『宇宙になぜ、生命があるのか 宇宙論で読み解く「生命」の起源と存在』(戸谷友則) [読書(サイエンス)]
――――
「半径138億光年という広大な宇宙を考えても、ランダムな化学反応から生命が偶然にできあがる確率はきわめて低い」という従来の問題は、さらに圧倒的に広大なインフレーション宇宙全体を考えれば、実は解決できることがわかった。これは自然科学の枠組みの中で、原始生命が物理法則にもとづいて誕生する道筋が、少なくとも1つは存在することを意味している。生命の起源は科学の範疇で理解可能であり、一見、確率が非常に低いからといって、神や超自然的なものを持ち出す必要はないということだ。筆者が2020年に出した論文に何かしらの意義があるとすれば、この点が最も重要なことだと個人的には考えている。
しかし当時、多くのメディアや社会の反応は別のところに集中した。「宇宙の中で生命とはそんなにレアな存在なのか!」というものだったのである。実際、私の説が正しければ、我々が見渡す「観測可能な宇宙」の中の10の22乗個の恒星をくまなく探しても、生命はおそらく我々のみであろう。
――――
「第7章 宇宙はどこまで広がっているか、そこに生命はいるか」より
一度誕生しさえすれば、時間をかけることで生命は複雑なものに進化できる。しかし進化のプロセスが適用できない最初の生命誕生はどのようにして起きたのか。そのシナリオは大筋で分かってきたが、それが起きる確率は途方もなく低いこともまた明らかになってきた。私たち生命がここにいるという事実と、このあり得ないほど低い確率をどのように整合させればよいのか。そこでインフレーション宇宙論が重大な意味を持つことになる。物理学と生物学にまたがる難問にインフレーション宇宙論と人間原理から挑む刺激的なサイエンス本。単行本(講談社)出版は2023年7月です。
――――
生命の起源というテーマで研究したり、本を書いたりというのは結構勇気のいることなのである。何せ、わかっていることがほとんどない。意外に思われるかもしれないが、ビッグバンによる宇宙の始まりのほうが、生命の始まりよりもはるかに詳しくわかっていると断言できる。生命の起源のほうは難問中の難問で、自然科学がこれだけ発達した現代でも、まったくの謎のまま取り残されているといっても過言ではない。さらには、生命科学はもちろん、化学、物理学、地球科学、天文学といったさまざまな分野に関係してくるので、一人の研究者が自信を持ってすべてをカバーできるはずもなく、おいそれと手を出しにくいのである。
――――
「序章 生命の起源ー物理と生物の狭間で」より
目次
序章 生命の起源ー物理と生物の狭間で
第1章 生命とは何か
第2章 化学反応システムとしての生命
第3章 多様な地球生命とその進化史
第4章 宇宙における太陽と地球の誕生
第5章 原始生命誕生のシナリオーどこで、どうやって?
第6章 宇宙に生命は生まれるのかー原始生命誕生の確率?
第7章 宇宙はどこまで広がっているか、そこに生命はいるか
第8章 地球外生命は見つかるか?
終章 生命の神秘さはどこからくるのか
序章 生命の起源ー物理と生物の狭間で
第1章 生命とは何か
第2章 化学反応システムとしての生命
第3章 多様な地球生命とその進化史
第4章 宇宙における太陽と地球の誕生
――――
表面に液体の水を持つ岩石惑星の存在は宇宙にありふれている、ということは間違いなさそうである。つまり、原始生命発生の舞台となり得る惑星は宇宙に膨大な数で存在している。それでは、生命もまた宇宙に満ち溢れ、ありふれた存在……かどうかは、まだわからない。生命が存在できる環境が整っても、そこで生命が非生物的に発生する確率や頻度は、まったく別の問題だからだ。そしてそれこそが本書の主題であると同時に、ビッグバンから惑星誕生までをここまで克明に描き出せている現代科学をもってしても、ほとんど歯が立たないほどの難問なのである。
――――
まず生命の定義から始まって、RNAやタンパク質など生命の基本要素、地球という惑星が誕生してから生命が存在し得る環境になるまでの歴史、といった基礎知識を確認します。その上で、原始生命(遺伝情報を保持して自己複製する高分子)の起源という問題がなぜ難しいのかをはっきりさせます。
第5章 原始生命誕生のシナリオーどこで、どうやって?
――――
最初に現れた遺伝情報が本当にRNAの形だったのかどうかには異説もある。DNA、タンパク質に先んじてRNAの時代があったことについては多くの研究者が支持しているが、さらにその前段階で別の分子がまず遺伝情報を獲得し、それが進化の過程でRNAに置き換わったという可能性も議論されている。が、本質的な筋書きが上記のものから大きく変わることはなさそうである。
では、このシナリオにもとづけば、生命をゼロから作ることは容易にできるのか? そのようなことが宇宙にどれだけ起こっていると期待できるのか?
――――
物理法則に基づく非生命的なプロセスによって原始生命が誕生するシナリオは考えられるのか。生命起源に関する最も有力なシナリオとしてのRNAワールド仮説を解説します。
第6章 宇宙に生命は生まれるのかー原始生命誕生の確率?
――――
とにかく、ランダムな化学反応が積み重なって、偶然に生命ができあがる確率はきわめて低く、ちょっと計算すれば、「観測可能な138億光年の宇宙の中にすら、生命は1つも誕生しえない」という結論が出る。しかし、我々はこうしてここにいる。原始地球のどこか、あるいはパンスペルミア説を採るにしても宇宙のどこかで、我々につながる生命が無生物の状態から発生したはずである。これをどう考えればよいのか。
一つの立場は、原始生命の発生は自然科学の範疇を超えたナニモノかであると考えることだ。(中略)
もちろん、自然科学者の間ではそのような考えは極少数派だ。原始生命の誕生は、あくまで、自然科学の立場で説明できると信じている人がほとんどである。しかし、ランダムな化学反応では生命はできそうにないことも事実である。そこで、「なにか未知の、効率よく長鎖のRNAを作り出すメカニズムや反応経路があるのだろう」と考えることになる。ただ、すでに述べたように、そのようなものは今のところ知られておらず、「生命が存在するのだから、そういうものが必ずあるはずだ」という考えに立って研究を行っているにすぎないのが現状だ。
――――
生命起源のシナリオはあるものの、それが実際に起きる確率を計算すると途方もなく低いことが分かる。原始生命を少しずつ組み立ててゆくようなプロセスがあればよいが、そういうものはどうしても見つからない。では生命が存在するという事実をどのように解釈すればよいのか。生命起源を考える際の最大の難問を具体化します。
第7章 宇宙はどこまで広がっているか、そこに生命はいるか
――――
138億光年というのは、我々が直接目視できるかどうかというだけの話であり、その先にも、同じような宇宙がはるか遠方にまで広がっているはずである。考えてみてほしい。ある人が、地球における原始生命の発生確率を計算しようとしている。もしその人が、わざわざ、自分を中心とする半径5キロメートルの地平線内での生命発生確率を計算したら、あなたはどう思うだろうか? そう、ナンセンスである。地平線内の面積は、地球の全表面積の650万分の1にすぎない。むろん、ある人から直接目視できるかどうかなど、原始生命の発生プロセスとは何の関係もない。
「観測可能な宇宙」にかぎって生命の発生を考えることは、これと本質的にまったく同じことで、ナンセンスなのである。
――――
生命発生の確率が極めて低いのは、それが起こりうる範囲を「観測可能な宇宙」に閉じているからではないか。もし「途方もなく広大なインフレーション宇宙全体のどこでそれが起きてもよい。一度だけでも起きればよい。それが私たちである」と考えるなら、生命発生の確率は納得できるほど高くなる。
第8章 地球外生命は見つかるか?
――――
さまざまな解答が提案されているが、ここまで本書を読まれてきた読者なら、筆者の立場はおわかりだろう。知的生命体以前に、そもそも原始的な生命すら誕生する確率はきわめて低く、銀河系どころか観測可能な宇宙の中で生命は地球だけ、という可能性が十分にある。そう思えば、宇宙人が地球にやってこなくても何ら不思議なことではない。
――――
インフレーション宇宙を前提に生命発生を考えるなら、「観測可能な宇宙」に存在する生命はおそらく私たちだけである。したがって、私たちは永遠に地球外生命と遭遇することはないだろう。フェルミのパラドックスに対する著者の回答が示されます。
「半径138億光年という広大な宇宙を考えても、ランダムな化学反応から生命が偶然にできあがる確率はきわめて低い」という従来の問題は、さらに圧倒的に広大なインフレーション宇宙全体を考えれば、実は解決できることがわかった。これは自然科学の枠組みの中で、原始生命が物理法則にもとづいて誕生する道筋が、少なくとも1つは存在することを意味している。生命の起源は科学の範疇で理解可能であり、一見、確率が非常に低いからといって、神や超自然的なものを持ち出す必要はないということだ。筆者が2020年に出した論文に何かしらの意義があるとすれば、この点が最も重要なことだと個人的には考えている。
しかし当時、多くのメディアや社会の反応は別のところに集中した。「宇宙の中で生命とはそんなにレアな存在なのか!」というものだったのである。実際、私の説が正しければ、我々が見渡す「観測可能な宇宙」の中の10の22乗個の恒星をくまなく探しても、生命はおそらく我々のみであろう。
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「第7章 宇宙はどこまで広がっているか、そこに生命はいるか」より
一度誕生しさえすれば、時間をかけることで生命は複雑なものに進化できる。しかし進化のプロセスが適用できない最初の生命誕生はどのようにして起きたのか。そのシナリオは大筋で分かってきたが、それが起きる確率は途方もなく低いこともまた明らかになってきた。私たち生命がここにいるという事実と、このあり得ないほど低い確率をどのように整合させればよいのか。そこでインフレーション宇宙論が重大な意味を持つことになる。物理学と生物学にまたがる難問にインフレーション宇宙論と人間原理から挑む刺激的なサイエンス本。単行本(講談社)出版は2023年7月です。
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生命の起源というテーマで研究したり、本を書いたりというのは結構勇気のいることなのである。何せ、わかっていることがほとんどない。意外に思われるかもしれないが、ビッグバンによる宇宙の始まりのほうが、生命の始まりよりもはるかに詳しくわかっていると断言できる。生命の起源のほうは難問中の難問で、自然科学がこれだけ発達した現代でも、まったくの謎のまま取り残されているといっても過言ではない。さらには、生命科学はもちろん、化学、物理学、地球科学、天文学といったさまざまな分野に関係してくるので、一人の研究者が自信を持ってすべてをカバーできるはずもなく、おいそれと手を出しにくいのである。
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「序章 生命の起源ー物理と生物の狭間で」より
目次
序章 生命の起源ー物理と生物の狭間で
第1章 生命とは何か
第2章 化学反応システムとしての生命
第3章 多様な地球生命とその進化史
第4章 宇宙における太陽と地球の誕生
第5章 原始生命誕生のシナリオーどこで、どうやって?
