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『三十二年後生きている!(「江古田文学84」掲載)』(笙野頼子) [読書(随筆)]

 「ははははは、そんなにして追い詰められて、でもそれで落ちるのだよ、ざっまあみろ若い私、わんわん泣いてやがる、そんなので出来るはずないだろうが。手放せない「御自分」が多すぎるんだよ」

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第83回。

 「江古田文学84」(2013年12月発行)に再掲された処女作『極楽』に寄せて、デビュー前の自身について語ったエッセイです。

 「一回落ちるたびにというか発表を待っている間中憔悴したりして、それもまさに内臓が半分もげ落ちたようで立って歩けず、全身の血が下がり、人中でもひとりきりでも、殺されると叫びそうで。(中略)誰に命ぜられてのこの小心と傲慢」

 新人賞に応募しては落選を繰り返していたデビュー前、若き日の苦悩を振り返るエッセイです。その頃に書いていた作品について、今の目で評するわけですが、これが。

 「幻想的で「美しい」ものを書こうとして小説を語るポーズだけを取りつづけた。自分の生命をその上に乗せていない。むろん人に読まれる緊張を想定もせず」

 「自分にとっては自明の小さい場所や集団内の葛藤を「味方してくれて当然でしょ」と言葉足らずに、懐手で書いている」

 き、厳しい。過去の自分を甘やかすどころか、手厳しく叱りつけてきます。「若い頃はあたいもやんちゃでさあ」的なぬるさ一切なし。

 そういえば、今や大学で創作指導にあたっている先生なのでした。

 「小説書く動機がどうだって書いている本人の態度が見苦しくたってそんなの作品とは何の関係もないから。迷惑でも食えなくても生まれるところからしか小説は生まれて来ない。死ぬまで嫌われてて死んでから読まれてるとしても小説は小説だ。あさましく気取ってやがったよ私、今も昔も、見苦しいだけの私だからこそ」

 語られているのは、小説を書くということの覚悟について。特に作家志望の方々は襟を正して読むとよいかと。あと新人賞選考委員の方々も。

 「私を産んでくれて、生き延びさせてくれた親と選考委員には感謝している。だって長い苦節の時私の持ち込みを読んで貰える理由「何? 藤枝静男が褒めた新人だと」一番大事な名前」

 なお、再掲された『極楽』について、Kindle版読了時の紹介はこちら。

  2013年10月25日の日記:
  『極楽 大祭 皇帝 笙野頼子初期作品集(電子書籍版)』(笙野頼子)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-10-25


タグ:笙野頼子
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