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『宇宙になぜ、生命があるのか 宇宙論で読み解く「生命」の起源と存在』(戸谷友則) [読書(サイエンス)]

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「半径138億光年という広大な宇宙を考えても、ランダムな化学反応から生命が偶然にできあがる確率はきわめて低い」という従来の問題は、さらに圧倒的に広大なインフレーション宇宙全体を考えれば、実は解決できることがわかった。これは自然科学の枠組みの中で、原始生命が物理法則にもとづいて誕生する道筋が、少なくとも1つは存在することを意味している。生命の起源は科学の範疇で理解可能であり、一見、確率が非常に低いからといって、神や超自然的なものを持ち出す必要はないということだ。筆者が2020年に出した論文に何かしらの意義があるとすれば、この点が最も重要なことだと個人的には考えている。
 しかし当時、多くのメディアや社会の反応は別のところに集中した。「宇宙の中で生命とはそんなにレアな存在なのか!」というものだったのである。実際、私の説が正しければ、我々が見渡す「観測可能な宇宙」の中の10の22乗個の恒星をくまなく探しても、生命はおそらく我々のみであろう。
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「第7章 宇宙はどこまで広がっているか、そこに生命はいるか」より


 一度誕生しさえすれば、時間をかけることで生命は複雑なものに進化できる。しかし進化のプロセスが適用できない最初の生命誕生はどのようにして起きたのか。そのシナリオは大筋で分かってきたが、それが起きる確率は途方もなく低いこともまた明らかになってきた。私たち生命がここにいるという事実と、このあり得ないほど低い確率をどのように整合させればよいのか。そこでインフレーション宇宙論が重大な意味を持つことになる。物理学と生物学にまたがる難問にインフレーション宇宙論と人間原理から挑む刺激的なサイエンス本。単行本(講談社)出版は2023年7月です。




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 生命の起源というテーマで研究したり、本を書いたりというのは結構勇気のいることなのである。何せ、わかっていることがほとんどない。意外に思われるかもしれないが、ビッグバンによる宇宙の始まりのほうが、生命の始まりよりもはるかに詳しくわかっていると断言できる。生命の起源のほうは難問中の難問で、自然科学がこれだけ発達した現代でも、まったくの謎のまま取り残されているといっても過言ではない。さらには、生命科学はもちろん、化学、物理学、地球科学、天文学といったさまざまな分野に関係してくるので、一人の研究者が自信を持ってすべてをカバーできるはずもなく、おいそれと手を出しにくいのである。
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「序章 生命の起源ー物理と生物の狭間で」より




目次

序章 生命の起源ー物理と生物の狭間で
第1章 生命とは何か
第2章 化学反応システムとしての生命
第3章 多様な地球生命とその進化史
第4章 宇宙における太陽と地球の誕生
第5章 原始生命誕生のシナリオーどこで、どうやって?
第6章 宇宙に生命は生まれるのかー原始生命誕生の確率?
第7章 宇宙はどこまで広がっているか、そこに生命はいるか
第8章 地球外生命は見つかるか?
終章 生命の神秘さはどこからくるのか




序章 生命の起源ー物理と生物の狭間で
第1章 生命とは何か
第2章 化学反応システムとしての生命
第3章 多様な地球生命とその進化史
第4章 宇宙における太陽と地球の誕生
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 表面に液体の水を持つ岩石惑星の存在は宇宙にありふれている、ということは間違いなさそうである。つまり、原始生命発生の舞台となり得る惑星は宇宙に膨大な数で存在している。それでは、生命もまた宇宙に満ち溢れ、ありふれた存在……かどうかは、まだわからない。生命が存在できる環境が整っても、そこで生命が非生物的に発生する確率や頻度は、まったく別の問題だからだ。そしてそれこそが本書の主題であると同時に、ビッグバンから惑星誕生までをここまで克明に描き出せている現代科学をもってしても、ほとんど歯が立たないほどの難問なのである。
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 まず生命の定義から始まって、RNAやタンパク質など生命の基本要素、地球という惑星が誕生してから生命が存在し得る環境になるまでの歴史、といった基礎知識を確認します。その上で、原始生命(遺伝情報を保持して自己複製する高分子)の起源という問題がなぜ難しいのかをはっきりさせます。