第6章 宇宙に生命は生まれるのかー原始生命誕生の確率?
第7章 宇宙はどこまで広がっているか、そこに生命はいるか
第8章 地球外生命は見つかるか?
終章 生命の神秘さはどこからくるのか
序章 生命の起源ー物理と生物の狭間で
第1章 生命とは何か
第2章 化学反応システムとしての生命
第3章 多様な地球生命とその進化史
第4章 宇宙における太陽と地球の誕生
――――
表面に液体の水を持つ岩石惑星の存在は宇宙にありふれている、ということは間違いなさそうである。つまり、原始生命発生の舞台となり得る惑星は宇宙に膨大な数で存在している。それでは、生命もまた宇宙に満ち溢れ、ありふれた存在……かどうかは、まだわからない。生命が存在できる環境が整っても、そこで生命が非生物的に発生する確率や頻度は、まったく別の問題だからだ。そしてそれこそが本書の主題であると同時に、ビッグバンから惑星誕生までをここまで克明に描き出せている現代科学をもってしても、ほとんど歯が立たないほどの難問なのである。
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まず生命の定義から始まって、RNAやタンパク質など生命の基本要素、地球という惑星が誕生してから生命が存在し得る環境になるまでの歴史、といった基礎知識を確認します。その上で、原始生命(遺伝情報を保持して自己複製する高分子)の起源という問題がなぜ難しいのかをはっきりさせます。
第5章 原始生命誕生のシナリオーどこで、どうやって?
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最初に現れた遺伝情報が本当にRNAの形だったのかどうかには異説もある。DNA、タンパク質に先んじてRNAの時代があったことについては多くの研究者が支持しているが、さらにその前段階で別の分子がまず遺伝情報を獲得し、それが進化の過程でRNAに置き換わったという可能性も議論されている。が、本質的な筋書きが上記のものから大きく変わることはなさそうである。
では、このシナリオにもとづけば、生命をゼロから作ることは容易にできるのか? そのようなことが宇宙にどれだけ起こっていると期待できるのか?
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物理法則に基づく非生命的なプロセスによって原始生命が誕生するシナリオは考えられるのか。生命起源に関する最も有力なシナリオとしてのRNAワールド仮説を解説します。
第6章 宇宙に生命は生まれるのかー原始生命誕生の確率?
――――
とにかく、ランダムな化学反応が積み重なって、偶然に生命ができあがる確率はきわめて低く、ちょっと計算すれば、「観測可能な138億光年の宇宙の中にすら、生命は1つも誕生しえない」という結論が出る。しかし、我々はこうしてここにいる。原始地球のどこか、あるいはパンスペルミア説を採るにしても宇宙のどこかで、我々につながる生命が無生物の状態から発生したはずである。これをどう考えればよいのか。
一つの立場は、原始生命の発生は自然科学の範疇を超えたナニモノかであると考えることだ。(中略)
もちろん、自然科学者の間ではそのような考えは極少数派だ。原始生命の誕生は、あくまで、自然科学の立場で説明できると信じている人がほとんどである。しかし、ランダムな化学反応では生命はできそうにないことも事実である。そこで、「なにか未知の、効率よく長鎖のRNAを作り出すメカニズムや反応経路があるのだろう」と考えることになる。ただ、すでに述べたように、そのようなものは今のところ知られておらず、「生命が存在するのだから、そういうものが必ずあるはずだ」という考えに立って研究を行っているにすぎないのが現状だ。
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生命起源のシナリオはあるものの、それが実際に起きる確率を計算すると途方もなく低いことが分かる。原始生命を少しずつ組み立ててゆくようなプロセスがあればよいが、そういうものはどうしても見つからない。では生命が存在するという事実をどのように解釈すればよいのか。生命起源を考える際の最大の難問を具体化します。
第7章 宇宙はどこまで広がっているか、そこに生命はいるか
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138億光年というのは、我々が直接目視できるかどうかというだけの話であり、その先にも、同じような宇宙がはるか遠方にまで広がっているはずである。考えてみてほしい。ある人が、地球における原始生命の発生確率を計算しようとしている。もしその人が、わざわざ、自分を中心とする半径5キロメートルの地平線内での生命発生確率を計算したら、あなたはどう思うだろうか? そう、ナンセンスである。地平線内の面積は、地球の全表面積の650万分の1にすぎない。むろん、ある人から直接目視できるかどうかなど、原始生命の発生プロセスとは何の関係もない。
「観測可能な宇宙」にかぎって生命の発生を考えることは、これと本質的にまったく同じことで、ナンセンスなのである。
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生命発生の確率が極めて低いのは、それが起こりうる範囲を「観測可能な宇宙」に閉じているからではないか。もし「途方もなく広大なインフレーション宇宙全体のどこでそれが起きてもよい。一度だけでも起きればよい。それが私たちである」と考えるなら、生命発生の確率は納得できるほど高くなる。
第8章 地球外生命は見つかるか?
――――
さまざまな解答が提案されているが、ここまで本書を読まれてきた読者なら、筆者の立場はおわかりだろう。知的生命体以前に、そもそも原始的な生命すら誕生する確率はきわめて低く、銀河系どころか観測可能な宇宙の中で生命は地球だけ、という可能性が十分にある。そう思えば、宇宙人が地球にやってこなくても何ら不思議なことではない。
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インフレーション宇宙を前提に生命発生を考えるなら、「観測可能な宇宙」に存在する生命はおそらく私たちだけである。したがって、私たちは永遠に地球外生命と遭遇することはないだろう。フェルミのパラドックスに対する著者の回答が示されます。
タグ:その他(サイエンス)
『大規模言語モデルは新たな知能か ChatGPTが変えた世界』(岡野原大輔) [読書(サイエンス)]
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大規模言語モデルは、世界中の誰よりも多くの知識を備え、多くの仕事をタフにこなし、少なくともしばらくは急速に進化していくことが確実な人工知能システムである。しかし、人が共有している、命が有限であることや、家族や仲間がいることからうまれる価値観や正義感をもっていないこと、身体性をもつことから生じる世界の理解がないことに注意が必要である。そのため、このシステムは人の知能と同じになることはなく、人がまだ付き合ったことのない新しい知能である。
人はこの新しい知能との付き合い方をまだよくわかっていない。私たちは、こうしたシステムが人とは違う種類の知能をもっていることを理解し、うまい使い方、飼いならし方を身につけていく必要がある。
――――
「序章 チャットGPTがもたらした衝撃」より
チャットGPTに代表される大規模言語モデル。それは便利なツールというよりは、人間とは異なる種類の知能を備えた存在だと見なしてよい。人類がはじめて体験する異質な知能とのコンタクト。それは社会に大きなインパクトを与えつつ、私たちの知能とは何なのか、どのような仕組みで機能しているのか、を明らかにしてくれるかも知れない。大規模言語モデルの動作原理から、それが引き起こすであろう社会問題まで、コンパクトにまとめて解説してくれるサイエンス本。単行本(岩波書店)出版は2023年6月です。
目次
序章 チャットGPTがもたらした衝撃
1 大規模言語モデルはどんなことを可能にするだろうか
2 巨大なリスクと課題
3 機械はなぜ人のように話せないのか
4 シャノンの情報理論から大規模言語モデル登場前夜まで
5 大規模言語モデルの登場
6 大規模言語モデルはどのように動いているのか
終章 人は人以外の知能とどのように付き合うのか
序章 チャットGPTがもたらした衝撃
――――
2022年11月に登場したチャットGPT(ChatGPT)は、これまでにない高い対話能力と汎用的な問題解決能力を示し、センセーションを巻き起こしている。公開からわずか二か月で、全世界の月間利用者数が一億人に達した。この増加速度は、これまでに公開されたあらゆる製品・サービスの中で最も速い。例えば、ティックトック(TikTok)は月間利用者数一億人を達成するまでに九ヶ月、インスタグラムは二年五カ月、ツイッターは五年を要した。世界のユーザーが注目して様々な目的に利用しており、その影響力の大きさがうかがえる。
その高い対話能力や汎用的な問題解決能力をもつ人工知能を実現する技術が、大規模言語モデルである。
――――
世界中にインパクトを与えたチャットGPT。それを支える大規模言語モデルとは何か。そしてそれは従来の技術とは何が違うのか。まずは本書で扱うテーマを整理します。
1 大規模言語モデルはどんなことを可能にするだろうか
――――
インターネットが登場したときに、それがどれほど広く使用されるようになるのか理解できなかったように、大規模言語モデルが今後どのような分野で使用されるのかを想像することは難しい。
――――
文書の作成、校正、要約、翻訳。プログラミング補助。情報検索。カウンセリング、コーチング、学習サポート。専門業務や研究の補助。大規模言語モデルの可能性を概観します。
2 巨大なリスクと課題
――――
オープンAIらがまとめたレポートによると、大規模言語モデルによってアメリカの労働者の八割が仕事内容の少なくとも10パーセントに影響を受け、労働者の約19パーセントは仕事内容の50パーセント以上に影響を受けると予測している。さらに他の生成モデルなどの技術と組み合わせた場合は、労働者の49パーセントが仕事内容の半分以上に影響を受けると予測している。
