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『水晶内制度』(笙野頼子)(エトセトラブックス) [読書(小説・詩)]

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 世界を成立させている水晶は濁り果て曇り、蜜の入った林檎の腐りかけのように匂っている。皮がこちらの視界にめり込んで来そうな、この世界はそれでもひんやりとして、水晶で出来ている。濁った水晶の中に濁った人々が住み、少年のオブジェと女同士で繋がった女達がいる。でもそんな事さえもうどうでもいいのだ。この濁りの中から射す一点の光を待つためにだけ私は生れて来た。
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単行本p.238


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ああ神話作者火枝無性がまた地母神ミーナ・イーザが、すべての役目を終え今私の体から離れてゆく。私はただのひとりの女に戻る。しかしそれこそはまさに真の女、この世にはすでに「いない女」だった。あなたを待っていた、スクナヒコナよ。常世に消えたあなたを。今、私はオオナンジに戻る。
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単行本p.267


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第133回。


「この国の制度を濁った水晶の中に流し込んで、手の中に握ったまま不幸を抱いて死にたい」(単行本p.252)


 17年ぶりに復刊した『水晶内制度』。新版単行本(エトセトラブックス )出版は2020年8月です。エトセトラブックス版には書き下ろしで「作者による解説――水晶内制度が復刊した。」が収録されています。これについては昨日の日記を参照してください。


2020年08月26日の日記
『作者による解説――水晶内制度が復刊した。』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2020-08-26


 というわけで本書は、2003年に刊行された、ウラミズモが初登場する長編です。そこでは人間として認められるのは女性だけ。男は処分、国外退去、あるいは男性保護牧場に閉じ込められ家畜として飼育される、それがウラミズモ。男性憎悪を国是とする女人国。

 日本の良心的なフェミニストたちを裏切り踏みにじり犠牲にして、ケガレの引き受けと交換で悪い冗談のようにして日本から独立した「政治的に極悪な」国。日本にはロリコンコンテンツ制作のための元ネタを売りつけ、国内では徹底した思想統制と監視が行われている宗教国家。だが、夜道を安心して歩ける、好きな格好でいられる、男の目を意識しなくてよい、女性差別のない国。そして性愛が厳しく抑圧されたセックスレスの国。

 このウラミズモに移民してきた作家が語り手となり、国家事業としてウラミズモ建国神話の創作に挑む、というのがあらすじです。

 近作、特に『ひょうすべの国』や『ウラミズモ奴隷選挙』を先に読んで、あんまりといえばあんまりなにっほん(というかいまここ)の惨状にめげて、ウラミズモへの移住を希望している皆さんは、本書を読んで、その怒りと憎しみとむかつきとざ・ま・あに満ちた原初ウラミズモの息吹、そして建国神話に折り込まれた透き通るように美しい悲しみと喪失と祈りに、ぜひ触れてみてください。




「1 撃ちてしやまん・撃滅してしまえ」

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 私はワニか、美人か、なに故に私は生まれるのか、また私が生むのか。私は言葉を吐く。だがその言葉はどれも全部良くない言葉である。悪い言葉が舌からゲロになって宙を舞う嘘を言う、嘘を……。
 そのゲロは金属になり剣や農具と化し、嘘は四方に達し地を治める。
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単行本p.28


 ウラミズモに移民してきた作家は、大量処方される謎の薬物のせいか、大火傷のせいか、意識が混濁し、錯乱した状態で、ウラミズモを語る声や幻想を体験し、おそらく様々な神を産みつつ、ついには水晶夢のなかで海の上の炎を幻視します。こうして黄泉の国への転生が成就したのでした。「水晶夢の国にようこそ、あなたは今生まれた。」(単行本p.50)


