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『SFマガジン2014年2月号 日本作家特集』 [読書(SF)]

 SFマガジン2014年2月号は、恒例の日本作家特集ということで、注目の新鋭作家たちによる短篇競作を掲載してくれました。また、映画公開に合わせ『エンダーのゲーム』シリーズの短篇、およびアイリーン・ガン&マイクル・スワンウィック共作によるクリスマス・ファンタジー短篇も掲載されました。

『ナスターシャの遍歴』(扇智史)

 「つぎはぎででたらめで、思いつきのままにつむがれる荒唐無稽な物語。けれど、私たちにとってはそれがほんとうのナスターシャの人生だったし、その物語の中でナスターシャは活き活きと生を満喫していた」(SFマガジン2014年2月号p.28)

 キャリアウーマンである語り手が散歩するたびに現れる謎めいた女性、ナスターシャ。彼女が語る不思議な物語に惹きつけられる語り手だが、どうも何かがおかしい。やがて、語り手の記憶と現実認識は大きく混乱してゆく。

 人形怪談なのか、仮想現実テーマなのか、それともロボットSFなのか、微妙に分からないまま進行する話ですが、ナスターシャが語る物語の魅力で全体をきれいにまとめてしまいます。

『亡霊と天使のビート』(オキシタケヒコ)

 「毎晩のように酷くうなされ、原因不明の病に伏せる九歳の少年と、その彼が悪夢に苦しむ寝室で、虚空からわき出してくるという死者の囀り----しかもその声は、耳には聞こえるのに、どうやっても録音することができないという」(SFマガジン2014年2月号p.37)

 幽霊屋敷の一室、真夜中に聞こえる囁き声。おなじみ武佐音研の紅一点、カリンが「人間には聞こえるのに録音はできない声」という怪奇現象に挑む。というかマジ泣きして鼻水たらしてて子供になぐさめられる。

 SFマガジン2013年2月号に掲載された『エコーの中でもう一度』に続く音響工学SFミステリ。技術的な謎解き自体にはさほど意外性はないものの、そこから先に二段三段と真相が明らかにされてゆく展開が見事。

『自撮者たち』(松永天馬)

 「自撮したい。他撮したい。死にたい。女の子だもん。恋もしたいしキスもしたい。お金も欲しいしセックスだってしたい。あと死にたい」(SFマガジン2014年2月号p.83)

 自撮グループの頂点を目指して、殺撮会で殺し合う美少女アイドルたち。72億の人類(オタ)のおにんぎょうである少女たちがTLに血と脳漿ぶちまけつつ他撮される近未来(そうですか?)の芸能界。ツインテール千切れ、金玉爆散飛翔。わたしとセックスしたい皆さん、許して下さい。代わりに一曲歌います。聴いて下さい! 『偶像崇拝』!

 なんというか迷いというものを感じさせない松永天馬さん(アーバンギャルド)による豪快な少女小説、シリーズ(なんだろうなやはり)第三弾。もう三作目だし、近いうちに書き下ろし一篇を加えて単行本化されますよね、きっと。

『カケルの世界』(森田季節)

 「説明が唐突だけど、よくある展開なんすかね。どこかで異能力バトルに舵を切らないといけないわけだし」(SFマガジン2014年2月号p.170)

 中央で上下に真っ二つに分かれたページ。上段ではフラグ立ちまくる異色の学園ファンタジーが展開。一方、下段では・・・。上も下もとにかく中二病世界観にまみれた技巧的短篇。解説にもある通り、「先に上段を全部読んでから下段を読むと、よりわかりやすいかもしれません」(SFマガジン2014年2月号p.35)ということで、この読み方をお勧めします。

『かわいい子』(オースン・スコット・カード)

 「おばあちゃんがボニートを見ながらため息をついて、「おまえも大きくなったら“男”になっちまうんだからねえ」といったとき、パズルの最後のピースがすっぽりおさまった。まるで、男が汚い言葉であるかのようだった。「男には名誉がないんだ」」(SFマガジン2014年2月号p.232)

 エンダーと敵対した少年、ボンソー・マドリッド。彼はどのような幼少期を過ごし、なぜバトル・スクールに入ったのか。『エンダーのゲーム』の脇役に焦点を当てたシリーズ番外篇的な短篇。

『ウィンター・ツリーを登る汽車』(アイリーン・ガン&マイクル・スワンウィック)

 「恐ろしいほどうつろな感じがサーシャを苦しめた。何か大事なものが消えていると、サーシャは思った。何かが恐ろしいほどひどくまちがっている。 でも、何が? クリスマスの日は永遠に続くかに思えた」(SFマガジン2014年2月号p.254)

