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『世界ぐるぐる怪異紀行 どうして“わからないもの”はこわいの?』(奥野克巳:監修) [読書(オカルト)]

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 みなさんにとって「妖術」という説明は突飛に聞こえるかもしれません。しかしでは、みなさんは本当に「病原菌」を見たことがあるでしょうか。それが一般的に「ある」と言われ、「病気の原因」だと教えられたから、そう思うのが当たり前だと思っているだけではないでしょうか。自分で見て確かめてもいないのに、その存在を確信しているという意味では、「病原体」も「妖術」も似たようなものといえるでしょう。だから、「妖術」という説明ロジックを持っている文化が遅れていて非合理的だとかいうわけでは全然ないのです。(中略)日常生活は様々な「偶然」に満ちています。妖術とは、なぜそれが自分に起こっているのかよくわからないことも多い日常生活を、上手く説明し、納得させてくれるものだといえるでしょう。
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「ペナンの妖術師」より


 呪術や怪物などの「怪異」を信じている文化は非科学的で遅れているのでしょうか。逆にいうなら「宇宙人が人々を誘拐している」と信じる文化は科学的で先進的だといえますか。本書では9人の文化人類学者がそれぞれのフィールドワークを通して、世界各地で信じられている怪異を調査し、それが人々の生活にどのように活かされているのかを語ります。怪異を信じるのには理由があり、そこには意味や背景があるのです。「ある/ない」「科学的/非科学的」といった視点から離れて、怪異の文化的側面を考えるための入門書。「14歳の世渡り術」シリーズの一冊。単行本(河出書房新社)出版は2024年3月です。


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 自らの怪異体験を語った文化人類学者は、私や彼ら以外にもこれまでにもたくさんいます。でも、文化人類学者たちが自ら調査研究してきた土地で出会った怪異現象や怪異体験だけを集めた本は、意外にもこれまではなかったようです。本書で見てきたように、一言で怪異と言っても、それは、その土地の呪術信仰のあり方や、精霊や悪魔や魔女などに対する考えの違いによって、とても多様なのです。
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「おわりに」より


目次

1 村津蘭「ベナンの妖術師」…ベナン
2 古川不可知「ヒマラヤの雪男イエティ」…ネパール(クンブ地方)
3 藤原潤子「どうして「呪われた」と思ってしまうの?──現代ロシアの呪術信仰」…ロシア
4 近藤宏「かもしれない、かもしれない……」…パナマ東部(中南米)
5 福井栄二郎「ヴァヌアツで魔女に取り憑かれる」…ヴァヌアツ(アネイチュム島)
6 平野智佳子「中央オーストラリアの人喰いマムー」…オーストラリア(中央部)
7 奥野克巳「幼児の死、呪詛と猫殺しと夢見」…ボルネオ島(東南アジア島しょ部)
8 川口幸大「鬼のいる世界」…中国(広東省)
9 イリナ・グリゴレ「映像によって怪異な他者と世界を共有する方法──ジャン・ルーシュの民族誌映画が啓く新しい道」…日本


 妖術、魔女、イエティ、人食い怪物、鬼。世界各地の様々な怪異を文化人類学の視点から調査してゆきます。怪異が「本当に存在するか」ではなく、その伝承を人々はどのように活かしているか、という観点が中心となります。例えば。


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 様々な人びとの記憶が語りとともに重ねられ、実体不明のマムーは次第に大きな「真実」となります。この物語化のプロセスは、アナング独自の歴史実践に由来するものです。アナングは家族や親族が語る物語の中にリアリティを見いだします。文字を持たないアナングは、こうした口頭伝承によって自分たちの世界を創造し、維持してきました。彼らは物語を重ねていくプロセスで、自らの歴史を経験します。その歴史観は、過去から未来といった直線的な時間の流れの中に位置づけられる歴史観とはまったく異なるものです。アナングの間では、情報が拡散され、紡がれ、物語が形づくられ、次第に「真実」として共有されていきます。つまり、マムーは大きな物語の中に息づく怪物と言えるでしょう。
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「中央オーストラリアの人喰いマムー」より


