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『プラスマイナス 183号』 [その他]

 『プラスマイナス』は、詩、短歌、小説、旅行記、身辺雑記など様々な文章を掲載する文芸同人誌です。配偶者が編集メンバーの一人ということで、宣伝を兼ねてご紹介いたします。


[プラスマイナス183号 目次]
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巻頭詩 『3月ウサギが飛んで行く より』(深雪)、イラスト(D.Zon)
俳句  『微熱帯 43』(内田水果)
エッセイ『黒白猫の権利拡張』(島野律子)
詩   『3月ウサギが飛んで行く』(深雪)
詩   『四季島』(琴似景)
詩   『川州へ』(多亜若)
詩   『傘を落とす』(島野律子)
川柳  『四、五色の山で』(島野律子)
小説  『一坪菜園生活 65』(山崎純)
エッセイ『香港映画は面白いぞ 183』(やましたみか)
イラストエッセイ 『脇道の話 122』(D.Zon)
編集後記
 「おべんとうのはなし」 その4 多亜若
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 盛りだくさんで定価300円の『プラスマイナス』、お問い合わせはX(Twitter) @shimanoritsukoまでDMでどうぞ。





タグ:同人誌
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『国歌を作った男』(宮内悠介) [読書(小説・詩)]

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 自分が半端者だという意識が常にある。だから変わりたくて、短編ごとにいろいろな工夫をやっている。でも今回、七年くらいにわたって散発的に書いたミステリやらSFやら純文やらを眺めてみて、「あんまり変わってないな」という印象を受けた。
 三つ子の魂なんとやら、というやつだろうか。
 それとも、ぼくが自覚していないだけで、少しずつ上達しているのか。できればそうあってほしい。これからも、たくさん小説を書いていきたいので。
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「あとがき」より


 ユーモアミステリから奇想小説、長編『ラウリ・クークスを探して』の原型まで、13篇を収録した短編集。単行本(講談社)出版は2024年2月です。




収録作品

『ジャンク』
『料理魔事件』
『PS41』
『パニック ―― 一九六五年のSNS』
『国歌を作った男』
『死と割り算』
『国境の子』
『南極に咲く花へ』
『夢・を・殺す』
『三つの月』
『囲いを越えろ』
『最後の役』
『十九路の地図』




『料理魔事件』
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 わたしたちが追っているのは、通称“料理魔”事件――もう少しお堅い言いかたをするなら、T市連続家宅侵入事件だった。犯行がなされるのは、たいていお昼どき。犯人は家主の不在時に部屋に侵入し、冷蔵庫の食材で勝手に料理をして帰っていく。(中略)
 料理は各家庭の冷蔵庫にあるもので作られる。だから基本的にメニューは一定しない。魚かもしれないし、肉かもしれない。“本日の定食”というやつだ。
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 留守宅に侵入しては勝手に料理を作って去る謎の犯人、通称“料理魔”。いったいなぜそんなことをするのか。ユーモアミステリの傑作。




『国歌を作った男』
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 人一人が生きた軌跡は要約できない。要約可能なもの以外は存在しない世界にあっては。それにしたがうなら、ジョンはどこにもいなかったということになる。あるいは、国歌というフレーズだけがある。
 要約された世界において、ジョンは十一年生のときに『ヴィハーラ3』を開発し、そしてユダヤ人少年が入手難のソフト目当てに殺され、それも含めて社会現象となった。要約された世界において、「ヴィハーラ」のさまざまなモチーフが下位文化に染み出て、電子耽美主義(Digital Aestheticism)と呼ばれる文化圏を作るに至った。要約された世界において、ジョンという高校生プログラマの姿が、新たな時代の精神のアイコンとなった。
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 コンピュータゲームとその音楽によって時代のアイコンとなった一人の若者の姿をえがく力作。長編『ラウリ・クークスを探して』の原型となる作品。




『夢・を・殺す』
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 納期まで一ヶ月を切った。
 ぼくは、本格的に夢を殺す作業にとりかかった。(中略)
 最初は一進一退だった。
 ある幽霊を隠すと、今度は別の場所に幽霊が現れる。けれど、ぼくは力ずくでのプログラミングを進めていった。彼らは一人ひとり……いや、一つずつ姿を消し、ひょんなタイミングで現れたりしながらも、総体としては、徐々に数を減らしていった。
 昔、手のなかで新たな宇宙が生まれてくるそのことが、ただ純粋に楽しかったいっとき。そのころ作ったキャラクタたちは、声もなく姿を消していった。
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 かつて純粋にプログラミングが楽しかったあの頃の夢。だが小さな会社で納期に追われてソフト開発を進めている今、その夢の欠片がどこからともなく幽霊のようにバグとして混入してくる。仕事のために、納期のために、生活のために、若き日の夢を殺し続けるうちに語り手の心には大きな負担がかかってゆく。プログラム開発の喜びと苦しみが切実にえがかれる。