 クリスマスの夜、鏡の向こうから邪悪なエルフたちがやってきて両親を殺し、弟を誘拐してしまった。サーシャは、なぜかしゃべるようになった愛犬チェスタトンに導かれ、弟を取り戻すべくクリスマス・ツリーの頂点を目指す。おもちゃの汽車に乗って。

 クリスマスの夜の冒険。どうせ最後は子供の夢オチだろ、などと油断していると手痛いしっぺ返しをくらいます。取り返しがつかない人生を、そういうものとして受け入れて生きて行くことをテーマにした傑作ダーク・ファンタジー。

[掲載作品]

『ナスターシャの遍歴』(扇智史)
『亡霊と天使のビート』(オキシタケヒコ)
『自撮者たち』(松永天馬)
『カケルの世界』(森田季節)
『かわいい子』(オースン・スコット・カード)
『ウィンター・ツリーを登る汽車』(アイリーン・ガン&マイクル・スワンウィック)


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『ルーティーン 篠田節子SF短篇ベスト』(篠田節子) [読書(SF)]

 「小説の枚数の少なさは、実は制約ではなく可能性である。つまり長編でできないことが、できるのである。小説としてのタブーを踏み越えた、何でもありの世界が短編小説には開けていたりする」(文庫版p.444)

 ジャンル横断型の超大型作家、篠田節子さんによる短篇SFの代表作を集めた一冊。文庫版(早川書房)出版は、2013年12月です。

 ドタバタ喜劇、不条理小説、怪談、奇譚。宇宙船やタイムトラベルが登場するような典型的なSF設定は一つもありませんが、しかしSFとしか言いようのない想像力と奇想と論理に突き動かされる作品が集結しています。

 音楽が、老人介護が、JR武蔵野線が、私たちを日常とつながったまま想像力の彼方へと飛翔させる。そんな傑作が10篇。さらに、エッセイ、インタビュー、編者(牧眞司さん)による詳細な解説と篠田節子SF長編リストなど、充実の一冊。

『小羊』

 「神の子たちは、外の世界を見たことがない。外の世界にあこがれを抱く者もいない。スクリーンを通して眺める外界は、汚らしくおぞましい。だから白壁は、彼らを閉じこめるものではなく、彼らを守る砦である」(文庫版p.11)

 他者への奉仕のためにいるという「神の子」たち。外界から隔離され清らかに育てられる小羊たちの一人である少女は、外からやってきた少年が奏でる「音楽」に心奪われるが・・・。

 いわゆる「壁の中」テーマの変奏ですが、何しろブッカー賞作家の長編からベテラン少女漫画家の代表作まで、多くの著名作品でこの設定が使われているので、今読むとほとんど最初から真相が分かってしまうことでしょう。しかし20年近く前に書かれた本作のキモは、「音楽」との出会いがもたらす世界認識の変容。短い枚数でそれを見事に描き、強い印象を残します。

『世紀頭の病』

 「長生きなんてしたくない。お母さんみたいに、太って、みっともなくなって、何もおもしろいこともなくなって生きてるなんて最低。三十前には死ねたらいいのに」(文庫版p.72)

 30歳を前にした女性が突然、急激な老化現象に見舞われて死亡するという奇病が流行。最初はパニックを起こした社会も、やがてそれが十代の頃の乱れた性行為が原因だと判明した途端に冷淡に。しかし、男性もこの病気と無関係ではいられないことが分かってくると、今度は・・・。

 架空の疾病を扱った、ドタバタ喜劇調で書かれた風刺作品。しかし、老いの恐怖、社会の「若くない女性」に対する冷たい仕打ち、男の覚悟のなさ等、お笑いの中にヒヤリとするような尖った硬質なものを混ぜてくるところはさすが。

『コヨーテは月に落ちる』

 「永遠に出口にたどりつかないビルの上下東西南北の三次元空間を、この獣と二人で歩き続けるのも運命かもしれない。そのことを美佐子はもはや悲観してはいない。自分の役人人生にしても同じようなものだ。廊下を歩き、エレベーターに乗り、疲れて動けなくなるまで出口を探して歩いてきただけだ」(文庫版p.126)

 都会の真ん中でコヨーテを見た語り手は、その獣に導かれるようにして異界に迷い込んでしまう。そこは出口にたどりつけないマンション。買ったばかりの自室があるというのに、そこに入って落ち着くことが出来ない。かといって、ビルから外に出て自由に生きることも出来ない。仕事人生という迷宮をコヨーテと共にさまよう彼女が、ついに辿り着いた出口とは。

