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『宇宙の春』(ケン・リュウ:著、古沢嘉通:翻訳) [読書(SF)]

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『紙の動物園』出版以降、日本の読書界において、ケン・リュウが確固たる地位を築き、彼がどういう作家なのか、充分浸透したと判断し、ここにようやく訳出した次第である。なお、これによって本国版第一作品集収録の全篇が邦訳されたことになる。
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新書版p.302


 『紙の動物園』『母の記憶に』『生まれ変わり』に続くケン・リュウの日本オリジナル短篇集第四弾。新書版(早川書房)出版は2021年3月です。

 出版されるたびにSFまわりを越えて広く話題となるケン・リュウの短篇集。ちなみに既刊本の紹介はこちら。

  2019年06月25日の日記
  『生まれ変わり』
  https://babahide.blog.ss-blog.jp/2019-06-25

  2017年09月06日の日記
  『母の記憶に』
  https://babahide.blog.ss-blog.jp/2017-09-06

  2015年06月19日の日記
  『紙の動物園』
  https://babahide.blog.ss-blog.jp/2015-06-19




[収録作品]

『宇宙の春』
『マクスウェルの悪魔』
『ブックセイヴァ』
『思いと祈り』
『切り取り』
『充実した時間』
『灰色の兎、深紅の牝馬、漆黒の豹』
『メッセージ』
『古生代で老後を過ごしましょう』
『歴史を終わらせた男――ドキュメンタリー』




『マクスウェルの悪魔』
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 タカコは、ウランの原子がなんらかの化合物の形で気化しているところを想像した。その分子は、金属の箱のなかにある空気のように跳ねている。重いウラン238を含む分子は、軽いウラン235を含む分子よりも平均して少しだけ遅く動く。分子が管の内部で跳ねているところを想像する。霊たちが管の先端近くで待ち構え、より速い分子を通すため、扉を開けるが、遅い分子は内部に留めておくため、扉を閉める。
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新書版p.38

 第二次大戦中、日系人として強制収容所に収容されていた物理学者タカコは、米国のスパイとして日本に送られる。日本では沖縄人としてさらなる差別を受けるタカコだが、彼女にはユタとしての素質があった。彼女の力により霊が「マックスウェルの悪魔」として機能し、熱力学第二法則を打ち破れることを知った日本は、第二種永久機関を開発し兵器として利用しようともくろむ。だがタカコは「マックスウェルの悪魔」を応用すればさらに強力な超兵器の開発が可能になることに気づいていた……。多重差別構造や沖縄戦における強制集団自決の凄惨さ(そしてある種の理不尽な馬鹿馬鹿しさ)を、あえて途方もない奇想SFネタを使うことで、くっきりと浮き彫りにする強烈な作品。




『思いと祈り』
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 殺人犯がヘイリーの命を奪う一方で、アビゲイルは娘の姿をインターネットの底なしの食欲への捧げ物として差しだしたんです。アビゲイルのせいで、わたし自身のヘイリーの思い出は、彼女の死後にやってきた恐怖を通したものに永遠になってしまいました。アビゲイルは、個々の人間を集めて、ひとつの巨大で集合的な歪んだ視線に仕立て上げる装置を召還したのです。わたしの娘の思い出を捕らえ、噛み砕いて、終わらぬ悪夢にしてしまう装置を。
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新書版p.82

 銃乱射事件の犠牲者の母親が、殺された娘のために銃規制運動に立ち上がる。ネットで娘の画像やデータを公開し、娘は単なる統計数字ではなく生きた尊厳ある人間だったのだと訴える。だがその行為により、彼女はネットに巣くうトロールたちの標的となってしまった。無数のクソリプ、嫌がらせ、ヘイトスピーチ、悪意まみれのデマ、フェイク動画、見るに絶えない醜悪な改変写真が、洪水のように母親を襲う。ほぼ実話をもとに現代の社会病理をえがき、読んでいて胸の痛くなるような作品。




『充実した時間』
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「あたしは懐疑的な信者なんだ。テクノロジーは美しいけど、テクノロジーの本質は、解決すべき問題をより多く生み出すことなんだ。ネズミ同様、機械は自然の一部であり、あたしたちの暮らしはたがいの暮らしに埋め込まれている」
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新書版p.128