『三つの月』
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 それからもわたしは足繁く香月のもとへ通いつづけた。半分は、無視できない事実として、心身の調子がよくなっていくから。残りの半分に、見極めてやりたいという気持ちがあった。つまりは、自分がなんらかの奇術めいたものにかけられているのか、それとも、本当にこれまで知らずにいた、見えていなかった世界があるのかを。(中略)わたしにとって香月の施術は、いや、ことによると香月という存在そのものが、刃の切っ先のようにわたしに問いをつきつけてくるのだった。
 おまえは真の意味で患者を治療しているのか、と。
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 メンタルクリニックの医師である語り手は、あるとき中国整体の店で施術を受け、とてもプラセボ効果とは思えないほどの効果に驚く。エビデンス重視の西洋医学とは異なる治療に興味を持つとともに、自分が行っている治療が本当に病気を治しているのかという迷いも生まれるのだった。心身を癒すという行為をテーマとした作品。





タグ:宮内悠介
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『世界ぐるぐる怪異紀行 どうして“わからないもの”はこわいの?』(奥野克巳:監修) [読書(オカルト)]

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 みなさんにとって「妖術」という説明は突飛に聞こえるかもしれません。しかしでは、みなさんは本当に「病原菌」を見たことがあるでしょうか。それが一般的に「ある」と言われ、「病気の原因」だと教えられたから、そう思うのが当たり前だと思っているだけではないでしょうか。自分で見て確かめてもいないのに、その存在を確信しているという意味では、「病原体」も「妖術」も似たようなものといえるでしょう。だから、「妖術」という説明ロジックを持っている文化が遅れていて非合理的だとかいうわけでは全然ないのです。(中略)日常生活は様々な「偶然」に満ちています。妖術とは、なぜそれが自分に起こっているのかよくわからないことも多い日常生活を、上手く説明し、納得させてくれるものだといえるでしょう。
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「ペナンの妖術師」より


 呪術や怪物などの「怪異」を信じている文化は非科学的で遅れているのでしょうか。逆にいうなら「宇宙人が人々を誘拐している」と信じる文化は科学的で先進的だといえますか。本書では9人の文化人類学者がそれぞれのフィールドワークを通して、世界各地で信じられている怪異を調査し、それが人々の生活にどのように活かされているのかを語ります。怪異を信じるのには理由があり、そこには意味や背景があるのです。「ある/ない」「科学的/非科学的」といった視点から離れて、怪異の文化的側面を考えるための入門書。「14歳の世渡り術」シリーズの一冊。単行本(河出書房新社)出版は2024年3月です。


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 自らの怪異体験を語った文化人類学者は、私や彼ら以外にもこれまでにもたくさんいます。でも、文化人類学者たちが自ら調査研究してきた土地で出会った怪異現象や怪異体験だけを集めた本は、意外にもこれまではなかったようです。本書で見てきたように、一言で怪異と言っても、それは、その土地の呪術信仰のあり方や、精霊や悪魔や魔女などに対する考えの違いによって、とても多様なのです。
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「おわりに」より


目次

1 村津蘭「ベナンの妖術師」…ベナン
2 古川不可知「ヒマラヤの雪男イエティ」…ネパール(クンブ地方)
3 藤原潤子「どうして「呪われた」と思ってしまうの?──現代ロシアの呪術信仰」…ロシア
4 近藤宏「かもしれない、かもしれない……」…パナマ東部(中南米)
5 福井栄二郎「ヴァヌアツで魔女に取り憑かれる」…ヴァヌアツ(アネイチュム島)
6 平野智佳子「中央オーストラリアの人喰いマムー」…オーストラリア(中央部)
7 奥野克巳「幼児の死、呪詛と猫殺しと夢見」…ボルネオ島(東南アジア島しょ部)
8 川口幸大「鬼のいる世界」…中国(広東省)
9 イリナ・グリゴレ「映像によって怪異な他者と世界を共有する方法──ジャン・ルーシュの民族誌映画が啓く新しい道」…日本