 コヨーテが登場する幻想シーンと不条理な迷宮シーンが続く短篇で、個人的にお気に入り。ふとしたきっかけで主人公が決まりきった人生から逸脱してしまう作品としては、後述する『ルーティーン』と似ています。仕事に疲れた男が家を捨てて自由になる話が『ルーティーン』なら、仕事に疲れた女が家に囚われて出られなくなる話が本作ということに。ラストシーン、タイトル通りの幻想シーンが忘れがたい印象を残してくれます。

『緋の襦袢』

 「なんで大場さんが、年取った女詐欺師の代わりに、アパート探しをしなきゃならないんですか」(文庫版p.140)

 福祉事務所で働く元子は、担当することになった老女詐欺師に手を焼いていた。どこに行っても男をたらし込んでトラブルを引き起こす老女に住処を見つけてやらなければならない。軽い悪意で、強烈な心霊現象が起きる事故物件を紹介したのだが・・・。明るい雰囲気の怪談ですが、ユーモラスな中にも人間の業のようなものが潜んでいるところがまた。

『恨み祓い師』

 「「粗末なものを食べて育って、粗末なものを食べて一生が終わっていく……」 くぐもった声で母は言う。さて、何十年間、聞き続けた繰り言なのだろうか」(文庫版p.169)

 古びたアパートの一室で生活し続けている母娘。再開発のために出て行ってもらおうとする語り手は、奇妙な事実に気づく。娘はともかく、母はとうに死んでいるはずの高齢。それが老女二人、いつまでも、いつまでも、愚痴と恨み言を口にし、世間と人生をひたすら呪いながら、今もそこに住んでいる。いったい彼女たちは何者・・・。

 怪談なのか、「不死の一族」テーマなのか、入れ替わりトリックなのか。どこに落とすか微妙に分からないところがキモですが、むしろ老女が語る家族や世間に対する恨みの深さ、執拗さ、さらには「語れども語れども尽きることのなかった恨みそのもの」(文庫版p.211)が実体化して吹き出してくる光景の凄まじさに衝撃を受ける作品です。

『ソリスト』

 「アンナの音楽は奇蹟だった。奇蹟は何度も起きるはずはない。彼女がステージに上り、弾いてくれること自体が奇蹟なのだ。 完璧な彼女の音楽が支える完璧なアンサンブル。しかしアンナは、その奇蹟のピアノをこの十年あまり、決して単独では聴かせてくれない。 なぜかいつもアンサンブルなのだ」(文庫版p.235)

 奇蹟のように完璧な音楽を奏でる女性ピアニスト、アンナ。しかし、アンナは決してソロで弾こうとはしなかった。なぜなのか。アンナと共に舞台に立った語り手は、ついにその理由を“見る”ことになる。

 音楽怪談。篠田節子さんの作品に登場する「音楽」は、あまりに想像を絶する、近づく人間を彼方に連れていってしまうようなものなので、どちらかと言うとホラーというよりむしろレムのコンタクトテーマSFのような印象が残ります。

『沼うつぼ』

 「これが最後、もうだれも、二度と口にできない物があるとすれば、それは無限の価値を持つだろう。この一回だ。この一回きりで、後はもう語りぐさでしかなくなる。それはもうグルメなんて浅薄なことばでは語り尽くせない、精神の悦楽に近いものだ」(文庫版p.280)

 「沼うつぼ」と呼ばれる幻の魚、その最後の一匹を捕まえて食べさせてくれれば大金を払う。そう告げられた漁師は、その俗物根性を軽蔑しつつも、むき出しの欲望にいっそ清々しいものさえ感じるのだった。だが、かつて「沼うつぼ」を捕えた彼の父親は、そのせいで魔が差したように消息を絶っていた・・・。

 近寄るものに災いをもたらすという魔物のような怪生物。命懸けでそれを仕留めようとするハンター。黄金パターンですが、両者の対決よりも、むしろ周囲がさらけ出す人間の本性のようなものが印象的な作品。昔、深海の真っ暗闇で腐肉にわらわらと取りついてのたうつ大量のヌタウナギの映像に衝撃を受けたことがありますが、あれを思い出してしまいました。ラスト一行が強烈。

『まれびとの季節』

 「島に漂着した預言者に、マフムドの祖先がその名をもらったときから六百年もの時が経った。祭りも、司祭の仕事も、気が遠くなるほど昔から行われてきた。そこに疑問を差し挟む余地などない。彼は定められた手順にしたがって、祭りや儀式を遺漏のないように進めなければならない」(文庫版p.306)

