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『ルーティーン 篠田節子SF短篇ベスト』(篠田節子) [読書(SF)]

 「小説の枚数の少なさは、実は制約ではなく可能性である。つまり長編でできないことが、できるのである。小説としてのタブーを踏み越えた、何でもありの世界が短編小説には開けていたりする」(文庫版p.444)

 ジャンル横断型の超大型作家、篠田節子さんによる短篇SFの代表作を集めた一冊。文庫版(早川書房)出版は、2013年12月です。

 ドタバタ喜劇、不条理小説、怪談、奇譚。宇宙船やタイムトラベルが登場するような典型的なSF設定は一つもありませんが、しかしSFとしか言いようのない想像力と奇想と論理に突き動かされる作品が集結しています。

 音楽が、老人介護が、JR武蔵野線が、私たちを日常とつながったまま想像力の彼方へと飛翔させる。そんな傑作が10篇。さらに、エッセイ、インタビュー、編者(牧眞司さん)による詳細な解説と篠田節子SF長編リストなど、充実の一冊。

『小羊』

 「神の子たちは、外の世界を見たことがない。外の世界にあこがれを抱く者もいない。スクリーンを通して眺める外界は、汚らしくおぞましい。だから白壁は、彼らを閉じこめるものではなく、彼らを守る砦である」(文庫版p.11)

 他者への奉仕のためにいるという「神の子」たち。外界から隔離され清らかに育てられる小羊たちの一人である少女は、外からやってきた少年が奏でる「音楽」に心奪われるが・・・。

 いわゆる「壁の中」テーマの変奏ですが、何しろブッカー賞作家の長編からベテラン少女漫画家の代表作まで、多くの著名作品でこの設定が使われているので、今読むとほとんど最初から真相が分かってしまうことでしょう。しかし20年近く前に書かれた本作のキモは、「音楽」との出会いがもたらす世界認識の変容。短い枚数でそれを見事に描き、強い印象を残します。

『世紀頭の病』

 「長生きなんてしたくない。お母さんみたいに、太って、みっともなくなって、何もおもしろいこともなくなって生きてるなんて最低。三十前には死ねたらいいのに」(文庫版p.72)

 30歳を前にした女性が突然、急激な老化現象に見舞われて死亡するという奇病が流行。最初はパニックを起こした社会も、やがてそれが十代の頃の乱れた性行為が原因だと判明した途端に冷淡に。しかし、男性もこの病気と無関係ではいられないことが分かってくると、今度は・・・。

 架空の疾病を扱った、ドタバタ喜劇調で書かれた風刺作品。しかし、老いの恐怖、社会の「若くない女性」に対する冷たい仕打ち、男の覚悟のなさ等、お笑いの中にヒヤリとするような尖った硬質なものを混ぜてくるところはさすが。

『コヨーテは月に落ちる』

 「永遠に出口にたどりつかないビルの上下東西南北の三次元空間を、この獣と二人で歩き続けるのも運命かもしれない。そのことを美佐子はもはや悲観してはいない。自分の役人人生にしても同じようなものだ。廊下を歩き、エレベーターに乗り、疲れて動けなくなるまで出口を探して歩いてきただけだ」(文庫版p.126)

 都会の真ん中でコヨーテを見た語り手は、その獣に導かれるようにして異界に迷い込んでしまう。そこは出口にたどりつけないマンション。買ったばかりの自室があるというのに、そこに入って落ち着くことが出来ない。かといって、ビルから外に出て自由に生きることも出来ない。仕事人生という迷宮をコヨーテと共にさまよう彼女が、ついに辿り着いた出口とは。

 コヨーテが登場する幻想シーンと不条理な迷宮シーンが続く短篇で、個人的にお気に入り。ふとしたきっかけで主人公が決まりきった人生から逸脱してしまう作品としては、後述する『ルーティーン』と似ています。仕事に疲れた男が家を捨てて自由になる話が『ルーティーン』なら、仕事に疲れた女が家に囚われて出られなくなる話が本作ということに。ラストシーン、タイトル通りの幻想シーンが忘れがたい印象を残してくれます。

『緋の襦袢』

 「なんで大場さんが、年取った女詐欺師の代わりに、アパート探しをしなきゃならないんですか」(文庫版p.140)

 福祉事務所で働く元子は、担当することになった老女詐欺師に手を焼いていた。どこに行っても男をたらし込んでトラブルを引き起こす老女に住処を見つけてやらなければならない。軽い悪意で、強烈な心霊現象が起きる事故物件を紹介したのだが・・・。明るい雰囲気の怪談ですが、ユーモラスな中にも人間の業のようなものが潜んでいるところがまた。

『恨み祓い師』

 「「粗末なものを食べて育って、粗末なものを食べて一生が終わっていく……」 くぐもった声で母は言う。さて、何十年間、聞き続けた繰り言なのだろうか」(文庫版p.169)

 古びたアパートの一室で生活し続けている母娘。再開発のために出て行ってもらおうとする語り手は、奇妙な事実に気づく。娘はともかく、母はとうに死んでいるはずの高齢。それが老女二人、いつまでも、いつまでも、愚痴と恨み言を口にし、世間と人生をひたすら呪いながら、今もそこに住んでいる。いったい彼女たちは何者・・・。

 怪談なのか、「不死の一族」テーマなのか、入れ替わりトリックなのか。どこに落とすか微妙に分からないところがキモですが、むしろ老女が語る家族や世間に対する恨みの深さ、執拗さ、さらには「語れども語れども尽きることのなかった恨みそのもの」(文庫版p.211)が実体化して吹き出してくる光景の凄まじさに衝撃を受ける作品です。

