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『猫のよびごえ』(町田康) [読書(随筆)]

 「他人行儀なのはエルだけではなく、奈奈、シャンティー、パンク、ビーチ、すなわち二階のメンバー全員がなんとなく不機嫌だった。 なぜか。 それは私方に犬がやってきたからである。犬の名はスピンク。生後四箇月のスタンダードプードルであった。 二階のメンバーはそのことに根本の不満を抱いているのであった」(単行本p.108)

 シリーズ“町田康を読む!”第46回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、『猫にかまけて』、『猫のあしあと』、『猫とあほんだら』に続く猫エッセイ第四弾。単行本(講談社)出版は、2013年11月です。

 最近、『スピンク日記』や 『スピンク合財帖』で町田家の様子を大いに語ってくれた犬のスピンク。しかし、そのスピンクもなぜか猫のことは黙して語りません。最初の方で、二階には猫の人たちがいる、とか言ったきり。その後は、猫のことは見ないよう、考えないようにしている、という印象が強いのです。スピンク、猫きらいなの?

 「犬が戻ってきた瞬間、マジですか? と云われた。 どうやら猫たちは、犬はもう戻ってこない、犬をどこかに棄ててきた、と思いこんでいたらしい。(中略)みな、工事の騒音や振動や不穏な気配はともかくとして、少なくともあの巨大で意味不明で不愉快きわまりない白いもしゃもしゃはいなくなった、と思っていたのである。(中略)猫たちの不平は極点に達し、私は猫に謝り乍ら日を暮らしている」(単行本p.123、124、126)

 どうやら猫たちの徹底した犬敵視政策ゆえに、スピンクと会わせないようにしているようです。苦労がしのばれます。

 奈奈、エル、シャンティー、パンク、さらに、ビーチ、ネムリ、トナ、シゲゾー。二階にいる猫だけでも、知らないメンバーがどんどん増えています。これはもちろん、捨て猫を見つけると放置しておけず、保護し続けているため。今回のエッセイでも、猫の保護シーンが何度も登場します。うちなんか保護した四匹だけでもう手一杯、これ以上引き取るのは無理無理無理、なんて思っているというのに。まことに頭が下がります。

 書かれている猫たちの様子は微笑ましく(他人事だし)、猫飼いなら思わず「あるある」と膝を打ってしまう描写がいっぱい。

 「ぎゃっ、と叫んで後ろにのけぞった。そのとき私はショートパンツ姿であった。死闘を繰り広げる二頭の猫の鋭い鍵形の爪が太腿に食い込んだのである。 その私の大声に驚いたビーチとシャンティーは突然、死闘を中断し、「急にそんな大声を出すなんて信じられない」「はっきりいってひどい」と、私を批判しながら、ビーチは西にシャンティーは東に被害者的な感じで逃げていった」(単行本p.24)

 「エルは怒って、「俺がママに甘えているときは俺が甘えているときっ」と、怒鳴り、エル特有のヘナヘナパンチを繰り出す。(中略)エルを甘やかす場合は、家の者がエルを連れて和室に入り、専心に甘やかすのであり、この方式以外の甘やかしをエルは認めない」(単行本p.28、150)
 
 「腹を撫でると、前肢で私の手を抱え込んでおいて、後肢でこれをげむげむ蹴ってくる。或いは腹筋運動のような格好で頭をもたげ、これを嚙んでくる。しかし、飽くまでも遊びと心得、本気で蹴ったり嚙んだりしている訳ではないので、たいして痛くない。たいして痛くはないが、けっこう痛い」(単行本p.164)

 「例のマーキングをね、やめてほしいとね、まあ、こう思うわけです」
 「ああ、マーキングですか。別にあんなもの、やめたっていいですよ」
 「ほんとですか」
 「うん。僕以外のすべての猫を捨ててきてくれればすぐにやめますよ」(単行本p.200)

 「ネムリやトナが視界に入っただけで、「あああ、うざい。うざさのあまり死ぬ。ああああああっ、うざああああああ、いやあああああああああっ」と、絶叫しながら姿勢を低くして押し入れに逃げ去る。 その時点では別になにをした訳でもないのだから、そこまで嫌がらなくてもよいのではないか、と思うが、それだけで嫌がる。ときには嫌さのあまり嘔吐するなどもしている」(単行本p.225)

 「あまり優しく言うと、「はは、弱そうなおじいさんがなんか言ってる。無視しよう」と言って、言うことを聞いてくれない。かといって、あまりにも厳しく言うと、かえって心を閉ざし、「権力者が抑圧的に振る舞っている。だが俺は弾圧には負けん。戦い続ける」と言って、私の目の届かぬところで奈奈を殴ったりするに違いない」(単行本p.228)

 「そんなことは知りませんよ。とにかく近寄らないでください」
 「なぜですか」
 「むかつくからに決まってるでしょう。嚇嚇嚇嚇嚇嚇嚇嚇嚇嚇嚇嚇嚇嚇嚇嚇」(単行本p.230)

 「被害者的な感じで逃げていった」、「この方式以外の甘やかしを認めない」、「たいして痛くはないが、けっこう痛い」、「僕以外のすべての猫を捨ててきて下さい」、「嫌さのあまり嘔吐」、「権力者が抑圧的に振る舞っている」、「とにかく近寄らないでください」など、猫飼いなら大きく頷くに違いない、絶妙な猫語録が次々と。

 また、町田夫妻による飼猫たちのカラー写真が多数収録されており、見ているだけで心が和みます。猫はいい。

 猫たちによる住環境破壊活動、乱暴狼藉の数々、人間側の必死の対策、捨て猫保護などなど様々なことが書かれていますが、基本的に明るい感じです。『猫にかまけて』、『猫のあしあと』で猫好き読者の涙腺を直撃した猫死シーンはありません。いや、ないとは言いませんが、さらりと流してくれます。しかし、そのわずかな感傷的シーンが、その無常観がまた、しみじみと心を打つのです。

 「私はいままでトラのことを言おうとして言えなかった。その前に言っておくべきことがたくさんあったからだ。 死は大きな出来事である。 と、同時に大小様々のいろんなことが起こり、一切が過ぎていく。その過ぎていく一切が、大きなできごとにつながっていく。私は深い混乱のなかで、なにを話したらよいのかわからない」(単行本p.48)

 「クランはそんな猫だった。 そのクランが2009年1月15日に死んだ。 いろんなことが変わっていく。時間が過ぎていく。 やがて私も死ぬ。 そのときまで、こうして、みんなが生きていたこと、生きた時間を書いていきたい。そうおもっている」(単行本p.50)


タグ:町田康
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