――――
虚偽情報生成(幻覚:ハルシネーション)、フェイク情報の拡散、個人情報や著作権のトラブル、偏見や差別などの拡大、なりすまし、犯罪利用、業務の急激な変化による失業やストレス、そして技術独占の弊害。大規模言語モデルが広く利用されるようになったときに、ほぼ確実に起きるであろう様々な社会問題について解説します。
3 機械はなぜ人のように話せないのか
――――
人は言語の獲得や運用の仕方を理解できていないため、それを計算機に実現させることは難しいし、また従来の機械学習のアプローチをとる場合も、訓練データを構築することができず、いくつかのタスクでは目標を設定することが困難であった。こうしたことから、計算機で言語を人のように扱えるようにすることは難しかったのである。
――――
大規模言語モデルとその革新性を理解するための前提知識として、そもそも従来の人工知能研究において機械が自然言語を扱えるようにすることが難しかった理由を解説します。
4 シャノンの情報理論から大規模言語モデル登場前夜まで
――――
人間が言語をどのように獲得するのかはまだ解明されていないが、予測モデルのフィードバックが大きな役割を果たして可能性がある。そして、予測というタスクを解くことで、様々な能力を獲得することができることもわかってきた。
一方、1300万文字というと十分多い量に思えるが、現在の言語モデルなどが学習する際には、これよりも数百倍から数万倍、場合によっては数百万倍を必要とする。
――――
言語をモデル化して情報処理の対象とする技術はどのように発展してきたのか。機械学習によって自然言語を生み出すシステムの歴史を概観し、言語モデルが自然言語の「意味や構造を“理解”している」と見なせる理由を解説します。
5 大規模言語モデルの登場
――――
モデルサイズを大きくすればするほど性能が上がるというのは、衝撃的な事実であった。従来の機械学習の考え方では、問題の複雑さに合わせた最適なモデルサイズが存在し、訓練データを同じような精度で解ける二つのモデルがあれば、小さいモデルの方が汎化性能に優れていることが期待される。こうした事実は、機械学習の教科書の最初の方に書かれている基本的な事柄だ。(中略)モデルサイズを大きくしていく中で、それまでまったく解けなかった問題がある時点から急に解けるようになる現象である。これを創発(Emergence)とよぶ。パラメータ数が数十億程度のときにはまったく解けなかった問題が、パラメータ数が数百億に増えると急に解けたり、数百億で解けなかった問題が数千億で解けるようになる。
――――
言語モデルの規模を大きくしていくと、学習効率がどんどん上昇し、しかも非連続的な飛躍(創発現象)が生じることが分かってきた。規模を大きくした言語モデルは量的にだけでなく質的に異なるものになる。この衝撃的な発見からはじまった大規模言語モデルの開発競争について解説します。
6 大規模言語モデルはどのように動いているのか
――――
複数のタスクを学習することで、学習方法自体を学習させることをメタ学習とよぶ。言語モデルと自己注意機構の組み合わせは意図せずメタ学習を実現し、毎回のプロンプトで与えられた指示やこれまで生成した結果を処理していくうちに、モデルを今の問題に急速に適応させることができると考えられる。
こうしたメタ学習によって、通常の汎化を超えた汎化(分布外汎化)を達成できる。まだ見たことがないデータであっても、その場で適応することができるのだ。
――――
いよいよ大規模言語モデルの構造と機能について分かりやすく解説します。
終章 人は人以外の知能とどのように付き合うのか
――――
大規模言語モデルが人のように対話できるようになっていることから、その仕組みを研究することで、人が言語をどのように理解し、考えるのかを理解できるかもしれない。私たち自身がどのように世界を認識し、考え、他者と交流しているのかについて、より深く理解できるようになれば、人の世界の認識の仕方や、考え方、私たち同士の関係も、大きく変わっていくことができる。
結局のところ、人は異なる知能をもった存在によって、初めて自分たち自身を理解できるのかもしれない。人工知能が人間の自己理解に貢献していくと考えられる。
――――
大規模言語モデルは、人間とは異なる知能と見なすことができる。その存在は私たちが私たち自身を理解する上で重要なキーとなるかも知れない。異質な知能とのコンタクトという人類史上はじめての出来事が持つ潜在的なインパクトについて解説します。
大規模言語モデルは、世界中の誰よりも多くの知識を備え、多くの仕事をタフにこなし、少なくともしばらくは急速に進化していくことが確実な人工知能システムである。しかし、人が共有している、命が有限であることや、家族や仲間がいることからうまれる価値観や正義感をもっていないこと、身体性をもつことから生じる世界の理解がないことに注意が必要である。そのため、このシステムは人の知能と同じになることはなく、人がまだ付き合ったことのない新しい知能である。
人はこの新しい知能との付き合い方をまだよくわかっていない。私たちは、こうしたシステムが人とは違う種類の知能をもっていることを理解し、うまい使い方、飼いならし方を身につけていく必要がある。
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「序章 チャットGPTがもたらした衝撃」より
チャットGPTに代表される大規模言語モデル。それは便利なツールというよりは、人間とは異なる種類の知能を備えた存在だと見なしてよい。人類がはじめて体験する異質な知能とのコンタクト。それは社会に大きなインパクトを与えつつ、私たちの知能とは何なのか、どのような仕組みで機能しているのか、を明らかにしてくれるかも知れない。大規模言語モデルの動作原理から、それが引き起こすであろう社会問題まで、コンパクトにまとめて解説してくれるサイエンス本。単行本(岩波書店)出版は2023年6月です。
目次
序章 チャットGPTがもたらした衝撃
1 大規模言語モデルはどんなことを可能にするだろうか
2 巨大なリスクと課題
3 機械はなぜ人のように話せないのか
4 シャノンの情報理論から大規模言語モデル登場前夜まで
5 大規模言語モデルの登場
6 大規模言語モデルはどのように動いているのか
終章 人は人以外の知能とどのように付き合うのか
序章 チャットGPTがもたらした衝撃
――――
2022年11月に登場したチャットGPT(ChatGPT)は、これまでにない高い対話能力と汎用的な問題解決能力を示し、センセーションを巻き起こしている。公開からわずか二か月で、全世界の月間利用者数が一億人に達した。この増加速度は、これまでに公開されたあらゆる製品・サービスの中で最も速い。例えば、ティックトック(TikTok)は月間利用者数一億人を達成するまでに九ヶ月、インスタグラムは二年五カ月、ツイッターは五年を要した。世界のユーザーが注目して様々な目的に利用しており、その影響力の大きさがうかがえる。
その高い対話能力や汎用的な問題解決能力をもつ人工知能を実現する技術が、大規模言語モデルである。
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世界中にインパクトを与えたチャットGPT。それを支える大規模言語モデルとは何か。そしてそれは従来の技術とは何が違うのか。まずは本書で扱うテーマを整理します。
1 大規模言語モデルはどんなことを可能にするだろうか
――――
インターネットが登場したときに、それがどれほど広く使用されるようになるのか理解できなかったように、大規模言語モデルが今後どのような分野で使用されるのかを想像することは難しい。
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文書の作成、校正、要約、翻訳。プログラミング補助。情報検索。カウンセリング、コーチング、学習サポート。専門業務や研究の補助。大規模言語モデルの可能性を概観します。
2 巨大なリスクと課題
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オープンAIらがまとめたレポートによると、大規模言語モデルによってアメリカの労働者の八割が仕事内容の少なくとも10パーセントに影響を受け、労働者の約19パーセントは仕事内容の50パーセント以上に影響を受けると予測している。さらに他の生成モデルなどの技術と組み合わせた場合は、労働者の49パーセントが仕事内容の半分以上に影響を受けると予測している。
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虚偽情報生成(幻覚:ハルシネーション)、フェイク情報の拡散、個人情報や著作権のトラブル、偏見や差別などの拡大、なりすまし、犯罪利用、業務の急激な変化による失業やストレス、そして技術独占の弊害。大規模言語モデルが広く利用されるようになったときに、ほぼ確実に起きるであろう様々な社会問題について解説します。
3 機械はなぜ人のように話せないのか
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人は言語の獲得や運用の仕方を理解できていないため、それを計算機に実現させることは難しいし、また従来の機械学習のアプローチをとる場合も、訓練データを構築することができず、いくつかのタスクでは目標を設定することが困難であった。こうしたことから、計算機で言語を人のように扱えるようにすることは難しかったのである。
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大規模言語モデルとその革新性を理解するための前提知識として、そもそも従来の人工知能研究において機械が自然言語を扱えるようにすることが難しかった理由を解説します。
4 シャノンの情報理論から大規模言語モデル登場前夜まで
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人間が言語をどのように獲得するのかはまだ解明されていないが、予測モデルのフィードバックが大きな役割を果たして可能性がある。そして、予測というタスクを解くことで、様々な能力を獲得することができることもわかってきた。