 たとえ研究者であっても、物語の力から逃れることが出来るとは限りません。例えば次のように。


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 こうした呪いの物語は、時に研究者さえ絡め取ってしまいます。ロシアで呪術調査をするにあたって、ロシア科学アカデミー・カレリア支部所属の民族学者が協力してくれたのですが、彼が呪術を心底信じていたのは驚きでした。(中略)私は最初、呪術を信じすぎている、研究者からもっと客観的であるべきではないか、と批判したこともあるのですが、しばらくして彼こそが絶好の資料だと気づきました。
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「どうして「呪われた」と思ってしまうの?」より


 さらには研究者が自ら怪異を体験する、ということも決して稀なことではないことがわかります。


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 魔女に取り憑かれてしまいました。これは困ったぞ。だけど文化人類学者のヘンなところは、こういうとき、心のどこかで「ラッキー」と思っていることです。これで現地の文化の「舞台裏」をのぞき見できるかもしれない。島の人たちだけが知る「本当の文化」に触れられるかもしれない。正直に告白すれば、そのときの僕も、気持ちが少し小躍りしていました。
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「ヴァヌアツで魔女に取り憑かれる」より


 というわけで、本書を読めば、自分とは異なる文化圏にいる人々が「怪異」を信じているからといって、それを愚かだとか、迷信だとか、見下すような発想は根本的に間違っていることがよく分かります。逆に自分が信じている「怪異」、たとえば心霊現象や祟りや妖怪やUFOやUMAについても、それが実際にあるかないかではなく、なぜ私たちの文化はそれを必要としているのかという視点から考えることが大切、ということを教えてくれる一冊です。





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『亜宗教 オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで』(中村圭志) [読書(オカルト)]

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 ニューエイジであれ、カスタネダであれ、それらは呪術(超常体験を引き起こす技とされるもの)に対する期待感というか、親和性のようなものが非常に強いことを特徴としている。「意識の変革」「意識の進化」という大義のためには、何であれ常識から離脱することが求められており、呪術ないしオカルトはこれにうってつけのテーマだった。あるいは単にオカルトがやりたくて、意識の変革を言い訳にしたものか。(中略)
 大事な点は、こうしたカルトに見られる曖昧なオカルト意識は、80年代~90年代初頭において一般社会も共有していたということだ。(中略)嘘ともホントともつかぬところを楽しむカスタネダ的著作やカスタネダ的読解を称揚する80年代の人文系の精神には、こうした落とし穴が待っていたのだ。
 やはり、物理的事実の話なのか、文化的解釈の話なのかといったような、この上なく野暮な追求は、いつの場合も欠かさないようにしたほうがいいのである。これがニューエイジ・ブームの最大の教訓だ。
 これはカルト問題を超えて、宗教一般にも、トランプ劇場のような政治的レトリックにも通ずる問題である。
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『第7章 ニューエイジ、カスタネダ、オウム真理教事件』より


 降霊術、妖精写真、動物磁気、骨相学、催眠術、千里眼、ファンダメンタリズム、UFO、エイリアンアブダクション、ニューエイジ思想、カスタネダ、オウム真理教、超能力、抑圧された記憶、シンクロニシティ、ポストモダン言説、臨死体験、レプティリアン陰謀論、Qアノン、新無神論。宗教研究者が、宗教に似ているが伝統宗教そのものではない思想潮流や流行言説を「亜宗教」としてまとめ、時代背景との関係を俯瞰してゆく近代オカルト史研究本。単行本(集英社インターナショナル)出版は2023年4月です。


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 人間はいつでも個人的に思索をおこなっているが、たいていそうした考えは夢想的なもので、それがしかるべきチェックを受けることなく社会に出てくれば、疑似科学やオカルトになる。そのうちのいくつかはブームを呼び、「新時代がはじまった」と喧伝されるが、やがてマンネリ化し、勢力を失っていく。
 亜宗教が人間の知恵の発展に積極的に寄与することは概ねないと言えるだろうが、しかし、人類思想史の裏側を教えてくれるという意味で、貴重な情報アーカイブとなっているのである。
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『序章 宗教と科学の混ざりもの』より




目次

序章 宗教と科学の混ざりもの

第1部 西洋と日本の心霊ブーム 19→20世紀
 第1章 19~20世紀初頭の心霊主義
 第2章 コックリさんと井上円了の『妖怪学講義』
 第3章 動物磁気、骨相学、催眠術──19世紀の(疑似)科学
 第4章 明治末の千里眼ブームと新宗教の動向
 補章 伝統宗教のマジカル思考

