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『愛を想う』(短歌:東直子、絵:木内達朗) [読書(小説・詩)]

 「愛というものがなんであるか/わかりません。/考えれば考えるほど/想えば想うほど/いよいよ/わかりません。/わかりませんが、ずっと/想い続けるでしょう。/愛を想う生き物に/生まれたのだから。」

 愛を想う東直子さんの短歌に、木内達朗さんが素敵なイラストを添えた歌集の電子書籍版を、Kindle Fire HDX 8.9で読みました。単行本(ポプラ社)出版は2004年09月、Kindle版配信は2013年11月です。

 ストレートなタイトルが示している通り、愛について、ではなく、愛を想うことについての作品集です。絵本のようなイラストがまた、とてもいい雰囲気を出していて、遠い昔に悩んだこと、切なかったこと、様々な思い出がありありと蘇ってきます。

  「砂利道でころんだように涙目の計画性のないがんばりや」

  「怠惰なる少女じわじわ涙する「たましいなんて欲しくなかった」」

  「自転車を押しつつ呪文のように言う やさしいひとがやさしいひとが」

  「ここで泣いた。思いだした。生きていた。小さな黒い虫になってた。」

  「わたしすぐに死ねって思うし口にするから川をみにゆかなくちゃ」


 愛とは何なのか。どこに愛はあるのか。通販できるのか。日常生活のあちこちで、ふとそんなことを想うシーンを的確に切り取った作品が多く、しみじみと共感します。


 電車に乗ったとき、とか。

  「まちがえて降りたホームの陽に透ける待ち合い室で考えてばかり」

  「中央線、南北線に東西線、どこへもゆけてどこへもゆかず」


 寝入りばな、とか。

  「ふりかえればあかるくわらうおもいでもあおぞらあおぞらあおむけで寝る」

  「夏の窓あけたままでは眠れない ありえない夢ふってきそうで」


 食事中、とか。

  「大粒のタピオカがのどにつかえても気のせいですと言える気がする」

  「焼きたてのレモンチキンにナイフ入れじわりと思う、思うのでしょう」


 誰かのことを考えているときとか。

  「あかいあかいゆうひのなかにだめになりそうなあなたがいそう、いそうだ」

  「ガラス玉が水をひたすらゆくようなバスはあなたの眠る街へと」

  「あのひとはどう? のあのひとを特定できず湯気にまみれる」


 肉体や身体感覚を強く意識した作品も多く、その重みに息が苦しくなってきます。

  「あしのゆびぜんぶひらいてわたしからちいさな痛みはなたれてゆく」

  「ゆくところあるかと問えばあるという淡い乳房を底よりあげて」

  「身体はいつかなくなるからきれい、きれいになれる、心配ナイね」


 家庭生活について、肉感的(誤用)に詠んだ作品も強く印象に残ります。

  「パイナップルの煮汁のような汗まとい好きも嫌いもなくここにいる」

  「陰毛のみ残した身体さらしたらもうなんでしょうなにもないです」

  「家族とは修羅でしかない日々ありて軟部に石鹸こすりつけてた」


 というわけで、様々に愛を想う切れ切れの言葉が、絵本のようなイラストと共に、ときにイラストに重ね合わされるようにして、漂っている静かな歌集です。ちなみに、絵と文が一体化しているページが多いので、Kindle Paperwhiteなどテキスト用のリーダーで読むことは、あまりお勧めできません。


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