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『デジタル・メタファー ことばはコンピューターとどのように向きあってきたか』(荒川洋平) [読書(教養)]

 「わたしたちの生活は、延々と揺れ続ける技術革新のブランコに乗せられているようなものですから、新奇な物品や機械を前にして、とりあえず分かった気にさせてくれるための言語的な道具がどうしても必要です。メタファーというその道具によってのみ、わたしたちは目に見えにくく、理解も難しいこの領域から、言葉によって自分自身を守ることができるのでしょう」(単行本p.182)

 質量がないのに「重い」データ、髪の毛のように細いのに「太い」回線、ただの箱なのに「タワー」型PC。そこには、メタファーによって新しいテクノロジーを何とか理解しようとする私たちの認知言語的なロジックがある。コンピューター用語に含まれるメタファーについて分析した一冊。単行本(東京外国語大学出版会)出版は、2013年11月です。

 「日本語は、新奇なカタカナ語を次々に入れる一方、さまざまな喩えを行なうことで、いわば言語的に戦うこともしてきたのです。それはわたしたちが手持ちの言葉をやりくりして、自分たちのよりよい理解のために、コンピューターという機械とそれが作り出した世界に対して、挑み続けた過程です」(単行本p.18)

 既にある言葉や概念をメタファーとして用いることで、よく分からない新しいものを何とか理解しようとする必死の取り組み。本書は、特にコンピューターの世界で使われているメタファーおよびメトニミー を50種近く取り上げ、その背後にあるロジックを認知言語学から探ってゆきます。解説されているメタファーは次のようなもの。

 「賢い」パソコン、「タワー型」PC、CPUの「回転速度」、ファイルを「ごみ箱」に捨てる、データが「重い」、回線が「太い」、網が「輻輳」する、ウイルスを「駆除」する・・・・・・。

 そもそも「コンピューター」(計算者)という言葉からしてメタファー。この言葉も、決して自然に普及したのではなく、そこには激しい戦いがあったのだといいます。

 「一つの物品や概念が複数の名前で呼ばれるとき、それらは人々の認識という領土を取り合います。単語戦争とでも呼ぶべきこの争いでは、双方が共存共栄という結果はありません。必ず一方が優勢に、もう一方は劣勢になります。(中略)computerの呼び名に関するこの争いでは、新参の「コンピューター」が、旧来の「電子計算機」に勝ちました」(単行本p.53)

 では、あるメタファーが言葉として普及するのか消えてゆくのかは、偶然によるのでしょうか。実は、その背後には認知言語学的なロジックが働いているといいます。例えば、「タワー型」パソコン。

 「パソコンの本体を高層ビルディングに例えるメタファーは形が似ているだけでなく、仕事に役立てるという機能、ユーザーがそこへ向かうという特性と、3点すべてに成立基盤を持っています。つまりこのメタファーは、単なる形の喩えでしかないピザボックス型などよりも、はるかに説得力があり、人々の理解に役立ちます」(単行本p.77)

 「開閉によって開始と終了を示すウインドウは、ユーザーが認識している他のメタファーともさほど矛盾せずになじんでいます。専門的に言えば、ユーザーのメンテル・モデル構築の上で、ウインドウのメタファーと高層ビルディングなど他のメタファーは、整合性が取れていることになります」(単行本p.107)

 偶然で決まったように思えるメタファーにも、実は成立基盤や、メンタル・モデル上の整合性といった、生存競争に打ち勝つだけの理由があるというわけです。職場がある高層ビルには窓がついている、だから「タワー型」パソコンの画面には「ウインドウ」が開くのが自然に感じられる。どこか夢の論理と根っこが同じようにも感じられます。

 同様にして、ノート型パソコンの宣伝でスポーツカーのイメージが多用される理由、ビジネス用パソコンの宣伝で軍事用語(装備、搭載、格納など)が多用される理由、などが理路整然と説明されます。認知言語学って、何だか、かっこいいかも。

 他にも、例えば「切り取り」を示すアイコンがハサミの形をしているのは、「道具でプロセスを示すというメトニミーに加えて、機能上の類似に基づくメタファーも採用されている」(単行本p.115)という分析、ウイルスというメタファーが普及したのは「コンピューターの登場以前から、機械の不具合はエンジニアの間でbugと呼ばれていた(中略)虫に対して歴史的に醸造されてきた人々の意識に、それが呼応した」(単行本p.155)という説明。

 そんなこと考えたこともなかったなあ。

 クライマックスは「太い」回線というメタファーの分析。著者はこう評するのです。

 「現実に細いものを「太い」と形容することは、コンピューター用語の描写に困ったわたしたちが、現実との折り合いをつけるために踏み込んだ言語的な冒険であり、デジタル・メタファーの白眉とも言うべきものです」(単行本p.149)

 といっても認知言語学の応用研究、といった固い印象はなく、メタファーの背後に見え隠れするものを明らかにしてゆく興味深いエピソードの数々を、気楽に読んで楽しむことが出来ます。

 例えば、ウイルスに対するメタファーの背景分析。

 「コンピューター・ウイルスの感染においては、わたしたちは医者も病院もない世界に住んでいることになります。あるのは製薬会社に相当するソフトウェアを開発する会社と、予防薬・治療薬に相当するウイルス対策ソフトだけです。いわばアメリカの医療事情にも似た、自己責任の原則だけが貫かれる世界に、わたしたちユーザーは置かれていることになります」(単行本p.159)

 「情報工学がもたらした現象とはいえ、ウイルスに対するメディカル・メタファーが作られたのがアメリカであることを考えると、この状況はアメリカ的な医療観、ひいては世界観の反映なのかも知れません」(単行本p.159)

 あるいは、インテル社が日本語でもUltrabookと表記する理由の推測。

 「多くの日本人にとって、この音重視の外来語「ウルトラブック」は、ウルトラマンのことを何か描いた本なのだろうか、という誤解の可能性を含んでいます。(中略)インテルでは自社の日本語ウェブサイトにおいて(中略)カタカナの「ウルトラブック」を、頑ななまでに用いません。(中略)英単語はすべてそのままにする、という表記基準を同社が持っているわけではないようです。Ultrabookという1語のみ、カタカナ表記を拒んでいることになります」(単行本p.171、172)

 「これが円谷プロのウルトラシリーズとの差別化を図るためかどうかはわかりません。ただし、同社ではUltrabookのキャラクターに虎を使っていますので、ultraの一部であるtraが日本語で「虎」に近くなることは認識していると思われます。(このキャラクターがコンピューターを「売る虎」なのかどうかまでは分かりかねます)」(単行本p.172)

 こうなると雑談に近いわけですが、こういう、もはやそれ認知言語学とちゃうやん、という怪しい話がまた面白いのです。

 というわけで、コンピューター用語に関する雑学本として気楽に楽しむもよいですし、巻末にブックガイドや参考文献一覧も付いていますので、認知言語学の入門書として活用することも出来る本です。軽く(メタファー)感じられる一冊ですが、本書にどれだけの労力が注ぎ込まれているか知って驚きました。

 「この研究を30代のライフワークと位置付けましたが完成することはなく、40代のライフワークとしてもできあがらず、(中略)ライフワークである以上、世に出さねば意味がないと思い、2010年秋から半年の特別研修をいただいて研究の詰めに入り、最後の原稿を書き終えたのは2013年の6月でした。こうして、完成には18年を要しました」(単行本p.199)


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