第2部 アメリカ発の覚醒ブーム 20→21世紀
 第5章 ファンダメンタリストとモンキー裁判
 第6章 UFOの時代──空飛ぶ円盤から異星人による誘拐まで
 第7章 ニューエイジ、カスタネダ、オウム真理教事件
 第8章 科学か疑似科学か?──ESP、共時性から臨死体験まで
 終章 陰謀論か無神論か? 宗教と亜宗教のゆくえ




第1部 西洋と日本の心霊ブーム 19→20世紀
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 宗教が退潮に向かう19世紀において、科学の周縁にありつつ民衆的願望に沿う形で再組織された亜宗教・疑似科学的営為という形で、さまざまなものが芋づる式に存在していたのである。そこには主流派の「宗教」に対しても「科学」に対しても批判的な目を向けるという側面もあった。
 この構図には時代を超えた普遍性があるので、20世紀後半に、ニューサイエンスやポストモダン言説、さらに各種の疑似科学の百花繚乱という形で反復されることになる。
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 19世紀から20世紀にかけての亜宗教として心霊主義や千里眼、新宗教などを取り上げ、そこに含まれている、現代にも通じる構造を読み解いてゆきます。




第2部 アメリカ発の覚醒ブーム 20→21世紀
第5章 ファンダメンタリストとモンキー裁判
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 都会や大学の知識人たちは、裁判の動向に興味津々ではあったが、時代遅れのファンダメンタリズムなど、やがて淘汰され消えていくものだと考えていた。
 しかし、すでに述べたように、根っこには南北戦争以来の怨恨があり、また、大学出のエリートが民衆に理解できない議論をすることへの、あるいは、科学の恩恵を受けた産業資本家たちが社会にのさばっていることへの憤懣もたまっていたわけだから、「科学の進歩ともとに迷妄は打ち払われる」と断言できるほど単純なものではなかったのだ。
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 公立学校で進化論を教えた教師が訴えられたスコープス裁判が全米の注目を集めたのはなぜか。「宗教と科学の衝突」とまとめられることが多いこの問題が、それほど単純なものではないことを解説します。




第6章 UFOの時代──空飛ぶ円盤から異星人による誘拐まで
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 このように、科学的説明は、自分が自分固有のものだと感じている日々の体験から、自分特有の個性のオーラを奪ってしまうのだ。
 かくしてあなたの体験の固有性、あなた自身の個性を保証するものとして、一つの科学的ではない説明、すなわち、あなたの受けた感触の起源を異星人による誘拐と人体実験というまったく風変わりな事象に帰する説明が、この上なく魅力的なものとなるのである。(中略)
 どうやら人間とは、事実やら「不都合な真実」なんかのために生きている動物ではないのだ。自分という存在に深い満足を感じたいがために生きている。
 思い入れ、アイデンティティ、自己満足、安心立命――なんでもいいが、そういった「実存」的なもののために生きているのである。
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 空を飛ぶ正体不明なものを見た、政府は重大な秘密を隠している、一般人がアブダクションされ生体実験の被害を受けている。これら本質的には無関係な主張がUFOの名のもとにひとつに結びつけられるのはなぜか。その背後にある構造と時代背景との関係に迫ります。




第7章 ニューエイジ、カスタネダ、オウム真理教事件
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 標榜される意識の変革には、一方には政治的・社会的批判という側面が、他方には宗教的な回心の側面が、さらにその裏には、呪術的な奇跡待望(オカルト志向)の側面があるのだった。悟りのようなものが呪術のようなものと連動しているのは、密教などの場合と同じだ。意識の変革はしばしば「意識の進化」として捉えられたが、この場合の進化は神智学や心霊主義で説かれる輪廻転生による魂の進化の形をとった。そこにはダーウィンの生物進化論に対する疑似科学的な曲解の要素もあった。
 このように、非常にピュアなところのあるニューエイジのマインドには、けっこう子どもじみた魔法信仰が絡みついていたと言えるだろう。魔法信仰は欲得ずくにもなりやすく、資本主義を批判したわりには霊感商法型の資本主義に弱いところをもっていた。(中略)
 かくしてニューエイジは、思想的な力は失ったが、文化のスタイルとしては主流文化に十分入り込むことができたし、キリスト教会や一神教の懐疑、瞑想系の東洋宗教や自然崇拝系の原始宗教の再評価というレガシーにも巨大なものがある。いまの時代は、欧米のみならず日本も含め、薄められた広い意味でのニューエイジ文化のなかにとっぷり浸かっていると言っていい。
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 ニューエイジ運動とは何だったのか。東洋宗教や瞑想、オカルト、ニューサイエンス、ドラッグカルチャー、カウンターカルチャー、そしてサブカルチャーまでを包含する曖昧な20世紀の思想潮流を読み解き、現代につながる流れを可視化します。




