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『誤解するカド ファーストコンタクトSF傑作選』(野﨑まど・大森望:編) [読書(SF)]

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この広い宇宙のどこかには、人間がまだ見ぬ異質な地球外生命がいるのではないか――その可能性は、なぜか、わたしたちの興味を強くひきつけます。そうした異質なものとの“最初の出会い”を、SFの世界では“ファーストコンタクト”と呼びならわしてきました。
(中略)
ファーストコンタクトSFは、『竹取物語』以来、千年以上の長い歴史を持ち、作品数も膨大。本書一冊でその歴史を概観するのはさすがに無理があるので、このテーマの多様性が一望できるよう、なるべく違ったタイプの作品を集めようと心がけた。
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文庫版p.7


 異星文明など「未知なるもの」との最初の遭遇をえがく「ファーストコンタクトSF」のアンソロジー。文庫版(早川書房)出版は2017年4月です。


[収録作品]

『関節話法』(筒井康隆)
『コズミックロマンスカルテット with E』(小川一水)
『恒星間メテオロイド』(野尻抱介)
『消えた』(ジョン・クロウリー)
『タンディの物語』(シオドア・スタージョン)
『ウーブ身重く横たわる』(フィリップ・K・ディック)
『イグノラムス・イグノラビムス』(円城塔)
『はるかな響き Ein leiser Ton』(飛浩隆)
『わが愛しき娘たちよ』(コニー・ウィリス)
『第五の地平』(野崎まど)


『消えた』(ジョン・クロウリー)
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残された選択肢は、その受けとりを拒否することしかない。首を振り、きっぱりと、しかし礼儀正しく「いいえ」と告げること、なぜなら善意チケットを受けとるだけで「はい」のしるしと受けとられるかもしれないし、なにに対する「はい」なのかだれも正確には知らないけれど、少なくとも識者のあいだでは、これが《世界支配》に対する同意(または、少なくともそれに抵抗しないこと)を意味するという見方が主流だった。
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文庫版p.132

 巨大なマザーシップから現れた「エルマー」と呼ばれる生体ロボットか何かが、一件一件、個別に家庭訪問。親切に雑用を引き受けながら「善意チケット」へのサインをお願いしてくる。サインしたらどうなるのか分かったものではない。だが、たまたま別れた夫に子供を拉致され気が動転していた語り手は、なかば自棄になって善意チケットにサインしてしまう。彼女はいったい何に同意したのだろうか。善意とは何なのだろうか。


『タンディの物語』(シオドア・スタージョン)
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 母親は、金属質のぐにゃぐにゃしたものと、その中で震えていた紫色の謎めいたものを思い出した。あれはまるで、窓からべつの世界を覗いているみたいだった。それとも戸口。
「タンディ」母親は衝動的に質問を口にした。「戸口を抜けてきたブラウニーは何人いるの?」
「四人よ」タンディは快活に答え、スキップしはじめた。「ひとりはわたし用、ひとりはロビン用、ひとりはノエル用、ひとりは赤ちゃん用。ねえ、ジュース飲んでもいい?」
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文庫版p.193

 これはタンディの物語。カナヴェラルのくしゃみ、縮れのできたゲッター、漂う状態、サハラ墜落事故のアナロジー、ハワイと失われた衛星、利益分配プランのアナロジー。これらのレシピからつくられる、これはタンディの物語だ。

 「異世界から侵入してきた何かが子供たちにとりつく」という古典的な物語が、高揚感をもたらす素敵な文体で語られます。実は、子育てに疲労困憊している親のための願望充足SFだったりして。


『イグノラムス・イグノラビムス』(円城塔)
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 多数の触手で飾られた球体は、センチマーニにもよくわからない複雑な情報処理をその内部や表面で実行しており、センチマーニの意識なるものはその流れに浮かぶ泡のようなものだとも言える。脳の活動を化学反応と考えるなら、人間の意識も同じくその泡のような存在なのだが、センチマーニは別の個体の上に浮かんだ泡ですら、特徴さえ一致するなら、同じ自分として認識するし、認識される。
(中略)
 そこでのわたしは、センチマーニという流れの中に突然浮かんだ、人間という泡だった。そこにわたしというパターンが浮かび、わたしは自分がそこにいると認識し、膨大な距離を一瞬にして飛び越えていた。
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文庫版p.235

 突然、異星種族センチマーニになった語り手。いや、センチマーニの意識が走っている情報処理媒体(触手)上に「わたし」に相当するパターンが生じたのだ。こうして語り手はセンチマーニの文化と社会について学ぶことになったが……。

 「ワープ鴨の宇宙クラゲ包み火星樹の葉添え異星人ソース」から始まるグルメSF、だと思っていたら、いきなり人類とは本質的に異質な世界観、時間観、アイデンティティを持った異星人の文化と社会を正面から描くハードSFへと跳躍する傑作。ワープ鴨。

 映画『メッセージ』の原作『あなたの人生の物語』(テッド・チャン)を読んで、あの異星人たちはどんな社会でどういう人生観のもとに暮らしているのか、もう少しそこ突っ込んで知りたいなあ、と思った方にもお勧めです。


『わが愛しき娘たちよ』(コニー・ウィリス)
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「父親なんてクソの山よ」
 そのときあたしは、アラベルの話を思い出していた。ひじから先くらいの長さのちっちゃな茶色い動物。それから、ブラウンの言葉――お父さんはきみを守ろうとしてるだけなんだ。あたしは口を開き、
「クソの山以下よ。父親なんて、だれもかれも」
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文庫版p.328

 全寮制寄宿学校に放り込まれた不良娘のタヴィは何もかもむかついていた。ボーイフレンドは「テッセル」と呼ばれる小動物に夢中で、彼女とセックスしようとしない。校長は露骨に色目を使ってくるし、同室になった新入生はいつも何かに怯えてゲロ吐いてる。何が、お父さんはきみを守ろうとしてるだけなんだ、だよ、クソが、死ねよ。

 男が誇らしげに「父性」「男らしさ」とみなすもろもろの実態(つまり未成年者など身を守ることも抵抗することも出来ない相手に対する性暴力、性的虐待、服従強制)を、怒りを込めて告発した1985年発表作品。今でも古びていません。


『第五の地平』(野崎まど)
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 彼の目の前に、寥廓たる草原が広がっている。
 そして頭上には、それよりも遙かに広大な宇宙があった。
 故郷モンゴルはすでに7auの彼方であった。今チンギスが立っている場所はモンゴル族の勢力の前線。木星の軌道を越えて、土星周回軌道へと向かう道程の中ほどである。
(中略)
 人類の技術進歩はチンギスを宇宙に連れ出した。それからチンギスはがむしゃらに覇道を進んできたが、地球から7auの地において、とうとう自分の疑問を無視できなくなっているのだ。上下左右前後の区別すらない宇宙で、自分はいったい何を目指して走り続ければいいのか、と。
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文庫版p.355

 時は13世紀初頭。遥か太陽系の彼方まで広がる大草原を、宇宙馬に乗って駆けるチンギス・ハーン。だが、土星軌道を前にして、彼の心には疑問が生じていた。遠くへ行きたい、その一心でここまで版図を広げてきたが、宇宙で真に「遠く」を目指すには、どちらへ向かえばいいのか。腹心の部下は助言する。宿敵に一騎討ちを申し込むのです。互いの回りを馬で周回しつつ光速近くまで加速し、しかる後に正面から激突すれば、そのエネルギーは必ずや超根理論が予言する余剰次元への扉を開くことでしょう、と。

 まあとにかく、これが、野崎まど。



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