 家庭用ロボットを販売するハイテク企業に就職した技術者が、新しいアイデアによりイノベーションを起こそうと奮闘する。手の届かないパイプの中も自動的に綺麗にする掃除ロボット、育児のルーチンを任せられる育児ロボット。だが新しい技術は新しい問題を引き起こすのだった。軽いユーモアにくるんで、テクノロジーの発展は本当に問題を減らしているのか、と問い掛ける作品。




『歴史を終わらせた男――ドキュメンタリー』
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 証拠の不足が問題になった場合、彼らは反論の余地のない証拠を提供する方法を持っていました。劇のように歴史を起こったまま見られるのです。
 世界各国の政府は、狂乱の発作に陥りました。ウェイが七三一部隊の犠牲者の親族を過去に送りこみ、平房区の手術室や囚房でおこなわれた恐怖を目撃させる一方、中国と日本は法廷やカメラのまえで辛辣な言い争いを繰り広げ、過去に対するライバルの主張に反駁しました。合衆国はしぶしぶその戦いに巻きこまれ、そして、国家安全保障上の理由があると述べて、ウェイが朝鮮戦争中の(おそらく七三一部隊の研究に由来する)生物兵器使用疑惑の真相を調べる計画を発表したとき、ついにウェイの装置を停止させました。
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新書版p.288

 過去を、歴史的事実を、そのまま目撃する技術が開発されたら、何が起きるだろうか。発明者は、第二次大戦中の日本軍による蛮行、特に満州第七三一部隊による非道な人体実験と大量虐殺の真実を世界に明らかにするために、この技術を使う。だがその行為は激しい議論を招き、やがて事態は論争をこえて各国政府を脅かすところまでエスカレートしてゆく。「歴史」が実際にいまそこにあるものとなったとき、傍観者でいられる者は誰もいなかった……。七三一部隊をテーマに、様々な立場からのインタビューを並べる形式により、歴史否認主義にまつわる様々な議論をあぶり出してゆく力作。





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『となりのヨンヒさん』(チョン・ソヨン:著、吉川凪:翻訳) [読書(SF)]

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 時折、ほんの時たま、私は規則正しい呼吸をしながら寝ている子供の手を握り、ナミのことを思う。外交官になったナミ、結婚式を挙げるナミ、小じわのできた顔でにっこりするナミを想像する。そしてそんな時にはちょっと利己的に、でも限りなく痛切に、私がこの子にとって最初にならないよう祈る。いつかこの子が誰かを失わなければならないなら、悲鳴のような記憶として残り、残像のように漂う愛に苦しむ時が来るのなら、それが私でないことを。私が、誰にとっても最初ではないことを。
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単行本p.135


 アリス・シェルドンとのお茶会、隣室に住んでいる異星人、デザートとばかり交際する女性。同性愛、差別、離散家族などのテーマをSFやファンタジーの設定を使って描き出した15篇を収録する短編集。単行本(集英社)出版は2019年12月です。


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 私はそれぞれの作品のどの部分が〈現実の私〉から来ているのかを示すことができる。
 しかしこれらの物語はすべて〈小説〉であり、こうして本になった以上、私の経験の断片ですら、もはや私のものではない。作家は言葉を大事にするほど、そして作品から遠く離れているほどいいと思う。それでも敢えて言わせていただくなら、私の文章があなたにとって慰めになることを願っている。私は誰かを慰めるものを書きたかった。
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単行本p.246




〔収録作品〕

『デザート』
『宇宙流』
『アリスとのティータイム』
『養子縁組』
『馬山沖』
『帰宅』
『となりのヨンヒさん』
『最初ではないことを』
『雨上がり』
『開花』
『跳躍』
『引っ越し』
『再会』
『一度の飛行』
『秋風』




『アリスとのティータイム』
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「お嬢さんは、どの支流から来たのかな。SF小説が好きだというのが本当なら、ひょっとしてあなたの世界にジェイムズ・ティプトリー・ジュニアという人がいませんでしたか?」
 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア。フェミニズムSF小説の先駆者、本名はアリス・ブラッドリー……シェルドン。
 私は椅子から飛び上がった。
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単行本p.34

 「私は七十四番目の世界でアリス・シェルドンに出会った」
 あちこちの並行世界を行き来する語り手が出会ったアリス。それは、SF作家にならなかったアリス・シェルドン、別の世界ではジェイムズ・ティプトリー・ジュニアとも呼ばれている女性だった。なぜこの世界のアリスは作家になることを断念したのか。「アリスとのお茶会」という奇妙な状況を使って先達の人生に対する敬意を示す短篇。




