『ミサキア記のタダシガ記』(三崎亜記) [読書(随筆)]
「ちょうど五ヶ月間、どの編集者とも顔を合わせなかった。こうまで仕事上の人との接点が無いと、自分が「社会との関わりでお金を得ている」ことが嘘のように思えてくる。(中略)この一週間で喋った言葉といえば、「領収書ください」くらいだ。我ながら、孤独な生活なのだと思う」(単行本p.101)
日常と非日常の境界をあつかった奇妙な作品を書く人気作家、三崎亜記さんの第一エッセイ集です。毎回、べつやくれいさんのイラスト付き。単行本(角川書店)出版は、2013年06月です。
鼓笛隊が勢力を増しながら北北東に進んでおり今夜半過ぎには本州上陸の恐れがあるとか、行政指導でビルの七階だけを一斉撤去するとか、通勤用観覧車であるとか、三崎亜記さんといえば、奇想なのか風刺なのか、ふざけているのか真面目なのか、よく分からない不思議な作品を書いています。
しかしその一方で、そういったぶっ飛んだ発想を支えているのは、あまりにもベタで類型的な感傷やら共感やらだったりして、どうもその常識と非常識、日常と非日常、不条理と論理のバランス具合が、変な味を出していたり。いずれにせよ、いまひとつ得体の知られない作家、という印象があります。
本書はその三崎亜記さん初のエッセイ集です。「ダ・ヴィンチ」、「本の旅人」に連載されたシリーズに加えて、ご本人のツィッターでのつぶやき、そして書き下ろしで構成されています。
「そのうち「杞憂」の意味が、「取り越し苦労すること」から、「先見の明があること」に変わる日も近いかもしれない。 杞憂だったらいいんだけれど・・・」(単行本p.16)
「今後脚光を浴びるかもしれないと私が密かに期待している単語は、「蹲踞」(そんきょ)だ」(単行本p.13)
「未来の「騒音発生装置」による騒音の解決策を、今のうちに提案しておきたい。蝉の鳴き声を流しながら走るというのはどうだろうか?」(単行本p.25)
「IC乗車券が各地に乱立しているのは、旅慣れない人を戸惑わせることが目的ではない。旅先で、「この地域で使えるカードは一体どれか?」と敢えて迷わせておいて、後に「ドレカ」で名称統一する気だ」(単行本p.160)
ごく普通の、いかにも優等生的な意見を述べておきながら、ふと思い付いたように、こういう変な発想をこぼす。小説だけでなく、エッセイでもやっぱりその作風でしたか。
世の中の「変なこと」に目をつけるエッセイも面白い。
「「国際流行色委員会」という、いかにも私の小説に出てくる架空の団体っぽい組織が、「二年先に流行る色」を決定し、それに従ってデザイナーはその色の服を作るのだそうだ。(中略)なんだか「流行」という言葉の定義があいまいになってしまうような話で、釈然としない。(中略)もしかすると私が知らないだけで、いろんな業界に「流行決定委員会」があるんじゃないだろうか。ひょっとして、既に流行小説委員会も・・・」(単行本p.38~40)
「今の日本は国自体が「揺れる吊り橋」みたいなものなんだから、本来ならば少子化に歯止めがかかるほどに、婚姻率が上昇してもいいはずなんだけど・・・。もしかすると「揺れる」を通り越して、「切れかけた橋」になっていて、自分がしがみついているだけで精一杯ってことだろうか?」(単行本p.82)と書いたところ、雑誌掲載直前に東日本大震災が起きて、これはヤバイというので原稿全体が没にされたとか。
「自分の人生でこれほどまでに「居酒屋」について考えたことはなかった。「すべての道は居酒屋に通ず」とでも宣言したくなる居酒屋至上主義の祭典で、次々と繰り出されるプレゼンを聞くうちに、居酒屋を中心に世界はまわり、居酒屋があれば世界は平和になるような錯覚すら生じそうになった」(単行本p.220)
他にも、「若者の三崎亜記離れ」が進んでいることを憂いてみたり、「偽エコ箸を使用しています」という表示を見てその風刺精神に感心していたら「環境保護の為エコ箸を使用しています」だったとか、ボウリング場の前にある「投げ放題!」という看板を見て「めくるめく想像がひろがってしまう」とか、ネットで「バルス!」とつぶやく行為が社会学的に意味するところについて長々と真面目に論じておいて、最後に「実はラピュタを見たことがないので、どんな場面で使われているのかをよく知らない」と付け加えることですべてを台無しにしたり。
