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『母の記憶に』(ケン・リュウ、古沢嘉通・幹遙子・市田泉:翻訳) [読書(SF)]

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決して新しくはない、だが、現在、SFが書かなければならない物語を、卓越した小説家の彼は高い技術で完成した物語に仕立て上げていく。
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単行本p.512


「技術が私たちの心に植え付けた罪悪感を伝統的な物語で語り直した傑作」(藤井大洋)
『紙の動物園』に続く日本版第二短篇集。単行本(早川書房)出版は2017年4月、Kindle版配信は2017年4月です。

 SFまわりを越えて広く話題となった前作『紙の動物園』に続く短篇集です。ちなみに『紙の動物園』の紹介はこちら。

  2015年06月19日の日記
  『紙の動物園』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-19

 本書は16篇を収録した日本版第二短篇集。収録作はどれも傑作揃いという非常にレベルの高い一冊になっています。

[収録作品]

『烏蘇里羆(ウスリーひぐま)』
『草を結びて環を銜えん』
『重荷は常に汝とともに』
『母の記憶に』
『存在(プレゼンス)』
『シミュラクラ』
『レギュラー』
『ループのなかで』
『状態変化』
『パーフェクト・マッチ』
『カサンドラ』
『残されし者』
『上級読者のための比較認知科学絵本』
『訴訟師と猿の王』
『万味調和ー軍神関羽のアメリカでの物語』
『『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」』


『烏蘇里羆(ウスリーひぐま)』
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 獣と機械がたがいに突進し、雪のなかでぶつかった。爪が金属の表面をこする耳障りな音がし、同時に熊の荒い息と馬のボイラーから発せられる息んだいななきが聞こえた。二頭はおのれの力を相手にぶつけた――かたや古代の悪夢、かたや現代の驚異。
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単行本p.24

 かつて北海道で両親をヒグマに殺され自らも片腕を失った中松博士は、復讐のため大陸に渡り、満州奥地に宿敵を追う。片腕に装着したサイバー義手、蒸気駆動の戦闘用機械馬を武器に、彼はヒグマの生息域に踏みこんでゆくが……。改変歴史をベースに、熊と人間の激突を緊迫感あふれる筆致で描いた傑作。


『草を結びて環を銜えん』
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「あまりにもおおぜいの人が殺されているんだよ、雀。あたしは自分にできるどんな方法を使っても、天の不公平な計画の裏をかきたい。たとえほんのわずかでも、運命に逆らうのはあたしを幸せな気分にさせてくれるのさ」
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単行本p.67

 清王朝により何十万人もの人民が大量虐殺されたその現場で、抗いがたい運命に立ち向かった一人の女がいた。権力によって歴史は消されても、歌と詩は彼女の生きざまを後世に伝えてゆく。正史から抹消された揚州大虐殺を背景とする感動作。


『重荷は常に汝とともに』
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 畑を耕そうとも、石で形を作ろうとも、上位の者に仕えようとも、慰みに商いをしようとも、はるかな市場へ果実を運ぼうとも、他の者に物語を聞かせようとも、〈生の重荷〉は常に汝とともにある――いかなるときも。
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単行本p.85

 異星文明の廃墟で発見された碑文。それは「いかなるときも汝とともにある〈生の重荷〉」について繰り返し語っていた。異星文明が残した深遠な哲学なのか。それとも偉大なる叙事詩の一部なのか。たまたま発掘作業に同行していた税理士は、その意味することに気づいたが……。オールドスタイルな風刺SF。


『母の記憶に』
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「わたしはほかの母親よりも子どもに会えなかったけれど、ほかの母親よりも子どもを見つめていられたの」
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単行本p.103

 不治の病を宣告された母は、相対論効果による寿命の引き延ばしを決意する。数年毎に地球に帰還しては娘に会いにくる母。会うたびに成長してゆく娘。やがて娘は母の年齢を追い越して……。母と娘の愛と葛藤を描いたショートショート。わずかな枚数、使い古されたアイデア、それでいて見事に読者の心を揺さぶる手際が素晴らしい。


『存在(プレゼンス)』
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 一度も会ったことがない祖母のことをどう娘に説明しようか、とあなたは考える。娘が理解できるほど大きくなったときに、自分のことをどう説明するか、自分の決断をどう正当化するかと、あなたは考える。大洋を隔てた別の大陸での新生活のために払った代償について、あなたは考える。
 あなたはけっして訪れない罪の赦しについて考える。なぜなら、裁くのは、あなた自身であるからだ。
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単行本p.113

 故郷である中国を捨てて米国に渡った「あなた」は、テレプレゼンス技術を使って、故郷で死に行く母親を見舞いにゆく。それは罪悪感に対する言い訳に過ぎないことを知りながら。伝統的な苦悩をSFの手法で語り直した作品。


