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『さくら さくらん』(高橋順子) [読書(小説・詩)]

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神社の池の鯉に餌をやりに行くのが日課になった
麸をちぎって放ると
意外に大きな口をあける
まるい くらい生のかたちだ
いきおいあまって 鯉と鯉同士
せっぷんしてしまうこともある
「あら ちがった」とばかり ぱっと離れる
水にゆらり緋色を流して
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「ゆらり鯉」より全文引用


 亡き夫をしのぶ連作を中心とした最新詩集。単行本(デコ)出版は2019年11月です。

 前半は短編小説のようにあざやかなストーリー性を感じさせる作品が並びます。


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おじいさんは話といえば水戸黄門しか知らなかった
或る日 高齢者デイケアサービスセンターで
ピーターパンを読んでもらった
永久に大人にならない少年が海賊をやっつける話である
おじいさんは海岸通りを歩きながら
水平線が寄ってくるような気がした
帰ってからおばあさんに
「ピーターパンて知ってるか」とたずねた
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「或る日のおじいさん」より全文引用


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大名時計博物館は東京谷中の坂の上にあって
七月一日から九月三十日まで休館である
時計だってお休みしなければ
とくに大名時計はお年だから
暑いときにはひるねする必要がある
門前のススキの穂がゆれるころ
目覚めた大名時計は居ずまいを正し
私心がなかったかどうか
しばし考えをめぐらす
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「大名時計」より全文引用


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アパートの二階の窓にパソコンとカメラを据えつけて
鳥を見ている人に わたしは下から声をかける
「あれセキレイですか」
「いえ ジュウシマツです」
ルリオナガもモモイロインコも教えてくれた

このごろ窓は閉められたまま
秋も深まってきた
彼は鳥のことを教えてくれたのに
彼のことを教えてくれる鳥はいない
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「鳥の名前」より全文引用


 後半には亡き夫をしのぶ作品が並びます。


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くうちゃん
やっと急がなくてよくなったね
指定券をとっているのに わたしをせかせて
一時間も前に駅に着いていたね
一時間分とられてしまったとわたしは嘆いていたが
何もしないで二人でいる時間が与えられていたのだね
あの一時間はわたしには片づけ物に当てるべき時間だったから
またいつか割りふればいい時間だった 割りふらなくてもいい時間だった
一時間前に着いて 電車の到着を待っていた あなた
そんなふうに来るべきものを待っていた あなた
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「愚かなうた」より


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障子を張り替えたら
まっさらな空間になった
くうちゃんの煙草の煤に染まった温かさがなくなった
わたしだけが残って

ひびが入った窓ガラスも替えた
ひびが入ったまま もちこたえていたガラスだった
わたしたちだった
ひびのところに緑色のテープが張られていた
それを硝子屋が運びだした
くうちゃんは緑色が好きだった
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「愚かなうた」より


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亡くなった夫が恋しいというような詩は
書くまいと思っていた
と書くと 不機嫌な唸り声が聞こえる
「恋しい 恋しい」
なんてわたしには書けないよ 恥ずかしいよ
そう言うと さあっと身の周りが涼しくなる
そのへんに もやっていた
くうちゃんが離れるからだ 離れていく先は
わたしの東北の女友達のところみたい
「あら、車谷さん」
と言ってほしいのだ
先日も時ならぬときに鐘が鳴ったそうだ
くうちゃん
詩が終わらないよ
――――
「愚かなうた」より





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