 とある孤島にもたらされた世界宗教は、長い歳月を経て今や完全な土俗信仰と化していた。そこに本土からやってきた導師により「正しい」教義がもたらされる。さっさと転向する若者たち、伝統を壊すものだとして敵対する年長者たち。対立は次第にエスカレートしてゆき、村の生活は破壊され、やがてこれまで平穏に付き合ってきた周囲の島々までを巻き込んだ宗教戦争が勃発する。

 宗教対立による紛争を風刺したような話ですが、孤島で起きる小規模な聖戦のプロセスを丁寧に描き出すことで、人間にとって宗教とは何なのかを鋭くえぐった作品となっています。

『人格再編』

 「思慮に富み、思いやり深い長老の死と、愛情に満ちあふれた家族。人格再編処置はまさに理想の老後と真の尊厳死を日本の家庭と社会に実現したはずだった。しかし木暮喜美の国内最初の処置の後、二十年ほどでそれは再び禁止されることになった」(文庫版p.400)

 老いて耄碌し、被害妄想と呪詛と暴言の塊になりはてる老人。在宅介護の現場で苦しむ家族を救うために開発された人格再編技術。脳にチップを埋め込み、情動を制御することで患者を強制的に「心優しい老人」にしてしまうこの技術が引き起こした騒動とは。

 脳神経制御技術による人格改変というテーマを、ありがちな哲学的議論ではなく、在宅老人介護という切実な問題に結びつけ、最後は人間の老いと死が内包している意義に迫るという、本書収録作品中では最も本格SF。同じく老人介護問題をロボット技術で解決しようとする『操作手(マニピュレーター)』(『日本SF短篇50』第4巻に収録)と並ぶ傑作です。後者についてはこちらを参照して下さい。

  2013年08月14日の日記:
  『日本SF短篇50 (4) 日本SF作家クラブ創立50周年記念アンソロジー』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-08-14

『ルーティーン』

 「これが本当に俺の人生か? 昨日、武蔵野線の電車の座席で、二つの駅の選択をしていたその時、ふと浮かび上がった愚問は、夜の間中、心の中を行きつ戻りつし、今、彼の思考の中心に居すわっている。ほんの少し前まで完全に彼のものであったこの風景は、今、鉛よりも重たい倦怠感を帯びて、身体にのしかかっていた」(文庫版p.419)

 自分のこれまでの人生は偽物なのではないか。ふとしたきっかけで人生を逸脱し、仕事も家庭も捨ててしまった男。二十年後、かつての住居に戻ってみたところ・・・。

 奇妙な味の短篇。電車を乗り過ごしてしまった時に、このまま何もかも捨てて、これまでの人生をリセットできたら、と夢想したことのある人は多いでしょう。実際にそうしてみた男の物語です。本書のための書き下ろし。

 他に付録としてエッセイとインタビュー。SF界隈で語り草となっている、大森望氏の「それはですね、地球にはマントル対流というものがあって」という発言も読めますよ。

[収録作品]

『小羊』
『世紀頭の病』
『コヨーテは月に落ちる』
『緋の襦袢』
『恨み祓い師』
『ソリスト』
『沼うつぼ』
『まれびとの季節』
『人格再編』
『ルーティーン』
『短編小説倒錯愛』
『篠田節子インタヴュウ SFは、拡大して、加速がついて、止まらない』


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『クラウン伍長』(斉藤真伸) [読書(小説・詩)]

  「ガンダムを語れるときの男らのまなこの熱は妻を怯ます」

  「レジン製限定品のメイドさん巨乳は常に重力に克つ」

  「しゃがみ込みゲーム誌を読む茶髪くん顔のあたりがちょうど蹴りごろ」

  「真夜中にググってみれば「地球破壊爆弾」の登録件数二百六十万」

 現代の事物を通して現代の抒情を詠む新鋭短歌集。単行本(書肆侃侃房)出版は、2013年08月です。

 クラウン伍長。歌集のタイトルとしては妙ですが、これは次の作品から採られているようです。

  「凍て空の流星群にまぎれつつクラウン伍長の火葬はつづく」

 クラウン伍長というのは、いけすかない上官に「無駄死にではないぞ」と言われつつ無駄死にしたあのジオン軍兵士ですが、彼が乗ったザクが大気圏突入時に赤熱して四散してゆくビジュアルを脳裏に思い浮かべるかどうかで、この作品に、ぐっ、と来るかどうかが決まるような気がします。あと、ブラッドベリとかも。

