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『ハナモゲラ和歌の誘惑』(笹公人) [読書(随筆)]

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ハナモゲラ語とは、ジャズ・ピアニスト山下洋輔さん周辺のミュージシャンや文化人の間で流行した一種の言葉遊びである。デビュー当時のタモリさんの持ちネタとしても有名だが、そのなかに「ハナモゲラ和歌」があった。(中略)
 当時すでに短歌を始めていた僕は、この枕詞風の造語やオノマトペのみで成り立つ和歌に衝撃を覚えた。(中略)まさに韻律の音楽性のみで鑑賞するという点で、ハナモゲラ和歌は短歌の原点に迫る試みであったといえなくはないだろうか。
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単行本p.6、7、9


 ひらがな31文字でもっぱら語感と韻律を追求するハナモゲラ和歌。短歌まわりの様々な話題を扱った、念力短歌で知られる歌人の初エッセイ集。単行本(小学館)出版は2017年4月です。

 一定年齢以上の方なら、大橋巨泉さんがウシシ顔で
「みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」
と詠むだけという、万年筆のコマーシャルを覚えていることでしょう。あれがハナモゲラ和歌です。他にも本書にはこんなハナモゲラ和歌が収録されています。


「山の美しさに感動して詠める」
ひいらぎの かほりやまめて せせらぎる どぜうてふてふ くましかこりす
山下洋輔

「大変にきたないさまを詠める」
さなだむし じるつゆのおり こきかじり みがほろとばる あじめどあくさ
渡辺香津美

「1977年のヨーロッパ公演にてステージの前に詠める」
いざけたぞ ふめぬけよれる ぱっちょろめ まさかのへりも こきなめしらさん
小山彰太

「ノストラダムスの予言に震える昭和の浪人生を詠める」
きょふるめの えめのすとらの いむへるの かさはりあはれ ぴれれけるかも
藤原龍一郎


 このハナモゲラ和歌の歴史をひもとく連載エッセイ「誘われてハナモゲラ」を中心に、さまざまな短歌まわりの話題を詰め込んだ一冊です。


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 当時、ハナモゲラ和歌を広めた天下の才人たちは、純粋にハナモゲラで和歌をどれだけ楽しめるかに全力を注いだ。そして、その流れのなかで、「ハナモゲラを意図しない和歌もハナモゲラとして鑑賞できる」という発見をしたのだろう。その発見は、百人一首などの古典和歌に対するハナモゲラ的な鑑賞芸として昇華された。
(中略)
 そして「裏小倉」の鑑賞文は、ありえない光景であっても五・七・五・七・七の韻律に乗れば、なんとなくの説得力を持たせてしまうという韻律の魔力をあらためて教えてくれる。
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単行本p.17、22


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 ハナモゲラ和歌を推進した文化人たちは、様々な技法を生み出し、最終的にはコンピュータに作らせる「コンピュータ和歌」にまで行き着いた。コンピュータ和歌とは、1980年代初期当時、マイコンと呼ばれていたコンピュータによって構成されたランダムな文字と記号の羅列である。想像力を駆使して、ようやく和歌としての存在を確認できるという類いのものである。
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単行本p.25


 さらには、ハナモゲラ和歌を現代歌人が詠んだらどうなるのか、という試みに挑戦。協力してくれたのが、山田航さん、千葉聡さん、伊波真人さん。歌人の皆さん、人がいいですね。


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しかしこの歌、うしろから読むと、(中略)駅名を並べた五・七・五・七・七になる。名探偵コナンばりの直感でこのいたずらに気付くことができたが、実に危なかった。もしも僕が、この仕掛けに気付かずに真面目に講評していたとしたら、厳しい読者からは見放されたかもしれない。
「山田航……おそろしい子ッ!」。
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単行本p.31


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この歌には、もうひとつ仕掛けがあることに気付いた。五句それぞれの頭文字に注目していただきたい。なんと僕の第四歌集のタイトル『念力ろまん』の折り句になっているのである。このあたりにも千葉さんの器用さと後輩想いの優しさを感じた。
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単行本p.40