第8章 科学か疑似科学か?──ESP、共時性から臨死体験まで
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 伝統社会や現代社会に流通している社会的「実在」ばかりでなく自然科学の扱う物理的「実在」も根本的には社会の言説が生み出したイデオロギー的構築物にすぎない、と断定的に言い切る風潮がこの時代にはたしかにあった。これは呪術や宗教の迷信と自然科学の論文を等価に扱うもので、このあたりの曖昧な思考は、論者自身の大胆なレトリック――科学用語をいい加減に扱って平気であるような不敵さ――の根拠の一つとなっていたように見受けられる。(中略)
 21世紀になって振り返ってみると、こうした動向は、西洋文化を一掃しようとする極端なイスラム主義者や、ロシア愛国主義者、独裁的な中国共産党、根拠なき陰謀論を垂れ流して平気なトランプ主義者といったあらゆる相対主義的文化防衛論者の台頭へ地ならしをしていたように見える。
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 自然科学で扱う「事実」や「実在」も所詮は社会的構築物であり「現実」は合意によって作られているとする立場、そして文化や世界認識はどれが正しいというものではなく相対的なものに過ぎないとする相対主義。それらがどのように台頭し、批判され、そして現代に影響しているのかを読み解きます。




終章 陰謀論か無神論か? 宗教と亜宗教のゆくえ
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 無神論の世代が自らの抱える盲点によって、今後、「ニューエイジ」「ポストモダン」「ポストトゥルース」に次ぐ新たな「亜宗教」を構成することは考えられるし、それが漠然たる信仰に頼っている旧世代との間に知の分断をつくるということも考えられるかもしれない。(中略)
 未来のことは誰にもわからない。亜宗教の歴史から学んだことは、ひとつの文化勢力はいつも(少女のたてたラップ音や飛行物体の勘違いのような)突拍子もないところからはじまるということだ。
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 19世紀から今日に至るまでの亜宗教史から、これからの亜宗教の行方について考えます。





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『スーパーナチュラル・ウォー 第一次世界大戦と驚異のオカルト・魔術・民間信仰』(オーウェン・デイヴィス:著、江口之隆:翻訳) [読書(オカルト)]

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 人間集団が危機に遭遇すると、およそ常識や理屈では不可能と思われるような異常経験が個人レベルさらに国家レベルで多発する。第一次世界大戦も例外ではなかった。この戦争を通じて人類は秘められた神秘の局面へ向かうとか、いまこそ人類の精神的あるいは心霊的運命が左右される不安定な瞬間であるとか、当時はそういった感覚で捉えられていた。かの悪名高い1914年の「モンスの天使」事件、すなわち中世の弓兵の幽霊が戦場に出現したといった超自然現象が報告され白昼堂々論じられるなど、それまでの国家的風景では考えられない事態であった。交戦各国の教会、オカルト関係者、心霊調査者この事態を影響力拡大のチャンスと見る一方、一般大衆は戦争という現実に対処すべく伝統的あるいは珍奇な手段を講じていた。交戦各国をつなぐ超自然的な連環を追っていくと、魔術や宗教や科学が第一次世界大戦という近代の坩堝にあって心地よい同伴者であったことが明らかになるのである。
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 第一次世界大戦という未曾有の非常事態が欧州を覆っていたころ、超常体験、魔術、神秘、まじない、占いなど「超自然的なるもの」はどのような形で人々の心をとらえていたのだろうか。またそれは戦後のオカルト隆盛とどのようにつながっているのか。第一次世界大戦を背景にした超自然と社会の関わり合いという意外なポイントに着目した魅惑の歴史書。単行本(ヒカルランド)出版は2020年4月です。




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 本書は戦争によって「迷信的なるもの」への知的関心が刺激されるさまを概観し、大戦の超自然的側面を暴露して解釈しようとする歴史家が直面する試練に光を当てるものである。(中略)著者は、本書で探究する信仰や活動が退行や妄信を示すものという見解を有していない。本書を読み進めれば判明するが、お守りを携帯したり幸運の儀式を行う人々、占い師のもとに通ったり幽霊を見たと主張する人々はしばしば高等教育を受けており、自分の行動や経験を自己分析する思慮深い人物であった。およそ「迷信深い」人々ではないのである。
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目次

