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『あるときはぶかぶかの靴を、あるときは窮屈な靴をはけ(3)』(河野聡子) [読書(教養)]

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 どれだけ何を読もうともやっぱり自分は何も知らない。そして、そう実感するたびに読書は楽しいものだと思う。書物はけっして征服できない海のように私の前にあり続ける。
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「付録 他にも語りたい本がありまして」より


 西日本新聞に寄稿された書評から外国文学を中心に再録した『あるときはぶかぶかの靴を、あるときは窮屈な靴をはけ』の第三弾。2020年から2022年前半までに出版された翻訳書を紹介してくれます。通販サイトへのリンクはこちら。

あるときはぶかぶかの靴を、あるときは窮屈な靴をはけ(3)
https://tolta.stores.jp/items/637b0211bd5e4d237d0449e9




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 思うに作家の最大の特権は主人公を決定できることかもしれない。誰の目から見るかによって世界は異なるあらわれかたをするだろう。
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「シェイクスピアの妻はどんな人間だったのか?――
『ハムレット』(マギー・オファーレル)」より




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 ウルフはこれらの作品のなかで「小説」や「詩」といった枠組みを超え、あれこれ好き勝手に試しているのだろう。しかし「好き勝手」にやることほど難しいことはない。本書は「書かれたものとはかくあるべし」という観念を超えようとする自由の賜物である。
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「かくあるべしから自由になる――
『ヴァージニア・ウルフ短編集』(ヴァージニア・ウルフ)」より




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 単純な四つの塩基に「私」の情報が折り畳まれているように、シンプルなラブストーリーは無限の知的興奮と共に展開し、しまいにこの世界そのものの豊かさと多様性をあらわにするだろう。驚嘆すべき作品である。
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「折り畳まれた情報から「私」を形づくる変奏を見出す――
『黄金虫変奏曲』(リチャード・パワーズ)」より




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 それにしても、主人公の言動はけっして愉快でも痛快でもないのに、彼に巻き込まれた人々は最後になぜか前向きな結末に至る。これぞピタゴラ装置風のマジックというべきか。読後には賑やかな祭りを見物したあとの疲労と爽快感が残るのである。
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「転がる運命の手が引き起こす喜劇――
『愚か者同盟』(ジョン・ケネディ・トゥール)」より




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 中国という国家の歴史や社会システムに注がれる冷静で分析的な視点と、奥行きある描写の巧みさが両立する作家である。本書では祖父や両親のエピソードが見事で、ひとつひとつに独立した短編小説になり得る深みがある。様々な側面から読み応えのある作品といえる。
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「現代中国からジョージ・オーウェルへ――
『1984年に生まれて』(郝景芳)」より




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 本書は読めば読むほどに不思議の国に入り込んだような印象を受ける小説だ。私のいる場所とは異なる時空、異なる現実から届けられた、貴重な思索の声なのだ。
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「ありえたかもしれない「共産主義」の夢――
『チェヴェングール』(アンドレイ・プラトーノフ)」より




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 船上の食事の歴史について語るために船そのものの発達史を語るといったような、おそらくこれまでなかった方法で海と船と人間の歴史を描いていることに特徴がある。帆船から蒸気船に船が発達する過程で船のキッチンがどう変化したかという記述がある一方、ミクロネシアのカロリン諸島1960年代から現代にいたるまで、大戦で沈没した日本の軍艦から回収された鉄の箱を船上での魚の調理に使っているといったことが記されていて、「海上における調理」の背後にある物語に驚かされもする。
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「人類は船の上で何を食べてきたか――
『船の食事の歴史物語 丸木舟、ガレー船、戦艦から豪華客船まで』(サイモン・スポルディング)」より





タグ:河野聡子
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