というわけで、地味なエッセイが多いのですが、三崎亜記さんの愛読者なら「そうか、こういう発想を元にああいう作品が出来上がるのかー」という発見が多く、そういうところで大いに楽しめます。
日常と非日常の境界をあつかった奇妙な作品を書く人気作家、三崎亜記さんの第一エッセイ集です。毎回、べつやくれいさんのイラスト付き。単行本(角川書店)出版は、2013年06月です。
鼓笛隊が勢力を増しながら北北東に進んでおり今夜半過ぎには本州上陸の恐れがあるとか、行政指導でビルの七階だけを一斉撤去するとか、通勤用観覧車であるとか、三崎亜記さんといえば、奇想なのか風刺なのか、ふざけているのか真面目なのか、よく分からない不思議な作品を書いています。
しかしその一方で、そういったぶっ飛んだ発想を支えているのは、あまりにもベタで類型的な感傷やら共感やらだったりして、どうもその常識と非常識、日常と非日常、不条理と論理のバランス具合が、変な味を出していたり。いずれにせよ、いまひとつ得体の知られない作家、という印象があります。
本書はその三崎亜記さん初のエッセイ集です。「ダ・ヴィンチ」、「本の旅人」に連載されたシリーズに加えて、ご本人のツィッターでのつぶやき、そして書き下ろしで構成されています。
「そのうち「杞憂」の意味が、「取り越し苦労すること」から、「先見の明があること」に変わる日も近いかもしれない。 杞憂だったらいいんだけれど・・・」(単行本p.16)
「今後脚光を浴びるかもしれないと私が密かに期待している単語は、「蹲踞」(そんきょ)だ」(単行本p.13)
「未来の「騒音発生装置」による騒音の解決策を、今のうちに提案しておきたい。蝉の鳴き声を流しながら走るというのはどうだろうか?」(単行本p.25)
「IC乗車券が各地に乱立しているのは、旅慣れない人を戸惑わせることが目的ではない。旅先で、「この地域で使えるカードは一体どれか?」と敢えて迷わせておいて、後に「ドレカ」で名称統一する気だ」(単行本p.160)
ごく普通の、いかにも優等生的な意見を述べておきながら、ふと思い付いたように、こういう変な発想をこぼす。小説だけでなく、エッセイでもやっぱりその作風でしたか。
世の中の「変なこと」に目をつけるエッセイも面白い。
「「国際流行色委員会」という、いかにも私の小説に出てくる架空の団体っぽい組織が、「二年先に流行る色」を決定し、それに従ってデザイナーはその色の服を作るのだそうだ。(中略)なんだか「流行」という言葉の定義があいまいになってしまうような話で、釈然としない。(中略)もしかすると私が知らないだけで、いろんな業界に「流行決定委員会」があるんじゃないだろうか。ひょっとして、既に流行小説委員会も・・・」(単行本p.38~40)
「今の日本は国自体が「揺れる吊り橋」みたいなものなんだから、本来ならば少子化に歯止めがかかるほどに、婚姻率が上昇してもいいはずなんだけど・・・。もしかすると「揺れる」を通り越して、「切れかけた橋」になっていて、自分がしがみついているだけで精一杯ってことだろうか?」(単行本p.82)と書いたところ、雑誌掲載直前に東日本大震災が起きて、これはヤバイというので原稿全体が没にされたとか。
「自分の人生でこれほどまでに「居酒屋」について考えたことはなかった。「すべての道は居酒屋に通ず」とでも宣言したくなる居酒屋至上主義の祭典で、次々と繰り出されるプレゼンを聞くうちに、居酒屋を中心に世界はまわり、居酒屋があれば世界は平和になるような錯覚すら生じそうになった」(単行本p.220)
他にも、「若者の三崎亜記離れ」が進んでいることを憂いてみたり、「偽エコ箸を使用しています」という表示を見てその風刺精神に感心していたら「環境保護の為エコ箸を使用しています」だったとか、ボウリング場の前にある「投げ放題!」という看板を見て「めくるめく想像がひろがってしまう」とか、ネットで「バルス!」とつぶやく行為が社会学的に意味するところについて長々と真面目に論じておいて、最後に「実はラピュタを見たことがないので、どんな場面で使われているのかをよく知らない」と付け加えることですべてを台無しにしたり。
というわけで、地味なエッセイが多いのですが、三崎亜記さんの愛読者なら「そうか、こういう発想を元にああいう作品が出来上がるのかー」という発見が多く、そういうところで大いに楽しめます。
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