  「たったひとつのやりかたとしてその夫のあたま撃ち抜くアリス・B・シェルドン」

  「ことののち己があたまを撃ち抜いてアリス・B・シェルドン故郷へかえる」

 これも、アリス・ブラッドリー・シェルドンの筆名が「ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア」であること、彼女が要介護者となった夫を射殺して自殺したのを知っているだけでなく、『たったひとつの冴えたやりかた』や『故郷から10000光年』といった代表作のタイトルが反射的に思い浮かぶようでないと、狙い通りの感慨を受け止めるのは難しいかも知れません。

 さらに、パソコン通信の黎明期、電子ネットワークとかいう「未来」に恐る恐るアクセスしてみたところ、ティプトリーの壮絶な自死というニュースが海外からダイレクトに手元のパソコンに飛び込んできたときの、あの色々な意味でサイバーな衝撃を、今でも鳥肌が立つ感触と共に覚えている世代であれば、これらの作品から、刺されたような、息が詰まるような、そんなインパクトを受けることになります。

 もちろん「クラウン伍長」にも「アリス・B・シェルドン」にも丁寧な注釈がついているのですが、それだけではやっぱり分からないかも知れないな、他世代の方々は。などと偉そうにつぶやいてみる。

 というわけで、失礼ながら色々と世代限定感もある歌集ですが、これがツボに入ると、えらくパワフル。

  「友だちのその友だちが見たというぶどう畑の小型宇宙人」

  「ヴァンという塩の湖には怪物が潜むと聞きぬきけば安らぐ」

  「一九九九年七月号だけ欠けている「ムー」十年分お譲りします」

 甲府事件と呼ばれている宇宙人遭遇事件や、トルコで鮮明な動画が撮影されたという水棲UMA「ジャノ」について知っていれば、というか、ちょっと待て、まだ若いだろうに、なぜこの歌人は私の世代のハートを直撃するようなネタばかり持ち出してくるのか。

  「ビッグバンはなかったのかも蝙蝠がいつのまにやら部屋制圧す」

 こういう作品も、ちょっと理不尽な目にあったとき、いきなり「科学では説明のつかないことがこの世にはあるんだ。ビッグバンなんて信じない。これからは五次元なんだよ」とか何とか、訳の判らないことを口走って現実逃避しようとする私の世代の弱点をよく知ってるなー、と感心しますね。

 念のため著者の生年を確認してみたところ、なるほど、作品から感じられるほど若くはないというか、ギリギリ私と同世代。納得です。

  「怪獣のウロコの裏に甲斐のひと高山良策は指紋を残す」

  「怪獣にふいをつかれて群衆は個性豊かに逃げ惑うかも」

  「わが邦の怪獣映画の群衆は逃げ行く様に必死が足らぬ」

  「天を刺すスカイツリーよ新しきゴジラ来るまで壮健であれ」

 あー、怪獣好きなんですね。

  「ひとり観るテレビアニメの声優にへたなのがひとり交じりていたり」

  「ヒロインのその取り巻きのおかっぱのその棒読みを今は愛する」

  「わが妻に「ラブプラス」の講釈すなんという刑罰ぞこれは」

  「ながながき列の終わりに人間が寄り集まってつづきをつくる」

  「水門が諏訪湖をどっと吐いている コミケになんてもういかない」

 このへん私にはよく分からないのですが、色々と苦労しているようです。

 他には、動物ネタがけっこう印象的です。というか、結局は猫か、やはり。

  「境内に男の子と遊ぶ細長きこのけだものをフェレットという」

  「握り飯をジンジャーエールで流し込むわが飲食を犬がみていた」

  「一日のおわりにひとり麦チョコを食べている 猫がよぶこえ」

  「ここ数夜わが家の庭に鳴く猫を姿なき子と名付けてみたが」

  「そこもとの流儀は甲源一刀流吾がちかづけば猫あとじさる」

 こういうネタの面白さが印象的な短歌の他にも、いかにも現代の感性で現代の孤独を詠んだと思しき作品も数多く収録されています。

  「引出しをそっと開けばあらわれる有料チャンネル案内チラシ」

  「鮮やかな青地に白の文字映しWindowsは始業時に死す」

  「「豚カルビはじめました」の貼紙が達筆なればいよいよ悲し」

  「ふっといま合ってしまった隣席の軍艦巻きのシラスらの眼と」

  「水差しのなかはからっぽ真夜中の漫画喫茶は沈黙を売る」

  「ぬばたまの夜更けにひらく「花とゆめ」誤植をひとつヒロインが吐く」

  「真夜中のエレベーターの大鏡逃げ場所もなくわたしが映る」

  「あちこちの防犯カメラにわが影を残して雨の一日を終える」

 しみじみ共感するものがあります。あるいは、しみじみ共感しそうな人のことを想像してほくそ笑んでしまいます。濃いネタが多いため読者を選ぶところはありますが、今を生きる私たちの心理をたくみに突いてくる魅力的な歌集です。