 山田航さんと千葉聡さんが送ってきた作品には周到な仕掛けが施されていて、もしも気付かずに講評エッセイを書いたら後で指摘して大恥をかかせてやろうという黒い企みが仕組まれていた、と。いやまあ、ただの茶目っ気でしょうけど。いずれにせよ、歌人の皆さん、人が悪いですね。

 という具合にハナモゲラ和歌だけでも充実した内容ですが、さらに歌における人名の賞味期限とか、サラダ記念日が短歌界に与えた影響とか、文語と口語のミックス文体短歌の是非とか、様々な話題が続きます。

 歌人の評論も含まれています。取り上げられているのは、寺山修司、出口王仁三郎、太田水穂、岡井隆、和田誠など。

 さらには作詞家を夢見てカルチャースクールに通った頃の思い出、父親が飲尿療法にハマったときの思い出、といったエッセイもあり、巻末には山下洋輔さんとのハナモゲラ対談が収録されています。



タグ:笹公人
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『石黒亜矢子作品集』(石黒亜矢子) [読書(オカルト)]

 妖怪画で有名な石黒亜矢子さんの、意外にも初の作品集。単行本(玄光社)出版は2016年12月です。

 石黒亜矢子さんが手がけた絵本で、これまで日記で紹介したことがあるものは次の通りです。


  2015年10月14日の日記
  『[現代版]絵本 御伽草子 付喪神』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14

  2015年06月18日の日記
  『おおきなねことちいさなねこ』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-18

  2015年06月02日の日記
  『ばけねこぞろぞろ』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-02


 本書はこれらを含む石黒亜矢子さんの作品を集大成した一冊で、まずは擬猫化妖怪というか、化け猫の妖怪コスプレ大会というか、とにかく猫の顔をした妖怪たちが大集合です。

 かさねこ、つちねこ、ねこぼうず、ねこかしゃ、みあげにゃうどう、にゃっぺらぼう、にゃっぺふほふ、いっぽんにゃだら、ねこしゃりん、ぶるぶるねこ、ぶんぶくにゃがま、ねこだま、にゃとろし、……。

 「化け猫」の章に続いて、「化け猫団扇」「猫舌茸」「猫カルタ」という具合に猫画が続き、さらに「干支」「妖精」「その他」「妖怪」「線画」という具合に分類されています。

 伝統的な日本画・妖怪画のテイストを活かしつつ、こっけいおそろしな猫の姿を描いた石黒亜矢子さんの画風。作品の一部がネットで公開されていますので、ご存じない方はまずは以下のページからいくつかクリックして眺めてみて下さい。

石黒亜矢子 作品画像
https://ishi96ayako.wixsite.com/ishiguroayako/picture



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『イルミネイチャー』(カルノフスキー:絵、レイチェル・ウィリアムズ:文、小林美幸:翻訳) [読書(サイエンス)]

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チクタクと時をきざむ針が何時を指していても、
かならず、そのときに目をさまして、食べ物をさがしに出かける動物がいます。(中略)
それぞれが持っている力がどんなものであれ、動物たちはみんな、
毎日決まった時間に、すがたをあらわします。
最大の理由は、生き残るため。
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単行本p.2


 熱帯雨林、砂漠、湖、山脈、平原、海洋。地球上から10の地域を取り上げ、その生態系を構成している動植物たちの姿を、赤・青・緑という三種類の「マジックレンズ」を通すことで時間帯ごとに分離して観察できる教育絵本。単行本(河出書房新社)出版は2016年12月です。

 子供向きの「いきもの図鑑」というと、昔は「魚類」とか「鳥類」とかいったように系統ごとに分類して載っていたものですが、最近の図鑑は特定の生態系(例えば沼地なら沼地)に生息する様々な種とその関係をまとめて記載する、という構成になっていることが多いようです。幼い頃から、生態系、食物連鎖、生物多様性、といった概念を学べる子供たちがうらやましい。

 本書はこの工夫をさらに一歩進めたもので、特定の生態系を「活動時間帯」毎に分離して観察させる、というもの。

 どういうことかといいますと、見開きニページに、その生態系を構成している様々な動植物の多色刷イラストが重ねて描かれてあるのです。そのまま見ても、ごちゃごちゃした線の集まりに色がちかちかしているばかり。何が描いてあるかよく分かりません。

