『逆回りのお散歩』(三崎亜記) [読書(小説・詩)]
「これはもう、戦争なんだよ(中略)、情報を捏造・隠蔽する報道側と、ネットで真実を拡散する市民との戦争だ」(単行本p.24)
陰謀論を振りかざし地方行政を叩くネット世論、黙殺を決め込む自治体とマスコミ。巧妙な煽りにより対立は激化してゆくが・・・。「真実」なきネット時代の生き方を問う最新長編。デビュー作『となり町戦争』の前日譚も併録。単行本(集英社)出版は、2012年11月です。
「ネットでの炎上から、どれだけ現実の炎上へと広げて行けるかが、勢力拡大の鍵となるんだ」(単行本p.43、44)
A市とC町の行政統合、いわゆる市町村合併が進められるなか、ネット上の匿名掲示板で批判、というか炎上が起こります。
いわく、このままではA市はC町に乗っ取られてしまう。C町の住民は民度が低い。地区サッカー試合でC町が勝ったのは審判を買収したからだ。A市役所職員の多くがC町の工作員。何十年にも渡って乗っ取りを画策しながら、子供たちを自虐史観で洗脳してきた。そして今やネットで真実を知った自分たちに、差別主義者というレッテルを張って排除しようとしているのだ、うんぬん。
やがて煽りに乗せられたネット住民たちが、C町特産品フェアを開催したスーパーに対する不買運動を起こしたり、市役所へ一斉に電凸かけて業務を麻痺させたり、警察に妨害されないように多人数による一斉お散歩の形をとったデモを実行したりと、匿名のまま「統合反対運動」をエスカレートさせてゆく。
しかし、それは本当に「ネットで真実を知った市民が自発的に立ち上がった郷土愛運動」なのだろうか、あるいは単なる言いがかりと鬱憤晴らしに過ぎないのだろうか。行政側は本当に何も隠していないのか。マスコミがこのことを一切報道しないのはなぜだろうか。
「責任? そんなものは誰も取らないよ」(単行本p.60)と言い放つネット住民にも共感できないが、その一方「不満ばかりで何も変える気のない友人たちよりは、まだA市にとって有益な存在なのかもしれない」(単行本p.64)とも思えてきて、自らの立ち位置に悩む主人公。やがて、一連の騒動の背後で暗躍している存在に気づいてゆき、自分がすでに深く巻き込まれていることを知るのだが・・・。
というわけで、現実を戯画化しながら「個人が何を思おうが、それとはまったく無関係に、圧倒的な「見えざるものの力」によって物事は進んでゆく」(単行本p.34)ことについて、真正面から切り込んでゆく長編です。思えば、これこそ常に三崎亜記さんの作品の中核にあるテーマではないか、と思います。
ネットから流される大量の情報によって、何が真実なのか、何をどう判断すればいいのか、誰にも分からなくなっている現在。デマ、捏造、偏見、同調圧力(空気)といったものから独立した「真実」など手に入らないが、だからといって「真実を確かめる術はない。だとしたら、何を「真実」として「選び取るか」という問題」(単行本p.155)と割り切ってしまっていいのでしょうか。主人公の葛藤に共感する人は多いでしょう。
なお、併録されている短篇『戦争研修』は、デビュー長編『となり町戦争』の前日譚に相当する作品。持ち回りで「戦争事業実務研修」に出席することになった市役所の女性職員が、職務として「自治体同士の戦争の仕方」を学ぶという話。
「どうします? 森見町と、戦争、していただけますか」(単行本p.214)
死傷者もすべて付随的経費(特別会計)扱いされる自治体戦争業務に対する違和感を拭い切れないまま、やがてそこで出会ったとなり町の男性職員からプロポーズ、じゃなかった、何だっけ、エンゲージ? つまり開戦の打診(役所なので、宣戦布告の前に相手市役所との間で十分な根回しと協議が必要)を受けることに。
その後の展開を知っておいた方が楽しめますので、まずは『となり町戦争』を読んでおくことをお勧めします。
