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『ランチタイムのぶたぶた』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

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 いつかこのコロナ禍を抜けたら、太明は本当にごはん友だちを作ろうと思っていた。楽しく静かにごはんを一緒に食べるだけの友だち。一人でいい。話すことも、ごはんのことだけでいい。おいしいねって話すだけの友だち。
 そんな友だちは、夢のようなものに思えるけれども――ぶたぶたが近くにいたら、そうなれそう、と思えるのだ。彼みたいな人は、確かに希有な存在だし、まったく同じ人はいないだろうけど、彼と同じように楽しい人はきっとどこかにいるはず。
 そんな人を探したい。どこにでもごはんを食べに行けるようになったら。
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文庫版p.186


 見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、中身は頼りになる中年男。そんな山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。大好評「ぶたぶたシリーズ」は、そんなハートウォーミングな奇跡の物語。

 最新作は、新型コロナ禍により長期休業に追い込まれ窮地に立たされている飲食店経営者ぶたぶたと、同じく悩み苦しんでいる人々との出会い、そしてその先にある希望を描く7篇を収録した短編集。文庫版(光文社)出版は2021年6月です。

 悩める語り手がたまたま入った飲食店で山崎ぶたぶた氏に出会ったことで解決の糸口や気持ちの整理を手に入れる、というのが「ぶたぶたシリーズ」の定型のひとつです。ところが今回、大いに悩み苦しんでいるのはぶたぶたも同じ。


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 今回はすべて今現在のコロナ禍の世界を舞台にした物語です。ぶたぶたは今までたくさん、飲食店を経営してきました(すごいやり手の実業家みたいな言い方ですけど)。現実であったら、彼のお店もこの世界的な災害に否応なく巻き込まれていたに違いないわけです。(中略)
 今回、書いていてそういう方向になっていったということは、私自身の生活がほとんど変わっていなくても、このコロナ禍が自分の現実であるとやっと認識したということかもしれません。現実にぶたぶたがいるとするならば、彼のためにもこの災害を忘れないよう書かねばならなかったと――今では思っています。
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「あとがき」より


 いつも読者を救ってくれるぶたぶた。世の中それほど酷いことばかりじゃない、信頼できる人もいるし、自分がそんな人になって誰かを助けることも出来る、と教えてくれるぶたぶた。そのぶたぶたが苦境にあるとき、彼を勇気づけ支えるのは誰か。友人、知人、家族、そして私たち。現実の世界でコロナ禍に悩み苦しんでいるすべての読者のための、勇気と希望と食いしん坊の7篇。


[収録作品]

『寝落ちの神様』
『ぶたにくざんまい』
『助けに来てくれた人』
『ぶたぶたのお弁当』
『相席の思い出』
『さいかいの日』
『日曜日の朝』




『寝落ちの神様』
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 一瞬何を言われたのかわからない。お弁当を持ってきて、いきなり「食べてください」とは? なんで?
「俺に?」
「そうです」
 改めて訊くまでもなかった。どうして自分が、こんなぬいぐるみの弁当を食べなくてはならないのだろう。
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文庫版p.15

 授業がオンライン化され、クラスメートとのコミュニケーションも何となくうまくゆかず、疎外感に苦しんでいる大学生。生活も乱れ、やつれてゆく彼のところに、小さなピンクのぶたのぬいぐるみが弁当を持ってきて一緒に食べろと言い出す。なにこのメルヘン。ゲーム仲間に教えると「それは「寝落ちの神様」だよ」と言われたのだが……。意外なひとひねりがある作品。


『ぶたにくざんまい』
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 すっかり夢中で食べてしまった。半分ほどになった時、お茶を飲んでハッとする。あのぬいぐるみは!?
 奥のテーブルを見ると、ぬいぐるみは豚汁をまた食べていた。というより、もう食べ終わる頃? 唐揚げの皿は空っぽで、パセリすらない。
 自分の食い意地をこんなに悔やんだことはない。こんな機会、多分もうない。ぶたのぬいぐるみが豚肉の唐揚げを食べるところを見るなど――たとえ夢だとしても、こんな変な夢、もう一度見る機会はない。
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文庫版p.69