一方、1300万文字というと十分多い量に思えるが、現在の言語モデルなどが学習する際には、これよりも数百倍から数万倍、場合によっては数百万倍を必要とする。
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言語をモデル化して情報処理の対象とする技術はどのように発展してきたのか。機械学習によって自然言語を生み出すシステムの歴史を概観し、言語モデルが自然言語の「意味や構造を“理解”している」と見なせる理由を解説します。
5 大規模言語モデルの登場
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モデルサイズを大きくすればするほど性能が上がるというのは、衝撃的な事実であった。従来の機械学習の考え方では、問題の複雑さに合わせた最適なモデルサイズが存在し、訓練データを同じような精度で解ける二つのモデルがあれば、小さいモデルの方が汎化性能に優れていることが期待される。こうした事実は、機械学習の教科書の最初の方に書かれている基本的な事柄だ。(中略)モデルサイズを大きくしていく中で、それまでまったく解けなかった問題がある時点から急に解けるようになる現象である。これを創発(Emergence)とよぶ。パラメータ数が数十億程度のときにはまったく解けなかった問題が、パラメータ数が数百億に増えると急に解けたり、数百億で解けなかった問題が数千億で解けるようになる。
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言語モデルの規模を大きくしていくと、学習効率がどんどん上昇し、しかも非連続的な飛躍(創発現象)が生じることが分かってきた。規模を大きくした言語モデルは量的にだけでなく質的に異なるものになる。この衝撃的な発見からはじまった大規模言語モデルの開発競争について解説します。
6 大規模言語モデルはどのように動いているのか
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複数のタスクを学習することで、学習方法自体を学習させることをメタ学習とよぶ。言語モデルと自己注意機構の組み合わせは意図せずメタ学習を実現し、毎回のプロンプトで与えられた指示やこれまで生成した結果を処理していくうちに、モデルを今の問題に急速に適応させることができると考えられる。
こうしたメタ学習によって、通常の汎化を超えた汎化(分布外汎化)を達成できる。まだ見たことがないデータであっても、その場で適応することができるのだ。
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いよいよ大規模言語モデルの構造と機能について分かりやすく解説します。
終章 人は人以外の知能とどのように付き合うのか
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大規模言語モデルが人のように対話できるようになっていることから、その仕組みを研究することで、人が言語をどのように理解し、考えるのかを理解できるかもしれない。私たち自身がどのように世界を認識し、考え、他者と交流しているのかについて、より深く理解できるようになれば、人の世界の認識の仕方や、考え方、私たち同士の関係も、大きく変わっていくことができる。
結局のところ、人は異なる知能をもった存在によって、初めて自分たち自身を理解できるのかもしれない。人工知能が人間の自己理解に貢献していくと考えられる。
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大規模言語モデルは、人間とは異なる知能と見なすことができる。その存在は私たちが私たち自身を理解する上で重要なキーとなるかも知れない。異質な知能とのコンタクトという人類史上はじめての出来事が持つ潜在的なインパクトについて解説します。
タグ:その他(サイエンス)
『屈辱の数学史』(マット・パーカー:著、夏目大:翻訳) [読書(サイエンス)]
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いまの世界は数学を基礎として成り立っている。コンピュータのプログラミングも金融も工学も、一見違っているようで、どれも根本は数学である。だからどの分野でも、些細に見える数学のミスが、驚くような事態を引き起こす。古いものから新しいものまで、数ある数学のミスの中から、私が特に興味深いと思ったものを集めたのがこの本だ。(中略)数学がどれほどの仕事をしているのかは、何か問題が起きたときにだけ明らかになる。その仕事が高度なものであるほど、問題が生じたときの損害は大きい。
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「第0章 はじめに」より
NASAの探査機は吹き飛び、ジャンボ旅客機が不時着し、軍艦は全機能停止する。橋は崩落し、予算は無限の彼方に飛び去り、金融恐慌の引き金がひかれる。それら重大インシデントの背後には、ごく些細に思える数学上のミスがあった。生まれながらに数学が苦手なのに自分たちの理解を超えたシステムを作り上げ、そこにすべてを託している人類文明の姿をユーモアたっぷりに描き出すサイエンス本。単行本(山と渓谷社)出版は2022年4月です。
――――
人間は過ちから学ぶのが得意ではないのかもしれない。とはいえ、過ちから学ぶ以上の方法もなかなか思いつかない。自分たちのミスを企業が外に知らせたくないのはしかたないとは思うし、高い費用をかけて調査した結果をタダでよそに知らせたくないというのもわかる。また、私のエンジニアの友人のミスは、単に美観を少々損ねただけのことなので、言われなければ誰も気付かないだろう。ただ、ミスから得たせっかくの教訓を、共有し合える仕組みがあれば、とは思う。それを知ることで助かる人は多いはずだ。私は執筆にあたって、たくさんの事故の調査報告書に目を通した。それらが公開されていたおかげで本が書けたのである。だが、公開されるのは、通常、誰もが知っているような大惨事に関する報告書だけである。大多数の数学的ミスは、ほとんど誰にも知られることなく隠されたままだ。
――――
「過ちから何を学ぶか」より
目次
第1章 時間を見失う
第2章 工学的なミス
第3章 小さ過ぎるデータ
第4章 幾何学的な問題
第5章 数を数える
第6章 計算できない
第7章 確率にご用心
第8章 お金にまつわるミス
第9章 丸めの問題
第9.49章 あまりにも小さな差
第10章 単位に慣習……どうしてこうも我々の社会はややこしいのか
第11章 統計は、お気に召すまま?
第12章 ランダムさの問題
第13章 計算をしないという対策
第1章 時間を見失う
第2章 工学的なミス
第3章 小さ過ぎるデータ
――――
2007年2月、6機のF-22がハワイから日本に向けて飛行中、あらゆる種類のシステム故障が一度に発生した。ナビゲーション・システムの機能が停止し、燃料システムも、通信システムの一部も故障してしまった。敵の攻撃や破壊工作があったわけではない。問題は、国際日付変更線を越えて飛行したことだった。
――――
コンピュータの計時方式、橋の共振特性、エクセルの計算処理。ほんの些細な数学上のミスがとてつもない大事を引き起こしてしまった様々な事例を紹介します。
第4章 幾何学的な問題
第5章 数を数える
第6章 計算できない
第7章 確率にご用心
――――
1997年9月、アメリカのミサイル巡洋艦ヨークタウンは、全電源喪失という事態に陥った。船のコンピュータ制御システムが0の割り算を試みたためだ。海軍はそのとき「スマート・シップ」プロジェクトのテスト中だった。軍艦にWindowsの動作するコンピュータを搭載して業務の一部を自動化し、乗務員を10パーセント削減しようとした。巡洋艦は何もできずに二時間以上、海を漂流することになったので、乗組員に「暇を出す」ことには成功したと言えるだろう。
――――
しっかり噛み合っているように見えるが動かない歯車、組み合わせの数に関する初歩的な誤解、パックマンのバグ、宝くじにまつわる様々な誤解など、数学への無理解が引き起こす比較的身近なトラブルを紹介します。
第8章 お金にまつわるミス
第9章 丸めの問題
第9.49章 あまりにも小さな差
――――
私は「世界で一番高価な本」を一冊所有している。それは『ハエを作る』という1992年に発売された遺伝学の本で、Amazonでは一時、2369万8655.93ドル(+送料3.99ドル)という値段で売られていた。
私は結局、これの99.9999423パーセント引きという、とんでもない安値で購入できた。(中略)せっかく購入したので苦労して読んだ。すると、本の価格がつり上がった原理と、ハエの遺伝子のアルゴリズムの間にはどうも共通点があるのではないかと感じた。
――――
コンピュータによりオンライン取引を自動化すると、ときにとてつもないミスが生じることがある。これが不合理な暴落や高騰をもたらし、社会に大きな脅威となりかねないのだ。処理アルゴリズムや端数処理などの不注意がどんな事態を引き起こすかをします。
第10章 単位に慣習……どうしてこうも我々の社会はややこしいのか
――――
この本を書くにあたって大勢の人と話をしたが、「数学のミスについての本を書いている」と言うと、「単位を間違えたせいで火星に突っ込んだNASAの火星探査機のことは書くのですか」と幾度も尋ねられた(ロンドンでは、すでに書いた「ウォブリー・ブリッジ(ゆらゆら橋)」を話題にする人が多かった)。単位間違えの話には人を惹きつけるものがあるのだろう。自分でもやりそうな、よくある間違いだからだ。あのNASAも自分もやりそうな簡単なミスをしている――意地悪なようだが、それがうれしいのかもしれない。
――――
数字は正しくとも、それを解釈するのは人間。そのためNASAの探査機は失われ、ジャンボ旅客機は燃料切れで不時着し、橋は真ん中でずれてしまう。ポンド・ヤード法とメートル法、華氏と摂氏など、計量単位の違いにより起きたトラブルを紹介します。
第11章 統計は、お気に召すまま?
