかすると収縮を経験する、無数の泡のひとつにすぎない。
――――
単行本p.199


 インフレーション理論の展開から得られたのは、インフレーションからは沸き立つ泡のように無数の宇宙が次々と生まれるという結論だった。現代宇宙論がたどり着いた驚くべきビジョンを解説する。


第六章 粒子加速器で生まれ、ワームホールでつながる
――――
 グエンデルマンが、その発見の意味に気づいたのはそのときだ。宇宙を作ることに関する問いが、抽象的で理論的な思索から、現実の実験室で遂行できることに変化したのだ。もしも重さにしてわずか25グラムばかりの偽の真空の泡が手に入れば(どこでそれを見つけるのかという問題はひとまず棚上げして)、その泡は、あなたの目の前でインフレーションを起こし、まったく新しい一人前の宇宙に成長するだろう。
――――
単行本p.228


 偽の真空がインフレーションを起こすための臨界質量の発見。それは、有限なエネルギーから無限大の宇宙を発生させることが可能だということを意味していた。いまや実験室における宇宙創造は、抽象的なたとえ話ではなく、実現可能な目標となったのだ。


第七章 ひも理論が導く無数の平行宇宙
――――
 ひも理論からもたらされた一連の論拠は、ポルチンスキーにベビーユニバースの研究プロジェクトを中止させ、微調整問題への解決策として、ストリング・ランドスケープに全力で取り組ませるほど説得力があった。しかしこれから見ていくように、もしもひも理論が正しければ、実験室でベビーユニバースを作るのは当初の予想よりもはるかに簡単になり、宇宙創造という行為に人間の手が届くようになるかもしれないという、いささか皮肉な事実が明らかになるのである。
――――
単行本p.240


 超ひも理論から得られる「ストリング・ランドスケープ」。それが示しているのは、物理法則や物理定数などが異なる無数の宇宙の存在だった。ストリング・ランドスケープと人間原理の組み合わせによる微調整問題(なぜ物理定数などの値は人間の存在にとってここまで都合がよいように「微調整」されているように見えるのか)の解決、そして隠された次元の存在。超ひも理論の発展から得られた新しいマルチバース像を解説する。


第八章 宇宙の種「磁気単極子」を捕まえる
――――
 2006年、坂井と共同研究者たちはついに、これまで本書の各章で述べてきたアイディアのジグソーパズルに最後のピースをはめ込み、実験室で宇宙を作るというプロジェクトを、実現に向けて新たなレベルに押し上げる論文を発表した――そしてその論文は、宇宙を作ることに伴う心配のレベルも押し上げた。彼らの計算によれば、もしも粒子加速器の中で、粒子が十分に大きなエネルギーで磁気単極子に衝突すれば、磁気単極子はインフレーションを起こし、新たな宇宙を作り出すはずだった。
――――
単行本p.281


 最後のピース、それは初期宇宙で大量に作られたと考えられている磁気単極子だった。十分に大きなエネルギーを持った粒子を磁気単極子にぶつければ、インフレーションが生じて、新たな宇宙が誕生する。ついに「宇宙創造のレシピ」が具体化したのだ。


第九章 ベビーユニバースに手紙を送る方法
――――
 創造の神々とは言っても、所詮はこんなものだ。自分たちの目的のために利用したりコントロールしたりする力もなければ、その世界の住人が助けを必要としていても、救いの手を差し伸べることもできない。しかしリンデはもうひとつの可能性を考えていた。わたしたちが創造した世界とコミュニケーションを取る方法ならあるかもしれない、と。
 成功しそうなアイディアはただひとつ。未来の住人たちがいつの日か見出してくれそうなメッセージを、宇宙そのものに書きつける方法を見つければいい。
――――
単行本p.340


 人為的に発生させたベビーユニバースは、外部からはミニブラックホールにしか見えない。通常のブラックホールと、ベビーユニバース(との接続点)であるブラックホールを見分ける方法はあるのだろうか。また、ベビーユニバースにメッセージを送ることは可能だろうか。実験室における宇宙創造のその後始末についての考察。


第十章 わたしたちは宇宙を創造するべきなのか?
――――
 もしも、より多くの(そしてより良い状態の)生命を未来に伝えることが良いことなら、そして行動を起こさずに生命の出現を妨げるのが悪いことなら、道徳的観点からなすべき良い行いはベビーユニバースを作ることだと論じることもできるだろう――そしてベビーユニバース作りを自粛するのは間違っているということになるだろう。(中略)わたしはどこかホッとしながら、サンドバーグに感謝の言葉を述べ、別れを告げた。彼が正しいことを期待したい。なぜなら、そこには文字通りの意味において、天文学的に大きなものがかかっているのだから。
――――
単行本p.366、267


 私たちが勝手に作った宇宙に、生命、さらには意識が生じたら、私たちは倫理的な責任を負うことになる。もしそうなら、宇宙創造には、それが可能だとしても、手を出さないほうが正しいことなのだろうか。それとも生命や意識(魂)の創造は望ましい、正しい行いなのだろうか。実験室における宇宙創造というアイデアがはらむ倫理的側面についての考察。科学と宗教が交差する地点に立って、私たちの存在とその意味を考える。





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