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『トップスケーターの流儀 中野友加里が聞く9人のリアルストーリー』(中野友加里) [読書(教養)]

 「選手たちももしかしたら、テレビカメラがあると意識してしまって答えてくれないことも、紙面ならば答えてくれる、そんな場面もあったかもしれません。また、相手が同じスケーターの私だから話してくれる本音もあったでしょうし、その立場を生かして、様々なことを聞き出せたのでは、と思っています」(単行本p.237)

 村上佳菜子、織田信成、鈴木明子、無良崇人、羽生結弦、小塚崇彦、浅田真央、安藤美姫、高橋大輔。日本を代表するトップスケーター達に、自身もトップスケーターだった中野友加里さんがインタビュー。単行本(双葉社)出版は、2013年12月です。

 何しろ聞き手は、友人、盟友、あるいは「お姉さん」である中野友加里さん。付き合いも長く、色々とお互いに知っている仲ということで、出てくる出てくる、カメラの前ではなかなか言わない本音やら裏話やら私生活やら、もうぼろぼろと、気安く。特に女性スケーターへのインタビューは、ほとんどガールズトークのノリ。

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佳菜子
 「そうなんです。美容院の人に、これもう髪の毛じゃない、ほうきだって言われた! でも今日は友加里お姉ちゃんに会うから、ちゃんとおしゃれしてきたんですよ。佳菜なりに!」

友加里
 「佳菜なりに!」

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友加里
 「真央ね、もう十分大人だから!」

真央
 「ふふふ、真央も23歳になるから、一応大人?」

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友加里
 「美姫ママは今、何してるの?」

美姫
 「今日は孫の面倒見てるよ」

友加里
 「いえいえ、あなたのことよ! 美姫はもう、ママでしょ?」

美姫
 「あ、美姫のことか! 毎日スケートしてるよ。子育てもしてるよ(笑)」

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 ほとんどじゃれ合っているような会話が続いたりして、ほんわか気分になります。まあ、インタビューした時期が、まだシーズン前というか、差し迫ってなかった、というのもあるかも知れませんが。

 もちろんスケートの話も出てきますが、これも本音というか、気心知れたスケーター同士の雑談という感じで、大変興味深いものがあります。

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友加里
 「以前、ゆづ(羽生結弦)と佳菜子の対談を読んだ時、「ループはしゅっ! て跳べばいいんだよ」って、ゆづがアドバイスしてたでしょ? 佳菜も困ってたけど、あれは私もわけがわからなかった(笑)」

佳菜子
 「そうそう。ループがうまい人って、なんだか変。雅ちゃん(大庭雅選手)も、すごくループが得意なんですよ。それで、佳菜が「ループ、どうやって跳んだらいいの?」って聞いたら、「空気を読めばできる」って言われた。雅ちゃん、ゆづよりもっと意味わかんない!」

友加里
 「もう聞かない方がいいよ(笑)」

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明子
 「長久保(裕)先生は、自分の後継者として、私に受け継いでほしいって気持ちみたい」

友加里
 「先生としては、あっこちゃんにコーチをやってほしいんだ?」

明子
 「私はジャンプが得意じゃなかったから、できればジャンプなんてなければいいと思ってる選手なんだけど、いいですか(笑)」

友加里
 「そうだ、アイスダンスやれば? 競技人口もまだ少ないし、すぐに日本代表になれちゃうかもよ。パートナー、誰か見つけてこようか? 鈴木明子&高橋大輔組とかどう?」

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 鈴木明子&高橋大輔組のアイスダンスは私も観たいと思う。こんな感じでスケート話でさえ女子トーク感がハンパないのですが、では男子へのインタビューはどうかというと、これがまた。

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友加里
 「もしかしてノブとも、パパ話的なことしてる?」

崇人
 「相談してます。夜泣きとかしてなかった、どうだった? とか」

友加里
 「現役選手同士でする話ですか(笑)」

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友加里
 「あの年、遠征先で私のパソコン使って奥さんにメールしてたでしょ! 当時はまだ彼氏彼女で」

信成
 「した! 自分のパソコンがなくて……」

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友加里
 「でも私は、突っ走っても、ちゃんとジャンプの計算はできるからね!」