第12章 ランダムさの問題
第13章 計算をしないという対策
――――
コンピュータに予定外のことをさせるのは簡単ではない。ランダムに何かをさせるコード、乱数を得るためのコードを書くことは通常、不可能である。それをするためには特別なコンポーネントを付加する必要がある。
たとえば、電動ベルトコンベアで2メートルの高さから200個のサイコロをバケツの中に落とし、そのサイコロを再びベルトコンベアでランダムな順序ですくい上げる、という装置がある。すくい上げられたサイコロは順にカメラで撮影され、その映像がコンピュータに送られる。コンピュータは映像によって、どのサイコロがすくい上げられたのか、そしてどの目が出たのかを知ることができる。1日に133万回も「サイコロを振る」この装置は、重量は約50キログラム、一つの部屋を占領するほど巨大だ。
――――
統計の解釈やランダムさを理解することが人間は苦手だ。様々な統計の誤りからスペースインベーダーのバグまで、統計とランダムネス、そしてプログラミングミスに関わるトラブルを紹介します。
いまの世界は数学を基礎として成り立っている。コンピュータのプログラミングも金融も工学も、一見違っているようで、どれも根本は数学である。だからどの分野でも、些細に見える数学のミスが、驚くような事態を引き起こす。古いものから新しいものまで、数ある数学のミスの中から、私が特に興味深いと思ったものを集めたのがこの本だ。(中略)数学がどれほどの仕事をしているのかは、何か問題が起きたときにだけ明らかになる。その仕事が高度なものであるほど、問題が生じたときの損害は大きい。
――――
「第0章 はじめに」より
NASAの探査機は吹き飛び、ジャンボ旅客機が不時着し、軍艦は全機能停止する。橋は崩落し、予算は無限の彼方に飛び去り、金融恐慌の引き金がひかれる。それら重大インシデントの背後には、ごく些細に思える数学上のミスがあった。生まれながらに数学が苦手なのに自分たちの理解を超えたシステムを作り上げ、そこにすべてを託している人類文明の姿をユーモアたっぷりに描き出すサイエンス本。単行本(山と渓谷社)出版は2022年4月です。
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人間は過ちから学ぶのが得意ではないのかもしれない。とはいえ、過ちから学ぶ以上の方法もなかなか思いつかない。自分たちのミスを企業が外に知らせたくないのはしかたないとは思うし、高い費用をかけて調査した結果をタダでよそに知らせたくないというのもわかる。また、私のエンジニアの友人のミスは、単に美観を少々損ねただけのことなので、言われなければ誰も気付かないだろう。ただ、ミスから得たせっかくの教訓を、共有し合える仕組みがあれば、とは思う。それを知ることで助かる人は多いはずだ。私は執筆にあたって、たくさんの事故の調査報告書に目を通した。それらが公開されていたおかげで本が書けたのである。だが、公開されるのは、通常、誰もが知っているような大惨事に関する報告書だけである。大多数の数学的ミスは、ほとんど誰にも知られることなく隠されたままだ。
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「過ちから何を学ぶか」より
目次
第1章 時間を見失う
第2章 工学的なミス
第3章 小さ過ぎるデータ
第4章 幾何学的な問題
第5章 数を数える
第6章 計算できない
第7章 確率にご用心
第8章 お金にまつわるミス
第9章 丸めの問題
第9.49章 あまりにも小さな差
第10章 単位に慣習……どうしてこうも我々の社会はややこしいのか
第11章 統計は、お気に召すまま?
第12章 ランダムさの問題
第13章 計算をしないという対策
第1章 時間を見失う
第2章 工学的なミス
第3章 小さ過ぎるデータ
――――
2007年2月、6機のF-22がハワイから日本に向けて飛行中、あらゆる種類のシステム故障が一度に発生した。ナビゲーション・システムの機能が停止し、燃料システムも、通信システムの一部も故障してしまった。敵の攻撃や破壊工作があったわけではない。問題は、国際日付変更線を越えて飛行したことだった。
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コンピュータの計時方式、橋の共振特性、エクセルの計算処理。ほんの些細な数学上のミスがとてつもない大事を引き起こしてしまった様々な事例を紹介します。
第4章 幾何学的な問題
第5章 数を数える
第6章 計算できない
第7章 確率にご用心
――――
1997年9月、アメリカのミサイル巡洋艦ヨークタウンは、全電源喪失という事態に陥った。船のコンピュータ制御システムが0の割り算を試みたためだ。海軍はそのとき「スマート・シップ」プロジェクトのテスト中だった。軍艦にWindowsの動作するコンピュータを搭載して業務の一部を自動化し、乗務員を10パーセント削減しようとした。巡洋艦は何もできずに二時間以上、海を漂流することになったので、乗組員に「暇を出す」ことには成功したと言えるだろう。
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しっかり噛み合っているように見えるが動かない歯車、組み合わせの数に関する初歩的な誤解、パックマンのバグ、宝くじにまつわる様々な誤解など、数学への無理解が引き起こす比較的身近なトラブルを紹介します。
第8章 お金にまつわるミス
第9章 丸めの問題
第9.49章 あまりにも小さな差
――――
私は「世界で一番高価な本」を一冊所有している。それは『ハエを作る』という1992年に発売された遺伝学の本で、Amazonでは一時、2369万8655.93ドル(+送料3.99ドル)という値段で売られていた。
私は結局、これの99.9999423パーセント引きという、とんでもない安値で購入できた。(中略)せっかく購入したので苦労して読んだ。すると、本の価格がつり上がった原理と、ハエの遺伝子のアルゴリズムの間にはどうも共通点があるのではないかと感じた。
――――
コンピュータによりオンライン取引を自動化すると、ときにとてつもないミスが生じることがある。これが不合理な暴落や高騰をもたらし、社会に大きな脅威となりかねないのだ。処理アルゴリズムや端数処理などの不注意がどんな事態を引き起こすかをします。
第10章 単位に慣習……どうしてこうも我々の社会はややこしいのか
――――
この本を書くにあたって大勢の人と話をしたが、「数学のミスについての本を書いている」と言うと、「単位を間違えたせいで火星に突っ込んだNASAの火星探査機のことは書くのですか」と幾度も尋ねられた(ロンドンでは、すでに書いた「ウォブリー・ブリッジ(ゆらゆら橋)」を話題にする人が多かった)。単位間違えの話には人を惹きつけるものがあるのだろう。自分でもやりそうな、よくある間違いだからだ。あのNASAも自分もやりそうな簡単なミスをしている――意地悪なようだが、それがうれしいのかもしれない。
――――
数字は正しくとも、それを解釈するのは人間。そのためNASAの探査機は失われ、ジャンボ旅客機は燃料切れで不時着し、橋は真ん中でずれてしまう。ポンド・ヤード法とメートル法、華氏と摂氏など、計量単位の違いにより起きたトラブルを紹介します。
第11章 統計は、お気に召すまま?
第12章 ランダムさの問題
第13章 計算をしないという対策
――――
コンピュータに予定外のことをさせるのは簡単ではない。ランダムに何かをさせるコード、乱数を得るためのコードを書くことは通常、不可能である。それをするためには特別なコンポーネントを付加する必要がある。
たとえば、電動ベルトコンベアで2メートルの高さから200個のサイコロをバケツの中に落とし、そのサイコロを再びベルトコンベアでランダムな順序ですくい上げる、という装置がある。すくい上げられたサイコロは順にカメラで撮影され、その映像がコンピュータに送られる。コンピュータは映像によって、どのサイコロがすくい上げられたのか、そしてどの目が出たのかを知ることができる。1日に133万回も「サイコロを振る」この装置は、重量は約50キログラム、一つの部屋を占領するほど巨大だ。
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統計の解釈やランダムさを理解することが人間は苦手だ。様々な統計の誤りからスペースインベーダーのバグまで、統計とランダムネス、そしてプログラミングミスに関わるトラブルを紹介します。
タグ:その他(サイエンス)
『宇宙の終わりに何が起こるのか 最新理論が予言する「5つの終末シナリオ」』(ケイティ・マック:著、吉田三知世:翻訳) [読書(サイエンス)]
――――
私たちが手にした最善の観測データと矛盾しない宇宙終焉シナリオは、ほんの数種類しかない。現在進行中の観測の結果が出れば、そのうちのどれかが確証され、どれかが排除されるだろう。現時点でありうると考えられているこれらのシナリオを詳しく見ていけば、最先端の科学がどのように展開しているかを垣間見ることができるし、人類を新しい文脈のなかで捉えなおすこともできる。(中略)本書で私は、宇宙について私たちが現時点でもっている不完全な知識をちょっといじるだけで、未来への道は、「収縮して消え失せる宇宙」から「自らをズタズタに引き裂いて散り去る宇宙」、そして、「逃れることのできない死の泡に徐々に呑み込まれて滅びる宇宙」まで、大きく異なってくることをお話しする。
――――
最終的に宇宙はどのようにして終わるのか。熱的死、ビッグクランチ、ビッグリップ、ビッグバウンス、そして真空崩壊。理論的に予想されている宇宙終焉シナリオのバリエーションについて詳しく紹介しつつ、宇宙論の最先端について分かりやすく解説してくれる一冊。単行本(講談社ブルーバックス新書)出版は2022年11月です。
――――
ついに宇宙論的終末論は、一つの学問分野にふさわしい敬意を払われるようになった――とは、私には言い切れない。宇宙の最終的な運命について、その起源に対するのと同じ厳しさと深さで研究した論文は、いまなおかなり稀である。
しかし、時の流れの両端に関する研究は、物理理論の本質を検討するうえで役に立つ(起源と終焉で、役立ち方は違うけれど)。それらの研究は、宇宙の過去、もしくは未来に対して洞察を提供してくれるかもしれないのみならず、実在そのものの根本的な性質を理解する手助けをしてくれるからだ。
――――
目次
第1章 宇宙について大まかに
第2章 ビッグバンから現在まで
第3章 ビッグクランチ 終末シナリオその1―急激な収縮を起こし、つぶれて終わる
第4章 熱的死 終末シナリオその2―膨張の末に、あらゆる活動が停止する
第5章 ビッグリップ 終末シナリオ その3―ファントムエネルギーによって急膨張し、ズタズタに引き裂かれる
第6章 真空崩壊 終末シナリオ その4―「真空の泡」に包まれて完全消滅する突然死
