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『現代思想2019年12月号 特集「巨大数の世界 アルキメデスからグーゴロジーまで」 』(鈴木真治、フィッシュ、小林銅蟲、他) [読書(サイエンス)]

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「平成」最後の日に行われた巨大数勉強会で悟ったのだ
わしは「令和」には行けぬと…
ならば、この店を存在しない「安久」の次元
「安久間(あくうかん)」に封じ込め、
アッカーマン関数を展開する余生を送っ
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書き下ろし新作『寿司 虚空編』(小林銅蟲)より


 そこに意味はないが理由はある!
 想像力も何もかもぶっ千切る圧倒的な大きさ。数の純粋暴力。巨大数探求の歴史とその意義を、数学・社会・宗教・哲学・物理など様々な視点から語る一冊。日本に巨大数ブームを巻き起こした漫画『寿司 虚空編』(小林銅蟲)の書き下ろし新作もあり。ムック(青土社)出版は2019年11月、Kindle版配信は2019年11月です。


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鈴木
 巨大数というものが広まった一つのきっかけとしては小林銅蟲さんの『寿司 虚空編』(三才ブックス、2017年)もおおきいですね。巨大数をマンガにするという発想自体がすごいと思うのですが

フィッシュ
 ほとんど冗談のつもりで「今度ぜひ巨大数のマンガでも描いてください」と言っていたところ、本当に2013年から『裏サンデー』(小学館)というところで『寿司 虚空編』が連載を開始したというわけです。これは特に小林さんから連絡があったわけではなくて、気づいたら始まっていたのですが(笑)。これが日本中に、いわば巨大数ブームを巻き起こしました。
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「討議 有限と無限のせめぎあう場所」より


 寿司屋のオヤジがひたすら巨大数について語るという漫画『寿司 虚空編』(小林銅蟲)を読んだときは、さすがにぶったまげました。その「大きさ」だけで人を圧倒し思考停止に追い込みときに発狂させる数があるという驚き。そしてそれを漫画で描こうという心意気。あまりにもどうかしてる世界がそこにあったのです。

『寿司 虚空編』(小林銅蟲)
https://www.amazon.co.jp/dp/4861999898

 というわけで、『寿司 虚空編』の新作を目当てに購入した現代思想2019年12月号ですが、寄稿者それぞれの立場から語る「巨大数」論考の数々は読みごたえがありました。いくつか個人的に印象に残ったものを紹介してみます。


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 その後グーゴロジー・ウィキにアカウントを作成し、海外のグーゴロジストたちとの交流を開始した。ふぃっしゅ数の紹介をしたところ、グーゴロジストたちの興味をひき、ウィキ上で議論が沸騰した。同年末にはグーゴロジー・ウィキの日本語版である「巨大数研究 Wiki」も立ち上がり、英語でのグーゴロジーの進展が日本に輸入されるとともに、日本発の巨大数論の概念を英語の世界に輸出した。この頃から、日本語と英語でそれぞれ発展していた巨大数論の流れが合流した。
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「巨大数論発展の軌跡」(フィッシュ)より


 まず『寿司 虚空編』でも大活躍だった、日本を代表するグーゴロジストといえるフィッシュ氏による巨大数論研究の歴史まとめ。2ちゃんねるの「一番でかい数出した奴が優勝」スレッドから海外のグーゴロジーとの合流まで。


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 このように、人類が最初に出会った巨大数は瞬間的把握能力の限界で、4か5あたりにあったと考えられます。
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「歴史的に観た巨大数の位置づけ」(鈴木真治)より


 人類が遭遇した最初の巨大数は「4」。(そこからか!)
 アルキメデス「砂の計算者」から「巨大素数問題」まで、歴史に登場した様々な巨大数についての概説。


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 われわれは以下の二つの問いを立てたい。第一の問いは「巨大数はなぜトリヴィアルな分野/存在と見なされてしまうのか?」という問いであり、第二の問いは「にもかかわらず、情報社会においてなぜ巨大数は人々の関心を喚起するのか?」という問いである。
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「情報社会にとって「数」とは何か?」(大黒岳彦)より


 数学の専門家は巨大数論にあまり興味を示さない。グーゴロジーはむしろサブカル的な文脈で受容されている。それはなぜか。社会における巨大数の位置付けについての論考。


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 量子コンピューターと「巨大な素数」判定の関係が、数理暗号の解読可能性を経由して、今世紀の社会を揺るがすことは疑いないことであろう。「巨大な素数」はもはや数学者の玩具にすぎないものではなく、社会的存在なのである。
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「巨大な素数は世界をどう変えるか」(小島寛之)より


 素数研究の歴史、巨大素数が社会に与える影響といった話題をまとめます。個人的に「素数の逆数の総和は無限と証明されているにも関わらず、現在までに見つかっている素数の逆数の総和はだいたい4」とか「メルセンヌ素数以外に巨大素数を得る方法は見つかっていないが、メルセンヌ素数が無限個あるという証明も得られていない」とか、興味深い話題もりもりで興奮。


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 このような巨大数について、哲学の立場からなにかいうべきことがあるだろうか。数学基礎論それ自体あるいは集合論や巨大基数論、計算論の立場から、あるいは物理学や数学史の立場からであれば大いにあるだろうが、哲学それ自体ということになるとわたしには次の一点をおいてほかに思いつかない。すなわち、かぞえかたのわかっていない数は存在しないのか、という問い、すなわち存在にかんする問いである。
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「かぞえかたのわからない巨大数は存在しないのか」(近藤和敬)より


 そこに到達するための定式化がなされていない巨大数は、「存在」しているのだろうか。哲学上の問いを探求する。


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 ジンバブエの人びとはハイパー・インフレ通貨をどこまで数え、どこで数えるのをやめたのだろうか。次節からは、ジンバブエのハイパー・インフレが最終局面を迎えた2009年1月に、私が首都ハラレで見聞きした出来事を記述し、ジンバブエの人びとにとっての巨大数について民族誌的に描いてみたい。
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「10兆と500億のあいだ ジンバブエのハイパー・インフレ通貨と巨大数」(早川真悠)より


 2008年、年率2億3100万パーセントというインフレ率を記録したジンバブエ・ドル。このハイパー・インフレに現地の人々はどのように対応したのか。経済という視点から「巨大数」に切り込む、しかも現地取材で、というのは予想外でした。




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