陰謀論を振りかざし地方行政を叩くネット世論、黙殺を決め込む自治体とマスコミ。巧妙な煽りにより対立は激化してゆくが・・・。「真実」なきネット時代の生き方を問う最新長編。デビュー作『となり町戦争』の前日譚も併録。単行本(集英社)出版は、2012年11月です。
「ネットでの炎上から、どれだけ現実の炎上へと広げて行けるかが、勢力拡大の鍵となるんだ」(単行本p.43、44)
A市とC町の行政統合、いわゆる市町村合併が進められるなか、ネット上の匿名掲示板で批判、というか炎上が起こります。
いわく、このままではA市はC町に乗っ取られてしまう。C町の住民は民度が低い。地区サッカー試合でC町が勝ったのは審判を買収したからだ。A市役所職員の多くがC町の工作員。何十年にも渡って乗っ取りを画策しながら、子供たちを自虐史観で洗脳してきた。そして今やネットで真実を知った自分たちに、差別主義者というレッテルを張って排除しようとしているのだ、うんぬん。
やがて煽りに乗せられたネット住民たちが、C町特産品フェアを開催したスーパーに対する不買運動を起こしたり、市役所へ一斉に電凸かけて業務を麻痺させたり、警察に妨害されないように多人数による一斉お散歩の形をとったデモを実行したりと、匿名のまま「統合反対運動」をエスカレートさせてゆく。
しかし、それは本当に「ネットで真実を知った市民が自発的に立ち上がった郷土愛運動」なのだろうか、あるいは単なる言いがかりと鬱憤晴らしに過ぎないのだろうか。行政側は本当に何も隠していないのか。マスコミがこのことを一切報道しないのはなぜだろうか。
「責任? そんなものは誰も取らないよ」(単行本p.60)と言い放つネット住民にも共感できないが、その一方「不満ばかりで何も変える気のない友人たちよりは、まだA市にとって有益な存在なのかもしれない」(単行本p.64)とも思えてきて、自らの立ち位置に悩む主人公。やがて、一連の騒動の背後で暗躍している存在に気づいてゆき、自分がすでに深く巻き込まれていることを知るのだが・・・。
というわけで、現実を戯画化しながら「個人が何を思おうが、それとはまったく無関係に、圧倒的な「見えざるものの力」によって物事は進んでゆく」(単行本p.34)ことについて、真正面から切り込んでゆく長編です。思えば、これこそ常に三崎亜記さんの作品の中核にあるテーマではないか、と思います。
ネットから流される大量の情報によって、何が真実なのか、何をどう判断すればいいのか、誰にも分からなくなっている現在。デマ、捏造、偏見、同調圧力(空気)といったものから独立した「真実」など手に入らないが、だからといって「真実を確かめる術はない。だとしたら、何を「真実」として「選び取るか」という問題」(単行本p.155)と割り切ってしまっていいのでしょうか。主人公の葛藤に共感する人は多いでしょう。
なお、併録されている短篇『戦争研修』は、デビュー長編『となり町戦争』の前日譚に相当する作品。持ち回りで「戦争事業実務研修」に出席することになった市役所の女性職員が、職務として「自治体同士の戦争の仕方」を学ぶという話。
「どうします? 森見町と、戦争、していただけますか」(単行本p.214)
死傷者もすべて付随的経費(特別会計)扱いされる自治体戦争業務に対する違和感を拭い切れないまま、やがてそこで出会ったとなり町の男性職員からプロポーズ、じゃなかった、何だっけ、エンゲージ? つまり開戦の打診(役所なので、宣戦布告の前に相手市役所との間で十分な根回しと協議が必要)を受けることに。
その後の展開を知っておいた方が楽しめますので、まずは『となり町戦争』を読んでおくことをお勧めします。
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