第1章 驚異に満ちた戦争
第2章 予言の時代
第3章 ヴィジョン体験、霊、そして霊能者たち
第4章 占いさまざま
第5章 戦場の幸運
第6章 塹壕の信仰と護身のお守り
第7章 余波




第1章 驚異に満ちた戦争
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 思考、体験、報告、回想、想像、そして物品といった無数の断片をつなぎあわせていくと、超自然的連想をまとう戦争という印象的かつ啓蒙的な絵画が浮かび上がる。そしていま取り組むべき任務は、ひとつひとつの意味を解明していくこと、そして第一次世界大戦中の生活を理解するうえでなぜそれが重要なのかを明らかにすることである。
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 まずは戦時中の民間伝承やフォークロアを研究するために利用できる情報源と先行研究について概観します。




第2章 予言の時代
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 1915年秋、世界心霊研究協会の副会長エドモン・デュシャテルが戦時中の予言等を慎重に検討するための会議を戦後に開催することを提案している。大戦中に出版されたすべての予知や予言を集めて研究し、実際の出版年月日や参照先を明確にしようというのである。とはいえ実際に戦争が終わってしまうと、嘘だらけの外れた戦時予言を科学的に研究する意欲などだれにも残っていなかったのである。
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 両陣営とも、自軍の勝利を「予言」する言説がはびこってゆき、さらにノストラダムスの予言にも大衆の注目が集まる。戦争の不安と混乱のなかで、予言そして予言者はどのように活動していたのかを整理します。




第3章 ヴィジョン体験、霊、そして霊能者たち
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 大戦中、兵士やその家族と恋人が経験した奇怪なヴィジョン体験や感覚が無数に報道され、ときに「砲火の下の怪異」とか「戦争と怪奇」といった描写をされている。戦争は常に幽霊を見た話や出会った話、虫の知らせの話を生み出してきたが、第一次世界大戦の戦中戦後ほど軍人の超自然体験に関心が寄せられた時期もなかった。
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 天に聖なる光が現れ、天使が敵軍を追い払う。危機的状況のなか、死んだ戦友が救ってくれる。白い服の男が戦場に現れ、傷を癒してくれる。そして銃後では心霊関連の活動が盛んになる。戦時の霊や超自然ビジョンのあらわれについて見てゆきます。




第4章 占いさまざま
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 一部の占い師は民間魔術の領域にも手を出していた。身を守るための簡単な儀式を教えるといった単純な事例もこの範疇にふくまれる。(中略)この種の魔術を行う人々はカニングフォーク、あるいはワイズメン、ワイズウィメンとして知られており、かれらの由緒正しい商売は戦時にあってはまさにひっぱりだこ状態であった。
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 兵士として戦争にいった夫や息子は無事に帰還するだろうか。戦地にいる彼らを霊的パワーで少しでも守ることは出来ないか。占い、まじない、魔術が、社会にどのように広まっていたのかを見てゆきます。




第5章 戦場の幸運
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 一定の行動やシンボル、数字などを避けることで不運を回避するという発想は、第一次世界大戦の代表的な塹壕迷信の根底に存在していた。すなわち1本のマッチで3本の煙草あるいはパイプに火をつけると、3人の喫煙者のうちひとりが死ぬという迷信である。(中略)この種の広範囲にわたる民間伝承が支持されるなか、それでも個々人の経験あるいは偶然に対する思い入れなどにより、なにがラッキーでなにがそうでないかが特異的に決定されていくのである。
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 死んだ戦友の武器や持ち物は不吉だろうか。13という数字は避けたほうがいいのか。お守りや護符は効くだろうか。胸ポケットに入れた防弾聖書は効果を発揮するのか。一瞬先の運命が予測できない戦場において、人々が命を託した超自然的アイテムについて見てゆきます。




第6章 塹壕の信仰と護身のお守り
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 両陣営とも、世界大戦を十字軍と称する宗教関係者の発言が見られた。フランスとイタリアのカトリックたちであろうが、ロシア正教の司祭やアメリカの福音主義者、ドイツのルーテル派であろうが、その点は一緒であった。第一次世界大戦は邪悪と戦うキリスト教の現代的闘争であり、各国の命運は黙示録の言葉で描かれた。両陣営とも、自陣営こそ堕落したキリスト教ヨーロッパを浄化する神聖な任務を与えられたと主張していた。
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 人々が不安と混迷に陥ったとき、宗教は何をすればよいのか。そして戦争は信仰心を高めるか、逆に信仰心を失わせるのか。戦時の宗教活動について見てゆきます。




