SSブログ

『ちいさいおうち』(著、イラスト:バージニア・リー・バートン、翻訳:石井桃子) [読書(小説・詩)]

 静かな田舎に建てられた、ちいさいおうち。だが時代が進むにつれて都市化の波が押し寄せてきて・・・。1943年にカルデコット賞を受賞した不朽の名作絵本。単行本(岩波書店)出版は1954年04月、改版は1965年12月、私が読んだ第59刷は2013年04月に出版されました。

 中島京子さんの小説『小さいおうち』は、戦前の東京を舞台にした歴史小説であると同時に切ない恋愛小説でもあるのですが、ミステリとしても楽しめます。

 物語の終盤になって「探偵役」をつとめることになる青年は、あるきっかけで絵本雑誌の「バージニア・リー・バートン特集号」を手にするのですが、そこに掲載されていた一篇の随筆が、大叔母がかつて住んでいたという「小さいおうち」に秘められた謎へと、彼を誘うことになるのです。

  2013年09月04日の日記:『小さいおうち』(中島京子)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-09-04

 色々な意味でこの『小さいおうち』(中島京子)という小説はバージニア・リー・バートンの名作絵本『ちいさいおうち』を意識して書かれているわけですが、実は私、この絵本を読んだことがなかったのです。いくら名作絵本といっても、子供の頃たまたま出会う機会が無ければ、そのまま一生読まずに終わってしまうこともあります。

 それではやはりまずいので、この機会にと思って読んでみました。『ちいさいおうち』。

 「むかしむかし、ずっといなかの しずかなところに ちいさいおうちが ありました。それは、ちいさい きれいなうちでした。しっかり じょうぶに たてられていました」

 田畑の中にぽつんと立てられた「ちいさいおうち」ですが、やがて都市化の波が押し寄せ、周囲に道路がひかれ、住宅街になり、ビルが立ち並び、地下鉄が走るようになります。

 「あたりの くうきは、ほこりと けむりによごれ、ごうごうという おとは やかましく、ちいさいおうちは、がたがたと ゆれました。 もう いつ はるが きて、なつが きたのか、いつが あきで、いつが ふゆなのか、わかりません」

 「ひとびとは まえよりもっと いそがしく かけあるくようになり、いまでは ちいさいおうちを ふりかえってみる ひとも いません」

 賑やかで明るく豊かになったにも関わらず、ちいさいおうちは「まちは いやだと おもいました。 そして よるには、いなかのことを ゆめにみました。 いなかでは、ひなぎくの はなや りんごの木が、月の ひかりのなかで、おどっていました」。

 果たして、ちいさいおうちは、このまま都会の片隅で朽ち果ててゆくのでしょうか。というかお前はアルプスの少女ハイジか。

 常に画面中央に「ちいさいおうち」があり、そこが同じ場所であることが分かるようになっています。しかし、ページをめくる度に、田園風景、住宅地、街、都会、という具合に描かれている風景がどんどん変わってゆきます。子供たちに、都市化がもたらす弊害をさりげなく教えてくれる絵本です。

 この絵本では、おうちは最後に都会を脱出することが出来るのですが、『小さいおうち』(中島京子)では空襲で焼けてしまうわけです。1940年代前半という時期もぴったり一致するので、絵本を知っている読者なら涙を禁じ得なかったことでしょう。

 なお、先日読んだ『百年の家』(作:J・パトリック・ルイス、絵:ロベルト・インノチェンティ、訳:長田弘)も、この絵本をベースにしていると思われます。というより、『ちいさいおうち』を知らなかった私は『百年の家』の狙いが充分に読み取れてなかったと思う。

  2013年04月27日の日記:
  『百年の家』(作:J・パトリック・ルイス、絵:ロベルト・インノチェンティ、訳:長田弘)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-04-27

 幼い頃に絵本を一冊読み逃しただけで、色々なことが分からないままになってしまうというこの恐ろしさ。子供たちには名作絵本を出来るだけ広く読ませてあげたいものです。


タグ:絵本
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: