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『妖精族の娘』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

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「もしおまえが魂をもてば、いつか死なねばならんのだぞ。また、なまじ楽の音の意味などを知ると、悲しみの意味をも知ることになる。いまのまま野生のものでいて、死なないほうがずっといい」
 小さな野生のものは泣きながら立ち去った。けれど妖精の血を引く仲間たちは、この小さな子をあわれに思った。野生のものには魂がないから、いつまでも悲しんでいるわけはないが、それでも仲間が泣いているのを見て、もしかれらに魂があったらきっとこの辺だろうと思う胸のあたりに、何ともいえない苦しさを覚えた。
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ちくま文庫『妖精族のむすめ』(ロード・ダンセイニ、荒俣宏:翻訳)より


 2020年8月28日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って勅使川原三郎さんの公演を鑑賞しました。勅使川原さんと佐東さんが踊る上演時間一時間ほどの作品です。

 前回の『タルホ』に続いて紗幕をフルに活用した演出です。床に三つの発光円盤が置かれ、手前には紗幕。巧みな照明により舞台はもやに包まれた夜の湿地帯となり、沼地の周囲を得体の知れない野生のものが飛び回るのです。

 薄暗がりにぼおっと光る人影が佇んでいるように見える冒頭シーンからいきなり異界に放りこまれます。佐東利穂子さんによる原作朗読の音声が流れ、それに合わせて舞台は進行。もちろん佐東利穂子さんがヒロイン「野生のもの」を踊り、沼地の精霊たちや大聖堂の院長や背後に漂う怪しい気配といった背景を勅使川原三郎さんがつとめます。

 佐東利穂子さんによる「魂を持たないものが魂を持ってしまった体験」の表現は素晴らしく、個人的には同じく佐東利穂子さん主演の『ハリー』(惑星ソラリスの海によって創り出された存在の苦悩をあつかった作品)を思い出しました。最初は軽々と楽しげに沼地の上でバレエを踊っていた佐東利穂子さんが、魂を手にいれた途端にリアルな人間になって身体が「重く」感じられるところにびっくり。最後に魂を手放すとまた人間じゃないものに戻ってしまう。冒頭と同じ構図で明らかに人外のものがこちらを見つめているというラストシーン、あれは凄い。

 ちなみに勅使川原さんは黒子スタイルというか顔や手を隠して登場し、ぎくしゃくしたグロテスクな動きと相まってスワンプシング(沼地の怪物)かスレンダーマンかという不気味さ。でも何となく楽しそうに踊っているように感じられました。





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『水晶内制度』(笙野頼子)(エトセトラブックス) [読書(小説・詩)]

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 世界を成立させている水晶は濁り果て曇り、蜜の入った林檎の腐りかけのように匂っている。皮がこちらの視界にめり込んで来そうな、この世界はそれでもひんやりとして、水晶で出来ている。濁った水晶の中に濁った人々が住み、少年のオブジェと女同士で繋がった女達がいる。でもそんな事さえもうどうでもいいのだ。この濁りの中から射す一点の光を待つためにだけ私は生れて来た。
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単行本p.238


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ああ神話作者火枝無性がまた地母神ミーナ・イーザが、すべての役目を終え今私の体から離れてゆく。私はただのひとりの女に戻る。しかしそれこそはまさに真の女、この世にはすでに「いない女」だった。あなたを待っていた、スクナヒコナよ。常世に消えたあなたを。今、私はオオナンジに戻る。
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単行本p.267


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第133回。


「この国の制度を濁った水晶の中に流し込んで、手の中に握ったまま不幸を抱いて死にたい」(単行本p.252)


 17年ぶりに復刊した『水晶内制度』。新版単行本(エトセトラブックス )出版は2020年8月です。エトセトラブックス版には書き下ろしで「作者による解説――水晶内制度が復刊した。」が収録されています。これについては昨日の日記を参照してください。


2020年08月26日の日記
『作者による解説――水晶内制度が復刊した。』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2020-08-26


 というわけで本書は、2003年に刊行された、ウラミズモが初登場する長編です。そこでは人間として認められるのは女性だけ。男は処分、国外退去、あるいは男性保護牧場に閉じ込められ家畜として飼育される、それがウラミズモ。男性憎悪を国是とする女人国。

