『作者による解説――水晶内制度が復刊した。』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]
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ともかく、「水晶内制度」が復刊した・この復刊自体が海の上に燃える炎、奇跡と言えよう。
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単行本p.305
シリーズ“笙野頼子を読む!”第132回。
17年ぶりに復刊した『水晶内制度』エトセトラブックス版に収録された35ページの書き下ろし解説です。単行本(エトセトラブックス )出版は2020年8月。
『水晶内制度』そのものの紹介は別に書くとして(たぶん明日)、今日は復刊を記念して書き下ろされた解説というか最新エッセイを紹介します。旧版をお持ちの方も、この解説は読んだ方がいいと思います。また、最近になって笙野頼子さんの作品を読み始めた読者にもお勧め。35ページ読むだけで『水晶内制度』から『ウラミズモ奴隷選挙』までの流れと背景がわかります。
さて内容ですが、まずは『水晶内制度』が書かれた背景(純文学論争とその経緯、はびこる論畜、おんたこ言語、安倍言語)について解説します。
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今、私は振り返る。あの総理を見れば自明のこと、当時の評論家の多くに(そのうちの大部分は今も威張っている)哲学は必要ない。というか存在自体に意味がない。要するに彼らはただ経済状況に迎合した言説を展開しただけなのだ。反抗はポーズだけ。するのは金勘定だけ。気にするのは派閥だけ。女性差別がデフォルトなのに平然とフェミニズムを論じて恥を知らない。
つまり「水晶内制度」を生んだこの第三次純文学論争とはこのような言語との闘争だったということである。
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単行本p.274
続いて『水晶内制度』が書かれた当時の状況を詳しく解説。
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当時から私は小さい神棚のある書斎で執筆していた。ひとり住まいの一軒家で住宅ローンと猫を抱えて、自分の小さい神様を拝みながら書いていた。
女性が中心の世界はないのか。男がここまでひどい事するのなら、何ももう民主主義なんか気にしないでもいい、それより女だけが勝っている女の国があったらいいと、……。
それは空想にすぎないが、次第になくてはならないもうひとつの世界と化していった。むろん思いをそのまま書いてもそこに女人国はなかなか定着しない。
なので主人公の妄想の産物かもしれないと、或いは薬漬けにされているのかもしれないと、現実が幻想に見えるように書いた。ともかくお経のように極楽を書くだけでは、私などはそのまま信じてはもらえない。その上そもそも、私が書いているのは「男女平等が失われた」、「レズビアンのセックスまでも奪われた」社会なのだ。
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単行本p.277
そしてもちろん、近作において中心的テーマのひとつとなっている、暴走する新自由主義と自由貿易協定と性的搾取、それらが一体となった人喰い経済について。
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なぜ私は自由貿易批判のような経済政策批判と、この一見かけ離れた少女虐待を結び付けるのか、理由? 本当に結びついているからである。
経済暴力としてのグローバリズムが聖域を破壊し尽くす、それは一見、フェアを平等を装いつつ、狙ってくるのはまず弱者の弱い部分から提供させ、食い物にすること。
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単行本p.282
そしてこれまた『海底八幡宮』あたりから重要テーマとなっている「捕獲」および「捕獲装置」について。これ、気をつけていないと真面目な人ほどすぐにおかしな言説に取り込まれてしまうので要注意です。
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今はどのような時代なのか、なぜにこうなったのか、その本質は何なのか? グローバリズムの闇、民主主義の不全、搾取と呼ぶべきか、暴力と呼ぶべきか。
すべての悪徳の中から、私が注目するのは「捕獲」という行為である。
最初はあったはずの良心や本質を無効化する事、偽物に反権力を偽装させる事、それが根本で世の中を悪くする行為だと今は思っている。必死のひとりひとりを、その努力をすべて逆方向にねじ曲げてしまうつくり込みというか。
私はそれを「千のプラトー」から引用して拡大解釈し、「捕獲」「捕獲装置」、と呼んだりしている。
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単行本p.284
そして捕獲されたフェミニズム、イカフェミについて。
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根本、私は文学者である。学問がその怒りや原初のエネルギーを奪ってしまう前の、たとえ間違いが多くても、リスキーでも、本気で守るべき根源を持っている文学の場所に、自分の身体のある場所にとどまっていたい。というか女性である自分の心身に忠実に自分を大事にしたい。
そうでなければ女性の身体性を無視したり個々の女性の受けている被害をも黙殺したまま、理論に封殺されたイカフェミ的な学者面になってしまう。
これはつまり、私が女性をどう捉えているかという話ではない。私がたまたま女性であり、女性の体を持っているという事実に基づいた考えである。
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単行本p.287
リスク背負ったフェミニズム批判、ご本人のセクシュアリティ、性愛と結婚制度、そして女人国ウラミズモの設定解説へと、高電圧文章が続きます。
