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『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』(川上和人) [読書(サイエンス)]

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鳥類学の成果はあまり世間に知られていない。これでは、人類が刻んできた文化に対して、申し訳が立たない。おそらく、一般に名前が知られている鳥類学者は、ジェームズ・ボンドぐらいであろう。英国秘密情報部勤務に同姓同名がいるが、彼の名は実在の鳥類学者から命名されたのだ。隠密であるスパイに知名度で負けているというのは、実に由々しき事態である。スパイの名前が有名ということも、英国秘密情報部としては由々しき事態である。
 実利の小さい学問の存在理由は、人類の知的好奇心である。縄文人の土偶製作も、火星人の破壊工作も、ダウ平均株価には一切影響を与えない。それでも人は土偶や火星人の動向を知りたくてしょうがない。
 しかし、好奇心があってもきっかけがなければ、興味の扉を開くどころか扉の存在に気付きもしない。鳥類学者を友人に持たぬことは、読者諸氏にとって大きな損失である。そこで、ボンドに代わって鳥類学者を代表し、その損失を勝手に補填することに決めた。
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単行本p.4


 あるときは絶海の孤島に挑み、またあるときは外来種駆除に駆け回り、ときにキョロちゃんの生息環境やジオングの頭部が赤くない理由を考察する。知られざる鳥類学者の生態を紹介してくれる鳥類学者ウォッチングガイド。単行本(新潮社)出版は2017年4月、Kindle版配信は2017年5月です。

 以前に著者による『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』を読んで、そのユーモラスな文章に驚いたことがあります。ちなみに紹介はこちら。

  2015年03月27日の日記
  『鳥類学者 無謀にも恐竜を語る』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-03-27

 本作は鳥類学者の研究活動や生活について紹介する本です。内容は非常に真面目なのに、やはり最初から最後まで強引に笑わせに来るというのがすごい。全体は6つの章から構成されています。


「第1章 鳥類学者には、絶海の孤島がよく似合う」
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 夜の沖縄にはハブがいる。夜の海にはサメがいる。夜の中南米にはチュパカブラがいる。しかし、小笠原の無人島にはいずれもいない。夜間調査では比較的安全である。おかげで、私はあまりにも油断していた。
 入念に油断を研ぎすませていた丑三つ時、突如として頭に暴力的な衝撃が走った。
 頭がガンガンする! いや、バタバタする! さらに、ギチギチする! エイリアンに脳を乗っ取られたかのような強烈な頭痛だ。ワケがわからない。
(中略)
 頭の中に、虫がいる。
 夜間調査にヘッドランプは欠かせない。しかしランプには虫が寄ってくる。光に魅入られた蛾が耳穴に飛び込んだのだ。世界はこんなに広いのに、なぜその軌道を選んだ。
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単行本p.46

 鳥類研究のために絶海の孤島を駆け回る鳥類学者の生態を紹介します。


「第2章 鳥類学者、絶海の孤島で死にそうになる」
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 霧の中に点々と鳥の死体が落ちている。日常生活では、鳥の死体は反物質と対消滅してしまうため目にする機会は少ないが、南硫黄島には反物質がないので消滅しない。それどころか、ネズミやカラスなど死体を食べる脊椎動物もおらず、死体はゆっくり分解される。よく見ると、蔓や枝にも死体が引っかかっている。生体よりも死体が好きな私には、天国のような地獄絵図である。
(中略)
 突如わき上がったのは、口内の不快感と嘔吐の声だった。ランプに集まる無数の小バエが、呼吸とともに口と鼻から侵入してくる。このまま電送機にかけられたら、恐怖のハエ男も夢じゃない。死体天国は、分解者たるハエ天国でもあったのだ。豊かな死体に支えられた豊満なハエどもが、息のたびに肺腑に達する。
 もちろん息と共にハエも吐くが、不思議なことに入ったハエより出て行く数の方が少ない。
(中略)
 血の付いた手を洗うべく海水に指をひたす。次の瞬間、水中の石の隙間からエイリアンの口吻が飛び出してくる。鳥を殺した報復かと思ったが、そうではない。気味の悪い小型ウツボが血の臭いに反応したのだ。紙一重で避けると、一瞬前まで指のあった場所で数匹が絡みのたうつ。一見平和な自然の情景も突然牙をむく。
(中略)
 持ち帰ったサンプルを分析している頃、南硫黄島の映像がテレビで放映された。調査には映像記録班が同行していたのだ。そうして吃驚仰天した。なんと、画面に映った南硫黄島は非常に美しかったのだ。これは私の知る島じゃない。足元の死屍累々、未だ口内に感触の蘇るハエ呼吸、波打ち際にのたうつ地球外生命体こそが、あの島の真実である。
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単行本p.61

 南硫黄島の調査、それはどのような体験だったのか。臨場感たっぷりに語ります。


「第3章 鳥類学者は、偏愛する」
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ハイジとペーターには気の毒だが、小笠原では1970年ごろからヤギ駆除が実施されることになった。
 生態系保全といえば聞こえは良いが、現実は大型哺乳類を殺す行為である。これに抵抗を持つ人もいるだろう。実際のところ、駆除事業に対して厳しい意見が寄せられたこともある。しかし、放置するのは容易いが、目の前で進化の歴史性が失われていくのを見過ごすことはできない。何もしないことは現状維持にはならないのだ。研究者は殺しを推奨し、担当者は文字通り血と汗にまみれる。環境保全という綺麗な言葉の裏にある泥臭い現実を忘れてはならない。
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単行本p.80

 標本収集、外来種駆除、鳥の糞を経由して島へ渡るカタツムリ、鳥の頭部が赤く進化したのはシャア専用ザクと同じ理由なのかどうか。鳥類学者の幅広い研究活動を伝えます。


「第4章 鳥類学者、かく考えり」
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 毒による駆除はしばしば賛否の議論を引き起こすが、ネズミの存続により失われる生命と生物多様性を考えると、効率的な駆除の推進は不可欠である。
 その一方でネズミは生態系の中で重要な役割を果たしている。それは、オガサワラノスリの食物となることだ。この鳥は小笠原に固有のタカで、その食物の約半分がネズミとなっている。このため、ネズミがいなくなると彼らは食物不足に陥るのだ。私が調査している西島では、ネズミ駆除後にノスリが姿を消してしまった。別の無人島では駆除後にノスリの繁殖成功度が低下している。ノスリにとってネズミの喪失は、小麦粉抜きのお好み焼きに匹敵する衝撃的な事象である。それじゃただの野菜炒めだ。
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単行本p.126

 なぜ回転運動により移動する動物がいないのか。森永チョコボールのキョロちゃんはどのような環境で進化してきた鳥なのか。熊に襲われたとき「死んだふり」をしても本当に無駄なのだろうか。たとえ暇そうに見えるときでも、鳥類学者は常に鳥について考えていることを教えてくれます。


「第5章 鳥類学者、何をか恐れん」
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シカの研究をしている上司が、茶飲み話にニホンジカを襲うハシブトガラスを見たと話してくれた。まぁそんなこともあるだろう。奈良公園ではカラスがシカの耳にシカ糞を詰め込んで遊ぶという話を師匠から聞いたこともある。しかし、今回の襲い方は尋常ではなかった。なんと、血を吸うというのだ。(中略)こんな興味深いテーマを茶飲み話で終わらせるのはもったいない。シカの生き血をすする恐怖のカラスについて、早速論文にまとめることにした。
(中略)
 カラスはシカの背中をつついて皮膚を傷つけ、にじみ出た血液を飲む。思ったより地味だな。私の脳内には、嘴を突き刺してチュウチュウと血を吸うキャトルミューティレーション的カラカラ死体が横たわっていたが、事実は空想より凡なり。シカには悪いが若干残念だ。とはいえ、時には治療が必要なほど大きな傷を開けることもあるそうだ。
 そんなにされて、シカはイヤじゃなかったのだろうか。狙われるのは主に老齢の雌で、どうやら諦めムードが漂っていたようだ。壮絶なイジメにより無気力化していたのである。
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単行本p.168、169

 研究途中で突如コーヒー農場と化してしまったインドネシアの調査地。小笠原のヒヨドリに関する意外な事実の発見。吸血カラスの調査研究。鳥類学者の奮闘を描きます。


「第6章 鳥類学者にだって、語りたくない夜もある」
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 チャンスから目を背け、後でやるつもりだと8月下旬の小学生のような言い訳をしながら、私はこの件をのらりくらりとほったらかしてしまった。
 そして2011年8月を迎えたのである。
 ブライアンズ・シアウォーターは、アメリカにとって37年ぶりとなる新種の鳥として大々的に報道された。
 あぁ、やってしまった。いや、やらないでしまった。
 研究の世界は論文を書いたもの勝ちだ。いかに先に事実を知っても、論文化されていなければ学術的には存在しないと言える。私の怠惰が、日本からの鳥の新種記載という千載一遇の好機を失する結果を生んだのだ。
 日本では鳥の調査が進んでいる。おそらく国内で未発見の鳥が見つかることは金輪際ないだろう。私は最後のチャンスを逃したA級戦犯なのである。
(中略)
 罪の意識から早く解放されたくて、急いで報道発表する。絶滅を心配された種が見つかったのだから、もちろんめでたい話として受け入れられた。しかし一歩間違えなければ、これは小笠原での新種発見譚として語られたはずだ。
 再発見の喜びの笑みを浮かべて取材を受けていた私は張りぼてである。笑顔の裏で、栄誉あるチャンスを逃した後悔にむせび、血の涙をこらえながら取材に答えていたのである。
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単行本p.181

 新種発見の栄誉を逃した話、英語が下手な学者は国際学会をどのようにしのぐのか、リンゴジュースが赤くない理由、そして潜水性の恐竜が存在しないという謎。鳥類学者が気にする様々な話題が並びます。



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『できたての地球 生命誕生の条件』(廣瀬敬) [読書(サイエンス)]

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これまでの生命の起源に関する研究には、初期地球の特殊な環境が十分考慮されていませんでした。初期地球環境を考える、たとえば環境中に用意された岩石や鉱物の触媒作用の解明にブレイクスルーがあるだろうと信じています。地球の起源や初期地球環境に関する研究も同じです。地質学でさかのぼれない初期の地球はこれまで想像の域を出ませんでした。しかし、生命の誕生を可能とした条件を考慮することにより、その具体像に迫ることができると考えているのです。
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単行本p.113


 できたての地球、つまり初期地球の環境はどのようなものだったのか。そして生命はどうやって誕生したのか。この二つの難問を合わせて研究することによりブレイクスルーを目指す地球生命研究所の研究活動を、一般向けに紹介してくれる一冊。単行本(岩波書店)出版は2015年5月、Kindle版配信は2017年9月です。

 生命がどのようにして誕生したのかを考えることは、それが可能になるような環境とはどのようなものかを考えること。「生命の誕生」という条件から初期地球の環境を推測し、検証する。東京工業大学地球生命研究所で行われている研究テーマを中心に、初期地球と生命誕生との関係を探る本です。全体は5つの章から構成されています。


「1 四六億年前に何が起きたのか」
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 このように、地球がいま1AUのところにあるからといって、できたときに1AUだったかどうかはわからないのです。そう断言することが、太陽系外惑星が見つかって修正を図られている、理論の見直しが迫られています。かたや中心星に飲み込まれないようにするためには、回転の各運動量を失わせないようにするのが必須ですが、それをどう理論的に説明するか、いま研究の最中にあります。
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単行本p.11

 地球の年齢は46億歳。しかし、その根拠は何だろうか。地球が誕生するまでの過程を探ります。


「2 地球の水はどこから来たのか」
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スノーラインの外側から飛ばされて来た小惑星はたっぷりの氷を含んでいたはずです。それが地球に取り込まれることで、地球の水成分になった、すなわち水は小惑星帯からもたらされたというのが多くの研究者の考えていることです。(中略)多くの水がマグマに溶け込んだおかげで、なんと地球の内部には、現在の海洋の何十倍もの水(正確にいえば、その成分である水素も含めた量)が含まれているようです。
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単行本p.17

 太陽からの距離2.7AUに位置する境界線、スノーライン。このラインの内側では、氷は生成されないことが明らかになっている。つまり、出来たばかりの地球には水はほとんど存在しなかった。では、生命誕生に不可欠な水は、いったいどこからやってきたのだろうか。地球を満たす水の起源に迫ります。


「3 地球コアが地球の起源を解くカギ」
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 地球にあとから運ばれてきたのは、水だけではありません。生命の起源との関係でいえば、炭素や窒素が重要です。スノーラインの向こうで、水蒸気が氷として凝縮したように、炭素も有機物として、また窒素もアンモニア氷などとして小惑星に取り込まれたと考えられます。できたての地球には、水のみならず、炭素や窒素ももたらされたはずです。
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単行本p.64

 生命を支える物質である炭素や窒素は、いつどのようにして地球にもたらされたのか。それらは、地球内部を含め、どのように取り込まれたのか。生命誕生の前提となる物質的環境がどのようにして出来上がっていったのかを探ります。


「4 生命が生まれる場とはなにか」
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 なにも証拠らしい証拠が残っていない初期地球でどんな代謝をしていたのかを考えるのは容易ではありません。しかし、地球生命研究所でいま取り組んでいるのは、代謝のなかでも、生化学で解糖系といわれるクエン酸回路の逆回しのようなものです。
(中略)
 なぜクエン酸回路の逆回しに注目しているかというと、面白いことに、その途中途中でできてくる産物が、生命に必須のパーツになるためです。たとえば脂質や、アミノ酸、ヌクレオチドなどの前駆物質ができてきます。(中略)つまり、このクエン酸回路の逆回しが、できて間もない地球上に反応システムとして存在していれば、生体必須分子をどんどん作ってくれるので、生命の誕生にはとても都合がいいのです。
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単行本p.76

 最初の生命はどのような場所、どのような環境で誕生したのか。初期地球の環境を使って機能する「生命の部品となる物質を持続的に供給する化学反応システム」という、生命誕生の前段階となる代謝を探る研究を紹介します。


「5 生命誕生の条件と初期地球」
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 これまで話してきたように、現在の地球にはほとんど証拠が残っていないと思われる初期地球のイメージが、少しずつ明らかになってきました。わたしたちは、地質学や惑星科学の観点だけでなく、地球に生命が誕生したという事実を踏まえて、そのためには、どういう初期地球でなければならなかったかという観点で考えようとしています。地球の起源を考慮して生命の起源を考える、また逆に、生命の誕生を可能にする地球の起源を考える、これこそ地球生命研究所の目指すところです。
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単行本p.104

 誕生から進化まで地球環境によってコントロールされてきた生命。逆に生命活動により影響を受けてきた地球環境。そのような相互作用の理解を目指す研究の最前線を紹介します。


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『LGBTを読みとく クィア・スタディーズ入門』(森山至貴) [読書(教養)]

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 セクシュアルマイノリティに対する無知に基づく一方的な(仮に肯定的なものであるにせよ)意味づけが批判されるべきなのは、単に知らないだけでなく、積極的に知らないままにしておこう、多様な性の正確な把握に踏み込まないようにしようという欲望に裏打ちされているからです。表向きの好感の背後で「自分とは関係のない、よくわからない人たち」という感覚を手放そうとしない欺瞞、とも言えるかもしれません。
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Kindle版No.230

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見えてくるのは、セクシュアルマイノリティの個々の違いは考慮する必要がなく、とりあえず「LGBT」という目新しい言葉で括っておけば「良心的」な側に立てる、という報道のあり方です。性に関して「普通でない」人々を、知ろうとしないまま括っておける、それでいて語る側を「良心的」に見せる便利な総称として「LGBT」という言葉が使われています
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Kindle版No.269

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とりわけ、「LGBT」という言葉がこれほどまでに商業・消費の場面において使われているのを観察すると、「LGBT」という言葉はもはや、差別是正ではなくむしろ差別の隠蔽の指標として重要になっているとすら言えそうです。「LGBT」と誰かが言う場面では金が動いていて、さらに格差がそこに存在している、という経験則すら、私には妥当なように思われます。
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Kindle版No.1904


 差別をなくすためには、みんなが良心的になればいいのだろうか?
 セクシャルマイノリティに対する「善意」に基づいた差別や抑圧と戦うために、あるいは差別への加担を避けるために、必要な知識と、社会における多様な「性」の在り方について考える強力なツールでもあるクィア・スタディーズについて、基礎から学ぶための一冊。新書版(筑摩書房)出版は2017年3月、Kindle版配信は2017年3月です。


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 本書の肝となるのは、クィア・スタディーズという、性の多様性を扱うための比較的新しい学問領域です。クィア・スタディーズには、それまでの多様な性のあり方に関する研究にはなかった基本的発想や、それに基づいて生まれたいくつもの重要なキーワードがあります。現代の多様な性のあり方を分析するのにこれらの道具立てが「使える」ことを示すことが、本書のゴール地点です。ここまで達することができれば、かなりハードルの高い「もっときちんと知りたい」という欲求にも応えることができるはずです。
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Kindle版No.93


 全体は8つの章から構成されています。


「第1章 良心ではなく知識が必要な理由」
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「良心」に基づく差別をなくすには、仮にそれがよいものであろうと悪いものであろうと、投影されるイメージを確実な知識に置き換えていかねばなりません。ポイントは「よいものであろうと」の部分です。イメージの投影そのものが差別の温床であるのならば、「褒めている、持ち上げている」のだからかまわないわけではない、と考えることが重要です。
 だからこそ、「普通」を押しつけないため、差別をしないためには知識が、もっと踏み込んで言うならば学問が必要なのです。
(中略)
独りよがりで知ったかぶりの「いい人」アピールよりも、正確な知識を持っていることの方が、他者を差別しないためには重要なのです。じっくりと冷静に知識を得ることで、自称「いい人」から多くの人が脱皮することが、差別のない世の中を作る一番の近道だと、私は考えています。
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Kindle版No.301、322

 今も多くのセクシャルマイノリティを傷つけ続けている、「普通」の性を生きろ、という圧力。社会からこのような差別をなくしてゆくために必要なのは、良心や道徳ではなく知識であることを示し、学問というアプローチの意義を説明します。


「第2章 「LGBT」とは何を、誰を指しているのか」
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性の多様性を擁護する主張は、ともすると「なんでもあり」で片付けられがちですが、「なんでもあり」という浅い理解と共感は「大きな勘違い」と「知ったかぶり」の温床でもあります。いくつかの概念に基づき、「LGBT」の各項目を関連づけたり対比させたりしながら丁寧に理解していくことで、性の多様性をひとまずは一枚の地図の上に整理された形で描きましょう。
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Kindle版No.379

 第一歩として、性的指向、ジェンダー、性自認、といった基本概念を用いて、LGBTについて順番に解説してゆきます。同時に、ありがちな誤解や偏見を解いてゆきます。基本を理解させた上で、「性的指向という概念は、多様な性愛をとりあえず分類するには便利ですが、人々の性愛のリアリティを十分に掬い上げることができるほど万能ではありません」(Kindle版No.486)ということ、LGBTという言葉でまとめることで多くの重要なことがこぼれ落ちてしまうことを指摘します。


「第3章 レズビアン/ゲイの歴史」
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 ここまでの議論を、「同性愛(者)は大昔から存在した」という論は間違っている、という観点からまとめ直してみます。そのことで、本章の説明を振り返ると同時に、同性愛者の運動や政治的発言を無力化しようとするある種のレトリックが決定的な錯誤に満ちていることを明らかにできるからです。
(中略)
有名無名を問わず多くの同性愛者がそれぞれの場所で積み重ねた営為が、依然として差別は多いものの、かつてよりはずっと同性愛者にとって住みやすい社会を作ってきたという意義は、強調してもし過ぎることはありません。
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Kindle版No.818、860

 同性愛という概念の誕生が人々の考え方を変え、様々な社会状況を生み出していった、その歴史を簡単にふりかえります。ゲイ解放運動、レズビアンの社会運動、そしてフェミニズム。対立や葛藤を含む錯綜した歴史から、クィア・スタディーズへと続く流れを理解させます。


「第4章 トランスジェンダーの誤解をとく」
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 トランスヴェスタイト、トランスセクシュアル、トランスジェンダーと、割り当てられた「性別」と異なる性別を生きる経験に対する適切な名称を発明し、積み重ねる形で、現在の(広義の)トランスジェンダー概念は形作られました。当初「同性愛」と同一視されていた人々は、1990年代以降に完全に「トランスジェンダー」と名づけられ、別の性のあり方を生きる者とみなされるようになったのです。
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Kindle版No.1050

 トランスジェンダーという概念は、割り当てられた「性別」とは異なる性別を生きる人々に対する理解をどのように変えていったのか。同性愛者との混同、ゲイ解放運動による抑圧、フェミニストからの攻撃。トランスジェンダーが辿ってきた複雑な歴史をふりかえります。