 日本の良心的なフェミニストたちを裏切り踏みにじり犠牲にして、ケガレの引き受けと交換で悪い冗談のようにして日本から独立した「政治的に極悪な」国。日本にはロリコンコンテンツ制作のための元ネタを売りつけ、国内では徹底した思想統制と監視が行われている宗教国家。だが、夜道を安心して歩ける、好きな格好でいられる、男の目を意識しなくてよい、女性差別のない国。そして性愛が厳しく抑圧されたセックスレスの国。

 このウラミズモに移民してきた作家が語り手となり、国家事業としてウラミズモ建国神話の創作に挑む、というのがあらすじです。

 近作、特に『ひょうすべの国』や『ウラミズモ奴隷選挙』を先に読んで、あんまりといえばあんまりなにっほん(というかいまここ)の惨状にめげて、ウラミズモへの移住を希望している皆さんは、本書を読んで、その怒りと憎しみとむかつきとざ・ま・あに満ちた原初ウラミズモの息吹、そして建国神話に折り込まれた透き通るように美しい悲しみと喪失と祈りに、ぜひ触れてみてください。




「1 撃ちてしやまん・撃滅してしまえ」

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 私はワニか、美人か、なに故に私は生まれるのか、また私が生むのか。私は言葉を吐く。だがその言葉はどれも全部良くない言葉である。悪い言葉が舌からゲロになって宙を舞う嘘を言う、嘘を……。
 そのゲロは金属になり剣や農具と化し、嘘は四方に達し地を治める。
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単行本p.28


 ウラミズモに移民してきた作家は、大量処方される謎の薬物のせいか、大火傷のせいか、意識が混濁し、錯乱した状態で、ウラミズモを語る声や幻想を体験し、おそらく様々な神を産みつつ、ついには水晶夢のなかで海の上の炎を幻視します。こうして黄泉の国への転生が成就したのでした。「水晶夢の国にようこそ、あなたは今生まれた。」(単行本p.50)


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 理想の実現したきったない国。うらはらの国。祝う呪いの国。呪う祝いの国。裏切られず達成した願望の成就を、善人を裏切って手に入れたここは女人国。人口百四十二万人、要人用地下シェルターが全土の地下を走る。莫大な財源は旧本国からの「収入」。うるさいアナウンスは観光地の騒ぎのよう。演歌の代わりにタムタム。祝う呪う祝い呪う祝う呪い呪い呪い。
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単行本p.30


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 こうして我が国は発足しました。女だけが人間である私達の国、それさえ手に入れば他の女性勢力は別にどうなっても良かったのでした。そもそも私達は女のフェミニストをまねようとせず、一番マッチョなその癖卑怯で幼稚な男達のするようにしたのですから。つまり、――。
 もしも女が人間になろうとすれば、男女手をたずさえなどと言っているより女尊男卑の方がてっとりばやいのです。女がもし人間であろうとすればまず男を見えなくし、消費し、まったくいない存在にしてしまう事が必要と結論したのでした。そう、人類史上で男を「人」にした方法はまさにその逆だけ。男はあらゆるやり方で「人間」をやって来ていても結局はただひとつの方法だけを使って来たのですから。つまり、「女」を黙殺しそこにいない事にし、悪意も意識もなしに、ただ女の魂をずーっとなんとなく殺すという方法だけを使って「人間」になって来ていたからです。
 素直な私達は結局、「男」に学ぶ事にしたのでしょうか。いいえ、「男」の発想を収奪してまったく逆のものにしてしまう汚い乗っ取り行為、しかもそこに男の功績がまったく働いていないという完全黙殺をする鉄面皮なばっくれ方。そういう「男特有の」楽しい行為を選んだのでした。(中略)別に自称フェミニストでもなくレズビアンでもない、ただのむかつく女性達に支えられた国、それがウラミズモです。 
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単行本p.18、19




「2 わが伴もこに来む・自分の仲間に来てくれ」

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 私は私と関係のない事がどうでも良くなってしまう。でもその事に気付くと気分いいままに絶望してしまうが、それも気持ちいい絶望だ。
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単行本p.99


 作家はウラミズモで生活しながら新しい国について学んでゆく。判ったようで判然としない国のありさま。そもそも国とは何か国体とは何かそれは理解したり判ったりするものなのか。思想統制が行われている監視社会であるはずなのに、どうも切迫感や恐怖感がなく、何となく楽に生きていける事に戸惑う作家。自分はウラミズモに取り込まれて、洗脳されている途中なのだろうか。