第7章 ビッグバウンス 終末シナリオ その5―「特異点」で跳ね返り、収縮と膨張を何度も繰り返す
第8章 未来の未来
第9章 エピローグ
第1章 宇宙について大まかに
――――
五つのシナリオは、それぞれまったく異なるかたちの終末を見せる。その理由は、それぞれが異なる物理的プロセスに支配されるからだが、どれもある一つの点では一致している。――「終末は必ずくる」という点だ。
たくさんの文献を読んできたが、現在の宇宙論関連の文献で、宇宙は変化することなく永遠に存続すると真剣に示唆するものに出会ったことはない。
――――
まず本書で扱う五つの宇宙終焉シナリオについて概説し、それぞれの特徴を見てゆきます。
第2章 ビッグバンから現在まで
――――
特異点はあったのかもしれない。あったとしたら、その直後には、プランク時代と呼ばれる、それについてはほとんど何もいえない時期が訪れたはずだ。以上。
正直にいって、初期宇宙のタイムライン全体がいまなお、ほとんど既知の知識の外挿による推測の域を出ていない。そして、私は躊躇なく認めるが、その外挿は手放しで信頼すべきではない。
――――
終わりについて考える前に、まず始まりについて考えてみよう。宇宙はどのようにして始まったのか。最新バージョンのビッグバン理論とインフレーション理論を概説します。
第3章 ビッグクランチ 終末シナリオその1―急激な収縮を起こし、つぶれて終わる
――――
活動銀河核では、超大質量ブラックホールから高エネルギー粒子とガンマ線が猛烈な勢いで放射されて、数千光年の長さに及ぶ放射ジェットを形成しているが、そのレベルの強度の放射が宇宙全体に満ちるのだ。
このような環境にある物質が、構成要素である粒子にまで分解されてしまったあとに、どういうことになるのかははっきりしない。収縮する宇宙は、最終段階においては、実験室で実現したり既知の素粒子物理学で記述したりできるレベルを超えた密度と温度に達するだろう。
――――
もしも「宇宙膨張を加速させている力」が予想外に弱く、最終的に重力を振り切ることが出来ないとすると、宇宙は未来のある時点で収縮に転じるだろう。すべての質量とエネルギーが一点に向けて「落ちて」くる。これが「ビッグクランチ」と呼ばれる終焉シナリオだ。
第4章 熱的死 終末シナリオその2―膨張の末に、あらゆる活動が停止する
――――
宇宙定数のかたちをしたダークエネルギーに支配された宇宙の遠い未来は、暗黒、孤立、空虚、そして崩壊の未来である。だが、このゆっくりとした消滅は、究極の結末である「熱的死」の始まりにすぎない。(中略)永遠にわたる真の熱的死である最大エントロピーに達する時間尺度は陽子の崩壊時間に依存するが、陽子のこの属性はまだ確定していない。とはいえ、私たちを含むすべての思考する構造が、記憶の可能性を断たれるまでには、まだ10の1000乗年という十分な長さの時間が残されている。
――――
もしもダークエネルギーが宇宙定数で表されるなら、宇宙はどんどん膨張を続け、やがて他の銀河はすべて観測可能な宇宙の外に離れてゆき、私たちの銀河は孤立する。増大し続けるエントロピーのまえに長い長い時間をかけてあらゆる構造は崩れてゆき、最終的には何もかもが静かに消え失せて、何も変化しなくなる。これが宇宙の「熱的死」シナリオである。
第5章 ビッグリップ 終末シナリオ その3―ファントムエネルギーによって急膨張し、ズタズタに引き裂かれる
――――
ダークエネルギーの正体が何であると判明するかによっては、想像したよりもずっと早く、ダークエネルギーが不可避的に、宇宙を激しく破壊してしまう可能性も生じうる。(中略)逃れられない破壊であるのみならず、実在の構造そのものをズタズタにする破壊であり、宇宙に存在し、思考するすべての生き物は、自分たちの宇宙がわが身の周囲で引き裂かれていくのを、なすすべもなく見守るしかないだろう。
この不気味な可能性は、突拍子もない奇説などではない。じつのところ、私たちが手にしている最善の宇宙論的データが、これを排除できないのみならず、いくつかの観点からすると、これをやや優勢とするのである。
――――
もしも宇宙膨張を加速させているダークエネルギーが定数(いわゆる宇宙定数)ではなくそれ自体が時間と共に増大しているとすると、いずれは加速膨張の力は宇宙に存在するあらゆるものが互いに近づこう集まろうとする力を凌駕し、素粒子レベルからすべてを引き裂いてゆくだろう。宇宙が自らを引き裂いて爆散する終焉シナリオが「ビッグリップ」だ。
第6章 真空崩壊 終末シナリオその4―「真空の泡」に包まれて完全消滅する突然死
――――
ここまでに見てきた他の宇宙終焉シナリオでは、それが起こるのは遠い未来のことなので、人類が滅亡したあとに宇宙に生息しているであろう存在に憂慮してもらうに任せればいいと大いに確信できるという、小さな慰めを少なくとも提供してくれた。だが、真空崩壊は、理屈の上では、たとえ確率は天文学的に低いとしても「いつでも起こる可能性がある」という点で特殊である。それはまた、一種独特の極端さで決定的で、ほとんど不当なほどだ。
――――
私たちの宇宙における真空、つまりヒッグス場は、最もポテンシャルエネルギーが低い安定状態である「真の真空」ではなく、準安定状態に過ぎない「偽の真空」であることが示唆されている。もし宇宙のどこかで一瞬でも「真の真空」が生じたら、周囲のヒッグス場はポテンシャルエネルギーがより低い安定状態へと次々と相転移してゆき、「真の真空」の泡は光のスピードで拡大してゆく。泡の中ではあらゆる物理定数や物理法則が組み換えられ、私たちの知るような物質は存在しえないだろう。抵抗どころか観察することも出来ないまま、膨れ上がる「真の真空」の泡にすべてが飲み込まれて消滅する。この不気味なシナリオは「真空崩壊」と呼ばれている。不気味というのは、それが遠い遠い未来に起きるとは限らず、理論的にはいつ起きても(またはすでに起きていて泡の境界面が光速で私たちに近づいているのだとしても)おかしくないという点にある。
第7章 ビッグバウンス 終末シナリオ その5―「特異点」で跳ね返り、収縮と膨張を何度も繰り返す
――――
「ブレーンワールド」どうしの衝突によって超高温のビッグバンが生じるエキピロティック宇宙は、永遠に続く宇宙的拍手であり、「パンっ!」のたびに激変が繰り返されるのである。「ブレーンワールド」という言葉は、私たちの観測可能な宇宙が、さらに高次元の空間に埋め込まれた三次元ブレーンの中に存在しているとする宇宙モデルを指す。(中略)私たちがほんとうに「ブレーンワールド」に住んでいるのか、そして、より高次元のバルクとやらに他のブレーンたちが存在しているのか、という疑問はまだ解決していない。しかしもう少し広い概念としての「サイクリック宇宙」という考え方は、なかなか魅力的だ。というのも、それは、インフレーション理論と同じぐらい成功する可能性がわずかながらある、ごく少数の合理的な代替理論候補の一つなのだから。
――――
私たちの宇宙が高次元空間のなかに埋め込まれたブレーン(膜)であり、他のブレーンと衝突する度にビッグバンを経験しているというブレーンワールド宇宙モデルが正しければ、宇宙は永遠にバウンスしてはビッグバンを繰り返し続けるということになる。この終焉シナリオが「ビッグバウンス」である。
第8章 未来の未来
第9章 エピローグ
――――
宇宙論と素粒子物理学は現在、ちょっと体裁の悪い状況にある。ある意味ではどちらも、自らの成功の犠牲者だ。どちらの分野でも、きわめて正確で総合的な世界の記述法があり、それに矛盾するものは何も発見されていないという意味で、その記述法はきわめて良好に機能している。問題なのは、それがなぜうまくいくのかに関して、私たちがまったく理解していないことだ。(中略)
物理学者として、自分の研究テーマについては、私はつねにあるレベルの冷静さを保つように努力しているが、時空は、それが何か私たちが話題にできて、座ることができるものだという意味においてのみ実在であって、宇宙が実際にそれでできているという意味では実在ではないと思うと、それはいまにも足元で崩壊するかもしれないという感覚に、やはり襲われてしまうのだ。
――――
現在の宇宙論と素粒子物理学はどちらも基本モデルを確立し、あらゆる観測結果を矛盾なく説明できる段階に到達している。まさにそれが故にダークマターやダークエネルギーを理論に取り込む糸口が見つからないという悩みを抱えながら、宇宙の始源から終焉まですべてを明らかにしようとする科学者たちの挑戦は続く。おそらくは宇宙の終焉まで。
私たちが手にした最善の観測データと矛盾しない宇宙終焉シナリオは、ほんの数種類しかない。現在進行中の観測の結果が出れば、そのうちのどれかが確証され、どれかが排除されるだろう。現時点でありうると考えられているこれらのシナリオを詳しく見ていけば、最先端の科学がどのように展開しているかを垣間見ることができるし、人類を新しい文脈のなかで捉えなおすこともできる。(中略)本書で私は、宇宙について私たちが現時点でもっている不完全な知識をちょっといじるだけで、未来への道は、「収縮して消え失せる宇宙」から「自らをズタズタに引き裂いて散り去る宇宙」、そして、「逃れることのできない死の泡に徐々に呑み込まれて滅びる宇宙」まで、大きく異なってくることをお話しする。
――――
最終的に宇宙はどのようにして終わるのか。熱的死、ビッグクランチ、ビッグリップ、ビッグバウンス、そして真空崩壊。理論的に予想されている宇宙終焉シナリオのバリエーションについて詳しく紹介しつつ、宇宙論の最先端について分かりやすく解説してくれる一冊。単行本(講談社ブルーバックス新書)出版は2022年11月です。
――――
ついに宇宙論的終末論は、一つの学問分野にふさわしい敬意を払われるようになった――とは、私には言い切れない。宇宙の最終的な運命について、その起源に対するのと同じ厳しさと深さで研究した論文は、いまなおかなり稀である。
しかし、時の流れの両端に関する研究は、物理理論の本質を検討するうえで役に立つ(起源と終焉で、役立ち方は違うけれど)。それらの研究は、宇宙の過去、もしくは未来に対して洞察を提供してくれるかもしれないのみならず、実在そのものの根本的な性質を理解する手助けをしてくれるからだ。
――――
目次
第1章 宇宙について大まかに
第2章 ビッグバンから現在まで
第3章 ビッグクランチ 終末シナリオその1―急激な収縮を起こし、つぶれて終わる
第4章 熱的死 終末シナリオその2―膨張の末に、あらゆる活動が停止する
第5章 ビッグリップ 終末シナリオ その3―ファントムエネルギーによって急膨張し、ズタズタに引き裂かれる
第6章 真空崩壊 終末シナリオ その4―「真空の泡」に包まれて完全消滅する突然死
第7章 ビッグバウンス 終末シナリオ その5―「特異点」で跳ね返り、収縮と膨張を何度も繰り返す
第8章 未来の未来
第9章 エピローグ
第1章 宇宙について大まかに
――――