『養子縁組』
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 私は二人の異星人の顔を凝視しながら、十万日以上の歳月を過ごしてもまだ完全に理解できない彼らの感情について、数百万人に銃を向け、地面を血で染めた後も、自分たちが死ぬまで少しも成長しないはずの子供を育てようとする人たちの人間性について考えた。そして私の夢に現れる、そんな異星人たちの顔を思い浮かべた。
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単行本p.60

 太古の昔から人類にまぎれて生きてきた長命な異星人。その存在に気づいた人類は彼らを激しく憎む。異星人のひとりである語り手は、正体がばれれば殺される危険があるため慎重に身を隠して人間のふりをして生きている。だが、親友が養子にして育てている赤ん坊が自分たちと同じ種族であることに気づいたとき、彼女は決断を迫られる。はたして愛は、差別や排外感情を乗り越えることが出来るのだろうか。




『となりのヨンヒさん』
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「じゃあ、本名は何というんですか?」
「地球では言えません」
「そう言わずに、教えてよ」
「本当です。大気の成分が違います。気圧が違います。正確に表現することができるせん」
「おおざっぱには言えますか?」
 またしばらく沈黙が続いた。諦めたスジョンが再びコンテを持とうとした瞬間、ヨンヒさんがスジョンの方に向き直り、じっと見た。スジョンは今でもヨンヒさんの眼がどこにあるのか、はっきりとはわからなかったものの、絵を見る時のようにスジョンを凝視していることは、ありありと感じられた。二人の間にある、せいぜい二、三歩で歩ける距離の空気が振動し、ヘアドライヤーの風が当たったみたいに眼の周りが熱くなった。何かがゆらっと光って、消えた。瞬きしながら見た。そこはかとない熱とぼんやりした残像が、まつ毛に引っかかったみたいにちらちらした。
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単行本p.110

 格安で部屋を借りることが出来た語り手。その理由は、隣室に住んでいるのが異星人だからだ。みんなから嫌われ恐れられる異星人。だが語り手は、イ・ヨンヒと名乗るその異星人と少しずつ交流を深め、曖昧ながら友情を感じるようになってゆく。だが別れは唐突だった。




『開花』
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 良い世の中になったと思いますか。もう姉の名前が検索禁止ワードではなく、うちが要監視家庭ではないというのは、確かにいいですね。さあ。他はまだわかりません。父の数値も下がらないし私の給料が上がったわけでもないし、何より、姉は帰ってこなかったじゃないですか。
 でもあの日、あの〈開花〉は見事でした。テレビとモニターと監視カメラの赤いランプが一斉に消えた夜、花をぱっと開いて一度に咲き出した赤い花は、本当にきれいでした。ベランダの外に顔を突き出して赤い花びらがいっぱい揺れる花壇を見下ろしながら、私は初めて、姉を理解できるような気がしました。
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単行本p.169

 検閲のないネットワークを広げようとする非合法活動により逮捕された姉。なぜ姉がそんな危険な活動に身を投じたのか理解できない語り手。だが姉と仲間が撒いた種(文字通り)はあちこちに散らばって一斉に開花する。ネットがすべて監視と検閲の対象となっている国で、匿名性が守られたフリー無線ルータを街のあちこちにゲリラ的に設置してまわる非合法ハクティビストたち、というサイバーパンク英雄神話を改めて語り直す物語。




『秋風』
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「……どうして?」
 しばらくしてから私が聞いた。昔と同じように。私はあの子の声が聞きたくて、いつも自分の方から先に話しかけていた。どうして嘘の報告をしたの。どうして私を引き止めないの。どうして一緒にここを出ていかないの。どうして私を愛さないの。どうして私を愛しているの。
 あなたの大切なナダルのトマト畑を死の影のように覆う霧雨を見ながら、〈気温二十五度。晴〉と記入する時、あなたは何を考えていたの。
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単行本p.241

 農業生産に特化、最適化された惑星で、農作物の出荷量が減少を続けている。もしや作物が密輸業者に横流しされているのではないか。事態を重くみた本社は、腕利きの監査員をその惑星に送り込む。だが語り手である監査員はその惑星の出身だった……。恒星間航行を独占する巨大企業、それにより支配されている宇宙を舞台とした連作のひとつ。