 妖術、魔女、イエティ、人食い怪物、鬼。世界各地の様々な怪異を文化人類学の視点から調査してゆきます。怪異が「本当に存在するか」ではなく、その伝承を人々はどのように活かしているか、という観点が中心となります。例えば。


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 様々な人びとの記憶が語りとともに重ねられ、実体不明のマムーは次第に大きな「真実」となります。この物語化のプロセスは、アナング独自の歴史実践に由来するものです。アナングは家族や親族が語る物語の中にリアリティを見いだします。文字を持たないアナングは、こうした口頭伝承によって自分たちの世界を創造し、維持してきました。彼らは物語を重ねていくプロセスで、自らの歴史を経験します。その歴史観は、過去から未来といった直線的な時間の流れの中に位置づけられる歴史観とはまったく異なるものです。アナングの間では、情報が拡散され、紡がれ、物語が形づくられ、次第に「真実」として共有されていきます。つまり、マムーは大きな物語の中に息づく怪物と言えるでしょう。
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「中央オーストラリアの人喰いマムー」より


 たとえ研究者であっても、物語の力から逃れることが出来るとは限りません。例えば次のように。


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 こうした呪いの物語は、時に研究者さえ絡め取ってしまいます。ロシアで呪術調査をするにあたって、ロシア科学アカデミー・カレリア支部所属の民族学者が協力してくれたのですが、彼が呪術を心底信じていたのは驚きでした。(中略)私は最初、呪術を信じすぎている、研究者からもっと客観的であるべきではないか、と批判したこともあるのですが、しばらくして彼こそが絶好の資料だと気づきました。
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「どうして「呪われた」と思ってしまうの?」より


 さらには研究者が自ら怪異を体験する、ということも決して稀なことではないことがわかります。


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 魔女に取り憑かれてしまいました。これは困ったぞ。だけど文化人類学者のヘンなところは、こういうとき、心のどこかで「ラッキー」と思っていることです。これで現地の文化の「舞台裏」をのぞき見できるかもしれない。島の人たちだけが知る「本当の文化」に触れられるかもしれない。正直に告白すれば、そのときの僕も、気持ちが少し小躍りしていました。
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「ヴァヌアツで魔女に取り憑かれる」より


 というわけで、本書を読めば、自分とは異なる文化圏にいる人々が「怪異」を信じているからといって、それを愚かだとか、迷信だとか、見下すような発想は根本的に間違っていることがよく分かります。逆に自分が信じている「怪異」、たとえば心霊現象や祟りや妖怪やUFOやUMAについても、それが実際にあるかないかではなく、なぜ私たちの文化はそれを必要としているのかという視点から考えることが大切、ということを教えてくれる一冊です。





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『The Waves』(ノエ・スーリエ) [ダンス]

 2024年3月30日は、改修工事が完了しリニューアルオープンした彩の国さいたま芸術劇場に夫婦で行って、ノエ・スーリエの初来日公演を鑑賞しました。ヴァージニア・ウルフによる同名の長編にインスパイアされた1時間強の作品です。


[キャスト他]

振付: ノエ・スーリエ
出演: ステファニー・アムラオ、ジュリー・シャルボニエ、アドリアーノ・コレッタ、船矢祐美子、ナンガリンヌ・ゴミス、ナン・ピアソン
パーカッション演奏: トム・ドゥ・コック、ゲリット・ヌレンス(イクトゥス)


 現代音楽アンサンブル・イクトゥスといえばローザスの公演でおなじみ。今作では二名によるパーカッションが、ダンスと共に舞台を作り上げてゆきます。木管金管を叩く軽快な音、弦楽器の弓でこすることで生ずる擦過音、ドラムの重たい衝撃音、あとこれは録音なのかも知れませんがシンセっぽい重低音など、さまざまな音が鳴り響く。観客には現代音楽の熱心なファンもかなりいた様子。

 ダンサーが数名ずつ動くシーン、ソロで動くシーン、そしてソロでヴァージニア・ウルフの小説の一節を朗読するシーン、などが組み合わされます。倒立しようとしてやめる、何かを投げようとする、など要素となる動きを様々に組み合わせて構築してゆく舞台は、おそらく原作小説の構成をダンスに翻訳したものと思われるのですが、原作未読のためそのへんよく分からず。





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