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『居場所もなかった』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「どこかに消えてしまいたいと思っていた。どこに行っても自分の居場所がなかった」(Kindle版No.134)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第81回。

 90年代の東京で収入不安定な女性作家が住処を探すことの困難さ。自分の居場所と生活(文学)を確保するため、不器用ながら怒りをこめて世間の理不尽と戦う長篇の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(講談社)出版は1993年01月、文庫版出版は1998年11月、Kindle版配信は2013年11月です。

 出世作『なにもしてない』の続篇ともいうべき作品です。なにもしてない、居場所もなかった。こうして題名を並べてみるだけで溜め息が出てきます。

 『なにもしてない』のラスト近く、「マンションは学生専用になる事が決まり、契約切れの勤め人たちは出来れば出ていって欲しいと懇願を受けた」(『なにもしてない』Kindle版No.1310)という一節がある通り、語り手はそれまでひきこもっていた部屋を事実上追い出されることに。

 「経済上の理由を無論大家は、説明したりは、しなかったのだった。が、結局はそのために学生専用にすることを決断したのだ。だがそれならそういってくれれば良かったのに。何の理由もなく、ただ出来れば出ていって欲しいという態度に直面したから、私は疑心暗鬼に陥るしかなかったのだ」(Kindle版No.563)

 社会経験が豊富な人なら、「社会人は出ていってほしい」と言われれば、学生の方が回転がいいので敷金・礼金を繰り返し取れる上に家賃も柔軟に値上げできるから、といった「経済上の理由」にすぐ思い至るところですが、何しろ語り手は社会性が低いというか、深海生物みたいというか、たちまちネガティブ思考に走ることに。

 「私は悪く、汚く、それ故に住み慣れた清潔な場所を出される罪深い存在なのであった。その罪を引きずりながらさ迷い歩いて、安住の地を捜さなくてはならなかった」(Kindle版No.677)

 「いや、本来ならそんなに悲観的になるはずもなかったのだが。たかが“追い出される罪深い私”という観念ごときに追い詰められていった。(中略)部屋捜しが私には拷問のようになってしまった」(Kindle版No.805、814)

 そして分かったのは、90年代の東京には、収入が不安定で、社交的でもなく、他人に理解されにくい自営業の女性に、部屋を貸してくれる不動産屋はどこにもないらしい、ということ。不動産屋を回るたび、語り手は次から次へと冷たい扱いを受けるはめに。

 「夜中に大声で泣き、絶えず死にたくもないのに死にたいと言い、いきなりワープロのプリンターの音を立てる目付きの変な私が、疎まれずに住もうと思えば、防音は要った」(Kindle版No.835)

 「社会から孤立しがちで妙な破滅衝動を抱えた被害者性格の人間がひとりでずっと暮らす。その上、近眼で異様に肥って足の遅い私は、ストレスをぶちまけるのに適しているらしい」(Kindle版No.704)

 後に、猫という「弱み」を持ってしまった主人公がもっと過酷な目にあわされる作品がいくつも書かれることになりますが、この頃はとにかく一人で不動産屋を回って交渉するというのが、死ぬほどの難儀だったのです。しかも、語り手にとって強迫的に大切なオートロックという条件が、世間(特に男性)からは意味不明なわがままとしか見えない、という問題まで。

 「閉ざされた空間で時間を止め、ヌイグルミと暮らしてドッペルゲンガーを見る。抽象観念を核に置いて、皮膚と脳の剥き出しの感覚だけを推進力にして小説を書く。----現実の気配は作品ばかりではなく、思考実験に縋って生きている私の、生活をも、脅かした」(Kindle版No.1070)

 「八王子で、最初、たまたまオートロックの部屋に住んだだけだ。が、私はそれに完全に適応し、もう他の世界に住めなくなってしまっていた。(中略)どこにもない場所、誰も来ない場所、地元の住人から顔も名も住処も知られないで生きられる場所・・・・・・人が、ひとつの部屋を選ぶ時、そこを自分が住むにふさわしいと考える時、そこには大抵ひとつやふたつの幻想が紛れ込んではいるが、それがたまたま私の場合オートロックだった」(Kindle版No.1067、1083)

 「住むところがない----オートロックといううるさい条件を抱えているだけの私が、ホームレスめいて、というよりただ、あてのないという強迫観念や思い込みに支配される」(Kindle版No.1288)

 さて、世間を代表する視点として担当編集者が登場。本作自体に難癖をつけ始めます。後に大胆に駆使されることになるメタフィクショナルな技法が、すでに使われていますね。

 「あのね、判らないんですよ。なんでこんなにこの主人公の部屋が見つからないのか。読者はこの主人公に付き合ってると疲れるかもしれないな。部屋が見つかりそうになるとまた駄目だったってそればっかり。(中略)誰もこんなに困ったりしませんよ。どうしてたかが部屋ひとつで追い詰められるんでしょう」(Kindle版No.868、897)