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こっちにいる私の切迫感のなさはどうだ。あまりの快適さに私はもう生まれ変わってしまったのだ。ひどい国かもしれないのに、来てまもなくのせいか、まだあまり知らぬせいか、いや何よりもこの快適さに酔ってしまい、まったく自然な国だとも思えて来るのだった。そして自分にとって自然な国という事が自分を弾圧するはずのない国という狂的確信に繋がってしまって――。
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単行本p.57


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 前の国では人権も法律もきちんとしていたのに、その一方抑圧されている、口を塞がれているという感じは凄かった。というより私は見えなくされていて何を言っても書いても全部無かった事にされてしまったのだ。ところがこのひどい統制国家のただ中で、私は生存適者として、前よりも無事でいられたのだ。それもただ単に女として生まれたというだけの事で。
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単行本p.62


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 まあ別に前の国だって生まれてから何十年も住んでいた割りにはどういう国なのかここに来るまではよく判らなかったのだから、ここが判らないのは当然と言える。しかも判らないままで十分に生活出来るのも前の国と同じだ。むしろここに来てから私は進歩したのかもしれない。というのもここに来るまで自分がどういう国に住んでいたかどころではなく判らないという事さえ意識してなかったから。
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単行本p.98




「3 ぬえくさの 女にしあれば・なえた草のような女だから」

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――スクナヒコナとオオナンジは二度と会うことがない。その怒りと悲しみの上に国は生まれた。
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単行本p.169


 そもそも一代で滅びる前提のやけくそ中指立国だったはずが、気がつけば国民はおおむね生活に満足しており人口も増えてきて、どうやら末永く続けてゆかなければならないはめになったウラミズモ。国民の意識のなかで国が国として成立し、正当化され、結束を固めるために、必要不可欠なのが神話。そもそも、女の存在がなかったことにされるのも、先住民族が権力に歯向かうとなぜか激怒する人が大量にわくのも、権力に都合がいいように改竄され捏造された記紀神話の力。ならば対抗するカウンター神話が必要。というわけで、作家に与えられた国家的使命、それは日本神話を裏返すことでウラミズモ建国神話を創出することだった。


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結局は女とうまくやっていける好ましい男達は全員殺されたり奴隷にされたりし、世の中には感じ悪い男と抑圧された女だけが残ったのだ。そこから逆算し辻褄を合わせて、国家神話である記紀の編纂が始まったのだ。だから記紀にはいろいろ女に不都合な事が書かれている。神話は女の側からの真実を抑圧し、感じのいい男を削除する事で成立した。
 日本神話はこのようにして男に都合いい「虚構」となったのだ。つまりもし稗田阿礼が女だったとしてもそれは既に抑圧された女の代表に過ぎないという事なのである。――というような解釈は多分私自身が火枝無性というペンネームをあたえられてしまった時に運命的に持たされてしまったものなのであろう。結局は国家に働かされているだけの作家という面が私にはあった。
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単行本p.168


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 神話はその国の人間の意識や行動のパターンの規範であるように設定されるべきで、それを全ての行動や心理の中心に置く事で――国の、家族の、個人の建前も心境も感情の流れまでもツクッて行くのである。そういう意味では民主主義などうわついた竜のごとき理念である。
 私はウラミズモの国家理念を地に付けるため、日本神話を解釈しなおし、「日本に眠っていたウラミズモの魂を掘り起こした」のだ。解釈は恣意的にするべきものと、もし神話を奪還しようとしたら、自分達に都合のいいように奪還するしかないと開きなおっていた。
 と言ってしまうと身も蓋もないようだが、一方で私自身はその解釈の中に一抹の誠実さを盛ったつもりだった。つまり日本神話が男性に都合良く出来ているのならばそこを追求して訂正し続ければ、その一面だけでも古代の真実に至るのではないかという希望を持ったからだ。(中略)ここへ来る前の私はむしろ神話を読み解いて古代の事実に近づきたい、というよりそれを切実に想像し小説に書きたいと念じていたのだった。
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単行本p.137、138


 ここで語られる「神話を読み解いて古代の事実に近づきたい、というよりそれを切実に想像し小説に書きたい」という願いは、実際に『海底八幡宮』や『人の道御三神といろはにブロガーズ』、そして荒神シリーズへと展開してゆきます。ここで語られるウラミズモ神話とその神話解釈ロジックを念頭に入れておくと、後の作品が割とすっと読めるようになるのでお勧め。


 あと三章の後半では保護牧見学と金花高校執行式の様子が語られますが、紹介はちょっと割愛します。なお、『水晶内制度』と『ウラミズモ奴隷選挙』では時代が離れていると私はなぜか思い込んでいたのですが、猫沼きぬ、二尾銀鈴、という二人が両作に共通して登場する(ただし名前は少しだけ変えてある)ことで、そうではないことにさっき気付きました。余談ですが。