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 理想の実現したきったない国。うらはらの国。祝う呪いの国。呪う祝いの国。裏切られず達成した願望の成就を、善人を裏切って手に入れたここは女人国。人口百四十二万人、要人用地下シェルターが全土の地下を走る。莫大な財源は旧本国からの「収入」。うるさいアナウンスは観光地の騒ぎのよう。演歌の代わりにタムタム。祝う呪う祝い呪う祝う呪い呪い呪い。
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単行本p.30


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 こうして我が国は発足しました。女だけが人間である私達の国、それさえ手に入れば他の女性勢力は別にどうなっても良かったのでした。そもそも私達は女のフェミニストをまねようとせず、一番マッチョなその癖卑怯で幼稚な男達のするようにしたのですから。つまり、――。
 もしも女が人間になろうとすれば、男女手をたずさえなどと言っているより女尊男卑の方がてっとりばやいのです。女がもし人間であろうとすればまず男を見えなくし、消費し、まったくいない存在にしてしまう事が必要と結論したのでした。そう、人類史上で男を「人」にした方法はまさにその逆だけ。男はあらゆるやり方で「人間」をやって来ていても結局はただひとつの方法だけを使って来たのですから。つまり、「女」を黙殺しそこにいない事にし、悪意も意識もなしに、ただ女の魂をずーっとなんとなく殺すという方法だけを使って「人間」になって来ていたからです。
 素直な私達は結局、「男」に学ぶ事にしたのでしょうか。いいえ、「男」の発想を収奪してまったく逆のものにしてしまう汚い乗っ取り行為、しかもそこに男の功績がまったく働いていないという完全黙殺をする鉄面皮なばっくれ方。そういう「男特有の」楽しい行為を選んだのでした。(中略)別に自称フェミニストでもなくレズビアンでもない、ただのむかつく女性達に支えられた国、それがウラミズモです。 
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単行本p.18、19




「2 わが伴もこに来む・自分の仲間に来てくれ」

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 私は私と関係のない事がどうでも良くなってしまう。でもその事に気付くと気分いいままに絶望してしまうが、それも気持ちいい絶望だ。
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単行本p.99


 作家はウラミズモで生活しながら新しい国について学んでゆく。判ったようで判然としない国のありさま。そもそも国とは何か国体とは何かそれは理解したり判ったりするものなのか。思想統制が行われている監視社会であるはずなのに、どうも切迫感や恐怖感がなく、何となく楽に生きていける事に戸惑う作家。自分はウラミズモに取り込まれて、洗脳されている途中なのだろうか。


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こっちにいる私の切迫感のなさはどうだ。あまりの快適さに私はもう生まれ変わってしまったのだ。ひどい国かもしれないのに、来てまもなくのせいか、まだあまり知らぬせいか、いや何よりもこの快適さに酔ってしまい、まったく自然な国だとも思えて来るのだった。そして自分にとって自然な国という事が自分を弾圧するはずのない国という狂的確信に繋がってしまって――。
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単行本p.57


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 前の国では人権も法律もきちんとしていたのに、その一方抑圧されている、口を塞がれているという感じは凄かった。というより私は見えなくされていて何を言っても書いても全部無かった事にされてしまったのだ。ところがこのひどい統制国家のただ中で、私は生存適者として、前よりも無事でいられたのだ。それもただ単に女として生まれたというだけの事で。
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単行本p.62


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 まあ別に前の国だって生まれてから何十年も住んでいた割りにはどういう国なのかここに来るまではよく判らなかったのだから、ここが判らないのは当然と言える。しかも判らないままで十分に生活出来るのも前の国と同じだ。むしろここに来てから私は進歩したのかもしれない。というのもここに来るまで自分がどういう国に住んでいたかどころではなく判らないという事さえ意識してなかったから。
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単行本p.98




「3 ぬえくさの 女にしあれば・なえた草のような女だから」

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――スクナヒコナとオオナンジは二度と会うことがない。その怒りと悲しみの上に国は生まれた。
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単行本p.169


