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『思考実験 科学が生まれるとき』(榛葉豊) [読書(サイエンス)]

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 しかし、自然な状態での実験、いわば「尋問による供述」ではなく、加速器実験や超高磁場での実験などのような、ベーコン流にいうなら「拷問による自白」の信憑性をどうとらえるべきなのでしょうか。人間の犯罪であったら、刑事訴訟法により証拠として採用されないでしょう。
 ある法則が妥当かどうかを拷問で問い詰めると、ほかの法則に影響して変わってしまうこともありそうです。つまり、法則を別々のものとして、一方を固定して考えてはいけない場合もあるということです。
 しかし、それでもこの方法で真理に近づくことができる、と考えるのが近代科学の心性なのです。いやむしろ、この方法によってこそ真理に肉迫できる、都合がよい理想化された状況をつくりだして拷問にかけなければ、自然は白状しない、と考えるのです。異常な状態でのふるまいにこそ自然の本性が現れるのだという感覚です。そして、さまざまなパラメーターを自在に変化させ、極限状況をつくりだすというやり方は、思考実験ならではのものです。
 思考実験でこそ、手を替え品を替え、現実にはありえないような状況も制約なしにつくりだして、容疑者を傷つけることなしに拷問にかけることができるのです。
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単行本p.43


 マクスウェルの悪魔、テセウスの船、故障した物質転送機、マッハのバケツ、ボーアの光子箱、シュレーディンガーの猫、終末論法、ニューカム問題。実際に試すのではなく、極限的に理想化された状況を想定して頭の中で実験してみる。それにより既存理論に対する批判や検証、問題提起、判断、解釈、そして教育を可能にする思考実験。これまでに試みられてきた有名な思考実験を取り上げ、その意義とその後の展開を示す本。単行本(講談社)出版は2022年2月です。




目次
第1章 思考実験を始める前に
第2章 実験とはなんだろうか
第3章 思考実験の進め方
第4章 思考実験の分類
第5章 批判と弁護のための思考実験
第6章 問題提起のための思考実験
第7章 判断や解釈のための思考実験
第8章 教育的な思考実験
第9章 意思決定と思考実験 




第1章 思考実験を始める前に
第2章 実験とはなんだろうか
第3章 思考実験の進め方
第4章 思考実験の分類
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 2010年には、日本の鳥谷部祥一・沙川貴大・上田正仁らによって、マクスウェルの悪魔の設定を実現するという注目すべき実験が行われました。(中略)「悪魔復活」というとセンセーショナルですが、この実験は、ベネットの主張が万全ではない、すなわち「情報消去」の際の熱現象は必ずしも不可逆ではないことを示して、ある意味で悪魔と熱力学第2法則の共存が可能であることを指摘したものです。沙川らは、情報熱力学と呼ばれる最新の研究の成果を採り入れて、熱力学第2法則に情報量を含めた形の不等式を導いています。マクスウェルが望んだのはまさに、このような議論が生まれてくることだったのではないでしょうか。
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単行本p.77、78

 テセウスの船、物質転送機問題。2の平方根が無理数であることを示したピタゴラス、質量と落下速度の関係を洞察したガリレオ、加速度と重力の関係を見いだしたアインシュタイン、そして熱力学第2法則を検証するために考案されたマクスウェルの悪魔。名高い思考実験を例として取り上げながら、思考実験に関する基礎知識を確認し、その分類を示します。



第5章 批判と弁護のための思考実験
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 簡単にいえば、西欧近代科学の世界観は、物事を線形的に、時間の流れに沿って順次あらわれる因果の連鎖としてとらえる「ロゴス」の感性で成り立っています。頭の中で言葉によって行われる思考も、そうなっています。ところが量子力学の論理は、なにかネットワーク的で、部分に全体が含まれているような、時間順序によらない同時的な世界観でできているのです。ブール論理に慣れた人間からするとまったく違う次元の世界であり、理解に困難を感じて当然です。(中略)
 21世紀直前まで生きたポパーは、量子力学に関する思考実験は弁護的用法が多いといい、しかもそれらのほとんどに疵があると指摘したわけですが、しかし、このように量子力学が成立した20世紀初頭に物理学者たちが直面した状況を考えてみると、その思考実験をどのような文脈で見るべきか、提出者はどのような目的だったのか、それをどのような立場の誰が見たのかは、本当にさまざまなことが考えられるように思うのです。
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単行本p.127

 ニュートンとマッハのバケツ、ハイゼンベルクのガンマ線顕微鏡、アインシュタインとボーアの光子箱。既存理論に対してその難点を指摘しようとした思考実験を取り上げて紹介します。