「4 世の尽々に・生命終わるまで」

 作家は最後の水晶夢を通じて神話を完成させる。そしてすべての役目を終えてオオナンジに戻り、常世でスクナヒコナと再会するのだった。というと、ここまでやっておいて何そのベタなラブロマンス、と思うかも知れませんが、これが泣けるのです。後の『萌神分魂譜』や『おはよう、水晶-おやすみ、水晶』にも似た、この祈りのような切なく美しく恐ろしい32ページをぜひお読みください。





タグ:笙野頼子
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『作者による解説――水晶内制度が復刊した。』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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 ともかく、「水晶内制度」が復刊した・この復刊自体が海の上に燃える炎、奇跡と言えよう。
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単行本p.305


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第132回。

 17年ぶりに復刊した『水晶内制度』エトセトラブックス版に収録された35ページの書き下ろし解説です。単行本(エトセトラブックス )出版は2020年8月。


 『水晶内制度』そのものの紹介は別に書くとして(たぶん明日)、今日は復刊を記念して書き下ろされた解説というか最新エッセイを紹介します。旧版をお持ちの方も、この解説は読んだ方がいいと思います。また、最近になって笙野頼子さんの作品を読み始めた読者にもお勧め。35ページ読むだけで『水晶内制度』から『ウラミズモ奴隷選挙』までの流れと背景がわかります。


 さて内容ですが、まずは『水晶内制度』が書かれた背景(純文学論争とその経緯、はびこる論畜、おんたこ言語、安倍言語)について解説します。


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 今、私は振り返る。あの総理を見れば自明のこと、当時の評論家の多くに(そのうちの大部分は今も威張っている)哲学は必要ない。というか存在自体に意味がない。要するに彼らはただ経済状況に迎合した言説を展開しただけなのだ。反抗はポーズだけ。するのは金勘定だけ。気にするのは派閥だけ。女性差別がデフォルトなのに平然とフェミニズムを論じて恥を知らない。
 つまり「水晶内制度」を生んだこの第三次純文学論争とはこのような言語との闘争だったということである。
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単行本p.274


 続いて『水晶内制度』が書かれた当時の状況を詳しく解説。


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 当時から私は小さい神棚のある書斎で執筆していた。ひとり住まいの一軒家で住宅ローンと猫を抱えて、自分の小さい神様を拝みながら書いていた。
 女性が中心の世界はないのか。男がここまでひどい事するのなら、何ももう民主主義なんか気にしないでもいい、それより女だけが勝っている女の国があったらいいと、……。
 それは空想にすぎないが、次第になくてはならないもうひとつの世界と化していった。むろん思いをそのまま書いてもそこに女人国はなかなか定着しない。
 なので主人公の妄想の産物かもしれないと、或いは薬漬けにされているのかもしれないと、現実が幻想に見えるように書いた。ともかくお経のように極楽を書くだけでは、私などはそのまま信じてはもらえない。その上そもそも、私が書いているのは「男女平等が失われた」、「レズビアンのセックスまでも奪われた」社会なのだ。
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単行本p.277


 そしてもちろん、近作において中心的テーマのひとつとなっている、暴走する新自由主義と自由貿易協定と性的搾取、それらが一体となった人喰い経済について。


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 なぜ私は自由貿易批判のような経済政策批判と、この一見かけ離れた少女虐待を結び付けるのか、理由? 本当に結びついているからである。
 経済暴力としてのグローバリズムが聖域を破壊し尽くす、それは一見、フェアを平等を装いつつ、狙ってくるのはまず弱者の弱い部分から提供させ、食い物にすること。
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単行本p.282


 そしてこれまた『海底八幡宮』あたりから重要テーマとなっている「捕獲」および「捕獲装置」について。これ、気をつけていないと真面目な人ほどすぐにおかしな言説に取り込まれてしまうので要注意です。


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 今はどのような時代なのか、なぜにこうなったのか、その本質は何なのか? グローバリズムの闇、民主主義の不全、搾取と呼ぶべきか、暴力と呼ぶべきか。
 すべての悪徳の中から、私が注目するのは「捕獲」という行為である。
 最初はあったはずの良心や本質を無効化する事、偽物に反権力を偽装させる事、それが根本で世の中を悪くする行為だと今は思っている。必死のひとりひとりを、その努力をすべて逆方向にねじ曲げてしまうつくり込みというか。
 私はそれを「千のプラトー」から引用して拡大解釈し、「捕獲」「捕獲装置」、と呼んだりしている。
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単行本p.284