「第5章 クィア・スタディーズの誕生」
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HIV/AIDSの問題およびポスト構造主義の影響を概括することで、クィア・スタディーズの基本的な視座とその重要性がより明確に理解できるはずです。つまり、解決のために新しい発想を必要とする問題の存在と、新しい発想を提供する学問潮流が出会ったから、今までとは違う視座からなされる一連の重要な研究が生まれたということです。
(中略)
何をもってクィア・スタディーズかを明確に定めることはできませんが、「ほとんどの場合セクシュアルマイノリティを、あるいは少なくとも性に関する何らかの現象を、差異に基づく連帯・否定的な価値の転倒・アイデンティティへの疑義といった視座に基づいて分析・考察する学問」がクィア・スタディーズの最大公約数的な説明となります。
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Kindle版No.1133、1330

 クィア・スタディーズの成立に至る歴史的経緯と、その基本的視座を紹介します。


「第6章 五つの基本概念」
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 本章では、クィア・スタディーズの基本概念、いわば専門用語をいくつかとりあげ解きほぐしていくことで、クィア・スタディーズが何を問いとしているのかをおおまかに理解することを試みます。これらの専門用語は具体的な題材に関する研究から生まれたと同時に、個別の文脈を越えて用いられる頻度の高いものでもあります。
(中略)
 またこの五つの概念からは、クィア・スタディーズ内での主要な問題関心の蓄積の歴史を見て取ることができます。フェミニズムからの強い影響を受けた時代(パフォーマティヴィティ、ホモソーシャル)、セクシュアルマイノリティ間の連帯の方法を模索する時代(ヘテロノーマティヴィティ)、セクシュアルマイノリティの間の格差や、既存の差別的な社会体制のセクシュアルマイノリティ自身による強化を問題視する時代(新しいホモノーマティヴィティ、ホモナショナリズム)と、クィア・スタディーズも変化し続けているのです。
――――
Kindle版No.1367、1619

 パフォーマティヴィティ、ホモソーシャル、ヘテロノーマティヴィティ、新しいホモノーマティヴィティ、ホモナショナリズム。これら五つの基本概念の解説を通じて、クィア・スタディーズの問題意識を把握できるようにします。


「第7章 日本社会をクィアに読みとく」
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 クィア・スタディーズの視座を同性婚・同性パートナーシップの議論に持ち込むと、多くのそれまで見えてこなかった論点が浮かび上がってきます。「結婚は男と女のもの」対「性別にかかわらずすべてのカップルに結婚制度を」という対立に問題を単純化せず、細かな論点を洗い出し、よりよい(婚姻・パートナーシップを含むさまざまな)制度設計へとつなげるために、クィア・スタディーズにできることは存外多いと言えそうです。
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Kindle版No.1778

 同性婚、性同一性障害、という二つのトピックを取り上げ、クィア・スタディーズの有効性を例証します。クィア・スタディーズの視座を応用することで、現代日本における社会問題を掘り下げてゆけることを示しつつ、セクシャルマイノリティ問題の背後にも、経済的搾取、所得格差、労働問題などの社会問題が重く横たわっていることを明らかにします。


「第8章 「入門編」の先へ」
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 選挙やデモやその他の社会運動においてさまざまな人が掲げている理念や政策を吟味する際、クィア・スタディーズはその本領を遺憾なく発揮します。「正しい」とされる性道徳の差別性や、一部のセクシュアルマイノリティにとっての「正しさ」が他のセクシュアルマイノリティを傷つける可能性などをいち早く察知し、警告を発することはクィア・スタディーズが得意とするところです。
 正しさに関する厳格な基準を自らに課してきた学問としてのクィア・スタディーズこそが持つこの種の軌道修正の能力こそ、クィア・スタディーズの魅力であり、クィア・スタディーズを学ぶものが身につけるべき知性の内実だと私は考えています。
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Kindle版No.2051

 本書全体の構成を振り返り復習しつつ、クィア・スタディーズという強力なツールを実践する道をひらきます。さらに先へ進んでゆくための道しるべとして、充実した推薦図書リストが付いています。



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『Kindleで読める笙野頼子著作リスト(内容紹介つき)』に『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』を追加 [その他]

 電子書籍リーダーおよびアプリとして提供されているAmazon社の「Kindle」シリーズで読める笙野頼子さんの著作リスト(内容紹介つき)に、『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』を追加しました。

『Kindleで読める笙野頼子著作リスト(内容紹介つき)』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-09-23


タグ:笙野頼子
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『せつない動物図鑑』(ブルック・バーカー、服部京子:翻訳) [読書(サイエンス)]