信成
 「もうそれ、やめて! 否定できないです(笑)」

友加里
 「今まで何度、試合で計算間違えたのか! いったい何回、余計なジャンプ跳んでる? そんなにノブはジャンプを跳びたいのかと(笑)」

信成
 「でも聞いて。僕、今年の国体で初めて計算できたんですよ!」

友加里
 「初めて! 遅いよ(笑)」

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 ほとんどの選手が友加里さんに甘えている感じですが、やはり世代が違うというか、羽生結弦選手は一味違います。

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結弦
 「ジャパンオープン(09年)で「火の鳥」を滑った時……トリプルアクセルで転んで、友加里さん、肩が外れちゃったじゃないですか? あの時、滑りながら、肩、入れ直しましたよね! どうしたらあんなに冷静になれるのかなって、ずっと思ってた」

友加里
 「外れた瞬間、すっごくいろんなことが一気に頭を駆け巡って。いま棄権したら何点減点されて、誰に迷惑がかかって、いや、そもそもこの試合って棄権できるんだっけ? って思ってるうちに、ガッ! てはめたの(笑)」

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 格闘技家の会話かっ、というほどハードな話題がさらりと。他にも、小塚崇彦の股関節不具合とか、安藤美姫が子供を守るために外に出ることも出来なかったとか、ソチ五輪の後で引退する選手たちのその後とか、もちろん真面目あるいは深刻な話もちらほら出てきます。

 というわけで、上で挙げられたスケーターのファンなら文句なく楽しめる一冊です。そんなに詳しくないがフィギュアスケートに興味はある、あるいは最近になって興味が湧いた、という方には、まずは荒川静香さんの解説書をお勧めします。

  2013年12月18日の日記:
  『知って感じるフィギュアスケート観戦術』(荒川静香)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-12-18

 これを読めば、ループ、トリプルアクセル、ジャンプの計算、といった上に引用した会話に出てくる話題について何となく理解できるようになるでしょう。そして、実際に試合を観て、お気に入りの選手が何人か出来てから、本書を手にするといいでしょう。


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『眠りの森の美女』(マシュー・ボーン振付、ニュー・アドベンチャーズ) [ダンス]

 2013年12月16日のNHK-BS 「プレミアムシアター」では、2013年5月10日にブリストル・ヒポドローム劇場(バーミンガム)で行われた、ニュー・アドベンチャーズ公演、マシュー・ボーンの『眠りの森の美女』の全幕舞台映像を放映してくれました。

 マシュー・ボーン振付作品というと、現代的解釈による古典バレエの改作が有名です。個人的には、男性ダンサーたちが格闘技のように力強く白鳥を踊る『白鳥の湖』を市販映像で観て、そのかっこ良さにシビれたのが忘れがたい思い出となっています。後に、孤児院が舞台となる『くるみ割り人形』を来日公演で観て、こちらも気に入りました。

 となると、いわゆるチャイコフスキー三大バレエの残り一つ、『眠れる森の美女』もマシュー・ボーン版があるかしらんと思って、市販映像を探したものの見つからず、映像化されてないだけだろうか、それとも出演者が多すぎるから製作を断念したのだろうか、などと悩んだのも今は良い思い出。

 今回放映されたマシュー・ボーン版『眠りの森の美女』は、数年前に初演されたばかりの新作とのことで、ようやく謎が解けると共に、この舞台を観ることが出来て感慨もひとしおです。

プロローグ

 闇の妖精、カラボスが魔法で赤ん坊を呼び出し、ベネディクト王(エドウィン・レイ)とエレノア妃(ケリー・ビギン)に与えます。

第一幕 1890年

 舞台は19世紀末。カラボスから授けられた赤ん坊は元気一杯に部屋中をハイハイしています。赤ん坊はあやつり人形で表現され、これが生き生きと床を這い、カーテンを登り、出演者にぺしっと平手打ちを喰らわす様子はとてもユーモラス。この人形が実に魅力的なので、第一幕にしか出てこないのは残念だと思っていたら、観客がそう思うのもお見通しだったらしく、終幕に再登場してくれます。

 妖精たちの踊りはきびきびしていて気持ちよく。古典版では全員が女性でしたが、そこはマシュー・ボーン版らしく半分は男性ダンサー。しかも古典版の振付をほとんどそのまま男性ダンサーに踊らせたり、古典版における「リラの精」を「ライラック伯爵」としてクリストファー・マーニーに踊らせたり、男性ダンサー向け振付の方が気合が入っています。