 実は密かにそう思っていた読者も、真正面からこう言い放たれるとカチンときます。強烈な生きづらさ、他人からの理解されにくさ、異常なまでの誠実さ、そんなものを抱えて生きていくしかない者の苦労が、お前なんかに分かるもんか、みたいな。

 「大抵の人が簡単に通り過ぎるところでどうしていちいちこんなに問題が起こったり考え込んでしまったりするんですか。大体ね、やり方次第で部屋を借りるのなんて非常に簡単なことなんです」(Kindle版No.1443)

 どう言っても分かってもらえない、絶望的な疎外感。

 「だからそれは一部上場企業の勤め人で、働き盛りの男性がうるさい条件なしに、部屋を、決める場合でしょう」(Kindle版No.1475)

 「相手が、既に、私とはまったく無縁の、理解しがたい私生活を持つ人間として視界に入っていた。簡単に部屋が借りられる存在。世の中をいちいち引っ掛からずに歩いて行ける生物」(Kindle版No.1511)

 「私は罪深く世間からつま弾きされ、どこもなかなか借りられないという考えに支配されている。同時に世間に対して凄い恐怖と怒りを覚える」(Kindle版No.1750)

 どうやら文学なんて必要としてないらしい編集者、個人の抱えている切実な事情など気にもかけようとしない不動産屋。そんな理不尽な世間に対して、恐怖と怒りを覚える語り手。「世間並み」でないことは、他の人と違っているのは、それほどまでに罪深いことなのでしょうか。

 恐怖と怒りから、いつしか小説は不条理な幻想世界へと突入してゆきます。

 「よく判る世界をわけの判らない理由で追い出される私は、もう一度よく判る世界にもぐり込むため、わけの判らない世界をさ迷うしかなかった。 不動産ワールドに行くしかなかった」(Kindle版No.1091)

 不動産屋のカウンターだけが無限に伸びており、ひたすらそこを放浪して理不尽なあしらいを受け続ける、そんな「不動産ワールド」。やがてオートロック物件が見つかったものの、あまりといえばあまりに仕事をしない担当者のせいで、契約から入居までひたすら翻弄される語り手。

 そして引っ越し先がどんな住処だったかというと。

 「新しい部屋に入ってから数日の間は、泣くことも出来ず、ひたすらただ叫んでいた。入ってしばらくして、隣がお墓だということを知った。そんなことはまったくどうでも良かった。それよりも騒音の中でどうやって暮らしていくのか。ただ長篇の校了で慌ただしかったことと、それで当分の生活のめどが立つということだけが、私を支えていた」(Kindle版No.141)

 「この騒音の前に密室などという錯覚は存在し得ない。ここは剥き出しの街路だ。自分の部屋からさえ私は常に追い立てられている。今ここに住んでいる。でも、ここは絶対に私の場所ではない」(Kindle版No.41)

 「沢山あったはずの書きたいことは消えてしまい、或いは書ける状態ではなくなっていた。頭の中では、ただ、東京の住宅事情、だとか、自分の居場所の無さ、というテーマだけが煮えくり返っていた。何もかもがそこにしか結び付かなかった」(Kindle版No.249)

 不動産ワールドを抜けたら、今度は騒音地獄。ひたすら不条理な世界を生きてゆくしかない主人公は、逃げるようにして次の引っ越し先を捜します。その先に待っているものは何でしょうか・・・・・・。いや、もちろんそれはストーカー被害であり、その先にあるのは猫地獄であることを、今の私たちは承知しているのですが。

 なお、作中では触れられなかった引っ越しのことを幻想味たっぷりに書いた短篇『背中の穴』が並録されています。

 「そうして気付いた。背中の穴はどこにも住みたくない私に繋がっていた。引っ越しの疲れ、引っ越し先がなかなか見付からなかった理由にまで関係があった。(中略)ただもうどこにも住みたくなくなるほど、どこに住んでも意味がなかったのだ」(Kindle版No.2518)

 ひたすら受難ばかりが続く作品ですが、この話で暗くならないところがすごい。実際に部屋捜しで嫌な目にあったことのある方、特に何らかの生きづらさや他人からの無理解に苦しんだことのある読者は、しみじみ共感するのではないでしょうか。そうでない方も、バブル景気で浮かれていた時代、その恩恵と無関係な人々に対して世間がどんなに冷たかったか、思い知るがいいかと。

 また、自分の居場所と生活(文学)を確保するため、不器用ながら怒りをこめて世間の理不尽と戦っていく様子からは、後の純文学論争が連想されます。その先にあるさらに巨大な国家規模の「理不尽」との戦いを先取りしているようにも感じられ、そういう意味では、前哨戦といえる作品かも知れません。


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