第6章 問題提起のための思考実験
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 ウィグナーにとっては、友人も含めた部屋全体が観測対象であり、ドアを開けるまでは、部屋の中は重ね合わせの状態です。つまり、友人も二つの状態の重ね合わせになっていて、ウィグナーが部屋を開けて友人の報告を聞いたときに初めて、どちらかに収縮するのです。(中略)フォン・ノイマンとウィグナーは、意識が波束を収縮させると考えました。すると、この思考実験ではウィグナーの友人は、観測はしていても波束を収縮できないので、意識がないということになります。友人はいつのまにか、ゾンビのようになってしまったということです。この考え方を敷衍していくと、世界には自分しか意識をもつ存在はいないという唯我論につながります。
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単行本p.159

 量子力学における状態の重ね合わせをそのままマクロな物体に適用してみる「シュレーディンガーの猫」。その猫を友人に置き換えて箱の中で「観測」をさせる「ウィグナーの友人」。そして局所実在論の立場から量子力学の矛盾を指摘しようとした「EPRパラドックス」。量子力学の解釈をめぐる問題を提起した思考実験を紹介します。




第7章 判断や解釈のための思考実験
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 その状況で考えられるさまざまな行動原理のうちから選択を迫り、選択された原理は何か、それを選択したあなたの原理は何かを問うのが、判断や解釈のための思考実験です。どの原理が正しいということはなく、立場や嗜好、倫理観などによって答えはさまざまなはずです。変化法で細かな設定や、状況そのものを変えてみたりして、あなたがその原理を選んだ理由を探るのです。もちろん、あなたではなくほかの誰かが選んだ別の原理について考察を加えることもあります。そうして、複数の原理それぞれの本質をあぶり出し、比較検討するのです。
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単行本p.174

 トロッコ問題、チューリング・テスト、中国語の部屋、量子自殺、終末論法、眠り姫問題、射撃室のパラドックス、ニューカム問題。人間の判断基準や倫理観の本質を探ろうとする思考実験を紹介します。




第8章 教育的な思考実験
第9章 意思決定と思考実験 
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 ジョン・スチュアート・ベルは、1964年に、局所実在論の要請を満たすものであれば、どんな理論でもそなえていなければならないある条件を表現した不等式を導き、その一方で、量子力学にはその不等式を満たさない場合があることを示しました。この不等式を「ベルの不等式」といいます。
 これは重大な成果で、この不等式によって、局所実在論が正しいのか、それとも量子力学が正しいのか、実験で決着をつける道筋ができたのです。その後もいろいろなタイプの不等式が発見されて、1982年のアラン・アスペの実験を皮切りにたくさんの検証実験が行われました。
 その結果、自然はベルの不等式を破っていることがわかりました。量子力学でなければ説明できないものが存在することが、疑いの余地なくわかったのです。(中略)
 しかし、数学的な推論を説明されればそのときは納得した気もするけれど、やはりピンとこない、腑に落ちないというのが、多くの人の正直なところだったようです。
 これは社会的選択理論での、「アローの不可能性定理」とどこか似たところがあります。
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単行本p.216、217

 相対性理論を説明するときの光時計、ギャンブラーの誤謬、ベルの不等式、マーミンの思考実験。人間の直感が陥りやすいポイントを浮き彫りにする思考実験を取り上げ、それを意思決定に活かすにはどうすればよいのかを探ります。





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『エビはすごい カニもすごい -体のしくみ、行動から食文化まで』(矢野勲) [読書(サイエンス)]

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 本書は、このような「すごい」と思えるエビ・カニの巧妙な体のしくみと行動やしぐさについて紹介する。さらに、なぜそのような体のしくみを持ったり、行動やしぐさをとるのかについても説明した。
 ちなみに、そのいくつかを紹介すると、テッポウエビは、ハサミをパチンと鳴らして、その音で小エビなどの獲物を狩っている。また、サンゴ礁に棲む多数のテッポウエビがパチンと鳴らす音は、サンゴの幼生をサンゴ礁に呼び寄せることが明らかになっている。実は、この音は単なる音でなく、閃光とプラズマを放つ強い音圧の衝撃波である。本書では、その「すごい」と思えるスナップ音の発生のしくみを明らかにしている。
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「はじめに」より