 ちなみに妖精アドゥアを鎌田真梨さんが踊っており、その男勝りの力強いダンスに感心。

 ライラック伯爵とカラボス(アダム・マスケル)との対決はライラックの圧勝に終わり、カラボスは、意外にも、まだ第一幕だというのに惨殺されてしまいます。この作品、妖精族がみんな血に飢えているというか、猛々しい奴ばっかり。ところで、敵役が抹殺されちゃったんですけど。

第2幕 1911年

 20世紀初頭。「現在」から百年前。なるほど、そう来るか。

 今やお転婆でワイルドな少女に成長したオーロラ姫(ハナ・ヴァッサロ)。乳母に隠れて、こっそり恋人レオ(ドミニク・ノース)と自室で密会しています。まだ第2幕だというのに既に恋人がいるとは、さすが展開早し。

 見せ場はピクニックのシーンですが、ここではテニスのラケットを持って踊ったりと、20世紀を強調する演出が多くなっています。現れたカラボスの息子、カラドック。古典版のようにいつまでも女装させとくのも何なので、殺された母の復讐にやってきた息子という設定で、アダム・マスケルが男の色気むんむんに踊ります。

 そのカラドックとオーロラ姫の対決パ・ド・ドゥは魅力的。古典版のいわゆる「ローズ・アダージョ」のシーンは、オーロラ姫が恋人レオといちゃつくシーンになっているのが妙に可笑しい。

 あまりといえばあまりのいちゃつきぶりに、もういいから早く眠らせろ、と観客が思ったところで、青いバラのトゲに刺されたオーロラ姫は百年の眠りに。

第3幕 2011年

 今や封鎖された城は『眠りの森の美女』として観光名所に。観光客がぞろぞろやってきてスマホで記念撮影するなど、「現代」が強調されます。衣装や動きは現代風になりますが、古典の雰囲気も多分に残っていて、そのバランスはさすが。

 カラドックとレオとオーロラ姫の三角関係、という対決シーンは古典版に比べて説得力があります。結局、古典版と違ってカラドックが勝利し、オーロラ姫を奪って逃げる。この展開は観客の予想に反していて面白い。

第4幕 昨日

 オーロラ姫とカラドックの結婚式、盛大な仮面舞踏会が開かれます。そこに、ライラック伯爵の手引きで潜入したレオ。正体を隠したままオーロラ姫に近づくが。

 もう古典版とは展開も雰囲気も全然違うじゃん、と思ったら、どうやらこれ『ロミオとジュリエット』。雰囲気も演出もそっくりです。衣装は現代風、振付はリミッター解除の勢いでめっちゃかっこ良くなります。いいなあ。

 カラドックとライラックの最後の対決、剣で刺し殺されるカラドック。このあたりも『ロミオとジュリエット』の決闘シーンみたい。手に手をとって逃げ出したレオとオーロラ姫が盛大にいちゃつくパ・ド・ドゥも、「バルコニーの場」をほうふつとさせます。

 それにしても妖精族のたぎり方ときたら。カラドックを何度も刺しては勝利の雄叫びをあげるライラックといい、新しいボスの誕生に拳を突き上げる勢いの妖精たちといい、どこの暴走族の抗争かと。

 というわけで、例えば深層心理レベルのテーマだけ残して設定や展開をまったく変えてしまったマッツ・エック版のようなドラスティックな改作ではなく、間延びしているシーンを引き締め、生ぬるいシーンには暴力的要素をつけ加え、全体的にスピーディにスタイリッシュに展開させ、でも古典版の雰囲気もちゃんと残してあるという、バランスがとれた気持ちいいマシュー・ボーン版『眠り』です。何と言っても、とにかく(特に男性ダンサーの)踊りがかっこいい、というのがやっぱり魅力的です。


ニュー・アドベンチャーズ公演
マシュー・ボーンの『眠りの森の美女』

2013年5月10日 ブリストル・ヒポドローム劇場(バーミンガム)
2013年12月16日 NHK-BS プレミアムシアターで放映

[キャスト]

演出・振付: マシュー・ボーン

オーロラ姫: ハナ・ヴァッサロ
レオ(狩り場の番人): ドミニク・ノース
ライラック伯爵(妖精の王): クリストファー・マーニー
カラボス(闇の妖精)、カラドック(カラボスの息子): アダム・マスケル
ベネディクト王: エドウィン・レイ
エレノア妃:ケリー・ビギン
マドックス(乳母): デイジー・メイ・ケンプ
妖精たち: ソフィア・ハードリー、鎌田真梨、ケイティ・ローウェンホフ、リアム・モワー、ジョー・ウォークリング


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