SSブログ

『君は永遠にそいつらより若い』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

 「わたしはそのことに、暗い救いを覚えた。君を侵害する連中は年をとって弱っていくが、君は永遠にそいつらより若い」(Kindle版No.2394)

 大学卒業を間近にひかえた「童貞の女」のだらだら日常生活。そこに影を落とす、弱い者への理不尽な暴力。津村記久子さんのデビュー作の電子書籍版を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(筑摩書房)出版は2005年11月、文庫版出版は2009年5月、Kindle版配信は2013年11月です。

 「わたしは、イノギさんが十年ほど前にここでなくした自転車の鍵を探していた。イノギさんがわたしに探してくれとたのんだわけではなかった。探し当てたからといってどうなるというものでもなかった。今それを見つけるのを望んでいるのは、世界でわたし一人であると言ってもいいかもしれない。でもわたしにはそうすることが必要だった」(Kindle版No.25)

 雨の中、傘もささずに必死に地面を掘っている、どうやら若い女性らしき語り手。何が彼女を突き動かしているのか。自転車の鍵はどのような事情で失われたのか。というか、イノギさんって誰。ぐっと引きつけられるオープニングです。

 さて、語り手の名前はホリガイ。大学四年生、就職先は決まっており、卒論も何とか見込みが立っているため、焦りもなくだらだらと日常生活を送っています。このホリガイさんという人が、あまりに素敵なのです。

 「わたしは二十二歳のいまだ処女だ。しかし処女という言葉にはもはや罵倒としての機能しかないような気もするので、よろしければ童貞の女ということにしておいてほしい。やる気と根気と心意気と色気に欠ける童貞の女ということに」(Kindle版No.121) 

 「だいたいの男の子はわたしに対してこういう腰の退けた態度をとる。その理由のひとつとしては175センチもあるわたしの背の高さもあっただろう」(Kindle版No.182)

 「友人オカノに「地獄」と評されたとっちらかった下宿」(Kindle版No.210)に住み、「落ちてるブラジャーの金具踏んでかかとから出血したり」(Kindle版No.1096)、「ネットで集めたグラビアアイドルの画像のプリントを切り抜いて、枕元の襖に貼り付けたり」(Kindle版No.70)、「痴漢を傘でめった打ちにして、おまけに回し蹴りも当ててしまったり」(Kindle版No.230)、「ミスドの百円セールのイートインで千円以上払う」(Kindle版No.521)、豪気なホリガイさん。

 引っ越しのために部屋を整理したら「ピカチュウ万歩計の攻略本が三冊も見つかった」(Kindle版No.2159)、ホリガイさん。

 酔っぱらって、「漫画専門店の横の壁に貼ってあるきわどい衣装の巨乳の女の子が描かれているギャルゲーだかエロゲーだかのポスターに向かって、乳首が出るだろう普通! と毒づいていた」(Kindle版No.1077)、そんなホリガイさん。

 しかし、本人は自分を必ずしも高くは評価しておらず、野心も持ってないようです。

 「とても哀しかったのだ。また変わった女の子だと思われてしまった、とつらくなった。そんなふうには思われたくないのだった。個性には執着しないのだ。執着しないどころか、積極的になくしてしまいたいと思っている。けれどやっぱりわたしは、変なふうに思われてしまうようなことを言ってしまう」(Kindle版No.116)

 「知り合った年下の人の約八割は三日目からわたしに敬語を使うことを忘れる」(Kindle版No.833)

 「わたしの言うことは七割でまかせ」(Kindle版No.1007)

 「地下鉄がやってくるたびに電車とホームの隙間に爪先を突っ込んでしまうシミュレーションをし、自動ドアをくぐる時はまさに自動的にドアに挟まれる自分を思い浮かべる」(Kindle版No.988)

 「なんにしろ、わたしが並外れて不器用なのは、わたしの趣味のせいではなくわたしの魂のせいだ」(Kindle版No.138)

 「わたしの「成功」のイメージは、中学のときから一貫していい老人ホームに入ることだ」(Kindle版No.303)

 もう、読み進めるにつれてホリガイさんにどんどん感情移入するのを止められません。何だか変な失恋を繰り返すホリガイさんの滑稽としか思えない姿にまで、がんばれホリガイさん、とか心の中で激励しはじめたり。

 「オマー・シャリフのような人に出会えるとしたら一世紀くらいなら待てる、とまで思いつめていた。硬派だったのだ。硬派っていうのも違うか」(Kindle版No.956)

 「人生は妥協が大切なのだ、と急速に軟化し、まず容姿が軟化し、男の趣味も軟化し、人間性も軟化していった。が、さらに今になって考えてみると、転換以前と以後の生活に何ら大きな変化が見られないことが判明し、所詮わたしはわたしなのだとがっくりきて、そしてすぐにどうでもよくなった」(Kindle版No.959)

 「勝手に、初めてやるならこの人がいいなリストなるものを作り、八木君をその筆頭に挙げていた。(中略)精神的に暇を持て余していたわたしは、よく機械の音にあわせて八木君の立派な尻をたたえる歌を歌っていた」(Kindle版No.814)

 「せめてもの自分へのはなむけに、頭の中で、わたしが八木君を思って作った歌を数え、これぞというものを口ずさんで、八木君への気持ちにお別れをすることにした。「おーとこだがー、ちちらしきー、ものがーあるー、たとえるならー、駄菓子屋にー、売っていーるあましょくぱーん」(中略)あまりに哀しくて、それ以上は歌うこともままならず机にふせって唸っていると、休憩室の戸が「あましょくぱーん」という歌声と共にがらりと開いた。八木君の声だった」(Kindle版No.1408)

 しっかりしろっ、ホリガイ!(ため口)。

 と、こんな感じで前半はホリガイさんとその知人たちの会話を中心に、だらだらとした日常生活が面白おかしく語られます。しかし、冒頭で予告されたイノギさんと出会うあたりから、次第に小説のトーンはシリアスになってゆき、言いようのない緊迫感が漂うように。

 やがて、「幼い者、弱い者に対してふるわれる理不尽な暴力」への痛み、怒り、そういうテーマが浮上してきます。自殺、児童虐待、強姦、といった目を背けたくなるようなことも語られます。

 驚くべきことは、それでもホリガイさんはホリガイさんだし、どこかとぼけたユーモラスな雰囲気も残されている、という点。実に巧みなバランス感覚のおかげで、必要以上に辛気臭くならず、青年の主張っぽくもならず、ホリガイさんの心理を丹念に追った読者を感動させます。

 「他人が要ることは難しい」(Kindle版No.2024)とつぶやくホリガイさんが、冒頭に書かれた行動に出るまでの心の軌跡を、ぎりぎりのところで詳しく書かず読者に読み取らせる手際が素晴らしい。最後はけっこうマジ泣きしそうに。

 というわけで、様々な要素を盛り込んだ全力投球という、いかにもデビュー作らしい長編です。会話の妙、ちょっとした心理描写の巧みさ、心地よい文章のリズムなど、最初から完成度が高く、感嘆するしかありません。うまい作家は、最初から凄いものを書くなあ。

 「わたしは、あの男のことがわかるって思うたびに、でも自分には背中を撫でてくれる女の子はいないんだなって思い出すんだよ。じゃあ、わたしはいつかやっていけなくなるんじゃないかって。でもそれでもやってくんだろうな結局。そういうもんだと思う。でも、ときどき無性に、そういう子がいたらなって思う。やっていけるとかいけないとかって、そういうのとは関係なしに」(Kindle版No.2095)


タグ:津村記久子
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ: