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『バッタを倒しにアフリカへ』(前野ウルド浩太郎) [読書(随筆)]

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現在の日本ではほとんどバッタの被害がないため、バッタ研究の必要性は低く、バッタ関係の就職先を見つけることは至難の業もいいところだ。「日本がバッタの大群に襲われればいいのに」と黒い祈りを捧げてみても、「バッタの大群、現ル」の一報は飛び込んできやしない。途方に暮れて遠くを眺めたその目には、世界事情が飛び込んできた。アフリカではバッタが大発生して農作物を食い荒らし、深刻な飢饉を引き起こしている。
(中略)
 本書は、人類を救うため、そして、自身の夢を叶えるために、若い博士が単身サハラ砂漠に乗り込み、バッタと大人の事情を相手に繰り広げた死闘の日々を綴った一冊である。
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新書版p.5


 地平線の彼方まで空を真っ黒に染め、サハラ砂漠を埋めつくすバッタの大群。その前に全身緑色のタイツを着た男がすっくと立ちはだかり、叫ぶ。
「さぁ、むさぼり喰うがよい」
 バッタに食べられたい。その夢を追ってサハラ砂漠へと向かった著者は、果たして夢を叶え、ついでに人類を救うことが出来るのか。バッタの群れ、そして大人の事情と闘い続ける昆虫学者による奮闘記。単行本(光文社)出版は2017年5月、Kindle版配信は2017年5月です。


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 1000万人の群衆の中から、この本の著者を簡単に見つけ出す方法がある。まずは、空が真っ黒になるほどのバッタの大群を、人々に向けて飛ばしていただきたい。人々はさぞかし血相を変えて逃げ出すことだろう。その狂乱の中、逃げ惑う人々の反対方向へと一人駆けていく、やけに興奮している全身緑色の男が著者である。(中略)自主的にバッタの群れに突撃したがるのは、自暴自棄になったからではない。

 子供の頃からの夢「バッタに食べられたい」を叶えるためなのだ。(中略)

 虫を愛し、虫に愛される昆虫学者になりたかった。それ以来、緑色の服を着てバッタの群れに飛び込み、全身でバッタと愛を語り合うのが夢になった。
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新書版p.3、4、6


 全身緑色のタイツを着てバッタの大群の前に立つ男。インパクト絶大な裏表紙写真と「その者 緑の衣を纏いて、砂の大地に降り立つべし……」というキャッチーすぎるアオリのせいで、いったい何の本なんだろうと困惑させられますが、これはサハラ砂漠でバッタの研究に取り組んだ昆虫学者による随筆・旅行記です。

 そもそもなぜアフリカまで行ってバッタの研究をするのか。そこには人類を救うという大義名分があるのでした。


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私が研究しているサバクトビバッタは、アフリカの半砂漠地帯に生息し、しばしば大発生して農業に甚大な被害を及ぼす。その被害は聖書やコーランにも記され、ひとたび大発生すると、数百億匹が群れ、天地を覆いつくし、東京都くらいの広さの土地がすっぽりとバッタに覆い尽くされる。農作物のみならず緑という緑を食い尽くし、成虫は風に乗ると一日に100Km以上移動するため、被害は一気に拡大する。地球上の陸地面積の20%がこのバッタの被害に遭い、年間の被害総額は西アフリカだけで400億円以上にも及び、アフリカの貧困に拍車をかける一因となっている。
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新書版p.112


 人類をバッタの被害から守りたい。そのために単身、西アフリカのモーリタニアに乗り込んでいった著者。だが現地の研究所に到着した彼を待っていたのは、決して歓迎ばかりではありませんでした。


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通常、外国人が研究所にやってくるときは、巨額の研究費を持参して研究所をサポートするか、少なくとも研究所の負担にならないようにしている。ところが私の場合、車をタダで借りたり、研究室まで準備してもらったりと逆に研究所に迷惑をかけていた。おまけにフランス語もしゃべれず、良いところはまるでなしだ。
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新書版p.78