第5章 原始生命誕生のシナリオーどこで、どうやって?
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 最初に現れた遺伝情報が本当にRNAの形だったのかどうかには異説もある。DNA、タンパク質に先んじてRNAの時代があったことについては多くの研究者が支持しているが、さらにその前段階で別の分子がまず遺伝情報を獲得し、それが進化の過程でRNAに置き換わったという可能性も議論されている。が、本質的な筋書きが上記のものから大きく変わることはなさそうである。
 では、このシナリオにもとづけば、生命をゼロから作ることは容易にできるのか? そのようなことが宇宙にどれだけ起こっていると期待できるのか?
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 物理法則に基づく非生命的なプロセスによって原始生命が誕生するシナリオは考えられるのか。生命起源に関する最も有力なシナリオとしてのRNAワールド仮説を解説します。




第6章 宇宙に生命は生まれるのかー原始生命誕生の確率?
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 とにかく、ランダムな化学反応が積み重なって、偶然に生命ができあがる確率はきわめて低く、ちょっと計算すれば、「観測可能な138億光年の宇宙の中にすら、生命は1つも誕生しえない」という結論が出る。しかし、我々はこうしてここにいる。原始地球のどこか、あるいはパンスペルミア説を採るにしても宇宙のどこかで、我々につながる生命が無生物の状態から発生したはずである。これをどう考えればよいのか。
 一つの立場は、原始生命の発生は自然科学の範疇を超えたナニモノかであると考えることだ。(中略)
 もちろん、自然科学者の間ではそのような考えは極少数派だ。原始生命の誕生は、あくまで、自然科学の立場で説明できると信じている人がほとんどである。しかし、ランダムな化学反応では生命はできそうにないことも事実である。そこで、「なにか未知の、効率よく長鎖のRNAを作り出すメカニズムや反応経路があるのだろう」と考えることになる。ただ、すでに述べたように、そのようなものは今のところ知られておらず、「生命が存在するのだから、そういうものが必ずあるはずだ」という考えに立って研究を行っているにすぎないのが現状だ。
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 生命起源のシナリオはあるものの、それが実際に起きる確率を計算すると途方もなく低いことが分かる。原始生命を少しずつ組み立ててゆくようなプロセスがあればよいが、そういうものはどうしても見つからない。では生命が存在するという事実をどのように解釈すればよいのか。生命起源を考える際の最大の難問を具体化します。




第7章 宇宙はどこまで広がっているか、そこに生命はいるか
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 138億光年というのは、我々が直接目視できるかどうかというだけの話であり、その先にも、同じような宇宙がはるか遠方にまで広がっているはずである。考えてみてほしい。ある人が、地球における原始生命の発生確率を計算しようとしている。もしその人が、わざわざ、自分を中心とする半径5キロメートルの地平線内での生命発生確率を計算したら、あなたはどう思うだろうか? そう、ナンセンスである。地平線内の面積は、地球の全表面積の650万分の1にすぎない。むろん、ある人から直接目視できるかどうかなど、原始生命の発生プロセスとは何の関係もない。
「観測可能な宇宙」にかぎって生命の発生を考えることは、これと本質的にまったく同じことで、ナンセンスなのである。
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 生命発生の確率が極めて低いのは、それが起こりうる範囲を「観測可能な宇宙」に閉じているからではないか。もし「途方もなく広大なインフレーション宇宙全体のどこでそれが起きてもよい。一度だけでも起きればよい。それが私たちである」と考えるなら、生命発生の確率は納得できるほど高くなる。




第8章 地球外生命は見つかるか?
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 さまざまな解答が提案されているが、ここまで本書を読まれてきた読者なら、筆者の立場はおわかりだろう。知的生命体以前に、そもそも原始的な生命すら誕生する確率はきわめて低く、銀河系どころか観測可能な宇宙の中で生命は地球だけ、という可能性が十分にある。そう思えば、宇宙人が地球にやってこなくても何ら不思議なことではない。
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 インフレーション宇宙を前提に生命発生を考えるなら、「観測可能な宇宙」に存在する生命はおそらく私たちだけである。したがって、私たちは永遠に地球外生命と遭遇することはないだろう。フェルミのパラドックスに対する著者の回答が示されます。





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『水上バス浅草行き』(岡本真帆) [読書(小説・詩)]

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君の夢だと分かったら好き勝手やるシンバルも投げるし笑う
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ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし
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くるみボタン、ぜんぶ胡桃になってたの だからこんなにリスがすごいの
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つまんでもつまんでも犬めくるめく抜け毛の季節こえてゆけ、犬
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「シンバルも投げるし」「傘もこんなにたくさんあるし」「リスがすごいの」
 はっとする新鮮なフレーズ、ポケモンやストリートビューなど身の回りにある現代的な題材から見つけてくる驚き。親しい友だちとのおしゃべりのような共感を覚える歌集。単行本(ナナロク社)出版は2022年3月です。


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天井の木目のねこの名前すら思い出せないくらいに大人
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沈黙の石焼き芋をゆっくりと割れば世界にあふれる光
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ポケモンと暮らしたかったコインパーキングの中にいるコイキング
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言い切れる強さがほしい「レターパックで現金送れ」はすべて詐欺です。
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ストリートビューで降り立つ真夏日の角を曲がればふいに積雪
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店長の気まぐれケーキの気まぐれの法則性に気づいてしまう
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人間はいつも勝手だ 愛犬をドクはふざけた車に乗せて
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星座にも干支にもならず土曜日のわたしの膝におさまった猫
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『月の砂漠』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

 2023年9月9日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんのアップデイトダンス公演を鑑賞しました。二人が踊る一時間ほどの新作です。

 先月は東京芸術劇場プレイハウスで見たばかりですが、やはりひさびさのKARAS APPARATUSでの公演は高揚します。10周年記念公演ということもあってか、今作は比較的エンタメ性が高いというか、盛り上がるシーンが多く、感動的でした。

 照明効果だけで神話的異界を創り出す演出はいつもながら冴えていて、そこでお二人ががんがん踊ってくれるわけです。個人的には、佐東利穂子さんの、空間を切り裂くような鋭い動きから水中をゆらめくような幻想的な動きまで、腕の動きの様々なバリエーションを一気に見ることが出来たのが嬉しかった。





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『亜宗教 オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで』(中村圭志) [読書(オカルト)]

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 ニューエイジであれ、カスタネダであれ、それらは呪術(超常体験を引き起こす技とされるもの)に対する期待感というか、親和性のようなものが非常に強いことを特徴としている。「意識の変革」「意識の進化」という大義のためには、何であれ常識から離脱することが求められており、呪術ないしオカルトはこれにうってつけのテーマだった。あるいは単にオカルトがやりたくて、意識の変革を言い訳にしたものか。(中略)
 大事な点は、こうしたカルトに見られる曖昧なオカルト意識は、80年代~90年代初頭において一般社会も共有していたということだ。(中略)嘘ともホントともつかぬところを楽しむカスタネダ的著作やカスタネダ的読解を称揚する80年代の人文系の精神には、こうした落とし穴が待っていたのだ。
 やはり、物理的事実の話なのか、文化的解釈の話なのかといったような、この上なく野暮な追求は、いつの場合も欠かさないようにしたほうがいいのである。これがニューエイジ・ブームの最大の教訓だ。
 これはカルト問題を超えて、宗教一般にも、トランプ劇場のような政治的レトリックにも通ずる問題である。
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『第7章 ニューエイジ、カスタネダ、オウム真理教事件』より


 降霊術、妖精写真、動物磁気、骨相学、催眠術、千里眼、ファンダメンタリズム、UFO、エイリアンアブダクション、ニューエイジ思想、カスタネダ、オウム真理教、超能力、抑圧された記憶、シンクロニシティ、ポストモダン言説、臨死体験、レプティリアン陰謀論、Qアノン、新無神論。宗教研究者が、宗教に似ているが伝統宗教そのものではない思想潮流や流行言説を「亜宗教」としてまとめ、時代背景との関係を俯瞰してゆく近代オカルト史研究本。単行本(集英社インターナショナル)出版は2023年4月です。


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 人間はいつでも個人的に思索をおこなっているが、たいていそうした考えは夢想的なもので、それがしかるべきチェックを受けることなく社会に出てくれば、疑似科学やオカルトになる。そのうちのいくつかはブームを呼び、「新時代がはじまった」と喧伝されるが、やがてマンネリ化し、勢力を失っていく。
 亜宗教が人間の知恵の発展に積極的に寄与することは概ねないと言えるだろうが、しかし、人類思想史の裏側を教えてくれるという意味で、貴重な情報アーカイブとなっているのである。
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『序章 宗教と科学の混ざりもの』より




目次

序章 宗教と科学の混ざりもの

第1部 西洋と日本の心霊ブーム 19→20世紀
 第1章 19~20世紀初頭の心霊主義
 第2章 コックリさんと井上円了の『妖怪学講義』
 第3章 動物磁気、骨相学、催眠術──19世紀の(疑似)科学
 第4章 明治末の千里眼ブームと新宗教の動向
 補章 伝統宗教のマジカル思考