 そして捕獲されたフェミニズム、イカフェミについて。


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 根本、私は文学者である。学問がその怒りや原初のエネルギーを奪ってしまう前の、たとえ間違いが多くても、リスキーでも、本気で守るべき根源を持っている文学の場所に、自分の身体のある場所にとどまっていたい。というか女性である自分の心身に忠実に自分を大事にしたい。
 そうでなければ女性の身体性を無視したり個々の女性の受けている被害をも黙殺したまま、理論に封殺されたイカフェミ的な学者面になってしまう。
 これはつまり、私が女性をどう捉えているかという話ではない。私がたまたま女性であり、女性の体を持っているという事実に基づいた考えである。
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単行本p.287


 リスク背負ったフェミニズム批判、ご本人のセクシュアリティ、性愛と結婚制度、そして女人国ウラミズモの設定解説へと、高電圧文章が続きます。


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 ウラミズモを最初は刹那的な極悪社会にしようと思っていた。しかし作中から男が消えたとき、多くの女が長生きしたいとまで言いはじめた。(中略)書いているうち、滅ぶどころか、子孫繁栄女系延命のための、政治的に極悪な監視社会が出来た。確かある程度書いたあとで、最初のほうに手を入れて、子供が増える設定に変えた記憶がある。
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単行本p.294、295


 ウラミズモにおいて性愛が強く抑圧されていることへの疑問や批判について。そして近作との関係について。


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 痴漢強姦の横行する国でもセックスを人生の中心に据えるのか、セックスがない事で安らぎを得るために逃げて建国するのか。どちらかを選ぶしかない。(中略)女性に生まれた女性は筋肉の弱さや生理、出産等のために男性権力から付け込まれる。それをまず解決する国としてウラミズモはある。安全安心が先でセックスは消えている。
 要するにこれは女社会を求めた、身も蓋もない欲望の、夢の国なのだ。そのためなら悪いこともするし民主主義の理想など絶対に求めない。
 つまりは家庭そのものが牢獄であったり、通学路が処刑場である、そういうところから逃げる話である。政治的に正しくない方法論の利便性と問題点を追求するしかない。が、……。
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単行本p.295、296


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 近作になると、私はどうも女人国の心地よさのほうへだけシフトしてしまっている。(中略)スピンオフされる国の雰囲気は既に、申し訳ないが最初のこわもてぶりと違ったものになっているかもしれない。同時に三の線が次第に減じつつある。
「ウラミズモ奴隷選挙」なども本作より現実感のある情景設定になってしまったため、最初は皆無だった戒厳令を国境にだけ期間限定で設定しているし、男性も周辺にだけごく一部住ませている、というようにやや、「地に足がついてきた」。
 というかついに正体を現した自由貿易への批判も付け加えられてしまったので現実的にもなる。
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単行本p.296、297


 余談ですが「最初のこわもてぶり」とか「三の線」という表現に笑ってしまいました。確かに。『ウラミズモ奴隷選挙』から入った読者は、男性憎悪を見せつけるため必要もないのにコストをかけてまでわざと行う男虐待とか、国の悪口を言った観光客がいきなり射殺されるとか、一致派の一方が不倫すると銃撃戦が始まっちゃう銃社会とか、原点を読んで少し戸惑うかも。ちなみに、猫沼きぬ、二尾銀鈴、両作に共通して登場するこの二人も、かなり印象が変わっているように感じられました。


 最後は旧版出版後の評価、読者(男性含む)の反応、復刊までの道のり、文章に手を入れたところ、そして慣れていない読者のためのチート読みじゃなかったチュートリアル、という具合です。


 もはや本書の解説という枠に収まらない、これだけの内容がぎっしり詰まった35ページ。広く読まれてほしい。





タグ:笙野頼子
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『サキの忘れ物』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

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 転職を考えようにも、今は疲れているから検討を避けていた。新しい判断すべきこととして持ち上がってくるその求人は、むしろ疎ましいとさえ言えた。何も考えたくなかった。できればこの場からしばらく消えたかった。意識を一時的に消滅させ、腹も空かず排泄もしない存在として、二か月ほどいなくなりたかった。
 宝ビルは、私の考えていることを受け入れるでもなく、はねつけるでもなく、そこに建っていた。(中略)ここで打算なく自分を許して放っておいてくれるのは、この隣のビルだけなのではという気がした。
 突然目の前の建物への親しみが自分の中にこみ上げてくるのを感じた。自分はこんなにこの建物に対して強い感情を持っていたのかと思った。その内訳や内実についてはいっさい説明できないにもかかわらず。
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単行本p.200、201


 喫茶店、行列、隣のビル、それから、ガゼル。ネグレクトからパワハラまで、しんどい世の中のしんどさと小さな希望のようなものを描いてみせる最新短編集。単行本(新潮社)出版は2020年6月です。


〔収録作品〕

『サキの忘れ物』
『王国』
『ペチュニアフォールを知る二十の名所』
『喫茶店の周波数』
『Sさんの再訪』
『行列』
『河川敷のガゼル』
『真夜中をさまようゲームブック』
『隣のビル』




『サキの忘れ物』
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 文庫本なんて初めて買った。読めるかどうかもわからないのに。明日になったら、どうしてこんなものを買ったのと思うかもしれないけれども、それでもべつにいいやと思える値段でよかった。
 いつもより遅くて長い帰り道を歩きながら、千春は、これがおもしろくてもつまらなくてもかまわない、とずっと思っていた。それ以上に、おもしろいかつまらないかをなんとか自分でわかるようになりたいと思った。それで自分が、何にもおもしろいと思えなくて高校をやめたことの埋め合わせが少しでもできるなんてむしのいいことは望んでいなかったけれども、とにかく、この軽い小さい本のことだけでも、自分でわかるようになりたいと思った。
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単行本p.24


 親からも先生からもまともに扱われず、世の中の大切なことを何ひとつ教えてもらえないまま高校をドロップアウトしてしまった若者が、ふとしたきっかけでサキとかいう人の本と出会う。はじめて自分でお金を出して買った本。はじめて最後まで読んだ本。その小さな出会いが、彼女の人生を大きく変えてゆく。




『Sさんの再訪』
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 Sさん、Sさん、Sさん、そして、Sさんその2。私は、誰が誰かを懸命に思い出そうとしてみたが、どうにも無理だった。そして、自分のグループの女の子たちは、私以外はみんなSというイニシャルだったことを思い出し、呆然とした。なんということだ。いや、五十音順でクラスが振り分けられた一年のグループをそのまま卒業まで持ち越したから、仕方がないと言えるのだが。当時の私は、Sさんをこれだけ登場させておいて、どのSさんが誰かをわかっていたのだろうか。私は日記を読み返すということはせず、ただ心に澱の溜まるままに書いていたから、おそらく書いたその日に見分けられていれば十分だったのだろう。いったいどのSさんが、私が会おうとしている佐川さんなのか。
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単行本p.96


 大学時代の友人である佐川さんと数十年ぶりに会うことになった語り手は、当時の自分の日記を読み返してみる。ところが登場する他人の名前がみんな「Sさん」。よく考えたら知人はみんなイニシャルがSだった。どのSさんが佐川さんなのか。推理しながら読むうちに、当時は見ないようにしていた色々なことが判ってくる。




『行列』
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 なんにしろ、この行列に並ぶと、二十世紀の東京五輪以来の来日となるあれを見るという貴重な経験と、並んでいる間に見る美しい景観の思い出と、特製のお弁当と、行列に並んだ人間しか手に入れられない有名ゲームの限定キャラクターと(私はゲームはやらないけど)、十二時間もあれを見るために並んだという経験と、さまざまなものがいちどきに手に入る。時間は長いけれども、とても良いアトラクションではないだろうかと、行列に並ぶことを決めた私には思えたのだった。
――――
単行本p.108


 あれが来日して無料で一般公開されるということで行列に並ぶ人々。予想される待ち時間は十二時間。それでも様々な特典やイベントや景観やなんやかやにつられて行列に並んだ語り手。だが次第に心が削られてゆく。自己中心的な人々のこずるい振る舞い、いらっとくる他人の言動、つのるがっかり感。何のためにこんな思いをしてまで行列に並んでいるのか。というか生き方そのものが何か間違っているんじゃないか。とうとう限界に達したとき、語り手がとった行動は。