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ウラミズモを最初は刹那的な極悪社会にしようと思っていた。しかし作中から男が消えたとき、多くの女が長生きしたいとまで言いはじめた。(中略)書いているうち、滅ぶどころか、子孫繁栄女系延命のための、政治的に極悪な監視社会が出来た。確かある程度書いたあとで、最初のほうに手を入れて、子供が増える設定に変えた記憶がある。
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単行本p.294、295
ウラミズモにおいて性愛が強く抑圧されていることへの疑問や批判について。そして近作との関係について。
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痴漢強姦の横行する国でもセックスを人生の中心に据えるのか、セックスがない事で安らぎを得るために逃げて建国するのか。どちらかを選ぶしかない。(中略)女性に生まれた女性は筋肉の弱さや生理、出産等のために男性権力から付け込まれる。それをまず解決する国としてウラミズモはある。安全安心が先でセックスは消えている。
要するにこれは女社会を求めた、身も蓋もない欲望の、夢の国なのだ。そのためなら悪いこともするし民主主義の理想など絶対に求めない。
つまりは家庭そのものが牢獄であったり、通学路が処刑場である、そういうところから逃げる話である。政治的に正しくない方法論の利便性と問題点を追求するしかない。が、……。
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単行本p.295、296
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近作になると、私はどうも女人国の心地よさのほうへだけシフトしてしまっている。(中略)スピンオフされる国の雰囲気は既に、申し訳ないが最初のこわもてぶりと違ったものになっているかもしれない。同時に三の線が次第に減じつつある。
「ウラミズモ奴隷選挙」なども本作より現実感のある情景設定になってしまったため、最初は皆無だった戒厳令を国境にだけ期間限定で設定しているし、男性も周辺にだけごく一部住ませている、というようにやや、「地に足がついてきた」。
というかついに正体を現した自由貿易への批判も付け加えられてしまったので現実的にもなる。
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単行本p.296、297
余談ですが「最初のこわもてぶり」とか「三の線」という表現に笑ってしまいました。確かに。『ウラミズモ奴隷選挙』から入った読者は、男性憎悪を見せつけるため必要もないのにコストをかけてまでわざと行う男虐待とか、国の悪口を言った観光客がいきなり射殺されるとか、一致派の一方が不倫すると銃撃戦が始まっちゃう銃社会とか、原点を読んで少し戸惑うかも。ちなみに、猫沼きぬ、二尾銀鈴、両作に共通して登場するこの二人も、かなり印象が変わっているように感じられました。
最後は旧版出版後の評価、読者(男性含む)の反応、復刊までの道のり、文章に手を入れたところ、そして慣れていない読者のためのチート読みじゃなかったチュートリアル、という具合です。
もはや本書の解説という枠に収まらない、これだけの内容がぎっしり詰まった35ページ。広く読まれてほしい。
ともかく、「水晶内制度」が復刊した・この復刊自体が海の上に燃える炎、奇跡と言えよう。
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単行本p.305
シリーズ“笙野頼子を読む!”第132回。
17年ぶりに復刊した『水晶内制度』エトセトラブックス版に収録された35ページの書き下ろし解説です。単行本(エトセトラブックス )出版は2020年8月。
『水晶内制度』そのものの紹介は別に書くとして(たぶん明日)、今日は復刊を記念して書き下ろされた解説というか最新エッセイを紹介します。旧版をお持ちの方も、この解説は読んだ方がいいと思います。また、最近になって笙野頼子さんの作品を読み始めた読者にもお勧め。35ページ読むだけで『水晶内制度』から『ウラミズモ奴隷選挙』までの流れと背景がわかります。
さて内容ですが、まずは『水晶内制度』が書かれた背景(純文学論争とその経緯、はびこる論畜、おんたこ言語、安倍言語)について解説します。
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今、私は振り返る。あの総理を見れば自明のこと、当時の評論家の多くに(そのうちの大部分は今も威張っている)哲学は必要ない。というか存在自体に意味がない。要するに彼らはただ経済状況に迎合した言説を展開しただけなのだ。反抗はポーズだけ。するのは金勘定だけ。気にするのは派閥だけ。女性差別がデフォルトなのに平然とフェミニズムを論じて恥を知らない。
つまり「水晶内制度」を生んだこの第三次純文学論争とはこのような言語との闘争だったということである。
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単行本p.274
続いて『水晶内制度』が書かれた当時の状況を詳しく解説。
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当時から私は小さい神棚のある書斎で執筆していた。ひとり住まいの一軒家で住宅ローンと猫を抱えて、自分の小さい神様を拝みながら書いていた。
女性が中心の世界はないのか。男がここまでひどい事するのなら、何ももう民主主義なんか気にしないでもいい、それより女だけが勝っている女の国があったらいいと、……。
それは空想にすぎないが、次第になくてはならないもうひとつの世界と化していった。むろん思いをそのまま書いてもそこに女人国はなかなか定着しない。
なので主人公の妄想の産物かもしれないと、或いは薬漬けにされているのかもしれないと、現実が幻想に見えるように書いた。ともかくお経のように極楽を書くだけでは、私などはそのまま信じてはもらえない。その上そもそも、私が書いているのは「男女平等が失われた」、「レズビアンのセックスまでも奪われた」社会なのだ。