第2部 アメリカ発の覚醒ブーム 20→21世紀
 第5章 ファンダメンタリストとモンキー裁判
 第6章 UFOの時代──空飛ぶ円盤から異星人による誘拐まで
 第7章 ニューエイジ、カスタネダ、オウム真理教事件
 第8章 科学か疑似科学か?──ESP、共時性から臨死体験まで
 終章 陰謀論か無神論か? 宗教と亜宗教のゆくえ




第1部 西洋と日本の心霊ブーム 19→20世紀
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 宗教が退潮に向かう19世紀において、科学の周縁にありつつ民衆的願望に沿う形で再組織された亜宗教・疑似科学的営為という形で、さまざまなものが芋づる式に存在していたのである。そこには主流派の「宗教」に対しても「科学」に対しても批判的な目を向けるという側面もあった。
 この構図には時代を超えた普遍性があるので、20世紀後半に、ニューサイエンスやポストモダン言説、さらに各種の疑似科学の百花繚乱という形で反復されることになる。
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 19世紀から20世紀にかけての亜宗教として心霊主義や千里眼、新宗教などを取り上げ、そこに含まれている、現代にも通じる構造を読み解いてゆきます。




第2部 アメリカ発の覚醒ブーム 20→21世紀
第5章 ファンダメンタリストとモンキー裁判
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 都会や大学の知識人たちは、裁判の動向に興味津々ではあったが、時代遅れのファンダメンタリズムなど、やがて淘汰され消えていくものだと考えていた。
 しかし、すでに述べたように、根っこには南北戦争以来の怨恨があり、また、大学出のエリートが民衆に理解できない議論をすることへの、あるいは、科学の恩恵を受けた産業資本家たちが社会にのさばっていることへの憤懣もたまっていたわけだから、「科学の進歩ともとに迷妄は打ち払われる」と断言できるほど単純なものではなかったのだ。
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 公立学校で進化論を教えた教師が訴えられたスコープス裁判が全米の注目を集めたのはなぜか。「宗教と科学の衝突」とまとめられることが多いこの問題が、それほど単純なものではないことを解説します。




第6章 UFOの時代──空飛ぶ円盤から異星人による誘拐まで
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 このように、科学的説明は、自分が自分固有のものだと感じている日々の体験から、自分特有の個性のオーラを奪ってしまうのだ。
 かくしてあなたの体験の固有性、あなた自身の個性を保証するものとして、一つの科学的ではない説明、すなわち、あなたの受けた感触の起源を異星人による誘拐と人体実験というまったく風変わりな事象に帰する説明が、この上なく魅力的なものとなるのである。(中略)
 どうやら人間とは、事実やら「不都合な真実」なんかのために生きている動物ではないのだ。自分という存在に深い満足を感じたいがために生きている。
 思い入れ、アイデンティティ、自己満足、安心立命――なんでもいいが、そういった「実存」的なもののために生きているのである。
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 空を飛ぶ正体不明なものを見た、政府は重大な秘密を隠している、一般人がアブダクションされ生体実験の被害を受けている。これら本質的には無関係な主張がUFOの名のもとにひとつに結びつけられるのはなぜか。その背後にある構造と時代背景との関係に迫ります。




第7章 ニューエイジ、カスタネダ、オウム真理教事件
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 標榜される意識の変革には、一方には政治的・社会的批判という側面が、他方には宗教的な回心の側面が、さらにその裏には、呪術的な奇跡待望(オカルト志向)の側面があるのだった。悟りのようなものが呪術のようなものと連動しているのは、密教などの場合と同じだ。意識の変革はしばしば「意識の進化」として捉えられたが、この場合の進化は神智学や心霊主義で説かれる輪廻転生による魂の進化の形をとった。そこにはダーウィンの生物進化論に対する疑似科学的な曲解の要素もあった。
 このように、非常にピュアなところのあるニューエイジのマインドには、けっこう子どもじみた魔法信仰が絡みついていたと言えるだろう。魔法信仰は欲得ずくにもなりやすく、資本主義を批判したわりには霊感商法型の資本主義に弱いところをもっていた。(中略)
 かくしてニューエイジは、思想的な力は失ったが、文化のスタイルとしては主流文化に十分入り込むことができたし、キリスト教会や一神教の懐疑、瞑想系の東洋宗教や自然崇拝系の原始宗教の再評価というレガシーにも巨大なものがある。いまの時代は、欧米のみならず日本も含め、薄められた広い意味でのニューエイジ文化のなかにとっぷり浸かっていると言っていい。
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 ニューエイジ運動とは何だったのか。東洋宗教や瞑想、オカルト、ニューサイエンス、ドラッグカルチャー、カウンターカルチャー、そしてサブカルチャーまでを包含する曖昧な20世紀の思想潮流を読み解き、現代につながる流れを可視化します。