 この混乱した巨大イラストを、付録である三色の「マジックレンズ」(厚紙に四角い穴を三つ開けて、それぞれ赤・青・緑のセロファンを張ってある)を通してみると、あらびっくり、それぞれ対応する生物種のイラストだけがくっきりと黒く見えるという仕掛け。

 緑は、背景となる地形や植物相のイラストを見せてくれます。赤は、昼間に活動する動物種、青は主に夜間活動する動物種です。

 取り上げられている生態系は、コンゴ盆地の熱帯雨林、シンプソン砂漠、ローモンド湖、アンデス山脈、ウェッデル海とロス海、レッドウッド・フォレスト、東シベリア針葉樹林、セレンゲティ平原、カンジス川盆地、アポ礁、総計10箇所です。セレクトが渋いですね。

 それぞれの生態系について、基本情報(位置、国、環境、面積、生息種数)と解説に続いて、「展望デッキ」と題した前述の多色刷イラストが見開きでどーんと掲載。まずはこれをマジックレンズを使って自由に観察してみよう、というわけです。

 次に「夜・夕方・明け方に活動する動物9種」と「昼に活動する動物9種」に分けてガイドが載っており、これを読んで動物種の名前を確認してから、再び「展望デッキ」に戻って探してみよう、と。

 一つの生態系につき動物イラストが18種、全部で180種が「隠されて」いるわけで、すべての種を確認するのは意外に大変。探しもの系のパズルが好きな子供には大ウケしそうです。

 同じイラストが、セロファンを変えるだけでまったく異なる様相を見せる様は、実際にやってみると大人でも驚かされます。自然観察の驚きを疑似体験させてくれる優れた図鑑であり、動物絵本としても素敵です。



タグ:絵本
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『山怪 弐 山人が語る不思議な話』(田中康弘) [読書(オカルト)]

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普段はマンションで快適に暮らし、明るいオフィスで仕事をする現代人たちも、山へ入ればたちまち古代人と同じ土俵に立たされる(もちろん装備は違うが)。そこは普段自分たちが生活している日常とはかなり異なっている。静かすぎて耳が勝手に妙な音を拾ってくる世界、暗すぎてその闇の奥をじっと覗き込んでしまう世界。そんな独特の世界では空気の微妙な変化や鼻腔に入るかすかなにおいにも体は敏感に反応する。闇の中に佇むモノに気がつき体が緊張したり、藪の中を進む姿無きモノに遭遇し思わず目を向ける。かと思えば今まで歩いていたはずの道が突如消え失せて森に孤立したり、信じられないくらい立派な建築物に迷い込んだりする。誰もが平等に無防備な山の中では、少なからぬ人がこのような山怪に遭遇するのだ。
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単行本p.12


 全国の山々を巡って、怪談でもなく、民話でもなく、それらの「原石」のような不思議な体験談を集めた『山怪』、待望の第二弾。単行本(山と渓谷社)出版は2017年1月、Kindle版配信は2017年1月です。


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時々あれは何だったのかと思い出し、それを他人に話したりする。そして最後に“あれは錯覚だったのだ”と再確認しようとする。
 一生のうちに何度もこの作業を繰り返すことこそが、怪異を認めている証拠ではないだろうか。中には完全に記憶から消し去る人もいる。しかしそれがふとした弾みで口から飛び出す場合もあり、そんな時は当の本人が一番驚いているのである。
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単行本p.254


 日本全国をまわって、山に住んでいる人々の不思議な体験談を丹念に聞き取ってまとめたのが前作『山怪』。狐や狸に化かされた、狐火が飛んだ、山小屋の外を歩き回る足音がした。素朴というか、因縁も尾ひれもついてない、「怪談」としては未加工の体験談がぎっしりと詰まっています。ちなみに紹介はこちら。


  2015年06月15日の日記
  『山怪 山人が語る不思議な話』(田中康弘)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-15


 本書はその続篇です。内容的には前作と同じで、昨今の先鋭化された怪談実話に慣れた読者には物足りないかも知れませんが、そのライブ感というか、「あ、これは、語られた話そのままだな」という感触が、これが実に味わい深いのです。未加工の原石というか。


