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『痛覚のふしぎ 脳で感知する痛みのメカニズム』(伊藤誠二) [読書(サイエンス)]

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痛みに関する総説や専門書は数多くありますが、生化学・分子生物学の立場から、分子に基づいた痛みに関する一般読者向けの単行本がないことが、『痛覚のふしぎ』を書こうと思った最大の理由です。同時に、痛みの研究が成熟期にあり、今後、執筆内容が大きく変わることがないとも考えました。
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新書版p.5


 生活の質を著しく下げることになる「痛み」という苦痛。それはどのようなメカニズムで知覚されるのか。原因が除去されてもなお痛みが慢性的に続くことがあるのはなぜか。分子生物学の立場から見た「痛み」に関する最新研究成果を一般向けに紹介する一冊。新書版(講談社)出版は2017年3月、Kindle版配信は2017年3月です。


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痛みを客観的あるいは定量的に評価することは、いまもってできていません。患者の痛みの強さは図7Aに示す11段階で測る数値的スケール、長さ100mmの線を引いた細長い紙で痛みの程度を測る視覚的アナログ目盛法や質問表による心理的な評価など、主観的な評価方法に頼っているのが現状です。
(中略)
 痛みを理解する上で重要なことは、痛みが五感と異なり、不快な感覚的・情緒的体験で、慢性痛の多くは痛みの原因が体内にあり、原因が除去されないと持続すること、痛みの感じ方は個人差があり、意識レベルや情緒的な要因により変化することにあります。
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新書版p.52、59


 意識レベルや情緒的な要因の影響を強く受け、いまだ客観的・定量的な測定が出来ない「痛み」という感覚。しかし、分子生物学の発展により、受容体から脊髄を経て脳で処理されるまでの「痛み」のメカニズムについてはかなりの知識が得られており、その成果は鎮痛剤などの創薬に活かされています。

 本書は、この「痛み」という不思議な感覚、体験の研究成果を解説する一冊。全体は5つの章から構成されます。


「第1章 痛いとはどういうことだろう」
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 慢性痛には身体的、心理的、行動的、社会的な要因が密接に関与しますが、その関わり方は個人差があります。そのため、各要因の関係を明らかにして、慢性痛の症状を治療することから、慢性痛を持った患者を治療する全人的医療が必要になります。慢性腰痛で紹介した認知行動療法がその例でしょう。慢性痛の治療が成功するためには、心理的要因、社会的要因の比重が大きくなる前の侵害受容性疼痛、神経障害性疼痛の段階で適切に治療することが求められます。
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新書版p.55

 まず誰もが知っていながら、実は意外に分かっていない「痛み」という感覚、体験についての基礎知識をまとめます。痛みの役割、急性痛と慢性痛の違い、麻酔の発見と作用原理、そして痛みに関する総合的な理解へと進んでゆきます。

 個人的には、長引く腰痛などの慢性痛には脳の記憶が強く関与していることがあり、認知行動療法なども取り入れた全人的治療が有効、という指摘が印象的でした。


「第2章 痛みはどのように生じ、脊髄に伝えられるのだろう」
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 脊髄には、感覚受容器から受け取った情報を脳に送り出すニューロン(P)以外に、送り出すニューロンに働きかけて門番の役割をする介在ニューロンがあります。痛い時に痛い部位をさすることで痛みが和らぐことがあります。反対に、帯状疱疹後神経痛では、肌着がふれる、さわるだけで強い痛みが生じます。このように、脊髄には体性感覚のさまざまな情報が集まり、大脳皮質に情報を伝えるかどうかの門番の役割をしているのです。
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新書版p.119

 カプサイシン(トウガラシの主成分)の受容体が熱侵害受容器でもあることの発見から始まって、イオンチャネルと受容体の動作メカニズム、触受容体、化学侵害受容体、後根神経節ニューロンと感覚神経、先天性無痛症、脊髄ゲートコントロール説。侵害刺激(痛みを引き起こす強い刺激)が侵害受容器にとらえられ、その情報が脊髄まで到達するまでの仕組みを解説します。


「第3章 痛みの中枢はどこにあるのだろう」
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痛みにとって重要かつ興味深い問題は、「侵害刺激を受けた時に活性化され、痛みを識別する共通の脳の部位があるのだろうか」「人によって、時によって痛みの感じ方が違うのはなぜなのだろうか」「急性痛が慢性痛に変わる時に脳の中にどのような変化が起きているのだろうか」「慢性痛の患者の感情面に関わる共通の脳の部位があるのだろうか、いいかえると痛みの司令部はあるのだろうか」など、取り上げるとわからないことばかりです。
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新書版p.123

 受容器から脊髄まで到達し感受性レベルが決定した「痛み」は、さらに脊髄から脳へどのように伝わるのか、そして脳はどのような処理を行っているのか。「痛み」の脳への伝達経路、脳の「痛み」中枢、下行性疼痛抑制系とデフォルトモードネットワークの連結など、脳の中で生じている「痛み」の処理についての知見を解説します。


「第4章 なぜ痛みは増強し、持続するのだろう」
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痛みの研究が進歩することにより、痛みに伴う「脊髄の中枢性感作」に関係する分子・機構は、海馬の記憶学習で見られる長期増強など神経回路の可塑的変化に関わる分子・機構と驚くほど共通性のあることがわかってきました。
(中略)
痛みの原因が取り除かれないと、痛みは持続し、慢性化します。慢性痛では、痛みの役割は失われ、覚えなくてもいいことを学習し、脳に記憶することになります。その強度が強くなればなるほど痛みは弱い刺激でも感じるようになり、長く続きます。
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新書版p.187、188

 痛覚過敏反応、脊髄の中枢性感作、触刺激が痛みに変わる仕組み、記憶学習と慢性痛の関係など、痛みの持続・増強・慢性化の仕組みを解説します。


「第5章 痛みの治療はどこまで進んでいるのだろう」
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 痛みの研究成果が創薬と結びついて、新しい治療薬が次々と慢性痛の患者の治療に用いられています。(中略)これまで製薬会社は、化学合成した低分子化合物をスクリーニングして、その中から動物実験でその安全性と有効性を確かめ製品化してきました。しかし最近、治療薬として生物を起源とするモノクローナル抗体やワクチンといった高分子の生物製剤が脚光を浴びています。(中略)1980年代以降の分子レベルの痛み研究はめざましいものがあり、慢性痛の原因の的確な診断により、患者に合わせた治療ができる時代になっています。
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新書版p.192、193

 様々な痛みの治療薬・治療法を紹介し、今後の高齢化社会における意義、さらには精神の痛み(スピリチュアル・ペイン)まで、「痛み」と私たちの生活や社会との関わりを見てゆきます。


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