第8章 科学か疑似科学か?──ESP、共時性から臨死体験まで
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 伝統社会や現代社会に流通している社会的「実在」ばかりでなく自然科学の扱う物理的「実在」も根本的には社会の言説が生み出したイデオロギー的構築物にすぎない、と断定的に言い切る風潮がこの時代にはたしかにあった。これは呪術や宗教の迷信と自然科学の論文を等価に扱うもので、このあたりの曖昧な思考は、論者自身の大胆なレトリック――科学用語をいい加減に扱って平気であるような不敵さ――の根拠の一つとなっていたように見受けられる。(中略)
 21世紀になって振り返ってみると、こうした動向は、西洋文化を一掃しようとする極端なイスラム主義者や、ロシア愛国主義者、独裁的な中国共産党、根拠なき陰謀論を垂れ流して平気なトランプ主義者といったあらゆる相対主義的文化防衛論者の台頭へ地ならしをしていたように見える。
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 自然科学で扱う「事実」や「実在」も所詮は社会的構築物であり「現実」は合意によって作られているとする立場、そして文化や世界認識はどれが正しいというものではなく相対的なものに過ぎないとする相対主義。それらがどのように台頭し、批判され、そして現代に影響しているのかを読み解きます。




終章 陰謀論か無神論か? 宗教と亜宗教のゆくえ
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 無神論の世代が自らの抱える盲点によって、今後、「ニューエイジ」「ポストモダン」「ポストトゥルース」に次ぐ新たな「亜宗教」を構成することは考えられるし、それが漠然たる信仰に頼っている旧世代との間に知の分断をつくるということも考えられるかもしれない。(中略)
 未来のことは誰にもわからない。亜宗教の歴史から学んだことは、ひとつの文化勢力はいつも(少女のたてたラップ音や飛行物体の勘違いのような)突拍子もないところからはじまるということだ。
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 19世紀から今日に至るまでの亜宗教史から、これからの亜宗教の行方について考えます。





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『エドワード・ゴーリーが愛する12の怪談 憑かれた鏡』(エドワード・ゴーリー:編、柴田元幸:翻訳) [読書(小説・詩)]

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 ゴーリーは、典型的な幽霊屋敷ものや、悪趣味ギリギリの犯罪もの、秘術を上手く使ったミステリなどと混ぜることで、こういった作品の味を引き立たせることに成功し、アンソロジーという一冊の書物を読む愉しみを提供してくれている。しかし、全く根拠はないのだが、私には、ゴーリーが緻密な計算に基づいて本書を編んだとは思えない。むしろ、優れた読者としての直感で、「こう配した方が面白い」と判断しただけなのではないだろうか。
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『解説――ルッキング・グラス・ライブラリーのゴーリー』(濱中利信)より


 不気味なイラストによって大人の読者も魅惑する絵本作家エドワード・ゴーリーが選んだ怪談を集めた怪奇小説アンソロジー。ハーヴィ『八月の炎暑』、ディケンズ『信号手』、ストーカー『判事の家』、ジェイコブズ『猿の手』などの定番から、あまり知られていない小品まで12話が収録され、それぞれにゴーリー自身によるイラストが付けられています。単行本(河出書房新社)出版は2006年8月、文庫版は2012年6月に出版されました。


収録作品

『空家』(A.ブラックウッド)
『八月の炎暑』(W.F.ハーヴィ)
『信号手』(C.ディケンズ)
『豪州からの客』(L.P.ハートリー)
『十三本目の木』(R.H.モールデン)
『死体泥棒』(R.L.スティーヴンスン)
『大理石の躯』(E.ネズビット)
『判事の家』(B.ストーカー)
『亡霊の影』(T.フッド)
『猿の手』(W.W.ジェイコブズ)
『夢の女』(W.コリンズ)
『古代文字の秘法』(M.R.ジェイムズ)





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