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「家のすぐ後ろが山なんですよ。そこにね、侍が埋まっている場所があるんですよ」
「侍ですか?」
「そう。よくは分からないんですけど、少しこんもりした所に侍が埋まっているって言われてましてね」
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単行本p.16


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「午後三時過ぎにね、山に入っていくお爺さんを見たことがあるんですよ。格好はとても山歩き様じゃないんです。白い服に白い靴を履いてね。ああいうの見ると心配になりますよね」
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単行本p.54


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 川で流されて行方不明になった若者がいた。いくら探しても見つからず、村人が法者に頼み込んだところ……。
「樽をな、川に投げ入れろ言うんじゃな。それが流されて止まった所に沈んどると。まあ自然に行き着くいう話なんじゃろけど」
 言われるままに樽を川に投げ込んだが、結局若者は見つからなかった。
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単行本p.63


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「へとへとになって宿に入ると、そこのおばさんがな、夜中にオオカミ(大神)様が来るから朝起きたら廊下を見ろ言うんだよ。足跡が付いとるらしい」
「見ましたか足跡?」
「いやあ、朝になったら誰もそんなこと覚えとらんで、確かめとらんな」
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単行本p.67


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 丹沢で猟をする服部啓介さんは山で下半身を丸出しにして振り回したことがあるそうだ。その時は効果てきめん、ブラブラさせているとすぐ横の斜面に複数の鹿が現れる。これは凄いと、また次の猟でも下半身丸出しでブラブラさせた。はっと気がつくと、すぐそばに鹿の姿があるではないか。ブラブラはひょっとして凄い効果があるのではないかと思った。しかし最大の問題点は、とても銃を撃てる状況に無いということである。
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単行本p.89


 いわゆる怪談実話の聞き取りなら、おそらく真っ先に捨てられてしまうような語りが一杯で、個人的にすごく惹かれるものがあります。

 怪異がはっきりと現れるケースでも、特に気にしてないというか、ごく普通のこととして受け入れられている感じがまた素敵です。


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ほとんどの施設従業員が彼らを見ているが、不思議なことに誰も怖がらないし、怪談話にもなっていない。
「最初は驚くんだけどねえ、すぐ慣れるみたいだよ。何かする訳じゃないし、怖いと感じもしないらしいね。ただ歩いているだけだから」
 ほぼ毎日のように彼らは施設内を彷徨い、そして消えていく。従業員たちは少し可哀想な魂だと感じて、特に騒ぐこともなくそのままにしておいた。
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単行本p.18


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 御獄神社までは鬱蒼とした杉林の中をうねるように参道が下界から続いている。この道にはいわゆる“出る”場所があるそうだ。そこは大きく参道が曲がる地点で、白い着物を着た女の人がよく立っているらしい。見た感じではかなり昔の方らしく、ここは歴史ある場所なんだなあと改めて思うそうだ。
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単行本p.60


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 お父さんが亡くなって半年経つが、未だに何の音沙汰も無いのが少し残念らしい。その話を隣の婆ちゃんにすると、“まだ来てないの?”と驚かれたそうである。
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単行本p.62


 受け入れるのとは別に、「怪異だと思っていたら、正体見たり枯れ尾花というやつで、実はこういうことだった」と、いわばタネあかしをするパターンも多く。


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「作業中に地響きがする時もありますよ。ドンドンって。最初は何か分からないから不気味でしたよ。でもその原因を調べた人がいたんです。富士山の演習場の音らしいですね」
「富士山? 自衛隊の火力演習ですか?」
「そうです。それが雲に反射して、ちょうどこの辺りで聞こえるらしいんですよ」
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単行本p.55


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 その内臓はまるで誰かが意図的に乗せたかのようだった。綺麗な乗せ方、そして一番妙だったのは血がまったく滴っていないことである。岩の上には内臓のみが丁寧に飾ってあった。新鮮な内臓は今までここにいたはずの鹿の物に違いない。そこで今村さんは探索範囲を広げて鹿を探した。百メートルぐらいの間を探し回ると、案の定一頭の鹿が倒れている。近寄って調べると、その体内からは内臓がすっぽりと抜け落ちていた。
「まあ撃った弾が腹に当たって内臓を吹き飛ばしたんでしょうねえ。あんなに綺麗に岩に乗るのは不思議ですが、単なる偶然なんでしょう」
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単行本p.93