 主に食材として親しまれているエビやカニ。しかしその生態は意外と知られていない。衝撃波とともに閃光とプラズマを放つテッポウエビ、数十万尾がいっせいに隊列を組んで渡りをするロブスター、武器として利用するイソギンチャクをクローニングするキンチャクガニ、そして感情表現豊かなカニ。エビとカニが持つ「すごい」と思える体のつくりや行動を紹介してくれる一冊。単行本(中央公論新社)出版は2021年12月です。




目次
第1章 エビ・カニとはどのような生き物なのか?
第2章 エビ・カニの五感と生殖
第3章 さまざまなエビたちの生態と不思議な行動
第4章 さまざまなカニたちの生態と不思議な行動
第5章 エビ・カニの外骨格の秘密
第6章 エビ研究の最前線からー交尾と生殖の解明
第7章 赤い色を隠すエビ・カニたち
第8章 私が愛したエビ・カニたち
第9章 エビ・カニの肉質の特徴と食文化




第1章 エビ・カニとはどのような生き物なのか?
第2章 エビ・カニの五感と生殖
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 自然界におけるフィロソーマ幼生とプエルルス幼生の暮らしの実態は、長い間、不明であったが、同じイセエビ下目のセミエビやウチワエビなどのフィロソーマ幼生が、海洋を浮遊するカラカサクラゲやミズクラゲなどのクラゲに取り付いていることが発見されている。この発見から想定すると、イセエビのフィロソーマ幼生も、クラゲの上に乗って広い海洋を漂いながら浮遊生活を送っている可能性が高い。仮に事実としたら、なんとも可愛らしい話である。
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単行本p.58

 エビ・カニの体の構造から生活史まで、まずは基礎知識をまとめます。




第3章 さまざまなエビたちの生態と不思議な行動
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 テッポウエビが餌とするクリーナーシュリンプが棲むイソギンチャクを外敵のファイヤーワームから守る習性は、まさに人類が野山を整備して食料などにする羊などを放牧する牧畜に似ている。(中略)仮にそうだとすれば、テッポウエビは人類が牧畜を始めるはるか以前の太古の昔に、牧畜の起源と思える、すごい行為をすでに行っていたことになると私は考えている。
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単行本p.87

 魚の口内を掃除するクリーナーシュリンプ。その棲息環境を調整して「牧畜」の対象とするテッポウエビ。そのテッポウエビが閃光とプラズマ衝撃波を放つしくみ。渡り鳥のように渡りをするコウライエビやフロリダロブスター。エビたちの「すごい」生態を紹介します。




第4章 さまざまなカニたちの生態と不思議な行動
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 イソギンチャクを持つキンチャクガニと持たないキンチャクガニを一緒に置くと、イソギンチャクを持たないキンチャクガニは、相手からイソギンチャクを奪うことを報告している。(中略)闘いを始めてから奪い取るまでの時間はなんと7時間ほどもかかり、両者の闘いはまさに死闘と言っても過言ではない。
 この後、イソギンチャクを奪い取ったキンチャクガニも奪い取られたキンチャクガニも、片方のハサミに挟んだイソギンチャクを縦に均等に2つに割って両ハサミに挟んで無性生殖を誘発しクローンを複製する。
 またシニッツァーたちはこのカニがハサミに挟むイソギンチャクの遺伝子を調べた。結果、各カニが持つ左右のハサミのイソギンチャクの遺伝子はまったく同じであり、他のカニのイソギンチャクとも互いに極めてよく似た遺伝子を持っていた。このことから、紅海に棲むキンチャクガニがハサミに挟むイソギンチャクは、もともと1つの個体であったことを示唆している。
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単行本p.121、122

 ズワイガニ、ガザミ、モクズガニ、サワガニなどの行動から、イソギンチャクを武器として使うキンチャクガニまで、さまざまなカニの「すごい」生態を紹介します。




第5章 エビ・カニの外骨格の秘密
第6章 エビ研究の最前線からー交尾と生殖の解明
第7章 赤い色を隠すエビ・カニたち
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 エビ・カニは、体を守るために外骨格を硬く堅固な組織にしただけでなく、比重を高くするために石灰化し、しばしば起きる飢餓に備えての栄養物質を貯蔵し供給する機能も持たせ、さらに外骨格に沈着したカルシウムを自由に出し入れするという、まさにすごいと思うほどのダイナミックな組織にしているのである。
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単行本p.141