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『SFマガジン2021年10月号 ハヤカワ文庫JA総解説PART2』 [読書(SF)]

 隔月刊SFマガジン2021年10月号は、ハヤカワ文庫JAが1500番を迎えた記念号ということで、前号にひきつづき総解説PART2が掲載されました。




『鎧う男』(平山瑞穂)
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 ライターを自称する男が言うには、その機器が何点か、隠然と業界内に出まわっているらしい。ある伝手でそれを入手した彼も半信半疑だったのだが、好奇心に抗えず、この町まで来て青点を追っていったら、たしかに本人と思われる人物と遭遇した。(中略)僕はその黒っぽい機器をためつすがめつせずにはいられなかった。話が本当だとして、いったい誰が、なんの目的でそんなものを作ったというのか。
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SFマガジン2021年10月号p.228

 有名な音楽プロデューサーが、業界から姿を消して秘かに郷里の町に戻っているらしい。彼の居場所を表示するという謎デバイスを手に入れた語り手は、真偽を確かめようと彼に接近するが……。謎めいた導入から悪夢めいた心理サスペンスにずぶずぶとはまってゆく作品。




『年年有魚』(S・チョウイー・ルウ、勝山海百合:翻訳)
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 私はもう魚を焦がさないし、常に余りがあることを確かめる。清明節にあなたのお墓を掃除するときに持っていくお供えには、塩サバも入れる。謝罪と、あなたを奪った魚に対する個人的な復讐のために。
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SFマガジン2021年10月号p.293

 年年有魚。毎年お金が残るゆとりのある生活ができるようにと願いを込めて、春節に魚料理を食べる中国の風習。だが文字通り毎年魚がやってくるとしたら……。とんでもない奇想を使って、米国で暮らす中華二世の文化的アイデンティティーの問題をあぶり出す作品。




『環の平和』(津久井五月)
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 交感の相手を特定の二人に固定すれば、全体ネットワークを環状にできる。ちょうど、両手を繋いで環をつくるように。人の環の中では全員が平等で、全員が間接的に繋がり、よって全員の思考が多様なままで調和する――。そんな考えを妄言と切り捨てなかった人々がいた。
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SFマガジン2021年10月号p.308

 〈環の平和〉、意識と意識を環状遠隔接続することで人類の調和が生まれるのではないか。壮大な理想を求める実験に参加した人々は、それぞれランダムに選ばれた二人の他人とテレパシー的な交感で意識をつなげる。結果として出来上がる巨大な意識の〈環〉は、世界を少しでも良い方向に変えることが出来るのだろうか。ネットワークの発展が皮肉なことに人々の分断を深刻化させている現代、新たなネットワーク構築の思考実験を扱った作品。




『時間の王』(宝樹、阿井幸作:翻訳)
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 俺は時間の王か、それとも時間の囚人かと自分に問い掛ける。取り戻した時間は俺の思うまま自由に飛び回れる空か、それとも俺を監禁する檻か。
 時間は果てしなく長く、年月は数え切れない。俺は時間の中で王になる、永久に。
 ある日、それまで思い出さなかった日付に到着し、事態に新たな変化が生じるまでは。
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SFマガジン2021年10月号p.336

 事故により意識不明の重体となった語り手は、自分の人生における様々な瞬間に意識が跳ぶ『スローターハウス5』のような時間体験をすることになった。記憶と異なる行動をとることで一時的な“歴史改変”は可能なのだが、別の瞬間に意識が跳んだ後で戻ってくると、改変した結果は消えてしまう。人生の様々な瞬間をあちこち跳び回るうちに語り手はある女性を愛するようになるのだが……。時間SFとロマンスという王道的メロドラマ、と読者を油断させておいて意外な結末にもってゆく作品。





タグ:SFマガジン
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『わたしたちが光の速さで進めないなら』(キム・チョヨプ:著、カン・バンファ、ユン・ジヨン:翻訳) [読書(SF)]

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 でも、わたしたちが光の速さで進めないのなら、同じ宇宙にいるということにいったいなんの意味があるだろう? わたしたちがいくら宇宙を開拓して、人類の外延を押し広げていったとしても、そこにいつも、こうして取り残される人々が新たに生まれるのだとしたら……私たちは宇宙に存在する孤独の総量をどんどん増やしていくだけなんじゃないか。
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単行本p.156