『河川敷のガゼル』
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「きみは行きたいところはないのか?」
 少年は、やっとガゼルに対して言いたいことがまとまったようで、そう口にした。
「おれは北海道に行きたい。学校には行きたくない」
 そうか、と私は思いながら、地面に座り込み、柵にもたれて三時のおやつの菓子パンの袋を開けた。私は特別に北海道に行きたいというわけでもなかったけれども、決して行きたくないということもないので、彼の叫びが自分の叫びであるような気もした。北海道はともかく、とにかく学校には行きたくなかった。私も、学校と北海道なら、圧倒的に北海道に行きたかった。
 少年の声に驚いたのか、不快なものでも感じたのか、ガゼルはすぐに回れ右をして川べりへと向かい、周囲の草を食み始めた。少年はガゼルをじっと見つめていた。そして、ここへ来てくれてありがとう、と大声で言った。ガゼルは彼に一瞥もくれず、より遠い所へと走り去っていった。
――――
単行本p.149


 住んでいる街の河川敷でガゼルが発見された。どう対処すべきかすぐには決められないので、とりあえず生活域を柵で囲んで一時的に保護する。その柵の周辺を歩哨するというバイトに応募して採用された語り手は、何となくぼんやりとした感じのその仕事が気に入る。もう休学中の大学には戻らず、このままずっとこうしていたい。同じように学校をさぼってガゼルを見に来る少年とのかすかな連帯感。だが、当然ながらガゼルはそんな人間たちの思いなど気にかけない。それぞれが互いに干渉しないままゆるやかにぼおっと共存する時間は、しかし終りが近づいていた。




『隣のビル』
――――
 それは突発性と継続性の入り交じった感情だった。突発性の背中を継続性が強く押したと言ってもいいような気がする。自分は今いるこの建物の会社の社員である以上に一人の人間だと自認した。
 一人の人間として今までやりたかったことについて考えた。下の階で威張っている常務を殴る。常務のデスクの上の書類をぐちゃぐちゃにしてばらばらに投げつけ、卓上の電話の底の側で頭を殴りつける。受話器で喉元を突く。
 いや、そうじゃない。自分の欲望はそんな、常務に関係するような小さく世俗的なものではない。
 私は再び宝ビルの屋上を見つめた。空は曇っていて雨が降りそうだった。窓からめいっぱい右手を伸ばすと、ビルの屋上の縁には十五センチ定規一本分ぐらいは届かなかったけれども、とにかくそのぐらいは届かないのだという見積もりができたことに私は安堵した。(中略)椅子を窓の下に配置し、私は社内用のサンダルを脱いで通勤用のスニーカーに履き替え、その上にのぼった。下の側の窓枠に足を掛けて再び右手を伸ばすと、真ん中の三本の指の第一関節が金網に引っかかった。届いてしまった、と思うとぞっとした。
――――
単行本p.202


 パワハラのせいで疲弊している語り手は、職場の隣にある宝ビルという建物を窓から見ることで何とか日々をしのいでいた。だがついに限界がやって来たとき、彼女は窓から、宝ビルの屋上を囲んでいる金網に手を伸ばす。下は四階分の奈落。やるべきじゃない馬鹿げたことだとわかりながら、彼女はビルの窓を乗り越え、宝ビルへの「脱出」を試みる。同じルートを戻ることは物理的に不可能。ささいだが切実な逃避行。彼女が行き着く先は。





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『短篇ベストコレクション 現代の小説2020』(日本文藝家協会:編) [読書(小説・詩)]

 2019年に各小説誌に掲載された短篇から、日本文藝家協会が選んだ傑作を収録したアンソロジー。いわゆる中間小説を軸に、ミステリ、ホラー、SF、警察小説など、幅広く収録されています。文庫版(徳間書店)出版は2020年6月です。


[収録作品]

『カモメの子』(阿川佐和子)
『緑の象のような山々』(井上荒野)
『ファイトクラブ』(奥田英朗)
『みみずロケット』(柿村将彦)
『ミサイルマン』(片瀬二郎)
『くもなまえ』(北原真理)
『密行』(今野敏)
『春雷』(桜木紫乃)
『夜の子』(佐々木愛)
『遭難者』(佐々木譲)
『本部長の馬鈴薯 北海道京極町・新美農場』(龍羽麻子)
『若女将になりたい!』(田中兆子)
『娼婦と犬』(馳星周)
『変容』(村田沙耶香)
『エルゴと不倫鮨』(柚木麻子)




『みみずロケット』(柿村将彦)
――――
 そして亜子ちゃんはぽつぽつ話をしてくれる。聞いてみると、しかし話は想像したのとちょっと違った。広い意味では当たっていたが、肝心な部分がかなり違った。
「なんて言うか、その人ライギョなんですよ」
 ……なんですと?
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文庫版p.158