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単行本p.277
そしてもちろん、近作において中心的テーマのひとつとなっている、暴走する新自由主義と自由貿易協定と性的搾取、それらが一体となった人喰い経済について。
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なぜ私は自由貿易批判のような経済政策批判と、この一見かけ離れた少女虐待を結び付けるのか、理由? 本当に結びついているからである。
経済暴力としてのグローバリズムが聖域を破壊し尽くす、それは一見、フェアを平等を装いつつ、狙ってくるのはまず弱者の弱い部分から提供させ、食い物にすること。
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単行本p.282
そしてこれまた『海底八幡宮』あたりから重要テーマとなっている「捕獲」および「捕獲装置」について。これ、気をつけていないと真面目な人ほどすぐにおかしな言説に取り込まれてしまうので要注意です。
――――
今はどのような時代なのか、なぜにこうなったのか、その本質は何なのか? グローバリズムの闇、民主主義の不全、搾取と呼ぶべきか、暴力と呼ぶべきか。
すべての悪徳の中から、私が注目するのは「捕獲」という行為である。
最初はあったはずの良心や本質を無効化する事、偽物に反権力を偽装させる事、それが根本で世の中を悪くする行為だと今は思っている。必死のひとりひとりを、その努力をすべて逆方向にねじ曲げてしまうつくり込みというか。
私はそれを「千のプラトー」から引用して拡大解釈し、「捕獲」「捕獲装置」、と呼んだりしている。
――――
単行本p.284
そして捕獲されたフェミニズム、イカフェミについて。
――――
根本、私は文学者である。学問がその怒りや原初のエネルギーを奪ってしまう前の、たとえ間違いが多くても、リスキーでも、本気で守るべき根源を持っている文学の場所に、自分の身体のある場所にとどまっていたい。というか女性である自分の心身に忠実に自分を大事にしたい。
そうでなければ女性の身体性を無視したり個々の女性の受けている被害をも黙殺したまま、理論に封殺されたイカフェミ的な学者面になってしまう。
これはつまり、私が女性をどう捉えているかという話ではない。私がたまたま女性であり、女性の体を持っているという事実に基づいた考えである。
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単行本p.287
リスク背負ったフェミニズム批判、ご本人のセクシュアリティ、性愛と結婚制度、そして女人国ウラミズモの設定解説へと、高電圧文章が続きます。
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ウラミズモを最初は刹那的な極悪社会にしようと思っていた。しかし作中から男が消えたとき、多くの女が長生きしたいとまで言いはじめた。(中略)書いているうち、滅ぶどころか、子孫繁栄女系延命のための、政治的に極悪な監視社会が出来た。確かある程度書いたあとで、最初のほうに手を入れて、子供が増える設定に変えた記憶がある。
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単行本p.294、295
ウラミズモにおいて性愛が強く抑圧されていることへの疑問や批判について。そして近作との関係について。
――――
痴漢強姦の横行する国でもセックスを人生の中心に据えるのか、セックスがない事で安らぎを得るために逃げて建国するのか。どちらかを選ぶしかない。(中略)女性に生まれた女性は筋肉の弱さや生理、出産等のために男性権力から付け込まれる。それをまず解決する国としてウラミズモはある。安全安心が先でセックスは消えている。
要するにこれは女社会を求めた、身も蓋もない欲望の、夢の国なのだ。そのためなら悪いこともするし民主主義の理想など絶対に求めない。
つまりは家庭そのものが牢獄であったり、通学路が処刑場である、そういうところから逃げる話である。政治的に正しくない方法論の利便性と問題点を追求するしかない。が、……。
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単行本p.295、296
――――
近作になると、私はどうも女人国の心地よさのほうへだけシフトしてしまっている。(中略)スピンオフされる国の雰囲気は既に、申し訳ないが最初のこわもてぶりと違ったものになっているかもしれない。同時に三の線が次第に減じつつある。
「ウラミズモ奴隷選挙」なども本作より現実感のある情景設定になってしまったため、最初は皆無だった戒厳令を国境にだけ期間限定で設定しているし、男性も周辺にだけごく一部住ませている、というようにやや、「地に足がついてきた」。
というかついに正体を現した自由貿易への批判も付け加えられてしまったので現実的にもなる。
――――
単行本p.296、297
余談ですが「最初のこわもてぶり」とか「三の線」という表現に笑ってしまいました。確かに。『ウラミズモ奴隷選挙』から入った読者は、男性憎悪を見せつけるため必要もないのにコストをかけてまでわざと行う男虐待とか、国の悪口を言った観光客がいきなり射殺されるとか、一致派の一方が不倫すると銃撃戦が始まっちゃう銃社会とか、原点を読んで少し戸惑うかも。ちなみに、猫沼きぬ、二尾銀鈴、両作に共通して登場するこの二人も、かなり印象が変わっているように感じられました。
最後は旧版出版後の評価、読者(男性含む)の反応、復刊までの道のり、文章に手を入れたところ、そして慣れていない読者のためのチート読みじゃなかったチュートリアル、という具合です。
もはや本書の解説という枠に収まらない、これだけの内容がぎっしり詰まった35ページ。広く読まれてほしい。
タグ:笙野頼子
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