第7章 余波
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 第一次世界大戦後、心霊術と中流階級オカルティズムは学術研究対象にふさわしい超自然部門と見なされたが、魔女術、魔術、占いといった民間信仰はわれわれが理解する20世紀の社会にはふさわしくないと判断されてしまった。オカルティズムやエソテリシズムに対する現代的な「教養ある」関心が根付くためには、旧来の超自然伝統は死滅する必要があったという印象すら受けてしまう。しかしわれわれが戦時中、そして戦後に目にしたものは、新旧両方の超自然が部分的に別次元で存在し続ける状況であり、また他方では戦争体験が新旧の超自然を無視しつつ両者の新たなトレンドを表現する方法を生み出す様子であった。
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 そして第一次世界大戦は終結し、様々な超自然的なものも刷新されてゆく。しかしそこにははっきりとした連続性があり、古めかしい迷信とモダンなオカルティズムが、戦争体験を通じてつながっていることが分かる。超自然に対する人々の意識の歴史的変遷を見てゆきます。





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『増補新装版 オカルト・クロニクル』(松閣オルタ) [読書(オカルト)]

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 この本は2018年に洋泉社から出版された『オカルト・クロニクル』の増補新装版である。
 出版後ほどなくして洋泉社がなくなり、ひっそりと絶版となっていた。(中略)度重なる霊障を乗り越え、増補新装版として編集されたのが、本書である。(中略)
 書き下ろし『もうひとりのサジェ』に関しては、本来、旧版の続編――つまりは、予定されていた“幻の第2弾”のためにストックしてあった記事であるが、この第2弾も例によって霊障と思しき力で「実際に幻」となった(編集部註:第2弾、出す予定です……)。ゆえにSDGsの観点から蔵出しということで本書に収録されている。
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単行本p.5


 国内外で起きた謎の奇妙な事件を取り上げ、その真相に迫るオカルト・クロニクル、通称『オカクロ』。出版されるやたちまち絶版となったあのオカクロがとうとう帰ってきた! しかも新しい記事が5本も追加され、既存記事にも最新情報が追加されているという、おおばん振る舞い。さらには続編が出るとか出ないとか……。単行本(二見書房)出版は2022年9月です。


 オカクロ旧版についてはこちら。


2018年08月28日の日記
『オカルト・クロニクル』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-08-28


 なぜ被害者はそんな行動をとったのか、どうして犯人はわざわざそんなことをしたのか。ありえない超常現象は本当に起きたのか。偶然なのか何かの符合なのか。あまりにも奇妙な謎の事件が20件も収録されている本で、ただ紹介するだけでなく謎を解くべく情報を幅広く収集し、いくつかの事件については現場で取材し、様々な仮説を取り上げてはひとつひとつ検討してゆく、そんな一冊。文章はユーモラスながら(しばしばお寒いギャグが飛び出しますがそれも味)、ミステリー小説を読んでいるかのようにぐいぐい謎の中心へと引っ張ってくれます。

 個人的には海外の事例よりも日本の怪事件を扱った記事に惹かれました。特に「井の頭公園バラバラ殺人事件」や「八丈島火葬場七体人骨事件」、そして「赤城神社主婦失踪事件」といった記事については、その情報量と仮説検討の詳細さに感動しました。

 記事によっては旧版の内容に対する訂正や追加情報が入ったり。


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「北朝鮮による拉致説が濃厚」と考えていたオカクロとしては、2018年刊行の『オカルト・クロニクル』(洋泉社)において、不確かな当て推量を展開し、それを読まされてしまった遺族の方、読者諸兄に謝罪します(本書・新装版では削除)。そして、犯人扱いした北朝鮮拉致工作関係者も、疑ったりして、すみませんでした。
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単行本p.127


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 2022年(令和)5月。騒動から22年。この騒動が映画化(『N号棟』)され、やや話題になった。その影響もあってか、ご当地の岐阜新聞が『幽霊マンション騒動から22年、現地を取材「兆候」は過去にも?』と題して、追跡記事を掲載した。
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単行本p.253