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「あれは中学生の頃だねえ。ちょうどこの畑の下の道を夜歩いていたら、人魂が光ってたんだ。大きさはバスケットボールより少し大きい感じだったね」
 彼はその物体を見て足がすくむ。初めて見る人魂に全身が硬直するのが分かった。
「凄く怖かったよ。でもそこを通っていかないと家に帰れないんだから大変だよ。それ何だと思う?」
「何ですか?」
「螢なの。螢が固まって玉になってるのよ」
「はあ、螢ですか……」
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単行本p.252


 聞いているときは「なあんだ」と一緒に笑って、原稿起こしの段階で「ん?」となる。そういう感じが素晴らしい。

 もちろん、かなり奇妙な、不思議な体験談も収録されています。

 夜中に山の上のほうにある集落で大火事が起き、そこの住人たちが慌てふためいている様子を見て、朝になって駆けつけたところ何も起きてなかったという話。

 山に登る途中で、同じ軽トラ(ナンバーも同じ)が停まっているのを何度も繰り返し目撃する話。

 笈ヶ岳近辺で迷った猟師が巨大な石塔を発見。そんな巨大建造物は知られてなかったので、記者が取材して新聞記事になった。その後多くの人が捜索したにも関わらず、石塔はいまだに見つかっていない。しかし、山中で道に迷ってふと石塔に辿り着く者はいまでもいる、という話。これは「迷い家」「隠れ里」系では有名な話らしい。

 他に、誰もいない場所から鈴の音や雅楽の演奏が聞こえる話、山奥に車を停めていたら周囲をびっしりと女工さんに取り囲まれていた話、などが印象に残りました。もちろん、狸や狐に化かされる話、狐火や人魂が飛ぶ話、なども数多く収録されています。


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『ニャンニャンにゃんそろじー』(町田康、他) [読書(小説・詩)]

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「これからも、まだまだかかるわよ。だって、避妊手術もしなきゃだし、歳をとればとるほどいろんな病気のリスクがある。そのたんびに、高額な治療費が取られるのよ。……それでも、あなた、あたくしの奴隷を続けるっていうの?」
 はい、続けます。
「おバカさんね。……ほんと、あなたったら、おバカさん」
――――
単行本p.185


 シリーズ“町田康を読む!”第58回。

 「小説現代」2017年3月号の特集「猫好きのためのにゃんそろじー」に、描き下ろし猫コミックを追加した一冊。単行本(講談社)出版は2017年4月です。


[収録作品]

『猫の島』(有川浩)
『猫の島の郵便屋さん』(ねこまき(ミューズワーク))
『ファントム・ペインのしっぽ』(蛭田亜紗子)
『ネコ・ラ・イフ』(北道正幸)
『黒猫』(小松エメル)
『鈴を鳴らして』(益田ミリ)
『まりも日記』(真梨幸子)
『ヅカねこ』(ちっぴ)
『諧和会議』(町田康)


『猫の島』(有川浩)
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「相変わらずだねえ、あの二人は」
 背中からかかった声に振り向くと、――あのおばあさんだった。明るい砂浜だと、白く濁った右目がますます目立っている。
「相変わらずって?」
「前に来たときも、助けなくていいものを助けようと躍起になってたよ」
「助けなくてもいいって……」
 いたいけな子猫がカラスにつつき回されていたら、助けたくなるのが人情というものじゃないだろうか。
「弱いものから狩られる。そういうもんだよ」
 おばあさんの言葉は非情だが、なぜか残酷には聞こえなかった。
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単行本p.30

 沖縄の離島にやってきた、父親、その再婚相手、そして父親の実の息子である少年。少年は、父の再婚に対する心の整理がまだついていない。両親が子猫を助けようとしているとき、少年の前に謎めいた老婆が現れ、二人の馴れ初めを話してくれる。なぜ彼女はそんなことを知っているのか。そもそもこの人は誰なんだろう。

 南の島を舞台に、少しばかりファンタジー要素を加えた家族小説。猫の獰猛さと儚さが印象的です。


『ネコ・ラ・イフ』(北道正幸)
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ハハハ、あいかわらず寝相がおっさんだな
猫……でいいんだよな?
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単行本p.103