 かつての教え子がストーカー被害にあっているらしい。相談を受けた元先生は、ストーカーの正体がライギョだと聞いて困惑する。ライギョじゃなあ。外来種だっけ。タイトルにある「みみず」や「ロケット」のたとえが印象的な作品。




『ミサイルマン』(片瀬二郎)
――――
「だからあ、彼はミサイルマンだったんですよ!」
 とたんに脳裏に、寮の部屋のなか、窓のそばに立って、宴会の余興みたいなかっこうのわりに、ひどくおびえているみたいだった姿がよみがえった。
 あれは〈ミサイルマン〉っていうのか……
 名前がわかったからといって問題が解決したわけじゃなかった。解決の糸口さえつかめていなかった。
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文庫版p.230


 外国人労働者を不法にこき使っている会社で、これまでずっと真面目に働いていたンナホナという男が無断欠勤した。叱り飛ばしに社員寮に赴いた上司は、宴会芸のコスプレみたいな変な装備を着けて、おびえているンナホナを発見する。そのとき本国から指令が入り、轟音と共に発射されたンナホナは大空を飛びながら戦闘モードにチェンジ。彼はミサイルマンだったのだ。風刺炸裂する愉快な作品。




『夜の子』(佐々木愛)
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「なんでも、どんなに短いのでもいいから、毎日書いてお見舞いに持ってきて。だって、あと二カ月しかないんだから」
 そういう本があったことを思い出した。余命を宣言された妻のため、毎日一編ずつショートショートを書いて贈った作家が、その体験を綴った本だ。ベストセラーになっていたが、実話だからこその避けられない結末があった。夜子は知っていて話しているのだろうか。
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文庫版p.363


 スランプに苦しみ一行も書けないでいる作家。入院した妻が、医者からあと二カ月と宣言されたと告げる。だからそれまで毎日作品を書いて贈ってほしい、あと二カ月しかないのだから、と。眉村卓ネタだと思わせておいて、すぐに「あと二カ月」というのは出産予定日のことだと明かされるが、しかし妻は真剣。つられて作家も、あと二カ月のうちに作品を書かないと何かが手遅れになってしまう気分になってゆく。作品の産みの苦しみが巧みに表現されていて感心させられます。




『変容』(村田沙耶香)
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 夫は穏やかに微笑んでいる。確かに最初から彼は温厚な人だったが、これほどだっただろうか。変容したのだろうか。いつの間に?
 私は世間から遮断されているうちに、変容しそびれてしまったのかもしれない。
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文庫版p.647


 介護のため引きこもっていた語り手が社会復帰したところ、いつのまにか世間から「怒り」という感情が消えていることに気づいてショックを受ける。怒りや苛々するという気持ちを理解できず、どんな理不尽も穏やかに受け入れてなもむ人々。っていうかなもむって何。自分だけが変容しそこねてしまったのか。疎外感に苦しむ語り手は自分と同じく怒りを手放していない知人を見つけだして、二人で怒りテロを決行するが……。世の中の「普通」があまりにたやすく変わってしまうことへの違和感を突き詰め、陰謀論のその先まで突き進む印象的な作品。




『エルゴと不倫鮨』(柚木麻子)
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 薄暗い店内が、彼女主役の舞台に様変わりして、東條はますます居心地が悪くなってくる。照明の下で見ると、髪はボサボサで目の周りはクマで縁取られ、青ざめた肌に化粧けは全くない。疲れ切っている上に、若くもなく、むくんでいる。美しいところの全くない女だった。それなのに、少しも引け目に思っていなさそうなところに、東條は腹が立った。店中の視線を集めているのに、母親は平気な顔で喋り出した。
「私、鮨もワインも口にするのが一年九ヶ月ぶりなんです。今から四時間前についに夜間授乳が終わったんです」
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文庫版p.711


 小金持ちの俗物が若い女を連れてきてお持ち帰りすることが主目的の「高級」料理店。鼻持ちならないスノッブの巣窟に、突如、育児中の母親というまったく場違いな女が闖入してくる。周囲の視線を気にもせず、鮨とワインをがばがば摂取。その生命力あふれる姿、そこらのグルメ気取りの男などとうていかなわないほどの知識、下世話なのにあふれる人間的魅力。たちまち店内を掌握してしまった母親を何とかして追い出そうとする男たちに、連れの女たちが反旗を翻す。場違いなのは女口説くことしか考えてないお前らなんだよ。痛快グルメ小説。





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