 外骨格が果たしている様々な機能から赤い色をつくる色素アスタキサンチンが果たしている役割まで、エビ・カニの体のしくみをさらに詳しく見てゆきます。




第8章 私が愛したエビ・カニたち
第9章 エビ・カニの肉質の特徴と食文化
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 クルマエビが死んだふりをすることは、これまでまったく知られていなかったが、私は何度か人に話してきた。そうするとまず10人中10人が笑いながら「うそっ」と言う。なぜうそと思うのかと訊き返すと、エビにそんな高等なまねができるはずがないという答えが返ってくる。死んだふりは、賢い人間が熊に出会ったときにするもので、知能の低いエビにできるはずがないとはなから思っている。そこで私も、ついむきになって、エビ・カニの知能は発達していて、ときには人間以上に賢い行動をとると言い返す。
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単行本p.214

 弱いものいじめをするカニ、著者といっしょに遊ぶカニ、エサが遅れてムカついたので水草を切りまくって抗議したカニ、死んだふりをするエビ。著者が観察したエビ・カニの知能や感情、そして人間との関わりについて紹介します。





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『ゼロから学ぶ量子力学 普及版 量子世界への、はじめの一歩』(竹内薫) [読書(サイエンス)]

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 量子力学という分野は、一見、半世紀以上前の古い理論というイメージが強いのだが、今日でもなお、世界の最先端の論文として発表が続いている活気ある分野なのだ。また、世界中の数理物理学者たちが血眼になって追い求めている量子重力理論だって、その基礎には、やはり、量子力学がある。エンジニアだけでなく、物理や化学を専門的に勉強する人にとっても必須の知識であることはいうまでもない。
 この本では、ゼロからはじめて、量子力学のおぼろげな全体像をつかんでもらうように努力したつもりだ。ちょっと数式が多かったかもしれないが、途中を省略せずに、できるだけ導出を書いたつもりだ。だから、最初は飛ばしてしまった箇所も、後から1行ずつ追ってご覧になれば、きっと、わかるにちがいない。
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単行本p.273


 量子力学の教科書を読む前にざっと全体像を把握しておきたいという読者のための入門書。単行本(講談社)出版は2022年3月。ちなみに旧版の出版は2001年4月です。

「ゼロから学ぶ」というタイトルですが、それはあくまで量子力学についてゼロから学ぶということであって、数式は容赦なく出てきます。シュレーディンガー方程式も解きます。複素数の偏微分方程式の扱いくらいは予備知識として知っておいたほうがいいかも知れません。


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 うーむ、わからん。ゼロから学んでいるのに、この本には、数式がバンバン出てくるではないか。
 まあ、数式を使わないというのもわかりやすさかもしれないが、数式を使って、その数式をちゃんと説明する、というのもわかりやすさだと僕は思うのである。
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単行本p.159




目次

第1章 まずは前菜からどうぞーゼロから不確定性原理まで
第2章 メインディッシュへと進むー挑戦!シュレディンガー方程式
第3章 デザートで口なおしをするー量子論余話
第4章 レストランを出たあとでー行列、大活躍!




第1章 まずは前菜からどうぞーゼロから不確定性原理まで
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 この本は、
・生まれてはじめて力学ならぬ量子力学の世界を覗いてみようという好奇心旺盛な高校生から、
・学生時代に方程式の解き方は教わったが、頭に霞がかかったみたいで本当の意味が理解できなかったエンジニアの方々、そして、
・大学の演習の時間に、ふと、「でも、これってどういう意味なの?」という疑問を抱きつつ、先生にも同級生にも質問できないで悶々としている現役大学生……
こういった人々に読んでもらおうと思って書いた。
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単行本p.22

 まずは量子力学の基本的なイメージ、シュレーディンガー方程式、不確定性原理、マクロな世界との関係、といった話題から始めます。




第2章 メインディッシュへと進むー挑戦!シュレディンガー方程式
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 そもそも、量子力学が「何」かというのは説明が難しい。その理由の1つは、シュレディンガー流に微分方程式を解く流儀と、ハイゼンベルク流に行列の演算をする流儀が、一見、まったく別のことをやっているように見えるからだ。これは、おおまかにいえば、解析学でやるか、代数学でやるか、ということにほかならない。
 現実には、この2つの流儀に共通する抽象的な部分が、量子力学の本質なのであって、その本質を、どう見せるかは、趣味の問題でしかない。実際、現代数理物理学や素粒子論の最先端では、第3の流儀である「ファインマンの経路積分」というものを使うことがほとんどであり、シュレディンガー流とハイゼンベルク流は、どちらかというとナツメロ調というイメージのほうが強い。
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単行本p.175