 そもそも一代で滅びる前提のやけくそ中指立国だったはずが、気がつけば国民はおおむね生活に満足しており人口も増えてきて、どうやら末永く続けてゆかなければならないはめになったウラミズモ。国民の意識のなかで国が国として成立し、正当化され、結束を固めるために、必要不可欠なのが神話。そもそも、女の存在がなかったことにされるのも、先住民族が権力に歯向かうとなぜか激怒する人が大量にわくのも、権力に都合がいいように改竄され捏造された記紀神話の力。ならば対抗するカウンター神話が必要。というわけで、作家に与えられた国家的使命、それは日本神話を裏返すことでウラミズモ建国神話を創出することだった。


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結局は女とうまくやっていける好ましい男達は全員殺されたり奴隷にされたりし、世の中には感じ悪い男と抑圧された女だけが残ったのだ。そこから逆算し辻褄を合わせて、国家神話である記紀の編纂が始まったのだ。だから記紀にはいろいろ女に不都合な事が書かれている。神話は女の側からの真実を抑圧し、感じのいい男を削除する事で成立した。
 日本神話はこのようにして男に都合いい「虚構」となったのだ。つまりもし稗田阿礼が女だったとしてもそれは既に抑圧された女の代表に過ぎないという事なのである。――というような解釈は多分私自身が火枝無性というペンネームをあたえられてしまった時に運命的に持たされてしまったものなのであろう。結局は国家に働かされているだけの作家という面が私にはあった。
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単行本p.168


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 神話はその国の人間の意識や行動のパターンの規範であるように設定されるべきで、それを全ての行動や心理の中心に置く事で――国の、家族の、個人の建前も心境も感情の流れまでもツクッて行くのである。そういう意味では民主主義などうわついた竜のごとき理念である。
 私はウラミズモの国家理念を地に付けるため、日本神話を解釈しなおし、「日本に眠っていたウラミズモの魂を掘り起こした」のだ。解釈は恣意的にするべきものと、もし神話を奪還しようとしたら、自分達に都合のいいように奪還するしかないと開きなおっていた。
 と言ってしまうと身も蓋もないようだが、一方で私自身はその解釈の中に一抹の誠実さを盛ったつもりだった。つまり日本神話が男性に都合良く出来ているのならばそこを追求して訂正し続ければ、その一面だけでも古代の真実に至るのではないかという希望を持ったからだ。(中略)ここへ来る前の私はむしろ神話を読み解いて古代の事実に近づきたい、というよりそれを切実に想像し小説に書きたいと念じていたのだった。
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単行本p.137、138


 ここで語られる「神話を読み解いて古代の事実に近づきたい、というよりそれを切実に想像し小説に書きたい」という願いは、実際に『海底八幡宮』や『人の道御三神といろはにブロガーズ』、そして荒神シリーズへと展開してゆきます。ここで語られるウラミズモ神話とその神話解釈ロジックを念頭に入れておくと、後の作品が割とすっと読めるようになるのでお勧め。


 あと三章の後半では保護牧見学と金花高校執行式の様子が語られますが、紹介はちょっと割愛します。なお、『水晶内制度』と『ウラミズモ奴隷選挙』では時代が離れていると私はなぜか思い込んでいたのですが、猫沼きぬ、二尾銀鈴、という二人が両作に共通して登場する(ただし名前は少しだけ変えてある)ことで、そうではないことにさっき気付きました。余談ですが。




「4 世の尽々に・生命終わるまで」

 作家は最後の水晶夢を通じて神話を完成させる。そしてすべての役目を終えてオオナンジに戻り、常世でスクナヒコナと再会するのだった。というと、ここまでやっておいて何そのベタなラブロマンス、と思うかも知れませんが、これが泣けるのです。後の『萌神分魂譜』や『おはよう、水晶-おやすみ、水晶』にも似た、この祈りのような切なく美しく恐ろしい32ページをぜひお読みください。





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