 孤独、共感、差別、自由に生きる覚悟。私たちが直面している切実な悩みや希望をSF的設定を巧みに使って描き出す、どこか懐かしい少女漫画を思い出させる7篇を収録したデビュー短編集。単行本(早川書房)出版は2020年12月です。


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 追い求め、掘り下げていく人たちが、とうてい理解できない何かを理解しようとする物語が好きだ。いつの日かわたしたちは、今とは異なる姿、異なる世界で生きることになるだろう。だがそれほど遠い未来にも、誰かは寂しく、孤独で、その手が誰かに届くことを渇望するだろう。どこでどの時代を生きようとも、お互いを理解しようとすることを諦めたくない。今後も小説を書きながら、その理解の断片を、ぶつかりあう存在たちが共に生きてゆく物語を見つけたいと思う。
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単行本p.284


〔収録作品〕

『巡礼者たちはなぜ帰らない』
『スペクトラム』
『共生仮説』
『わたしたちが光の速さで進めないなら』
『感情の物性』
『館内紛失』
『わたしのスペースヒーローについて』




『巡礼者たちはなぜ帰らない』
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 ある巡礼者たちはなぜ帰らないのか。
 この手紙は、その質問に対する答えよ。同時に、なぜわたしが「始まりの地」へ向かっているのかについての答えでもある。手紙を読み終えるころには、あなたもわたしの選択を理解しているはず。
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単行本p.11

 その村では、成人した若者たちは「始まりの地」と呼ばれる場所に巡礼するしきたりになっていた。だが、一部の巡礼者たちは決して戻ってこない。大人は誰もそのことを話題にしない。なぜか。始まりの地とは何で、この楽園のような村はどうして存在するのか。共存、排他、差別をテーマに、ル=グウィンのオメラスを語り直してみせる作品。


『わたしたちが光の速さで進めないなら』
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 古びたシャトルには、ひどく旧式の加速装置と小さな燃料タンクのほかには何一つ付いていない。いくら加速したところで、光の速度には追い付けないだろう。どれだけ進んでも、彼女の生きたい所にはたどり着けないだろう。それでもアンナの後ろ姿は、自分の目的地を信じて疑わないように見えた。
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単行本p.161

 放棄されて久しい無人の宇宙ステーションで、あるはずのない出発便を待ち続けている老人。男はその理由を確かめようとするが……。技術や社会の「進歩」に伴って、あるいは新自由主義的に「効率」が悪いとして、見捨てられる人々。その孤独と反逆を力強く描く感動作。


『感情の物性』
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 ボヒョンはジレンマに陥っていた。そして身動きが取れなくなっていた。かつて愛した人たちが、今では彼女を抑圧している。だからといって、こんなやり方で事を解決しようとするのは、なおさら理解できなかった。
 ユウウツ体にどうして彼女の悲しみが解決できるというのだろう?
「もちろん、そうでしょうね。あなたはこのなかで生きたことがないから。だけどわたしはね、自分の憂鬱を手で撫でたり、手のひらにのせておくことができたらと思うの。それがひと口つまんで味わったり、ある硬さをもって触れられるようなものであってほしいの」
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単行本p.187

 人間の感情そのものを造形化したという「感情の物性」シリーズ。爆発的なヒットを冷やかな目でみていた男は、親との関係でこじれている恋人が「ユウウツ」を大量に買っていることを知って困惑する。「オチツキ」や「シアワセ」といった感情ならともかく、なぜ「ユウウツ」などというマイナスの気持ちを物質として所有したいのか。物性として可視化された他者の苦しみや生きづらさに対する(男の)反応を鋭く描いた作品。


『館内紛失』
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 母が失踪した。
 と言っても、死んだあとに失踪する人はそう多くはないだろう。母の生前にだって、ジミンは母がするなんて夢にも考えたことがなかった。母はいつでもすぐに見つけられる人だったから。母が死ぬ前の数年間に訪れたであろう場所は片手で数えられるほどだった。そんな母が今ごろになっていつ、どこへ消えたというのだろう。そのタイミングも居所も、今となってはわからない。ジミンが母に会いに行った日は、母がこの図書館に記録されてからすでに三年も経った時点だったから。
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単行本p.194