 1次元の有限長の「箱」に入った粒子、調和振動子、水素原子の構造、トンネル効果。いよいよ実際にシュレーディンガー方程式を解いてみます。




第3章 デザートで口なおしをするー量子論余話
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 量子力学を深く理解するためには、ディラックの教科書を読むのが一番だといわれる。量子力学のバイブルというわけである。それは今でも変わらない。
 なぜ、ディラックの教科書がいいのか?
 それは、デュラックの教科書が量子力学の「根本精神」をとらえているからにほかならない。
 さて、そのディラックの精神にちょっとでも近づくために、「ディラックの記法」と呼ばれるものを導入する。これは、初歩的な教科書にはあまり出てこないが、おそらく、量子コンピュータの本にはたくさん出てくるし、原理的な話をするのには便利で欠かせない。
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単行本p.195

 シュレーディンガー方程式をいじくることがすなわち量子力学だと思われても困る。というわけで、ディラック記法からはじまって、ボームの量子ポテンシャル、量子からみあい、ベルの不等式、そしてこの話題は外せないでしょう「シュレーディンガーの猫」まで色々と解説します。




第4章 レストランを出たあとでー行列、大活躍!
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 とりあえずは、「ゼロから学ぶ」のに必要かつ充分な部分は、本文で完結するようにしたつもりです。ですが、僕も文筆家のはしくれなので、そこはそれ、独自の「こだわり」というものが、どうしてもあって、たとえ難解であっても、読者に伝えたいことは本からはずしたくない!
 というわけで、本が完成間近の局面になってから、僕のわがままを通してもらって、「難しいけれどホントは面白いこと」を最後のつけたしとして挿入させてもらうことにしました。
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単行本p.235

 ハイゼンベルク行列力学と場の量子論。難しくてもここは省きたくない、というポイントを最後に解説します。





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『量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』(マンジット・クマール:著、青木薫:翻訳) [読書(サイエンス)]

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 アインシュタインにとって物理学とは、観測とは独立した存在をありのままに知ろうとすることだった。アインシュタインが、「物理学において語られるのは、“物理的実在”である」と述べたのは、その意味でだった。コペンハーゲン解釈で武装したボーアにとって、物理学において興味があるのは、「何が実在しているか」ではなく、「われわれは世界について何を語りうるか」だった。ハイゼンベルクはその考えを、のちに次のように言い表した。日常的な世界の対象とは異なり、「原子や素粒子そのものは実在物ではない。それらは物事や事実ではなく、潜在的ないし可能性の世界を構成するのである」。
 ボーアとハイゼンベルクにとって、「可能性」から「現実」への遷移が起こるのは、観測が行われたときだった。観測者とは関係なく存在するような、基礎的な実在というものはない。アインシュタインにとって科学研究は、観測者とは無関係な実在があると信じることに基礎づけられていた。アインシュタインとボーアとのあいだに起ころうとしている論争には、物理学の魂ともいうべき、実在の本性がかかっていたのである。
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単行本p.347


 物理学史上に名高い「アインシュタイン=ボーア論争」とは何だったのか。
 黒体放射、光電効果、物質波、行列力学、波動力学、不確定性原理、そしてコペンハーゲン解釈。量子力学の発展に関わった多くの物理学者の人生とその成果を積み上げてゆき、やがて実在をめぐる論争とその意義の解説にいたるエキサイティングな一冊。単行本(新潮社)出版は2013年3月です。


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 本書には量子革命の百年の歴史が、じつに骨太に描き出されていたからだ。とくに、コペンハーゲン解釈はどのようにして生まれたのか、なぜコペンハーゲン解釈は、量子力学と同義語のようになってしまったのかが明らかにされていく。じっさい本書の狙いのひとつは、コペンハーゲン解釈がその役割を終え、量子力学についての理解が新たな段階に入ったという状況を明らかにすることなのだろう。(中略)今日では、コペンハーゲン解釈とはいったい何だったのか(コペンハーゲン解釈に関する解釈問題があると言われたりするほど、この解釈にはあいまいなところがあるのだ)、そしてアインシュタイン=ボーア論争とは何だったのかが、改めて問い直され、それにともなってアインシュタインの名誉回復が進んでいるのである。(中略)
 アインシュタインとボーアという類い稀なふたりの人物を得たことは、物理学にとって本当にありがたいことだった。その二人の巨人が、宇宙の本性をめぐって知的に激突した歴史的論争を、マンジット・クマールのみごとな描写で観戦していただけるなら、そしてわれわれのこの宇宙は、非局所相関のある量子的宇宙なのだということに思いを致していただけるなら訳者として嬉しく思う。
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単行本p.504、509、511