『シミュラクラ』
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 父は、現実を捕捉し、時を止め、記憶を保存する事業に携わっていると主張している。だが、かかるテクノロジーの実際の魅力が、現実を捕捉することにあったためしはない。写真やビデオ、ホログラフィーなど……そのような“現実捕捉”のテクノロジーの進歩は、現実について嘘をつき、現実を思い通りに形作り、現実を歪め、改竄し、空想を巡らせるさまざまな方法を蔓延させるものだった。
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単行本p.121

 意識のスナップショットコピーをとる技術、シミュラクラ。それが原因で引き起こされた父と娘の反目。母の死をきっかけに娘は和解を決意するが……。人の尊厳を損ないかねない技術の危うさを、父娘の葛藤として描いてみせる作品。


『レギュラー』
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「これがどれほど見込みのないことかわかっています。あなたは最初にお願いした私立探偵じゃありません。だけど、何人かがあなたを勧めてくれました。あなたが女性であり、中国人であるから、ひょっとしたら、ほかの探偵たちには見られないなにかを見てくれるかもしれない、と」
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単行本p.143

 チャイナタウンで起きた娼婦殺しの事件を追う私立探偵は、犯人の動機がサイバーインプラントと関係していることに気づく。サイバーパンク風のガジェットと伝統的ミステリのプロットを巧みに組み合わせてみせる作品。


『ループのなかで』
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(最悪なのは)とカイラは考えた。(人間は、決断しなくてはならないという経験のせいで壊れる可能性があることよ)
「そういう決断を人間から取りのぞいてやり、個々人を意思決定ループからはずしてやれば、結果として付随するダメージは少なくなり、もっと人道的で文明的な形態の戦争ができるはずだ」
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単行本p.210

 地球の裏側にある戦場を飛ぶ攻撃ドローン。それを遠隔操縦する仕事をしていた父は、誰をいつ撃つかを決断しなければならない重圧のために破滅する。娘はそのような悲劇が二度と起きないようにと、攻撃の自律判断を行うルーチンをドローンに組みこむ仕事に取り組む。だが、ソウトウェアに判断を任せることが「人道的で文明的な戦争の形態」なのだろうか。自律戦闘ロボット開発をめぐる倫理的問題に踏みこむ作品。


『状態変化』
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 リナは一台一台のドアをあけて中をのぞき込んだ。ほぼ毎回、ほとんどの冷蔵庫は空っぽに近かった。だがそれはどうでもよかった。冷蔵庫をいっぱいにすることに興味はなかった。チェックすること自体が生死にかかわる問題なのだ。魂の保存にかかわる問題なのだ。
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単行本p.227

 物品として具現化する魂。それを失いたくなければ、いつも身体のそばに置いておかなければならない。リナの魂は小さな氷だった。溶けてしまえば彼女は死ぬ。常に魂を入れた保温容器を持ち歩き、冷凍庫から冷凍庫へと移動するばかりの人生。誰とも付き合わず、ひたすら孤独な、それこそ氷のように生きてきたリナは、自分のそんな生き方に疑問を持つが……。人生の在り方を非常に即物的に具現化してみせる寓話的作品。


『パーフェクト・マッチ』
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われわれは今やサイボーグ民族なんだ。ずっと前にわれわれの精神をエレクトロニクスの領域に拡張しはじめた、そしてもはやわれわれ自身のすべてを自分の脳髄に無理やりもどすのは不可能なんだ。
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単行本p.279

 ネットに生活の隅々まで完璧に把握され、自分が何を選ぶか、いや好むかすら、自分で決めることは出来ない。そんな社会に疑問を持った男は、システム破壊を目指すグループに協力するが……。私たちのプライバシー情報を把握し、手に入る情報を勝手に取捨選択し編集しているグーグルやアマゾン。現代人の生活を風刺する作品。


『カサンドラ』
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 やつのせいでわたしはジレンマに陥る。わたしが未来を変えることに成功すれば、わたしの予知視はまちがっていたことになる。成功しなければ、そうなったのはわたしのせいだと言われるだろう。でも何もしなければ、わたしは自分を許すことができない。
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単行本p.303

 凶悪犯罪を引き起こす者があらかじめ分かってしまう予知能力に目覚めた女。先に相手を殺すことで大規模犯罪を阻止できることに気づいた彼女は、次々とターゲット抹殺を試みる。だが、彼女の前に現れた強力な敵。真っ赤なケープをなびかせ空を飛び、胸に「S」のマークを付けた男。人の自由意思とアメリカの正義を信じ、悲劇が起きた後でカメラに向かって「必ず犯人を捕まえる」とか言うだけの傲慢でいけすかない男。彼女ならわずかな犠牲で悲劇を阻止できるのに……。テロや大規模犯罪を防ぐためなら予防的逮捕や予防的排除を正当化できるか、という問題に思わぬ方向から切り込んでゆく作品。