五つのシナリオは、それぞれまったく異なるかたちの終末を見せる。その理由は、それぞれが異なる物理的プロセスに支配されるからだが、どれもある一つの点では一致している。――「終末は必ずくる」という点だ。
たくさんの文献を読んできたが、現在の宇宙論関連の文献で、宇宙は変化することなく永遠に存続すると真剣に示唆するものに出会ったことはない。
――――
まず本書で扱う五つの宇宙終焉シナリオについて概説し、それぞれの特徴を見てゆきます。
第2章 ビッグバンから現在まで
――――
特異点はあったのかもしれない。あったとしたら、その直後には、プランク時代と呼ばれる、それについてはほとんど何もいえない時期が訪れたはずだ。以上。
正直にいって、初期宇宙のタイムライン全体がいまなお、ほとんど既知の知識の外挿による推測の域を出ていない。そして、私は躊躇なく認めるが、その外挿は手放しで信頼すべきではない。
――――
終わりについて考える前に、まず始まりについて考えてみよう。宇宙はどのようにして始まったのか。最新バージョンのビッグバン理論とインフレーション理論を概説します。
第3章 ビッグクランチ 終末シナリオその1―急激な収縮を起こし、つぶれて終わる
――――
活動銀河核では、超大質量ブラックホールから高エネルギー粒子とガンマ線が猛烈な勢いで放射されて、数千光年の長さに及ぶ放射ジェットを形成しているが、そのレベルの強度の放射が宇宙全体に満ちるのだ。
このような環境にある物質が、構成要素である粒子にまで分解されてしまったあとに、どういうことになるのかははっきりしない。収縮する宇宙は、最終段階においては、実験室で実現したり既知の素粒子物理学で記述したりできるレベルを超えた密度と温度に達するだろう。
――――
もしも「宇宙膨張を加速させている力」が予想外に弱く、最終的に重力を振り切ることが出来ないとすると、宇宙は未来のある時点で収縮に転じるだろう。すべての質量とエネルギーが一点に向けて「落ちて」くる。これが「ビッグクランチ」と呼ばれる終焉シナリオだ。
第4章 熱的死 終末シナリオその2―膨張の末に、あらゆる活動が停止する
――――
宇宙定数のかたちをしたダークエネルギーに支配された宇宙の遠い未来は、暗黒、孤立、空虚、そして崩壊の未来である。だが、このゆっくりとした消滅は、究極の結末である「熱的死」の始まりにすぎない。(中略)永遠にわたる真の熱的死である最大エントロピーに達する時間尺度は陽子の崩壊時間に依存するが、陽子のこの属性はまだ確定していない。とはいえ、私たちを含むすべての思考する構造が、記憶の可能性を断たれるまでには、まだ10の1000乗年という十分な長さの時間が残されている。
――――
もしもダークエネルギーが宇宙定数で表されるなら、宇宙はどんどん膨張を続け、やがて他の銀河はすべて観測可能な宇宙の外に離れてゆき、私たちの銀河は孤立する。増大し続けるエントロピーのまえに長い長い時間をかけてあらゆる構造は崩れてゆき、最終的には何もかもが静かに消え失せて、何も変化しなくなる。これが宇宙の「熱的死」シナリオである。
第5章 ビッグリップ 終末シナリオ その3―ファントムエネルギーによって急膨張し、ズタズタに引き裂かれる
――――
ダークエネルギーの正体が何であると判明するかによっては、想像したよりもずっと早く、ダークエネルギーが不可避的に、宇宙を激しく破壊してしまう可能性も生じうる。(中略)逃れられない破壊であるのみならず、実在の構造そのものをズタズタにする破壊であり、宇宙に存在し、思考するすべての生き物は、自分たちの宇宙がわが身の周囲で引き裂かれていくのを、なすすべもなく見守るしかないだろう。
この不気味な可能性は、突拍子もない奇説などではない。じつのところ、私たちが手にしている最善の宇宙論的データが、これを排除できないのみならず、いくつかの観点からすると、これをやや優勢とするのである。
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もしも宇宙膨張を加速させているダークエネルギーが定数(いわゆる宇宙定数)ではなくそれ自体が時間と共に増大しているとすると、いずれは加速膨張の力は宇宙に存在するあらゆるものが互いに近づこう集まろうとする力を凌駕し、素粒子レベルからすべてを引き裂いてゆくだろう。宇宙が自らを引き裂いて爆散する終焉シナリオが「ビッグリップ」だ。
第6章 真空崩壊 終末シナリオその4―「真空の泡」に包まれて完全消滅する突然死
――――
ここまでに見てきた他の宇宙終焉シナリオでは、それが起こるのは遠い未来のことなので、人類が滅亡したあとに宇宙に生息しているであろう存在に憂慮してもらうに任せればいいと大いに確信できるという、小さな慰めを少なくとも提供してくれた。だが、真空崩壊は、理屈の上では、たとえ確率は天文学的に低いとしても「いつでも起こる可能性がある」という点で特殊である。それはまた、一種独特の極端さで決定的で、ほとんど不当なほどだ。
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私たちの宇宙における真空、つまりヒッグス場は、最もポテンシャルエネルギーが低い安定状態である「真の真空」ではなく、準安定状態に過ぎない「偽の真空」であることが示唆されている。もし宇宙のどこかで一瞬でも「真の真空」が生じたら、周囲のヒッグス場はポテンシャルエネルギーがより低い安定状態へと次々と相転移してゆき、「真の真空」の泡は光のスピードで拡大してゆく。泡の中ではあらゆる物理定数や物理法則が組み換えられ、私たちの知るような物質は存在しえないだろう。抵抗どころか観察することも出来ないまま、膨れ上がる「真の真空」の泡にすべてが飲み込まれて消滅する。この不気味なシナリオは「真空崩壊」と呼ばれている。不気味というのは、それが遠い遠い未来に起きるとは限らず、理論的にはいつ起きても(またはすでに起きていて泡の境界面が光速で私たちに近づいているのだとしても)おかしくないという点にある。
第7章 ビッグバウンス 終末シナリオ その5―「特異点」で跳ね返り、収縮と膨張を何度も繰り返す
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「ブレーンワールド」どうしの衝突によって超高温のビッグバンが生じるエキピロティック宇宙は、永遠に続く宇宙的拍手であり、「パンっ!」のたびに激変が繰り返されるのである。「ブレーンワールド」という言葉は、私たちの観測可能な宇宙が、さらに高次元の空間に埋め込まれた三次元ブレーンの中に存在しているとする宇宙モデルを指す。(中略)私たちがほんとうに「ブレーンワールド」に住んでいるのか、そして、より高次元のバルクとやらに他のブレーンたちが存在しているのか、という疑問はまだ解決していない。しかしもう少し広い概念としての「サイクリック宇宙」という考え方は、なかなか魅力的だ。というのも、それは、インフレーション理論と同じぐらい成功する可能性がわずかながらある、ごく少数の合理的な代替理論候補の一つなのだから。
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私たちの宇宙が高次元空間のなかに埋め込まれたブレーン(膜)であり、他のブレーンと衝突する度にビッグバンを経験しているというブレーンワールド宇宙モデルが正しければ、宇宙は永遠にバウンスしてはビッグバンを繰り返し続けるということになる。この終焉シナリオが「ビッグバウンス」である。
第8章 未来の未来
第9章 エピローグ
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宇宙論と素粒子物理学は現在、ちょっと体裁の悪い状況にある。ある意味ではどちらも、自らの成功の犠牲者だ。どちらの分野でも、きわめて正確で総合的な世界の記述法があり、それに矛盾するものは何も発見されていないという意味で、その記述法はきわめて良好に機能している。問題なのは、それがなぜうまくいくのかに関して、私たちがまったく理解していないことだ。(中略)
物理学者として、自分の研究テーマについては、私はつねにあるレベルの冷静さを保つように努力しているが、時空は、それが何か私たちが話題にできて、座ることができるものだという意味においてのみ実在であって、宇宙が実際にそれでできているという意味では実在ではないと思うと、それはいまにも足元で崩壊するかもしれないという感覚に、やはり襲われてしまうのだ。
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現在の宇宙論と素粒子物理学はどちらも基本モデルを確立し、あらゆる観測結果を矛盾なく説明できる段階に到達している。まさにそれが故にダークマターやダークエネルギーを理論に取り込む糸口が見つからないという悩みを抱えながら、宇宙の始源から終焉まですべてを明らかにしようとする科学者たちの挑戦は続く。おそらくは宇宙の終焉まで。
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『環境DNA入門 ただよう遺伝子は何を語るか』(源利文) [読書(サイエンス)]
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環境DNA分析でさまざまな生物の生息情報が得られるということが明らかになると、誰もが一度はこんなことを考えるのではないだろうか。ネス湖でネッシーの環境DNAを拾えないだろうか、と。そしておそらく多くの関係者はみんな、そう考えた後で「面白そうだけど、ネッシーがいるわけないよな」と思ったに違いない。筆者自身もそうであった。しかし、こんなプロジェクトを実現してしまった研究チームがある。ニュージーランドのオタゴ大学の研究者を中心に、イギリス、フランス、デンマークの大学などが参加して、ネス湖の環境DNAプロジェクトが行われたのである。
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特定の湖に棲息している生物種のリストを作ったり、葉っぱの噛み跡から犯人を特定したりする。川や海の水をすくって分析するだけで、そこにどんな生物がどれくらいいるのかを明らかにすることが出来る。希少種の存在、水産資源の分布、さらには大気中を漂うウイルスの有無まで調べられる驚くべき環境DNA分析。その黎明期から今日の多彩な発展まで専門家が平易に紹介してくれる一冊。単行本(岩波書店)出版は2022年11月です。
目次
1.DNAはただよう
2.「環境DNA」の発見
3.いるかいないか、どれだけいるか
4.川ごと、国ごと、時空も超えて
5.ただようDNA、未来へ
1.DNAはただよう