 これでは冷遇されても仕方ないわけですが、そこで挫けない著者。研究所の所長に直訴するのです。


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「私はサバクトビバッタ研究に人生を捧げると決めました。私は実験室の研究者たちにリアルを届けたいのです。アフリカを救いたいのです。私がこうしてアフリカに来たのは、極めて自然なことなのです」
 自分の想いを伝えると、ババ所長はがっちりと両手で握手してきた。
「よく言った! コータローは若いのに物事が見えているな。さすがサムライの国の研究者だ。お前はモーリタニアン・サムライだ! 今日から、コータロー・ウルド・マエノを名乗るがよい!」
 思いがけず名前を授かることになった。
 この「ウルド(Ould)とは、モーリタニアで最高に敬意を払われるミドルネームで、「○○の子孫」という意味がある。(中略)
 かくして、ウルドを名乗る日本人バッタ博士が誕生し、バッタ研究の歴史が大きく動こうとしていた。
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新書版p.82


 感動癖があるのか、単にノリがいいのか、適当に人をあしらうのが巧いのか、とにかくキャラが立ちまくった所長。他にも、がめついのに愛嬌があって憎めない運転手など、印象的な人物が登場しては著者を助けてくれます。

 捨て身で恩を売りまくり、損を引くのをためらわずお人好しの評判をとれば、困ったときに皆が助けてくれるんだなあ、少なくともイスラム圏では、ということがよく分かります。

 しかし、そんな奮闘努力にも関わらず、著者の前途には最大の危機が迫ります。


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 2011年、モーリタニアは国家存続の危機に直面していた。雨がまったく降らないのだ。皆が口をそろえ、こんなに雨が降らないのは初めてだと言う。皆の不安は恐怖へと変わっていった。モーリタニアが60年前に独立して以来、建国史上もっともひどい大干ばつになった。
(中略)
 その頃、私は苦境に立たされていた。私に許されたモーリタニア滞在期間は2年間。この間に得られるであろう成果に、昆虫学者への道、すなわち就職を賭けていた。ところが、なんということでしょう。60年に一度のレベルの大干ばつが、どストライクで起こり、モーリタニア全土からバッタが消えてしまった。私はアフリカに何をしに来たのだろうか。私の記憶が確かならば、野生のバッタを観察しに来たはずだ。我ながらなんと気の毒な男だろうか。
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新書版p.189、190


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大発生すると評判のバッタが不在になるなんて、一体何しにアフリカにやってきたのか。いま途方に暮れずに、いつ途方に暮れろというのだ。
 バッタを失い、自分がいかにバッタに依存して生きてきたのかを痛感していた。自分からバッタをとったら何が残るのだろう。私の研究者としての魅力は、もしかしたら何もないのではないか。バッタがいなければ何もできない。まるで翼の折れたエンジェルくらい役立たずではないか。
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新書版p.166


 国家存亡の危機はともかく、就職できないポスドクという大問題を抱え、あちこち駆け回っては「私が人類にとってのラストチャンスになるかもしれないのです」(新書版p.263)と吹聴するなど、予算獲得のために涙ぐましい努力を続ける著者。


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 自分の中で、無収入は今や武器になっていた。無収入の博士は、世の中にはたくさん存在する。だが、無収入になってまでアフリカに残って研究しようとする博士が、一体何人いるだろうか。無収入は、研究に賭ける情熱と本気さを相手に訴える最強の武器に化けていた。
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新書版p.298


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 思えばこの一年で、私はずいぶん変わった。無収入を通じ、貧しさの痛みを知った。つらいときに手を差し伸べてくれる人の優しさを知った。そして、本気でバッタ研究に人生を捧げようとする自分の本音を知った。バッタを研究したいという想いは、苦境の中でもぶれることはなかった。
 もう迷うことはない。バッタの研究をしていこう。研究ができるということは、こんなにも幸せなことだったのか。研究するのが当たり前になっていたが、失いそうになって、初めて幸せなことだと気づいた。無収入になる前よりも、もっともっと研究が好きになっていた。
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新書版p.318


 神への祈りが通じたのか、ついにサバクトビバッタが大発生。真っ黒に覆われる空。モーリタニアの首都にバッタの大群が迫る。狂喜乱舞して群れの先頭を目指してひた走る著者。

「私の人生の全ては、この決戦のためにあったのだ」(新書版p.342)

 今こそ全身緑色のタイツを装着してバッタの大群の前に立ちはだかり、両手を広げて叫ぶときだ。

「さあ、むさぼり喰うがよい」

 というわけで、目に余る夢と情熱を持って研究に取り組む昆虫学者の姿をリアルに描き、読者に勇気と脱力を与えてくれる好著。ちなみにバッタの生態や研究内容についてはほとんどまったく触れられていませんので、昆虫テーマのサイエンス本を期待して読むと失望します。



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