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 これは、世界でいちばん孤独なクジラの話。
 1989年、北太平洋でひとりぼっちで歌う、迷子のクジラの音声が観測されました。かれがひとりになった原因は、オンチだったこと。クジラは歌でなかまと会話をするのですが、かれの声は、ほかのクジラよりもずっと高かったのです。いくら歌っても、ほかのクジラは耳をかしません。
 おまけに、オンチのクジラはほかのクジラが通らないルートに迷いこんでおり、ぐうぜんなかまに出会うチャンスもないのです。かれの声はたびたび確認されているものの、そのすがたはまだ、だれも見たことがありません。
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単行本p.159


 味のある著者イラストと共に、様々な動物が持っている特性を「せつない」という観点から紹介する動物図鑑。単行本(ダイヤモンド社)出版は2017年7月、Kindle版配信は2017年7月です。

 著者はオランダ在住の作家、イラストレーター、コピーライター。デビュー作である本書"SAD ANIMAL FACTS"は世界的ベストセラーになったそうです。日本では"SAD ANIMAL FACTS"が出たのと同じ年に『ざんねんないきもの事典』という似たコンセプトの本が出ており、こちらは国内でベストセラーになりました。ちなみに単行本の紹介はこちら。

  2016年11月03日の日記
  『おもしろい!進化のふしぎ ざんねんないきもの事典』(今泉忠明:監修)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-11-03

 本書は"SAD ANIMAL FACTS"の翻訳版で、ヘタウマ調の味わい深いイラストと共に、子供たちに動物の「せつなさ」を教えてくれる一冊。全体は9つの章から構成されています。

 「1.ちょっとした、せつない告白」では、「ファイアサラマンダはときどき家族を食べる」「アデリーペンギンは、がけからなかまをつき落とす」「チンチラは、一度ぬれたらかわかない」といった、ちょっとした豆知識を教えてくれます。

 「2.できなくて、せつない」では、「シマウマはひとりで寝られない」「エミューはうしろ向きに歩けない」「一匹狼は遠吠えをしない」といった、やりそうでやらない、出来そうでできない、そんな動物の行動について教えてくれます。

 「3.恋は、せつない」では、「カバは好きな子におしっこをかける」「クジャクのオスはモテてるふりをするために鳴く」「オスの子イヌは、メスとのけんかにわざと負ける」といった、動物たちの求愛行動に「せつなさ」を見つけます。

 「4.そのこだわりが、せつない」では、「ハクトウワシは巣を巨大化させすぎて木から落としてしまう」「カモノハシは目をつむって泳ぐ」といった、動物たちの特殊な行動を「こだわり」と見なして紹介します。

 「5.へんてこでせつない」では、「ニュウドウカジカには筋肉がない」「ツチミミズには心臓が5つある」「キツツキは長~い舌が頭がい骨をぐるりとおおっている」といった、動物たちの身体構造の意外な特徴を紹介します。

 「6.すごいけど、せつない」では、「ヤギは正面を向いていても自分のおしりが見えている」「タランチュラは2年間何も食べなくても死なない」「アホウドリは19Km先にある死んだ魚のにおいがかげる」といった、普通なら「すごい」と評価されるような動物たちの能力を、あえて「必死な感じがしてなんかせつない」と見なします。

 「7.おとなになるのは、せつない」では、「ミーアキャットの赤ちゃんは、親から死んだサソリをプレゼントされる」「生まれた瞬間キリンは2m落ちる」「タテゴトアザラシの子どもは氷の上に置いてけぼりにされる」といった、動物たちの誕生や成長に関する豆知識を紹介。

 「8.さみしくて、せつない」では、「キツネは一生朝から晩までずーっとひとりぼっちで過ごす」「オンチなクジラは迷子になる」といった、群れを作らず孤立して生きている動物たちを紹介。

 「9.子育てだって、せつない」では、「フィッシャーのメスが妊娠してないのは1年で15日間だけ」「アブラツノザメは2年間妊娠しっぱなし」「カザノワシは子どもに命がけのけんかをさせる」といった、妊娠出産に関する豆知識を紹介。


 動物たちの特性を何でもかんでも「せつない」と見なしてしまう人間中心的な強引さは気になりますが、動物図鑑ではなく雑学豆知識集だと思えば楽しめます。ちなみに動物たちの絵は学術的に正確なものではなく、あくまで文章に添えられたゆるいイラスト。漢字にはすべてルビが振ってあり、小学生でも問題なく読めると思います。


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