 朝、出勤時。ごみ袋を荒らす黒猫たち。池では茶虎が水面を泳いでいる。駅前広場では人が投げた豆に白猫が群がり、驚くと一斉に飛び立つ。動物園では猫のスカイウォークに客が歓声をあげ、水族館の猫ショーではプールの水面を割って猫がジャンプ。夕方、電線に並んでとまっている猫たち。こうして街の一日が終わる。

 文章で説明してもまったく面白くありませんが、絵を見れば思わず笑ってしまう素敵なコミック作品。個人的に、池にぷかぷか浮かび、水面をすすーっと滑ってゆく香箱猫がツボです。


『まりも日記』(真梨幸子)
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「なら、どうしてあたくしを飼ってしまったの? そんな無責任なことをしたの?」
「だって、仕方ないじゃないですか。運命だったんですから……」
「は? 運命? 衝動的で無責任で無計画でその日暮らしのおバカほど、“運命”という言葉を使いたがるんですよね。それを免罪符にしようとするんですよ」
「そんなこと、言わないでください……」
「あたくし、つくづく、運がないわ。あなたのような衝動的で無責任で無計画で甲斐性のない貧乏人なんかに選ばれてしまって」
――――
単行本p.188

 貧乏暮らしをしている売れない作家が、ペットショップで購入した猫、まりも。気位の高いブリティッシュショートヘアの彼女のために、作家は次々と痛い出費を強いられることに。

「あたくしは、金のかかる女ですよ」
「庶民が食するようなものは、受け付けません。穀物フリーのやつをお願いします」
「あなたが仕事に行っている間、あたくしがどれほど寒い思いをしているか」

 病気の治療、避妊手術、プレミアムフード。次々とお金がなくなってゆき、まりもからは甲斐性のなさを責められ、仕事はクビになり、小説は売れないし、それでも猫といることでこの上なく幸せな現実逃避。

 だが、やがてカードローンは限度額に達して返済不能、多重債務者になって、部屋は差し押さえられてしまう。もう一緒にいることが出来ない。

「本当に、私がバカでした。本当に、ごめんなさい……」
「で、あたくしはどうすればいいのかしら?」

作者コメントより
「私がもし、ブレイク前にマリモさんと出会っていたら……という仮定のもと創作したのだが、書いていて辛くなった」


『諧和会議』(町田康)
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「議長は言葉で説得すべき、と仰いますが、それ以前にひとつの疑問があります。それは、ぜんたい猫は言葉がわかるのか? という疑問です。わかっているのなら説得も意味があるでしょう。でももしわかっていないなら……、それを私は問いたいのです。私は彼らがなにか話すのを聞いたことがありません」
 牛がそう発言した途端、議場は混乱、収拾がつかなくなった。そういえばなんとなく話しているような気になっていたけれども猫と会話した経験がある者はひとりもなかった。飛ぶ者、跳ねる者、吠える者、嘶く者、無闇に乳を噴出させる者。再三に亘る「静粛に願います」という議長の呼びかけを無視し、みな顔を真っ赤にして自説を言い立てた。
――――
単行本p.214

 人類は滅び、代わりに言葉を獲得した動物たち。「理性と悟性によってなる諧和社会」を実現した彼らが集まって諧和会議していたところ、猫君の暴虐ぶりが議題にのぼる。

 遊び半分で小動物を虐殺する。

 「無表情で、なんともいえない虚無的な目をして」(単行本p.213)高価な壺を割る。

 「割れるものは割るし、噛み砕けるものは噛み砕くし、或いは口に咥えていって高いところから落としたり、パソコンとかスマホなんてものは小便をかけて壊しちゃう」(単行本p.213)。

 このような暴挙を説得して止めさせるべきという議長に対して、そもそも猫は言葉がわかるのかという疑問が提出され、議会は大混乱。すぐさま調査委員会が発足する……。

 言葉を獲得したせいで人間の駄目なところまで引き継いでしまった動物たちと、そんなもん意にも介さず自由奔放に振る舞う猫。形骸化した言葉を風刺する抱腹絶倒の動物寓話ですが、実は「うちの猫あるある」小説ではないかという気がします。


タグ:町田康
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