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感染対策として換気が重要であるとされるが、それはつまり、空気中にコナロウイルスの遺伝子(この場合はRNA)が存在しているということである。もちろん、ウイルス以外にも、花粉症の原因になるスギ花粉にはスギのDNAが含まれているし、黄砂に乗ってさまざまな微生物が運ばれていることも近年よく知られている。つまり、水の中、土の中、空気の中などあらゆる環境に、DNAが大量にただよっているということであり、世界はDNAで満ちているといってよい。
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世界はDNAで満ちている。このように環境に漂っているDNAをキャッチし、分析することで、周辺に生息する生物の情報を得る環境DNA分析について解説します。
2.「環境DNA」の発見
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懸念していた海外勢との競合は現実のものであった。我々の論文の出版のわずか1ヶ月後、12月13日にヨーロッパのチームから、次世代シーケンス技術を利用した環境DNAメタバーコーディングの成功を報告する論文が出版されたのである。この論文の記録を確認すると、投稿されたのが8月19日、受理されたのが11月17日と、我々の論文と比べるとほぼ1ヶ月遅れで投稿プロセスが進行していた。内容的には我々の論文の内容を上回っており、これに先を越されていたら、我々の論文のインパクトはほぼ失われていたことだろう。それまでの研究者人生の中では、これほどに熾烈な競争を経験したことはなかったが、環境DNA分析という新しい分野の中では、このあと何度も海外勢と競争することになった。
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環境DNA分析の黎明期における研究者間の熾烈な競争を、生き生きと紹介します。
3.いるかいないか、どれだけいるか
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環境DNAの分析によって、舞鶴湾程度のスケールであれば、魚の個体数を推定できることが示されたのである。これは、本書執筆時点では、環境DNA分析によって世界で最も大きな規模の個体数推定に成功したケースだ。ただ、この成果を挙げるためにかけた努力量を考えると、必ずしも「簡単に個体数推定ができる」という段階には達していない。つまり、この舞鶴湾の結果が示していることは、相当の努力をすれば「どれだけいるか」を知ることはできるが、これを簡略化するための工夫が必要だということである。
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特定の種がその環境にいるのかいないのか判定するだけでなく、さらにいる場合には「どれだけいるのか」を明らかにする研究の経緯について詳しく解説します。
4.川ごと、国ごと、時空も超えて
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次世代シーケンスとは、数百万から数千万本の遺伝子配列をまとめて読み取る技術であり、近年もっとも普及しているイルミナ社のMiSeqという機器の場合、一晩で1500万本の遺伝子配列を読み取ることができる。これにより、「河川の水から、魚の環境DNAをPCRによってまとめて増幅し、その遺伝子配列を片っ端から読み取る」などということができるようになったのである。この技術を使うことで、環境DNA分析の幅が大きく広がることとなり、「そこにいるもの全部」をまとめて調べることが可能になった。
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技術の飛躍的進歩により驚くべき発展をとげた環境DNA分析。外来種や希少種を含め琵琶湖にいるすべての魚とその分布を調べた研究をはじめとして、現在の環境DNA分析が成し遂げた成果を解説します。
5.ただようDNA、未来へ
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これまで、分子生物学などのミクロ生物学分野と、生態学などのマクロ生物学分野はあまり交わることがなかったが、ここまで述べてきたような技術はいずれも、ミクロ生物学の分野で開発されたものである。このような両分野の手法的な融合は、これらの間のギャップを埋め、本当の意味での総合的な生物学への発展につながることが期待される。
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驚異的な発展を続ける環境DNA分析、その将来の展望について語ります。
環境DNA分析でさまざまな生物の生息情報が得られるということが明らかになると、誰もが一度はこんなことを考えるのではないだろうか。ネス湖でネッシーの環境DNAを拾えないだろうか、と。そしておそらく多くの関係者はみんな、そう考えた後で「面白そうだけど、ネッシーがいるわけないよな」と思ったに違いない。筆者自身もそうであった。しかし、こんなプロジェクトを実現してしまった研究チームがある。ニュージーランドのオタゴ大学の研究者を中心に、イギリス、フランス、デンマークの大学などが参加して、ネス湖の環境DNAプロジェクトが行われたのである。
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特定の湖に棲息している生物種のリストを作ったり、葉っぱの噛み跡から犯人を特定したりする。川や海の水をすくって分析するだけで、そこにどんな生物がどれくらいいるのかを明らかにすることが出来る。希少種の存在、水産資源の分布、さらには大気中を漂うウイルスの有無まで調べられる驚くべき環境DNA分析。その黎明期から今日の多彩な発展まで専門家が平易に紹介してくれる一冊。単行本(岩波書店)出版は2022年11月です。
目次
1.DNAはただよう
2.「環境DNA」の発見
3.いるかいないか、どれだけいるか
4.川ごと、国ごと、時空も超えて
5.ただようDNA、未来へ
1.DNAはただよう
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感染対策として換気が重要であるとされるが、それはつまり、空気中にコナロウイルスの遺伝子(この場合はRNA)が存在しているということである。もちろん、ウイルス以外にも、花粉症の原因になるスギ花粉にはスギのDNAが含まれているし、黄砂に乗ってさまざまな微生物が運ばれていることも近年よく知られている。つまり、水の中、土の中、空気の中などあらゆる環境に、DNAが大量にただよっているということであり、世界はDNAで満ちているといってよい。
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世界はDNAで満ちている。このように環境に漂っているDNAをキャッチし、分析することで、周辺に生息する生物の情報を得る環境DNA分析について解説します。
2.「環境DNA」の発見
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懸念していた海外勢との競合は現実のものであった。我々の論文の出版のわずか1ヶ月後、12月13日にヨーロッパのチームから、次世代シーケンス技術を利用した環境DNAメタバーコーディングの成功を報告する論文が出版されたのである。この論文の記録を確認すると、投稿されたのが8月19日、受理されたのが11月17日と、我々の論文と比べるとほぼ1ヶ月遅れで投稿プロセスが進行していた。内容的には我々の論文の内容を上回っており、これに先を越されていたら、我々の論文のインパクトはほぼ失われていたことだろう。それまでの研究者人生の中では、これほどに熾烈な競争を経験したことはなかったが、環境DNA分析という新しい分野の中では、このあと何度も海外勢と競争することになった。
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環境DNA分析の黎明期における研究者間の熾烈な競争を、生き生きと紹介します。
3.いるかいないか、どれだけいるか
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環境DNAの分析によって、舞鶴湾程度のスケールであれば、魚の個体数を推定できることが示されたのである。これは、本書執筆時点では、環境DNA分析によって世界で最も大きな規模の個体数推定に成功したケースだ。ただ、この成果を挙げるためにかけた努力量を考えると、必ずしも「簡単に個体数推定ができる」という段階には達していない。つまり、この舞鶴湾の結果が示していることは、相当の努力をすれば「どれだけいるか」を知ることはできるが、これを簡略化するための工夫が必要だということである。
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特定の種がその環境にいるのかいないのか判定するだけでなく、さらにいる場合には「どれだけいるのか」を明らかにする研究の経緯について詳しく解説します。
4.川ごと、国ごと、時空も超えて
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次世代シーケンスとは、数百万から数千万本の遺伝子配列をまとめて読み取る技術であり、近年もっとも普及しているイルミナ社のMiSeqという機器の場合、一晩で1500万本の遺伝子配列を読み取ることができる。これにより、「河川の水から、魚の環境DNAをPCRによってまとめて増幅し、その遺伝子配列を片っ端から読み取る」などということができるようになったのである。この技術を使うことで、環境DNA分析の幅が大きく広がることとなり、「そこにいるもの全部」をまとめて調べることが可能になった。
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技術の飛躍的進歩により驚くべき発展をとげた環境DNA分析。外来種や希少種を含め琵琶湖にいるすべての魚とその分布を調べた研究をはじめとして、現在の環境DNA分析が成し遂げた成果を解説します。
5.ただようDNA、未来へ
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これまで、分子生物学などのミクロ生物学分野と、生態学などのマクロ生物学分野はあまり交わることがなかったが、ここまで述べてきたような技術はいずれも、ミクロ生物学の分野で開発されたものである。このような両分野の手法的な融合は、これらの間のギャップを埋め、本当の意味での総合的な生物学への発展につながることが期待される。
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驚異的な発展を続ける環境DNA分析、その将来の展望について語ります。
タグ:その他(サイエンス)