目次

第1部 量子
  第一章 不本意な革命ープランク
  第二章 特許の奴隷ーアインシュタイン
  第三章 ぼくのちょっとした理論ーボーア
  第四章 原子の量子論
  第五章 アインシュタイン、ボーアと出会う
  第六章 二重性の貴公子ード・ブロイ

第2部 若者たちの物理学
  第七章 スピンの博士たち
  第八章 量子の手品師ーハイゼンベルク
  第九章 人生後半のエロスの噴出ーシュレーディンガー
  第十章 不確定性と相補性ーコペンハーゲンの仲間たち

第3部 実在をめぐる巨人たちの激突
  第十一章 ソルヴェイ一九二七年
  第十二章 アインシュタイン、相対性理論を忘れる
  第十三章 EPR論文の衝撃

第4部 神はサイコロを振るか?
  第十四章 誰がために鐘は鳴るーベルの定理
  第十五章 量子というデーモン




第1部 量子
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 プランクの黒体放射の法則からアインシュタインの光量子へ、さらにボーアの量子論からド・ブロイの物質の波と粒子の二重性へと、四半世紀以上にわたって繰り広げられてきた量子物理学の進展は、量子的概念と古典物理学との不幸な結婚から生み出されたものだった。しかしその結婚は、1925年までにはほとんど破綻していた。アインシュタインは1912年の5月にはすでに、「量子論は、成功すればするほどますます馬鹿馬鹿しく見えてきます」と書いた。求められていたのは新しい理論――量子の世界で通用する新しい力学だった。
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単行本p.208

 プランク、アインシュタイン、ボーア、ド・ブロイ。初期量子力学を切り拓いていった物理学者たちの軌跡を辿ります。




第2部 若者たちの物理学
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 ボーアは、シュレーディンガーの波動関数に関するボルンの確率解釈をはじめ、さまざまな要素をひとつひとつつなぎ合わせ、それらを量子力学に対する新しい物理的理解の基礎とした。物理学者たちはのちに、たくさんのアイディアが混じり合ったその解釈のことを、「コペンハーゲン解釈」と呼ぶようになる。(中略)
 ボーアのイメージする実在は、観測されなければ存在しないようなものだった。コペンハーゲン解釈によれば、ミクロな対象はなんらかの性質をあらかじめもつわけではない。電子は、その位置を知るためにデザインされた観測や測定が行われるまでは、どこにも存在しない。速度であれ、他のどんな性質であれ、測定されるまでは物理的な属性を持たないのだ。ひとつの測定が行われてから次の測定が行われるまでのあいだに、電子はどこに存在していたのか、どんな速度で運動していたのか、と問うことには意味がない。量子力学は、測定装置とは独立して存在するような物理的実在については何も語らず、測定という行為がなされたときにのみ、その電子は「実在物」になる。つまり観測されない電子は、存在しないということだ。
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単行本p.330、347

 パウリ、ハイゼンベルク、シュレーディンガー。ついに原子の構造を明らかにした量子力学、その定式化をめぐって提示された二つの理論すなわち行列力学と波動力学。新しい物理学が確立されるまでの苦難の道のりを描きます。




第3部 実在をめぐる巨人たちの激突
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 第五回ソルヴェイ会議に招待された物理学者たちはみな、「電子と光子」というテーマを掲げたこの会議は、目下もっとも緊急度の高い問題、物理学というよりもむしろ哲学というべき問題について討論するよう企画されていることを知っていた。その問題とはすなわち、量子力学の意味である。量子力学は自然の本当の姿について何を教えているのだろうか? ボーアはその答えを知っているつもりだった。多くの人たちにとって、ボーアは「量子の王」としてブリュッセルに到着した。しかしアインシュタインは、「物理学の教皇」だった。
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単行本p.339

 ボーアやハイゼンベルクたちによる「コペンハーゲン解釈」によって完成されたように思われた量子力学。あらゆる物理量は、そして電子や光子は、観測されるまでは実在しないとするコペンハーゲン解釈に対し、観測とは無関係な実在を信じるアインシュタインによる批判が起こる。はたして物理世界は観測前に「実在」しているのか。物理学とは何なのか。二人の巨人による論争の詳細が語られます。




第4部 神はサイコロを振るか?
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 ボーアとの論争で決定打を出すことはできなかったものの、アインシュタインの挑戦は後々まで余韻を残し、さまざまな思索の引き金となった。彼の戦いはボーム、ベル、エヴェレットらを力づけ、ボーアのコペンハーゲン解釈が圧倒的影響力を誇って、ほとんどの者がそれを疑うことさえしなかった時期にも検討を促した。実在の本性をめぐるアインシュタイン=ボーア論争は、ベルの定理へとつながるインスピレーションの源だった。そしてベルの不等式を検証しようという試みから、量子暗号、量子情報理論、量子コンピューティングといった新しい研究分野が直接間接に生まれてきたのである。
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単行本p.467