 生前に記録した脳内ネットワーク構造をデジタルデータとして図書館で保存できる時代。母の死後に図書館を訪れた語り手は、母のデータが紛失していることを知らされる。正確にはデータそのものはどこかに残されているのだが、検索用インデックスが消されている。アクセスするためには、母のデジタルイメージが強く共鳴するものをデータ空間に置く必要がある。だが、語り手は、母が何を好きだったのかすら知らないことに気づく。
 母を、自分の母親としてではなく一人の人間、対等な他者として知る体験を通じて、孤独と共感を感動的に描いた作品。


『わたしのスペースヒーローについて』
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 ガユンがこれまでスペースヒーローとして崇拝してきたジェギョンおばさんが、実は、人類の宿願であるミッションを目前にして前日に逃げ出していたとは。

 ガユンは週末のあいだずっと、ジェギョンおばさんのことを考えていた。どう考えても、ジェギョンがなぜそんなことをしたのかわからない。宇宙飛行士が、それも人類で初めて宇宙の彼方に行けるという栄えある立場にいる人が、出発直前になって突然海へ身を投げることなどありえるだろうか。
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単行本p.251

 結果的に失敗に終わった人類初の超光速ミッション。宇宙船の事故で亡くなった宇宙飛行士のひとりであるおばをスペースヒーローとして崇拝していた語り手は、実際に何が起きたのかを知らされる。おばは宇宙船に乗ってすらおらず、ミッション前日に逃げ出して海に身を投げたというのだ。なぜそんなことをしたのだろう。同じミッションへの再挑戦にいどむ語り手は、やがておばは真のヒーローだったことに気づく。
 あらゆる困難を乗り越えて獲得する称賛と、他人の承認など求めず自由のためにすべてを捨てる覚悟。対比を通じてヒーローとは何かを描いた作品。





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『三体III 死神永生(下)』(劉慈欣:著、大森望・光吉さくら・ワンチャイ・泊功:翻訳) [読書(SF)]

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 本書には、劉式の核パルス推進システムに劣らない、度肝をぬくアイディアが次から次へと現れて、人類と三体文明の、そして暗黒森林理論が予言する通りに襲いかかってくる新たな脅威との接触が描かれる。程心たちは、時空が増え、宇宙がねじ曲がり、光速度が変わり、そしてこの宇宙が熱を失う瞬間にまで及ぶ旅に出る。その密度と、科学的な知見を元に描かれる情景の美しさは、第一部と第二部で、圧倒的に感じられた三体文明とのひりついた接触が色褪せてしまうほどだ。
 劉慈欣は、宇宙とSFに、想像力を振るう余地がまだまだあることを教えてくれた。
――――
単行本p.434


「中国に遅れること11年、英語圏をはじめとする世界のSFファンたちに遅れること4年。ようやく日本の読者も、劉慈欣の描いた『三体』の最後のページを閉じることができる」(藤井太洋氏による「解説」より)

 三体星系をあっさり破壊した黒暗森林攻撃。次のターゲットとなった太陽系では、生き残りをかけた人類の挑戦が始まった。だが実際の攻撃は誰もが予想しなかった形で行われる。SF史に残るトンデモスペクタクルを経て宇宙の終末まで突っ走る程心たちの旅の終着点はどこか。話題の中国SF長編『三体』三部作の完結編、その下巻。単行本(早川書房)出版は2021年5月です。


 まず既刊である『三体』『三体II』および上巻の紹介はこちら。

2019年10月17日の日記
『三体』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2019-10-17

2020年10月14日の日記
『三体II 黒暗森林(上)』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2020-10-14

2020年10月23日の日記
『三体II 黒暗森林(下)』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2020-10-23

2021年08月05日の日記
『三体III 死神永生(上)』
https://babahide.blog.ss-blog.jp/2021-08-05


 いよいよ『三体』三部作もすべてに決着がつく最終巻。すべてというのは、つまり宇宙とか次元とか物理定数とか時間とか数理とか、そういうものすべて。要するに究極的なスケールのバカSFへと光の速さでぶっとんでゆきます。いやー、正直こういう展開を期待してたんですよ。


〔第三部〕(承前)

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 現在、人類生存プロジェクトの主力は掩体計画であり、暗黒領域計画のほうは、未知の要素に満ちた冒険的プロジェクトであるという点で、面壁計画と似た位置にある。二つのプロジェクトは並行して進められているが、暗黒領域計画については、現時点でできることは基礎理論の研究だけであり、現実面への波及効果は小さい。国際社会に巨大なインパクトを与えられるのは掩体計画であり、大衆の支持をつなぎとめるためには、なにか大きな花火を打ち上げてみせる必要があった。
――――
単行本p.155

