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『死なないやつら 極限から考える「生命とは何か」』(長沼毅) [読書(サイエンス)]

 「何も食べず、光合成もせずに地中深くでメタンを生産しつつ自分の体をつくる超好熱菌、あらゆる濃度の塩分や低温、高温にも耐え、世界中にはびこるハロモナス、2億5000万年も岩塩の中で生きつづけたバチルス、そしてムダとしか思えない耐放射線能、耐高圧能や耐重力能をもつデイノコッカス・ラジオデュランスや大腸菌……。(中略)極限生物が私たちに示しているのは、「生命」というものの「わけのわからなさ」ではないでしょうか」(新書版p.96)

 高温、高圧などの極限環境下でも死なない、それどころか活動を続け、増殖する生物がいる。極限生物を通して「「生命とは何か」とは何か」を考えるメタバイオロジー入門。新書版(講談社)出版は、2013年12月です。

 生命とは何か、という問題の難しさは、つまるところ、この問題が正確には何を問うているのかという点にある。「第1章 「生命とは何か」とは何か」というクールなタイトルの導入部で、著者はそう語り始めます。

 「生物学=バイオロジーが「生命とは何か」を探求する学問であるのに対して、さきほど述べた「生命とは何か----とは何か」という問いを考える「メタバイオロジー」という分野があるのです。私はこれを、物理学に対する形而上学にならって「命而上学」と訳してもいます」(新書版p.15)

 メタバイオロジー、命而上学。そんな魅惑的な研究分野があることを初めて知りました。

 続いて著者は、生命が誕生したのはもちろん不思議なことだが、そんな現象が40億年も継続してきたこともまた不思議なことだと、言い出すのです。

 「この宇宙で炭素化合物が安定して存在するには、メタンか二酸化炭素になるしかなく、それ以外の炭素化合物は、どれも不安定な状態にあるのです。(中略)不安定な状態ですから、長続きしません。この宇宙にそのまま置いておくと、必ずメタンか二酸化炭素になります」(新書版p.29)

 「ところが地球上の生物は、それが生きているかぎり、二酸化炭素にもならず、メタンにもならずに、不安定な炭素化合物のまま存在しつづけるのです。地球生命という総体を見れば、40億年前に発生して以来、そんな不安定な状態にもかかわらず途絶えることなく存在していたのです。ある現象がこれほど長続きすることは、地球史でもきわめて稀です。実に不思議です」(新書版p.30)

 還元反応の末にメタンとして安定するわけでもなく、酸化反応の末に二酸化炭素として安定するわけでもなく、化学的に不安定な炭素化合物が40億年も地球上に存在し続けているのは「実に不思議」なことだ、という指摘には興味深いものがあります。まるで自然の法則に逆らっているような「生命現象」の不可思議さに、改めて驚きを感じることに。

 「第2章 極限生物からみた生命」は、本書の白眉といってよい章です。ここでは、摂氏122度の高温でも増殖するアーキア、殺菌灯レベルの紫外線にも平気で耐える微生物など、極限生物が次々と紹介されるのです。

 「ふつうのバクテリアである「大腸菌」を少しずつ高圧に馴らすようにして培養したところ、意外にも簡単に適応して、なんと2万気圧でも生きていることが確認されたのです。(中略)現実の地球には存在しない「水深16万メートルや20万メートルの深海」に相当する圧力にも耐えられるのです」(新書版p.51、52)

 「大腸菌とパラコッカス・デニトリフィカンスは、なんと遠心機の性能の限界に達しても、平気で細胞分裂し、増殖したのです。そのときの重力とは----驚くなかれ、40万G。いうまでもなく、自然界にはこんなばかげた重力は存在しません。地球生命として、過剰にもほどがあるでしょと言いたくなるような耐性です」(新書版p.80)

 極限生物というと非常に珍しい、特定の厳しい環境にしかいないようなイメージがありますが、何と私たちの体内にもうようよしている大腸菌が、実は極限生物だったなんて。

 「デイノコッカス・ラジオデュランスは、なぜこのようなケタ違いの放射線に耐えることができるのか? そのメカニズムがわかったのは、最近のことです。彼らが「ゲノム」を4セットもっていることに、その理由があったのです。(中略)この驚くべき修復能力に敬意を表して、デイノコッカス・ラジオデュランスのことを私は極限生物の「癒し系」と呼んでいます」(新書版p.73、74)

 「2億5000万年は、極限生物の生存期間のレコードです。バチルスは「紫外線」部門とともに「長寿」部門の王者でもあるのです。この驚くべき耐久力に敬意を込めて、私はバチルスを極限生物の「ガマン系」と呼んでいます」(新書版p.76)

 ゲノムを相互四重バックアップしておき、放射線で一つや二つ破壊されても上書き修復してしまう球菌、恐竜が地球上に出現するより前に出来た岩塩の中から生きて発見されたバクテリア。地球生命としてオーバースペックとしか思えないその能力には大いなる感銘を受けます。もっとも、著者が彼らに敬意を評するやり方は少々オヤジ臭いとは思いますが。

 特定の極限環境にだけ強い生物ばかりではありません。極限生物しぶとさ部門とでも言うべき分野には、驚くべき例が存在するのです。

 「高濃度の塩分にも、真水にも、高温にも、低温にもへっちゃらで、食べ物がないところでは従属栄養から独立栄養に切り替えて自分で栄養をつくりだす----ハロモナスこそは「究極のジェネラリスト」といえます。(中略)どれだけ広範囲の環境変動に耐えられるか、という視点は「極限」という概念に新しい意味づけを与えるものです」(新書版p.69)

 この第2章があまりにも面白いため、続く「第3章 進化とは何か」および「第4章 遺伝子からみた生命」は、ちょっと退屈してしまいます。そして「第5章 宇宙にとって生命とは何か」では、第1章で提示した問題に答えようとします。しますけど、既に読者も予想している通り、話は発散してゆくのでした。なお、個人的には、生命の起源を彗星に求めるパンスペルミア説がプッシュされているのが印象的。

 全体を通読すると、ややとっちらかった印象を受けます。これは著者も自覚的にやっているらしく、「おわりに」には次のように書かれているのです。

 「この本は、当初は「極限生物の博物学」あるいは「極限生物のカタログ」をめざしていました。少なくとも、この本の編集者である山岸浩史さんはそう目論んでいましたし、私にも山岸さんの意図に応えようという気持ちはありました」(新書版p.228)

 「編集者の山岸さんが抱いていた「極限生物の博物学」という野望は、私の非力のために崩れ落ちてしまいました。しかし、それで私はむしろ気が楽になり、好きなことを好きなように書かせてもらいますよ、と開き直ることができました」(新書版p.230)

 というわけで、極限生物やメタバイオロジーについて、専門家が開き直って好きなことを好きなように書いた本。まとまりは悪いものの、驚きの話題満載で楽しめます。読めば生命のことがよく分かるようになるわけではなく、むしろ生命のことがわけ分からなくなる一冊です。


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