『残されし者』
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〈シンギュラリティ〉以後、ほとんどの人間は死ぬことを選んだ。
 死んだ者たちはおれたちを哀れみ、“取り残されし者”とおれたちを呼ぶ――まるで間に合うあいだに救命ボートに乗りこめなかった不運な人々だとでもいうように。彼らはおれたちが取り残されることを選んだのだとは考え及びもしない。そして毎年毎年しつこく、おれたちの子どもを盗もうとする。
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単行本p.311

 コンピュータ上の仮想空間に意識をアップロードする技術が実用化された時代。だが、アップロードの際に脳は破壊される。ほとんどの人がアップロードして永遠に存在することを選んだが、アップロードを自殺だと考える少数派は断固として拒否していた。劇的な生活の変化を前にして生ずる深刻な対立を親子の葛藤に重ねて描く作品。


『上級読者のための比較認知科学絵本』
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 異なる世界に属する恋人たちの避けがたい別れについて、ぼくたちが語る物語はたくさんある。セルキー、姑獲鳥、天の羽衣、白鳥の乙女……。それらの物語に共通するのは、恋人同士の片方が、もう片方を変えられると信じているということだ。けれども実際は、彼らの愛の土台を形作っているのは二人の相違、変化への抵抗なのだ。やがて古いアザラシの毛皮や羽毛の肩掛けが見つかる日が来る――海や空へ帰るときが来たのだ。最愛の人の真の故郷である神秘的な世界へ。
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単行本p.348

 宇宙、そして異星文明探査に憧れる女。そんな彼女に恋した男。二人は結婚し、子供も生まれたのに、彼女は地球を離れ二度と戻れない旅に出ると言い出す。異星文明とのコンタクトのために、太陽が作り出す重力レンズのフォーカスポイントへと向かうのだ。残される子供のために、彼女は一冊の絵本を残す。想像力とSF魂にあふれた絵本を。著者の作風を象徴するかのような古風かつ型破りな物語。


『訴訟師と猿の王』
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権力を握った連中はいつだって、過去を消して黙らせたい、幽霊を埋葬したいと思うようになる。おまえはもう過去について学んだんだから、何も知らない傍観者ではいられない。おまえが行動しなければ、皇帝と血滴子によるこの新たな暴力、この抹消行為に加担することになる。
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単行本p.374

 正史から抹消された揚州大虐殺。その史実を伝えるべく目撃者が残した文書を守るために、命を捨てるべきなのか。それまで口先の弁論術だけで生きてきた訴訟師(弁護士)が、初めてぎりぎりの決断を迫られる。都合が悪い大虐殺を「なかった」ことにする歴史修正主義の暴威と、命を捨ててもそれに抵抗する者たち。日本の読者にとっても他人事ではない物語。『草を結びて環を銜えん』と合わせて読むべき作品。


『万味調和ー軍神関羽のアメリカでの物語』
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「わしが子どものころ、世のなかには五つしか味がなく、この世のあらゆる喜びや悲しみは、その五つの味をさまざまに混ぜ合わせたものから成り立っていると教わった。わしはそれからいろいろ学んで、それが間違っているのを知った。どの土地にも、そこに新しい味があるのだ。ウイスキーはアメリカの味だ」
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単行本p.403

 19世紀、アメリカ。アイダホの鉱山町に住む一人の少女が、不思議な中国の老人と出会う。親しくなるにつれ、老人は昔話をしてくれる。いかにして劉備や張飛と義兄弟となったか、赤兎馬にまたがり曹操軍の勇猛な武将たちを蹴散らしたときの話。中国からアメリカへの移民史を背景に、異なる文化のコンタクトと相互理解を活き活きと描いた作品。著者の経歴を連想せずにはいられない作品で、本書収録作品中、個人的に最もお気に入り。


『『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」』
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 長距離貨物輸送ツェッペリンは、揚力や速度でボーイング747と競合できないが、燃料効率と二酸化炭素排出量では、楽勝であり、陸上および海上輸送よりはるかに速い。アイクとわたしがいましているように蘭州からラスヴェガスまでいくのに、陸上および海上輸送では最速でも三、四週間かかるだろう
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単行本p.489

 中国からアメリカまで貨物を運ぶ長距離貨物輸送飛行船。その乗組員の生活を取材した記者が『輸送年報』に書いた記事、という体裁で、飛行船が長距離輸送の主役になった世界を描く改変歴史もの。飛行船の運行は臨場感たっぷりで、あり得たかもしれない「飛行船が空の主役となった世界」に憧れずにはいられません。



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