 太陽系に迫り来る黒暗森林攻撃をどのようにして生き延びればよいのか。隠れてやり過ごす掩体計画、太陽系そのものを疑似ブラックホール化する暗黒領域計画、そして光の速さで外宇宙に脱出する光速宇宙船プロジェクトが考案される。最も現実的な掩体計画に、人類の最後の希望がかけられていた。


〔第四部〕

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「五十年以内に、われわれは曲率推進による光速宇宙船の建造を実現する。これは技術的な研究開発で、大量のテストを行なう必要がある。だから、その環境を整備するためにも、われわれは連邦政府に手の内をさらけだした」
「でも、いまみたいなやりかただと、すべてを失ってしまう」
「すべてはおまえの決断しだいだ」ウェイドが言った。「連邦艦隊の前で、われわれは無力だと思っているだろう。だが、そうじゃない」
――――
単行本p.219

 あらゆる手段を持ってしても太陽系を救えなかった場合に備えて、わずかな人間を外宇宙に脱出させるための光速宇宙船開発プロジェクト。だがそれは政治的に極めて危険なものだった。極秘計画が進められていることを知らされた程心は人類の未来を決める決断を下すことになる。


〔第五部〕

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 程心は、自分がぜったいに生き延びなければならないとわかっていた。程心とAAは、地球文明の最後の生き残りだ。もし自分が死んだら、地球人類の半分を殺すことになる。生き延びることだけが、自身のおかしたあやまちにふさわしい罰なのだった。
 だが、この先の航路は白紙だった。程心の心の中で、宇宙はもう漆黒ではなく、無色だった。どこに行こうと、なんの意味がある?
「どこへ行けばいいの?」程心は小さくつぶやいた。
「彼らを探しにいけ」羅輯が言った。ウィンドウの中の羅輯はさらにぼやけ、いまはモノクロになっていた。
 羅輯の言葉は、暗雲垂れ込める程心の心を稲妻のように明るく照らした。程心と羅輯は目を見交わした。二人とも、もちろん“彼ら”がだれなのか理解していた。
――――
単行本p.333

「このアイデアを思いついたとしても、それをこんなふうに正面から描いて読者の度肝を抜けるのは、世界広しといえども劉慈欣ただひとりだろう」(大森望氏による「あとがき」より)

 ついに始まった太陽系に対する黒暗森林攻撃。それは人類の想像をはるかに超えるものだった。SF史上に輝くトンデモ馬鹿SFの地位を不動にするであろうスペクタクルシーンが炸裂。なすすべもなく崩潰してゆく太陽系を前に、執剣者である羅輯と程心は最後の会話を交わす。


〔第六部〕

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 この宇宙の最後の審判の日、地球文明と三体文明に属する二人の人間と一体のロボットは、感極まって抱き合った。
 彼らは知っていた。言葉と文字が変化するスピードは速い。もし二つの文明があれから長期間にわたって存在していたとしたら――もしくは、現在に至るまで存在しているとしたら――両文明で使用されている文字は、いまウィンドウに表示されている古代の文字とはまったく違うものになっているはずだ。しかし、小宇宙に隠れている人々に理解できるように、彼らはメッセージを古代の文字で記さなければならなかった。大宇宙にかつて存在していた文明の総数にくらべれば、157万という数はゼロにひとしい。
 天の川銀河オリオン腕の永遠につづく夜、二つの文明が流れ星のようにすっと横切り、宇宙はその光を記憶していたのである。
――――
単行本p.415

 1890万年の歳月が過ぎ去り、程心たちは智子と再会する。そして地球文明と三体文明を含む157万の文明の生き残りに届いた最後のメッセージ。息を潜め黒暗森林に隠れているあらゆる知的生命が、宇宙そのものの再生のために「永遠」を犠牲に出来るかが問われていた。


 というわけで、ついに『三体』三部作が完結します。文革とVRゲームから始まった物語は、次元崩壊攻撃や光速低下障壁など物理法則そのものを武器にする星間戦争を経て宇宙の終わりまで到達。小説としての完成度は第二部の方が上でしょうが、やはりSF、それも極限的スケールの馬鹿SFである第三部が、正直、個人的に好みです。訳者あとがきによると『三体』関連の出版ラッシュはこれからも続くらしいので、まだまだ楽しめるようです。





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