 業務がリモートワークになり、ライチタイムに外食する楽しみが失われて悲しむ在宅食いしん坊。散歩の途中でみかけたピンクのぶたのぬいぐるみのあとをつけてゆくと、何と「ぶたにくざんまい」という料理店に入ってゆくではないか。マジですか。追いかけるようにして店に入ってみたところ……。飲食店経営も危機的、そして食いしん坊も危機的。やっぱりおいしいものを食べるって人を救うよね。


『助けに来てくれた人』
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「ぶたぶた、うちに来て!」
「えっ」
「作り方、うちで教えて」
 我ながら名案だ。
 ぶたぶたはちょっとだけ鼻をぷにぷにすると、
「わかった。行くよ」
 と言った。すごい! これで解決!
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文庫版p.89

 お母さんが病気で寝込んでいるため、何とか自分でごはんを用意してあげようと決意した幼い子ども。まずはお買い物。だったんだけど途中で出会ったピンクのぶたのぬいぐるみがお弁当の作り方を教えてくれるというので……。はじめての料理に挑む子どもの姿を描く作品。


『ぶたぶたのお弁当』
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 もっか聖乃が夢中になっているのは、「あのお弁当を詰めているのは誰か」という妄想だった。ぬいぐるみの家族がいる、というところまで想像はしたのだが、みんな同じような大きさだとやっぱりコンロに手が届かないから、人間と住んでいるのかも、と思い始めている。(中略)
 どっちにしろなんだか楽しそうだな。聖乃は自分の、平凡という言葉でしか言い表せないが、その実あくせく働かなければ気持ちが落ち着かない毎日を思うと、少しため息が出る。ぶたぶたは、見ているだけで楽しそうで、聖乃にも少しそれを分けてもらえる気がしていた。
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文庫版p.141

 勤務先のスーパーにやってきた新しいバイトのおじさんは、ピンクのぶたのぬいぐるみ。昼休みにいつも弁当を嬉しそうに食べている彼を見ていると、こちらまで少し楽しくなる。しかしそれにしても、あの弁当は誰が作ってるのだろうか?
 経営している飲食店が休業中で再開の目処も立たないまま家計を支えるためにアルバイトで働く山崎ぶたぶた。それでも決してくじけず、いつもお弁当をごきげんで食べる彼の姿が忘れがたい作品。


『相席の思い出』
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 いろいろなところで相席をしたけれども、ぶたぶたとの相席以上に印象に残っているものはなかった。当然とも言えるが。あれ以上、不思議でかわいらしく、そして優しく気さくな常連さんはいない。
 今では相席なんて無理なことになってしまった。袖すり合うも他生の縁、ということで、食べている間のちょっとしたおしゃべりすらなつかしく思うことがあるとは。あの時は考えもしなかった。そうだ、シェアもできないな。あの時は何も気にせずできたけれど、いつかまたできるようになるのだろうか。
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文庫版p.184

 出張の楽しみといえば現地の名店で食べる昼食。それにつけても思い出されるのは、ピンクのぶたのぬいぐるみと相席したときのこと。気さくにおしゃべりして、料理を分け合った、楽しい思い出。それもコロナ禍ですべて出来なくなってしまった。あの日、ぶたぶたが経営しているという飲食店に必ず行くと約束したのに、店は今も閉店したまま。いつか再開する日は来るのだろうか?


 以上の五篇はどれから読んでも大丈夫ですが、続く『さいかいの日』と『日曜日の朝』は最後にとっておくことを強くお勧めします。これは希望の物語。どんな災厄にも終わりがあります。本当に大切なものを捨てない限り、その日はおそらく意外に近いのです。





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