『ソリスト』

 「アンナの音楽は奇蹟だった。奇蹟は何度も起きるはずはない。彼女がステージに上り、弾いてくれること自体が奇蹟なのだ。 完璧な彼女の音楽が支える完璧なアンサンブル。しかしアンナは、その奇蹟のピアノをこの十年あまり、決して単独では聴かせてくれない。 なぜかいつもアンサンブルなのだ」(文庫版p.235)

 奇蹟のように完璧な音楽を奏でる女性ピアニスト、アンナ。しかし、アンナは決してソロで弾こうとはしなかった。なぜなのか。アンナと共に舞台に立った語り手は、ついにその理由を“見る”ことになる。

 音楽怪談。篠田節子さんの作品に登場する「音楽」は、あまりに想像を絶する、近づく人間を彼方に連れていってしまうようなものなので、どちらかと言うとホラーというよりむしろレムのコンタクトテーマSFのような印象が残ります。

『沼うつぼ』

 「これが最後、もうだれも、二度と口にできない物があるとすれば、それは無限の価値を持つだろう。この一回だ。この一回きりで、後はもう語りぐさでしかなくなる。それはもうグルメなんて浅薄なことばでは語り尽くせない、精神の悦楽に近いものだ」(文庫版p.280)

 「沼うつぼ」と呼ばれる幻の魚、その最後の一匹を捕まえて食べさせてくれれば大金を払う。そう告げられた漁師は、その俗物根性を軽蔑しつつも、むき出しの欲望にいっそ清々しいものさえ感じるのだった。だが、かつて「沼うつぼ」を捕えた彼の父親は、そのせいで魔が差したように消息を絶っていた・・・。

 近寄るものに災いをもたらすという魔物のような怪生物。命懸けでそれを仕留めようとするハンター。黄金パターンですが、両者の対決よりも、むしろ周囲がさらけ出す人間の本性のようなものが印象的な作品。昔、深海の真っ暗闇で腐肉にわらわらと取りついてのたうつ大量のヌタウナギの映像に衝撃を受けたことがありますが、あれを思い出してしまいました。ラスト一行が強烈。

『まれびとの季節』

 「島に漂着した預言者に、マフムドの祖先がその名をもらったときから六百年もの時が経った。祭りも、司祭の仕事も、気が遠くなるほど昔から行われてきた。そこに疑問を差し挟む余地などない。彼は定められた手順にしたがって、祭りや儀式を遺漏のないように進めなければならない」(文庫版p.306)

 とある孤島にもたらされた世界宗教は、長い歳月を経て今や完全な土俗信仰と化していた。そこに本土からやってきた導師により「正しい」教義がもたらされる。さっさと転向する若者たち、伝統を壊すものだとして敵対する年長者たち。対立は次第にエスカレートしてゆき、村の生活は破壊され、やがてこれまで平穏に付き合ってきた周囲の島々までを巻き込んだ宗教戦争が勃発する。

 宗教対立による紛争を風刺したような話ですが、孤島で起きる小規模な聖戦のプロセスを丁寧に描き出すことで、人間にとって宗教とは何なのかを鋭くえぐった作品となっています。

『人格再編』

 「思慮に富み、思いやり深い長老の死と、愛情に満ちあふれた家族。人格再編処置はまさに理想の老後と真の尊厳死を日本の家庭と社会に実現したはずだった。しかし木暮喜美の国内最初の処置の後、二十年ほどでそれは再び禁止されることになった」(文庫版p.400)

 老いて耄碌し、被害妄想と呪詛と暴言の塊になりはてる老人。在宅介護の現場で苦しむ家族を救うために開発された人格再編技術。脳にチップを埋め込み、情動を制御することで患者を強制的に「心優しい老人」にしてしまうこの技術が引き起こした騒動とは。

 脳神経制御技術による人格改変というテーマを、ありがちな哲学的議論ではなく、在宅老人介護という切実な問題に結びつけ、最後は人間の老いと死が内包している意義に迫るという、本書収録作品中では最も本格SF。同じく老人介護問題をロボット技術で解決しようとする『操作手(マニピュレーター)』(『日本SF短篇50』第4巻に収録)と並ぶ傑作です。後者についてはこちらを参照して下さい。

  2013年08月14日の日記:
  『日本SF短篇50 (4) 日本SF作家クラブ創立50周年記念アンソロジー』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-08-14

『ルーティーン』

 「これが本当に俺の人生か? 昨日、武蔵野線の電車の座席で、二つの駅の選択をしていたその時、ふと浮かび上がった愚問は、夜の間中、心の中を行きつ戻りつし、今、彼の思考の中心に居すわっている。ほんの少し前まで完全に彼のものであったこの風景は、今、鉛よりも重たい倦怠感を帯びて、身体にのしかかっていた」(文庫版p.419)

 自分のこれまでの人生は偽物なのではないか。ふとしたきっかけで人生を逸脱し、仕事も家庭も捨ててしまった男。二十年後、かつての住居に戻ってみたところ・・・。

 奇妙な味の短篇。電車を乗り過ごしてしまった時に、このまま何もかも捨てて、これまでの人生をリセットできたら、と夢想したことのある人は多いでしょう。実際にそうしてみた男の物語です。本書のための書き下ろし。

 他に付録としてエッセイとインタビュー。SF界隈で語り草となっている、大森望氏の「それはですね、地球にはマントル対流というものがあって」という発言も読めますよ。

[収録作品]

『小羊』
『世紀頭の病』
『コヨーテは月に落ちる』
『緋の襦袢』
『恨み祓い師』
『ソリスト』
『沼うつぼ』
『まれびとの季節』
『人格再編』
『ルーティーン』
『短編小説倒錯愛』
『篠田節子インタヴュウ SFは、拡大して、加速がついて、止まらない』


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