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『消える村』(小松郁子) [読書(小説・詩)]

――――
なたねのはなの咲く村から
どこをどう
迷ってきてしまったのだろう
たそがれになると
どこからでもかけかえれる祖父の屋敷が
そこには あって
部屋部屋には黄色い灯が
はなのように点いていた
――――
『黄昏』より全文引用


――――
屋敷は
高い高い板塀でかこまれていた

黒い板塀の中は
ひっそりしていた

板塀の角をまわると
ひとの顔をした黒い牛に出あった

柿の花が ほろほろ ほろほろふった
――――
『板塀』より全文引用


 「わたしの郷土望景詩というところかもしれない」
 現実には消えた村、心の中では消えない村、でもやがては消える村。故郷のことを思い起こせば、そこでは死者と生者の区別は限りなくあいまい。怪談のような語りを駆使して故郷の心象風景をえがく詩集。単行本(思潮社)出版は1997年5月です。

 かつて故郷の村で見た光景が題材となっていると思しき作品が多いのですが、その表現がこう、いかにも怪談めいていてぞわぞわします。

――――
土塀の向うから
死んだ猫をつり下げている

 いくら荒れていたって土塀のこちらは
 こちらの庭よ

くるりとまわって東裏の門を出ると
しらない女のひとが きゃたつの上に
のっかって 死んだ猫を
紐でつり下げているのだ

 猫が そちらに行きたがって

女のひとは紐をたぐりあげ
死んだ猫をだきとると
ほおずりしながら
畦づたいにいってしまった
――――
『畦』より全文引用


――――
わたしたちは
きつねばなが好きだった

ともだちとわたしは目がつりあがっていて
まるで双子ね と
ほかのともだちが気味悪がっていて
ともだちが現われた話を
きかせると
他のともだちは
あの陰気な死んだ女のひとが
していたように
いまでは 目をそむける
――――
『きつねばな』より


 死者と生者の区別が曖昧な感じとか、確かに分かるような気がします。


――――
あがりかまちをあがって
最初のふすまをあけ
次のふすまをあけて 不意をつかれた

奥座敷にはひざとひざとをつきあわせて
村のひとびとが集まっていた

なぜ
と思うまもなくひどく腹が立ってきた

この家はまだわたしの家で
この家に人嫌いの老人が住んでいたとき
たれひとり足をふみ入れたものはない

(中略)

腹がたったけれど
一せいに顔をあげたひとびとはみんな
闖入者をみるけげんな顔をしていた

いつのまにかわたしの家は
村のよりあい所になっていたのだ
ありそうなことだ

いっそう腹立たしくなったけれど
後手に ぴしゃりと二回ふすまをしめてから
あの中に
この家の死んだ人嫌いの老人の顔が
たしかにあったような気がしてきた
――――
『よりあい』より


――――
青葉の美しい季節になった
たっぷり青葉をみてこようと誘いあって
叔母と山の温泉場に行くことにした
 青葉をわざわざみに行こうなんて
 思わなかったわね あの頃
叔母は吉井川のほとりの
消えたあの村を思い出している
 そう 青葉をみたいなんて思わなかった
わたしも吉井川のこちら側の
消えたわたしの村を思っている
あるものはすべていつかはなくなるのだ

青葉に埋もれた山の宿について
窓をあけはなったとき
宿のひとがあわただしく入ってきて
継母の死を告げた

そそくさと帰り支度をはじめて
叔母とわたしは顔をみあわせた
継母はとっくに死んでいたのだ
それから
もう一度 閉めた窓を大きくひらいて
青葉に顔をうずめようとして
ふりかえる

そういえば
三つ年上の継母方のこの叔母も
先だって死んだばかりだ
――――
『青葉』より全文引用


 特に奇怪なことが起きなくとも、ただの情景描写だけで背筋がちりちりしてくるような不安感が伝わってきて、なくなった故郷の思い出おそろし。


――――
まわり縁のつきあたりに
染つけのきんかくしのある上雪隠があった
上雪隠は小庭につき出ていて
廊下側のいりぐちには
青いびいどろのすだれがかかっていた
そのあたり
たれかがふいに顔を出すような
おびえがいつも漂っていた
青いびいどろは
思いもかけぬ時にちゃらちゃらちゃらと
音をたてた
――――
『びいどろ』より全文引用


――――
老人がゆっくりと
はしご段をあがっていく
ぎいぎいときしませて
廊下を歩いていく

老人はゆっくりと
もう一つのはしご段をのぼっていく
ゆっくりと廊下をひとまわりする

老人はかんてらを下げている

老人はふりかえった

老人はゆっくりと
はしご段をおりてくる
老人は
もう一つのはしごだんをおりてくる
そこで
ぼおっと 灯りが消えた
――――
『灯』より全文引用


 上に引用した『灯』は本気で怖いし、『びいどろ』は最初に読んだときはさほどでもなかったのですが、後から後から「そのあたり/たれかがふいに顔を出すような/おびえがいつも漂っていた」の一節が折に触れ脳裏に浮かんできて、廊下の曲がり角とか夜中のトイレとか、生活に支障。

 というわけで、思わずぞぞっと来るような怖さが漂う作品が多くなっています。幼い頃の故郷にまつわる、謎めいた、今から思うと釈然としない、奇妙な記憶。あの感じが、見事に伝わってきます。



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