 取り上げられている記事は次の通りです。★がついているのが新作。


◎ディアトロフ峠事件
  ロシア史上最も不可解な未解決事件

◎熊取町七名連続怪死事件
  日本版『ツイン・ピークス』の謎

◎青年は「虹」に何を見たのか
  地震予知に捧げた椋平廣吉の人生

◎セイラム魔女裁判
  村に魔女は本当にいたのか……

◎坪野鉱泉肝試し失踪事件
  ふたりの少女はどこへ消えたのか

◎「迷宮」
  平成の怪事件・井の頭公園バラバラ殺人事件

◎「人間の足首」だけが次々と漂着する“怪”
  セイリッシュ海の未解決ミステリー事件

◎「謎多き未解決事件」
  長岡京ワラビ採り殺人事件

◎ミイラ漂流船
  「良栄丸」の怪奇

◎科学が襲ってくる
  フィラデルフィア実験の狂気

◎岐阜県富加町「幽霊団地」
  住民を襲った「ポルターガイスト」の正体

◎八丈島火葬場七体人骨事件
  未解決に終わった“密室のミステリー”

◎獣人ヒバゴン
  昭和の闇に消えた幻の怪物

◎ファティマに降りた聖母
  7万人の見た奇蹟

◎赤城神社「主婦失踪」事件
  「神隠し」のごとく、ひとりの女性が、消えた

★もうひとりのサジェ
  170年以上前、北ヨーロッパで起きた「ドッペルゲンガー事件」の深層

★数奇なる運命に翻弄された一家
  城崎一家8人全滅事件

★山荘の怪事件
  10人が黒焦げで発見された「第二の帝銀事件」

★君と僕と呪われた脳
  世界の幽霊屋敷

★数字で学ぶ日本の異世界
  心霊スポット統計学





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『ヌシ 神か妖怪か』(伊藤龍平) [読書(オカルト)]

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 これらのヌシたちは、いずれも人知では測れない強大な霊力を持ち、その場所に君臨している。ヌシが自分のテリトリーを離れることはめったにないので、その場所に近づかなければ危害を加えられることはない。しかしながら、ヌシの棲む場所が人の生活圏と重なる場合は緊張関係が生まれる。人が生きるのに水が必要不可欠である以上、ヌシの棲む水域と無縁でいるのは難しい。われわれの先祖はヌシとつかず離れずの関係を保ちながら、日々を過ごしてきた。ヌシとともに歴史を紡いできたのだ。
 本書は、ありそうでなかったヌシについての本である。こんにち、民俗学関連の事典類で「ヌシ」が立項されているものは皆無に近い。龍や蛇、河童を論じた本や、水の神や山の神を論じた本は多く、それらのなかでヌシについてふれられることはある。また、特定の地域のヌシ伝承を対象とした論文もある。しかし、どういうわけか、日本のヌシ伝承を総括的に取り上げた本はないようだ。
――――
単行本p.6


 同じ場所に棲んで長い歳月を生き抜き、強い霊力を持つに至った特別な個体。主に池や沼など淀んだ水に潜む謎多き「ヌシ」たち。妖怪とも神とも違う、怪異存在としてのその独特な位置づけを探る一冊。単行本(笠間書院)出版は2021年8月です。


 ネットで発生する怪異譚をテーマにした『ネットロア』、台湾における怪談の流布をテーマとした『現代台湾鬼譚』の著者による、妖怪とも神とも違う、どうやら日本特有の怪異存在らしい「ヌシ」についての研究考察をまとめた最新作です。ちなみに私が読んだことのある旧作の紹介はこちら。


2018年10月04日の日記
『何かが後をついてくる』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-10-04

2016年05月16日の日記
『ネットロア ウェブ時代の「ハナシ」の伝承』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2016-05-16

2014年02月06日の日記
『現代台湾鬼譚 海を渡った「学校の怪談」』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2014-02-06




〔目次〕
序 ヌシと日本人
第一章 英雄とヌシ
第二章 神・妖怪とヌシ
第三章 ヌシとのつきあい方
第四章 ヌシの種類
第五章 ヌシの行動学
第六章 ヌシの社会
第七章 ヌシVSヌシ
第八章 ヌシが人になる
第九章 人がヌシになる
第十章 文学のなかのヌシ
第十一章 現代のヌシ
後書 ヌシの棲む国




