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『今日は誰にも愛されたかった』(谷川俊太郎、岡野大嗣、木下龍也) [読書(小説・詩)]

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ウィキペディアの改竄をしてその足で期日前投票へ 白票
(岡野大嗣)
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アンダーはやっぱり白がいいなと言ったら苦笑いされた
雲一つない青空を英語ではブランクスカイと言うそうだ
なんか連想が増殖しそうで白はちょっと恐い
(谷川俊太郎)
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海の奥からだれひとり戻らない 絶やそうか絶やそうよ、かがり火
(木下龍也)
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火で終わるのも水でおわるのも災害の一語ではくくれない
戻らない人々を祝福するために俗に背いて詩骨をしなやかに保つ
(谷川俊太郎)
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 詩人と歌人による「連詩」および参加者による「感想戦」を収録した一冊。単行本(ナナロク社)出版は2019年12月です。

 詩人と歌人が交互に作品を連ねてゆく。詩と短歌をつなげる連詩、という試みから生まれた作品です。


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四季が死期にきこえて音が昔にみえて今日は誰にも愛されたかった
(岡野大嗣)
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どこからか分厚い猫の写真集が宅配で届いた
猫は飼っていなかったが隣家に犬がいて
垣根越しに仲良くなったが夭折した
名をネロといった
もう昔話だ
(谷川俊太郎)
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感情の乗りものだった犬の名にいまはかなしみさえも乗らない
(木下龍也)
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あれはUFOを見た晩だったと
当たり前のように大声で喋ってる老人
都電の走行音はこの頃うるさくなくなっている
(谷川俊太郎)
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 まず岡野大嗣さんの短歌、続いて谷川俊太郎さんの詩、そして木下龍也さんの短歌、また谷川俊太郎さんの詩。以上のセットを九回繰り返して、全部で三十六の作品から構成される連詩が完成したわけです。さらに完成後に、それぞれどういう考えで作品を作ったのか、また他者の作品を読んでどう思ったのかを語り合う感想戦(座談会)も収録されています。

 散文もいくつか収録されています。谷川俊太郎さんによる「詩」の解説、木下龍也さんによるエッセイなど。


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ぼくは言葉になった詩(ポエム)と、言葉にならない詩(ポエジー)を、混同して考えないように注意している。ポエムの元のポエジーは生きものの体内に存在していて、人間だけがそれを言葉にするが、ポエジーがポエムを生むこともあるし、ポエムがポエジーを生むこともある。ポエムは言語の一形式だから客観が可能だが、ポエジーは形がないから個人の主観に拠るしかない。いずれにしろ詩は散文と違って明示性(denotation)のみを目指さない。むしろ含意(connotation)を主要な武器とする。詩のそういう性質から言って、詩を語る上で言語の多様性を避けるわけにはいかないから、必然的に文は曖昧にならざるを得ない。
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「詩について」(谷川俊太郎)


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十九歳の谷川俊太郎が三好達治に認められて世に出たように、僕も谷川俊太郎に認めてもらいたい。まだ何も書いていないけれど、これからあなたのように素晴らしい文字列を生み出す。だから先に認めてほしい。その一心で、謎の自信に満ち溢れた恐ろしい馬鹿は、最後列の椅子から観客の頭と頭の間にちらほら見える谷川さんを見つめ「谷川さん、先に認めてください!先に!」とテレパシーを送り続けた。何も書かずにくすぶっている自分を巨大な存在に救ってほしかったのだ。唯一褒められるのは作文で、小さい頃から物書きになろうと思っていた僕が宿題以外で何も書いたことがなかったのは、最初の一行で自分の才能のなさに気付くのが怖かったからだろう。テレパシーなど伝わるはずもなく、本にサインをしてもらい、うつむいて「ありがとうございます」を絞り出すのが精一杯だった。短歌をつくりはじめるのはそれから一年後のことだ。
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「ひとりだと選んでしまう暗い道」(木下龍也)


 ちなみに木下龍也さんの作品紹介はこちら。


2018年04月24日の日記
『玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ』(木下龍也、岡野大嗣)
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2018-04-24

2016年06月29日の日記
『きみを嫌いな奴はクズだよ』(木下龍也)
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2016-06-29

2013年06月06日の日記
『つむじ風、ここにあります』(木下龍也)
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2013-06-06





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