 アインシュタイン=ボーア論争の実験的検証を可能としたベルの不等式、そしてアスペによる検証実験。その結果はアインシュタインの主張を否定した。しかし、だからといってコペンハーゲン解釈が正しいと証明されたわけではない。ド・ブロイ–ボーム理論やエヴェレットの多世界解釈など、様々な代替理論が提出されてゆく。物理学にとってのアインシュタイン=ボーア論争の意義を改めて考える。





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『図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか? 生きものの“同定"でつまずく理由を考えてみる』(須黒達巳) [読書(サイエンス)]

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 自分の本にいただいたレビューを読んだり、他の図鑑のレビューを見たり、あるいはTwitterでの「この虫は何ですか」「これは○○です」「どこを見たらわかるんですか」というやりとりを眺めたりするうちに、私たちはこの同定という行為を非常に漠然と行なっているように思えました。わからない側の思考がぼんやりしているのはもちろん、わかる側も思った以上に「なんとなく」なのです。ともすれば、わかる側は、同定技術を「職人芸」たらしめるために、あえて丁寧に言語化することを避けている節すらあるかもしれません。簡単なことではないのはたしかなので、「軽んじられたくはない」という気持ちもわかります。
 その一方で、入口でつまずいて「同定嫌い」に陥ってしまっている方を見ると、「同定ってすごく面白いんだけどな」と、楽しさを伝えたい気持ちにも駆られます。同定は、この星の豊かな生物多様性をダイレクトに味わうことのできる、心躍る営みです。興味をもって近づいてきてくれる方に根づいてもらうために、なんとか橋渡しをできないものかとの思いから、本書『図鑑を見ても名前がわからないのはなぜか?』の執筆を始めました。
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 生物を観察して、それから図鑑をひいて種の名前を確認する。この「同定」という作業が、実は慣れないと非常にやっかい。なぜ素人は生物種の同定で挫折しがちなのか。そして専門家がひとめで種の違いが「わかってしまう」「だけどなぜわかるのかをうまく言葉で説明できない」のはなぜか。同定という観点から自然を観る目を養うための本。単行本(ベレ出版)出版は2021年12月です。


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 同定は職人芸的な面が多分にあり、求められる技術やできるようになる過程を言語化するのが非常に面倒、というか困難です。すると、「どのように同定できるようになったのか、自分でもよくわからない」という状況が生まれます。また、同定それ自体も、いったい自分は何を見て見分けているのか、他者にうまく説明できないことがままあります。それを無理くり言葉にしようとした結果、「ピンとこない説明」になっている図鑑も少なくありません。
 同定って、どのようにやってのけているのでしょう? 図鑑を使う側の方も、つくる側の方も、いま一度一緒に考えてみませんか。そんな思いで執筆したのが本書です。
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目次
第1章 教本を買っただけではバイオリンは弾けない
第2章 目をつくるとは
第3章 知識ゼロからのシダの同定
第4章 みんなちがって、まちがえる
第5章 図鑑づくりの舞台裏
第6章 果て無き同定の荒野




第1章 教本を買っただけではバイオリンは弾けない
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図鑑を正しく使いこなすためには、目の前の生き物、そして図鑑の絵や写真から、特徴を正しく拾い上げることができなくてはなりません。生き物の名前を調べるために上げるべき「腕前」は、「特徴を正しく捉える目」なのです。図鑑には、先人の努力の結晶ともいえる膨大な知識が集積されています。ところが、いくら「ここで見分けられるよ」と教えてもらっても、使い手の腕前、つまり「目」が伴わなければ、思うように使いこなすことはできません。そして、一部例外的に天才じみた人もいますが、基本的には最初は誰もが当然にそうなのです。
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 まず同定のためには「生物の特徴を正しくとらえる目」が必要であり、それは練習で身につくものだということを解説します。




第2章 目をつくるとは
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 私のいう「目ができている」とは、つまるところ、「対象から多くの情報を得ることができ、サンプル同士の違いに気づくことができる」ということです。生き物を見ることに関して優れた腕前を持つ人は、言語化できるかはともかく、広い範囲から高い精度の情報を得ることができるわけです。
 バードウォッチャーの間で使われる「ジズ(jizz)」という言葉があります。これは、観察者が「雰囲気」として捉える総体的な情報といったような意味です。具体的な要素としては、形や姿勢、大きさ、色、模様、動作、鳴き声、そして生息環境などが挙げられます。観察者の感覚としては、それらの情報が「○○っぽい」という印象に統合されます。経験を積んだレベルの高い観察者ほど、さまざまな要素を手がかりにすることができるわけです。
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 蚊やウグイスの写真を題材に、同定のための「目」を養う練習をしてみます。