第一章 英雄とヌシ
第二章 神・妖怪とヌシ
第三章 ヌシとのつきあい方
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 ヌシはヌシとして生まれるのではない。悠久の時を超えていくことによって、少しずつ少しずつ、生物はヌシへと変化していくのだ。
 このことは、ヌシが、生の延長線上にある存在であることを示している。生物が死んだのちにヌシになることもあるが、そうした例はまれである。たいがいは、死というプロセスを経ずに、ただ長く生き続けることによって、生物はヌシ化する。生きものは、生きつづけることによって、べつの何かになるのである。そして、いったんヌシ化したのちは、英雄に退治される以外に死ぬことはない。ヌシとは、生物でありながら生死を超越した存在なのだ。
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単行本p.23

 淀んだ場所に長く棲み、そこから離れようとしない。巨大化など身体的な特徴と尋常でない能力を持っている。人身御供を要求したり、英雄に退治されたり。伝承にあらわれるヌシの姿を俯瞰し、ヌシとは何かを考えるための出発点を明らかにします。




第四章 ヌシの種類
第五章 ヌシの行動学
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 すでに述べたように、河川沼沢に潜む水棲のヌシが圧倒的に多く、次いで深山幽谷に潜む陸棲のヌシ、そして、古城廃屋に棲むヌシと続く。そのほかはバリエーションに乏しい。
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単行本p.72

 蛇、龍、ウナギ、コイ、ナマズ、カニ、カメ、ヤマメ、イワナ、アユ、カエル、トカゲ、サンショウウオ、クモ、牛……。各地に残る伝承のなかでヌシの正体とされた様々な動物をならべ、襲う・さらう・祟る・毒を吐く・昇天する・修行する・子孫を残すなど、その行動パターンを分類します。その上で民俗学的になぜなのかを考察してゆきます。




第六章 ヌシの社会
第七章 ヌシVSヌシ
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 ここで注目されるのは、どうやらヌシにはヌシの社会があるらしい、ということである。この手紙の文面は、人間世界の礼状とほぼ同じ。お歳暮やお中元の贈答もしているのではないだろうか。ひとつ所に蟠っているのが、ヌシをヌシたらしめている条件だと先に書いたが、そのじつ、遠方の河川沼沢のヌシとも、頻繁に連絡を取りあっていた。
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単行本p.117

 手紙のやり取り、ご贈答の交換、ときに秘密の地下水脈を通って互いのテリトリーを行き来するなど、ヌシにはヌシの付き合いがあるらしい。ときにはヌシ同士で争ったり、大規模な戦争に発展したり、さらには人間に助太刀を求めたりする。意外に人間くさいヌシたちの社会生活について考察します。




第八章 ヌシが人になる
第九章 人がヌシになる
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 ヌシが人の姿になるということは、一面では、人間界へと取り込まれることを意味している。さらにいえば、ヌシが人語を話すこと自体、人間界のフレームに入れられているともいえよう。これは人がヌシ=自然を統御できるようになったことの表れである。人とコミュニケーションを取り始めた瞬間から、神性の矮小化が始まっているのである。
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単行本p.160

 人間が環境破壊を企てたとき、天変地異を起こして懲らしめるようなヌシばかりではない。人の姿に化けてお願いをしたり交渉を試みるヌシもいる。ヒトに化けて結婚するヌシもいる。逆に絶望して死んだ人間や禁忌をおかした人間がヌシになるパターンもある。人間とヌシの距離が近づくことをどう解釈すればよいのだろうか。




第十章 文学のなかのヌシ
第十一章 現代のヌシ
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 要するに、領域侵犯をした人類にたいする警告で、ここにヌシの発想が見られる。宇宙は、20世紀に見いだされた新たなヌシの棲みかだった。留意すべきは二点。ひとつは、ヌシが警告する相手が、地球人類全体となっていること。宇宙時代になって、話もスケールアップしたのだ。もうひとつは、ナメゴンそのものはヌシではないこと。この場合、劇中に一度も姿を現さない宇宙人こそがヌシで、ナメゴンはミサキ(神の使い)の立ち位置にある。
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単行本p.219

 文学作品に登場するヌシ、未確認動物UMAとして語られるヌシ、怪獣や宇宙人の姿をかりて人類に警告を与えるヌシ。古くから神話伝承のなかで語られてきたヌシは、今も様々な形で新たに語り継がれているのだ。





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