第3章 知識ゼロからのシダの同定
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 この章の執筆をいい機会として、シダの同定に挑戦してみようと思います。
 ここでの私の立ち位置は、「シダはまったくの素人。でも図鑑で生き物を調べることに関してはそれなりに経験がある人」です。そして、ひとまず目指すのは「シダの観察を楽しめる程度に見分けられる」レベルとします。まったくわからない状態から、どうやって調べていくのか、何に困るのか、どうやって解決していくのか、といった過程の参考になればと思います。
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 読者と同じ目線に立つために、著者自身がまったく素人であるシダ類の同定(に必要な目を養うこと)に挑戦してみます。




第4章 みんなちがって、まちがえる
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 同定ではしばしば、どれとどれが変異で、どれとどれが別の種なのか、という問題に直面します。違いのわかる観察眼が必要な反面、一個体一個体の違いにとらわれすぎていると、究極、図鑑の写真と完全に一致することはあり得ないので、いつまでもゴールにたどり着けなくなってしまいます。これは、観察力が少し上がってきた頃に陥りやすい状況です。「違いがわかるようになってきた」に続いて、「みんな違うように見えてきたぞ……? これは新種では?」となり、逆に同定できなくなるのです。(中略)生き物には「はずれ値」的な個体が必ずいるので、「変異の全貌」というのはキリがないともいえます。つくり手もそれは諦めるとして、しかし図鑑に書いている識別点は、「その種であれば、ある程度どの個体にも当てはまる特徴」を厳選しています。さっきの言葉でいえば「ブレない特徴」です。これは、多くの標本を検討して初めて確信をもって書くことができるものなので、図鑑の記述はまさに「先人の研究者たちの知の粋」なのです。それこそが、図鑑を「読む」べきであるゆえんです。
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 変異や個体差という、同定を難しくする障害について解説します。




第5章 図鑑づくりの舞台裏
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 人生、何があるかわからないので(少し前に東日本大震災があったばかりでした)、この『ハエトリグモハンドブック』が唯一遺せる本になるかもしれない。いまもし就職したら、慣れない仕事の片手間に、全力を出し切れないまま本をつくることになるだろう。未来の安定を優先するあまり、若い自分が目の前のやりたいことをないがしろにしてしまっていいのだろうか?(中略)フリーターになってからは、学生時代にクモを通じて得たつながりから、野外調査や標本の同定の仕事をもらって旅費を稼ぎ、日本産全種制覇を目指して、各地へハエトリグモの採集に出かけました。そして、多くのクモ仲間から情報をもらったり、場所を案内してもらったり、採集を手伝ってもらったりしながら、着々と種数を伸ばしていきました。途中、貯金残高が503円になるなどのピンチもありましたが、最終的に、当時の既知種105種のうち103種を撮影することができました。
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 『ハエトリグモハンドブック』を作成するために著者はどのような作業を行ったのか。同定の礎となる図鑑を作る側の苦労を解説します。




第6章 果て無き同定の荒野
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 こんなふうに、専門的な図鑑や論文、目録、モノグラフなどを頼りに一種ずつ同定していき、気づけば6年間で800種あまりを積み上げていました。種同定は、パラパラッと図鑑をめくって「おっ、これだ」と、たちどころにわかるような軽快なものではありません。慣れないグループや難しいグループなら、たった1種を同定するのに何時間もかかることもざらですし、何時間もかけたのに結局わからないこともよくあります。
 それでもこの同定という行為をやめることができず、暇さえあれば取り組みたくなってしまうのは、やはりわかったときの快感ゆえなのでしょう。人の一生は短く、たかだか学校の敷地内の虫でさえも、きっと全容を解明することはできません。しかし、1種新たに同定するごとに、「またひとつ、この星の自然について知っていることが増えた」とでもいいましょうか、一種一種は微々たる欠片にすぎないはずなのに、「今日は意味のある一日だったな」と、不思議な満足感に包まれて眠りにつくことができるのです(他のことがダメダメだったとしても)。
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 勤務している学校の校内にいる昆虫とクモのリスト作成に取り組んだ著者。実際の同定作業がどのようなもので、どれほど楽しいものかを語ります。





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